ときがわ町の慈光寺に伝来した国宝 法華経一品経は

Vol.10-2 第 29号 2015. 9 . 1 1
ときがわ町の慈光寺に伝来した国宝 法華経一品経は、平成 20 年度から修理が進められてきました。その
終了を記念し、全巻を初めて公開します。修理の過程で新たに明らかになったことなども合わせて紹介し、
文化財保護への理解を深めていただく機会となれば幸いです。
※法華経一品経は、前期・後期に分けて全巻を公開します。
特 別 展「慈光寺 ― 国宝 法華経一品経を守り伝える古刹 ―」
平成 27 年 10 月 10 日(土)~ 11 月 23 日(月・祝)
法華経一品経と大般若経
た や す
つ田安家ゆかりの人々により補写が行われました。
じ こ う じ
ほ
け きょう
この特別展の中心となる慈 光寺所蔵の法 華 経
い っ ぽ ん きょう
平成 20 年から 7 年がかりで行われた今回の修理
一品経 ( 以下、慈光寺経 ) は、埼玉県内にある国宝
では、科学的な調査も行われました。装飾に用いら
5 件のうち、最も早く文化財指定を受けています。
れた真鍮泥が劣化の原因の一つではないかと推定さ
明治 39 年 (1906) に旧国宝、昭和 27 年 (1952) に
れるなどの成果があり、修理に役立てられました。
は現在の文化財保護法により国宝に指定されました。
特別展ではその一端も紹介します。
しんちゅう で い
平安時代から鎌倉時代にかけて貴族の間では法華
経信仰が盛んになるとともに、華麗な装飾を施した
慈光寺には、もう一つ重要な経典が伝来していま
装飾経の制作が流行しましたが、慈光寺経もその一
す。重要文化財に指定されている大般若経です。各
例です。
巻末に貞観 13 年 (871) 、安倍小水麿の願文があり、
だ い は ん に ゃ きょう
じょうがん
あ べ の お み ず ま ろ
がんもん
「小水麿経」と呼ばれています。もとは全 600 巻の
長大な経典ですが、数行を切り取って茶掛にされる
など散逸したものも多く、江戸時代には半分ほどに
なり、現在、慈光寺に残っているのは 152 巻だけ
です。
けれども平安時代前期の写経がまとまって伝来
する例は少なく、大変貴重です。慈光寺経のよう
に華やかな装飾はなく、同じように見える経巻で
すが、実は紙の色や筆跡に違いがあります。巻末
にある同じ文言の願文も書き方が異なっており、
授記品
書写を担当した僧たちの個性が反映されています。
きょうもん
経文が行間を蛇行するなど、大らかな一面も見る
ほん
法華経を写経する際は、全体を 28 品に分けてそ
ことができます。
れぞれを 1 巻とし、1 人が 1 品を受け持つことが一
般的で、これを法華経一品経と呼びます。完成後は
法要を営むなど、一大事業でした。付属する文永 7
年 (1270) の筆者目録から、慈光寺経は鎌倉時代初
ご
と
ば じょうこう
ぎ しゅう い ん も ん
ふじわらにんし
期、後鳥羽上皇とその中宮・宜 秋 門院(藤原任子)
くじょうかねざね
や中宮の父である九条兼実など九条家にゆかりのあ
る人々が制作に関わったのではないかと推定されて
います。
かいせん
きりかね
界線を截金で引いたものや、紺紙に金・銀を用い
りょうし
たものなど、1 巻ごとに料紙や装飾方法が異なり、
書風も違います。贅を尽くした華麗な慈光寺経です
が、長い時間を経るうちに劣化、失われた巻もあり
ます。そして何度かの修理を経て現在に至っていま
ご さ ん きょう
す。江戸時代の寛政 2 年 (1790) には、御三卿の一
2
大般若経 巻第五百七
慈光寺の歴史と守り伝えられた文化財
国宝法華経一品経が伝来する慈光寺は、奈良時代
こ さ つ
の創建といわれる県内屈指の古刹で、比企郡ときが
にしだいら
