オランド候補が当選した夜に バスチーユ広場にひらめいたマグレブの旗

オランド候補が当選した夜に
バスチーユ広場にひらめいたマグレブの旗
渡辺 一敏(翻訳家)
今月は環境やエネルギー関連の話題は一
の談話によれば、これは6日夜のバスチー
時休憩して、大統領選挙に因んだ話題を紹
ユ広場の光景に衝撃を受けたがゆえの選択
介してみたい。フランスでは5月6日の大
だという。ただし、特定の政党が国旗を選
統領選挙決選投票で社会党のオランド候補
挙キャンペーンに使用することは違法では
が現職のサルコジ大統領を破って当選した。
ないかとの論議もあり、意図的に挑発的な
同日夜、フランス共和国を象徴するパリ市
イメージやスローガンが採択されたという
バスチーユ広場は群衆に覆われ、多くの旗
印象は拭えない。
がひらめいたが、フランス国旗である三色
こうした「旗の戦い」も手伝って、フラ
旗よりも「赤い旗や外国の旗が目立ち」
、
ンスのマスコミでも「バスチーユ広場に
これが敗北した右派与党「国民運動連合
翻った外国旗」をどう受け止めるべきかに
(UMP)
」によって槍玉にあげられた。
ついて、論争が起きている。
UMP のコペ幹事長など有力者が口々に
「外国旗ばかりでフランス国旗はゼロ」
「三
こうした外国旗の意味合いについて考え
色旗はほとんどなく、外国の旗が圧倒的に
るには、まず選挙戦の推移を簡単に辿りな
多かった」と語り、
「外国人に支持される
おしてみる必要がある。
ような新大統領の下で、フランスはどうな
大統領選は10人ほどの候補者で争われた
るのか」と憂慮してみせた。もちろんこう
が、このうち第一回投票で5%以上の得票
した発言は次の選挙への布石でもある。
率を達成できたのは5人のみだった。社会
というのも、大統領は交代しても、それ
党のオランド候補(得票率28%強)が現職
だけで政治の実権が右から左に移るわけで
のサルコジ大統領(27%)を僅差で抑えて
はないからだ。6月には国民議会(下院)
トップに立ち、両者が5月6日の決選投票
選挙が控えており、これで社会党を中心と
に残った。3位は極右政党「国民戦線」の
する左派陣営が過半数を確保できなければ、
ルペン党首で、同党としては過去最高の得
左派の大統領と右派の内閣が共存するとい
票率(18%)を達成し、注目された。4位
う保革共存の悪夢が再現することになり、
は極左系候補、5位は中道系候補。
オランド新大統領は実質的にいかなる新機
決選投票では、オランド候補の圧勝を予
軸も実行に移せないリスクがある。
測する向きもあったが、蓋をあけてみると
右派与党は早速、総選挙向けの宣伝ビラ
同候補の得票率は52%に届かず、比較的僅
に三色旗を配し、
「皆でフランスを選ぼう」
差の勝負となった。勝敗を分けるカギと
というスローガンを掲げたが、コペ幹事長
なったのは、オランド候補への熱狂的ある
−7−
いは積極的な支持ではなく、むしろサルコ
るような受け身で怠惰な姿勢を是正しよう
ジ大統領に対する反感や反発の強さだった
という意図が込められていた。ただし、
といわれ、実際、投票日に行われた世論調
2008年に発生した金融危機の影響もあって、
査(Ipsos Logica Business Consulting 実
失業者は増える一方であり、残業は愚か、
施)もこれを裏付けている。それによると、
職を見つけること自体が難しいのが実情で、
オランド候補を支持した回答者のうち、実
空虚な掛け声に終わった。だから、サルコ
に55%が「現職大統領の続投を阻止する」
ジ大統領に「失望」した有権者は多い。し
ことを動機としてあげた。こうした事情を
かし、失望や幻滅は当然としても、それだ
反映して、2007年にサルコジ大統領が当選
けでは強い反感や反発にはつながらない。
