駐在員が見たドバイ(2007~2008)

会報2010年11月号
Japan Commerce Association of Washington, D.C., Inc.
「駐在員が見たドバイ(2007~2008)」
NTTワシントンD.C.事務所 細井 浩之
テーマ・分量自由、何か面白いものを、というのが広報担当理事からの依頼だ。趣味のランニン
グについては新任理事の自己紹介で書いてしまったし(その後、ハーフマラソンのレース中に熱中
症で倒れ病院に運び込まれる事故はあったものの、懲りずに走り続けている)、1991年から1992
年ジョージタウン・ロー・センターの学生としてワシントンに住んだ当時の思い出も、2度目・3度目の
駐在が珍しくない当地ではありきたりだ。だが、ワシントン広しといえど最近まで中東に住んでいた
日本人は珍しいかもしれない。というわけで、ワシントンに赴任する直前まで住んだアラブ首長国連
邦(UAE)ドバイを紹介してみたい。
ドバイは、9・11事件を契機に米国を嫌ったオイルマネーを集めて、急速な発展を遂げた国
だ。NTTグループで国際通信事業を担うNTTコミュニケーションズ(NTTコム)が2006年12月に開
設したドバイ事務所の初代所長として、私がドバイに駐在したのは、2007年2月から2009年の2月
のちょうど2年間。この間、原油価格はうなぎのぼりで2008年7月に1バレル147ドルをつけたあと、
リーマン・ショックを経た12月に40ドルまで落ち込む。ジェットコースターさながらの油価の動きに連
動するようなドバイの浮沈を私は目のあたりにすることになる。
当時、ドバイは建設ラッシュに沸いていた。椰子の木の形を模した人口島や、高さ828メートルで
現存する建造物の世界記録を塗り替えたブルジュ・ハリファ(落成式当日にドバイ危機を救済した
アブダビ首長国のハリファ首長(UAE大統領でもある)の名をとって命名される前はブルジュ・ドバ
イと呼ばれていた)、中東初となる無人鉄道システム、ドバイ・メトロをはじめとする、大型の建設プ
ロジェクトが同時進行していた。日系ゼネコンの知人は否定していたが、世界中の大型クレーンの
3分の1がドバイに集まっているという話を当時よく聞かされたものだ。実際、面積は埼玉県とほぼ
同じなので決して大きいとは言えない国全体が工事中という雰囲気があった。日系企業では、大成
建設が最初の椰子の木形人口島パーム・ジュメイラを、三菱商事・大林組などのコンソーシアムが
ドバイ・メトロの建設を請け負っており、他にも空港の拡張工事などで大手ゼネコンが軒並み活躍
していた。私が最初の1年間住んだアパートの部屋は、ドバイ・メトロの軌道に面していて、大林組
や鹿島建設のロゴが入った黄色い芋虫のような巨大な機
械がコンクリートのブロックを継ぎ足していく様子をみること
ができた。ベランダから毎日少しずつ伸びていく軌道を眺め
ながら日本人として誇らしく感じたことを思い出す。このドバ
イ・メトロ、政府が公約していた2009年9月9日(松本零士の
「銀河鉄道999」からとったのかと関係者に聞いたことがあ
るが、一笑に付された)に開業したことも、韓国のサムソン
建設が請け負ったブルジュ・ハリファ(2010年1月に落成)を
始めとするおよそ全ての建設プロジェクトが遅れに遅れる運
命にあるドバイにあって、日本企業のプロジェクト・マネジメ
ント能力の優秀さを示すものとして特筆しておきたい。
パーム・ジュメイラ(模型)
アラブ首長国にある7つの首長国の中で、豊富な石油埋蔵量を誇るアブダビに対して、ドバイのそ
れは少なく、自国で売る石油でさえ、アブダビから調達しなければならないほどだ(現在は同じ価格
になっているが、消費者がガソリンを価格が安いアブダビに買いに行った時代があったと聞いた。
私がいた時期にも原油高騰によりディーゼルで同じ現象が起き社会問題になっていた)。資源に乏
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しいことを自覚したドバイの首長(要するに王様)は、国が生きる道として早くから中継貿易に着目
し、港湾や空港を整備、次に中東の金融センターたらんとドバイ国際金融センターを作って外国の
金融機関を誘致する。SMBCを筆頭に日本の3メガ・バンクがこの国際金融センターに次々に進出
したことが、NTTコムがドバイに進出する大きな動機の一つ
にもなった。ドバイ国際金融センターや、再輸出の拠点で日
系のメーカーが100社以上入居するジュベル・アリ・フリー・
ゾーン、NTTコムや2年遅れでKDDIが入居することになる
ドバイ・インターネット・シティー、日経新聞やNHKが入居し
たドバイ・メディア・シティーなどは、フリー・ゾーンと呼ばれ