わ町西平にあります。鎌倉時代の『吾妻鏡』などで
は、源頼朝や畠山重忠など著名な武将が信仰してい
たことを伝えています。その後も足利尊氏や徳川家
康など各時代を通じて権力者との関わりがありまし
ど う う
た。最盛期には一山 75 坊あったという堂宇は、戦
乱期に多くが失われ、江戸時代初期には、かなり厳
しい状態であったようです。残念ながら記録類はほ
とんど現存せず、その歴史の詳細は不明な点が多い
ものの、伝えられた文化財から、往時の姿の一端を
木造宝冠阿弥陀如来坐像
知ることができます。
がくとう
おうちん
ところで、この阿弥陀像のため、学頭の翁鎭が元
もくぞう かんのん ぼ さ つ ざ ぞ う
せ い し ぼ さ つ
本堂に安置される木造観音菩薩坐像・勢至菩薩
ざ ぞ う
どう せい こう ろ
禄 3 年 (1690) に奉納した銅製香炉が残されていま
坐像(写真下)は、やや細身の体に柔和な顔立ちの
す。応鎮の名は、浄土院跡にある石碑「奉彫刻弥陀
像で、平安時代後期の優美な姿をしており、ときが
千体供養所」( 宝永 5 年 /1708) にも見えます。こ
わ町指定文化財に指定されています。
の石碑には浄土院の官隆の名も刻まれています。官
か ん りゅう
隆は自ら仏像を彫っていたらしく、その名が書かれ
た仏像が寺の内外で確認されています。応鎮や官隆
は、寺の興隆に力を尽くしていたと考えられます。
また、県指定文化財の絹本着色徳川家康像 ( 写
真 右 ) は、 文 化 2 年
ぎ ね ん
(1805)、義 然により
修理が行われていま
す。
慈 光 寺 で は、 昭
和 60 年 (1985)、
し ゃ か ど う
ざ お う ど う
釈迦堂・蔵王堂が火
災 に 遭 い、 本 尊 の
し ゃ か にょらい ざ ぞ う
釈迦如来坐像など多
くの文化財が焼失し
木造勢至菩薩坐像
ました。辛うじて残っ
から
この 2 体が寺外で公開されるのは初めてのこと
も く ぞ う て ん ぶ りゅうぞう
で、この他にも、木造天部立像(奈良時代)や、観
も く ぞ う じゅういちめん か ん の ん ぼ さ つ りゅうぞう
じ
し
た唐 獅 子の彫刻は、
釈迦堂正面の部材で
音堂に安置されている木造十一面観音菩薩立像(室
あり、勇壮な堂の姿
町時代)なども寺外初公開となります。
を思い起こさせます。
もくぞうほうかん あ み だ に ょ ら い ざ ぞ う
鎌倉時代の木造宝冠阿弥陀如来坐像(県指定文化
貴重な文化財も天災・
財・写真右上)は、表面こそ傷みがみられるものの、
人災により一瞬のう
けい は
写実的で端正な像で、慶派仏師の作と考えられます。
じょうどいん
絹本着色徳川家康像
ちに失われ、二度と戻ることはありません。各時代
この像は、明治時代末期に廃された浄土院の本尊で
に、守り、伝えようと努力された人々にも思いを馳
した。
せていただければ幸いです。
(展示担当 西口由子)
3
受け入れる博物館、出向く博物館
歴史と民俗の博物館では、博学連携事業の一環と
博学連携のもう一つの柱が「出前授業」です。出
して、来館していただいた幼稚園・小学校・中学校・
前授業で提供するプログラムは
「古代から教室へ」
「衣
高等学校・特別支援学校などの団体に、地域の歴史
装から学ぶ日本の歴史」
「昔の道具体験」の 3 つです。
と民俗を活用した、博物館ならではの様々なプログ
いずれも 1 クラス 1 時限を基本としています。
ラムを提供しています。
「古代から教室へ」では、縄文・弥生・古墳・奈
良時代の土器に実際にさわって感触や重量を確かめ
られます。土器の用途について、当時の食生活と関
連させながら解説します。
「衣装から学ぶ日本の歴史」では、縄文時代から
明治時代まで、各時代の衣装着装の体験(クラスの
代表 10 名程度)ができます。衣服の特徴を歴史的
