ケープタウンから ケープタウンから ヨットで ヨットで大西洋横断 田中妙子 娘の麻紀子さん(二女。三人の子どもの一番下で、私は「うちのチビ」とずっと人に言って いました)から「どうしてこんなにイルカに惹かれるのか、徹底的にしてみないと後悔しそう なので、やってみたい」と言われたのが、二〇〇〇年のいつ頃だったか。 驚きと戸惑いがありましたが、娘の心の中ではすっかり気持ちが決まっているようでした。 「うちはお金ないから、資金援助はできないよ。お金も出さないけど、口も出さないから」 と伝えると、ほっとした顔をした彼女。 「外資系の会社で働いた三年間で、五〇〇万円貯めたから、お母さんたちには迷惑かけない。 とりあえず一年してみて、だめだったら帰ってくる」と二〇〇一年の年明けとともに、会社も 辞めてアメリカのフロリダ半島の方へ出かけていきました。 キャリーのついた、大きな黒いスーツケースとスキューバダイビングの器財が、住所不定の 彼女の全財産。それは六年目の今も変わっていないようです。 いろいろな方たちや、さまざまなことに出会っていく中で、見たり感じたりしたことをメー ル便で伝えてくれています。きれいな海やイルカたちとの感動的な出会いのメールが多く送ら れてきました。当然のことながら文面には表れない大変さや落ち込みもあったことと思います。 傷ついて日本に帰ってきたこともありました。 麻紀子さんの許可を得て、最近のメール便をグリーンレターに投稿してみたいと思います。 2005/08/29 23:44 《 南アフリカから 》 お母さん、お父さん、お姉ちゃん、お元気ですか。 私は元気、現在南アフリカで暮らしています。 お兄ちゃんが日本語の読み書きできるコンピュータを送ってくれたので、久しぶりに日本語 (感謝感謝)。これからはいつでも日本語でメールが読めます。 南アフリカ東海岸の都市、ダーバンに今いて、数日後、飛行機でアフリカ大陸南端の都市、 ケープタウンに移動。ケープタウンからヨットでカリブ海にわたる予定です。前回、タイから スペインまで航行しているので、今回大西洋横断したらおよそ世界半周! カリブ海かアメリカ近海で次なる仕事に就く予定。まだ確定はしていないけど、いくつかオ ファーがきています。ダイビング・イルカを追いかけていた時は、ほとんど無給(自分の楽し みと経験のためだったのでそれでよし)だったのだけど、自分の興味も維持しながら経済的に も恵まれる道が、最近やっと見えてきました。 ヨットはお金持ちが多大な財産を投入する趣味のひとつ。これまでの経験と最近得た船の資 格(※)を生かして、そういうプライベートヨットで働く予定です。いわば海に浮かぶ御殿かホ テルのような存在。色々な役割がある中、クック(ご飯を作る係り)が自分に向いているかな と思っています。お金がある程度たまったら、ダイビングインストラクターの資格をとり、ク ッキングスクールに通い・・と思案中。楽しみ楽しみ。 レシピはいくらあっても「すぎ」ることがないので、何か美味しいお料理・お菓子のアイデ アがあったら是非メールしてください。 ではまた。 (※)二四メートル以下の船の操縦士 (船長)の資格を一番安いからと南アフリカで取る 2005年9月 絵葉書 お母さん・お父さん 《 南アフリカ共和国ケープタウンより 》 お元気ですか? 私は元気。先日、大西洋とインド洋が出会う岬、Cape Point までドライブしてきました。 この地域は南アメリカ南端(Cape Horn)と並んで、世界一周するヨットの難所として有名。個 人的には、寒い風が吹きすさぶ岬より、スエズ運河やパナマ運河を通過するルートがいいなと 感じています。 岬から肉眼でクジラをあちこちに認めました。道中、野生ペンギンのコロニーでストップ。 