安楽死の問題 高瀬舟の昔から議論されてきた。 病気の種類や経過によって、苦痛がひどく回復不可能と「その時点で」判断できたら、 安楽死を考えることもあり得る。最近でいえば富山県の外科部長の話がある。「人工呼吸器 をはずせ」と命令した、という話である。この部長は、家族の同意も得ている(あとで混 乱したが)、消極的な安楽死だ、という。 その場の雰囲気がわからないし経過もわからないから論評は避けるべきではあるが、報 道から判断して、ひとことだけ言いたい。「安楽死はだめというのも、わかるような気がす るし、是認したい気持ちもある。ただ、部下に抜管を命じたのはよくない。武士の情け、 せめて、抜管は自分で行うべきで、これは無用な共犯者をつくらないためでもあるし、自 らの主張に殉じるならなおのこと部下に命じるのは、卑怯だ」と思う。 一番いいのは Living Will(リビング・ウィル:生前に患者が意思表示をしておくこと。 書いたものがあれば、いい。)であるが、現在では、不可能だと思う。しかし家族の同意と いうのは、あまりあてにならない。 いくつか理由がある。 1) 東海大学の KCL 事件。家族は「楽にさせてくれ、とは言ったが殺してもいいとは言 わなかった」。これは、家族の方が汚い逃げ方だ。結局医者は有罪になった。裁判官 もどこまでわかっていたか。しかし、ひとりで判断せずに、少なくとも教授も含めた 複数の医師団を、瞬時に作って判断するべきであった。 2) 家族は看病で疲れている。自分がしんどくなれば、もういいと考えて安楽死を要請す るかも知れない。しかし、そのしんどさを忘れる頃になると「あのとき医者が、止め てくれていたら」ということになる。もう少し頑張れたのに、から、同意なんかして へん、ということになる。 3) もうひとつは身近な実話。84 歳の男性が外科手術後、息子や娘や孫が毎日入れかわり 立ちかわり面倒をみてくれる。感激したじいさんが「そこまでしてくれるなら・・・」 と実印を渡した。翌日から、誰一人、見舞いにも来ない。「実印」が目的であった。 4) 京都の周山。内部告発があったのだが、院長が精神的に混乱していたというのなら、 この人は、職業の選択を誤ったのである。1 時間後には死ぬことがわかっていたなら、 待てばいいのである。これなども、主治医という立場を勘違いしているのである。主 治医はオールマイティではない。 みな、大変な誤解をしているのだが、「医師には生殺与奪の権限が与えられているわけで はない。」だから、すでに述べたように、単にバリアーを先に超えただけなのに勘違いして、 あたかも、上記の権限を与えられたかのように思い込んでしまうのである。
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