Hvala Hrvatska〜ありがとうクロアチアあなたたちを忘れない〜

携わり支援してくれた
すべての皆様に感謝
2002FIFAワールドカップクロアチア代表チーム
十日町キャンプ推進委員会会長・十日町市長
親愛なる
十日町市の皆様へ
滝 沢
信 一
クロアチアサッカー協会長
ヴラトコ・マルコビッチ
2002年5月31日に幕を開けた2002FIFA World Cup Koria/Japanは、共催国の日本と韓国のほか、前回
クロアチアサッカー協会とクロアチア代表チームのすべてのメンバーを代表し、ここに私からすべての十
優勝国のフランスをはじめ、世界各地の予選を勝ち抜いた合計32か国が、国家の威信をかけて戦った世界最
日町市民はもちろんのこと、市長をはじめ十日町市の指導者、クロアチア代表チーム十日町キャンプ推進委
大のスポーツイベントです。
員会、ホテルベルナティオの社員の皆様に対し、私たちがあなたの美しい町に滞在していた期間中にあらわ
そして、前回フランス大会で3位に輝いたヨーロッパの強豪、クロアチア代表チームが5月20日から6月
2日までの期間、私たちの故郷十日町市でキャンプを行いました。キャンプ期間中は9回にも及ぶ公開練習
が行われ、約3,500人がクロアチア代表チームに熱い声援を送りました。サッカー教室には郡市内の小中学生
150人が参加し、世界一流の選手から指導を受けるとともに、選手全員と試合を行うなど、子供たちにとっ
て生涯忘れられない、楽しい思い出になったことと思います。さらに、代表チームのほかにもクロアチアか
ら訪れた報道関係者やサポーターと、市民や小学生との心温まる交流も行われました。
また、キャンプを通じて十日町市や当間高原リゾートの模様は、マスコミに頻繁に取り上げられ、クロア
チアをはじめ国内外に広く情報発信されるなど、PR効果は絶大なものとなりました。
さまざまな思い出と多くの成果を残し、キャンプを無事終了することができました。これもひとえに、市
してくれた歓迎の気持ちや真の友情に対して、心から厚く御礼を申し上げます。
あなたが私たちの代表すべてに対しあらわした職業意識や献身的な態度は、事前キャンプを通じて私たち
にとって非常に重要でした。これはまさに、新しい友情の始まりだと私は思っております。
ご期待に応えられず、ワールドカップセカンドラウンドへは進めませんでした。しかし、十日町市での滞
在はクロアチアサッカー協会すべてのメンバーの心に深く刻まれたことを確信いたします。
私たちの滞在中に協力し、支えてくださったすべての方々に、感謝を申し上げます。あなた方のもてなし
は本当に私たちが自宅にいるような気持ちにさせてくださいました。将来、再び、あなた方にお会いし共に
働くことが出来る機会があることを期待しております。
今後のご活躍とご多幸をお祈りいたします。
民の皆様をはじめ、県内外から参加していただいた多数のボランティアの皆様の、献身的なご支援とご協力
の賜と心から感謝申し上げます。
クロアチア代表チームの試合では、多くの皆様が試合会場やテレビの前で一生懸命応援してくださいました。
残念ながら決勝トーナメントに進出できませんでしたが、多くの皆様の温かいもてなしや応援に対して、ク
ロアチア代表チームから心からの感謝の言葉をいただきました。
今回のワールドカップにおいて、多くの人々がひとつになってキャンプを行った経験や、クロアチアとの様々
な交流により得たものは大変大きく、必ず将来生かされるものと確信しております。
そしてここに、ワールドカップや十日町キャンプを通じて得たすばらしい財産を後世に伝えていけるよう、
この記念誌を発行した次第でございます。
本誌が十日町キャンプの記念となるとともに、今後クロアチア共和国と十日町市との将来にわたっての友
好関係の発展と、スポーツ文化のさらなる発展を切に希望いたします。
2002年9月
親愛を込めて
2002年6月
その瞬間、
憧れの選手と ボールひとつで結ばれた。
ぼくの心に感動が残った。
夢と感動の14日間
クロアチア代表
十日町キャンプ
2002年6月30日、世界中を熱狂に包んだFIFA
ワールドカップは、ブラジル5回目の優勝で幕を
閉じました。勝者のみに栄光が与えられるスポー
ツの世界で、ブラジルのほかに もうひとつの優勝
を手にした国があります。
その国の名はクロアチア。代表チームが十日町
市で行った14日間のキャンプで、彼らは人々の心
に清々しい思い出を残し、たくさんの友情を育み
ました。そして、勝負を超えて永遠に輝く
もう
ひとつの優勝 を手にしたのです。
キャンプ期間中、シュケル選手は、「クロアチ
ア代表が優勝するのは難しいかもしれない。しかし、
ワールドカップにはもう一つの優勝がある。それ
はホストとなってくれた十日町市の人々と友情を
育み、素晴らしい思い出を残すことが、優勝にも
値する大切なこと」と話していました。
その言葉通りクロアチア代表は、子供たちや地
域の人々との友好を大切にする姿勢、プロフェッ
ショナルとしてひたむきに練習に打ち込む姿勢を
示しました。その姿が人々の心をとらえ、胸の奥
に感動を刻んだのです。
ワールドカップは終わりました。しかし十日町
市には「まるで遠くの親戚が帰ってしまったようだ」
と、今なお親近感と寂しさを口にする人々が数多
くいます。4万3千人の地方都市十日町市と、ア
ドリア海に面した美しき国クロアチア。熱狂に包
まれたワールドカップの中で、心温まる友情が十
日町市とクロアチアとの間で育まれたことを、こ
の記念誌でお伝えできれば幸いです。
地獄から天国へ
キャンプ地決定までの道のり
「子どもたちに夢を与えたい」そんな願いから、十日
)がキャンプ地の当間高原リゾートを訪れ、グラウンド
町市は1998年に2002FIFAワールドカップの公認キ
をはじめ各施設に非常に高い評価を与えてくれました。
ャンプ地に立候補しました。当初は、イタリア・コモ市
そして、2度目の視察となった12月8日にキャンプ地
との姉妹都市交流の関係もあることからイタリアチー
に内定することができたのです。
ムの誘致を目指しましたが、結局実現することはあり
ませんでした。
まさに天国から地獄、地獄から天国の誘致活動でし
た。しかも、運がよかったことに、1回目の視察となっ
しかし、2001年に7か国の代表団の視察を受け、9
た4日の時点では雪が積もっていなかったためにグラ
月にはスペインから「もしも、予選の一次リーグを日本
ウンドを見てもらえましたが、8日には一面が雪に埋
で戦う場合は十日町市でキャンプを行いたい」という
もれていたのです。もしも視察が遅れていたら一番重
申し入れがあり、仮予約を交わすことができました。
要なグラウンドを確認できず、キャンプは実現しなか
さらに11月にはポーランドからも「予選を日本で行
う場合はここでキャンプしたい」という連絡があり、こ
の時点ではキャンプ実現は確定的と思われていました。
ったかもしれません。天も味方したキャンプ誘致活動
でした。
クロアチアキャンプ地決定を受け、推進委員会では
しかし、運命の12月1日・組み合わせ抽選日、なんと
2002年2月1日にクロアチア代表チーム十日町推進
仮予約していたスペイン、ポーランド両国が予選を日
本部を設置して、受入準備を進めました。3月1日には
本でなく韓国で行うことになってしまったのです。
ヨジッチ監督、ヤンコビッチ・チームドクターなどが十
韓国プサンの抽選会場でなりゆきを見守っていた本
日町市を訪れ、雪の多さにびっくりしていましたが、豊
田市長(当時)は、そのときの心境を「奈落の底に落とさ
かな自然環境と完成しつつある別館を視察し、キャン
れたようだった」と振り返っています。その瞬間、誘致
プ地として選んだことに自信を深め、満足した様子で
活動は一気に白紙の状態に逆戻りました。
した。
しかし、抽選会からわずか3日後の12月4日、スペ
4月1日には推進本部を本町3丁目に移し、事務局