した当時と比べて、オランド新大統領に対
大統領が多くの国民の感情的な離反を招
する期待感も総じて薄く、世論調査などで
いてしまったのは、移民問題などに触れた
も公約の履行は期待できないという醒めた
右翼的発言が直接の原因だと考えられる。
見方が過半数を占めているようだ。欧州全
もともと大統領は前任者のシラク大統領な
体を包み込んでいる危機感の中で、フラン
どと比べてはるかに右翼的であり、上記の
スの有権者は冷静、といえばそれまでだが、
「社会保障への依存」も部分的には子だく
新大統領誕生の直後にしては反応がいささ
さんで家族手当などに頼って暮らす移民世
か冷やか過ぎて驚かされる。
帯への批判を含意している。また、大都市
その分だけ、
「反サルコ
(サルコ、
というの
郊外の若者たちの非行を厳しく指弾し、徹
は、
サルコジ大統領の別称だが、
軽侮のニュ
底的に掃討してやる、などと強硬な発言を
アンスが込められているので、
むしろ蔑称
繰り返し、移民系が多い郊外の若者たちか
というべきか)
」
の勢いが強かったというこ
ら敵視されてきた。私事で恐縮だが、私自
とになる。
サルコジ大統領はなぜこれほど
身、パリと郊外を結ぶ地下鉄路線の中で、
嫌われる存在になってしまっただろうか?
郊外居住の少年のグループと言葉を交わす
例えば、サルコジ大統領が5年前に当選
機会があった時に、彼らがどれほど深くサ
した時のスローガンで一番人々の記憶に
ルコジ大統領を嫌悪し、憎悪しているか露
残っているものの一つが「もっと働いて、
骨な表現で聞かされて、内心密かに大統領
もっと稼ぐ」というものだった。これはか
に同情したことがある。また、大統領の懐
つての中道左派政権が導入した週35時間労
刀的な側近であるゲアン内相は、外国人留
働制(欧州でも最も極端な労働時間短縮)
学生が学業を終えた後にフランスで就職す
の逆を行くもので、労働の価値を再評価し、
る機会を徹底的に制限する措置を導入し、
残業などを積極的に引き受けて多く長く労
すでにフランスの企業や研究機関と雇用契
働する者にはそれに見合っただけの収入が
約を結んでいた優秀な学生がこれを断念し
保証されるような公正な社会を築く、とい
て帰国を強制されるというケースも続発し
う公約だった。働かずに社会保障手当に頼
て、物議をかもした。この理不尽な措置に
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はフランスの大学人・教育界や企業からも
などの出身者の二世、三世が含まれている。
百害あって一利なしではないかと抗議の声
フランスは移民の多い国だが、その大部
があがった。しかし、第一回投票で、やは
分はアフリカの旧植民地出身であり、その
り移民の排撃を党是にする極右政党「国民
子孫である二世以降のフランス人は、アラ
戦線」のルペン党首が3位に食い込んだこ
ブ 系 な ら「ブ ー ル(Beur)
」
、黒 人 な ら
とに鑑み、サルコジ大統領は決選投票まで
「ブラック」と通称される。なお、ブール
の2週間の選挙キャンペーンを利用して極
(女性形はブーレット= Beurette)は、実
右支持層を取り込み、逆転勝利を勝ち取る
質 的 に 蔑 称 と 化 し て い る「ア ラ ブ 人
べく、右傾化に拍車をかけた。この間の大
(Arabe)
」の倒語から派生したといわれる。
統領の発言は私のように基本的に中立の観
ブールもブラックも、本来はやはり差別用
察者が見ても、恥ずかしいほど極右におも
語なのだろうが、移民系の若者が自分のア
ねるものだったと断言できる。
イデンティティに誇りを込めて自己主張す
ルペン党首とサルコジ大統領では、欧州
る際にポジティブな意味合いで使われるこ
統合や欧州連合の新財政協定(財政規律の
とが多く、
「白」を意味する「ブラン=