る経済特区で、特区の外での営業活動を制限されるかわり
に、市中にオフィスを構えた場合に要求されるUAE人の雇
用義務を免除されるなどの特典がある。ゼネコンを除く日系
企業のほとんどが、こういったフリー・ゾーンのいずれかに
建設中のドバイ・メトロ
事務所を構えている。
ドバイの人口の80%は外国人が占める。外国人の大半はインドやパキスタンと言ったインドアジ
ア大陸からの出稼ぎ労働者で、ドバイが「世界で一番美しいインドの街」と揶揄される所以だ。企業
の中間管理職にもインド人が多く、実務はインド人が回している印象がある。一般論だが、UAEロ
ーカルは楽な仕事を好み、知的レベルは相当低いというのが現地駐在員のコンセンサスだ。一度、
総務の女性に小切手を渡して銀行の窓口に現金をおろしにいかせたところ、一桁多い現金を渡さ
れて、どうするかと電話をもらったことがあった。もちろんすぐに返すように指示したが、アバヤ(後
述)をまとった窓口の女性は、すました顔をしていたということだ。日本人学校の敷地内で銃弾の破
片が発見されるという事件が起き日本人コミュニティーを震撼させたこともあった。近所に住むUAE
ローカルの子供が親の猟銃で鳥を打って遊んでいたことが判明し、教育以前の問題としてどういう
しつけをしているのか唖然としたものだ。この国の持続的発展には若年層の教育が鍵を握っている
と思う。隣の首長国アブダビでは、UAEローカルの子弟を日本人学校に入学させるなど、指導者層
が教育の重要性に気づいているのが救いだ。 日本人駐在員がドバイを暮らしにくいと感じる点の第一は、なんといっても気候だろう。夏は最高
で摂氏50度、湿度100%を記録することがあり(多湿なのは海に面しているため)、1年の半分は外
を歩くことが困難だ。(冬は摂氏10度台まで気温が下がり、毎年1月、賞金総額世界一を誇るドバ
イ・マラソンを開催できるほどになる。)1年を通じて雨はめったに降らないが、冬にはたまに降るこ
とがあり(雹まで降って驚いたことがある)、道路が冠水して交通渋滞を引き起こす。雨が降ることを
想定して都市計画をしていないからだ。ちなみに、地震もめったにないが、私のいた2年間にイラン
を震源地とする地震が何度かあり、慣れていないせいかエレベーターを使って避難しようとする市
民が続出して問題になった。
駐在員を悩ませる点の第二は休日の違いで、金曜日と土曜日が休みであること。米国の東海岸
と比べると、日本との時差は5時間なので、平日に日本と電話でやりとりしながら仕事をすることが
できるのはよい。だが、金曜日に東京から携帯電話で呼び出されるのには閉口した。重要な電話
に限って金曜日にかかってくることが多いから、電話を切っておくわけにもいかない。もっとも、例え
ばサウジアラビアなど木曜日と金曜日が休日の湾岸諸国に比べればまだましではある。犠牲祭、
昇天祭やラマダン明けなどイスラム教の祭日がいつになるか直前になるまでわからないというのも
困りものの一つ。イスラム法学者が月をみながら決めるからだそうだ。これだけ科学が発達してい
るのだから事前に計算できそうなものだと思うが、予測が一日二日ずれることがよくある。そうとわ
かってからは重要なアポは祭日の近くに入れない習慣がついた。この他、(子)ブッシュ大統領(当
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時)がUAEを訪れた際には、セキュリティの理由だろう、突
如休日が宣言されるなどという珍事も起こった。
上記のように雨はほとんど降らないから、水道水は海水
を淡水化して供給している。電力不足の懸念は取り沙汰さ
れていたが、個人的にはついぞ停電は経験しなかった(真
夏に停電した時のことを考えると恐ろしい)。ドバイ・メトロが
できてからは幾分緩和されたと聞くが、ラッシュアワーの交
通渋滞は深刻で、渋滞緩和を名目にサリクとよぶ通行料徴
収システムが幹線道路に導入された。このシステム、車の
フロントガラスにつけたプリペイドのタグの情報をトールゲ
ートが無線で読み取る仕組みで、日本のETSのようにゲー
トをくぐる前にいちいち減速する必要がないのが凄い。米国
といい勝負をしていると思うのは郵便で、日本からの普通
郵便は届かないことがよくあるから、重要な書類はクーリエ
を利用しなければならない。電話会社は2社あるが、競争し
ているのかいないのかよくわからない感じで、インターネット
もADSLを提供しているものの、料金は高く、速度は遅い。
また、湾岸諸国では珍しくないが、ウェブサイトの内容(例え
ば、ポルノやギャンブルなど)によって、アクセスできないよ
うにするフィルタリングが行われる。ユニークなのは、スカイ
プなどボイス・オーバーIP(VoIP)がブロックされることで、本
