IFRS 適用による敵対的買収行動に関する研究

IFRS 適用による敵対的買収行動に関する研究
1X07C067-2 杉本 雄輔
指導教員
大野 髙裕
1. はじめに
なる幾何ブラウン運動に従うと仮定する.ここで µX , µY
近年,M&Aは増加傾向にある.M&Aは様々な目的
は資産の成長率, σX , σY は資産のボラティリティ,zX , zY
で行なわれるが,その中でも転売目的の敵対的買収は被
はウィーナー過程を表わす.ウィーナー過程の増分は相
買収企業をはじめ,社会に混乱を生じさせる.このよう
関を持ち,その相関係数 ρ について
な敵対的買収は,取得時価格のまま計上される簿価評価
E[dzx dzy ] = ρdt
資産の含み益を狙ったものが多い.
(3)
であるとする.また,買収企業の価値 Vi ,被買収企業の
一方で,国際会計基準(以下 IFRS)にも注目が集まっ
ている.IFRS は投資家の意思決定に有用となるよう開
発された世界統一の会計基準であり,世界各国で導入が
進んでおり,日本においても強制適用が検討されている.
IFRS への移行に伴う変化の一つとして,損益計算書重視
から貸借対照表重視への移行が挙げられる.この変化に
より,企業の所有する多くの資産が簿価評価から時価評
価へと移行される.そのため,IFRS の適用は簿価価値と
時価価値の差による含み益の発生を抑制し,ひいては上
価値 Vj ,買収後企業の価値 Vm をそれぞれ
Vi = Ai , Vj (Xt , Yt ) = Xt + Yt ,
Vm (Xt , Yt ) = αAi (Xt + Yt ) + β(Ai + Xt + Yt )
とする.ここで,Ai は買収企業の資産価値, α はシナジー
効果の調整項, β は規模の経済効果を表わす定数である.
両企業は買収により生まれる企業価値 Vm を配分率
si , sj によって分配し,既存の企業価値を失う代わりに
si Vm , sj Vm を得る.ただし配分率については以下の式を
満たす;
si + sj = 1.
記のような転売を目的とする敵対的買収への抑制効果が
あると考えられる.
(4)
(5)
(6)
また,企業 i, 企業 j には買収の際にコスト γVj + Ci , Cj
そこで本研究では,IFRS 適用の敵対的買収行動に対す
るの抑制効果の有無を検証することを目的とする.具体
的には,企業の敵対的買収行動のモデル化を行ない,日本
会計基準時と IFRS 適用時の企業行動を比較・分析する.
が発生する.ここで γ は買収コストの調整項を表す.
以上の仮定より各企業の買収によるペイオフは
h
i
Fi = E (si Vm − Vi − γVj − Ci )e−r(τ −t) ,
h
i
Fj = E (sj Vm − Vj − Cj )e−r(τ −t)
(7)
(8)
2. 提案モデル
のように表わされる.買収企業 i は自らのペイオフ Fi を
2.1. 状況設定
最大化するように買収タイミング τ を決定し,被買収企
買収企業 i と被買収企業 j の 2 社を考える.2つの企業
は買収後に単一の企業 m となり,日本会計基準において
は評価替えも行なわれる.買収に際しては,シナジー効
業 j は自らのペイオフ Fj を最大化するように配分 sj を
決定する;
max Fi
τ
and
果と規模の経済の効果により新たな価値が生み出される.
本研究では,Lambrecht[1] に倣い,買収企業 i は買収後
のペイオフが最大となるように買収タイミングを,被買
max Fj
sj
s.t. (1)∼(8).
(9)
2.3. 日本会計基準での定式化
日本会計基準においては,資産過程 Yt が評価替えによ
行なうものとする.本研究では意思決定を,サブゲーム
り,以下のように変化すると仮定する.
(
Y0
f or t < τ,
Yt =
Yτ
f or t ≥ τ.
完全な均衡として定義する.
ここで, Y0 , Yτ は (2) 式における 0 時点, τ 時点の値である.
2.2. IFRS 適用時の定式化
2.4. ゲーム均衡の定義
収企業 j は買収後の企業 m の配分割合を決定する.なお,
敵対的買収を扱うため,企業 j ,企業 i の順に意思決定を
企業の持つ資産について,現在,時価評価されている
株式のような資産 X と,簿価評価されている不動産のよ
うな資産 Y の2つのタイプの資産を考える.この2つの
タイプの資産価値 Xt , Yt は
(10)
本研究では企業の行動を以下のようなサブゲーム完全
な均衡として定義する;
G[s∗j , τ ∗ (sj )].
