講演録 世界社会フォーラムって何?‐もう一つの世界は可能だ、を目指し

講演録
世界社会フォーラムって何?‐もう一つの世界は可能だ、を目指して‐
講師:高里鈴代
世界社会フォーラムとは:
世界社会フォーラムは「もう一つの世界は可能だ」を合言葉に世界の人々が集まり、互いの経験や意見交換をし合
う市民フォーラムです。
「世界経済フォーラム(スイスのダボスにて開催)に対抗して、2001 年に初めて開催され、
2005 年のフォーラムには 15 万人の市民が集まったと言われています。
(壁に貼った世界地図を見せて)私たちが普段よく目にする世界地図とは違うもの。実際の面積を現した地図で
す。普段アメリカは大きい、というイメージがあるがこの地図ではどうか。日本が真ん中でもない。また、
この世界地図をさかさまにしてみるとどう見えるだろうか?世界社会フォーラムは、まさにこのような私た
ちの中にある意識やイメージを問い直すことであったと思う。
世界社会フォーラムとは、第 1 回が 2001 年にブラジルのポルトアレグレで開かれ、以来、第 4 回だけがイ
ンドのムンバイで開かれたが今年もブラジルのポルトアレグレで開かれた。これは、国連でもブラジル政府
が主催したものでもない。スイスで行われている世界経済フォーラム、ダボス会議に対抗して始まったもの。
世界のさまざまな課題がなかなかなくらないじゃないか、ということで人々が集まった。ここに集まる人の
資格は特にないが、さまざまな問題にそれぞれの地域で取り組んでいる人が出席している。また、世界社会
フォーラムは何十万人もの人々があつまる巨大な会議なので、この報告はそのごく一部であることを付け加
えたい。
まず、昨年 2004 年のインド・ムンバイで開かれた第 4 回世界社会フォーラムを紹介したい。広い工場跡地
が会場になり、全体に麻の布が敷き詰められていた。この会合に参加した理由は、アジア平和連合という団
体の 1 人として、9.11 後の米軍基地についての沖縄の現状を訴えるため、そして、反米軍基地会議に出席す
るためだった。プエルトリコのビアケスというのは小さな漁村だが、米軍基地がもたらす悪影響に抵抗運動
を強まり、結果、米軍が撤退することになった場所。この地からの参加者が米軍撤退後も、環境汚染がひど
く更に被害が重なっていると訴えていたのが印象的だった。
世界社会フォーラムは自発的な集まりの場であり、目的を持った大学祭のような側面も持っている。
(写真を
見せながら)様々な横断幕を用意し、思い思いのやり方で訴えていた。誰かが講師として呼ばれて話をする
のではなく、それぞれの地域で運動に取り組む人々が出会い、対話と交流を行い、力を得る場だと言える。
今、世界では泉や川や森が突然、一企業によって占領されてしまう、という事体が起きている。結果として
それまで先祖代々地元の人々が使っていたそのような資源が使えなくなってしまう。公共とは何か?民営化
をしてよいものと悪いものがあるのか?というのも大きな課題だといえる。沖縄でも「海浜条例」というの
ができて、リゾートホテルがホテル前の海岸を独占できないようになった。海は誰のものでもない、みんな
のものだ、ということ。
フォーラムの最終日、デモに参加しようと思い会場に着いたが場所を間違えていて、デモは他の場所で行わ
れていると知った。しかしそのとき、人がいなくなった後の会場を見て驚いた。大小さまざまなテントは非
常に簡単な素材で組み立てたもので、フォーラム終了後はまた解体してそれぞれ素材として活用できること
を知った。また、これらの会場ではコカ・コーラやペプシは一切目にしなかった。インドにもコカ・コーラの
工場があったのだが、環境汚染が起きたり労働者の扱いに対する抵抗運動があったりした。また、ブッシュ
政権への対抗策として、政治献金をしている企業の商品を買わない、ボイコットするという運動もあった。
この世界社会フォーラム、日本のメディアはほとんど報じていなかったが、世界からは様々なメディアが取
材に来ていた。私も何度か取材を受けた。テレビカメラも数多く見られた。
ブラジル、ポルトアレグレで行われた今年の世界社会フォーラムに話を移したい。今回は世界社会フォーラ
ムの会場しか見ることができず、ブラジルそものを知る機会がなかった。
