同窓会通信vol.4(00年度)

2000 年度同窓会通信目次
研究室スタッフ近況報告
原
純輔
1
海野
道郎
3
佐藤
嘉倫
5
木村
邦博
7
近藤
博文
8
須藤
良子
8
同窓会公式報告
決算報告
9
2000 年度予算案
10
第2回同窓会大会報告
篠木
幹子、向中野
恵子
同窓会新会員紹介
11
13
同窓生の広場
特別企画
加藤
さち(旧姓
小高)92 年度卒
14
西村
倫子(旧姓
平山)95 年度卒
15
坪井
正幸
97 年度卒
16
後輩達へ「就職戦線を振り返って」
猪田
有弥
99 年度卒
17
高木
健
99 年度卒
19
研究室近況
朝岡君、三澤君紹介
20
2 年生自己紹介
21
大ゼミ報告
23
1999 年度修士論文、卒業研究・卒業論文題目
24
教官近況報告
◎近況報告
原 純輔
前々から予告しながら実現せず、
恥ずかしい思いをしていた東大の盛山和夫さんとの共著が、
昨年の9月ようやく刊行された。幸い売り上げは好調で(学生諸君に圧力をかけたせいでもあ
るが)
、近く増刷の予定である。また、SSM調査データを用いて歴史社会学分析を試みた『近
代化と社会階層』がこの6月に刊行された(いずれも末尾の文献を参照)
。この後は、これも若
い研究者の皆さんに協力してもらって、
『流動化と社会格差』
(ミネルヴァ書房)という本を計
画しているけれども、どうなるだろうか。
というわけで、あまり代わりばえのしない日々であるが、最近の心境(?)を知っていただ
くために、昨年10月東北大生協の宣伝誌に掲載された自己紹介の文章を再掲させていただく
ことにする。
−−−−−−−−−−
素顔の教官たち:
「小さなエピソードと大きなデータと」
一つは非常に古い、もう一つはごく最近の、二つのエピソードから始めることにしよう。
「あヽ上野駅」
井沢八郎が一九六四年(昭和三九年。東京オリンピックの年)に歌って大ヒットした曲で、
就職のために上京した人たちの心境を歌ったものである。私が大学に進学した年でもある。こ
れは三月の末に、多分下宿さがしのためであったと思うが、東京(上野)へ向かったときの話
である。
私の郷里は新潟県の長岡市である。東海道新幹線が開通したのはその年の秋であり(上越新
幹線が開通したのは、それよりずっと後のことだ)
、東京へは上越線の急行列車を利用して、約
四時間を要した。長岡を出発した列車は、二駅か三駅ごとに停車を繰り返していくのだが、ど
この駅からも就職のために上京する中学卒業生が数人ずつ乗り込んできた。
私の旅行は、これから休暇のたびごとに何十回と繰り返されるであろう、上京と帰郷の一回
であり、誠に気軽なものであった。もちろん家族の見送りなどなかった。ところが、彼ら中学
卒業生の場合には、家族や友人たちなど、多くの人びとがホームに詰めかけてきていた。そし
て、送る側も送られる側も涙々であった。この光景は、列車が県境をこえるまで繰り返された。
私にとって忘れることのできない光景である。
同じ急行列車に乗り合わせながら、彼らと私の人生の軌跡は大きく違っていたはずだ。彼らは
今どんな生活を送っているのだろうかと、時折、考えることがある。
「ユー・ガット・メール」
(You’ve Got Mail)
最近みた映画である。みた人も多いだろうが、ディスカウントが売り物の大型書店の経営者
と児童図書専門店の店主という商売敵同士の男女が、お互いそれとは知らぬまま電子メールの
1
交換を始め、次第に引かれあっていくというストーリーである。ヒロインのメグ・ライアン(キ
ャスリーン)は魅力的であったし、秋から冬にかけてのニューヨークのダウンタウンも美しか
った。しかし、それ以上に興味深かったのはキャスリーンの経営する小さな書店のゆくえであ
った。結局、新しく近所に開店した大型書店に客を奪われて、母親の代から四十年以上続いた
その店は廃業することになる。
私が東京都立大学から東北大学へ移ってから、今年で六年目になる。実は、それまで住んで
いた横浜で、私の妻は同じような小さい児童書専門店を友人と共同で経営していたのである。
単に本を売るだけでなく、
文房具や折り紙を並べたり読み聞かせの会を開いたりするところは、
そっくりであった。また、充実してはいたが経営的には苦闘の連続であった日々をみていただ
けに、映画は他人事とは思えなかった(ニューヨークとは違って、横浜の書店の方は今でも細々
と続いている)
。店主を廃業したキャスリーンや数名の従業員たちは、これからどんな仕事をし
て暮らしていくのだろうか。小さな書店のあとには、また別の商店が開業するのだろうか。
私の研究テーマは、
「社会階層」あるいは「社会的不平等」である。
「社会階層」とは、簡単
にいえば相互に社会経済的生活条件(たとえば収入、権力、威信など)が異なっていると、人々
に認知されている社会的なカテゴリーのことである。現代社会の最も典型的な階層とみなされ
ているのは職業であろう。社会経済的生活条件が異なることによって、階層は独特のライフス
タイルを発展させたり、その階層固有の意識をもったりするようになる。階層による社会経済
的生活条件の格差やその変化、人々をさまざまな階層に分けていく要因やしくみ、階層とライ
フスタイルやさまざまな意識との関連、などを追究することが具体的な課題である。
研究のためにはデータが必要である。私の場合、一九五五年以来、十年ごとに階層研究者に
よって実施されてきている大規模な全国調査データの統計分析を続けている。そして、紹介し
たものをはじめとするさまざまなエピソード
(体験)
を統計分析の結果の中に位置づけながら、
日本社会(とりわけ戦後の日本社会)の近代化・産業化の過程と社会階層とのかかわりについ
て、私は考え続けている。
多田淳子他『女たちの本屋』アルメディア、1993 年。
原 純輔・盛山和夫『社会階層―豊かさの中の不平等』東京大学出版会、1999 年。
