視察報告書

国際ロータリー第4130地区
レイノサ76ロータリークラブ
Reynosa 76´A.C. Rotary Club
視察報告書
2001年11月18日
国際ロータリー第2750地区
東京狛江多摩川ロータリークラブ
始めに
私達東京狛江多摩川ロータリークラブはクラブ設立以来始めて本格
的な国際交流に取り組む為、2001年11月8日メキシコ派遣団を結
成し、6名の会員と、通訳として当クラブ事務員 1 名を伴い、成田空港
からメキシコ合衆国タマウリパス州レイノサ市のレイノサ76ロータ
リークラブ訪問の旅に出発しました。
派遣団員は本年度会長中野陽一、会長エレクト牧田正之、副幹事・次
年度幹事東海林和彦、直前会長相馬郁男、パスト会長関谷雄弘、クラブ
会報委員・本年 7 月入会の伊東正文の各会員、及び牧山みどり事務員で
す。
本報告書は11月8日から11 月13日に帰国するまでの視察の様子
とレイノサ76ロータリークラブとの交流をご報告するとともに、訪問
団結成までの経緯と、今後の相互交流と援助について、ご報告申し上げ
ます。
2001年11月18日
東京狛江多摩川ロータリークラブ
2001∼2002 年度会長 中野 陽一
ことの発端
1997年、当クラブへ青少年交換学生として、メキシコのレイノサ
76ロータリークラブを派遣クラブとして、アルマ・ガメス・モンフォ
ート嬢がやって来ました。
当クラブはホストクラブとして、カウンセラーを関谷雄弘会員に定め、
都立狛江高校に彼女を在籍させ、牧田正之、小谷野一徳(退会)、河辺
幹雄、高木登(退会)の各会員の家庭をホストファミリーとして、1年
間、日本語と日本の文化習慣を学んでもらいました。
そして、アルマの滞在中、最初の日本の「お父さん」牧田会員が商用
で渡米の途上、アルマの実家とレイノサ76RCへ表敬訪問し、アルマ
の父上でレイノサ76RC会員のパブロ・ガメス・カントゥー氏との知
己を得ました。
アルマが無事に帰国して3年経った今年2001年5月18日、99
∼2000年度の交換派遣学生で、現在メキシコの大学に留学中の安部
華絵嬢から牧田会員に1通のメールが届きました。
安部嬢は交換学生の時、アルマの実家を第1のホストファミリーとし
ており、メキシコのお父さんパブロ氏の意を体して送ってきたのでした。
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ドクター・パブロの要請
アルマの父君で歯科医師のドクター・パブロ・ガメス・カントゥー氏
は、RI第3140地区レイノサ76RCの2001∼2002年度会
長に就任することになり、この年度の奉仕事業の資金を得る為に11月
にゴルフトーナメントを開催し、そのトーナメントへ牧田会員が参加す
ることと、トーナメントの賞品へのアドバイスを求めてきたのです。
牧田会員の決断と提案
牧田会員はこの要請をこころよく受け入れ、自らの会社において製造
したゴルフクラブ1075本,ゴルフセット36セットを賞品として提
供することを決断しました。
ライセンスの関係で国内では販売出来ない保守用のゴルフクラブ、あ
るいは試打用として製作し、数回の試打を経て鋳潰すしかないクラブと
はいえ、正価で販売するなら800万円余にものぼります。
牧田会員は同時に当クラブに対し、このクラブとの交流と奉仕事業の
相互援助を図ることを提案し、併せてこのゴルフクラブの活用を申し出
てくれたのでした。
この提案と申し出に対し、私達のクラブはクラブの活性化と、新たな
展開を模索していた時期でもあり、理事会に諮り、例会で全会員の同意
を得てこの提案を積極的に実行することにいたしました。
メールのやりとり
早速この決定をメキシコにメールで伝えるとともに、当クラブは牧田
会員からゴルフクラブの寄贈を受け、当クラブの名前でレイノサ76R
Cへ発送する作業にとりかかり、派遣する会員の募集を開始しました。
幸い、当クラブの牧山みどり事務員がスペイン語にたんのうであった
為、メールでのやり取りは順調に行くと思っておりましたが、スペイン
語でのロータリー用語にてこずり、またラテン系特有の連絡の齟齬もあ
って、何度もメールが飛び交った結果、レイノサではこの思いがけない
プレゼントに対し、私達の派遣団を最大の礼をもって歓迎すると伝えて
きました。
そして、レイノサ市の4RCの合同例会への出席、RI4130地区
ガバナー、レイノサ市長も出席するメキシカンパーティーへの招待、ゴ
ルフトーナメントへの参加と、盛りだくさんのスケジュールを用意して
いるとのことでした。
更に、出発を目前にして4130地区の次年度GSE委員長マタモー
