第五拾号 宝珠花

第五拾号
宝珠花
明治大学体育会航空部
第五拾号
宝珠花
目次
巻頭言
部長 小林 健一
・・・2
監督挨拶
監督 折原 正規
・・・3
2014 年度主将挨拶
田原 源樹
・・・4
2015 年度主将挨拶
和田のどか
・・・5
2014 年度活動報告
田原 源樹
・・・6
関東大会報告
野原 芳治
・・・12
全国大会報告
信田 昌人
・・・14
一年生企画
2014 年度新入生
・・・16
一年生挨拶
2014 年度新入生
・・・19
OG 寄稿
高橋 萌子
・・・27
編集後記
津山 雅彦
1
・・・28
巻頭言
オートマチック
vs
マニュアル
部長 小林健一
最近、
自動車の自動運転が新聞やニュース、自動車会社のコマーシャルで話題になります。
IT 企業が自動で運転できる自動車を開発中だとか、ぶつからない自動車だとか。昨年末に
は明治大学の生田キャンパスにて、学生に自動車に興味を持ってもらおうと、自動車メーカ
ーによるぶつからない自動車のデモ・試乗・社長の講演会がおこなわれ、たいへん盛況でし
た。以前は一晩中車を運転していても楽しかったものですが、最近は自分の判断能力にすっ
かり自信を無くし運転がおっくうになり、ある程度自動で運転してくれる安全装備の整った
自動車が気になりだしました。
制御についてちょっと考えればわかることですが、
自動運転にとって歩行者に限らず運転
する人間すらも邪魔ものです。すべての移動体がお互いに通信しながら制御されていれば、
交通事故や渋滞は発生しないことでしょう。移動することを目的とした場合、個々の移動体
に操縦者は果たして必要なのでしょうか。
一方で、
自動車を楽しみの対象と感じるのは運転者の意思で自由に動かせるからだと思い
ます。ちょっと頑張って運転をしているときに、最近の車(軽自動車でも)は ABS に頼って
ガツンとブレーキを踏みスタビリティコントロールに頼ってハンドルを切れば効率よくコ
ーナーを立ち上がっていきます。スピードと横 G の爽快感は味わえますが、逆に速度が高い
だけに制御が破たんしたらどうなるだろうと恐ろしくさえあります。
限界の低い昔の車に乗
ると、コーナー入口で限界を探りながらブレーキを注意深く踏んだり、滑るタイヤにハラハ
ラしながらアクセルを踏んだりといった、操縦する楽しみにあふれています。
移動手段としての飛行機に操縦者が乗っていることは、いつまで続くのでしょうか。悲し
いことですが戦場では無人攻撃機が実用化されています。鉄道もしかり。多くの人命を乗せ
た乗り物の操縦は、これからますます自動化されていくのではないでしょうか。
そこへいくと、自家用操縦士には、いろいろな操作を自分の責任でおこなう多くの裁量が
許されているようです。グライダーの飛び方を説明していただいたときに、赤外線カメラで
地表温度を観測しながら飛べばよいのにとも思いもしましたが、
気流を体で感じて操縦する
楽しみを取ってしまってはいけないのでしょう。
さて、明治大学体育会航空部は今年から日本学生航空連盟へ加入し、12 月の関東学生競
技会、3 月の全日本学生競技選手権大会(インカレにあたるようです)への出場を果たし、
敢闘賞をいただきました。OB・OG の皆様のご理解とサポートのおかげで、活動の場が広が
り、支える環境も整いつつあります。『安全』を怠ることなく、皆さんのよりいっそうの活
躍を期待しております。
2
監督挨拶
準備完了
監督 折原 正規
2014年度は明治大学体育会航空部の永い歴史の中でも大きく変化した年となりまし
た。
といいいますのも、昨年の宝珠花には「活動が順調で伸びていく期間はほんの僅かのきっ
かけで長くはつづいていられないということになってしまいました。
」と少し悲観的な事を
書きましたが、どうして、どうして14年度は今後大きく飛躍するための準備の年になった
なとの気がします。
その理由として昨年来懸案だったウインチの整備がようやく整い、
4月には2機目の複座
機を導入することが出来、またこれも長い間の課題でありました公益財団法人「日本学生航
空連盟」に加入させていただき(加入に際しましては連盟の多くの方々に温かく向かいいれ
ていただきました。この場を借りまして心よりお礼申し上げます。) また、1年生が11
名も入部してくれ部員数が増えたことにより部内の士気の上がった新年度になり、以降徐々
にではありますが順調に安定した訓練を行うことが出来るようになりました。
そして、
9月には恒例の六大学戦も他大学に支えていただきながら主幹校として無事務め
させていただいたところです。 そして、例年だと競技会はこれで終わりでしたが、学連に
加盟させていただいたことにより、
12月には関東学生グライダー競技会に初めて参加させ
ていただき、更に選手達が頑張って全国大会への出場権を獲得できたことで、下級生達のモ
チベーションも大いにもろ上がると共に今まで貢献することのできなかった、大学に対して
もこれからは徐々にですが貢献していける足掛かりを作ることができたことで、
これからの
部活動を更にレベルアップさせる為の準備が整ったと思います。
今後も、
安全第一を念頭に訓練を行ってまいりますので皆様のより一層のご支援を賜りま
すよう、よろしくお願いいたします。
最後にこの一年間の活動を行うにあたりまして、小林部長先生はじめ幡谷前 OB 会会長、
森島 OB 会会長、木谷幹事長、OB の皆様、教官、運航管理者の皆様のご協力とご尽力に感
謝申し上げます。
3
2014 年度主将挨拶
初心回帰
2014 年度 主将 田原源騎
航空部を卒業し、数か月が経ちました。思い返せば航空部での活動こそが僕の大学生活で
あったと言っても決して過言ではないと思います。毎週末、春日部の駅に向かい、バスに乗
る。そしてガソリンスタンドの向こうに見えてくる土手。この光景を見て、下級生の頃は帰
りたい、どこかへ遊びに行きたいと思ったことが何度もありました。しかしながら、宝珠花
へ行くことが必須ではなくなった今となっては、さみしい気持ちで週末を過ごしています。
4 年間という歳月が宝珠花での活動を生活の一部に変えてしまったからです。
僕たちの過ごした 4 年間は本当に多くの出来事がありました。ウィンチのエンジンの乗せ
替え、シャフトをはじめとする大規模な修理。ASK21 のオーバーホール。複座機 TWIN-Ⅱや
DG101 の導入。東京六大学対抗グライダー競技会の主幹校。日本学生航空連盟への加盟。関
東大会や全国大会への参加とそこでの初得点。本当にたくさんの貴重な経験をさせて頂きま
した。
多くの事がありましたが、
全て周囲の皆様に支えて頂いたからこそと思っております。
航空部での活動は、つらい、しんどい事の方が圧倒的に多いと思います。しかしながらそ
の全てがあなたたちを大きく成長させてくれます。新歓フライトで新入生に「あなたたちを
4 年間で一回り大きく成長させます。僕についてきてくれませんか。
」と言った内容の事を
話した記憶があります。僕が下級生にそのようにできたかと自己採点をしてみれば、あまり
自信はありません。ただ、航空部での 4 年間で少なくとも僕は大切な何かを学べたと思って
います。人生最後の「青春」を謳歌してください。
幸いなことに、新機体の増加やウィンチの状態の安定化により、現在は訓練が滞ることな
