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通夜と葬儀においてカトリック教会が大切にしていること
― カトリック教会の公文書から学ぶ ―
2011 年 7 月 16 日 兵庫教会・たかとり教会合同「通夜・葬儀勉強会」
(2) 小田武彦
『カトリック教会のカテキズム』(訳・監修
日本カトリック司教協議会教理委員会)
1680 すべての秘跡、とくにキリスト教入信の秘跡の目的は、神の子らの最後の過越、すなわち
死を通して神の国の いのちに入らせる過越にあります。そのとき、本人が信仰と希望とをもって
行っていた「死者のよみがえりと、来世の生命とを待ち望む1」という宣言が成就されるのです。
1681 死のキリスト教的意義は、わたしたちの唯一の希望の源であるキリストの死と復活という、
過越の神秘に照らして明らかにされます。キリスト・イエスに結ばれて死ぬキリスト者は、からだ
を離れて主のもとへ向かう存在となるのです2。
1682 キリスト者は死の日に秘跡的生活の終点に達しますが、そのとき、洗礼によって始められ
た新しい誕生が完成され、聖霊の働きによって形づくられた「御子の似姿」が完全に実現され、エ
ウカリスチアにおいて前もってあずからせていただいていた神の国の うたげに実際に参加させて
いただきます。しかし、婚礼の衣裳をまとうためには死後の清めが必要な場合があります。
1683 教会は、この世の旅路をたどるキリスト者に秘跡を授けて、母として彼らを腕に抱いてい
ましたが、旅路の終わりには当人に付き添い、
「御父のみ手に」ゆだねます。キリストにおいて そ
の恵みの子を御父にささげ、栄光のうちに復活するであろう からだの種子を希望のうちに埋葬し
ます3。この奉献はエウカリスチアの いけにえ によって完全な形で行われます。
(略)
『カトリック儀式書
葬儀』(編集
日本カトリック典礼委員会)
「緒言」
2
教会の葬儀は、死者のために祈ることのみを目的としているのではない。生者のために祈る
場でもある。神ご自身が、悲しみのうちにある遺族の力、励ましとなってくださるように祈ると同
時に、洗礼によってキリストの死に結ばれた者が、その復活にも結ばれることができる、という復
活への信仰を新たにし、宣言する場でもある。
7
ミサを除いて助祭または信徒も司式することができる。とくに故人宅および墓地での故人へ
の表敬、通夜、告別、火葬場での祈り、埋葬の祈り、命日祭の祈りは、信徒によって行われるよう
勧められる。
10
葬儀に用いる祭具などについて
1
ニケア・コンスタンチノープル信条。
二コリント 5・8。
「わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ
望んでいます」
。
3 一コリント 15・42―44。
「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ち
ないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱
いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活する
のです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです」。
2
1
① 聖水、献香、焼香、献花について
聖水を用いるのは、洗礼によって永遠の いのちを受けたことを記念するものであり、献香、焼
香、献花は、聖霊の神殿である故人に尊敬を表すものである。なお、信徒が司式する場合、教会で
事前に用意した聖水を用いることができる。献香は司式者が司祭あるいは助祭のときに行い、司式
者が信徒の場合は焼香あるいは献花のみを行う。
② 十字架、聖書、復活のろうそく、白布について
十字架、聖書(神のことば)
、復活のろうそく、白布(柩を覆う布)は いずれもキリスト者にと
って救いのシンボルである。十字架は神の力、罪に対する勝利、永遠の いのち への 道しるべ で
あり、聖書は神のことばによる生命の保証が約束されているものである。復活のろうそくは、世を
照らす まことの光キリストご自身を表し、神の愛のあたたかさを表すものであり、父への道を照
らす ともしび、希望の光である。白布は洗礼によって古い人を脱ぎ、キリストを着る新しい人と
なったことを思い起こさせる。
11
(略)通夜で着用する祭服と葬儀ミサで着用する祭服とは、はっきり区別するほうがよい。
(略)また、信徒が司式する場合は、単なる礼服や背広ではなく、儀式のための奉仕者の祭服を着
用する。
31
(略)注意すべきことは、常に十字架、祭壇、復活のろうそく、柩が参列者から はっきり
見えるようにすることである。これらのしるしが多くの花にうずもれてしまうことのないよう注意
すべきである。
32
柩の周囲に多くのろうそくを飾る必要はない。必要なろうそくは、ミサのために使う祭壇用
のものと柩のかたわらに置く復活のろうそくである。
(略)
41
キリスト教には死を「忌む」という観念はない。キリスト者にとって、死は神のみもとへの
凱旋であり、新しい いのちに生まれる日だからである。古代の教会はこの信仰に基づき、キリス
ト者の殉教の日、あるいは逝去の日を「誕生日(ナタリーチア)
」
(natalitia)と呼んだ。
「通夜」
105 (略)教会内では一般に頭部を祭壇に向けて安置する。
復活のろうそくを一本だけ用いるのは、復活されたキリストが唯一の希望であることを表すた
めである。
(84 と 120 頁)
「葬儀」
140 (略)教会内では一般に頭部を祭壇に向けて安置する。また、過越の秘義が中心であるこ
とがよくわかるように安置する。したがって、十字架、祭壇、復活のろうそく、柩が参列者からよ
く見えるように配慮する。
復活のろうそくを一本だけ用いるのは、復活されたキリストが唯一の希望であることを表すた
めである。
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