背景にも触れながら解説します。
かご
ば し ご
「昔の道具体験」では、背負い籠、背負い梯子、
てんびんぼう
いしうす
天秤棒、石臼など、主に江戸時代から昭和初期まで
『学校と博物館の連携・利用案内』
の農具や生活用具を実際に体験できます。道具の説
プログラムの内容や利用方法は、県内の小中全校
へ配布している『学校と博物館の連携・利用案内』
のほか、当館 HP でいつでも閲覧できます。おかげ
さまで、県内外からのご利用は年々増加傾向にあり
明や時代背景について解説します。
また、当博物館「ゆめ・体験ひろば」の通常体験
「まが玉作り」
「ミニ絵巻物作り」についても、材料
費はかかりますが出前授業が可能です。
学校からの依頼を受け、出前授業の内容について
ます。
プログラムは展示見学と、体験で構成し、授業の
電話や FAX で日程や事前準備について訪問先の学校
一環として活用していただけるよう、学習指導要領
の先生方と調整をします。10 日前までにご連絡い
うに沿ったものを用意しております。
ただければ対応致します。
てんびんぼう
よく利用される体験は、火おこしを始め、天秤棒
担ぎなどの昔の道具体験、ベーゴマやけん玉などの
昔遊び、藍染めやまが玉などのもの作りです。
煙があがれば
シールが
もらえる~!
三郷市立彦郷小学校での出前授業
実際に出前授業を利用されたどの学校からも本物
さいたま市立常盤小学校の児童たち
に触れることができてよかったという感想をいただ
体験指導には博物館職員だけでなく、博物館ボラ
いています。子供たちの目が輝き、笑顔で授業に参
ンティアの方々が児童一人ひとりに分かりやすく、
加する姿を見ると、こちらもうれしくなります。出
温かく対応しており、
子供たちからは「楽しかった !」
前授業を通して、少しでも歴史に興味をもっていた
「もっと学びたい」
「また来たい !」などの感想が寄
せられています。職員・ボランティア一同はそれを
励みに、多くの学校のご利用を心よりお待ちにして
おります。 4
だき、学校の授業の一助になることを願っています。
ぜひ、ご活用ください。
(学習支援担当 佐藤雅裕、刀根理恵子)
天井耐震
特別展示室の を行います
事
工
強
補
埼玉県のマスコット
コバトン
当館のイベントガイドをご覧になったことはあり
ますでしょうか。中を開いて平成 27 年度展示カレ
ンダーを見ていただきますと、特別展、季節展示の
欄が 12 月から 2 月まで改修による休室となってい
ます。どのような改修をするのかなと思われた方も
いらっしゃるかもしれませんが、実はこの間で特別
展示室の天井耐震補強工事を行います。
当館は 1971 年に埼玉百年事業のひとつとして建
設されました。環境との融合をテーマに設計された
この建物は、大宮公園の樹木の間に配置され、樹木
に埋まるような高さに抑えられています。中庭から
エントランスホールに入ると左手が地階からの吹抜
けホールとなっており、またエントランスホール後
方にある特別展示室は、上部が吹抜けとなっています。
1995 年に、当時発生した阪神・淡路大震災を教
訓に、1981 年以前の建物に耐震診断が義務付けら
れました。当館は耐震診断の結果、構造物自体は大
きな力に十分耐える設計がなされていると診断され
ています。 2007 年には、建物の耐震補強工事が行われま
特別展示室の天井
天井の耐震補強工事を行うこととなりました。
工事内容としましては、天井の構造を現行の基準
にあったものへ改修し、より安全にするというもの
になります。具体的には、吊ボルトにブレース(斜
めの部材)を入れて補強するとともに。壁と天井と
の間に隙間を設けることにより、地震の際にお互い
が干渉することを防ごうというものです。
した。この耐震工事では、