く行われています。何か新しい事に手を出す事も良いですが、いつもの当たり前の訓練を
着々とこなしていくことが一番大切なことだと僕は思っています。部員や機体数の増加、あ
るいは学生連盟への加盟等で、僕らの入部当初よりも格段に仕事が増えたと思っています。
大変かと思いますが、部員一丸となり、乗り越えていって欲しいと思います。
この 4 年間、大きな事故が無く終わることが出来ました。事故は忘れた頃にやってくると
いう言葉がありますが、無事故の今こそ、事故の恐ろしさを知らねばならないと思います。
先日、
「宝珠花滑空場開場 50 周年記念号」を読み直しました。学ぶべき事が数多く記載さ
れています。現役生には是非もう一度読み直してもらいたいです。
最後になりますが、
お世話になった教官や諸先輩方、
後輩には同期一同を代表致しまして、
御礼申し上げます。
それでは、また宝珠花で。
4
2015 年度主将挨拶
光芒の空
2015 年度 主将 和田のどか
ついこの間入部したと思っていたら、いつの間にか主将になり、引退の足音も近付いてき
ました。長かったように思えて、やはりあっという間に過ぎてしまう大学生活。特に最終学
年となった今はやることが次から次へとやってきて、1 日が本当に短く感じられます。
私が部活動をしているたった 4 年間(正確には、まだ経っていないですが)でさえ、航空
部の歴史は目まぐるしく変わっていきました。下級生のころは来る日も来る日もウィンチト
ラブルで整備に追われ、飛べない日が多く続きました。その整備のおかげがあってようやく
トラブルも減り、訓練が徐々に出来るようになると今度は状況がガラリと変わり、学連加盟
に TWIN-Ⅱ導入。どれも直接私がやりとげた偉業ではありません。先輩方が苦労している様
子を傍で見ていて、いつも頭が上がらない思いでした。
現在の私の代では 1 日 40 発以上と目標を掲げて訓練を行っています。やはり上記のよう
な長く飛べない時期を経験した自分は、本当に今“普通に”空を飛べる幸せを噛みしめてい
ます。それは曇天の中に咲く光芒のようです。きっと今の 2 年より下の子たちの代は、自分
たちが普通に飛べるのを当たり前だと思っていますが、それが真に当たり前となるよう、私
たちの代でレールを敷いていかないといけません。
それにはまだ不安要素の残るウィンチの
ことや、4 機運営の効率のいい方法など、もっと考えるべきところがたくさんあります。こ
の最後の 1 年間で後悔のないよう、日々の訓練を大切にしたいです。
また昨年度から学連に加盟したことに関連して現在自分は、学連加盟の主将が集まるミー
ティングに明治大学の最初の代として毎月参加しています。
やはり我々として妻沼は未知の
エリアでしたが、それはお互いさまのようで、情報交換をよくしています。空を愛す同世代
として、彼らと話し合える機会が多いのはやはり刺激がありますし、視野も広がりました。
その交流の中で、
「明治は全て自分たちで滑空場や機体や宿舎をもっていて、大変そうだけ
れどとても羨ましい。
」とよく言われます。大会に出ていく上でも、他大を気にせずいつで
も訓練が行えるというのは大きなアドバンテージですし、明治の誇りです。学連加盟により
他大の同期と交流できるからこそ、彼らと大会に出場したい、負けていられないという気持
ちが強くなります。
私が 1 年生の時、団体で勝ちたいという旨をここの挨拶に書かせて頂きました。機体数、
訓練日数、発数、大会…ともに増えた今、夢物語で終わらせるわけにはいきません。雲から
差し込む光に導かれるよう、また自身もその光となれるよう、より高い意志を持ってフライ
トに臨みたいです。
5
2014 年度活動報告
2014 年度主将 4 年 田原源騎
1.1 構成
部長
小林 健一
(理工学部 准教授)
監督
折原 正規
(昭和 51 年度卒)
教官
内海 敬三
(昭和 44 年度卒)
整備教官
山城 宏一
(昭和 44 年度卒)
教官
斉藤 賢一
(昭和 45 年度卒)
教官
堀内 繁
(昭和 46 年度卒)
教官
戸川 兼一
(昭和 47 年度卒)
教官
内田 敏仁
(昭和 52 年度卒)
教官
遠山 宣幸
(昭和 53 年度卒)
教官
黒川 弘薫
(平成 5 年度卒)
教官
原田 幸郎
(平成 6 年度卒)
教官
田村 優
(平成 19 年度卒)
教官
伊澤 諒
(平成 22 年度卒)
教官
岩崎 竜平
(平成 23 年度卒)
教官
株木 達郎
(平成 25 年度卒)
学年
役職
氏名
所属学部
4年
主将
田原 源騎
農学部農芸化学科
(9 名)
主務
山邊 真悟
理工学部応用化学科
自動車班長
茂木 賢人
理工学部機械工学科
機材班長
信田 昌人
理工学部機械工学科
会計
山本 貴也
理工学部機械工学科
野原 芳治
理工学部情報科学科
五十嵐 麻莉恵
理工学部機械工学科
秀島 裕太郎
理工学部情報科学科
村瀬 和樹
理工学部機械工学科
3年
鈴木 貴大
理工学部機械工学科
(7 名)
田中 理紗子
理工学部機械工学科
中林 和希
情報コミュニケーション学部
福山 周
法学部法律学科
6
和田 のどか
農学部農学科
吉野 尚之
法学部法律学科
鳥居 祐太
政治経済学部政治学科
2年
堀内 朝司
法学部法律学科
(2 名)
岡見 陽介
国際日本学部
1年
渡邊 拓哉
法学部法律学科
(11 名)
桐澤 吹風
理工学部機械工学科
津山 雅彦
理工学部情報科学科
岩村 敏久
法学部法律学科
池谷 敬
経営学部経営学科
西野 秀一
理工学部機械工学科
山口 哲史
理工学部建築学科
中里 亮祐
政治経済学部政治学科
佐藤 亮太
理工学部機械工学科
佐藤 諒太
農学部農学科
原田 佑眞
政治経済学部政治学科
1.2 活動日数
2014 年度
14
12
10
(日)
8
6
4
2
0
12
月
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
10
月
11
月
中止数
3
2
6
6
2
1
6
3
4
0
6
1
実施数
6
3
0
7
6
8
1
4
6
4
2
5
7
2013 年度(比較用)
16
14
12
10
(日)
8
6
4
2
0
12
月
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
10
月
11
月
中止数
4
0
7
11
3
2
4
0
3
0
4
5
実施数
7
2
0
3
5
6
4
2
11
3
4
3
FLT 計画日
数
実施日数
中止日数
整備日数
実活動日数
2014 年度
93 日
54 日
39 日
30 日
84 日
2013 年度
93 日
52 日
43 日
29 日
79 日
2014-2013
-
+2 日
-4 日
+1 日
+5 日
1.3 発数とフライト時間
(1) 発数
2014 年度
300
250
200
(発)
150
100
50
0
12
10
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
月
月
11
月
DG101
0
0
0
1
3
3
0
0
1
10
7
29
TWIN-Ⅱ
0
0
0
0
2
47
0
0
52
55
16
26
ASK23
23
5
0
18
23
53
0
0
23
63
7
26