ロスRCのカルロス・エンリケ・アマーロ氏(Mr. Carlos Enrique Amaro)
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からもメールが入り、次年度に当地区とのGSE交換を希望するので次
年度の当地区委員長と連絡をとりたいとの意向も伝えてまいりました。
早速、現年度地区GSE部会長佐々倉英雄様にアドバイスをいただき、
ガバナーエレクト松崎勝一様にご報告のメールをお送りしたのは出発
するその朝でした。
そして、航空貨物で発送したゴルフクラブが届いたかどうか、未確認
のまま、私達は機上の人になったのです。
メキシコ到着
旅路は概ね順調でした。乗り継ぎのボーディングパスの紛失、土産を
機内に置き忘れたりといった小事件はありましたが、成田を発ってテキ
サス州ヒューストンに到着、更に飛行機を乗り継いで同州マッカーレン
にてレイノサ76RCのパブロ・ガメス会長と令夫人アルマさん、そし
てご子息ギジェルモ君の出迎えを受けました。
挨拶もそこそこにパブロ会長の用意した2台の乗用車に分乗し、国境
へ向かいました。国境までおよそ10分、アメリカでリオ・ブラボーと
呼ばれる国境の川、リオ・グランデを渡るとそこはメキシコ合衆国タマ
ウリパス州レイノサ市、国際ロータリー第4130地区です。税関をフ
リーパスで抜けパブロ会長のご母堂の住む実家に到着しました。
そこで旅の垢も落とさず、せかされるままにクラブのユニフォームの
ブレザーに着替え、約15時間余の長旅でほとんどヨレヨレになりなが
らレイノサ市の全ロータリアンが待っている例会場グラン・プレミエ
ル・ホテルへ向かいました。
レイノサ4ロータリークラブ合同例会
例会場の壁面に持参した日章旗を掲げ終えると、午後8時30分パブ
ロ会長による点鐘で合同例会が開催されました。
参加クラブはレイノサRC
“Reynosa” (1941 年創立),レイノ
サ76RC “Reynosa 76” (1976 年
創立),レイノサ95RC “Reynosa
95”(1995 年創立)、そして女性だ
けのクラブ、レイノサ・ヌエボ・ミ
レニオRC “Reynosa Nuebo
Milenio”(1999 年創立)、そしてビ
ジターとして私達東京狛江多摩川
RCの6名の会員が参加しました。
例会は4クラブがそれぞれプロ
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ジェクターを利用し、各クラブの過去の実績及び今後の活動計画を発表
し、英語で、あるいはスペイン語で私達にご報告をしていただきました。
生活困窮者の多いメキシコの国情を反映してか、各クラブとも学校給
食、障害者への援助、衛生対策、奨学金の支給などもっぱら社会奉仕活
動に力が注がれているようでした。そしてR財団の資金活用にも特別の
関心があり、この時ビジターである私達に向けられた眼差しは、格別強
く熱く感じられたのは気のせいだったのでしょうか。
報告の後、私達に対する表彰が行われました。
会長としての私中野には記念のメダル、そしてゴルフクラブを寄贈し、
レイノサとの友好を促進した最大の功労者である牧田会長エレクトに
は記念の盾を、そして私達東京狛江多摩川RCには特注製作したキング
RI会長の提唱する「卓越せる
指導力」即ち「指導者は鷲の如
し、群れを成さず、一目瞭然。」
をかたどった鷲のブロンズ像
が最大級の賛辞とともに贈ら
れました。
閉会の点鐘後、食事をしなが
ら談笑し各クラブのロータリ
アンとの名刺と友情の交換が
行われました。
食事は存外質素で、ビールな
どの飲料はそれぞれが支払っ
て注文するシステムでした。
大変多くの握手と名刺をいただき私達が持参したメキシコ国
旗と日の丸、ロータリーのエンブレムをデザインしたバッチを全
員にプレゼントし、また各クラブのさまざまなバッチをいただき
ました。
写真中央が私達の持参したものです。
そして食事が終わり、それぞれ帰宅してゆきますが、中にはテ
ーブルを囲みドミノに興ずる方々も見受けられました。
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こうして40時間に及ぶ長い長い11月8日が終わり、ホテルでよう
やく就寝いたしました。
女性だけのクラブレイノサ・ヌ
エボミレニオRCのメンバーと
ともに。
マージャンをやっているのかと
思ったらドミノでした。
例会を終えて一段落
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養護学校と福祉作業所
明けて11月9日、パブロ会長は朝ホテルまで迎えに来ました。車に
