小売企業のマーケット・ドライビング・アプローチ

Japan Marketing Academy
巻 頭 言
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(巻頭言)
小売企業のマーケット・ドライビング・アプローチ
本誌編集委員
南 知惠子
神戸大学大学院 経営学研究科 教授
「イケアが日本に進出する前から,日本人はこれほど北欧家具が好きであっ
たか」と問われたことがある。現在の日本においてカフェや様々なショールー
ムにあふれる北欧テイストに対してイケア・ジャパンが与えた影響は明らかに
みてとれるだろう。イケアによって,家具を自分で組み立てること,低価格で
家具というものが買えるということ,
「安かろう悪かろう」ではなく,安くて
もお洒落にライフスタイルが演出できるということ,これらの認識が消費者に
広まり,その認識と行動の変化が家具業界のビジネスのあり方に多大な影響を
与えている。
特定の小売企業や小売業態の躍進によって,消費者の意識や行動パターンが
影響を受け,市場自体を変えてしまうということが今,注目されている。市場
データに駆動されるマーケット・ドリブン(market-driven)型のビジネス・モ
デルではなく,マーケット・ドライビング(market-driving)型アプローチで
ある。日本の市場を見渡してみれば,他にも例はある。コンビニエンスストア
の出現は,消費者の購買時間帯をはじめとする購買行動を変化させてしまった
わけであるし,今やコンビニの PB 惣菜により高齢者の取り込み戦略が行われ
ている。あるいは百円均一ショップの出現により,キッチン用品や文房具を
100 円という価格で買えるようになったことは,消費者の製品カテゴリーに対
する考え方や価格に対する知覚や受容性を変化させてしまっている。ドラッグ
ストアの躍進は,かつて化粧品は百貨店のカウンターや化粧品メーカーの系列
店で購買していたものが,日用品と同じ場所で購入するものになり,結果とし
て化粧品の選び方や購買価格帯自体も変わってしまっている。ドラッグストア
の店舗内に積み上げられた圧倒的な量の日用品雑貨は,低価格で販売されてい
ることも相まって,消費者にとっては,日用品雑貨はもはや必要なときに必要
なものを必要なだけ買うというものではなく,安く提供されているところで,
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まとめて買ってストックしておくものという認識を作り出しているだろう。家
電量販店の台頭も,かつて家電メーカーの系列店で購買するのが主流であった
時代と比較して,購買家電の選択のしかた,購買のしかたを変えているだろう。
これらの現象は,必ずしも消費者が低価格志向のみに向かっているというこ
とではなく,様々な選択肢の中で,消費者は製品カテゴリーやブランドにより
購買パターンを変えていっているということである。しかしながら消費者には
選択肢があるようでいて実は消費者主権というよりは小売業のパワーが大きい
ことが注目されるのである。ドラッグストアがあるからその品揃えと価格に合
わせて消費者は購買するようになり,購買行動のパターンにおいて影響を受け
る。特定の小売企業が規模拡大すれば,市場への支配力を強め,市場をドライ
ブすることになるのである。
100 円均一ショップやドラッグストアといった業態の台頭は,小売企業のグ
ローバル化現象とは切り離して考えることができない。中国を中心とした調達
活動と,製品企画により,従来想定していなかった価格帯での製品の開発や製
造が可能となり,そのうえで業態は成り立っている。
マーケティングとは,元来メーカーが市場に対してアプローチするときの体
系だった行動を意味する。マーケティングの理論上は,メーカーが市場に自社
ブランドを投入するために,流通経路を管理することが重要となり,流通企業
はマーケティング・システムの中の一員でしかなかった。しかしながら今,現
実に起こっていることは,メーカーに管理される対象としての流通企業ではな
く,とりわけ小売企業が市場においてパワーを持ち,自ら市場へのアプローチ
に戦略性をもっているということである。つまり商品政策を越えて,小売企業
が自らマーケティングを行う現象が拡大しているということである。
理論的には,マーケティングと流通とはコインの裏表のごとく,メーカーが
市場に対する支配力を強める行動と,多数のメーカーの製品を品揃えする商業
者(卸売と小売企業)の行動とは相反するものがあり,パワーと協調関係により,
どのような行動が選択されるかこれまで注目されてきた。しかしながら,小売
企業自体が PB 製品という形で自ら製品の仕様を企画し,品揃えすべき製品に
おいて自らのパワーを行使し始めれば,消費者のブランド選択行動,メーカー
のマーケティングのしかたにも当然影響が出るであろう。
本特集号においては,あらためて現在のマーケティングのあり方を考える契
機として,これまで本誌においてそれほど正面だって取り上げられることがな
かった小売企業の対市場活動に焦点を当てて編集することにした。編集にあ
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たって意識したのは以下のいくつかのポイントである。すなわち,現在のマー
ケティングを取り巻く環境の中で多大に影響を与えているグローバル化の問題,
とくにグローバル・リテーラーと呼ばれる,加速的に成長している企業群の市
場活動とメーカー・マーケティングへの影響である。次にメーカーと小売企業
との関係の変化,とりわけ小売企業から見た場合の,対メーカーへの仕入れ活
動と組織的な変化である。さらに,消費者市場との接点を持つ小売企業がどの
ように市場において価値を実現していっているかという点が最終的には重要な
ポイントとなる。
グローバル化の問題は,グローバルな調達活動のみならず,店舗出店にとも
なう企業自体の飛躍的な規模拡大という現象をもたらし,そのことが小売企業
のパワー拡大に貢献している。世界的にはどのような現象が見られるか,日本
の市場に与える影響はどのようなものかということに注目しつつ,世界の中で
グローバル・リテーラーと呼ばれる大手企業が参入後成功していない稀な市場
である日本市場で,日本市場におけるマーケティングの特徴について考えるこ
とは意味があろう。
小売企業のマーケット・ドライビング・アプローチに注目するにあたり,小
売企業がパワーを発揮し,市場を駆動できるのは,何らかの特定の成立条件が
必要なのか,あるいは従来議論されてきた,メーカーと小売企業との間とのパ
ワーと協調関係の中で普遍的に議論されるべき現象なのか,この編集号におい
て問題提起がされることになろう。この号においては,小売の環境下で消費者
の行動がいかに影響を受けるかについては,直接的に扱った論文を掲載してい
ないが,これは消費者行動の問題として他の機会に譲ることにする。また,小
売企業の市場へのアプローチとして,無視できないのはインターネットの影響
であり,関連してダイレクト・マーケティングの問題も,市場へのインパクト
という点では大きな問題である。インターネットによるマーケティングへの影
響は本誌において様々に取り上げられてきているので敢えて,本号では焦点を
当ててはいない。
大きく変化する市場環境の中で,市場をドライブしつつある小売企業の行動
を扱った本号を通じて,マーケティングのありかたをマーケティングに関わる
読者諸氏,実務家も研究者も考える契機となればと希望している。
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