ASK21
51
22
0
104 109 164
2
67 109 59
39
70
8
2011 年度(比較用)
300
250
200
(発) 150
100
50
0
12
月
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
ASK23 31
2
0
17
20
ASK21 74
38
0
64
85
7
10
月
11
月
21
6
63
49
19
1
101 89
53
183 41
39
25
ASK21
ASK23
TWIN-II
総発数
平均発数
2014 年年度
796 発
241 発
198 発
1235 発
22.9 発/日
2013 年年度
792 発
236 発
--- 発
1028 発
20.6 発/日
2014-2013
+4 発
+5 発
+198 発
+207 発
+2.3 発/日
(2) フライト時間
2014 年度
3500
3000
2500
(分)
2000
1500
1000
500
0
12
10
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
月
月
DG101
TWIN-Ⅱ
0
4
11
月
6
81 227
0
0
236 58 425
0
105 398
0
0
373 404 92 168
0
896 1291 108 222
0
0
ASK23
255 78
0
192 801 1059 0
ASK21
480 301
0
927 981 1552 12 694 849 633 289 545
9
2013 年度(比較用)
2500
2000
1500
(発)
1000
500
0
12
月
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
10
月
11
月
8
ASK23 322 78
0
135 112 72 139 50 857 1309 146
ASK21 655 392
0
532 676 883 689 344 1430 258 267 261
ASK21
ASK23
TWIN-II
総飛行時間
2014 年
119 時間 09 分
67 時間 10 分
25 時間 24 分
211 時間 43 分
2013 年
106 時間 27 分
53 時間 22 分
--時間—分
160 時間 15 分
2012-2011
+12 時間 42 分
+13 時間 48 分
+25 時間 24 分
+51 時間 28 分
10
1.4 2014 年度活動報告
活動全般
ⅰ)今年度のフライト合宿日数は合計 54 日であった。
ⅱ)飛行機曳航によるフライト合宿は 5 日であった。
ⅲ)第 17 回東京六大学対抗グライダー競技会が、明治大学主幹校の下,9 月 7 日から 14 日
の日程で開催された.
(詳細は第 5 章を参照のこと)
ⅳ)2013 年 3 月末までは、宝珠花滑空場の土手拡幅の河川工事により訓練に影響が出ること
があった。
ⅴ)今年は 4 月の時点で1年生が 9 名入部したが、その後徐々に増え、現在では 11 名が在籍
している。
ⅵ)4 月 1 日から、日本学生航空連盟に加盟した。
2014 年度の目標「飛べていない代、フライトの質を高める」
今の 4 年生から 2 年生は、度重なるウインチのトラブルや整備、また ASK21 のオーバー
ホールにより、歴代の先輩方と比較すると飛べていない代だと考える。しかし、TWIN-Ⅱの
導入やウインチトラブルの解消により後半からは発数が回復した。フライトシミュレーター
やフライト動画活用により、1 発の質を高めるように意識した。新入生勧誘時にも、なんと
なくイメージしにくい、航空部の活動を理解してもらうために、フライトシミュレーターを
勧誘場所に持ち込んだりしたことは、今回の新勧活動成功の大きな要因ではないであろうか。
日本学生航空連盟加盟
2014 年 4 月より、日本学生航空連盟に加盟した。これにより、本年度主幹校を務めた東
京六大学対抗グライダー競技会の運営を例年よりスムーズに行うことが出来たと考える。
ま
た、月例の会議に参加することにより、宝珠花と妻沼という異なった地で活動する学生間に
交流が生まれた。
運営会議の実施
監督と部員の意思疎通をより一層図るため、運営会議と呼ばれるものを定期的に開催した。
訓練運営上の問題点や養成計画の定期的な見直し、発数や飛航時間の確認、会計面では部費
の回収状況確認や収支発表を行った。非常に実りある会議であったが、教官、OB への報告
を行っていなかった点が問題かと考えており、会議内容を報告するようにしていきたいと考
えている。
11
第30回
関東学生グライダー競技会報告
2014年度卒 野原芳治
1.競技会概要
開催期間: 12月17(水)~12月23(火)
参加チーム:16チーム(10大学)
出場校 選手数 使用機体(パンフレット記載順):
明治大学(2名 DG-101G)
慶應義塾大学(8名 Discus-b 2機)
早稲田大学(9名 Ls4-b ASK23-B) 東海大学(1 名 Ka 6CR )
日本大学 (7名 LS8-18 ASK23-B) 東北大学(2名 ASK21)
東京大学 4名(ASW24 SZD51-1 junior) 法政大学 (4名 Discus-b ASK23-B)
青山学院大学 5名 (Discus-b ASK23-B) 学習院大学 1名(SZD51-1junior)
競技タスク:24km 周回コース (妻沼・千代田・給水塔)
2.競技記録
チーム成績
個人成績
優勝 東大24 3156
優勝 森本将崇 東京大学 2451
準優勝 日本大学 A 2965
準優勝 畠田康司 日本大学 2283
第3位 慶應 Discus 2522
第3位 青池秀人 慶應義塾 1752
第4位 明治 2003
第4位 太田篤 早稲田大学 1694
第5位 早稲田23 1894
第5位 野原芳治 明治大学 1653
第6位 慶應 YS 1675
第6位 栗野翔太 慶應義塾 1044
第 23 位 信田昌人 明治大学 350
3.競技会報告
第30回関東学生グライダー競技会が公益財団法人 日本学生航空連盟 主催の下、12月
17(水)~23(火)までの7日間、埼玉県熊谷市の妻沼滑空場にて開催された。明治大学は今年か
ら日本学生航空連盟に加盟し、本大会に初出場した。
明治大学は、DG101G で信田昌人と野原芳治2名が出場した。例年関東大会では、気象条件
があまりよくなく、得点者がいない年もいると聞いていたが、今年は晴れて条件の良い日も
あった。
競技初日、2日目は強風のため、ノーコンテスト。競技3日目は風が穏やかでお昼頃から条件が
出始め、
夕方になるにつれて条件がだんだんとよくなった。ほとんどの選手が得点をする中、
信田がワンポイント。野原はデイリーを達成した。競技4日目、前日から雨予報がでていて
12
競技は曇天の中行われた。お昼頃に一瞬晴れ間が見えたが、条件はあがらず、得点する機体
はいなかった。競技5日目 、前日に引き続き曇り空の中競技が行われた。夕方に晴れ、最後
に4機ほど(信田含む)が滞空をしたが、得点にはならなかった。競技6日目は上空に寒気が
入り込んでいて、気圧配置は西高東低だった。この日は風が強く条件もあり、選手の技量の