イン、ポーランドの推薦もあり、クロアチアのサッカー
員も24人に増員して、本格的なキャンプ受入態勢を整
協会関係者(マルコビッチ会長・スレブリッチ事務局長
えることとなりました。
ヨジッチ監督がキャンプ地を初訪問。
到着の喜びに笑顔がこぼれました
(3月1日)
2回目の視察でキャンプ地に内定
(12月8日)
スペイン・ポーランドのキャンプが幻となり呆然とする人々
(12月1日)
クロアチアサッカー協会長・事務局長が初めての視察
(12月4日)
オブジェに向いヘディングするスレブリッジ事務局長
キャンプ地内定イベント
(12月23日)
推進本部発足
(2月1日)
本部を中心市街地に移し、
本格的な受入準備がスタート
(4月)
沿道を飾った歓迎メッセージ
クロアチア給食のお味は?(高山保育所)
クロアチア色に染まる街
店頭にも歓迎メッセージ
キャンプ決定を受け、代表チー
取り入れられ、幼稚園、保育所、小
空に翻り、訪れた人にクロアチア
ムを温かく迎えようという気運が
中学校の子供たちが食による国際
を強く印象づけることができました。
日増しに高まりました。国旗や歓
理解を図りました。さらに総合学
その後、旗は宿舎となったホテル
迎旗、バナーなどがあちらこちら
習の時間を使い、クロアチアを学
のロビーに飾られ、選手を激励し
に飾られ、街はクロアチア色に染
んだ小学校も数多くあります。
続けました。ほかにもクロアチア
まっていったのです。駅通りには
十日町織物工業協同組合青年部
語の勉強会やボランティアの現地
市内の幼稚園、保育所の子供たち
会では、伝統の染色技術を駆使し
説明会、ボールボーイの募集、旅館
一人ひとりが描いた1,400本の応
縦3.6m×横7.2mの巨大なクロア
組合や飲食店組合への外国人受入
援短冊が掲げられました。
チア国旗を作りました。旗は5月
協力要請など、
キャンプ準備が着々
のきものまつりで歩行者天国の大
と進められていったのです。
また、クロアチア料理が給食に
応援短冊
(駅通りアーケード)
ボランティアの警備現地説明会
クロアチア語研修会
(情報館)
ホテルロビーに飾られるクロアチア国旗
グラウンド入口歓迎門
2002年5月20日
待ち人来たる
5月20日午後6時過ぎ、越後湯沢駅のホームには十日町市長、助
役をはじめ、(社)十日町青年会議所や(社)雪国青年会議所の約35人
が横断幕や旗を掲げ、新幹線の到着を胸踊る想いで待っていました。
夢にまで見た瞬間、午後7時20分。
列車が到着するとホームにはいっせいにクロアチアの選手たちで
クロアチア代表チームがキャンプ地
溢れ、歓迎の旗がゆれ、拍手がわきあがりました。ついに、待ちに
の当間高原リゾートホテルベルナテ
待った人たちがやって来たのです。
ィオに到着しました。大型バスからマ
ルコビッチ会長、ヨジッチ監督を先頭
に選手が次々と姿を現します。降りし
きる雨の中、ホテル前に詰めかけた約
500人の市民らが一斉にクロアチア
国旗を振り、歓声をあげました。夜空
色とりどりの閃光を見上げる選手
には、彼らを歓迎しようと無数の花火
の顔から最初の笑顔がこぼれました。
が打ち上げられました。
ついにキャンプが幕を開けたのです。
世界の技に 息を呑む。
ボールタッチのすべてがつぎのプレーに結びつ
いていた。柔らかな身のこなしからのすばやい
パス回し、190cm近い大男たちが目の前を疾走す る。ディフェンダーを一瞬にして置き去りにす
る縦への突破。一本のパスで局面を変えるクロス。
一対一の攻防。振り抜いた足もとから矢のよう
にボールがネットに突き刺さる。ゴールの瞬間、客
席は波を打つように静まりかえった。一呼吸を
おいて拍手がわき起こる。
一つひとつの技に、スタンドから漏れたのは感
嘆のため息だった。公開練習について聞かれた
ミルコ・ヨジッチ監督は「選手にとって、観客の
拍手は、美しいメロディのようなもの」と笑っ
た。ある日、小学生の一団が客席にやって来た。
手作りの応援ボードを高々と掲げ、「スレット
ノー」と声援をおくっていた。選手も子どもたち
の近くをランニングし、手を振ってくれた。母
国では絶対にありえない光景だという。キャンプ
期間中クロアチア代表チームは9回におよぶ公
開練習を行ってくれた。「世界の技」を目の当た
りにした観客は3,500人以上にものぼる。彼らは
ボールひとつで人々をクロアチアサポーターにし
てしまった。
だら
ん
叫
〜って
ノ
ト
レッ
ス
で
。
な
よ
ん
た
み
れ
クラス を振ってく
手
選手が
勝利 に向かって
クロアチア代表練習風景
到着から一夜明けた5月
到着から一夜明けた5月21
21日から
日から
到着から一夜明けた5月21日から
当間高原リゾートのスタッフをはじめ、
となったことはいうまでもありません。
な拍手とエールが沸き上がりました。
クロアチア代表チームの練習が始まり
十日町市サッカー協会や多くのボラン
小学生の応援に選手が笑顔で応える
そして選手たちも、その声援に応えて、
ました。練習初日の会見で、ヨジッチ
ティアが惜しみない努力を重ね、最良
など、和やかなムードで始まった練習
横一列に手をつなぎ、高々とその手を
監督は「ピッチのすばらしさに感動し
のコンディションが保たれました。
も、日を追うごとに激しい実戦形式へ
揚げ感謝の意を表してくれたのです。
ました。まさに世界レベルです。最後
また、地域の高校生や小中学生など
まで気持ちよく練習できることでしょ
延べ
延べ157
157人が、ボールボーイとして参
人が、ボールボーイとして参
延べ157人が、ボールボーイとして参
十日町キャンプでの最後の公開練習
られないキャンプとなった。我々は十
う。」とキャンプ地への賛辞を贈って
加し、目の前で繰り広げられる一流の
となった6月1日には、練習終了とと
日町市民のためにも全力で戦う」とい
くれました。その期待を裏切らぬよう
技に感動を覚えたことが、大きな財産
もに花火が打ち上がり、観客から盛大
う言葉を残してくれました。
と移り変わっていきました。
最終日、ヨジッチ監督は「一生忘れ
夢
叶
う
瞬
間
と
き
国の違い、言葉の違い、大人と子
こともないような、素敵なプレゼン
供…。サッカーはボール一つで人々
トが子供たちに贈られました。それ
の間にあるすべての壁を手品のよ
は、代表選手全員対ちびっ子150人
うに消し去り、
心と心を結びつける。
の試合です。
の外に運び出しました。
それがサッカー教室の終わりの
合図だったのです。
その後、シュケル選手のサインを
5月24日、クロアチア代表チー
キックオフの直後、プロシネツ
求めて、100人以上の子供が行列を
ムは子供たち約150人を対象に「サ
キ選手がボールを手にとってパス
作りました。前大会得点王は、実
ッカー教室」
を開いてくれました。
「子
した後に、シュケル選手がゴールを
に30分以上をかけて子供たちの夢
供たちに夢を与えてほしい」という
決めました。ヨジッチ監督は、双方
を叶えてくれたのです。彼は子供の
地元の願いをこころよく聞き入れ
にレッドカードを与える演技をし、
笑顔を見るたびに、自身が幼い頃に
てくれたのです。教室では、目の前
ゴールキーパーのブティナ選手を
有名な選手にサインをもらったこ
に立つ代表選手を眩しそうにみつ
相手に、地元の子供にペナルティキ
とを思い出すと話していました。
める子供や、膝の下まで垂れたブカ
ックをさせました。
サッカー教室の終了とともに、会
他にもドリブルをする子供を選手
場に居合わせた全ての人々から感
が後ろから高々と抱き上げたり、ボ
動の拍手が沸き起こったことはい
ールが2つ3つと増えるなど、心憎
うまでもありません。監督も「世界
ぶりを交えながら、ドリブルやヘデ
い演出が次々と繰り広げられました。
で一番美しいのは子供。その子供た
ィングを指導。うまくできた子供と
最後は、トマス選手が、子供から
ちに幸せを与えることは、選手に
ハイタッチを交わしたり、頭をなで
