【第 8 回】日田/泉法男さん、野津/牧之瀬則夫さん NEXT 初版発行:2010 年 1 月 15 日 「日ごろ忙しい人たちに、ゆとりを提供したい」と話す泉さん ■ 泉法男さん( 、日田市緑町) ゆとりの時間でもてなし 「 ス ロ ー ペ ー ス で 過 ご さ な い と、 生 活 に ゆ と り が 持 て な い。 静かな里でゆったり暮らしたかった」 。日田市内を走る国道 210号から県道を約五キロ、山間に入った民家。十年ほど前 に移り住んできた。 海外へのあこがれが強く、二十一歳の時、単身で出国し、世 界を放浪。一年間で二十九の国・地域を巡った。その後、石油 類を海外に輸送するケミカルタンカーの船員として約五年間、 世界の海を航海した経験もある。東京、大阪、横浜など大都会 で も 暮 ら し た。 「 都 会 の 人 込 み に は 正 直、 う ん ざ り し て い た。 緑に囲まれた古い民家に住みたいとずっと思っていた」。 三十歳を前に「この後の人生をどう過 ごそうか」と悩み、自転車で国内のユー スホステルを転々。大山町のユースホス 【 プ ロ フ ィ ル 】 い ず み・ の り お。 長 崎 県 加 津佐町出身。中学卒業後、就職のため大阪 WORLD 夢工房」を長崎市出 府へ。木工芸品の制作、販売をする「MA RIO 身 の 妻 紀 子 さ ん と 営 ん で い る。 中 南 米 を 旅 したときに「ノリオ」と自己紹介したが「マ リ オ 」 と と ら れ た こ と か ら「 泉 マ リ オ 」 の 名で作品作りに取り組んでいる。 TOP に戻る 53 2 p. 新・魅せられて「田舎暮らし」第 8 回 テルを訪れたとき、支配人の紹介で同町内のエノキダケ農家を 手伝った。それが日田地域に縁をつくるきっかけになった。 「喫茶店を開きたい。それには、コーヒー豆の産地を実際に 見て、現地で日常的にどんなふうにコーヒーを飲んでいるのか 知りたい」と約六年間、中南米諸国を巡った後、一九八九年、 日田市内の知人らとのつながりから、隣の福岡県浮羽町に喫茶 店をオープンした。 このころ、出合った木工に強くひかれ、独学で作品作りをす るようになった。 九五年に喫茶店を閉店し、本格的な創作活動を開始。流木や 古びた木製のおけ、解体された旧家屋の階段―そのままにして おけば捨てられるものを素材として作品にすることが多い。 一階建ての母屋は自宅兼展示場。縁側から入ると、棚や木製 の人形、動物などの作品がずらりと並ぶ。家屋に隣接する二階 建ての蔵も自身で改装。一階は自作の家具や雑貨と、妻の紀子 さんが作ったアクセサリーなどを販売。二階は世界を巡る旅で 手に入れた珍しい貝殻、化石、こはくなどを展示する「旅の小 さな博物館」 。 評判は「ほかにはない個性があふれていてすてき」と口コミ で広がった。作品の人気は上々。何度も訪れる常連客が増えた。 「山ん中のわが家まで足を運んでくれる。日ごろ忙しく動き 回っている人に、ゆとりを提供できれば」 自然の中でゆっくりと流れる時間が演出する豊かさを分けた いと、ほほ笑んだ。 (二〇〇二年十一月二十二日掲載) TOP に戻る 3 p. 新・魅せられて「田舎暮らし」第 8 回 「子どもには安心できる食べ物しか与えたくない」と話す牧之瀬さん ■ 牧之瀬則夫さん( 、野津町清水原) 安全な食を求め別天地へ 「子どもに安心安全な食べ物しか与えたくない。もう東京に は戻れない」 。東京では、テレビ番組のフリーディレクターと して活躍。月収百万円以上、 家賃二十万円の生活を振り切って、 野津に居を構えたのは一九九九年。九七年に誕生した長男泰聖 ちゃん (5つ) が生後二カ月で重度のアトピー性皮膚炎にかかっ たことがきっかけだった。 「いろんな病院に行きましたが完治は不可能と宣告されました。 ましたが、効果は上がら 民間療法もいろいろ試し 【 プ ロ フ ィ ル 】 ま き の せ・ の り お ず、症状を悪化させたこ ため、妻の尚子さんと代 こをしなければ眠らない とも」と振り返る。抱っ 鹿児島県出身。妻尚子さん、長 男 泰 聖 ち ゃ ん と 3 人 暮 ら し。