よちよちたよりない動きが目をひき、しばらく時がたつのも忘れて見とれていました。 港にはアシカが棲んでいて、夕方ボートでくつろいでいると頭がポッととび出してきた り・・・とっても可愛いです。 Cape Point から世界各国の都市まで左のような標識を見ていて、東京が一番遠いのに気づき ました。ずいぶん遠くまできてしまったという印象。 新しいパスポート、ケープタウンで手に入れました。もうすぐカリブ海に向けて出航。到着 は十一月半ばの予定。 その際にはメールします。 ではまたね。 2005/09/28 22:45 麻紀子 《 ケープタウンから 》 ラインがつなげなかったので、英語の PC からメールします。 (※)私が英語に弱いのでローマ字のやり取りです あす二十九日、木曜日に出航予定。四週間くらいでブラジルに着き、その後、カリブ海の島々 をぬけてバージンアイランド(プエルトリコの東)に六週間後くらいに到着する予定です。 その後、南アフリカに飛んで帰って、同じ会社のボートをもう一度デリバリーすることにな りました。十二月に出航、二月ごろバージンアイランド到着。年越しは大西洋のまっただ中で す。 安全に気をつけて行ってきます。またね。 麻紀子 (※)デリバリー・・・配達 2005/09/29 7:23 《 返信 ケープタウンから 》 麻紀子さんへ 気をつけていってらっしゃい。 ずっと船の生活なんですね。 世界地図を見ました。 妙子 2005/10/29 1:17 《 セントヘレナ島より 》 (セントヘレナ島でインターネット接続できなかったのでブラジルから送ります) 十月十三日木曜日 お父さん、お母さん、お姉ちゃん お兄ちゃん、恵美ちゃん、 皆々様、お元気ですか。 私は元気。アフリカのケープタウンを九月三十日に出航し、約二週間の航海を経て、最初の 給油地、セントヘレナ島に着いたところです。 世界地図が身近にあったらみてみて。南アフリカとブラジル(北東のでっぱったあたり)を 直線で結んだ、ほぼ真ん中あたりにセントヘレナ島が見つかるはず。ナポレオンが投獄(一八 一五)され、死を迎えた(一八二一)島としても有名です。空港はなく、郵船が月に二~三回 とまる島。世界中の陸地という陸地から最も離れた孤島。島は亜熱帯で緑にあふれ、島民が皆、 すれ違うたびに暖かいまなざしで挨拶してくれるのがとても印象的。 船上はキャプテン(私のパートナー)、私、そしてケニア人の二十歳と南アフリカ人の十九歳、 二人とも女性でヨットの入門段階。皆、気持ちよく働き、本を読んだり話をしたり、楽しく過 ごしています。 南大西洋には南東貿易風が常時吹いているので、ここのところずっと追い風。ヨットの舳先 にスピネーカーという帆(熱気球のような素材でできている巨大な帆。別名が「凧」なことか ら想像がつくと思うけど、風を受けて飛ぶようにヨットを運んでくれます)を張って、快適に セーリングしています。 道中、大西洋マダライルカがヨットの周りを囲み感激。バハマで一緒に泳いでいたのと同じ種 類。海水が温かかったら飛び込みたいところだけど、今回は我慢。 セントヘレナ島で二日過ごした後、ブラジルに向けて出航。ブラジル入国に必須と聞いて南 アフリカで黄熱病の予防接種、ついでに破傷風とA型肝炎の予防接種も受けました。マラリア の薬も念のため購入。今まで予防接種は避けてきたのだけど、やってみたら何のことはない、 保険と思ってこれからも気をつけるつもりです。 元気でね。ではまた。 2005/10/29 1:18 《 麻紀子 ブラジル フェルナンド島より 》 十月二十七日火曜日皆々様、お元気ですか。私は元気。 十四日(金)セントヘレナ島を出航し十三日間の航海を経てブラジルに到着しました。 地図上でいうとブラジルの北東の角っこの、更に北東の沖。国立公園に指定されている自然 豊かなフェルナンド島。