原 純輔編『近代化と社会階層』
(日本の階層システム1)東京大学出版会、2000 年。
−−−−−−−−−−
ちなみに、
「あヽ上野駅」は佐藤嘉倫さんが「高度経済成長の光と影」
(『近代化と社会階層』
所収)という文章の中で引用しているのを読んで思い出したもの。今年の3月、上野駅の 18
番ホーム(集団就職列車が到着した)が廃止されるというニュースが放送されたときにも、こ
の曲が流れていた。たまたまこのニュースをみていた佐藤さんも私も感慨深かったのだが、若
い佐藤夫人は「何これ」といって別のチャンネルに切り替えそうになったとのことである。
2
◎「歴史的な見方」
海野道郎
「なるほど面白いんですね。今まで、何でこんな当り前のことを聞くのかと思ってました。
」
−−−4年生の井上圭君が言った。卒論指導の最中に、次のようなグラフを見せた時だ。
60
50
自然に従え
自然を利用
自然を征服
40
30
20
10
0
1953 1958 1963 1968 1973 1978 1983 1988 1993 1998
図.環境をめぐる人々の態度の変遷
自然と人間との関係についてのこの調査結果は統計数理研究所「国民性調査」のものだが、
「自然に従う」
「自然を利用する」
「自然を征服する」という3つの選択肢の支持率が、戦後の
50 年間に非常に印象的な増減を示している。井上君はそれまで、
「自然に従う」のが当然だと
思っていたため、
「何で当り前のことを聞くのだろう」と不思議だったのだという。実際、
「自
然に従う」は 1993 年以降は最大の支持を集めているので、若い井上君がそのように考えたのも
無理はないのだ。
しかし、この小さなできごとは、時系列データの重要性、一般的にいえば「歴史的な見方」
の重要性を示唆している。
人間には「原理派」と「歴史派」があるように思われる。
「原理派」は、物事の原理・原則に
興味がある。人間の本性、社会の本質など、表面に現れた現象の背後にあるものに関心を寄せ
る人間である。これに対して「歴史派」は、物事そのものに興味がある。何が起こり、どのよ
うに変わったか、それ自体が「歴史派」にとって興味の対象となる。
私は少年時代から「原理派」であった。理科や数学に関心がある一方、何がどうなった、と
いう歴史の記述には、まったく興味が無かった。ましてや、戦国武将同士の戦いなどに血が踊
ることは、まったく無かった。そして、実は、今でも同じ気持ちである。NHKの大河ドラマ
は、国民統合のための道具か、せいぜい大衆相手の人気取り手段だ。そのように思っている。
しかし、最近、歴史的な見方−つまり歴史的な文脈の中に物事を位置づけて考えること−の
重要性を感じることが多くなった。それは、私がここ数年間、SSM調査の一環として、戦後
日本の社会意識について勉強してきたためだろう。しかし、あるいは、自分が年齢を重ねた為
なのかもしれない。いかに歴史音痴の人間でも、50年余も生きてくれば、現在の状況と比較
可能な過去が、自分の中に自ずから蓄積されてくるからだ。
歴史的な見方を欠いた思考は、しばしば危険である。われわれが人間や社会に関する現象を
観察し、その中に法則的なものを見出したとしよう。そのとき、法則を見出す手続そのものに
は誤りがないとしても、観察した現象自体が制約されていたなら、見いだされた法則は誤った
ものとならざるを得ない。
3
われわれの目の前に存在する事実は、われわれの認識枠組みを通してしか観察できないとと
もに、事実自体が歴史的所産としてたまたま存在しているものである。このことは、少し考え
れば当たり前のことなのだが、しかし、現実の社会で交わされるさまざまな言説は、時として、
その点を無視し、現前の事実があたかも永遠の過去から存在し未来永劫続く唯一の事実である
かのように前提されている。しかし、事実は必ずしもそうではない。歴史的な見方が重要だ、
というのは、観察された事実を、歴史の中で捉え、対象化・相対化することが重要だ、という
ことを言っているのだ。そのようにして把握された事実が、原理や法則を求めるときの前提で
なければならないのである。
私はいま原理や法則を求めるといったが、少し考えてみると、原理や法則には2種類あるこ
とが分かる。それを「通時的法則」
、
「経時的法則」と名づけることにしよう。
「通時的法則」とは、歴史を通して存在する状態や関係に関する法則である。しかし、この
タイプの法則の前提とされている事実の中には、昔から常にそうであったように考えているも
のの、実は最近の現象にすぎない、というものが少なくない。
「日本人は畳の部屋に住んで、日
に三度の食事をし、
・・・・・」とか「日本の企業は、終身雇用で流動性が小さく、
・・・」と
かいうのは、その例である。このように眼前の事実を普遍的だと思うメカニズムを、
「普遍性の
錯覚」と呼ぶことにしよう。
これに対して「経時的法則」というのは、歴史を通して存在する傾向に関する法則である。
しかし、このタイプの法則の前提とされている事実の中には、現時点における傾向性に過ぎな
い場合がある。
「土地は値上がりするものだ」
「月給は毎年上がるものだ」というのは、少し前
まで私を含め多くの日本人が信じていた傾向性であった。これを、
「普遍傾向の錯覚」と呼ぶこ
とにしよう。
この点で、興味深いのは、われわれの日常生活だけでなく、学問的営みにおいても、このよ
うなことが生じている、ということである。原さんが最近書いたエッセイの中に次のようなこ
とが書いてある。
・・・1955 年から 1975 年までの戦後復興期から行動経済成長の時代を反映したデータに 1985
年のデータが加わって明らかになったことの1つは、これまでいわば常識として受け入れられ
てきた構造や趨勢が、必ずしも普遍的な現象とはいえないということである。たとえば、個人