分乗し、街に出ると朝日の中のメキシコが見えました。レイノサ市は国
境の町とはいえ、鄙びた田舎町、中央広場があり、これに面して教会、
市庁舎、劇場があるという標準的な街のたたずまいです。このような風
景を見ながら運河に沿って町の中心を抜けると、景色は一転、元々砂漠
であった埃っぽい道路沿いに点々と貧困者のスラムが見えてきます。
行政の統計に載らないこうした人々を抱えているこの国の問題が急激
に迫ってきたように思えました。
到着したところは、市立の養護学校です。レイノサ76RCはこの養
護学校に毎日朝食を提供し、栄養不足に陥りがちの障害児を助けていま
す。
この養護学校にパブロ会長の奥様アルマが先
生として指導にあたっておられます。
この日も朝食を終えた低学年の障害児をイス
取りゲームで遊ばせている姿を見受けました。
パブロ会長は学校の運営費が足りず、アルマ
夫人は給料に倍する寄付を行っていると、話し
てくれました。
この学校では約2割
の子供達が定着せず、国
境の町でもあることか
ら親の都合でどこかへ
行ってしまうそうです。
学校での朝食は生徒
の母親が交代で給食当
番に当たり、調理してい
ます。
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食料庫にはRCから贈られた、さまざまな食材が保管してありますが、
この学校の設備は余りにも貧弱です。
給食室のとなりにトイレがあり衛生状態も万全とはいえません。
市の貧しい財政では、設備に支出する余
裕が無いそうです。しかもここは公立校で
すので,まだましだそうで、私立校では教室
の机すらない所もあるそうです。
教室の一つは障害児のリハビリに当て
られ、母親にリハビリの方法を教えながら
訓練を行っていました。
そして、この学校の聴覚障
害の子供たちは私達を歓迎し
て手話によるコーラスを披露
してくれました。
聴覚障害者は欠けた機能を
補う為、殊のほか皮膚の感覚
など他の感覚が鋭敏になると
聞いたことが有ります。
この子達も体のどこかで音
楽を聞いていたのでしょうか、
大変見事にそろった演奏でし
た。
ここでモンテレイの大学に通う、私達のクラブでお世話したパブロ会
長の娘のアルマさんと、同じ大学に通い、最初に牧田会員にメールを送
ってきた安部華絵さんが長時間の道程を車の運転をして到着し、私達と
合流しました。
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養護学校を後にした私達は、パブロ
会長の車と、娘のアルマの運転する安
部さんの車で、市内の福祉作業所へ行
きました。
この作業所では養護学校を卒業した
後、障害者が社会生活に参加し、可能
なら自立した生活を送れるように、職
業訓練を行っています。
そしてここもレイノサ76ロータ
リークラブが援助を行っているところ
です。
養護学校と同様に、職業訓練に不可欠な教材、木工の工作機械などの
設備が絶対的に不足しています。
四肢の障害、ダウン症、知的障害など、さまざまな障害を持った人々
が入所していますが、この人たちが社会に出たとき、この国の何処に受
け容れる余地が有るのだろうかはなはだ不安を感じました。
民族舞踊とメキシカンパーティー
翌11月10日パブロは、私達を市内の劇場へ連れてゆきました。
そこではレイノサ市の若者達による民族舞踊が行われることになって
いました。
ダンサー達は勿論ダンスだけで生活をしている、本当のプロでは有り
ません。ですが、そのレッスンは大変厳しいもので、メキシコの文化を
保存し、他の人たちに見せることでその文化を紹介するという強い意欲
を持った若者達です。
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安部華絵さんも、交換学生の時にはこの
人たちとともにレッスンを受けており、今
回も参加させて欲しいと懇願したそうで
すが、半年のブランクがあり他のメンバー
に迷惑をかけるという理由で断られてし
まいました。
パブロがこの民族舞踊を私達に見せよ
うと思ったのは、単に私達へのサービスだ
けでは有りませんでした。
私達6名の会員は11月11日狛江市
の主催する「狛江市民まつり」においてチャリティーバザーと、そして
盲導犬育成支援の募金活動に本来参加すべきであったのです。
どうしてもメキシコとの日程調整が折り合わず、私達6名は心を狛江
に残してメキシコへ旅立ったのでした。
狛江に残った私達のクラブの藤原健次副会長、佐藤高志幹事、若宮源
貴社会奉仕委員長をはじめとするクラブ全員から、自分達に任せて欲し
いと励まされ出発しました。
こうしたことをパブロは思いやり、この舞踊団を日本に招致し、公演