強化に向けて欧州連合27カ国中の25カ国が
Blanc」を加えて、
「ブラック・ブラン・
締結した新条約で、サルコジ大統領自らが
ブール(Black Blanc Beur)
」といえば、
調印した)に関する姿勢は全く逆だが、移
伝統的な白人系のフランス人と移民系のフ
民の制限が不可欠であり、移民に地方選挙
ランス人の友愛と結束を意味する表現にな
での選挙権を付与することは絶対にできな
る。移民系の選手が多いフランスのサッ
いとする立場は共通している。これに対し
カー代表が自国開催の W 杯で優勝した際
てオランド候補は、経済移民の受け入れに
には、これが一種の流行語にもなった。
は一定の規制が必要だが、留学生はもっと
極右がとりわけ警戒し、敵視するのは、
積極的に招聘すべきだとし、より開放的な
マグレブ出身移民と「ブール」だが、それ
政策を打ち出した上に、市町村選挙では移
はイスラム教の目覚ましい普及に一因があ
民にも選挙権を認める方針を提示した。
る。イスラム教の影響力が欧州社会に及ぼ
ただし問題は純粋な「移民政策」をめぐ
している不安要因は、テロの脅威に留まら
る食い違いにとどまらない。暗黙の含意ほ
ず、例えば女性のヘッドスカーフ着用、男
ど人を傷つけるものはないが、極右勢力が
尊女卑の傾向、食肉などに関する規律(ハ
「移民」という一般的な用語で一括りにし
ラール)など様々で、フランスでも(ヨー
て攻撃している標的は、実際には「アラブ
ロッパ的・キリスト教的な)伝統的社会習
人」であり、
「イスラム教徒」
であり、この
慣との軋轢を生んでおり、今回の大統領選
中には、フランスで生まれ育ったマグレブ
でもハラールへの対応が論議を呼ぶ一幕が
(北アフリカ)
系の国民、
つまり、
旧植民地で
あった。ハラールという宗教的な規律が食
あるアルジェリア、モロッコ、チュニジア
肉処理場などで標準的に適用されることを
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認めてしまえば、逆に信者ではない消費者
戦線は根強い支持層を持ち、もし総選挙で
までが衛生上の理由も科学的要請もないの
比例代表制が採用されればかなりの議席を
に、否応なくそれに従わざるを得なくなり、
確保できると推定される。現在のマリー
これは特定の宗教がフランス社会を律する
ヌ・ルペン党首の父親であるジャンマリ・
状況を容認することに繋がる、という反対
ルペン前党首は2002年の大統領選挙で社会
意見が起きているためだ。
党のジョスパン候補を凌いで決選投票に進
国民戦線など極右勢力はこれを「外国人
出した実績を持つ。マリーヌ・ルペン党首
による侵略」ととらえて攻撃しているが、
は父親とは違って、人種差別的な暴言を極
その場合の「外国人」にはおのずとフラン
力慎み、党のイメージを民主的な方向に改
スで生まれ育ったブールも含まれてしまう。
善することで、政権に対する不満票を従来
むしろ国民戦線が本当に敵視しているのは
よりも幅広く取り込むことに成功した。し
移民そのもの以上に「フランス国民の中の
かし、フランス人優先、移民排斥の基本姿
異質分子」であることは暗黙のうちに誰し
勢には大きな変化はない。極右勢力に対す
もが感じとっている。それだけに差別を受
る伝統的な主要政党の対応としては、右派
けた側の傷は深いし、癒されない。逆に、
が国民戦線に負けないぐらい厳しい移民制
自国において常に二等国民扱いされがちな
限政策をとることで、国民戦線の伸長を阻
ブールは、フランス人としてのアイデン
む姿勢を見せるに対して、左派は人道的見
ティティには両価的感情を抱き、イスラム
地から極右とそれにおもねる右派を指弾す
の教義に人生の指針を求め、イスラム教徒
るという対立図式が成立している。極右の