収入や世帯収入、あるいは進学機会などは、全体的な水準は明らかに上昇したけれども、必ず
しも平等化したり階層間格差が縮小したわけではなかった。
・・・
(原純輔「SSM調査の歴史
と展望」
『よろん』82:74-86、日本世論協会)
。
このように、狭い時間幅でしか見ないとき、われわれはともすれば、目の前の事実を絶対視
して、誤った判断に至りがちである。それは、ある意味で非常に常識的なことである。しかし、
われわれがそのような判断をしばしば目にし耳にするということは、われわれにとって「目の
前の事実」が如何に大きな力を持っているか、ということを示唆している。
「目前の事実は、そ
こに至る長い歴史を背負っているのだ」−そのことに思いを至らせつつ、日々の生活を送りた
いと思う。
−−−−−−−−−−−−―――――――――――――――――――――――――――――
〔近況報告〕原さんなどと行った 1995 年SSM調査研究の成果は、6巻シリーズとして東大出
版会から近々刊行されるが、その第2巻を担当した(海野道郎編『公平感と政治意識』
)
。また、
理論社会学と環境社会学の関係について述べた論考も、今年中に刊行される(有斐閣から刊行
される『講座 環境社会学』第 1 巻に所収)
。今年は、外からの仕事は断り、リサイクル調査の
分析と社会的ジレンマの理論的研究に充てたいと考えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
4
◎近況報告
佐藤嘉倫
昨年の同窓会通信で予告したように、昨年8月に妻と娘と一緒にシカゴへ行き、アメリカ社
会学会大会で”A Rational Choice Model of Mutual Trust”という論文を報告した。もちろん大会は
刺激的だったが、今回はシカゴで行われたということもあり、昔シカゴで暮らしていたときに
知り合った人々と再会できたことの喜びも大きかった。
まず私の英語の先生だったポーラック夫妻と会い、シカゴ郊外へのドライブを楽しんだ。私
は主に夫のアーウィン・ポーラック氏に習った。習い初めの頃は、私が変な言い回しをすると、
彼は「普通のアメリカ人はそのような言い方はしない」と注意した。しかし私のレベルが上が
りその水準を越えると、彼は「教養あるアメリカ人はそのような言い方はしない」と要求水準
を上げてきた。この教え方と彼の暖かみのある人柄にひかれて、結局1年6ヶ月も彼の教室に
通うことになった。彼のような素晴らしい英語教師と出会えたことは、2年にわたるシカゴ暮
らしの収穫の一つである。
次に、大会終了後にウィスコンシン州マディソン郊外にあるラリー・ニューマンとダイアン・
マーティンスの家を訪ねた。ラリーは 1995 年から 1996 年にかけてフルブライト招聘講師とし
て文学部に赴任した人である。そのとき私が受け入れ教官になったことから親しくなり、今回
の訪問が実現した。日本で言えば別荘地のようなところに瀟洒な家屋と広い庭があるが、それ
がマディソン市から車でわずか 15 分ぐらいのところにある。アメリカの豊かさを実感した。ラ
リーとダイアンは私たち家族を大歓迎してくれ、心から楽しい一時を過ごすことができた。
彼らの家からシカゴのオヘア空港へ向かう途中で、寄り道をしてイリノイ州ディクソンのデ
ュリューズ夫妻を訪ねた。彼らとは、私と妻が 1992 年の感謝祭のときに彼らの家にホームステ
ィして以来の付き合いである。彼らは中西部の古き良きアメリカとでもいうようなライフスタ
イルを持っていて、彼らの家を訪ねると何かほっとするものがある。今回は娘を連れていった
ので、まるで自分たちの孫のようにかわいがってくれた。
シカゴから帰ると9月の数理社会学会大会の準備で大忙しになった。私が大会委員長だった
が、委員長としての功績は国際交流センターのレストランを懇親会場としておさえたことだけ
である。後は、近藤博文君と神林博史君が実質上の委員となり、院生・学部学生を組織して、
適切に運営してくれた。
9月には渡辺勉君との共著論文「職歴に見る戦後日本の労働市場」が『社会学評論』に掲載
された。特集論文として依頼されたものなので無審査だったが、分析には時間と手間がかかっ
た。特に渡辺君には膨大な計算をしてもらい、たいへん助かった。職歴の分析は労力が非常に
かかる割に、アウトプットが少ない。何かうまい方法がないか模索中である。
11 月には研究室秘書の面接があった。三津木さんが観光協会への就職のため退職することに
なり、その後任者を採用することになった。さいわい須藤良子さんという有能で誠実な人が来
てくれることになった。昨年度の同窓会通信でも書いたが、この研究室は本当に秘書に恵まれ
ていると思う。
12 月から春にかけては、社会経済生産性本部のSOHO仲介機関調査の委員を務めた。SO
HOとSOHOを仲介する機関を対象とする調査を行って、データ分析をした。その結果出て
きたのは、
SOHOの2極分化である。
一方で専門知識を活かしたSOHOがいるかと思えば、
他方でパソコンで内職をやっているようなSOHOもいる。この両極化が今後どのような展開
を見せるのか、とても興味深い。
5
1月には「コミュニケーションと行為選択̶ ̶ 合理的選択理論によるコミュニケーションの
分析」という論文を『社会学研究』に掲載した。この論文はあまりオリジナルなものではない
が、今まで自分がぼんやりと考えていたコミュニケーションをめぐる問題をゲーム理論の視点
から考察したものである。
3月には国際交流基金から派遣フェローシップを給付するという知らせがきた。このおかげ
で、8月から1年間コーネル大学でマイケル・メイシー教授と共同研究することが可能になっ
た。この知らせが来てから、航空券を手配したり、ビザを申請したり、娘の幼稚園の学区や予