「 家 を建て、自給自足しながら永住し たいのだが、なかなか土地が見つ からないのが悩み」という。 わる代わる泰聖ちゃんを ソファで抱いて寝る毎日。 そんな時、取材先で一 冊 の 本 に 出 合 っ た。「 ニ ン ジ ン か ら 宇 宙 へ 」。 野 津町の農業赤峰勝人さん が化学肥料や農薬を使わ ない農作物づくりを通し TOP に戻る 40 4 p. 新・魅せられて「田舎暮らし」第 8 回 て、畑で気付き、考えたことを書き記したものだ。文中の「ア トピー性皮膚炎は必ず取り除けます」に目を見張った。 「これまで治ると言った人は一人もいない。 信じるしかない」 。 赤峰さんの経営する「なずな農園」から東京へと、野菜を宅配 してもらううち、まず尚子さんの鼻炎が止まった。泰聖ちゃん も一人で寝るようになった。 「子どものための野菜を自分たち も作りたい」 。そんな思いが日増しに強くなり、野津町に移住 してきた。 家、畑を世話してもらい、手取り足取り教えてもらいながら、 初めての畑仕事。種をまくと芽より根が先に出る、いろんな野 菜に必ず花が咲く―当たり前だけど、初めて見る自然に感動の 連続。 「水、空気、食べ物がうまい。ビニールハウスを使わず、 年一回しか採れない野菜の成長がなにより楽しみ」 。 東京生まれ、東京育ちの尚子さんも「生きていくために必要 なものは全部ここにそろっている。大地にしっかり足をつけて 暮らし、揺るがない自然の強さ、母親の役割を学んだ」と自然 を満喫する。 則夫さんは「初めてコメを収穫したときは『これで一年分の 食糧は確保できた』と実感、貯金より安心しました。東京では まずお金。今思えば、あの暮らしは病的だった。アトピーのお かげで、野津に来られたことを感謝している」 。 泰聖ちゃんのアトピーもほぼ完治。 来春は第二子が誕生する。 「東京にいたら、二人目は考えられなかった。自然食の栄養で 育った赤ちゃんが楽しみ」 。陽光を浴び、笑顔が輝いた。 臼杵支局・岩本聡(二〇〇二年十一月二十九日掲載) TOP に戻る 5 p. 新・魅せられて「田舎暮らし」第 8 回 新・魅せられて「田舎暮らし」第 8 回 追加情報を受けながら逐次、改訂して充実発展を ■オオイタデジタルブックとは オオイタデジタルブックは、大分合同新聞社と 学校法人別府大学が、大分の文化振興の一助とな 図っていきたいと願っています。情報があれば、 ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください。 ることを願って立ち上げたインターネット活用プ NAN-NAN では、この「田舎暮らし」以外にも ロジェクト「NAN-NAN(なんなん)」の一環です。 デジタルブック等をホームページで公開していま NAN-NAN では、大分の文化と歴史を伝承して す。インターネットに接続のうえ下のボタンをク いくうえで重要な、さまざまな文書や資料をデジ リックすると、ホームページが立ち上がります。 タル化して公開します。そして、読者からの指摘・ まずは、クリック!!! 大分合同新聞社 別 府 大 学 デジタル版「新・魅せられて/田舎暮らし」 第 8 回 大分合同新聞社 編集 初出掲載媒体 大分合同新聞(2002 年 7 月 5 日~ 2003 年 3 月 28 日) 《デジタル版》 2010 年 1 月 15 日初版発行 編集 大分合同新聞社 制作 別府大学メディア教育・研究センター 地域連携部/川村研究室 発行 NAN-NAN 事務局 (〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社 企画調査部内) ⓒ 大分合同新聞社 TOP に戻る ●デジタル版「田舎暮らし」について 「新 ・ 魅せられて/田舎暮らし」は、大分合同新 聞社が 2002 年 7 月から翌 2003 年 3 月まで、同紙 夕刊に掲載した連載記事。今回、デジタルブックと して再構成し、公開する。登場人物の年齢をはじめ 文中の記述内容は、新聞連載時のもの。 2009 年 11 月 20 日 NAN-NAN 事務局 p. 6
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