ケープタウンで二十四度だった水温が三十度まで上がって、天気も快 適化しています(多分、じきに、暑すぎると感じるのだと思う)。 先日、生まれて初めてヨットのマスト先(ヨットの一番高いところ)まで登りました。十五 mという高さ。マスト先のロープがはずれてしまったので誰かが登って修さなければならず。 経験者はキャプテンと私の二人。人をつり下げるロープ(命綱)をコントロールする人と実際 に登る人、両者がしっかりしていなくてはならず。彼よりも私の方が体重が軽いこと、彼が手 のひらに軽傷を負っていたことから私が登ることになったのです。 今まで、他の人が登るのを命綱を引っ張りながら見上げたことは何度もあり、 「眺めがいいん だろうなあ」 「楽しそう」とのんきに構えていた私。通常マストに登るのは、港で船が繋がれて、 安定しているとき。でも私たちは大西洋のまっただ中。自ず選択肢はなく、風が吹きすさび、 うねりが船を複雑に揺らす中、帆をあげたままで私が上がることになったのです。デッキの高 さでも十分うねうね動いている船、高くなればなるほど振り子のように体が揺れて、緊張と恐 怖が走りました。 マスト先まで到着の後は絡まったワイヤーと格闘。片手はマストから離したくないし、ワイ ヤー自身がヨットとともにあちこちに揺れるのでスパナでつかむのにも一苦労。大きな波が船 にあたり、必死で両手でマストにしがみつく姿は、ちび黒サンボか何かのよう(笑)だったと思 う。でも無事、仕事を終え、降りてくることができました。下りは少し余裕も出て、延々と続 く青い海、美しいヨットの姿を見下ろしながら、 「カメラを持って上がればよかったかな」など とも思ったり。 達成感と安堵の気持ちでとてもハイだったのだけど、キャプテンは、 「少し横になった方がい いよ」って。で、横になったら、全身の筋肉疲労・筋肉痛、そして、腕と足の内側に恐ろしい ほどの打ち身。火事場の馬鹿力、かな。自分でもびっくり。 頭をマストに打ちつけたり足を踏み外したりしなくてよかったと改めて無事なことに感謝。 そんなこんなで小さなハイライトがありながら、基本的にはとてもリラックスした平和な毎 日。限られた資源を存分に生かしながら、問題を解決する楽しみもあり。大きな海、空、自然 に囲まれて笑顔で暮らしています。 次はトリニダード島(カリブ海の南の端っこの島)を目指します。赤道をヨットで越えるの は初めてなので楽しみです。 麻紀子 2005/10/29 7:27 《 返信 ブラジル フェルナンド島より 》 麻紀子さんへ やあ!日本語のメールとはうれしいね!無事、ブラジルに着いたとのこと。おめでとう。 アメリカの南海岸は、ハリケーンで大変でした。ヨットで嵐にあったらどうするのかなと思 っていましたよ。 少しずつ、いろいろな体験を積み重ねているのですね。 日本は秋で、木の葉が黄色や赤に色づき始めています。 ふたりとも元気です。暇をみつけて、六甲山を歩いています。 皆さんによろしく。 妙子 2005/11/16 3:30 《 ブリティッシュバージンアイランドにつきました 》 お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、恵美ちゃん へ ブラジルからの航海を経て、無事、ブリティッシュバージンアイランドにつきました。 海の上だったのでメールできなかったのだけど。。。 お兄ちゃん、お父さん、お誕生日おめでとう!! 赤道を北に越えると、カシオペア座がよくみえるようになり、トイレの水が半時計回りに流 れる以外、特にどうということはなく。なーんだ、と思っていたら、それから二週間、今日こ こに着くまで、ずーっと不安定な空模様。 