エントランスホールに入っ
て右手にあるコインロッカー室入口の柱上部に耐震
スリットを新設しています。スリットとは隙間のこ
とで柱と壁を切り離し、その間に 5cm ほどの隙間を
作っています。これにより、地震時、入口部分の壁
のない箇所の柱に集中的に力がかかるのを防ぎ、地
震に対する粘り強さを向上させています。
2011 年の東日本大震災では、当館の被害は展
示室、バックヤード等で展示物や資料の落下があっ
たものの、建物や施設設備等の被害はありませんで
した。
2013 年に、東日本大震災において、建物内の
天井や照明設備が落下することによる被害が多かっ
たことから、天井の脱落防止対策が義務付けられま
した。
対象となるのは、天井の高さが 6m を超え、面積
が 200㎡を超える部分のつり天井です。
特別展示室天井内の様子
今回の工事は冬の企画展期間に行うことから例年
より企画展が一つ少なくなってしまい、皆様にはご
迷惑をおかけすることとなりますが、より安心して
来館いただける建物となりますので、ぜひ工事後の
企画展をお待ちいただければと思います。
(施設担当 井上裕史)
当館では特別展示室の天井が対象になり、今回、
5
歴史のしおり 72
地域の中の東照宮 ∼消えた東照宮をさぐる∼
まつ
本年、徳川家康没後 400 年を迎え、家康を祀る
勧請したものと記されています。そして当寺では、
全国の東照宮では式年祭が催され、各地の博物館
東照宮を鎮守として祀り、家康の命日にあたる 4
では家康を取り上げた展示などが盛んに行われて
月 17 日には金剛経を読誦奉納し、天下安全・五
います。
穀成就を祈祷したとその由緒を披露しています。
ここ埼玉県は、家康の鷹狩探訪の地であったこ
せ ん ざ
とや、家康神霊が久能山から日光に遷座される際
せ ん ば
どくじゅ
しかし、寛永 3 年に東照宮を勧請したとする点
については、同年代の「寒松稿」などにその記載
には天海により法要が行なわれ、川越仙波東照宮
が見られないことから、定かではありません。禅
が創建されるなど、家康と深いつながりを持つ地
珠は、慶長 7 年(1602)
、家康の命により足利学
域です。
校庠主に就任しますが、こうした縁もあり禅珠が
このような家康とゆかりが深い土地には、各大
東照宮を勧請したのでしょうか。いずれにせよ、
名が祀った東照宮をはじめ、村人宅や、地域寺社
寛政 7 年の調査の際には、長徳寺には確かに東照
かんじょう
の境内にも東照宮が勧 請されることがありまし
宮が祀られていたのです。
た。埼玉県は、東照宮が全国で三番目に多い県と
残念ながら現在、長徳寺境内に東照宮を見つけ
も言われていますが、江戸時代には、今に伝わる
ることはできません。その理由は詳らかではあり
東照宮の他にも、さらに多くの東照宮が祀られて
ませんが、明治初期の神仏分離の影響か、あるい
いました。
は近代化の中で失われてしまったのかもしれませ
しょう しゅ
つまび
足利学校 庠 主(学頭)や、鎌倉建長寺住持
ん。また安置されていた、7 寸の家康坐像につい
を務めた龍 派禅 珠 和尚、また禅珠が著した漢詩
てもどのような姿だったのか、そしてどこに消え
りゅうは ぜん しゅ
かんしょうこう
こ さ つ
集「寒 松稿」などで著名な川口の古 刹、臨済宗
だ い ち さ ん ちょう と く じ
ほ う し
たのかなど、興味は尽きません。引き続きこの坐
大 智山 長 徳 寺 もかつて東照宮を奉 祀していまし
像の行方について調べていきたいと思います。
た。長徳寺に、なぜ東照宮が祀られ、またそれは
長徳寺のように、現在では失われてしまった東
いかなる姿だったのでしょうか。
照宮であっても、江戸時代の東照宮の様子を今に
寛政7年(1795)
、幕府は有力寺社に対して東
伝える資料が残されている事例が他にもあるかも