防接種のことを確認するために国際電話をかけたり、と急に慌ただしくなった。
6月には原先生の編集した『日本の階層システム 第1巻』が刊行される。この本には「高
度経済成長の光と影」という論文を収録してもらった。この論文は、高度経済成長期における
都会出身者と地方出身者のキャリア形成の違いを分析したものである。常識的な知見をあまり
越えるものではないが、データによっても両者の格差があぶり出されたことが興味深い。また
上で述べた渡辺君との共著論文の英訳版も6月か7月に出版される予定である。日本語の分か
るネイティブスピーカーが翻訳してくれるという話だったので気楽に構えていたら、とんでも
ない初校があがってきたので、自然な英語にするのに四苦八苦した。しかしこのプロセスを経
験することで、自分たちの日本語の論理的あいまいさをいやというほど痛感した。
さらに、6月には日米数理社会学合同カンファレンスがハワイで開催される。私は UCLA の
フィリップ・ボナシッチ氏とこの会議のオーガナイザーを務めている。このため、さまざまな
日米間の調整のために多くの時間を費やしている。しかしこの仕事をしているおかげで、どう
いうところで日米の理解がすれ違うのか、
相互誤解をどうやって解きほぐしていけばよいのか、
ということを学ぶことができたと思う。これは思わぬ余録である。
先に述べたように、8月から1年間コーネル大学で客員研究員として信頼と制度の研究に従
事する。もちろん研究に専念するのが第一の目的である。しかし娘も連れていくので、娘を通
じて今まで見えなかったアメリカ社会に触れることができるのではないか、という期待も持っ
ている。来年の同窓会通信では、主にこのことについて書くことになるだろう。
6
◎近況報告
木村邦博
1999 年度には、私にとって「区切り」となることがいくつかあった。
まず、私的なところでは、2000 年 2 月末に引っ越しをし、行動科学のほかの先生方と同じ泉
区の住民になった。通勤時間は長くなったが、広く、日当たりのよいところに住むことができ、
これで以前よりも健康的な生活が送れるのではないかと思っている。
1999 年 8 月に博士学位請求論文「集合行為と集団規模の数理」を提出、2000 年 3 月に学位を
授与された。この博士論文は、私が「オルソン問題」
(集合行為の成功/失敗と集団規模との関
係)に関して、これまで継続して研究してきたことをまとめたものである。この問題に取り組
むきっかけは、大学院生の頃、社会的ジレンマに関する海野先生の演習で、オルソンの『集合
行為論』について検討したことにある。
(一緒に勉強していた同窓生の皆さんは、覚えておられ
るだろうか。
)それから数えると 15 年もたって、ようやくまとめ上げることができたわけであ
る。
もっと早くに仕上げておくべきだったが、
様々な研究プロジェクトに参加してきたことで、
思わぬ時間がかかってしまった。
しかし、
一見関係がないと思われるようなプロジェクトでも、
それに参加したことを通して、考えが深まった面もある。たとえば、様々な社会調査研究に参
加し、計量分析の勉強をしなければ、自分のつくった数理モデルから導いた予想を、実験や調
査などによって得られたデータの分析と照らし合わせるにはどうしたらよいか、ということに
ついて考察することなどできなかったであろう。
(一見関係ないかのように思える仕事が後で
役に立ったということは、皆さんもよく経験していることではないかと思う。
)
1997 年度から私が研究代表者になり文部省からの助成を受けて遂行してきた共同研究プロ
ジェクト、
「合理的選択理論の社会学的再構成」も、報告書の刊行(2000 年 3 月)をもって一
応の区切りがついた。このプロジェクトには、行動科学研究室関係者では、佐藤嘉倫さん、長
谷川計二さん、小松洋さん、土場学さん、中野康人さん、近藤博文さん、渡辺勉さんが参加し
ていた。共同研究者の皆さんとともに、このプロジェクトを今後も継続し、発展させて行けれ
ばと考えている。
1999 年度はまた、学際的なつながりが深まった年度でもあった。教育学部で「教育と経済」
というテーマの授業を担当、これを機会に教育経済学をあらためて勉強した。社会心理学との
関係では、教科書の中の社会的ジレンマに関する章を執筆したり(
「社会の問題とかかわる」 小
林裕・飛田操編著『
【教科書】社会心理学』北大路書房、2000 年 3 月)
、グループ・ダイナミッ
クス学会にも久しぶりに参加したりした(メーリングリスト上で知り合った同世代の社会心理
学者と交流することもできた)
。
さて、今年度であるが、特に次のような課題に取り組みたいと考えている。教育文化研究会
による第 4 次高校生調査では、高校生にとって学校がどのような意味を持っているかを浮かび
上がらせるような計量分析をしたい。原先生を研究代表者とする非定型データの処理・分析法
に関する研究では、主に、
「落書き」を用いてジェンダーなどに関する分析を行った先行研究の
レビューをしたい。
散漫になるおそれがないわけではないけれども、
「人が社会をどのように見
ているか」を理解することをめざし、
「認知社会学」とでもいうべき研究領域の確立・展開につ
なげたいと思っている。
7
◎近況報告
近藤 博文
同窓生の皆様、いかがお過ごしでしょうか。助手の近藤博文です。私の近況報告をさせてい
ただきますと、まず今年度前期は特に忙しい学期でした(これを書いている時点ではまだ終わ
ってませんが)
。大ゼミや学部生用演習で TA(ティーチング・アシスタント)をしたり、研究
会・勉強会に参加したりで、日中は自分の研究を進める時間がほとんどとれない日々を送って
います。家に仕事を持ちかえることも多く、夜 1、2 時間ほど勉強できればましなくらいです。
そういった理由から、学部生以上に夏休みがくるのを待ち遠しく感じています。