ひどい強風や雷、とにかく空にはありとあらゆる種類の雲が広がり(もくもく立ち上る積乱雲、 たなびく鱗雲、などなど)水平線上の雲が数時間後にはヨットの真上にきて荒れ狂うのだから 毎日ずぶぬれ。総じて気温が暖かいのが唯一の救い。でもある時は風が気持ち悪いほど冷たか ったり、逆に生ぬるかったりしました。 雷がヨットに落ちると電気系統が壊れてしまうので、できるだけ雷雲から放れるようにあち こち逃げながら走るのだけど、一度だけ、全くよけきれずに雷雲の真ん中に突入。私が人生で 一番恐怖を感じた瞬間のひとつ。真っ暗な空、荒れる海、目がくらむ稲妻に自然にたいする畏 怖を抱きました。 その他にも、予期しない突風で帆が破けそうになり、急いで帆をおろす作業中、あまりの強 風にロープとともに人がとばされそうになったり(メアリーポピンズのよう)。 とにかく今は無事に到着してほっとしています。雷がこんなに怖いと思ったのは生まれて初 めてです。でも頑丈な船、信頼する船長と危機を乗り切れたことに本当に感謝しています。現 在、カリブ海に熱帯低気圧が発生している様子。航海中、大きな低気圧やサイクロンにおそわ れなかったこともとてもラッキー。 私たちがまだケープタウンにいたとき、大西洋横断を一緒にするヨットを探していて、ある プライベートヨットに出会ったのだけど。なんとショックなことか、嵐にもまれてその船がそ れ以上航海できなくなり、SOSシグナルを出し、近くを走っていたコンテナ船が救助しよう としたのだとか。その努力もむなしく沈潜。船長のみどうにか助かり、彼のガールフレンドと 友人(クルー)は死亡。ヨットで世界を回るのは彼と彼女の夢。お金を貯めて船を購入したと ころ、とても幸せそうに話す二人の姿が忘れられません。彼は極度のショックにあるとか。 私たちはそのニュースを最初の給油地、セントヘレナ島で聞き、まだ新しい記憶(三人のと てもフレンドリーな人たち、そしてボート)から事実を受け止められずにいました。自然の強 大な力、そして人間の知恵と努力、少しの運。 海の真ん中にいて、晴れの日も雨の日も、色々なことに想いが馳せていました。家族や友人 のこともたびたび想い、私が小さい頃に家族と過ごした時間(よい時間、たくさんの愛情、し かられたこと等々)も次から次へと想っていました。ちっぽけな自分、でもそれなりに恵まれ ているし、信じていられること、多くの人との関係に支えられていること、人が大きな力に対 して精一杯の知恵を働かせる事実、色々なことを前向きに受け止められていられることへの感 謝。現在一緒に過ごしている彼氏とはとてもよい関係を持っているので、精神的に安定してい るのかもしれません。 ブラジルからカリブ海の航海が一番長く、一番大変で一番の物不足に悩みました。新鮮な野 菜・果物が事実上底をつき、食料も不足気味。真水が足りないので雨水をずぶぬれになりなが ら集め、魚を釣って毎日魚と米・パスタを食べ、飲み水以外はすべて海水で過ごしていました (でも誰も病気ひとつしていませんよ)。だから島に到着してなにもかもが贅沢、簡単なことに いちいち感激しながら過ごしています(笑)。 これから四泊、ホテルに泊まり、島で少しゆっくりする予定。十九日にアメリカ経由で南アフ リカに飛びます。 十二月初めにスキューバのインストラクターのコースを予約したので、しばらくダイビング を楽しみながら勉強します。 十二月半ばに同じ種類のヨットを再びケープタウンからブリティッシュバージンアイランド までデリバリー。季節的に、今回よりよい風と天気が見込めるので、少し楽だといいな。。。い ずれにしろ、長い航海にはそれなりの緊張があります。 あるボートのオーナーが私たちカップル(船長とコック)を雇いたいと私の彼にメールして いて、もしそれが正式に決まったら、もしかしたら十二月早々に仕事が始まるかもしれず。