差が如実に現れた1日で悔しくも明治大学は得点できなかった。最終日も前日と同様で上空
に寒気が入り込んでいて、気圧配置は西高東低、風も10m/s ほど吹いていましたが、前日の
反省を生かし野原が周回をした。技量の上達を日に日に感じたが、他大学に一歩届かず、明
治大学は団体4位となった。
4.反省
まず、機体数に苦労した。6大戦と違い、関東大会は最大で16機が滞空する場面があり。
他機の警戒にかなり神経を使ってしまう。他大学は妻沼での合同訓練などで、こういった場
面になれていたが、私達は慣れていなかった。明治にも機体が4機あるので、これを機会に4
機の運用をしていってほしい。
次に GPS の運用が他大学に比べ劣っていた。他大学は GPS を巧みに使い、空域違反の減点
を極力減らしていた。普段から GPS を使用して訓練をできるように、後輩には指導を行いた
いと思う。
また、一番の問題は選手数とクルー数の少なさであった。本大会は授業実施期間に設けら
れていて、6大戦と違いクルーが集まらなかった。競技日にいる人数は選手とクルーを含め
て4人や3人等といった日が多く、とてもフライトに集中できるとはいえなかった。他大学は
選手数がとても多く、クルー全員が選手という大学もあった。選手数が多いというのは得点
の面だけではなく、なにかとそういった面でも有利となるので、明治にもたくさんの選手が
必要である。
5.来年に向けて
関東大会は1チーム選手5名までで、2チームまで出場することができる。1チームで2機を
6大戦のように使用することはできないので、2チームで出場を目指すべきである。そのた
めには、やはりたくさんの選手が必要となってくる。TwinⅡが導入され発数の問題も改善さ
れてきており、今の2年生などはもうすでに60発も飛んでいたりする。これを機にライセン
スを早期取得して、どんどん大会に出場していってほしい。
他大学では複座機を用いての大会練習を頻繁に行っている。今まで明治では ASK21しかな
かったのでそこまでの余裕はなかったが、今後そういった練習もしていかなければならない。
13
全日本学生グライダー選手権大会を終えて
2014 年度卒 信田昌人
1. 競技会概要
【大会日程】
2015 年 2 月 27 日 12 時 (集合日)
2 月 28 日
(技量認定日)
3月 1日
(開会式&競技)
3 月 2 日~8 日 (競 技)
【開催地】
埼玉県熊谷市葛和田 日本学生航空連盟 妻沼滑空場
【出場校】
14 大学
18 チーム 45 選手
明治大学(DG101‐2 人)
、法政大学(ASK23-2 人)
、名古屋工業大学(ASK23-1 人)
関東関大(ASK23-2 人)
、京都大学(Discus-2 人)
、同志社大学(ASW28-1 人)
名古屋大学 Discus(Discus-2 人)、名古屋大学 23(ASK23-3 人)
早稲田大学 LS(LS-4‐3 人)
、早稲田大学 23(ASK23‐3 人)
東京大学 24(ASW24-2 人)
、東京大学 Jr.(SZD-51-1-3 人)
青山学院大学 Discus(Discus-3 人)
、青山学院大学 23(ASK23-3 人)
日本大学 A(LS-8-3 人)
、日本大学 B(ASK23-3 人)
慶応義塾大学 Discus(Discus-3 人)
、慶応義塾大学 YS(Discus-3 人)
2. 競技記録
<個人総合得点>
1 位 栗野翔太(慶應 Discus)
2121 点
2 位 長田一槻(青山 Discus)
1882 点
3 位 安達拓人(早稲田 23)
1842 点
34 位 野原芳治(明治
DG101)
682 点
36 位 信田昌人(明治
DG101)
574 点
<団体総合得点>
1 位 慶應 Discus チーム
4710 点
2 位 早稲田 LS チーム
3646 点
3 位 日本大学 A チーム
3606 点
15 位 明治チーム
1256 点
14
3. 競技会報告・反省
明治大学体育会航空部の初出場となる全日本学生グライダー選手権大会は強風で 10m/s 以
上の風が吹き荒れる中での競技もあり、技量の差が現れる大会であった。
大会が動いた DAY2 では、終日風が強く北風 330 度~30 度、常時、8~9m、時折 11~12m の
風が吹き荒れるなかの競技となりました。上空は一切の雲がなくブルーでしたが、慶応、京
大、青山の Discus が周回を達成した。
DAY4 では 12 時半から競技開始となり、
最後の 15 時~15 時 30 分にかけて条件が爆発し青
山 23、東大 Jr.、慶應ディスカス、名古屋 23 が周回を達成したが、その時間で信田も離陸
するもヒューズ切れでチャンスを潰す結果となった。強風時での離陸に慣れていなかったこ
とも原因の 1 つであるが、上昇角をきつく取りすぎたこともあり、技量の無さが大きく出た
と反省しなければならないと感じた。
DAY5 では発航スタンバイがかかるほどの強風が吹くなか、条件はかなり出ていた。
発航するタイミングで周回する機体と着陸する機体で別れ時間とともに条件が変化し序盤
は苦戦を強いられました。最後の発航で離脱付近の上昇気流をつかめたことが周回に響き、
運も味方してくれたフライトとなったがガイドライン高度による減点と前日の上昇角過大
のよる減点で 200 点の減点があったため信田が翌競技日の出場停止処分となった。
DAY6 では風も穏やかで、条件もあり多くの選手が周回致しました。野原も周回でき、ほ
かにも 23 名の方が周回し、出場停止が大きく点差を開く原因となった。以降は曇天、雨で
競技は動かず閉会式を迎え、事故もなく無事大会は終了した。
大会を終えて感じたのは自分の順番が与えられていることに責任を持つことである。
自分
のミスが点に大きく響き、チームにも多大な迷惑をかけるからである。そうならないために
日々のフライトに取り組む姿勢を意識しなくてはならない。
その 1 発で自分は何が苦手で何
を学べているのかとにかく思考しながら飛ばないと、他の練習生のフライトまで奪って飛ん
でいるのだから申し訳ない。
だからこそ日々の 1 発 1 発がいかに大切かをこれからの選手と
なる後輩達は考えていって欲しい。大会で恥をかかないためにも。
15
一年生企画
我々の目に映る宝珠花
池谷 敬・岩村 敏久・佐藤 亮太・佐藤 諒太
津山 雅彦・西野 秀一・原田 佑眞・山口 哲史
渡邊 拓哉
池谷 敬
満面の笑みをたたえる二人、全国大会での
一コマです。戯れ方はどうであれ学連に加盟
した今年、他大学との交流がとっても多い 1
年間になりました。試合で見る様々な機体、
多くの選手、自分も試合に出てみたいという
思いが訓練の良いモチベーションになって
います。
岩村 敏久
朝の宝珠花滑空場の様子です。特に冬場
の朝の準備では気温がとても低く、辛い場
面も多々ありますが、このような場面を見
ると訓練に対する活力が生まれてきます。
気持ちの切り替えなども大切にしていきた
いと思います。
16
佐藤 亮太
twinⅡの撤収時の画像です。後輩が入っ
てきたら他の機体に搭乗することになるの
ですが、それも少し寂しい気がします。
佐藤 諒太
土手に向く Twin-Ⅱは朝の待機中。風を向
けば今日も万全準備良し!