現在、研究室メンバーは 68 名います。これほどの大所帯になりますと色々と問題も生じてき
ます。学生全員に目配りすることも難しく、問題解決についての知識も経験も乏しいため、悩
みはつきません。ストレスをためないよう心がけていますが、ままならないこともあります。
どちらかというとネガティブな近況報告になってしまいました。来年度は明るい話題を提供
できるように、これからもがんばっていこうと思います。
◎ご挨拶
須藤 良子
こんにちは。1 月から行動科学研究室の事務補佐員としてお世話になっております。結婚と
同時に九州から仙台へ移り住みまして、ちょうど 1 年が経ちました。春の緑、秋の紅葉と、何
時の季節も景色の美しい仙台に住むことができ、嬉しく思う今日この頃です。特に、春を迎え
る慶びは、九州に住んでいたころより、強く実感することができました。1月当初、研究室に
お世話になり始めたころは、不慣れな環境での仕事に不安がいっぱいでしたが、先生方をはじ
め研究室の皆様に暖かく迎え入れていただき、その不安も何時しか消え去りました。最近は、
何かとご迷惑をおかけしながらも仕事に慣れはじめてきました。また、研究室の皆様とめぐり
会えた事を幸せに感じております。
これからも、少しでもたくさん研究室運営のお役に立てますよう、懸命に頑張りますので、
よろしくお願いいたします。
8
同窓会大会報告
昨年 11 月に第2回同窓会大会が行われ、研究室の同窓生達が久々に顔を合わせました。
大会について、運営にあたった事務局の篠木さんと参加者の向中野さんからの報告をお伝
えします。
「第2回同窓会大会開催にあたって」
篠木
幹子
行動科学研究室の同窓会を今後どのようなものにしていくのか。これが、第2回同窓会
大会の準備のために、同窓会事務局が考えなくてはならない一番の問題でした。それはま
た、第2回同窓会大会のスタイルを決定する問題でもありました。この問題をどう考える
かによって、同窓会大会で何をするかが変わってくるためです。また、事務局のメンバー
が入れ替わっていくなかで、円滑な仕事の引き継ぎを考えるために、事務局の体制そのも
のを考える必要もありました。
こういった問題を抱えながら、大会開催の1年前から事務局では準備をはじめました。
まずは、誰もがすぐに事務局の役割や仕事を理解できるよう、同窓会事務局のすべての仕
事に関するマニュアルづくりを行いました。つぎに、大会のプログラムを検討し、同窓生
にも企画案を募りました。そこから出てきたのが「授業紹介」です。現在の授業のカリキ
ュラムは以前とかなり異なり、行動科学研究室では4人の先生方が授業を行っています。
単位の取り方も通年ではなく半年になりました。授業内容も、実習のように昔と変わらな
いものもありますが、大ゼミのようにその内容や機能がかなり変化したものもあります。
卒業生には今の様子を、在校生には以前の様子を知ってもらうよい機会であると考え、懇
親会で授業紹介を行うことになりました。
しかし、一番大きな問題は総会、懇親会のほかに何をするかということでした。同窓会
のスタイルに決まりはないのですから、懇親会のみに力を入れるという選択肢もあります。
しかし、せっかく一同が介するのですから、参加していただいた方々の心に残るようなこ
とを行いたいといった欲もありました。互いに案を出し合い悩んだ末、最終的には海野先
生の言葉に勇気づけられ、「同窓生中心の同窓会を行おう」ということになり、同窓生に近
況や仕事のお話をしていただくという方針が決まったのです。講演は第1期の伊藤英氏と
第2期の脇田洋二氏に、懇親会の幹事は第6期の植田新氏にお引き受けいただきました。
講演では熱のこもった質疑応答が行われ、懇親会ではなごやかな時間を過ごすことができ
たのではないかと思います。
第2回大会は終わりましたが、今後の大会の開催は隔年のままでいいのか、仙台以外で
の開催についてどうするのかなど、考えるべきことはまだたくさんあります。今回の大会
11
のスタイルが次回に引き継がれる必要はありません。同窓生の皆様の提案によって、行動
科学研究室の同窓会はどんどんと新しい試みをしていけるような組織であってほしいと思
っています。
参加者の声
向中野
恵子
まずは近況を少し。私は同じ研究室の向中野君と結婚して、福島県福島市で専業主婦を
しています。平成10年の9月に男の子を(爽汰といいます)出産して現在子育ての真っ
最中です。今1歳9ヶ月になります。向中野君も元気です。会社が忙しく毎日12時ごろ
帰る生活を送ってます。
そんな中、爽汰を仙台の両親に預けて、2人で同窓会に出席しました。青葉会館では普
段の生活では接することのない、各分野で活躍している諸先輩方のお話しが聞けて、とて
も新鮮でした。広告が出来るまでのお話や、高校の先生の生活などとても楽しく、興味深
く聞いていました。OHPなどを使った発表なんて久しぶりに見たので、昔に返ったよう
でなつかしく感じました。また行動科学研究室の人材は、各方面で活躍しているのだと改
めて感じました。
懇親会もとても楽しく過ごすことができました。久しぶりに先生方とお話したり、同期
や先輩方とお話して、とてもいい刺激になりました。(普段は小さい子供を持つお母さん方
ととーっても身近なことばかり話しているので、皆さんの話が新鮮でした。)また会場には
研究室の各行事の写真があったり(昔は若かったね…なんて話しながら楽しく見ました)、
OHPで昔の研究室の様子を見たりといろいろと工夫にとんでいて、飽きることなく過ご
すことができました。あれだけいろいろな企画をすると幹事の方もさぞ大変だったろうと
思います。幹事の方々本当にごくろうさまでした。
12
「保護と行動科学と私」
坪井
正幸
97 年度卒
学生を卒業し、社会に出て 3 年目となりました。月日が経つのはあっという間という気