そ の場合は、ケープタウンからのデリバリーはキャンセルして、一気に香港に飛びます!香港に 飛ぶならついでに日本にも飛ぶべきかもねえ。まあ、タイミングとチャンスがどう転ぶかわか らないので、そのとき次第で考えます。 小笠原のクジラ・イルカ研究をしている友人からのメール。二月にサミットを開くのだけど、 その際に通訳として来ないかとの誘い。交通費・宿泊費とちょっとのサラリーを払うとのオフ ァー。今回はタイミング的に無理だけど、いつかそういう機会もあるのかも!ただし、通訳す るためのぺらぺらの日本語に最近少し不安を感じています(丁寧語と方言とが奇妙に混じって どもりながら話す感じ。。。。) ちょっと疲れ気味、でも到着の高揚で目を開けている感じ。今日はゆっくりシャワーを浴び て存分の睡眠をとる予定です。明日は満月。近くのバーで満月パーティが開かれるので明日は 皆はじけるのだと思います(笑)。 私は元気。みんなも元気なことを願っています。ではまたね。 麻紀子 2005/11/16 7:52 《 返信 ブリティッシュバージンアイランドにつきました 》 麻紀子さんへ 無事到着、本当によかったね。 いろいろな自然、いろいろな出来事のなかで、さまざまなことを感じながら動いていること、 読ませていただいて、胸がジンと熱くなります。くれぐれも彼によろしく。 これから仕事なので、帰ってから、またメールします。 妙子 (※)この時点では、彼はニュージーランド人という情報以外はありませんでしたが、感謝の 気持ちで一杯でした。 2005/11/17 7:45 《 返信 ブリティッシュバージンアイランドにつきました 》 麻紀子さんへ 昨夜は、日本も満月(あたりまえかな?)、きれいな月を麻紀子さんたちも見ているのかなと思 っていました。 ぎりぎりのところで、命がけで生きている、読んでいてそんな感じがしました。できれば、も っと安全に生きてほしいと思うけど、考えれば、私も、そんな中で生きているんでしょうね。 どこかボケて、気づかずに暮らしていますが・・・・。 からだに気をつけてね。 私たちはおかげで元気です。 では。 妙子 2005/11/23 18:13 《 メールの件 》 お母さんへ 南アフリカに戻ってきました。 数回二十時間近く寝続けた後、すっかり元気になりました。 グリーンレターの原稿の件、全然かまいませんよ。原稿もお母さんのセンスにお任せします。 十二月にはいって、白い砂浜と水色の海の向こうに二層式の大きなヨットが浮かんでいる絵 葉書がバージンアイランドから届きました。 島の様子と、四人で運んだヨット(絵葉書にあるのと同じ種類)が、お客さんに貸し出されて いることが書かれていました。 予定は、二転三転して、次の仕事(台湾の船に乗る)が始まるまで、タイのプーケットにきた こと、そこでの生活などのメール便が届いています。 正月にはこんなメールもありました。 =お父さんお母さんへ あたりまえだけど、みんな少しずつ歳とっていく。 (わたしも今年は三十代に突入) お父さん・お母さんたちも新たな段階への移行期なのかも。 忙しいばかりで一時一時を楽しめなくなったり、ストレスを感じたら、ペースダウンも必要か も。 お父さん・お母さんたちが十分に自分を出しながら、笑って過ごせる時間が少しでも増えてい ったらよいなと思います。 自分の中の熱い思いを第一にして、いろいろありながらも歩みつづけている娘からのメール 便。 読ませていただき、見守るしかできない私でしたが、娘は、素晴らしいことや厳しいことな どに出会うたびに、何かの枠が砕けて、軽くなりパワフルになっていく感じでした。 私も、わたしの心が喜ぶ生き方をしていきたいなと思っています。
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