同士の連帯感に惹かれる傾向を強めている。
伸長を誘うのは、右派から言わせれば、左
派のルーズな移民政策であり、左派から言
こうした流れの中で、決選投票は、本来
わせれば、極右思想の浸透を助長するよう
なら最大の争点となりそうな財政政策や、
な右派の曖昧な態度だ、ということになる。
原子力政策などでの対立をよそに、サルコ
今回の選挙でも、サルコジ大統領の敗北を
ジ大統領の右傾化を支持するかどうか、が
招いた間接的要因として、大統領右傾化の
争点となった感があった。従来は大統領与
呼び水となったルペン党首の躍進があり、
党に近しい政治的ポジションをとってきた
極右は相変わらずキャスティング・ボート
はずの中道派のリーダーが、
「個人的選択」
を握り続けているといえなくもない。
としつつも、オランド候補に投票する意向
しかし、極右政党の人種差別的な言説は
を表明して波紋を投じるなど、伝統的保守
上記のように一部の国民を二等国民扱いし、
勢力内からも大統領に対して距離を置く発
外国人扱いするものであり、社会の分裂を
言が聞かれた。
醸成し、亀裂を押し広げる効果があるだけ
欧州では極右政党が無視できない支持率
に、サルコジ大統領が右傾化発言を繰り返
を得ている国が多いが、フランスでも国民
した期間に、フランス社会にはなにやら息
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苦しいほどの緊張が漂ったことは実感とし
労働」を称揚する「本物の労働記念日」を
て否定できない。オランド候補当選の知ら
催すと称して、フランス国旗である三色旗
せは、その反動として、大きな安堵感をも
を掲げるイベントを独自に執り行い、労組
たらした。これが最初に触れたような外国
との対立を深めた。この旗の戦いも、バス
旗の光景を招いたのだろう。現場に立ち
チーユ広場での出来事の伏線になっている
会ったジャーナリストらの証言によれば、
かも知れない。しかし、バスチーユ広場で
「赤い旗」にはオランド候補を支持した極
は(少数だとしても)三色旗と外国旗が対
左支持者の赤旗もあったが、モロッコや
決したわけではなく、一緒に翻ったことを
チュニジアの国旗も少なくなかった模様
見落としてはならない。
(双方とも赤が基調)
。ほかに、シリアやパ
レスチナ、アフリカ諸国の旗もみられたそ
オランド新大統領の登場で、移民問題や
うだが、
「外国旗」で一番目立ったのはや
イスラム問題が一気に解消するわけではな
はりアルジェリアの旗だったという。
いことはいうまでもない。大統領が公約通
ここで詳しく触れる余裕はないが、実は
りに移民に選挙権を与えた場合、いわゆる
フランスでは数年前から、移民ないし移民
「コミュノタリズム」の蔓延を許すのでは
系フランス人と思しき若者がアルジェリア
ないかとの危惧は、必ずしも極右や右派与
国旗をことあるごとに振って見せるという
党の杞憂というわけではない。この「コ
現象が起きており、
しかも多くの場合、
フラ
ミュノタリズム」という言葉は、
「コミュ
ンスが屈辱を舐めるような状況で発生して
ノテ(共同体)
」から来ており、訳語とし
いるため、アルジェリア国旗には挑発的な
ては「共同体主義」とでもするほかないの
意味合いがまつわりつき始めている。その
だろうが、英語の「Communitarianism」
意味で、これを批判した右派与党有力者の
やその訳語としての「共同体主義」とは意
反応も、もし彼らが現場に赴いた上で証言
味が異なるので注意が必要だ。フランス語
しているなら理解できなくはない。しかし、
の場合は、少数派の民族的・宗教的グルー
今回バスチーユ広場で振られたアルジェリ
プが文化的または政治的な独自性を主張し、
ア国旗の意味について、現場にいた多くの