ボールを奪われた際に重傷を織っ
とっても最上の喜び。選手も、子供
たりする姿があちらこちらに見ら
た演技をしました。選手みんなが救
たちにサッカーを教え、ともに楽し
れました。
急車のサイレンの音を口まねして
むことができて、心洗われるひと
実際に担架まで持ち込んで、ピッチ
時だった」と振り返っていました。
ブカのビブスを着てボールを追い
かける子供の姿がありました。
前半の技術練習で、選手たちは身
そして教室の後半には、誰も見た
がんばることの大切さ
将来はプロのサッカー選手
なる み
丸山成美さん(川治FC)
サッカー教室の前夜は、うれしくてあまり眠
増田拓郎くん(FC津南ウイングス)
サッカーを始めて3年になります。ポジショ
クロアチア選手の練習を見ていたら、選手た
ンはDFでキャプテンをしています。
チ選手から、ヘディングやフェイント、ドリブ
ちはみんな大きな声を出して動いていました。
5人のグループでクロアチアの選手2人と、
選手はとてもうまく、けったボールがちゃんと
ルなどを教えてもらいました。選手はとてもう
パスや投げたボールをダイレクトで返す練習
ねらったところへいくのは、すごいと思いまし
まくて、やさしい人たちばかりでした。
をしました。選手から見本を見せてもらいまし
た。サッカー教室では基本を教えてもらいまし
私は小さい頃から、サッカーとピアノを習っ
たが正確で全然違うなと思いました。そして、
た。ドリブルをしていたら、後ろから選手に捕
ています。将来はピアノの先生になるのが夢で
クロアチア選手はみんなでかいのにはびっく
まえられて、ぐるぐる回されたりしてとても楽
す。クロアチアの選手からは、がんばって練習
りしました。
しかったです。選手たちもいっしょになって笑
すれば、必ずうまくなれるんだって教わった気
もっと、上手になりたいけれど、あんなにう
がします。だから私は、これからもいっぱい練
まくなれる自信はありません。野球も好きです
習をしてピアノの先生になりたいです。そして
サッカー教室でクロアチアの選手
と触れ合った子供たち。
みんなの心には、あの日の感動が、
かけがいのない思い出として輝き
続けています。
たくろう
上村俊充くん(Mレジェンド)
れませんでした。サッカー教室では、シムニッ
いつまでも
心に残る
あの日の
感動。
楽しかったサッカー教室
とし みつ
いつかクロアチアを訪れたいと思っています。
夢は日本代表
だい
斉藤 大くん(十日町サッカークラブジュニア)
が、将来、プロのサッカー選手になれればいい
なと思っています。
ワールドカップはひとつのボールで世界が
い楽しそうでした。
シュケル選手から、服と帽子とすね当てにサ
どうしたらうまくなれるのか
こう た
南雲洸太くん(アトラス中里FC)
パー2人からサイドのボールを横に飛びつい
サッカーを教えてもらえるなんて、ぼくたちは
て返す練習やボールを手ではじく練習を教え
何て幸せなんだろう。そう思うとサッカー教室
てもらいました。クロアチアの選手は教え方も
の前の夜は、うれしくてあまり眠れませんでし
すごくわかりやすく、すぐ出来るようになりま
た。教室ではシュケル選手からパスやドリブル
した。全員でのゲームでは1回しかボールにさ
を教えてもらいました。選手はすごくうまくて、
われなく残念だったけれど、最後にボールにサ
ぼくがボールを取りに行っても、簡単によけら
インをしてもらいうれしかったです。クロアチ
れてしまいました。あんな風になるには、やは
アの選手の練習をはじめて見て、プロはあんな
り基礎練習をしっかりしないといけないと思
ふうに練習するのかと感心しました。そして、
いました。もっともっと練習をして、将来は日
どうしたらあんなにうまくなれるのかと思い
本代表になりたいです。
ました。
いっぱい笑ったよ
よしあき
ッカー教室はとても楽しく参考になりました。
サッカー教室では、クロアチアのゴールキー
動く、
ものすごい世界。その大会に出る選手から、
一生の宝物
インをもらい、今も大事にとってあります。サ
ま
目立つ選手になりたい
きょうへい
り な
小林好晃くん(川治FC)
岡村満里奈さん(Mレジェンド)
村山京平くん(FC津南ウイングス)
サッカーを続けてきて本当によかった。あの
わたしはスタニッチ選手とダイレクトパス
サッカー教室に参加して、シュートの練習を
時のサッカー教室は、6年生のぼくにとって、
の練習をしたの。最初は大きくて怖かったけれ
していたら、クロアチアの選手のヘッドに当っ
小学校生活で最高の思い出、一生の宝物です。
ど、サッカーをしたらとてもやさしい人たちで
てボールが入ってうれしかった。そして、自分
試合では、100人以上の子供と選手が戦ったけ
した。クロアチアの選手と子どもたち全員の試
がドリブルしていたら、クロアチアの選手が寝
れど、あんなに楽しい試合は初めてでした。
合も本当に楽しかったです。あんなにいっぱい
ころびながら、ふざけて手でボールを取りにき
の人と試合をしたのは初めてでした。ボールに
たりしてとても楽しかったです。
試合中に選手が子供を抱き上げたり、ボール
の数が増えたり、けがをしてタンカで運ばれる
は触れなかったけれど、たくさん笑いました。
選手全員と試合をしたときは、クロアチアの
フリをしたりするのを見て、友達とみんなで大
選手はサッカーが本当に上手。うますぎです。
選手がケガをしたふりをして、タンカで運ばれ
笑いしました。また、ボールボーイをした時に
あんなにうまくはなれないけれど、これからも
たのがおもしろくて、みんなで笑いました。サ
はボクシッチ選手が目の前に来てくれました。
サッカーをがんばろうと思います。それと、学
ッカーを始めてまだ2年くらいだけれど、将来
もう選手には会えないかもしれないけれど、
これからもクロアチアを応援し続けたいです。
ミニゲームで一点とれた
よう た
庭野遥太くん(十日町サッカークラブジュニア)
校を抜けてサッカーをしたのも、ちょっぴりう
れしかったです。
シミッチ選手になりたい
だい ち
廣田大地くん(アトラス中里FC)
クロアチアの3人の選手とミニゲームをし
サッカー教室では、フェイントやドリブル、
ました。ドリブルをしていたらすぐにボールを
パスの仕方をシミッチ選手から教わりました。
取られてしまい、取り返そうと思ってもなかな
ぼくたちがじょうずにボールをあつかうと、選
か取り戻すことができませんでした。言葉はわ
手は拍手をしてくれました。ぼくは外国の人と
からなかったけれど、ぼくらが「陽介、陽介」と
いっしょに何かをするのが初めてで、言葉もぜ
言っていたら、クロアチアの選手も「ヨースケ」
んぜん通じないのに、サッカーをしているとき
と言うようになり、面白かったです。
は、
選手のやさしい気持ちが伝わってきました。
一番うれしかったことは、ミニゲームで1点
シミッチ選手が拍手をしてくれた時はすごく
入れたことです。クロアチアの選手はスピード
うれしかったです。ぼくはシミッチ選手と同じ
がありパスもトラップも上手ですごかったです。
ディフェンダーだから、教えてくれたことを忘
実際に選手の練習を見れて、とても参考になり
れないように、もっと練習をして、いつかシミ
ました。
ッチ選手みたいになりたいです。
は中田選手みたいな目立つ選手になりたいと
思います。
記念撮影 東小学校4・5年生
子供に話しかけるクロアチアサポーター
うれしさのあまり額にサインをしてもらう東小児童
ふれあった心
あふれた笑顔
クロアチア国歌を演奏する十日町小学校4年生
5月22日夜、
代表チームを歓迎するためのウエルカムパ
ーティーがホテルベルナティオで開催され、
約130人の参加
者が心温まる交流を行いました。
チームの健闘を祈念し、
十
日町市長よりクロアチアサッカー協会長に国宝火焔型土器
のレプリカが手渡されました。
また、
5月28日夜には、
クロス10で市民とクロアチア関係