持ちと、密度が濃い 2 年だったせいか学生時代がだいぶ前のような気持ちが同居していま
す。幸い、仙台にはちょくちょく行く機会があるので、 過去の場所 にはならずにすんで
います。
現在私は水戸の役場にて、生活保護のケースワーカーをしています。ミクロ的には、生
活保護世帯をその支援の必要性に応じて訪問し、自立に向けて指導支援していくとともに、
マクロ的には、適切な保護行政の運営による社会福祉の適性を目的とし従事しています。
難しく言えばそんなところですが、要は
生活なんでも相談員
です。
通常「縦割り行政」等マスコミなどで取り上げられているとおり、行政はその部門部門
の仕事のみを担当するという形をとっていますが、生活保護という扱う対象上いろいろな
部門の知識を必要とします。高齢福祉、児童福祉、障害福祉、年金、医療、税、教育等々
様々な分野の知識、担当機関との連携が必要となってきます。
まさに担当範囲は ゆりかごから墓場まで 、ときには警察からの依頼により身元不明死
体の市葬場霊安室への安置、火葬(搬送は業者に依頼しますが、過程の都合上、遺体を棺
に移す作業の手伝いや、骨拾い等も要求されます・・・)などもしています。なんかもう
すっかり慣れてしまった自分に時々怖さも感じます。
全国各地で生活苦による悲惨な事件が起こっている現状で、福祉行政に求められるもの
もかなり多様になってきており、従来の申請主義だけでは対応できないものとなってきて
います。積極的な行政の介入が求められる中、個人のプライバシーの問題もあり、対応に
四苦八苦することも多々あります。
さて、始めはこんな難い内容のことを書く気は全くなかったのですが、これも行政職に
染まってしまった徴候なのでしょうか?この仕事、とにかく訪問がメインなのですが、当
初は大学時代のSSM調査での訪問経験が役に立ったように思われます。2 年のときだっ
たと思いますが、渡辺さんをはじめ 5 人で登米町?へ行き、ペアで各家庭への調査のため
訪問したことが、気持ちの面でかなりの影響を受けました。調査はさておき(こんなこと
を書いたら原先生に怒られてしまうかもしれませんが)、とても楽しく良い思い出として胸
に残っています。当時は、10 年に一度(たしか?)のものにあたってなんて運が悪いのだ
ろうと思っていましたが、今では調査年度に行動科学研究室にいられたことを幸運に思っ
ています。
このように、はっきりいって学生時代勉強した、あるいは経験した何が社会に出て役に
立つかわかりません。勉強してきたことが直接的には反映されない仕事に就いている人が
多いかもしれませんが、その根底にはきっと大学時代勉強したことが役に立っていると思
います。そんなことを思う今日この頃です。
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特別企画
後輩達へ
就職戦線を振り返って
昨今の就職活動を、行動科学研究室の卒業生達は、どのように乗りきったのでしょうか?
この春卒業した猪田さん(修士卒)
、高木さん(学部卒)に聞いてみました。
「模擬OB訪問記」
猪田
有弥
――今度就職活動をしようと思うんですけど、何かアドバイスはありますか?
って、いきなりだなあ。まずどういうところから聞きたいんだい。
――そうですね。今どういう仕事していますか?
新聞社の広告局にいるんだよ。まだ研修中だから、具体的な配属は決まっていないけど
ね。ところで、仕事は新聞社の広告局って何をしているのか知ってる?
――新聞の広告を載せるだけなんですよね?
「だけ」って言えばそうかもしれないけど、そんなこともないんだよね。特に、このよ
うな時代だから、待っていても広告って来ないんだよ。だから、テーマを決めて、異業種
間のタイアップ企画を紙面を通じて行ったり、紙面広告と連動したイベントなども行って
いるんだよ。
――イベントって、どういうのがあるんですか?
新聞社にも得意分野とかがあるんだけど、うちの場合は映画の試写会とかハウジングセ
ンターのイベントなどが多いね。ところで、君はどんなことがしたいんだ。希望業種とか
あるのかな?
――まだそこまでは考えてません。漠然とマスコミに行きたいな、とかありますけど。
はじめはそんな感じなんだよね。で、自己分析とかっていう話は聞いたことあるかな?
――はい。でも、どのようにやっていいのかとか、よくわからないんですけど。
やり方は人それぞれだと思うよ。「友人にアンケート」を取っていた人もいるし、年表を
作ったという人も聞くね。ただ、自分自身を考えるときに、2つのタイプの人がいると思
うんだよ。「人と話ながら自分の考えをまとめていくタイプ」と「一人で考えながら自分の
考えをまとめていくタイプ」だ。ここでは「自分の考え」というのを、自分自身を客観的
に見る目とか自分のやりたいこと、と置き換えてほしいんだけど、自分がどのタイプなの
かは友達づきあいなどを通じて知った方がいいと思うよ。僕は前者のタイプなんだけどね。
――しっかり考えてみます。あと、エントリーシートに書くときとか、どうでした?
一日がかりで書いてた時もあったね。「過去と未来をつなげる」作業っていう感じ。
でも、実際には「自分を営業」しないといけないんだから、企画書を書くという作業に似
ているよ。特に、これで選考される会社だと、よくも悪くも相手を引きつけないとね。
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――例えばどんなことを書きました?
5・7・5で自分を表現するとか、キャッチフレーズを作ったりしたよね。あと、「面接
で聞いてもらえるように書く」というのも一つのテクニックかな?
――少しわからなくなってきました???
面接って、答えの中身を期待されているんじゃないんだと思うんだよ。
――じゃあ何を期待されているんですか?