の収益で盲導犬育成の寄付をしたらと、提案してくれました。
私達はこの提案を感謝し、帰国後クラブの皆さんと相談することを約
束しました。
この民族舞踊は、若さにあふれる大変魅力的なものであったし、訓練
の成果も確かに見て取れ、観客に感銘を与えることの出来る立派なもの
でありました。
その晩はメキシカンパーティーです。午後8時から開始する予定で待
機していたのですが、主賓の市長が公務の関係で大幅に遅れ、10時か
ら開始されました。
待機中はメキシコ特産のテキーラを飲んでの暇つぶしで、酒豪ぞろい
とはいえ派遣団員はかなり出来上がっておりました。
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パーティーにはRI4130地区ガバナー、レオポルド・ロドリゲス
氏もおみえになり私たちとも親しくお話をさせていただきました。
パーティー会場にて。
娘のアルマ、母親のアルマ。
市長夫妻と安部華絵さん、牧
山事務員
市長、中野会長、ロドリゲス
ガバナー
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ゴルフトーナメント
11月11日は今回訪問のメインとなる
ゴルフトーナメントです。
ゴルフ場は、レイノサ市から15分ほど
のところにあります。今回ゴルフに参加す
るメンバーは牧田会長エレクト、関谷パス
ト会長の2名です。後から参加が決まった
伊東会員は200名のプレーヤーの登録に
漏れてしまいました。現地ではまだまだ参
加希望者が多く、パブロは断るのに躍起に
なっていました。
トーナメントは各ホールを現地の企業が
買って、チャリティーに協力しています。
スポンサーは最大のビール会社コロナ、高
級車のジャガーなどで各ホールではビール
の飲み放題、大変なゴルフだったようです。
トーナメントはロータリ
ー旗、メキシコ国旗の掲揚で
始まり、国歌の流れる中、全
員が胸に手をかざしての敬
礼、メキシコ人全てがもって
いるナショナリズムに触れ
た瞬間でした。
私達も含め、ロータリアンは皆同じシャツ
と帽子を身につけています。シャツと帽子
にはロータリーのエンブレムとレイノサ7
6RCの名前が縫い取ってあり、その他に
当人の氏名、そしてユニークなのはレイノ
サ76RCの会員が投票して決めた、最大
の功労者マヌエル・ロペス・グエラ会員の
名前が全員の胸に刺繍してあります。そし
てこの一年全てのクラブの事業にマヌエ
ル・ロペス氏の名前が冠せられることにな
るそうです。
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会場には、牧田会員の経営する株式会社東海ゴルフが製造した大量の
ゴルフクラブがさまざまなブランド名をつけてドラム缶に入れられてい
ました。初めてゴルフクラブが本当に届いているのを確認して、私達が
ホッと胸をなでおろしたのは申すまでも有りません。
皆さんがグリーンに出て、各ホールから同時スタート、マシンガンと
いうのだそうですが私にはよくわかりません。
ゴルフに参加しなかったメンバー
は、アルマ母子に案内され、国境を越
えてマッカーレンに買い物に出かけ
ました。
メキシコ入国のときはフリーパス
であった国境での入国検査は、同時多
発テロの影響で厳重を極め、大渋滞で
した。
国境を越えると風景は一転し、清潔
な街並み、整備された道路が目に入り
ます。豊かなアメリカと貧しいメキシ
コが一筋の国境、一本の川に隔てられ
ただけでこのように変わる現実を見ると、貧困を踏み台にし、犠牲にし
たものが豊かになったことが、身をもって理解できたような気がしまし
た。
そして巨大なモールに到着すると、有名ブランド品を始めとするあふ
れ返る商品の山があります。
数時間皆このモールの中で買い物をしたのですが、集合時間になって
帰ってきた皆の手を見ると、それぞれご家族へのお土産とおぼしき小さ
な袋を持っているだけでした。
やはりこの数日間見聞したものに対する思いは同じであったのでしょ
う。この富の一部でも貧しい人々に分かつことが出来ればと思いました。
帰りはフリーパスで国境を越えゴルフ
場に戻るとゲームは終わっており、表彰式
が始まりました。
順位はつけず、さまざまな賞が用意され、
各種トロフィーの他に、牧田会員のゴルフ
クラブが渡されました。
プレーに参加した牧田会員は二つのホ
ールでニアピン賞をとり、その賞品も彼の
提供したゴルフクラブ、彼が直ちに賞品を
寄付したのは言うまでも有りません。
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最後の一日