津山 雅彦
宝珠花橋を背にたそがれる、Twin-Ⅱを描
きました。こだわりは、白黒でも、青と赤
で Twin-Ⅱが塗装されているのが分かるよ
うにしたことです。背景はあまり意識され
ないように、しっかりとは書きませんでし
た。(アングル的にもおかしいですしね)
西野 秀一
部車の中で一番のお気に入りがこのレガシ
ィです。高級感があり、静かで乗り心地も良
く、4WD のため走破性も抜群です。馬力も大
きく、運転していて楽しい車です。
惜しむらくは音がつまらないことで、スバル
の水平対向ならではのボクサーサウンドを期
待すると少々がっかりさせられます。
17
原田 佑眞
初挑戦となる鉛筆画での風景画です。
グライダーが飛んでるので本来であれば
時は昼間のはずなのですが、頭の中での
イメージでは月夜でした。地表の蟻から
大空を見上げた虫瞰図を、魚眼レンズを
通したようにあえて中心に月を据えて歪
んで描いています。
山口 哲史
我々も 2 年になり、新入生を、勧誘しました。
1 年前には、僕等も同じだったんだと思うと感
慨深いですね。
渡邊 拓哉
私が初めてグライダーに乗った時の写
真です。とても天気がよく、清々しい気
分だったことを覚えています。今ではす
っかり日常になってしまった宝珠花上空
の光景ですが、この時のフライトは私の
中で一生忘れられない思い出の一つで
す。
18
1年挨拶
「航空部に入部して」
池谷 敬
生きていると“その時”を逃したらもうめぐり合うことはできない機会に遭遇すること
がある。20世紀から21世紀へと変わる節目(当時は5歳であったが、私はなんだかそわ
そわした、とくに何かが変わったわけではなかったけど)、今回の次は数百年後にしか発生
しない天体ショー(結局眠ってしまったり、当日が曇りだったりして実際に見たことはほと
んどないが)
、日本初公開の展覧会やドキュメンタリー番組、そのような機会が訪れるたび
に私は、体験しておかなくては、逃したくないな、という気持ちになる。
学生生活での部活動も似たような感情で決定されてきた気がする。
「きっと今やってみな
いとこの先挑戦することはないだろうな」という考えが、それまで関心すら持たなかったス
ポーツに私の目を向けさせる。航空部の存在を知ったとき、
「これが一番刺激的な体験に違
いない」と分かった。以前から飛行機に特別興味があったわけではない。飛行機で飛ぶこと
に対して多少の憧れはあったが、自ら進んで乗ってみることはしなかった(航空部に入るま
では飛行機に乗ったのは乳児の時の一度きりである)。けれども、航空部に入れば目が悪く
てもパイロットになれるし、
グライダーという航空機を自分で操縦することができるという
ことは魅力的であり、入部をためらう必要はなかった。
航空部に入部して 1 年が経つ。改めて振り返ってみると、自分自身が変わったことに気が
付く。上昇中に空しか見えていなかったのが、角度や速度に気を付けるようになった。気流
に揺さぶられても以前はただ驚くばかりであったが、いまでは上昇気流があるかもしれない
と予想する。飛行中に下を見るのは嫌だったが、パス角を見定めるために地上のピストを見
て考えることが当たり前になった。
どれもグライダーの訓練でしか経験しえないことである
し、未知の世界に慣れていくことで多くのことを知ることができた。
この 1 年で多くのことを学んだが、操縦の不正確な部分や風向きを考慮したフライトなど
改善していかなくてはいけない点は多い。ソロに出るためにも安全で安定したフライトをで
きるようにならなくてはならない。
ライセンスを取ってからグライダーの本当の楽しさがわ
かると聞いている。今は早くライセンスが取れるように技量を伸ばしたい。ライセンスを取
ることができれば大会に出場できる。大会で飛ぶ先輩を見ると自分も選手として参加したい
と強く思うし、優勝争いをしてみたい。しかし、それ以上に興味があるのは FAI 国際滑空記
章の銀章である。銀章をとるには獲得高度 1000m、⒌時間以上の滞空、50km の距離飛行、を
行わなくてはならない。困難な目標ではあるが、自然を相手に自分の技量と知識で飛行する
グライダーにとって、
人と競うよりも自分がどこまでできるのかに挑戦するほうがより多く
の楽しさを発見できる気がする。私は在学中の銀章取得を最終目標に頑張っていきたい。
19
岩村 敏久
法学部法律学科所属の岩村敏久と申します。私が航空部に入部しようと考えた理由は、大
学に入学したら何か新しいことを始めたいと考えていたからです。大学入学前は何かやりが
いのあることをしたいとは考えていたものの、特に具体的なことを決めていたわけではあり
ませんでした。そんな中、新入生の勧誘をしていた数ある団体の中で私がその活動に興味を
持ったのが航空部でした。もともと飛行機が好きだったのですが、大学に入学するまでグラ
イダーという乗り物があるということを知らなかったので、すぐに興味がわきました。新歓
フライトで初めてグライダーに乗って空を飛んだ時は少し怖さも感じましたが、
普段はなか
なか見ることができない空の上からの景色にとても感動しました。さらに、自分の力で操縦
して自在に飛ぶことができたらどんなに楽しいだろうと思いました。
私はこの新歓フライト
がきっかけで最終的に入部を決意しました。
この一年の活動の中で感じていることは、
まずグライダーを飛ばすためには多くの人の手
が必要であるということです。グライダーを操縦するパイロットや地上クルー、ピストマン
やウィンチマンなど、多くの重要な役割があり、かつ円滑な発航のためにはそれぞれの連携
がしっかりとなされていなければなりません。私も地上作業を少しずつ覚えてきましたが、
自分の仕事に手一杯になるのではなく、円滑な訓練のためにどう動くべきなのか、広い視野
を持って訓練に臨むことが必要であると考えています。
また、基本的に訓練を行うのは毎週土曜日と日曜日の二日間なので、限られた日数の中で
どれだけ有意義なフライトにできるかということが大事であると実感しています。天候に左
右される部分が大きく、必ずしも毎週訓練を行える保障がない以上、この点は非常に大切で
あると思います。
入部から約一年が経過しましたが、
私のグライダーの操縦技量にはまだまだ未熟な部分が
多く、難しさを実感しています。しかし、だからこそ四年間の学生生活で打ち込む価値があ
ると考えています。私はライセンスを取ることを最終的な目標にしていますが、そこに至る
ために必要なステップを確実にクリアしていけるようにしたいと思います。
また代交代によ
り、
私は二年となり、
今まで先輩方から教えて頂いたことを一年生に教える立場になります。
上級生としての自覚を持ちつつ、
航空部の一部員として訓練などでしっかり貢献できるよう
にしていきたいと考えている。
佐藤 亮太
私が明治大学航空部に入ったきっかけは体験フライトの時だ。グライダーが着陸する瞬間、
私はとても興奮していた。
グライダーとは言え飛行機の着陸をあんなに近くで見られること
