山室 しょっから清水

「柏崎の水」
山室
しょっから清水
どうこうじゅごう
文明18年(1486)、道興准后は京都から
山室の方にしょっから清水の事を尋ねてみたが、
北陸・関東・東北の20カ国へ旅に出た。道興の
知っている方を見つけることはできず、場所の特
一行は青海川、笠島を通過し、鯨波で鯨が潮を吹
定などはできなかった。しかしこの清水は、遠い
くのを見たあと、山室を抜け魚沼方面へ向かった。
昔から往来する人々の喉を潤し、疲れを癒して
山室は古くから魚沼へ向かう街道筋の村であり、
いたことが想像される。また、前述の「柏崎市伝
かいこく ざ っ き
道興の記した「廻国雑記」には、
説集」には、しょっから清水のそばに馬頭観音が
まつられていたとある。清水で休憩しながら旅の
やすだ(安田)∼ 山むろ(山室)∼ みをけ
無事を祈願したのであろうか。
(小国町三桶)∼ しぶ川(渋海川)∼ 大井
(小国町大貝?)∼ きおとし(十日町市木落)
と通過したことが書かれている。後世になっても、
山室は魚沼方面へ向かう経路上にあった。江戸時
代には柏崎商人が十日町へ鮮魚を送っていたが、
鮮魚は一刻も早い輸送を求められるため、本来は
正規の道筋である北条経由で輸送されるところ、
近道である鯖石川沿いに大沢を経由するルートが
利用された。また柏崎の浜の女性たちは十日町へ
鰯の行商に行っていた。「北越志」(亀協従 著
新潟県立図書館など所蔵)には次の記述がある。
漁人ノ妻子 桶ニ鰯ヲ入 二人或三人連ニテ
二十里三十里ヲ遠シトセズ 魚売ニ出ル事夥シ
すのこ
鰯を入れた桶の上には 簀 を敷き、そこに着替えや
針仕事の道具を置いた。その桶を両端にぶら下げ
た天秤棒を担ぎ、笠をかぶって行商に出た。
行商人はまだ暗いうちに柏崎を出て何十キロも
先の十日町へ向かう。
「柏崎市伝説集」によれば、
山室の山肌から湧き水がどんどん流れてくる場所
があり、彼らはそこで一服した。また鰯の鮮度を
維持するため冷たい湧き水で鰯を洗った。そして、
この清水は「しょっから清水」と呼ばれるように
なったという。
山室地区の絵図
(
「南鯖石探訪絵図」1984年
南鯖石コミュニティセンター発行)
●参考にした本
「柏崎市伝説集」柏崎市教育委員会 編 (388 K キヨ)
「十日町市史」十日町市史編さん委員会 編 (227 トオ)
「廻国雑記 旅と歌」栗原仲道 編(950 クリ)
「群書類従(11)
」塙保己一 編(031 HA)
「新潟県歴史の道調査報告書(6)
」新潟県教育委員会 発行
(290 N キヨ)