そのやりとりの過程だよね。知らないことをきちんと分からないといえるか、自分が考
えていることを的確に表現できるか、自分をプレゼンテーションする能力を見ているんだ
と思うよ。僕も実感したけど、100の抽象論より1の具体論だよ。広告局の同期で「映
画の試写会がしたい」といい続けた人もいるけど、その人は映画館でバイトをしていて、
広告局でそういう仕事もあるということを具体的に知っていたんだよね。そのような情報
は、できるだけたくさん仕入れたほうがいいよ。
――ありがとうございました。
短くてごめんね。そうそう、新聞ちゃんと読んでる?別にどの新聞でもいいけど、普段
から新聞に目を通す癖をつけたほうがいいよ。就職活動が始まって「新聞の読み方」なん
て本を買うのは、ほんとナンセンスだからね。
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「私の場合」
高木
健
この原稿の依頼を受けたのは、ちょうど内定をいただき一年が経ち、研修を終え配属も
決定して不安いっぱいですごしていた頃でした。私が行動科学研究室を卒業し入社をして
からはや2ヶ月。仙台での生活が懐かしく感じられます。会社のエレベーターでも緊張し
た面持ちのリクルートスーツに身を包んだ学生を目にするようになり、改めて自分が社会
人になった事を実感しております。
さて、就職活動について書け、という事で依頼を受けたわけですが、私の就職活動はや
や特殊であったように思われます。学生時代ワインバー等でアルバイトをしていた私は、
ワインの輸入や販売に興味を持ったので、それをテーマに卒論を執筆し、就職活動先には
輸入業者と流通業者を一つずつ選びました。実際に就職活動でした話は、これからしてい
く仕事の話にとどまらず、これらからの日本経済の話や自分の人生観、趣味など実に幅広
いもので、面接官の方とは今でもメールでやり取りをする関係にまでなりました。自分も
その方の考え方に多くの面で共感し、この人と一緒に仕事がしたいと感じるようになりま
した。結果的には流通業者の方から内定をいただき、今はそこの会社に勤務しています。
結論から申し上げるなら、私は結局二社しか受けませんでした。というのは、働いてみ
たい会社を考えたときにそれ以外に思い付かなかったからです。ここでこれから就職活動
を迎える皆さんに考えてもらいたいことがあります。それは、会社は皆さんを選びますが、
皆さんにも会社を選ぶ権利はあるということです。会社とは皆さんそれなりに長い時間を
共にしていく相手です。自分の好きになれそうな会社をきちんと探した方がいいと思いま
す。そして、自分の好きになれそうな会社を受けた方がいいと思います。
それから就職活動において、皆さんに言っておきたいことがあります。それは、就職活
動はこれからの自分をアピールするところであって、今までの自分をアピールするところ
ではないということです。皆さんは行動科学研究室で勉強しているのですから、当然優秀
であるのは言うまでもないことですが、会社から見ればまだまだ雛みたいなものです。は
っきり言って、皆さんの勉強した事は会社に入って直結する事はそう多くはないと思いま
す。ただ、研究室で学んだ多角的視点を持つことなどは、あらゆる側面に生かされること
ですから、そういう点をアピールすることが大切になると思います。
現在私は会社の広告代理店業務の部門で仕事をしておりますが、これは私の想像してい
た仕事とはまったく違う業務内容です。しかし、何事もなにぶん初めてなものですから、
楽しいとか楽しくないとかいうより、むしろ必死という言葉がぴったりくるような日々で
はあります。ただ、行動科学研究室で得た(先生方から見ればまだまだ足りないのでしょ
うが)多角的な視点というものを生かし頑張っていけばきっとよい結果が得られるのでは
ないかと思っております。皆さんも進学するにせよ就職するせよ、是非自分にとってベス
トの選択が出来るように頑張ってください。
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研究室の近況
2000 年度
新しい研究室メンバーから
◎ご挨拶
朝岡 誠
今年三重大学を卒業し、学部研究生として行動科学のメンバーとなった朝岡誠です。愛
知県の岡崎出身で仙台は初めてですが、真夏でも 30℃を超えることがめったにないという
ことなので暑がりの私としては嬉しい限りです。三重大学では社会科学科という、法学部
と経済学部を合わせたような学科で政治思想をとっていました。政治思想ではアレントな
どを読むことでコミュニティーについてを学び、それによって社会と個人の関係について
興味を持ちました。社会と個人の関係はどのようなものであるのか、そして社会と個人の
関係はどのようなものであると好ましいのか、またその関係はどのように作り上げていく
べきかということを念頭に研究をしていきたいと思います。具体的には現代社会における
教育について研究したいと考えています。教育の問題は狭義では学校の制度的な問題があ
りますが、私は教育と自己イメージの関係、そして就業との関係について興味を持ってい
ます。最近文部省では「個性を伸ばす教育」をスローガンに教育改革を進めているようで
すが、私は人が自らに抱く個性とその人が取ろうとする進路に関してどのように教育が関
わるのかについて研究したいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
休学から復帰した三澤君から
◎自己紹介
三澤仁平
みなさんはじめまして。学部4年の三澤仁平(じんぺい)です。1998、99年度と
病気のため休学しておりました。今年度、復学し勉強できる喜びをかみしめています。
入院中、いろいろなことがありましたが、よい経験をさせてもらったと今では思えるよ
うになりました。
「成長したなー、俺も」と思いたいのですが、ただ歳を取っただけなのか
もしれません。
(宮城県白石高等学校出身)
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味はスポーツをすることとみることです。