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などめったにない。
また私が体験搭乗に来た日はたまたまグライダーのタイヤの不調が起き
てしまい、先輩方が一生懸命、手を真っ黒にして修理を行っていた。そんな先輩方の姿はと
てもかっこよく、憧れてしまった。搭乗自体もとても楽しく、航空部に入ればこんなことが
毎週できるのかと思い入部を決めた。即決だった。ビンゴ大会でブランド物のサングラスを
貰ったこともあるが・・・。
しかしいざ入部すると部活は大変であった。毎週金曜日授業が終わると宝珠花に向かい、
土曜日、日曜日は部活。そして次の日は大学で授業がある。夏は炎天下の中の草刈。一日中
草を刈っていたこともよくあり、近所の方に「君たちは草刈部なのか?」と冗談で言われた
こともある。航空部である。そして冬は冷たい風の吹く中の作業。機体は霜が降り、その霜
を素手で取らなければならない。手はかじかんで動かなくなる。つらい。こんなことがあと
3年続くのかと思うと辞めたくなる時もあった。
しかし今までつらいことばかり挙げてきた
が、楽しいことも多かった。グライダーでは高度1000メートルぐらいまで上げてもらっ
たし、部活の仲間や先輩と遊んだり、どこかに出かけたりした。そんなこんなで今まで航空
部を辞めずにいる。これからも一応辞めるつもりはない。今のところの目標としてはグライ
ダーのファーストソロ(初単独飛行)にでることと、ウィンチマン(グライダーを曳航させ
るためにグライダーに付けたワイヤーを巻き取る機械、ウインチを操縦する者)になること
だ。どちらも大変なことで、目標を達成するまでにはこれまで以上につらいことがあり、苦
労するだろう。しかし目標を達成するためにこれからも努力していきたいと思う。それとも
うひとつ目標があり、それは今の同期全員そろって航空部を卒業することだ。卒業までまだ
まだ長いが、卒業した後同期たちと飲みに行くのが私はとても楽しみである。そんな日を夢
見て精一杯空を飛んでいきたい。
佐藤 諒太
私がこの航空部に入ったのは、小さい頃から飛行機が好きだったから、というわけではな
く、本当に偶然のことだった。
入学して間もない新歓期間、私はなにか「これが大学 4 年間です」と言えるような活動を
したいとは思っていたものの、具体的に希望していたサークルはなかった。そんななか、生
田中央校舎前の広いスペースの多くを占め、翼をめいいっぱい伸ばしたグライダーを、私は
その時初めて見た。まずかっこいいと思い、こんなものを扱う部活が大学にはあるのかと思
うと大変興味が湧いた。予定を合わせられず新歓イベントには全て参加できなかった。その
まま春学期は入部せず、夏休みが始まってから出遅れての入部。
サークル活動もなにもしていなかった春学期と比べて、航空部の活動は私にとってとても
刺激的なものだった。ディ◯ニーランドに行くかのような起床時間、経験のない自動車の使
用頻度とそれを学生で運転しなければならないこと、フライト等、
毎日が勉強ばかりだった。
21
また、航空部の部員はひとりひとりにそれぞれの役割があり、どれも部にとって重要で欠か
すことはできない。そんな航空部に、私はやりがいを感じ、部のためになにかできるように
なれたらと思った。しかし、私は遅れて入部したため、他の同期と比べて様々な点において
遅れている。すぐ先の新年度を迎えれば、新入生を後輩として、教える立場にもなるので、
少し焦りを感じている。早く航空部の一員として動けるように、努力していきたい。
フライトは入部する前から思った通り大変難しく、今でもわからないことだらけで、そし
ておそらくこれからもわからないことだらけであるだろう。だからこそ、わからないことを
わからないままにしないよう、
積極的に質問や調べることをしていくことが大切だと思って
いるので、どんどん実行、解決していきたい。
実際に航空部に入った今、思っていた以上の大変さに、疲れてしまうこともあるが、それ
は同時にやりがいのあることでもあると思うので、一回一回の訓練を大事に、感謝の気持ち
を持って行っていきたい。
津山 雅彦
私は、大学に情報を学ぶために入学しました。そのときは航空部のことなんて全く知りま
せんでした。4 月の新歓コンパの時期も終わりに近づいてきたころ、せっかくだからどこか
の新刊に行ってみようと思っていた矢先に、航空部と出会いました。コンパのときに新歓フ
ライトにも誘われたので行ってみたら、ウィンチ曳航のときの感覚が、飛行機で空港から飛
び立つあの感覚に似ていて、
毎週こんなことができるなら入ってみたいと思って入部を決め
ました。そのことを両親に話したら、最初は反対されました。しかし、両親も考え直してく
れて無事に入部することができました。
実際に入部してみると、機体を組む作業や土手越えの作業が大変で、せっかくの土日や、
休日に体を休めることができないので、正直辞めたくなることもありました。でも、両親が
反対していたのを納得させてまで入ったのに、辞めてしまうのは勿体ないし、格好悪いし、
今までの養成がすべて無駄になってしまう気がしたので、気が付いたら 1 年も続けていた。
また、最近は、もう航空部としての時間が 1/4 も過ぎてしまったのかと、思うようにもなり
ました。
また、12 月の初めまでは、グライダーの操作のコツが全然つかめてなくて、旋回したと
きに地平線ブレブレでした。今も、ラダーを踏むことや、ランウェイと機体との位置関係ば
かりを意識して、ブレてしまうことはありますが、ブレを抑えることはできるようになりま
した。今後は、一つのことだけでなく、全体を意識できるようになるということが私の課題
です。
私の今後の目標は、機体を組めるようになるということです。私はもともと運動に特化し
た体ではないので、筋肉が全然なくて、組みばらしで支障をきたすほどである。例えば、本
22
来ならば JA2381 の翼端ができれば、JA21MA の翼端ができるはずなのですが、私の場合は入
部当初の時点で JA2381 の翼端すらできず、夏の合宿でできるようになったと思えば、JA21MA
の翼端はできないということです。こればかりは、自分で鍛えるしかなく、一日でも早く機
体を組めるようになるように精進していきたいと思います。また、水尾の取り付けも苦手な
ので、早くコツをつかみたいです。なぜなら、4 月に新入生が入ってきて、その時になって
も私が翼端を持てないと弱音を吐いていたら、新入生に示しがつきませんし、そんな私を見
たら、辞めてしまう新入生もいるでしょう。また、今の私には代わりはいくらでもいますの
で、
誰にも代わられない人材になりたいという意味でも、
機体を組めるようになりたいです。
また、訓練中は、ほかの同期は指示が出される前に的確に動いているのですが、私はその
ようにしても、
必要ないことをしてしまったり、ほかにもっと優先するべきことがあるのに、
それよりも優先順位が低いことをやってしまったりしているので、もっと同期や、先輩を見
習いたいと思います。ミスも多いので、少なくしていきたいです。
西野 秀一