いよいよ最後の日になりました。
朝、日曜日ということでホテルの
レストランに朝食をとりにお出でに
なったレオパルドガバナーに再びお
目にかかりました。
ご挨拶をし、写真をご一緒に撮ら
せていただき、再会をお約束いたし
ました。
この日は今年7月にメキシコに帰
国した2000∼2001年度青少
年交換学生アロンソ・エルナンデ
ス・エルナンデスがやってくる日です。当初は昨夜のうちに私達がアロ
ンソの家を訪問する予定でしたが、アロンソの住むシウダ・ビクトリア
は余りにも遠く、往復8時間もかける余裕は私達にはありませんでした
ので、アロンソのほうから来てもらう事にしました。
その他に、メキシカンパーティーの夜、市長夫人から市内の福祉施設
を見学するよう要請されていましたので、早めにパブロの家に行きまし
た。
ところが一向にパブロが動く気配がありません。その理由はすぐにわ
かりました。
この日、メキシコのサッカーのナ
ショナルチームが、日本と韓国で開
催されるワールドカップへの出場権
をかけての大勝負の日だったのです。
こうしてこの日はテレビでの観戦
になりました。そしてハーフタイム
に入る頃、アロンソと父親フランシ
スコ・エルナンデス・モンテマヨー
ル氏が到着し、挨拶もそこそこに彼
らも観戦に参加、大騒ぎです。
特に勝気な娘、アルマが大騒ぎす
るのは良く判ります。母親のアルマ
さんは普段ひっそりと穏やかな方なのですが、この日は豹変して娘に負
けない大声援を送っていました。その甲斐があってメキシコチームはホ
ンジュラスに3対0で大勝利、コスタリカに次いで2位になり見事出場
権獲得、一同機嫌よく食事に出かけました。
メキシコ名物の子山羊を開きにした干物(写真が無いの残念です)な
ど焼肉を堪能し、その後、伝統的な馬術競技、ロデオのようなものです
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が見に行きました。
中でも、民族衣装を身にまとい、鞍に横座りをしてドリルを行った若
い女性達の優雅さと、彼女達が登場するとき、馬場に向かって突進し、
急停止する演技の迫力が印象深く思い出されます。
たった半日の再会でしたが、アロンソへの土産を渡し、次回はゆっく
りアロンソの家に行くことを約束して、車に乗り込む姿を名残惜しく見
送りました。特に日本の最後のお父さん、相馬会員がいつまでも手を振
っていたのが印象に残りました
私達は最後の夜に、ホテルのレストランにパブロご夫妻をお招きして
夜遅くまで語り合いました。
翌日、早朝私達は厳重な警戒の中、国境を越え、マッカーレンから飛
行機に搭乗し帰国の長い旅に出発しました。
そして、ニューヨークでの航空機墜落事故を知ったのは成田空港に着
いた後でした。
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姉妹クラブまたは友好クラブの締結
姉妹クラブは、友好クラブに比して多少拘束力が強いとの定説ですが、
実質的な相違はないと存じます。
いずれにしても一旦これを締結すればその定めた期間、信義上、道義
上の責務を負わねばならないのは明白です。
こうした責務に対する充分な理解をしたうえで、今回のレイノサ訪問
を期に、レイノサ76RCとの姉妹クラブ締結をご提案申し上げ、次期
牧田年度に申し送りたいと存じます。
GSE
レイノサではガバナーエレクトがお見えになると聞いておりましたが、
残念ながらその機会は有りませんでした。
しかしメールをいただいたRI第4130地区次年度GSE委員長マ
タモーロスRCのカルロス・エンリケ・アマーロ氏にお目にかかり、そ
こで再度我が地区とのGSEの交換を推進するよう強く要請されました。
またパブロ・ガメス会長は4130地区からドイツへのGSE派遣の
リーダーとしてドイツを訪問するそうで、パブロ会長からもこの要請を
受けました。
GSEは地区同士のプロジェクトである為、クラブとしては地区委員
を出向させ、側面からの協力を図ることが必要と考えます。
当面、派遣団の成果を当地区松崎勝一ガバナーエレクトにご報告する
ことを最初に実施いたしたいと思います。
同額補助金
パブロ会長は私達にRIのR財団ホームページから、私達のファンド
の状況をダウンロードして印刷したものを渡してくれました。
試みに私も4130地区のデータを見たところ全ての数字が一桁違っ
ていました。
明確な要望はありませんでしたが、彼らが私達に期待しているのは、
まさに同額補助金であるのは明らかです。この期待に私達が応えるのか
否か、そして応えるならば、その為の資金をどのように調達するのか、
そして双方の地区にどのような協力を求めるのか、全会員の理解を得た
