「いわお」の抜粋

逗子聖ペテロ教会『いわお』67 号
日本聖公会横浜教区逗子聖ペテロ教会
主教
牧師
発行
ローレンス 三鍋裕
司祭イグナシオ 入江修
〒249-0006 逗子市逗子 6-5-2
Tel/Fax 046-871-2764
http://nskk.org/yokohama/zushi/
日本聖公会横浜教区逗子ペテロ教会
いわお編集委員会
2008 年 11 月 16 日発行
放蕩息子のささやき
司祭
イグナシオ
教会暦の11月は諸聖徒日で始まる。
その夕の礼拝の第2日課は、ヨハネの
黙示録が選ばれており、
「わたしは都の
中に神殿を見なかった。全能者である
神、主と小羊とが都の神殿だからであ
る。」(21:22)、「もはや、夜はなく、
ともし火の光も太陽の光も要らない。
神である主がしもべ僕たちを照らし、
彼らは世々限りなく統治するからであ
る。」(22:5)と書かれている。
昨年11月の教区会で宣教主事を仰
せつかって以来、改めて「宣教」とは
何か、どういうことかを思い巡らし、
悩んで来た。その中で一つ思うことは、
宣教を議論している内に、それがいつ
の間にか、この世の教会を維持するた
めの議論にすり替わってしまっている
ということである。
各教会でも、知恵を絞っていろいろ
な企画をし、何とかキリストによる命
の福音を宣べ伝えようとしている。し
かし、その行き着く先が、つい自分た
ちのいるこの世の教会という組織や建
物の維持に、知らず知らずの間に向か
ってしまっているということなのであ
る。
そこで改めて、先ほどの諸聖徒日の
夕の礼拝の第2日課の御言葉を考える。
もはやこの世の神殿も光も必要なくな
る。それは、神の御国が完成されて、
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入江修
神ご自身が共にお
られるからである。
その時、神のご臨在
をこの 世に指し示
す神殿 は必要なく
なる。同様に、この
世にキリストの命
の福音 を現わすた
めの教会は、もはや
必要なくなるのである。何故なら、至
るところ全てに、キリストの命が満ち
満ちるからである。それが、私たちの
目指すべき最終地点であり、この世の
教会が、証している命なのである。
つまり、キリストの体である教会は、
御国が完成する時、その使命を完了す
る。御国が完成したならば、そこはキ
リストの命が満ち満ちており、全てが
キリストの体となるからである。
神殿は神ご自身に取って替わり、真
の光がすべてを照らすことにより、そ
れを指し示すためのしるし徴は、その
役目を終えるのである。
そこに至るまで、この世の教会はキ
リストの命を証し続けなくてはならな
い。しかし、御国が完成される時、全
てが教会となるという意味でその働き
を終える。私たちが目指し、そして向
かうべきところは、まさにそこなので
はないだろうか。