2010 年 3 月 22 日 地球ことば村シンポジウム「多言語社会 日本」1 多言語社会ヨーロッパの言語政策 山川智子(東京大学大学院在学、地球ことば村) 本発表では、ヨーロッパの言語政策を欧州評議会の言語政策に焦点をあてつつ概観し、 日本の言語政策を相対化するための素材提供を試みたい。 ヨーロッパの多言語主義の背景には、ヨーロッパを再び戦火の地となることを防ごうと い う 市 民 の 決 意 が あ る 。「 国 民 国 家 」 と い う 枠 組 み を こ え 、「 多 様 性 の 中 の 統 一 」 を 目 指 し て い る 現 代 ヨ ー ロ ッ パ の 経 済 的 、政 治 的 役 割 は「 欧 州 連 合 (EU)」が 担 っ て い る 。そ の 舞 台 裏 で 、 主 に 、 文 化 、 言 語 、 人 権 問 題 に 関 す る 枠 組 み を つ く り 、 政 策 提 言 を 行 う EU と は 別 の組織がある。それが「欧州評議会」という国際機関である。 戦 争 再 発 防 止 と い う 理 念 を 貫 く に は 、経 済 的 、政 治 的 な 連 帯 の 他 に も 、 「 個 人 」レ ベ ル の 意識変革も欠かせない。一人ひとりの市民が異文化に対して開かれた姿勢を持ち、人権問 題などの価値観を共有しようと意識することが肝要である。人々にとって「ヨーロッパ」 という枠組みがまだ自明でなく、 「 ヨ ー ロ ッ パ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ 」が ま だ 確 立 さ れ て い な かったのが終戦直後であった。欧州評議会は、この時期に、市民の意識改革という課題を 議論していたのである。 言語政策に関しては、欧州評議会の数ある部門の中でも、とくに言語政策部門が中心と なり、市民の言語教育の方針の大枠を提示するほか、少数言語維持や、移民の言語教育に 関しての政策提言を行っている。政策提言を行うだけでなく、現場での活用に向けたワー ク シ ョ ッ プ を 開 催 し て い る 。学 習 者 は 、教 室 と い う 限 ら れ た 空 間 だ け の 存 在 な の で は な く 、 社会生活を営み、日常生活の中で言葉を駆使しながら問題を解決していくという、常に流 動的な存在である。こうした認識が現代ヨーロッパにおける言語教育の現場で共有されて い る こ と は 今 一 度 確 認 し て お く 必 要 が あ る だ ろ う 。こ の 認 識 が 、 『 欧 州 共 通 参 照 枠 (CEFR)』 の誕生につながっている。 「 社 会 」に お け る 言 語 の 状 況 の み な ら ず 、 「 個 人 」が ど の よ う に 言 語 を 用 い て「 社 会 」で 生 活 し て い く か と い う 部 分 に 関 心 が 向 け ら れ た 時 、少 数 言 語 維 持 に 向 け た 活 動 と 、 「ヨーロ ッパ・アイデンティティ」育成のための言語教育とが矛盾することなく共生できる。この 「個人」の言語使用に注目していこうという決意を表した考え方が「複数言語主義 (plurilingualism)」 で あ る 。 こ れ は 社 会 に お け る 言 語 の 存 在 に 焦 点 を あ て て い る 「 多 言 語 主 義 (multilingualism)」と は 異 な る 考 え 方 を 表 現 し て い る 。言 語 教 育 に お い て 馴 染 み の あ る概念となった「複数言語主義」という考え方は、近年になって突然に生み出された特別 な概念というわけではない。 「 複 数 言 語 主 義 」は ヨ ー ロ ッ パ 市 民 が 日 常 生 活 の 中 で 実 感 し て いる、当たり前の発想で、欧州評議会が行ったことは、その発想を市民に意識化させるた めに名前をつけたことである。 「 複 数 言 語 主 義 」 は 、「 他 者 」 と の 交 流 の 際 の 心 構 え を 問 い た 考 え 方 で あ る 。「 こ と ば 」 について論じているので、 「 他 者 」と は 、自 分 と 異 な る 言 語 を 話 す 人 が 想 定 さ れ る こ と が 多 い が 、自 分 と 同 じ 言 語 を 話 し て い る 人 に 対 し て も 当 て は ま る の で あ る 。CEFR に も 、 「母語 話者であろうと異言語学習者であろうと、二人として完全に同じ能力をもったものはいな い し 、 同 じ 学 習 の 道 を た ど っ た も の は い な い (CEFR:17)」 と 記 さ れ て い る 。 同 じ 言 語 を 話 2010 年 3 月 22 日 地球ことば村シンポジウム「多言語社会 日本」1 す者同士の間でも、ことばの使い方、表現の仕方、話し方や態度に配慮しながら交流する こ と の 重 要 性 を 意 識 さ せ て く れ る 。 ま た 、「 他 者 」 と は 「 自 分 の 中 の 『 他 者 』」 と 考 え る こ ともできる。自身のことを自分で完全に理解することも難しければ、そのことを他者に伝 え る こ と も 難 し い 。一 人 ひ と り の 自 立 的 思 考 の 重 要 性 を 改 め て 認 識 す る こ と が 必 要 と な る 。 さらに、 「 複 数 言 語 主 義 」は 、必 要 に 応 じ て 臨 機 応 変 に こ と ば を 使 い 分 け よ う と す る「 態 度」を重視する。話者の母語や、話者がすでに学習した言語、もしくは学習したとまでは いかなくとも少しでも知っている言語の知識を活用して、話者が直面している課題を遂行 するという状態にも注目している。 「 複 数 言 語 主 義 」は 、自 身 の 考 え を 内 省 し 、他 者 と の 関 わりを考えさせてくれる問題発見的な考え方なのである。このように「複数言語主義」を 具現化する個人が集まった社会が「多言語主義」を目指しているということができる。 