特に、野球やサッカーなど球技ならなんで
もある程度はやったり、みたりします。ス
ポーツをするときにはぜひ誘ってください。
あとジャグリング(いわゆるお手玉など)
をやっています。
もしやりたい人がいたら、
僕に言ってください。よろしくお願いしま
す。(宇都宮高校出身)
2年生自己紹介
入山 浩一
初めまして。第一志望の行動科学に決ま
り、楽しい日々を過ごしています。
学友会弓道部に所属しております。
時々、
袴姿で出没するかもしれませんが、どうぞ
よろしくお願いします。(宇都宮高校出身)
近藤 厚
こんにちわ。近藤厚です。学籍番号は
99LB1074 です。昭和 55 年4月8日生ま
れ。おひつじ座、O型です。動物占いはチ
ーターです。出身高校は青森山田高等学校
です。趣味は、映画鑑賞で、特技はギター
を弾くことです。超なまけものです。一緒
にいないことをお勧めします。Eメールア
ドレスは、
[email protected] です。
遠藤 晃一
はじめまして。遠藤晃一といいます。年
は 19 歳、山形の酒田東高校出身です。好
きな食べ物は中華料理全般です。サークル
は防具空手部に入っています。趣味は音楽
鑑賞で、大体ランキングで 20 位から 30 位
ぐらいのところにいるような人の曲をよく
聞きます。
去年買った単車の扱いもこのごろ慣れて
きたので、暇があったらツーリングにでも
行きたいなと思っています。近場でお勧め
のところがあったら教えてください。
斎藤 謙一
新幹線通学をしています。チャリとあわ
せて最短でも1時間10分かかります。う
っかり大事な物を忘れた日は、1日 300 ㌔
以上移動します。仙台で酒を飲んだらたい
てい友達の家に泊めてもらいます。
最近Coolです。だからといって見放
さないでください。こう見えても実は寂し
がり屋なのです。1人で飯が食えないタイ
プです。そんな私ですが仲良くしてやって
ください。
(福島高校出身)
小原寿美子
交通手段:家が仙台から、1時間くらいか
かり、さすがに嫌になって原チャの免許を
とりました。が、1ヶ月後、衝突事故を2
回も起こし、再びバス通学になりました。
好きなスポーツ:バドミントン
(中学時代、バド部でした。)
バレーボール
今一番したいこと:インド旅行
(人生観が変わりそう)
今一番欲しいもの:体力と時間
一言:見た目はとっつきにくく、冷たそう
とよく人に言われますが、心の奥底ではみ
なさんといろいろな話をしたいと思ってい
るので、よろしくお願いします。
櫻井 健一
とうとう 2000 年になってしまいました。
昨年は色々と話題の多い年でしたが、意外
にもあっさりと過ぎ去ってしまい、そのあ
まりの口惜しさで僕の心は天にも昇らんば
かりの勢いです。もっと具体的に言うと、
トキをその手にかけて涙を流すラオスのよ
うな気持ちと言ってもいいでしょう。しか
し、僕は負けません。あの江田島平八大先
生のような真の漢になるために。
木庭 大介
はじめまして。名字は木庭と書いてこば
と読みます。熊本生まれ栃木育ちです。趣
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ばることにしました。そんな感じです。
よろしくおねがします。
鈴木 千鶴
私は、醤油ラーメンより味噌ラーメンが
好き、セガよりソニーが好き、リンゴより
ナシが好き、太平洋より日本海が好き、ラ
オックスよりヨドバシが好き、盆地より平
野が好き、ドラえもんよりドラえもんズが
好き、夜より朝が好き、コボちゃんよりの
のちゃんが好き、
世界史より日本史が好き、
トロよりエビが好き、TOMYよりBAN
DAIが好き、という人間です。よろしく
お願いします。
(山形東高出身)
藤沢 英幸
晴れて行動科学専修となりました、藤沢
です。具体的に行動科学は何をするのか、
何ができるのかなど全然分かりませんが、
「行動」
「科学」なら、自分の興味の範囲を
網羅しそうです。
サークルは、放送と演劇の二つに加わっ
てたりしますが、演劇の方には、ほとんど
加わらず、無駄に部費を払っていた気配が
あります。今後専修の方が忙しくなるだろ
うから、さらに影が薄くなっていきそうで
す。まあ、役者にも演出にも興味が無いよ
うな者には適当なオチかもしれないです。
そんなこんなで、これからよろしくお願い
します。
(秋田県立横手高校出身)
高橋 真也
私の小さい頃からの悩みは鼻の病気だ。今
でも耳鼻科に通っているが、なかなか治らな
い。言わば一年中、花粉症のようなものだ。
あるアンケートで、花粉症でなければもっと
いい大学に入れたと思う、と答えた大学生が
多くいたらしい。同意はしないが、気持ちは
吉田 夏美
・富山県立高岡高等学校出身
・学友会バレーボール部所属
・1980.8.15 生まれ
・太白区八木山本町 2-33-9-202 在住
・山崎まさよしさんがわりと好きです。
・散歩したりするのが好きです。
・原付(Vino)に乗っています。
・は虫類が嫌いです。
・暑さ、寒さにはとても弱いです。
・行動科学は難しいです。
・今年の目標は、
研究室に馴染むことです。
どうぞよろしくお願いします。
すごく分かる。気力を奪われるのだ。五感の
中でもいちばん大したことのない機能のよう
に思えるが、ダメだと結構つらい。やる気が
なさそうにしてても許して下さい。よろしく
お願いします。(山形東高出身)
谷 幸枝
出身校 北海道札幌市立開成高校
好きなこと dance(Hip Hop)
好きなもの 香水
今頑張りたいこと ダイエット 英会話
将来の夢 心理捜査関係
∼小話を一つ∼
私の家族は北海道の岩見沢市にあります。
仙台の夏は北海道に比べると暑いのでつら
いです。しかも扇坂を自転車で登って登校
してくると汗ダラダラです。いやになりま
す。そんなわけで、原付免許をとりたい今
日この頃です。
ところで、今年こそは白ラメビキニの似
合う素敵で知的な人になれるよう頑張ろう
と思います。だから、勉強をいっぱいがん
橋本 陽介
さてさて、いったいどんな人でしょ
う??
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