その承認を社会全体に対して要求すること
証言者は、フランスに対する挑発というよ
を指すのだが、これはフランスの普遍主義
り、大統領交代をきっかけとするフランス
的な共和国の理念や世俗主義の原則に反す
との和解のしるしだろうと解釈しており、
るものとして、批判の対象となることが多
敵愾心は感じられなかったと語っている。
く、用語自体にネガティブなニュアンスが
余談だが、5月1日のメーデーに、オラ
ある。
「コミュノタリズムを容認してはな
ンド候補を支持する労組 CGT(共産党系)
らない」という言説は、政治的立場の違い
などが赤旗を掲げて恒例のデモ行進を行っ
を超えて、現在のフランス政界の共通の認
たのに対して、サルコジ大統領は「本物の
識だともいえる。
−11−
極端な話、移民の多い自治体で、移民票
ない。
により選ばれた議員らの決定により、例え
アルジェリア現代史の第一人者であるバ
ば市営プールの利用時間帯が男女別枠に変
ンジャマン・ストラ教授(パリ大3大学)
更されたり、学校給食でハラールが義務付
は、アルジェリア問題こそ現在のフランス
けられたりする恐れはないか、というよう
第五共和制の基礎を作った根源的な事件で
な論議が真面目に戦わされた。フランスは
あり、ドゴール大統領以降のフランスの国
カトリック教会との長い苦闘を経て、漸く
際戦略がアルジェリアの喪失という大事件
世俗主義(政教分離)の原則を打ちたてる
への対応によって規定されてきたこと、そ
ことに成功した歴史を持っているだけに、
れにもかかわらず、フランスはしばしば、
いまさら、これをなし崩しにされてはたま
アルジェリア戦争の衝撃などまるで忘却し
らないと考えるのは当然だ。
たかのように振る舞ってきたこと、そのよ
私自身もパリでの生活で、頭や顔までを
うな記憶の抑圧や隠蔽は今現在も作用し続
すっぽりとベールで覆ったイスラム教徒の
けていること、などを明確に指摘している。
女性とすれ違うことが日常茶飯になってい
日本では一時期「戦後は終わった」など
るが、果たしてこのような女性たちと男女
と能天気なことをいう人がいたが、沖縄の
同権や普遍的自由・平等の原則についてま
米軍基地問題、米国製の福島原発が起こし
ともに語り合えるかどうか自信はない。
た事故、中韓とのますます難しい外交関係
「共和国の学校」で育った「普通のフラン
などを見る限り、戦後はまだまだ終わって
ス人」が戸惑いや不安を覚えるのは当たり
いないことは明白だ。フランスにとっても、
前ともいえよう。
アルジェリア戦争の「戦後はまだ終わって
いない」といえるだろう。アルジェリアは
ただし、フランスは国内のアラブ人、特
この7月に独立50周年を祝う予定で、オラ
にアルジェリア人移民やその子孫の存在に
ンド大統領もきっと歴史的な演説を行うに
ついて、植民地主義に由来する歴史的な責
違いないが、それで植民地主義の決算が終
任を負っている。単に厄介払いはできまい。
わるわけではない。バスチーユ広場にはた
今年は奇しくも大統領選挙の年であるだけ
めいたアルジェリア国旗は、あるいはフラ
でなく、アルジェリア独立の50周年でもあ
ンスとの和解への誘いかも知れないが、安
る。フランス軍による拷問をはじめとする
易な和解は新たな遺恨を招くだけだろう。
悲惨なエピソードに事欠かないアルジェリ
アルジェリア問題の検討はフランス現代
ア戦争を経て、1962年のエビアン協定によ
史のカギ、といわれる。泥縄式の勉強しか
りフランスにとって最重要だった植民地が
していない私にはそれを論じるだけの知識
独立したわけだが、半世紀を経た今も、フ
も能力も資格もないが、パリの夜空を飾っ
ランスのアルジェリア統治がフランスとア
たアルジェリア国旗が触発した感想を記し
ルジェリアの双方に及ぼした傷は癒えてい
てみた。
−12−
(パリ在住)