者との交流イベントが催され、
チーム関係者や同国の報道
関係者、
市民約350人が参加する中、
もちつきや着物ショー
など日本文化を紹介する楽しい交流がなされました。
伝統の着物でお出迎え
5月30日には、
取材に訪れていた
クロアチアの報道関係者5人が十
日町小学校と東小学校を訪れました。
児童から記者にクロアチアに関す
るいろいろな質問が出たり、
同国の
国歌を児童が演奏するなど温かい
ふれあいが見られました。
本部を訪れたクロアチアサポーターとボランティア
通訳のキャッシーさんと山崎さん
わたしたちもクロアチアファン
クロアチア、
十日町市民交流イベント
ウェルカムパーティーで火焔型土器を手にするクロアチアサッカー協会長
テレビ局のインタビューを受ける子供たち
がんばってますボランティア
友人との別れ
勝利を誓い選手は決戦の地へ
どんなに素晴らしい出会いにも、別れはやってき
た十日町市民のためにも戦います。私たちは旅立ち
シュケル選手は「これほどクロアチアを知ろうと
そして、バスの中の選手たちも十日町市を走り抜
ます。6月2日、クロアチア代表が翌日のメキシコ戦
ます。しかし、この別れは本当の別れだとは思わない
した町はなく、素晴らしいキャンプだった。今度は一
ける際、市民らの真の友情と純粋な心に感動して目
に向けて旅立つ時がきました。別れの朝、ベルナティ
でほしい。ここにいる選手が将来コーチや監督にな
旅行者として遊びに来たい。」と述べていました。
を潤ませていたといいます。道路の両脇には、クロア
オ別館前で行われた壮行セレモニーには、クロアチ
ったときには、必ずや十日町に新たなチームを連れ
最後に、市民らが「イデモ、フルバツカ!!」
(がんばれ
チア国旗を手にした親子連れ、年配の方々、沿道の店
ア代表を見送ろうと、市民など約300人が駆けつけ
てくるでしょう。いつかまた会いましょう。」という
クロアチア)とクロアチア語で激励する中を一人ず
の人たちなど数千人の市民が道路に出てきて、選手
ました。チームを代表して、
マルコビッチ協会長は
「市
言葉を残してくれました。
つバスへと乗り込みキャンプ地を出発したのです。
に惜別と激励の気持ちを込めて手を振りました。
また、チームからの贈り物としてサッカーボール
別れを惜しむ多くの市民とともに、ホテルのスタッ
バスは風のように走り抜け、夢と感動の14日間は
という言葉が胸に突き刺さり、一生忘れはしない。選
をかたどったガラス製の記念品が、主将のシュケル
フや関係者が手を取り、感動で胸をつまれせている
終わりました。キャンプ誘致に名乗りを上げて以来
手はクロアチアのためだけでなく、愛情をいただい
選手の手から滝沢市長に贈られました。
姿が見られました。
1,098日目の出来事でした。
民から贈られた どうか侍のように戦ってください
クロアチアへの思いを込めた折り鶴を両手に乗せる子供たち
(中条小学校)
ほら、ぼくたちの千羽鶴がスタジアム
に舞い降りたよ。6月3日の試合で新潟
スタジアムのクロアチアベンチには、チ
ームの活躍を祈るように紅白の千羽鶴が
飾られていました。キャンプ地の小学生が、
勝利を願い、夢を託した千羽鶴を、クロア
チアチームは約束どおりベンチに飾って
くれたのです。
千羽鶴は市内すべての小学校に通う子
供たちの手で、一つひとつ心を込めて作
られました。その数は7,350羽にのぼり
ます。キャンプをきっかけに、同国のこと
を学んだ学校も数多くありました。クロ
写真提供:共同通信社
アチア語のあいさつや、10年前の悲しい
戦争、復興に立ち上がる人々など、子供た
ほら、
スタジアムに舞い降りたよ
ちたちはたくさんのことを学びました。
千羽鶴を渡した馬場小学校・同珠田分校の子供たちと選手
千羽鶴にはクロアチアに対する純粋な願
い、
応援の気持ちが込められていたのです。
ぼくたちの夢を折った
千羽鶴
クロアチア民族を象徴する紅白の市松
模様に束ねられた千羽鶴は、5月22日夜
に子供たちを代表し、馬場小学校児童か
ら選手に手渡されました。プレゼントを
喜んだ選手が子供を高々と抱きかかえる
など、選手・児童双方に和やかな笑みがこ
ぼれていました。
そして、
チームが十日町市を離れる際も、
スタッフが見送りに集まった人々に千羽
鶴を高々と掲げるなど、友好の印として
チームを見守り続けたのです。勝負を争
うワールドカップの片隅で、折り鶴を通
じて子供たちと代表チームとの絆が結ば
れたのです。
壮行セレモニーに集まった人々に千羽鶴を高々と掲げるブラオビッチトレーナー
スタジアムに掲げられた織組青年部会制作のクロアチア国旗
応援メッセージを寄せ書きした紅白の巨大応援旗を持ち、
スタジアムに乗り込む市民
(6月3日・新潟スタジアム) 応援旗はイタリア戦
(8日・鹿島)
、
エクアドル
(13日・
横浜)
にもスタジアムに掲げられた後、
代表チームに贈られた。
熱烈応援
クロアチア代表と十日町市民、言葉は
違っても、
心は通じあえるものです。
5月25〜26日に遠征に出かけた選手
スタジアムには十日町織物工業協同
組合青年部会が作ったクロアチアの巨
大国旗をはじめ、市民のメッセージを集
たちは、
『我が家に帰ってきたようだ』と
めた大きな紅白旗がはためいていました。
言いながらベルナティオに戻ってきた
クロアチア人サポーターと肩を並べ、応
といいます。それほどまでに十日町市の
援する市民の姿をスタジアムのあちら
ことを気に入ってくれたのです。そして
こちらで見ることができました。
十日町市民の間にも、公開練習やサッカ
第2戦、第3戦は、大勢の人々が大型
ースクールの様子、選手の人柄に胸を打
テレビの前に集まり、
声援を送りました。
たれ、
「地元チーム」を応援しようという
イタリアを破った瞬間、会場は歓喜に包
気運が一気に盛り上がりました。
まれました。エクアドルに敗れた第3戦
クロアチアのワールドカップ初戦、新
では、悔し涙とクロアチアへの感謝・ね
潟でのメキシコ戦には、100人を越える
ぎらいの言葉があふれました。大会は終
市民が大型バス2台でスタジアムに駆
わりました。しかし、夢と感動をくれた
けつけ、メキシコサポーター相手に大応
クロアチア代表に感謝し、これからも多
援を繰り広げました。
くの市民が応援を続けることでしょう。
クロアチア人サポーターと市民サポーター。
心一つに応援
(6月3日、
新潟スタジアム)
第2戦でイタリアを破った瞬間、
観戦会場は歓喜に包まれた
(6月8日、
コモ通り)
クロアチア代表チーム関係者
監督 ミルコ・ヨジッチ
1940/4/8
12
1
23
20
GK トミスラフ・ブティナ
GK スティペ・プレティコサ
GK ブラデイミール・バシリー
1974/3/30
1979/1/8
1975/7/6
191cm
88kg
192cm
87kg
188cm
79kg
3
DF ダリオ・シミッチ
1975/11/12
180cm
78kg
DF ヨシップ・シムニッチ
1978/2/18
195cm
89kg
¡ヴラトコ マルコビッチ
¡ゾリスラヴ スレブリッチ
¡イワン カタリニッチ
¡マルヤン ヴラーク
¡フルボイエ ブラオビッチ
¡ボーリス ネメッツ
¡サーシャ ヤンコビッチ
¡トミスラヴ ヴルブニャーク
¡ボーヤン ラドノビッチ
¡イゴル グルシュコヴィッチ
¡ジェーリコ メーサィッチ
¡ムラデン ピールチッチ
¡イヴァ オリバーリ
¡ゾラン ツヴェルク
¡アドルフ コジュール
¡ルジツァ バーュリッチ
¡ダヴォール ブコビナ
¡ドラグティン ゴリチュキ
クロアチアサッカー協会長
クロアチアサッカー協会事務局長
アシスタントコーチ
アシスタントコーチ
フィットネストレーナー
ドクター
ドクター
理学療法士
理学療法士
理学療法士
キットアシスタント
キットアシスタント
チーム運営管理
警備責任者
報道責任者
財務主任
チーム秘書
シェフ
クロアチア代表チームワールドカップ戦績
4