入学して間もないころ、新歓の時期に、生田校舎に展示してあった DG に触れたのが私と
グライダーとの、また航空部との出会いでした。おそらく公道を走行可能なトレーラーを考
えると必然的に DG を展示するしかなかったのでしょうが、その独特なデザインは素人目に
も軽快に映り、目を引かれました。そばにある看板を見てみると「体育会・航空部」
。体育
会か、と恐る恐る先輩方に話しかけてみると、思いのほか親切に説明してくれます。操縦席
に座ってみませんか、と聞かれたので、ぜひ、と初めて実際に見るグライダーの操縦席に座
らせてもらいました。乗り込んでみると、異様に狭い空間に、操縦桿、ラダーペダル、その
他よく分からないレバー類と正面に計器盤。ペダルに足をかけ、操縦桿を握り、目の前の計
器類を眺めていると、
「これで空を飛んでみたい」という思いに駆られ、矢も盾も堪らず体
験飛行に赴き、そのまま入部を決めてしまったのです。
航空部と言う活動に参加したからには、何かを成し遂げたいと思っています。そのために
は、自分なりの目標を定めて、それを目指して努力していけば自身の効率的な成長に繋がる
でしょう。また一つの目標を達成したら、次にまた新たな目標を決めて、ということを繰り
返していけば、航空部での生活はとても充実したものになるでしょう。訓練面での当面の目
標は、ソロに出ることです。ソロに出たら、次は単座に移行する。単座に移行したら、ライ
センスを取得する。ライセンスを取得できたら、次には大会に出る。せっかく大会に出るの
なら良い成績を収めたい。あのときの DG にも乗ってみたい。その次は……という様にいく
らでも目標は考えられます。
入部してから早くも一年が経とうとし、最下級生である私も先輩という立場になる日が近
づいています。
今までは先輩に養成していただき、
ひたすら知識を吸収するばかりでしたが、
23
これからはそれを後輩へ伝えていかなければなりません。質の高い養成をすること。後輩に
的確な知識を教え、優秀な人材に育てること。これらも、新たな目標となりました。
また訓練面以外にも、総会や納会などで OB の方々が仰る「社会に出た時ためになる経験」
といったものも身につけていきたいと思っています。
まだまだ至らないところは多く、先輩や教官の注意を受けることがしばしばありますが、
同じ失敗を繰り返すことなく、日々努力を忘れず、部のために、また自分自身のために精進
していきます。よろしくお願いします。
原田 佑眞
「チャンスは貯金できない」とは合衆国の国際政治学者であるキッシンジャーの言葉だ。
転機とは、誰しもに必ず、そして突然に降りかかる。我々はあるいはそれに惑い、あるいは
それに歓喜するが、反応には多少の差異はあれど、どのように善後策を打つかは個々人で大
きく極化される。本人たちのそれまでの半生で培ってきたはずの対応力が試されるのだ。し
かしその瞬間がいつ訪れるかを人が往々にして知り得ないという性向とは裏腹に、転機を活
かせるか否かは残りの半生をひどく左右するほどの分水嶺になる。裏返して言えば人生の
日々の一瞬一瞬、その研鑽は来るべきチャンスへの精進とも言える。
わたしはある日その分岐点のひとつを眼前にしてただ呆然としていた。ブルータスに裏切
られた何某ですらここまで茫然自失にはなってはいなかったに違いまい。今の私には、お前
もか、などと叫ぶ気力すらないのだ。章々たる様である。理由は簡単だ。生まれてこのかた
私は選択や努力からたびたび逃げ回ってきたのだから。
そんな自分があだとなった形である。
そう何を隠そう、私は茨の道を選ぶかという決断に迫られていたのだ。三十六計逃げるに如
かずを信条にしていたこの私が、である。妥協という言葉がこれほど甘美な香りを放ってい
たことがあろうか。天秤は挫折へと常にかたむいていた。しかし最後のひといきが全く動か
ない。分かってはいた。私は妥協にすら怯えていたのである。そうして選択を先延ばし先延
ばしにすることで心の安寧を保とうとしている、
というみじめ極まりない醜態をさらし続け
ている。そんな私がなぜそんな選択を得たのか。それは仄暗い闇のような人生の展望にぼん
やりと不安を抱き、消極的な生き方に焦りを自分の奥底に感じていたからに他ならない。簡
単に言えば昨日からの脱却の最初の一手を打ちたかったのである。
自明だが、
こんな決断は誰しもがまっとうに生きる過程で当たり前に経るレヴェルのもの
だ。
辛いこと、
怖いことから逃げ回ってきたことのつけともいうべき皮肉な結末でしかない。
情状酌量の余地なし、前科三犯で即実刑判決である。南無三。天網恢恢疎にして漏らさずと
はよく言ったものである。話を戻そう。そもそも凡才、いや非才にとっては努力とはとてつ
もない精神力と覚悟が要求されることである。私なんぞにとっては努力という言葉が非常に
厭わしいほどである。もちろん褒められたことではない。どこかの誰かが「天才は99%の
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努力と1%のひらめき」と言ったらしいが、私に言わせれば努力とはすなわち才能である。
誰しもできるものではない。
努力ができるということは生まれながらにして得た幸運だと思
う。少なくとも私にはできない。決断の時が迫るにつれ自分のこころの中に徐々に陰鬱な暗
雲が立ち込めていくのが感じ取れた。そんな時だった。疲れた私の心に、日頃嗜んでいるギ
ャンブルで、追いつめられた時にたびたび浮かぶ、大博打に打って出たいという衝動がフツ
フツと湧いたのは。
さてさて。長々と前ふりを吐露し続けてきたが、あれから半年前以上が経過した。突然の
展開で驚かれたかもしれないが、詮方ないこととあきらめていただきたい。いかんせん私も
あれからのこと、その記憶がほとんどないからだ。しかしあえて日記のようにとりとめもな
く素直に書き綴ってみたものの、今思い返すとあまりに腑抜けた考えにまみれている。我な
がら情けないこと極まりない。直接的な言葉での陳述はさすがに憚られ敬遠して述べたが、
なんの心境なのかはだいたい察していただけたであろう。そう、ふと我にかえれば、半年が
経っていた。この寄稿の存在からして結末は自明であろうが、イチかバチかの自分への博打
の結論は、ひとまずは吉と出た。もしかしたら私は今まで少々自嘲的になりすぎていただけ
なのかもしれない。
新しい世界がそこにはあった。異国の地にでも赴いたかのような世界観のギャップ、興奮
と畏怖と苦悩と悦楽が、刺激のない半生を歩んできた我が身を待っていた。少しずつ取り巻
く環境にも慣れてきた。周囲との交流もそれなりに積めてきた。後悔はない。少しずつ視野
も広がってきた。まだまだここでの明瞭な目標をつかむには時間がかかるだろう。そして、
やはり覚悟していただけあって、辛いと思うことも両の指では足りないほどあった。悪夢に
見るほどのこともしばしばである。それは半年以上が経過した今でも変わらない。逃げ出し
たくなることなどしょっちゅうだ。だがしかし、それでもなお、ここが私の居場所なのだ、