照宮の所在調査を行っています。長徳寺には、本
しれません。徳川家康没後 400 年をきっかけに、
調査に対する回答書の控え(写真)が残されてお
県内の東照宮やその遺品について調査していきた
り、ここから長徳寺東照宮の姿を知ることができ
いと考えています。
ます。
(展示担当 中村陽平)
当資料によると、長徳寺東照宮は、1 間半(約
2.7 m)に 1 間(1.8 m)の板葺の宮殿(東照宮)に、
2 間(3.6 m)に 2 間半(4.5 m)の茅葺の「外蓋」
おやしろ
をもつ御社であったようです。そして、そこには
ご そ く たいもっこく の そんぞう
7 寸(約 21㎝)の坐像「御束帯木刻之尊像」が安
置されていたと記されています。まさしく本像は、
束帯姿の典型的な神像形式の木造徳川家康坐像で
あったと考えられます。
続けて同資料には、長徳寺東照宮は、同寺が御
みょう が
朱印地(40 石)を拝領した冥 加 として、寛永 3
年(1626)
、禅珠が境内に鶴ヶ丸八幡宮(現存)
し ん し
を勧請した際、八幡宮の南西に「神祠」を構え、
6
「東照大権現神祠」 長徳寺蔵
学芸員ノート
墨の力
近年ではデジタル化が急速に進み、パソコンやス
現在の筆記具は、ボールペンやサインペンなど、
マートフォンが多く普及する時代となり、筆を使っ
機能性もよく使いやすいものばかりですが、ボール
て文字を書く機会が減っているのではないでしょう
ペンで書いたものは年月が経つとその文字が滲んで、
か。やはり筆で文字を書くというと、少し敷居が高
しまいます。しかし、墨で書かれた昔の手紙などは
いように感じ、遠い存在に思いがちです。しかし近
保存状態の善し悪しにもよりますが、数多く残って
しょ
にじ
頃では、筆で文字を書く「書」が私たちの身近な存
ています。その多くは今でも墨色が濃く、その文字
在になりつつあります。少し前になりますが、
「書
がはっきりと読めるものばかりです。墨で書かれた
道ガールズ」という言葉が流行し、音楽に乗せて書
ものというと、書作品や水墨画等、美術的な資料が
を描くパフォーマンスが人気となり、今までとは違
連想されがちですが、博物館でも数多くの資料を見
ったかたちの書を目にする機会が増えてきました。
ることができます。古文書はもちろんですが、墨で
書というと文字ばかりが注目されがちですが、その
書かれた資料は紙だけではありません。民俗資料や
文字を作り上げるのに重要な用具用材のひとつが、
考古資料にも墨書が見られ、歴史的資料として博物
すみ
「墨」です。ここでは、文字を書くことに欠かすこと
館で見ることができます。民俗資料には、製作地や
のできない墨について触れていきます。
制作者、
製作年代などが書かれており、
考古資料には、
中国の漢時代
(紀元前 206年〜紀元前 220 年)に、
漢字などの文字や符号や記号、絵などが墨で書かれ
ぼく がん
墨丸といわれる小さな球形の墨があったことが、発
すり
掘された硯から推測できます。当時は平面の硯に磨
いし
ています。
墨は、情報を記すために文字を書くだけの道具と
石が付いており、その磨石で小さな墨丸をすり潰す
いうわけではありません。樹木の保護材としても墨
ようにしていました。そして、紙の発明により、墨
は使われています。切り口に墨を塗ることで、腐る
丸では間に合わなくなり今の墨の原型ができました。
のを防ぎまた防虫効果もあります。また、墨の原料
日本の墨についての記録では、
『日本書紀』に書かれ
の一つである膠の匂いを消すために用いられた香料
ているものがもっとも古いとされています。そこに
は、使う人の気持ちを落ち着かせるという作用もあ
は、推古天皇の時代と記されていますが、古墳時代
ります。昔は、天然香料の白檀・龍脳・梅花・麝香