21
DF ステパン・トマス
1976/3/6
186cm
80kg
17
6
DF ロベルト・コバチ
1974/4/6
182cm
78kg
13
MF ロベルト・ヤルニ
1968/10/26
180cm
77kg
10
8
DF ボリス・シブコビッチ
DF ゴラン・サブリッチ
MF ロベルト・プロシネツキ
1975/11/15
1979/8/4
1969/1/12
182cm
80kg
16
MF マリオ・スタニッチ
1972/4/10
185cm
79kg
1971/10/15
176cm
1980/1/31
184cm
70kg
9
1979/1/15
182cm
77kg
18
FW ダボール・シュケル
1968/1/1
183cm
78kg
MF マルコ・バビッチ
1981/1/28
186cm
72kg
7
FW イビカ・オリッチ
1979/9/14
182cm
82kg
1973/8/16
182cm
78kg
1975/3/24
179cm
76kg
76kg
MF ズボニミール・ソルド
1967/11/2
189cm
85kg
11
MF ダニエル・サリッチ
FW アレン・ボクシッチ
1972/8/4
1970/1/21
172cm
69kg
19
FW ダボール・ブグリネツ
182cm
14
MF ミラン・ラパイッチ
15
MF アンソニー・シェーリッチ
72kg
81kg
5
MF ユリカ・ブラニェス
2
MF ニコ・コバチ
190cm
84kg
22
FW ゴラン・ブラオビッチ
1972/8/7
187cm
177cm
73kg
FW ボスコ・バラバン
1978/10/15
180cm
74kg
グループG
クロアチア
クロアチア
クロアチア
0 ── 1
2 ── 1
0 ── 1
メ キ シ コ(6月3日・新潟)
イ タ リ ア(6月8日・鹿島)
エクアドル(6月13日・横浜)
暖かい異文化交流
㈱当間高原リゾートベルナティオ
企画部課長
川崎 幸樹
各国のキャンプ視察から始まり、ワールドカッ
世界の祭、
ワールドカップ
十日町市サッカー協会長
高橋 政隆
ありがとうクロアチア代表チーム。
プ終了までの間は展開が日々変わる、とても目ま
十日町の人々に夢を抱かせ、自信と誇りを与え
ぐるしい1年でした。私は選手の滞在する「当間
てくれたワールドカップクロアチア代表チーム。
高原リゾート
ベルナティオ」のキャンプ責任者
彼らが参加した2002年ワールドカップが日本、韓
としてキャンプ中は選手たちと毎日寝起きを共に
国そして世界の人々に感動を残して幕を閉じました。
してきました。おかげで5キロのダイエットに成
まだ日本が一回も出場を果たしていない夢の舞台、
功しました。
ワールドカップという大会がアジアで開催される
クロアチアのキャンプが決定し、約4か月の準
ことを知った6年前、この妻有の地でも世紀のイ
備期間がありましたが、結果としてキャンプが開
ベント、世界の祭に参加したいという思いが、サ
始される当日までは、ほとんど予定が何も決まらず、
ッカーの仲間を中心に沸きあがりました。
計画的な日本人にはとても理解しがたいキャンプ
何ができるか雲をつかむような思いの中で模索
がスタートしました。最初はホテルスタッフも変更、
していました。そんな時の平成10年8月に、十日
変更の連続でとても苦労させられました。しかし、
町市がベースキャンプに名乗りを上げると知らされ、
日が経つにつれてそんなチームの行動が当たり前
方向が見えてきました。
のように感じられるようになり「じゃ、また変更
サッカー協会も誘致委員の一員としてできうる
があったら教えて下さい」というように臨機応変
協力をしてきました。いろいろな経過を辿った結果、
に対応ができるようになりました。そんなスタッ
クロアチア代表チームのキャンプが実現しました。
フの対応を見て、クロアチアチームの皆が「十日
妻有地方の子供たちを始めとして地域の人々と
町の人々は日本で一番暖かい人々の集まりだ」と
の友好を大切にする姿勢、プロフェッショナルと
いつも口々に言っていました。キャンプが終了し
しての練習、そして試合が我々の心の奥に深く刻
て感じたことは、選手にベストな状態を提供する
まれています。
ためのチーム事務局の暖かさや気配りが大きかっ
たからこその要望や変更であったということです。
無事キャンプが終了してからのクロアチア事務
局は、私たちが提供した以上の気の使い方やサー
ビスを与えてくれ、なんだかこちらが恥ずかしく
ワールドカップが世界の祭りだと知ってもらえ
てよかった。
生涯二度とできないかもしれない経験が我々に
与えてくれるものは多大です。
ファラ プノ フルヴァツカ
なる思いでした。クロアチアチームがいつも言っ
ていたのは、「日本人は十日町や当間高原リゾー
ト
ベルナティオを知らない人が沢山いるだろう
けど、クロアチアの国の人々は日本と言えば『十
日町 ベルナティオ』と答えるよ」と……
Hvala
puno
Hrvatska
十日町市ベルナティオ
でのワールドカップ経験
ジャーナリスト
通訳
国際化時代、
すばらしい交流に感謝
サーニャ・シュリャギッチ
私は日本での通訳やジャーナリストの仕事を通して、
多くの人々や友人にめぐり合い知り合う機会を作って
くれる神様に、
いつも感謝しています。
2002年のワールドカップで、私は日本の山の中にあ
る十日町という小さな町で、50人のクロアチアサッカ
ー協会代表団と十日町からのスタッフも加わった素敵
な出来事に出会いました。このことは、スポーツがこん
なにも人々を美しく結びつけることを十分に理解する、
すばらしい機会のひとつでした。それは異なる文化の友
情を作り、普段の生活ではおそらく決して出会うことの
ない人と人とを結びつけました。このキャンプは人々に
遠く離れた文化を学び、私たちがどこの出身とは関係な
しに、すべて同じ人間であるということを気づかせてく
れ、喜びや悲しみを共に共有し、経験することができま
した。
十日町で特にすばらしかったことは、市民のおもてな
しでした。キャンプ推進本部の人々と同様に、期間中チ
ームが滞在していたホテルベルナティオのスタッフは、
チームや訪問者に最高の環境を提供するため最善を尽
くしてくれました。ベルナティオには、単に記憶に残る
快適で素敵なホテルというだけではないすばらしさが
ありました。
。
それにもまして記憶に残り感動的だったのは、6月3
日のメキシコ戦の初戦に旅立つとき、十日町や新潟県の
何千もの人々が、道路でバスの中の選手たちに手を振っ
て見送ってくれたことでした。十日町地域の子供たちや
人々が、クロアチアの人々と出会うことは地域の人々に
とっても貴重ですが、それはゲストである選手たちにと
っても貴重な思い出であると私は確信しています。
スポーツの勝敗というものは移り変わるものであり、
私たちの人生の道のりにおける浮き沈みは、スポーツや
人生においても一般的に自然なことです。しかし私たち
が生きている以上、人々の心、やさしさ、友情、親切さは
ずっと私たちの心にあるのです。一人の友人が私に言っ
た言葉があります 愛のみが永遠に生きる 。
このように、十日町の人々がクロアチアのチームに表
わした前向きな力や暖かさは、いずれにせよ将来、立派
な熟した果実を産み出すであろうと確信しています。
前十日町市長
本田 欣二郎
世界を沸せた、サッカーワールドカップも無事
終わりました。5月20日から6月2日まで、クロ
アチア代表チームがキャンプを張り、無事その責
務を果たしたことを共に喜び、又これまでお骨折
りいただいた関係者に心から感謝申し上げます。
十日町市が市政の重点の一つに交流を通して地
域の活性化はかるということで、大地の芸術祭、
地域環境米米フォーラム、国宝火焔型土器の活用、
そしてキャンプ地の誘致もその一環でありました。
その地域にある資源を活用して子供たちには夢と
誇りを、訪れた人には2度3度と訪れてみたい、