上で、その意見をまとめて実施しなければなりません。
幾つかの欠くことのできない重要な手順を踏んだ上で結論に到達しな
ければならないことを今から確認しておくことが必要です。
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終わりに
パブロはニューヨークの事故を聞き、私達の身を案じ、無事到着したらすぐ
に知らせて欲しいと、メールを送ってくれました。そしてゴルフトーナメントで牧
田さんのゴルフクラブは販売収益7,000ドルに達し、トーナメント全体の収益は
40,000ドルにものぼったと報告してきました。
私達のこの旅行が、国際的な友好を築き、そしてメキシコで援助を必要とし
ている人々の役に立ったならこの上も無い喜びです。
そして、反省しなければならないのは、クラブの重要な行事と日程が重複し、
結果として6名の会員がチャリティーバザーと盲導犬育成支援募金に参加でき
なかった事です。
理由としては、すべてが今年の5月18日のメールで始まり、その後もメール
アドレスが不明であったり、メールを送っても返事がなかなか戻ってこなかった
りで、実質的な準備期間が殆どぎりぎりの状態であったことが挙げられます。
次回も同様に継続するのであれば、連絡通信の手順が確立した今、今回の
ような不手際は回避できると存じます。
最後にこのプロジェクトを理解し、支援し、協力を惜しまなかったばかりか、
私達の留守中「狛江市民まつり」のバザーと盲導犬支援募金において、多大
の収益をあげられた藤原副会長、佐藤幹事、若宮社会奉仕委員長、そしてす
べてのクラブ会員と、そのご家族、社員の各位に対し敬意を込めて感謝いたし
たいと存じます。
そして、派遣団において、多数のゴルフクラブを提供していただき、今回の
道筋を付けていただいた牧田会長エレクト、ホストファミリー、カウンセラーとし
てご参加いただいた相馬、関谷両パスト会長、次年度幹事として同行された東
海林会員、入会わずか4ヶ月で積極的に参加され、明るいクラブの将来を見せ
ていただいた伊東会員、通訳として、日本のもう一人の「お母さん」として自ら
参加を申し出てくれた牧山事務員に改めてお礼を申し上げます。
メキシコでお世話になった、次の方々にも深く謝意を表します。
Pablo Gámez Cantú,
パブロのファミリー:
令夫人:
Alma A. Montfort Sánchez
長女:
Alma A. Gámetz Montfort
長男:
Pablo Gámez Montfort
次男:
Guillermo Gámez Montfort
交換学生アロンソとご両親
父君(ロ−タリアン):Francisco Hernandez Montemayor
母君(ロータリアン):Leticia Hernandez Malo
アロンソ:
Alonso Hernandez Hernandez
ロータリークラブ会長
REYNOSA:
Javier Placios Placencia
REYNOSA 76:
Pablo Gámez Cantú
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REYNOSA 95:
Manrique Gonzales Montemayor
NUEVO MILLENIO: Patricia Zavala de Gonzalez
RI4130地区ガバナー
2001-2002:
Leopoldo Rodoriguez Sarmiento
2002-2003:
Robert Capistran
名刺をいただいたロータリアン
地区社会奉仕委員長
Manuel Lopez Guerra
REYNOSA 76:
幹事
Victor Martines
Juan J. Carstensen Lanz
Antonio Soto González
REYNOSA 95
幹事
Eladio Carreon Zamora
クラブ奉仕委員長
Herbierto Varela González
NUEVO MILENIO
社会奉仕委員会
Alma Magdaleno de Yáñez
青少年交換委員会
Sylvia Muñoz Gutiérrez
スペシャルイベント
Nelly Lerma de Rodríguez
援助委員会
Nidia Laura De los Reyes Sustaita
次回、是非とも多くの会員の皆様とご一緒にメキシコ訪問ができるこ
とを熱望し、ご報告を終えさせていただきます。
以上
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