Vol. 3 「昆虫嫌い」の女子高生が、 「ひとつひとつの出会いを大切に」して アメリカ・オレゴン州で蜂の研究員になるまで。 「昆虫ってすごいんです」 「めっちゃかわいいんです」―― 穏やかな笑顔と大阪弁で「昆虫」について語るのは、 本場アメリカで磨かれた、トップクラスの「蜂(はち)博士」。 花園の GTN・中村広記先生と、世界で活躍するグローバル人材との対談、 第二回目は、木本千穂さんにお話をうかがいます。 木本 千穂さん(写真・左) 蜂研究員。オレゴン州立大学環境学部卒業。同大学院野生生物学科修士課程卒業。 蜂研究員 木本 千穂 ✕ グローバル教育推進室統括 中村 広記 努力していれば、助けてもらえる。 中村:木本さんは、どのようなきっかけで留学を考え始めたのですか? 木本:中一の頃から英語が大好きだったんです。Apple の” æ”とか、日本語にはない発音があるの が面白いなぁ!と思って。それから、自然が大好きで、お休みの日にはよく家族で山や川に遊びに 行っていました。自然の中では、いつも楽しい時間を過ごしていた一方で、たとえば、毎年行く海 がどんどん汚れていくことにも気がついて、とても悲しくなって。そこで、環境を守るために環境 学を勉強したいと考えるようになりました。英語と環境学。どちらも捨てられなくて悩んでいたと ころ、あるとき、 「海外の大学に進学すれば、英語で環境学を勉強できる。一石二鳥や!」と、ひ らめいたんです。それで、留学についていろいろと調べるうちに、NIC International College とい う海外進学に強い教育機関を見つけ、まずはそこに入学しました。 中村:「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」ということですね。周りの反応はどうでしたか? 木本:母はすぐに賛成してくれましたが、父は反対でした。実は私は、高校まで文系だったんです よ。そんな私が環境学を、しかも英語で勉強して本当に卒業できるのか、と心配されたんです。 「日 本の大学に行って、一年くらい語学留学すればいいじゃないか」と言われました。それでも、「ど うしてもやってみたい」という私の気持ちを、最終的には理解してくれましたね。 中村:説得の末の留学だったのですね。実際の留学はどうでしたか? まずはどの大学に行かれた のですか? 木本:NIC の進路アドバイザーに環境学の分野で定評のある大学をいくつか教えていただいて、そ の中でも自然の多い田舎の大学がよかったので、オレゴン州の Southwestern Oregon Community College に決めました。二年制のコミュニティカレッジは、学費が安いことや、1クラスあたりの 学生数が少ないことも魅力なんです。それでも、授業の内容は四年制大学と同じレベルですから、 実際に留学してみると、ついて行くのは大変でしたね。授業中、教授の言っていることが聞き取れ ないので、毎回テープで録音して後から聞き直していました。大学の「チュータリングセンター」 で現地の学生に勉強を教えてもらったり、教授の「オフィスアワー」にも通いつめて質問したりし ていましたね。私は、ひとつのことを理解するのに時間が掛かるタイプなんです。それでも、努力 していれば、必ず助けてもらえました。アメリカは、そのようなサポート体制が整っているんです。 中村:二年制大学卒業後はどうされたんですか? 木本:四年制のオレゴン州立大学に三年次から編入しました。そして、大学を卒業し、一年間アメ リカで働いた後、同大学院に戻りました。大学 では、 「環境学」に含まれる、いろいろな科目の 授業を取りました。天文学、海洋学、地学とか。 動物にも興味があったので、 「野生動物学」の魚 類学や鳥類学も、とても面白かったですね。 毎日、「今日も研究できる」幸せ! 中村:アメリカで一年間働いた、というのは? 木本:アメリカの四年制大学を卒業すると、OPT(Optional Practical Training)という制度を利用 して、一年間、アメリカで働くことができるんです。ただ、仕事自体は、自分が取得した学科と関 係のあるものを自分で見つけなければならないので、必死でしたね。何十という仕事に応募しまし た。結局、全部だめだったんですけど(笑) 。それでも、最後の最後に会いに行った教授が「もしか したら、ここで雇ってもらえるかもしれない」と、知り合いの教授の連絡先を教えて下さって、そ れがサンディ先生という昆虫博士だったんです。すぐに連絡して面接を受けたところ、 「まずは三ヶ 月、やってみたら」ということになって。それから、先生のもとで一年間「昆虫」の研究をした後、 更に二年間有効のビザを出していただいて研究を続けました。その後、大学院で二年間、 「蜂」の研 究をしました。大学院では、チームのリーダーとして大学生を率いて研究したり、蜂について大学 生に教える機会もありました。 中村:諦めずに、切り開いていったんですね! それにしても、研究所で初めて「昆虫」が出てき て、その後、大学院でようやく「蜂」の研究が始まるんですね。それまで、昆虫に興味はなかった のですか? 木本:全くなかったんです。むしろ嫌いだったのですが、 「出会い」ですね。知れば知るほど面白く て、毎朝、 「今日も研究や!」と、嬉々として起きていました(笑)。昆虫ってすごいんですよ。人 の目には見えないほど小さな昆虫でも、それぞれ非常に大きな役割を果たしています。アインシュ タインは「蜂がいなければ、人類は4年以内に滅びる」と言っていますが、実際に、 かぼちゃ、りんごやブルーベリーなど、私たちの普段食べている食べ物の 35%は、蜂などの昆 虫や野生動物によって受粉して初めて実になります。蜂なしでは、生態系が成り立たないんで すね。また、蜂は、姿も美しいです。蜂の体、顔…顔には無数の穴が開いているのですが、そ んなものを顕微鏡で見つめていると、蜂なのに蜂ではないような気がしてきます。それだけで、 ひとつの大きな世界、宇宙というか。 結果は、十年後。 中村:大学院を卒業された後は、どうされているのですか? 木本:再び OPT で一年間働いた後、帰国して、日本で働きながら、再び研究できる機会を探し ていました。少し経って、フロリダ大学で、蜂の研究で博士号を取れるプログラムを見つけ、す ぐに応募しました。ここでは、苦労しましたね。アメリカでは「英語はできて当たり前」ですが、 ここまで来ると、 「蜂のことも知っていて当たり前」なんです。結局、試験で思うように結果が 出せず、学費の全額免除が取り消しになってしまって、仕方なく帰国しました。今は再び日本で 働いていますが、お金を貯めて、また蜂の研究をしたいと考えています。アメリカでは、結婚し て子育てをしながら博士課程を学んでいる人も多くいます。いくつになっても、環境が変わって も、夢を諦める必要はないのだと教わりました。私自身、今は、20代の頃のように「研究が全 て!」というわけではありませんが、それでも、博士号を取って、ずっと研究者であり続けたい という夢は変わらず持っています。 中村:まだまだ夢は終わらないんですね。最後に、花園生にメッセージをお願いします。 木本:結果は十年後、ということです。今日の努力が、明日、いきなり実になることはありませ ん。でも、その努力を続けていれば、どんなことでもできるんです。ひとつひとつの出会いを大 切に、失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジして下さい。自分を強く信じて目の前のことに 一生懸命取り組めば、自ずと道は開けていくものだと思います。 花園プレスグローバル、第三号はいかがでしたか? 木本 さんにお会いして、何かを愛し、それに向かって一途に努 力し続けている人の圧倒的な力を感じました。記事を読ん で下さった皆さんにも、その力が伝わっていたらうれしい です。次号もお楽しみに。 (May K)
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