そんな魅力ある地域にしたいという念願からであ
りました。
十日町には6年前、地域性を生かしたグレード
の高い、当間高原リゾートがオープンしました。
この勝れものをキャンプ地として利用しない手は
ないということで県内で最初に名乗りをあげさせ
ていただきました。
昨年8月に約10か国の視察団が来日し、十日町
キャンプ地もぜひ見たいということが最初の朗報
でした。視察していただければ絶対の自信があり
ましたので喜んで迎え入れました。その後、早速
スペイン、ポーランドとの仮予約が順調に進みま
した。
ところが12月1日の釜山での組合せ抽選会で両国
とも韓国での試合となり実現しませんでした。翌
2日はまだキャンプ地を決めていない国との折衝
に努めましたが、仮予約した両国の監督の推薦も
あり、クロアチアが十日町市でキャンプすること
が決定しました。
今後は今回の貴重な経験を生かすと共に、次の
子供たちに折角の施設を活用するよう念願します。
クロアチア代表チームをサポートして
南部地区ワールドカップボランティアの会 会長
イデモ
高
野
哲
トオカマチ
(がんばれ十日町)
次
代表チームがベルナティオに到着した時は、なんとも言えない感動でした。昨年、南部地区W
杯ボランティアの会を立ち上げましたが、サッカーを知らない人がほとんどの様な会員構成で
した。直前まで何をすればよいのか、活動はほとんどしていませんでした。
キャンプ期間中は駐車場警備のお手伝いをしましたが、公開練習時にはさばききれない程の
観客が訪れました。チームをはじめ、国内外に「十日町」を知っていただいたのではないでしょ
うか。クロアチアの成績は十分ではなかったけれど、
「ベルナティオでうんめえやん食いすぎた
んだんが、体が重かった」というジョークも飛び出すほどでした。今後はあのピッチを有効に使
っていただきたいと願っています。
(社)
十日町青年会議所 理事長
千 原 祥 一
開催地、キャンプ地のJC(青年会議所)が東京に集結。国際交流、経済効果、地域活性化、誰も
が未知の世界に戸惑う。報道関係者は「なぜもっと地域の情報を発信しないのか」と。すぐに県
内のJCにキャンプ情報を発信。
チーム出迎えの日、雪国JCメンバーが家族と越後湯沢駅に。新発田JCからは小学生が作
った「折り紙兜」が届く。新潟、新津、白根、黒埼、豊栄JCからホスピタリティーバッチ事業の情
報。新潟市の「ウエルカムパレード」には新潟県一輪車協会を先頭に、3人の振袖娘、フェイスペ
イントした水沢、中条地区の親子、織組青年部製作の巨大クロアチア旗で行進。
推進委員会はじめ、サッカー協会、大勢のボランティアの方々との交流、体験を生かさねば。
これからが大事。
「イデモ トオカマチ」
クロアチアチームに思う事
十日町織物工業協同組合青年部会
蕪
木
良
一
クロアチアのキャンプ地が十日町に決まり、私たち織物組合青年部会では、きものを染める
技術をつかい、
大きなクロアチア国旗を染めあげる事により選手たちを歓迎する事にしました。
しかし、私たち青年部会員だけでは手におえなく、十日町産地の多くの人たちの手を借りる事
によってようやく完成することができました。スタジアムにクロアチア国旗が舞った時の感激
は、今でも忘れられない思い出です。
人が一生のうちに出会える人は、世界中のほんの一握りの人です。クロアチアの選手たち、他
のクロアチアの人たちに、出会う事となった偶然(本当は運命で決まっていた必然かもしれま
せんが)を、自分たちの出きる事で、一生懸命に迎え、それを喜んでもらった事が一番うれしか
ったというのが本音です。
食を通じた心の交流
きっちん愚留米
廣 田 正 男
交流のきっかけはクロアチアの食文化への興味です。彼らの食文化を知りたいと思いつつも、
料理に関しては、まだ漠然とした状態でした。ところが各マスコミから、いつから食べれるのか
などの質問を受けたり、事務局長のスレブリッジさんが店の視察に来てくれたりと、段々やら
なければならない状態になった次第です。また、春の米米フォーラムではクロアチア大使夫妻
がおみえになり、夫人から料理のてほどきを受けるなど、どんどん大きな渦の中に巻き込まれ
ていきました。キャンプが始まってからは、メディア関係の人たちが来てくれたのですが、支払
いは完全に別々など、食に対する文化の違いを肌で感じました。そこで翌日からは対応に軌道
修正を加えました。
2週間、深夜遅い日が続きましたが、皆さんとはとても親しくさせてもらいました。最終日の
クロアチア語通訳として
「さよならパーティー」にはチーロ前監督も参加し、皆さんから喜んで頂き、私にとっての長い
ボランティア
(兵庫県尼崎市)
杉
尾
整
私はクロアチア語通訳としてキャンプに参加しました。力不足な上、話すのは昨年秋のユー
ゴスラビア旅行以来、日本では機会がなく殆どぶっつけ本番だったが、練習入口で自分が通訳
したシュケルやプロシネツキのコメントが新聞で紹介されたり、自分が取材されクロアチアの
新聞に紹介されたり、関係者やサポーターから呼ばれた時は、それなりに貢献しているようで
充実感があった。
特にクロアチア人ジャーナリスト2名と市立東小学校を訪問し、生徒達のクロアチア研究の
質疑応答を通訳した時、終了後に「海と建物がきれいなクロアチアにすんでみたい」と言われた
ときはすごく嬉しかった。今後もクロアチア語を通じて、日本とクロアチアの小さな架け橋と
なっていこう。
キャンプが終わりました。
とても楽しい交流ができたことを嬉しく思っています。遠く離れている2つの国ですが、こ
れからも何らかのつながりを残したい。そして彼らの暮らすクロアチアをいつか訪れてみたい
と願っています。
最高の夏をありがとう
クロアチア語通訳
(東京都)
ビラチ スラヴェン
4年前のワールドカップフランス大会の時、クロアチアが3位になりました。その時から私
は、日本にワールドカップを見に行こうと思っていました。いくつかの試合に行って応援さえ
できれば嬉しいと思っていました。でも実際には、想像していたよりももっと素晴らしい経験
アレンとボリス
ができました。十日町市民のみなさんのおかげで最高の夏になったのです。
ボランティア
(加賀糸屋町)
小
林
朋
彦
彼らの名はアレンとボリス。クロアチア人サポーター。TVで開幕戦を観たい、ついでに何か
食べたいと、わが家(松乃寿司)にやって来た。でもあまり金は無いという。じゃあ一人500円だ
けもらい、パスタを食べさせた。十日町では野宿をしていたというので、我が家に泊まってもら
った。家族と彼らとでいろいろおしゃべりをし、クロアチアのことをいっぱい教えてもらった。
次の日もお泊り。雨の中、ビショ濡れで戻った2人。けどチケットを手に入れ大喜び。
「これは
君たちにプレゼント」とサイン入りユニフォームをいただいた。楽しい会話は夜中まで続いた。
翌朝、クロアチアチームを彼らと共に見送りに出かけた。ついでに新潟まで彼らを送り、駅前で
歌い、踊り大騒ぎ。抱き合ってお別れした。いや、今度はクロアチアで、また再会を。
私は通訳としてキャンプに参加しました。ホテルやピッチなどの状況が良かったため、問題
があまり発生しませんでした。クロアチアの代表選手も事務局も最初から満足していた様子で、
私の仕事もとても楽でした。代表選手に日本の文化について説明したり、クロアチアの事務局
とキャンプのスタッフと対等に手伝ったりして、とても感動的な一週間を過ごしました。しか
も、私に対して皆さんが優しくしてくれて本当に感謝しています。
思っていたよりクロアチアの代表選手と何回も興味深い話しができて、とてもいいイメージ
が残りました。やっぱり、代表選手は凄いです。練習や、代表選手、歓迎会などの写真をいっぱい
撮りましたので、時々見てはあの時の一週間を振り返っています。クロアチアチームと十日町
市民の皆さんに心から感謝します。最高の夏をありがとうございました。Hvala puno!!