ヨーロッパ域内・域外を問わず、言語学習・教育の分野では『欧州言語共通参照枠』が い わ ば 象 徴 的 な 存 在 に な り つ つ あ る 。ヨ ー ロ ッ パ に お い て は 、 「 ヨ ー ロ ッ パ・ア イ デ ン テ ィ ティ」を育むことが目的とされているわけであるが、これを育むには、歴史教育も重要な 役割を果たす。国民国家意識への固執からの脱却を目指すため、言語教育だけでなく、ヨ ーロッパレベルで歴史認識を共有しようという動きがある。歴史教育の分野で象徴的な文 書のひとつが『独仏共通歴史教科書』であろう。この教科書は、ドイツとフランスの高校 生たちの発案がきっかけとなり、両国の歴史研究者や歴史教育の関係者たちにより作成さ れた。共通の歴史教科書の作成が可能になったのは、欧州評議会の長年にわたる歴史教育 政策、言語教育政策に関する活動成果が大きく影響していると考えてよいであろう。戦争 再発防止のための言語教育は歴史問題と切り離して考えることは不可能である。 『欧州言語 共通参照枠』の最大の目的はヨーロッパの平和構築であり、その射程は広い。ヨーロッパ 全体をひとつの地域とみなそうとする「ヨーロッパ教育」においても、歴史教育と言語教 育との連携について議論が重ねられていくことが望ましい。 ところで、言語政策に関する活動を進めていくにあたって、上で述べてきた、他者との 「 相 互 理 解 」を 目 指 す た め の 、 「 複 数 言 語 主 義 」に も と づ い た「 言 語 的 多 様 性 」が 、議 論 の 場 で 取 り 上 げ ら れ て き た 。実 は 、こ れ 以 外 に も 、 「 民 主 的 市 民 性 」や「 社 会 的 結 束 」と い う 目標も欧州評議会は掲げている。これらが言語政策にどのように関わるのかを考えるにあ たっては市民社会論の知見が参考になるであろう。 市民社会論と言語政策研究を結びつけるものとして、たとえば「言語的公共性」という 概 念 を 提 唱 し た イ・ヨ ン ス ク (2000)が あ る 。 「 公 共 性 」に つ い て の 議 論 が 活 発 に 行 わ れ て い る 中 で 、イ・ヨ ン ス ク は フ レ イ ザ ー が 唱 え た 、 「 公 式 の 公 共 性 」の 支 配 を 常 時 監 視 す る「 下 位 の 対 抗 的 な 公 共 性 」の 概 念 を 言 語 の 次 元 に 応 用 し た 。 「 言 語 的 公 共 性 」と い う 概 念 が 生 み 出されたのは、 「 公 用 語 が『 公 式 の 公 共 性 』を 独 占 し 、社 会 を 画 一 的 に 規 制 す る こ と の な い よ う に 、 公 用 語 以 外 の 言 語 に よ っ て 『 対 抗 的 な 公 共 性 』 を つ く り あ げ る 必 要 が あ る 」( イ 2000:347)か ら で あ る 。イ は「 社 会 活 動 が 特 定 の 言 語 に よ っ て 独 占 さ れ な い よ う な『 対 抗 的 な 公 共 性 』 を 言 語 に 固 有 の 次 元 で つ く る 必 要 が あ る 」( イ 2000:347-348) と 主 張 す る 。 ここで、複数の言語の「言語的公共性」を認めることで社会の健全さが保たれ、共生への 新たな可能性が開かれる、という考え方が示された。 こ う し た 研 究 が 行 わ れ る よ う に な っ た 背 景 に は 、 1990 年 代 以 降 、「 人 権 」 の 中 の ひ と つ の権利である「言語権」意識が世界的に高まってきたことがある。言語権は、人々の日常 2010 年 3 月 22 日 地球ことば村シンポジウム「多言語社会 日本」1 生活に密接に関わってくるものであるので、 「 市 民 社 会 」と い う 視 点 か ら の 考 察 が 必 要 に な るのだ。日本の少数言語維持に関しての議論に応用できる部分はどのようなものかを考え るにあたっても、欧州評議会が独自に定義する「複数言語主義」概念を「言語権」思想と の 関 わ り の 中 で 解 釈 す る こ と が 必 要 で あ る 。少 数 言 語 の 維 持・復 興 と い う 視 点 か ら 、 『欧州 言語共通参照枠』を再検討する作業がはじめられており、今後の研究に注目していきたい と筆者は考えている。 <参考文献> イ ・ヨ ン ス ク (2000)「『 国 語 』 と 言 語 的 公 共 性 」 三 浦 信 孝 ・ 糟 谷 啓 介 編 『 言 語 帝 国 主 義 と は 何 か 』 藤 原 書 店 、 337-350 頁 山 川 智 子 (2009)「 市 民 の 『 ヨ ー ロ ピ ア ン ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ 』 確 立 を 目 指 す 欧 州 評 議 会 の 挑 戦 と 社 会 に 与 え た イ ン パ ク ト 」早 大 文 学 研 究 学 会『 ワ セ ダ・レ ビ ュ ー 』第 42 号 、 54-71 頁 Byram, Michael (2008) From foreign Language Education to Education for Intercultral Citizenship. Essays and Reflections. Clevedon, Buffalo, Toronto: Multilingual Matters. Council of Europe (2001). Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment. Council for Cultural Co-operation Education Committee Modern Languages Division, Strasbourg, Cambridge University Press
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