(写真を見せながら)デモ行進にしても表現力がとても豊か。演劇のパフォーマンスをする人、水の入れ物
で太鼓をたたく人などさまざま。また、こちらにはユースキャンプというのがあって大きなテントで自分で
寝袋を持ってきて、水道があるのでそこで皆顔を洗い、寝泊りしている若者もいた。
米軍基地を抱える各国の人々がそれぞれの問題を訴えるセッションに参加した。地元の警察や軍を米軍が訓
練し、その結果武器などの備品も米軍から調達するようになり、米軍支配につながるということも訴えられ
ていた。
また、債務の問題も大きな課題の一つだった。また、南の国々が、先進国による植民地時代からまた現在の
先進国の生産・消費のパターンによって南の国々の資源を略奪している。南の国々が債権者である、環境債
権についても話し合われていた。
観光についての議論も行われていた。どんなにリゾートホテルが建っても先進国に利益が戻ってしまう。ま
た、観光のための道路などが ODA(政府開発援助)を通して建設される。これは、沖縄の抱える課題にも当
てはまるのではないかと思う。
ベトナムの枯葉剤の影響を受けている人々の写真。この影響は 100 年は続くと言われている。今、湾岸戦争
などで劣化ウラン弾が使われたと指摘されているが、この影響も 100 年続くかもしれないということ。戦争
とは、そのときだけでなく 100 年後にまで影響を残してしまう。3 月 20 日にイラク戦争に反対するデモが世
界規模で行われるがその際のメッセージに辺野古の問題も取り上げられることに決まった。
インドのトイレに入り、印象的だったこと。トイレの壁に「あなたのおしっこよりもっと汚い水しか飲めな
い人がいます」という張り紙があった。水の問題というのはこれから本当に大きな問題。きれいな水にアク
セスできる人が少なくなっているという一方で、水の民営化が進められようとしている。飲み水としてペッ
トボトルで買うことが当たり前になってきているが、これらの水がどこから来たのか?水はもっとも基本的
な人権です。
質疑応答
質問:アメリカを経由する際、日本人はビザが必要でないということだったがそれはなぜか?
回答:経済力があるので、出稼ぎなどで移住したりしないだろうということと、政治的関係が強いからだろ
う。アメリカは海外からの入国者に対し、指紋採取や顔写真の撮影を課している。これをうけてか、ブラジ
ルはアメリカ人にのみ入国の際に指紋採取を義務付けていたのも印象的だった。
質問:やはり世界の人々がコミュニケーションをとるには英語しかないのか?
回答:世界社会フォーラムの一つの課題でもある。ただ、ブラジルが会場だったので英語と同様ポルトガル
語が盛んであり、その意味では少し英語だけが主流の会議とは違っていた。ボランティアもいろいろなやり
方で通訳にかかわっていた。ただし、日本人にとって言葉の問題がハードルとなるのも事実。ただ、DVD で
説明するなど様々なツールを駆使することもできる。
質問:外国のマスコミはたくさん来ていたようだが。。。
回答:外国のマスコミからは、沖縄の話をするとよくインタビューされた。インターネットなどで調べると
映像が放映されているし、インターネットカフェではその日のうちに状況を報告している人がたくさんいた。
また、国家の元首がくる場合もあり世界的な注目度の高さがわかる。しかし、日本ではほとんど報道すらさ
れておらず、関心の低さが伺えた。
質問:アメリカの人も来るのか?ここに集まる人はそれぞれの国にかえればやはり少数派なのか?
回答:アメリカ人も来ている。どうしても、米軍基地の話などになるとアメリカの人に向かって話してしま
うのですが、彼らは自分達の力が足りない、と真摯に聞いています。また、それぞれの国でこのような主張
が多数派であればおそらく参加する必要はないので少数派なのかもしれません。ただ、このような場で他の
国からの人々と出会い、自分達の抱えている問題が自分達だけの問題ではないと知ったり、自分達の主張に
迷ったときにここで出会う人たちと意見を交換することで、少し強くなってそれぞれの国に帰っていくこと
ができるのだと思う。
質問:グローバリゼーションを定義する必要があるのではないか?
回答:その通りだと思う。グローバリゼーションとは何か、ということを今後皆で話し合っていくといいの
ではないか。