2002 FIFAワール
FIFAワールドカップ
FIFAワールドカップ
キャンプ地誘致活動経過及びキ
キャンプ地誘致活動経過及びキャンプ運営
プ地誘致活動経過及びキャンプ運営
プ運営
8下旬
1/12
6/1
8/3
9/4.5
9/12
10/4
10/15
10/21〜11/28
11/8
11/17.18
11/18
11/19
12/30〜1/17
1/13
1/18
1/21〜1/23
1/31
2/9
2/18
2/19
2/29
3/3
3/17
3/24
4/24
4/29
5/11
5/17
6/23
6/25
7/12
7/16
8/10
9/7〜8
9/9〜10
9/29
10/24
10/31
11/6
11/7
11/9
11/22
12/1
12/26
平
成
10
年
平
成
11
年
︵
1
9
9
9
︶
平
成
12
年
︵
2
0
0
0
︶
十日町市長ベースキャンプ地立候補の意志表明
1/10
イタリアサッカー協会評議員タヴェッキオ氏へ火焔土器、ベルナティオ紹介ビデオ送付
1/17
ワールドカップ説明会(珠川集会所)
2/1
南部ワールドカップボランティアの会発会式(ベルナティオフォーラムセンター)
2/7
2002FIFAワールドカップライセンシー募集要項説明会(新潟)
「サッカーの見える街づくり」〜2002キャンプ候補地支援プロジェクト講演会〜(東京)
3/2
ベースキャンプ誘致庁内ワーキング会議
公認キャンプ十日町誘致準備委員会発足
応募申請書類提出
2002年FIFAワールドカップ日本・韓国新潟開催フェア 99参加(新潟市万代シティ)
2002年FIFAワールドカップ公認キャンプ候補地応募申請記念松木安太朗講演会(クロス10)
2002年FIFAワールドカップ公認キャンプ十日町誘致実行委員会設立総会(ベルナティオ)
イタリアサッカー協会幹部へ誘致PR(イタリア、コモ市)
98フランス大会写真展パート2(情報館ギャラリー)
第1回事務局会議
キャンプ先進地視察(Jビレッジ:福島県楢葉町)
イタリア大使館訪問(東京)
第7回サロン2002in新潟にてPR活動(新潟市)
98フランス大会写真展パート3(ベルナティオ)
第2回事務局会議
新春中央陳情(JAWOC)
2002年FIFAワールドカップ日本・韓国新潟開催フェアin東京(東京ネスパス)
第3回事務局会議
第1回誘致委員会(イタリア中心に誘致活動する事を決定)
誘致活動PR用懸垂幕設置(市保健センター)
誘致活動PR用のぼり旗・ポスター設置(雪まつり広場)
2002年ワールドカップサッカー大会公認キャンプ地セミナー(新潟県庁)
第4回事務局会議
ワールドカップ開催を契機とした地域活性化セミナー(東京)
アルビレックス新潟十日町地区後援会設立総会(ラポート十日町)
第5回事務局会議
J1リーグ公式戦での誘致活動PR(新潟市陸上競技場)
JAWOC十日町キャンプ候補地視察
第1回常任委員会
第6回事務局会議
コモ市長、イタリアサッカー協会評議員との懇談会、キャンプ地視察
平成12年度誘致実行委員会総会(情報館)
国際ユースIN新潟大会開催(十日町市陸上競技場)
第7回事務局会議
ワールドカップ開催と地域活性化に関する国際シンポジウム(静岡市)
スポーツワールド2000にてPR(新潟市)
第8回事務局会議
第2回常任委員会
キャンプ地紹介パンフレット(英語・イタリア語)作成
助役、十日町市サッカー関係者、イタリアサッカー協会表敬訪問(ローマ)
第9回事務局会議
講演会開催(ベルナティオフォーラムセンター) 講師:木田悟 (財)日本システム開発研究所
JAWOCより公認キャンプ候補地として認定される
先進地視察(Jビレッジ:福島県楢葉町)
第10回事務局会議
3/19
第11回事務局会議
上旬
キャンプ誘致用ビデオ作成(日本語、英語、イタリア語)
イベントスタッフ募集
4/10〜5/10
第12回事務局会議
4/19
「新潟2001年宇宙の旅」で十日町キャンプ地をPR(新潟スタジアム)
4/29
4/10〜5/10
イベントスタッフ募集
5/15〜6/10
「コモ・とおかまち2001」でイタリアキャンプ誘致活動コーナーを 設置
韓国KBSテレビ、キャンプ地取材のため来市
5/23
6/4
FIFA公認マッチエージェント・イタリアのプーチ氏と会談(茨城県鹿嶋市)
6/6
イタリアサッカー協会にキャンプ誘致ビデオ及び資料送付
6/18
第13回事務局会議
6/20
第3回常任委員会
6/25
平成13年度総会(ベルナティオフォーラムセンター)
講演会開催
7/12
7/26
8/6
8/25
8/27〜
9/12
9/14.15
9/20
9/29.30
9/30
平
成
13
年
︵
2
0
0
1
︶
講師:堀
繁(東京大学教授)
木田 悟(㈱日本システム開発研究所)
アイルランドサッカー関係者に対するキャンプ誘致活動(ベルナティオフォーラムセンター)
第14回事務局会議
イベントスタッフ会議(保健センター)
W杯代表国十日町キャンプ地視察
チュニジア、ナイジェリア、スペイン
ボランティアスタッフ募集開始
第15回事務局会議
スペインサッカー関係者十日町市キャンプ地視察 キャンプの仮予約取り交わし
第2回誘致委員会
柏レイソルサッカースクール(当間多目的グラウンド)
講演会の開催(クロス10 中ホール)
講師:西野朗(アトランタオリンピックサッカー日本代表監督)
10/12
第16回事務局会議
10/23
第3回誘致委員会
10/25
県警警備部長キャンプ地視察
10/28
W杯代表国十日町キャンプ地視察
11/6
ポーランドより十日町キャンプ地希望の申し入れFAX届く
11/12
ポーランドへキャンプ了承のFAX送付
11/15
県警本部長キャンプ地視察
11/21
第17回事務局会議
12/1
12/1〜12/3
ポーランド、コスタリカ、エクアドル、パラグアイ
ワールドカップ抽選会イベント(情報館視聴覚ホール)
ワールドカップ組合せ抽選会場でのキャンプ誘致活動(韓国釜山)
12/4
クロアチアサッカー関係者十日町キャンプ地視察(協会長、事務局長ほか)
12/8
クロアチアサッカー関係者十日町キャンプ地訪問(事務局長ほか)
ワールドカップの試合前のキャンプを十日町で行うことを発表
12/10
第4回誘致委員会
12/23
クロアチアキャンプ内定イベント(ベルナティオ)
1/11
第18回事務局会議
1/18
クロアチアサッカー協会、JAWOCへキャンプ合意書を送付
1/30
誘致実行委員会、JAWOCへキャンプ合意書を送付
2002FIFAワールドカップクロアチア代表チーム十日町キャンプ推進委員会に名称変更
2/1
CROATIA
クロアチア代表チーム十日町キャンプ状況
1. キャンプ日程
2002FIFAワールドカップクロアチア代表チーム十日町キャンプ推進本部設置
2/6
第19回事務局会議
5月17日
(金)
事務局長、チームドクター他5名関係者来市
2/8
第4回常任委員会、常任委員会部会発足
5月20日
(月)
選手役員37名来市
第5回誘致委員会
2/12
十日町雪まつりでキャンプ地のPR
2/15〜2/17
JAWOCよりキャンプ地承認連絡書届く
2/27
歓迎セレモニー(市民約500人)
:ホテルベルナティオ
21日
(火)
クロアチアサッカー関係者十日町キャンプ地訪問(警備担当者、事務局長)
3/5.6
22日
(水)
平成13年度総会(情報館視聴覚ホール)
3/8
3/13
第20回事務局会議
3/15
加茂 周(元日本代表監督)講演会・サッカー教室(クロス10、総合体育館)
3/27
第21回事務局会議
募金・協賛金の協力依頼開始
3/末〜
午前 第1回公開練習(10:00〜) 350人
午後 第2回公開練習(17:00〜) 350人
クロアチアサッカー関係者十日町キャンプ地視察(監督、事務局長、チームドクターら)
3/1
合計44名
午前 第3回公開練習(10:00〜) 400人
午後 第4回公開練習(17:00〜) 550人
ウエルカムパーティー(参加者約120人)
:ベルナティオ山つつじ
23日
(木)
第5回公開練習(17:00〜) 400人
24日
(金)
第6回公開練習(10:00〜) 200人
4/1
本町3丁目にキャンプ推進本部、案内所を開設
少年サッカースクール(11:00〜) 10チーム、150人
4/6
第1回ボランティアの集い(情報館視聴覚ホール)
第7回公開練習(17:00〜) 250人
交通安全フェアでのキャンプPR(妻有ショッピングセンター駐車場)
4/25
4/27
4/29
5/3
5/5〜6/2
5/7〜6/2
5/9
5/12
平
成
14
年
︵
2
0
0
2
︶
クロアチア紹介パンフレット全世帯に配布
第2回ボランティアの集い(情報館視聴覚ホール)
きものまつりでのキャンプPR(本町3丁目歩行者天国)
越後妻有郷観光ポスター展での展示(十日町駅東西連絡路地下ギャラリー)
クロアチアキャンプまでの道のり写真展(十日町公民館ギャラリー)
クロアチア語勉強会(情報館視聴覚ホール)
ボランティア警備現地説明会(当間多目的グラウンド)
クロアチア代表チームガイド、選手紹介ポスター全世帯配布 応援短冊設置(駅通り)
5/17
クロアチア代表チーム関係者7名来市