と今はそう思える場所を私は見つけた。このままがいいな、なんて思える昔とは少し違う自
分がそこにはいた。以上、独りよがりな拙文による独白でした。
山口 哲史
体験搭乗で 21 に乗った時、私はグライダーというものを自由に操ることができたらどん
なに楽しいかと惹かれました。その頃は、訓練と言うものをあまり理解していませんでした
が、初めてウィンチ側に行って機体が上がるのを見て、実際に自分もいつかみんなを飛ばせ
てあげたいという思いが湧き上がりました。そして、自動車班に入り、面白くて、大切なこ
とを教えていただける先輩方に出会うことができました。しかし、まさか飛ぶ時間より地上
作業がかなりの時間を占める部活であるとは知りませんでした。夏には草を刈り、ウィンチ
の整備をし、冬にはウィンチの整備に加え、草刈機の整備を行いました。厳しいことも多い
訓練ですが、その先にある楽しいことのためにこれからも頑張っていこうと思います。1 年
25
の間に 50 発近くの発数をいただいているので、経験を生かしていかなければならないと思
います。2 年生になるにあったって、新しく入ってくる 1 年生にしっかりと大切なことを教
えてあげられるような先輩になりたいです。安全がとても重要な部活であるので、自分が学
んだことを理解しおしえてあげることが必要だと思います。
フライト面でも先輩方から学び、
自分の出来る範囲で教えてあげたいです。
部活だけの付き合いだけでなく助け合う仲間とし
て仲良くやっていきたいです。これから、ウィンチ養成に入り訓練をまわす歯車の一つにな
るでしょう。しっかりとどんな時でも安定して引けるよう自分でも研究しようと思います。
また、自分のフライトを見直し、向上させることでいち早くソロに出たいです。
渡邊 拓哉
私が去年の春北海道から上京してきて右も左もわからない状態で入部したのが航空部で
した。私には飛行機に関する知識は一つもありませんでしたし、始め上級生に勧誘された時
も、
飛行機より鉄道の方が好きなので、とよくわからない断り方をしたことを覚えています。
しかしその後航空部の先輩と関わって航空部の活動を知っていくうちに、
どんどんその魅力
に引かれていき、
後の新歓フライトで黒川教官と初搭乗をした際に空の世界の魅力に魅せら
れ入部を決意しました。
航空部には私の他にたくさんの新入生がいました。皆それぞれ学部も出身も違う特徴的な
人々でした。皆男でむさ苦しいですが、帰国子女やデュエリストや夜中に踊り出す者など多
種多様です。こうした同期のおかげで部活にもすんなり馴染むことができました。
私がこうしてたった数日の新歓期間の内に航空部という本気でやりたいことに打ち込め
る場所を見つけ、そしてまた楽しく愉快な仲間たちに出会えることができたことに素敵な
「縁」を感じずにはいられません。この縁を大切にしていきたいと思います。
私のこの航空部での目標は、同期全員で大会に出て優勝することです。グライダーは個人
競技ではなく団体戦です。
個人賞こそありますが優勝するのはいつだって個人ではなく大学
です。なのでライセンスをとった一部の選手だけが大会に出場するのではなく、同期全員で
妻沼に行き、今日あったフライトを皆で話し合いながら、チーム全体として周回を重ねてい
って、その結果として優勝したいです。そのためには部としての結束を強め、皆で協力して
日々の訓練に望むこと、困っている同期がいれば積極的に助け合い、全員がいち早くライセ
ンスを取れるように頑張っていきたいと思います。
私の大学一年目の一年間は私にとってとても有意義でかけがえのないものになりました。
そ
れは素敵な
「縁」
に恵まれ、
これからの大学生活での大きな目標を手に入れられたからです。
そして大学二年目となる今年はその縁を大切にして、目標へ大きな一歩を踏み出すための飛
躍の年にしていきたいと思います。
二年生は中弛みの時期などと言ったりしますがそんな暇
はありません。目標達成のため精一杯の努力をしていきたいと思います。
26
OB 寄稿
宝珠花で会いましょう
2014 年度卒業
高橋萌子
私は、大会で特別良い成績は納められなかったし、機材班長でも特別なことは成し遂げて
いません。そんな私がなぜ、今宝珠花の原稿を書いているかといいますと、2014年の納
会総会において、乾杯の挨拶をするか、宝珠花に寄稿するか、という究極の二択において、
後者を選んだからです。
思い起こせば、
新入生の挨拶として1年生のときにも宝珠花に拙い文章を載せていただき
ました。そこには、1年生のころの自分の不安が綴られていました。それは自分が方向音痴
だ、ということです。
この不安は的中しました。忘れもしませんが、思い出したくはなく、またこのことを人に
言ったことはありません。
私が練習生として飛行機曳航での初フライトのとき、曳航機の索を離脱してから場周帯ど
真ん中でロストポジションしました。もちろん教官同乗だったので、大事には至りませんで
したが、結局チェックポイント通過近くになるまで、関宿滑空場をインサイトできずに、と
てもグダグダなフライトでした。戸川教官申し訳ありませんでした。今思えば、初めての飛
行機曳航でテンパっていたのだと思います。ですが不思議なことに、ロスポジは4年間でこ
のときだけです。結局、不安であったこともしっかり飛んで練習すれば克服できるし、失敗
からも学んでいるということです。そして、当時は恥ずかしい思い出も、今こうして懐かし
むことができます。
さて、大学を卒業して早一年が経とうとしています。この卒業してからの一年間で、飛ん
だ回数は10発ほどでしょう。私は勤務地や勤務日に恵まれていて、飛べている方です。
長野で飛びまくっている本業の方もいらっしゃいますが、卒業してから一度も飛んでいな
い方や、一度も宝珠花に来ていない方もいらっしゃると思います。
もしご都合よければ、是非、宝珠花に足を運んでみてください。きっと皆さんが現役のこ
ろとはだいぶ違う風景が見られると思います。力強いウィンチやあの狭いランウェイに4機
ものグライダー。格納庫にダイナやコロナはもういません。お嫁に行きました。食堂の冷蔵
庫に至っては、私が現役のときに3、4回は変わり、電子レンジは増える一方です。
百聞は一見にしかず。飛ぶもよし、飛ばないもよし。宝珠花に行けば、大学時代の辛い記
憶も楽しい記憶も、懐かしい思い出としてよみがえり、さらに変わっていく航空部に次の時
代を感じることが出来るでしょう。
それでは、宝珠花で会いましょう。
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明治大学体育会航空部 部誌
「宝珠花 第 50 号」
2015 年印刷
2015 年発行
発行:明治大学体育会航空部
編集責任者:津山雅彦
発行責任者:堀内朝司
印刷・製本
有限会社 ヤマダスピード製版
〒815-0031 福岡県福岡市南区清水 2 丁目 10-18
TEL:0120-939-834
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