の壁画などには、墨や朱、緑、黄などがみえるとこ
等を使用していましたが、今では、合成香料の梅花・
ろから、もっと早い時代から外国より伝わっていた
麝香等多種普及しています。
と考えられます。また推古天皇の時代に、中国より
みなさんも墨の様々な力を、目で見て感じてみて
伝わった仏教文化を受けて写経が盛んになり、輸入
はいかがですか。
びゃくだん
りゅう の う
ば い か
じゃこう
だけでは追いつかず、日本でも製造するようになり
ました。
(展示担当 髙橋美貴)
墨の製造方法は、まず墨の原料となるすすを採取
するところからはじまります。採取したすすは、釜
にかわ
で液体にした膠と練り合わせます。膠は、動物の皮
からとったコラーゲンを含むタンパク質の一種です。
そして練り上がった墨玉に膠のにおいを消すために
香料を加え、手足を使ってよく揉み込みます。その
後、木型に入れて成形をし、乾燥させます。乾燥さ
せた墨は、
表面のほこり等を洗い、
再び乾燥させた後、
ハマグリの貝殻を使って磨いたり、膠液を薄く塗っ
たりします。最後に彩色を施して墨が完成します。
にぎり墨
7
歴史と民俗の博物館イベント情報(10月~1月)
埼玉県のマスコット
コバトン
■特別展「慈光寺 国宝 法華経一品経を守り伝える古刹」10 月 10 日(土)~ 11 月 23 日(月/祝)
11 月
10 月
10日 ( 土 ) 特別展「慈光寺」オープン
12 日 ( 月 ) 特別展展示解説
16 日 ( 金 ) 江戸組紐眼鏡紐とキーホルダー作り
17日 ( 土 ) 慈光寺特別開扉
十二単・小袿の着装体験
18 日 ( 日 ) 特別展展示解説
20 日 ( 火 ) 常設展 人物コーナー「塙保己一」オープン
24 日 ( 土 ) 歴史民俗講座
「慈光寺をめぐる美術工芸品」
31 日 ( 土 ) ベーゴマ教室
21 日 ( 土 ) 国宝 太刀・短刀 公開 ( ~ 2/14)
22 日 ( 日 ) 特別展展示解説
28 日 ( 土 ) 火おこし体験
12 月
5 日 ( 土 ) 十二単・小袿と男子装束の着装体験
民俗工芸実演「扇だこ作り」
12 日 ( 土 ) 歴史民俗講座
「4世紀の北武蔵」
1月
11 月
7 日 ( 土 ) お囃子体験教室、特別展展示解説
8 日 ( 日 ) 特別展記念講演会Ⅰ
「慈光寺伝来の法華経と大般若経について」
講師:野尻 忠氏(奈良国立博物館)
15 日 ( 日 ) 特別展記念講演会Ⅱ
「国宝 法華経一品経を修理して」
講師:川端 誠氏(半田九清堂)
9 日 ( 土 ) 十二単・小袿の着装体験
19 日 ( 火 ) 常設展 人物コーナー「本多静六」オープン
23 日 ( 土 ) ミニ銅鏡作り
30 日 ( 土 ) 第5回学芸員研究発表会
「ミュージアムフォーラム〜火〜」
毎週土曜日には博物館裏方探検隊を実施!
※イベントは事情により変更になる場合があります。
詳細はお問い合わせください。
今後の展覧会
企画展
蔵出し資料-館有コレクション
平成 28 年 3 月 19 日(土)~ 5 月 8 日(日 )
(特別展示室は工事のため平成 27 年 12 月 7 日から平成 28 年 3 月 8 日まで休室)
■ 交通機関
東武アーバンパークライン(野田線)
大宮公園駅下車徒歩 分
東
武
ア
ー
バ
ン
パ
ー
ク
ラ
イ
ン
5
(編集発行) 〒 330-0803さいたま市大宮区高鼻町 4 丁目219 番地
TEL. 048-641-0890(管理)
048-645-8171(学芸)
FAX. 048-640-1964
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/
埼玉県立歴史と民俗の博物館だより
Vol.10-2 ( 通巻 )第29号
2015年9月11日発行