国に残した家族と長電話を楽しみたい単身赴任者の不興を
買っている。私が住んでいた頃はフェイスブックやミクシィな
どのソーシャル・ネットワーキング・サービスのサイトまでブ
ロックされていたが、現在は解禁され、ムハンマド首長まで
フェイスブックをやっているらしい。
ドバイもイスラム教国なので、宗教上の制約はそれなりに
ある。だが、他の宗教に対しては比較的寛容だ。例えば、イ
スラム教徒が口にすることを禁じられている豚肉もスーパー
の片隅で売られている。ホテルの中にあるレストランではア
ルコールを注文することができ、リカー・パーミットという簡単
にとれるライセンスを見せればアルコールを買うことができ
る酒屋もある(いずれもイスラム教徒は不可)。クリスマスと
建設中のブルジュ・ハリファ(2008.3)
もなれば、ショッピングモールには巨大なクリスマスツリーが
出現する。イスラム教は女性が男性の前で肌をみせること
をよしとしないため、湾岸諸国ではローカルの女性はアバヤという黒いマントのような衣で全身を覆
っている。ただ、サウジアラビアのように外国人女性に対してもこれを強要する国と違い、ドバイで
はイスラム教徒以外の女性には強制しない。この結果、ショッピングモールなどではアバヤを来た
黒ずくめの女性と水着に近い服装でへそや背中を丸出しにした女性がすれ違うというなんとも不思
議な光景を目にすることになる。知人から聞いた話だが、娼婦が出入りするナイト・クラブすらドバ
イには存在する(私は出入りしていません、念のため)。娼婦は旧ソビエト連邦や中国からの出稼ぎ
が多いようで、おそらく中国人娼婦と間違えられたのだろう、タクシーの運転手に声をかけられたと
言って憤慨する日本人女性の愚痴を何度か聞かされた。一方、厳罰主義なのが麻薬で、数グラム
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のマリファナを所持していたために拘束され、刑務所行きになる旅行者が後を絶たない。当地に転
任後、米国でマリファナを合法化すべしという運動があるのを知って、環境の変化を感じたものだ。
米国と比べて暮らしやすいと感じる点もないわけではない。まず、治安は非常によい。米軍関係
の施設を置いていないせいかもしれないが、UAEは湾岸諸国で唯一テロが起きていない。かつて
この国を統治していた英国仕込みの諜報機関が、おびただしい数の監視カメラを駆使して監視して
いるからだと言う人もいるし、テロリストをかくまっているからだ(テロリストも自分の住家を攻撃した
りはしない)という人もいる。本年2月、イスラム原理主義グループハマスのメンバーをイスラエルの
情報機関ムサドがドバイで暗殺するという事件が報道された。ドバイ警察の威信を少なからず傷つ
けたこの事件は、ドバイが各国の諜報機関が暗躍する舞台であることをはしなくも見せつけた。ま
た、治安の良さから亡命政治家などのVIPも多数住んでいるようだ。例えば、パキスタンのブット元
首相が家族とともに、私の住むホテルのすぐ近くの高級住宅街に8年間も住んでいた。それを知っ
たのは、2007年12月に彼女がパキスタンに帰国して自爆テロで暗殺された後のことだ。
UAEの通貨であるディルハムは米ドルにペグしている。
私がいた頃は、インドやヨーロッパからの輸入が多い食料
品がドル安の影響で高騰を続け、政府がカルフールなど大
手スーパーと覚書を結んで主要食料品の価格を固定すると
いうかなり強引な価格統制をしていた。それでも、2008年7
月当時、卵の価格は日本の約2分の1で、牛乳などもかなり
割安だった。また、外食も、チップの習慣がなく、(検討はさ
れているものの)消費税や付加価値税がない分だけ、ワシ
ントンよりドバイの方が安上がりという気がする。年々高騰
を続けていたアパートの家賃やホテルの宿泊料金も、供給
過剰が原因で現在は値下がりしていると聞く。
ジュメイラ・ビーチ・ホテル(手前)と
「7つ星ホテル」ブルジュ・アル・アラブ
ドバイからワシントンに移り住んで1年半が過ぎた。空前のブームにあったドバイに住んだ2年間
を振り返ると、長い夢をみていたような不思議な感覚にとらわれる。いつか、ドバイ・メトロに乗り、ブ
ルジュ・ハリファの展望階から地上を見下ろしてみたいものだと思いつつ、ドバイ再訪を果たせない
でいる。
この原稿を書くにあたって、2年間ほぼ毎日欠かさず更新していたブログを久しぶりに参照した。
匿名ブログだが、「ドバイ駐在」で検索すると現在でも上位にランクされるので、ドバイに興味を持た
れた方は、訪れてみていただきたい。なお、文中、個人名・社名に対する敬称は略させていただい
た。
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