イワン・ラツコビッチ・クロアタ絵画展(情報館多目的コーナー)
5/19
ボランティア現地説明会(当間多目的グラウンド)
5/20
クロアチア代表チーム選手関係者来市
《クロアチアキャンプ》
〜
6/2
親善試合のため富山市へ向け出発
26日
(日)
富山県営陸上競技場で親善試合
午後9時十日町ホテルベルナティオに到着
クロアチアサッカー協会事務局長来市
5/15
5/18〜6/1
25日
(土)
クロアチア代表チーム新潟に向け出発
31日
(金)
6月 1日
(土)
2日
(日)
第8回公開練習(15:45〜) 350人
第9回公開練習(17:45〜) 680人公開練習入場者合計3,530人
壮行セレモニー(9:00〜) 市民約300人:ホテルベルナティオ
新潟市へ出発
2. その他のイベント活動
(1)
イワン・ラツコビッチ・クロアタ絵画展:情報館多目的コーナー
5月18日(土)〜6月1日(土)
(2)
がんばれクロアチア(クロアチア・十日町市民交流イベント) ※共催事業
5月28日(火) クロス10大ホール 参加者約350人
(3)
クロアチア報道関係者と小学生との交流
5月30日(木) 十日町小学校4年生83人、クロアチアメディア3人
東小学校4・5年生11 0人、クロアチアメディア2人
(4)
越後妻有郷観光ポスター展:十日町駅東西連絡通路地下ギャラリー
5月5日(日)〜6月2日(日)
(5)
クロアチアキャンプまでの道のり写真展:十日町公民館ギャラリー
5月7日(火)〜6月2日(日)
CROATIA
クロアチア代表チーム十日町キャンプ状況
3.キャンプ地警備輸送
5.ボールボーイの参加人数
(1)警備体制
クロアチアキャンプ推進委員会・警備部会が新潟県警の協力を得て、民間の警備会社に一部警備委託を
し、ホテル警備、トレーニング場及び記者会見場警備、チーム移動警備を実施した。
・期
間:5月21日(火)〜6月1日(土) 5月25日、26日を除く10日間
・人
数:合計157人
・参加団体:十日町総合高校、十日町高校、川治FC、FC津南、Mレジェンド
アルティスタ、十日町SCジュニア、アトラス中里FC
クロアチアキャンプ推進委員会
警
備
部
会
新潟県警
6.キャンプ期間中の外国人客(5/20 〜6/2)
民 間 警 備 会 社
ホテル警備班
(1)
期間中の外国人宿泊客(実数)
トレーニング場警備班
・協力宿泊施設
10人
・ホテルニュー十日町
26人(クロアチアメディア関係者20人)
チーム移動班
(エクアドルメディア2人)
(メキシコメディア2人)
(2)警備人員
(アメリカメディア2人)
・警備部会事務局員
・警備ボランティア
・警備会社
・新潟県警
延べ 70人
延べ885人
延べ200人
一日約40〜50人
14日間 (5/20〜6/2)
12日間 (5/20〜6/2) 5/25・26を除く
14日間 (5/20〜6/2)
14日間 (5/20〜6/2)
(2)
期間中の飲食店外国人来訪者
延べ 250人
(3)
インフォメーションセンター案内状況
(3)資格証明書
(ADカード)
の発行
警備を行う上で、宿泊施設、トレーニング場、記者会見場など異なる区域への入場・通行を許可する資格
証明書(ADカード)をチーム、ホテル関係者、メディア、スタッフなど区分して発行した。
・案 内 時 間
8:00〜17:30
本部は22:00まで
・本部案内所
日本人81人
外国人41人
合計122人
・駅西案内所
日本人69人
外国人19人
合計 88人
延べ210人
◎ADカードの発行状況
クロアチアチーム………… 55
スタッフ…………………… 80
ホテル関係者…………… 285
警
察…………………… 83
セキュリティ……………… 4 1
メディア………………… 230
ボランティア……………… 342
ホテル関係業者……………… 15
ゲスト用……………………… 40
サッカースクール用……… 220
合
計
7.メディアセンターの利用状況
1,391枚
・期
間:5月18日(土)〜6月2日(日)
・場
所:情報館第一集会室 9:00〜22:00
・利用者数:延べ 251人(クロアチアメディア174人、日本メディア77人)
4.キャンプ期間中のボランティア動員実績
8.PR活動
ボランティア登録者数 269名(市内179・県内54・県外36)
・期間:5月20日(月)〜6月2日(日)
場
所
延 べ 137人
警備
延 べ 885人
グラウンド管理
延 べ 73人
その他
延 べ 46人
計
ア 市報(1月25日号から毎月掲載10回)
ボランティア内訳
案内所
合
(1)
印刷物
1,141人
イ ワールドカップポスター(2月)約50枚<公共施設・十日町駅などに掲示>
一般ボランティア
延 べ 498人
ウ クロアチア国旗・歓迎ポスター(3月下旬〜5月上旬)3,000枚<商店街など>
市役所ボランティア
延 べ 208人
エ クロアチア紹介パンフレット(4月25日) 18,000部<世帯・マスコミなど>
学生+引率者
延 べ 435人
オ クロアチア代表チームガイド(5月15日) 18,000部<世帯・マスコミなど>
合
計
1,141人
カ クロアチア代表候補選手の横顔チラシ(5月15日)18,000部<世帯・マスコミなど>
キ クロアチア代表候補選手の横顔ポスター 200部<公共施設、小中学校など>
CROATIA
クロアチア代表チーム十日町キャンプ状況
(2)バナー等
ア 懸垂幕(2月12日)
2枚<市役所・商工会議所>
イ 歓迎看板(5月1日)
4枚<十日町駅>
ウ ウエルカムバナー(5月上旬)
エ 応援短冊(5月15日)
1,355枚<駅通り>
オ 歓迎フラッグ(5月中旬)
<市街地>
カ 歓迎のぼり旗(5月中旬)
<市街地周辺>
キ 歓迎国旗(5月上旬)
未来に向けて
1枚<ベルナティオ入口>
世界最大のスポーツイベント2002FIFAワールドカップがさまざまな興奮と感動を
<水沢地区国道沿線プランターに設置>
ク 大クロアチア国旗(織物組合青年部会制作)
<キャンプ期間中ホテル内に設置、その後試合
応援時に試合会場で掲示>
残して幕を閉じました。
この記念すべきワールドカップに、十日町市はクロアチア代表チームのキャンプ地
として参加し、多くの市民やボランティア、関係者の皆様のご支援ご協力によって二度
と体験できない貴重な経験と成果を得ることができました。長年にわたるキャンプ誘
(3)小中学校
ア クロアチアの学習
イ クロアチア料理の学校給食
ウ 応援千羽鶴制作 7,350羽(一般制作も含む)
致活動をはじめ、キャンプ運営に携わってくださったすべての皆様に心より感謝申し
上げます。
今後は、キャンプで芽生えた十日町市とクロアチアとの友情を大切にし、スポーツ・
芸術・文化などを通じて、温かい交流を進めて行きたいと思います。また、広く情報発信
(4)幼稚園・保育所
され、世界レベルの高い評価を受けた当間多目的グラウンドを有効に活用することが
ア 応援短冊の制作 1,355枚
重要です。そのために、さらなる施設の充実や、プロのサッカーチームや各種スポーツ
イ クロアチア料理の給食
チームの合宿誘致をはじめ、さまざまな大会を開催することによって地域スポーツの
振興や青少年の健全育成を図っていきます。そして、
「クロアチアピッチ」と名づけられ
(5)その他
ホームページによる情報発信
た当間多目的グラウンドが、スポーツのメッカとして、より多くの人々から親しまれる
とともに、この地から日本を代表する一流選手が生まれることを期待します。
「夢と希望・郷土への誇りを子どもたちに与えたい」という願いから始まったキャン
9.キャンプ期間中の医療サポート
プ誘致は、文化や言葉の壁を乗り越えて、大きな成功をおさめることができました。そ
して、これからも未来に向けて歩まなければなりません。
(1)医療体制
チームドクターが選手、スタッフに対して行う治療を介助、支援するためのリエゾンドクター及び支援
医療機関を決定し、キャンプ期間中のチームの医療サポートを行った。
<リエゾンドクター> 新潟県立十日町病院整形外科部長 丸山俊行
<支援医療機関> 新潟県立十日町病院
また、消防署と連携し、外国人に対する円滑な救急医療活動を実施するため、外国語(英語)対応の救急
医療体制を整備するとともに、市内医療機関に外国人の受入について協力要請をおこなった。
(2)医療サポート状況
病院での検査 ……………… クロアチア選手2人
病院での検査・治療………… クロアチア役員1人、クロアチアマスコミ1人
【写真提供】
㈱当間高原リゾート
共同通信社
サンタ・クリエイトシステム
中央印刷所山内商店㈱
十日町市サッカー協会
新潟日報社
ハトヤ川西店
【製作・著作】
10.協賛金・募金状況
・協 賛 金
・一般募金
・募 金 箱
合 計
15,884,685円(273社)
10,392,061円(体育協会、地区振興会、職場等70団体、約3,038名)
121,830円(大型店他42カ所)
26,398,576円
2002FIFAワールドカップクロアチア代表チーム十日町キャンプ推進委員会
〒948-8501 新潟県十日町市千歳町3丁目3番地
TEL0257-57-3111㈹ FAX 0257-52-4635
2002 FIFAワールドカップクロアチア代表チーム十日町キャンプ推進委員会