(11)
サブゲーム1では企業 j が企業 i の行動を予見し配分
dXt = µx Xt dt + σx Xt dzx , X0 = x0 ,
(1)
率 sj を決定する.サブゲーム2では企業 i が与えられた
dYt = µy Yt dt + σy Yt dzy , Y0 = y0
(2)
配分に応じた買収タイミングを決定する.この均衡は逆
向きに推論により解を得るが,解析的に解くことが困難
なため,数値実験を行なう.
Ai
800
µX
0.00856
x0
160
r
0.055
α
β
γ
0.0015
1.1
1.3
σX
µY
σY
0.335
0.00243
0.161
y0
Ci
Cj
160
150
150
ρ
0.349
資
600
産
過
程
Y 400
IFRS
日本会計基準
200
0
800
0
300
600
900 1,200
資産過程
X
800
資
600
産
過
400
程
Y
資
600
産
過
程
Y 400
IFRS
日本会計基準
200
0
資産 X:40% の場合
800
表 1. パラメータ
IFRS
1,500 1,800
資産 X:60% の場合
日本会計基準
200
0
300
600
900
資産過程X
1,200
0
1,500
図 1. 各基準の買収閾値
300
600
900 1,200
資産過程
X
1,500 1,800
図 2. 資産 X0 と Y0 の所有割合による買収閾値
3. 数値実験
企業 i の行動に関して,式 (7) からベルマンの最適性原
理と伊藤の補題により以下の最適制御条件が得られる;
1 2 ∂ 2 Fi 2 1 2 ∂ 2 Fi 2
∂Fi
σ
X + σY
Y + µX
X − rFi
2 X ∂X 2
2
∂X
∂Y 2
∂Fi
∂ 2 Fi
+µY
Y + ρσX σY
XY = 0.
∂Y
∂X∂Y
0
(12)
この (12) 式と境界条件より有限差分法を用いて最適買収
0.84
0.82
配
分 0.80
0.78
0.76
0.74
0.4
日本会計基準
IFRS
0.5
0.6
資産Yの割合
0.7
0.8
図 3. 資産 X0 と Y0 の所有割合による配分割合 sj
閾値を数値的に求める.また,企業 j の行動に関して,(8)
式から企業 i の時と同様にして企業 j の最適制御条件を
得る.企業 i の待機領域に相当する領域はこの最適制御
3.2. 所有資産による影響
図 2 からは資産 Y0 の割合が減少するほど買収されにく
条件からオプション価値を,買収領域に相当する領域に
くなることがわかる.これは資産 Y0 の保有割合が少ない
は買収行動による価値を算出する.得られた価値,Fj が
ほど買収することの価値が減少するためだと考えられる.
最大となるときの配分 sj を黄金分割法により算出する.
なお,IFRS 適用時にも同じ傾向がみられるが,これは成
1
なお,パラメータ は表 1 に示す通りである.
3.1. 結果
数値実験の結果,被買収企業 j の配分 sj は日本会計基
準,IFRS でそれぞれ 0.76, 0.74 となる.日本会計基準時
の方が配分割合が高いという結果は,買収されるリスク
をヘッジするため,高い配分割合を要求していると考え
られる.また,図 1 より,IFRS の適用により,Xt の保
長率,ボラティリティによる影響と考えられる.実際に
日本会計基準の方が買収領域の減少が著しい.
また,図 3 より,企業の資産が Y0 を多くしめるほど配
分 sj は高くなることがわかる.これは資産 Y0 を多くし
める企業は買収に対するリスクをヘッジしようとするた
めであると考えられる.
4. おわりに
有割合が多い領域では買収が起こりやすくなり,Yt の保
本研究では企業の敵対的買収行動をモデル化し,IFRS
有割合が多い領域については買収が起こりにくくなって
の適用による影響を分析した.結果として,日本会計基準
いることが分かる.このことから,日本会計基準により
において簿価評価されていた資産をより多く持つ企業は
簿価評価されていた資産をより多く持つ企業は,IFRS 適
IFRS 適用により買収されにくくなるということが分った.
用により買収されにくくなるということが言える.なお,
今後の課題としては原資産過程の精緻化,複数の買収
Xt の保有割合が多い領域で買収が起こりやすくなったの
企業の考慮,敵対的買収に対する防衛策の考慮などが挙
は,Yt が時価評価されたことにより,相対的に Xt の買
げられる.
収価値が上昇したためであると考えられる.
参考文献
[1] Lambrecht-Bart, M.: “The timing and terms of merg-
1 本研究では,資産過程
Xt のパラメータは阪神電気鉄道の株価
データから,資産過程 Yt については大阪の商業地,角田町の公示
地価から最尤推定を用いて算出している
ers motivated by economies of scale,” Journal of Financial Economics, Vol.72, pp.41–62 (2004)