この回転ガントリーを自由自在に扱うためには、 「新世代の粒子線治療を目指して」 センター長 2011 年 1 月 11 日の治療開始 チーム力の向上が不可欠です。この 3 年間、セン 菱川 良夫 ターの使命を「幸せな医療の提供」と明確に打ち 出してきたことで、全体のチーム力が格段に向上 から、3 年が過ぎました。 しました。国内プロサッカーリーグに例えると、 この間の経験を通して、新世 3 年前に J リーグ に参戦してきたチームが、今は 代の粒子線治療はどうあるべき J1 優勝を狙えるチームへと変貌してきたと言え かが少しずつ分かってきました。 るかもしれません。昨今では、熱心な医師や医学 1)粒子線治療の特徴 物理士、技師が高精度なX線治療装置を使用する 粒子線治療の一番の特徴は、装置の圧倒的な特 ことで、X 線治療でも前立腺がんや小さな肺がん 性から、がんに対して高精度の照射範囲(照射野) を粒子線治療と同等に治療できる時代となりま を容易に作り出せることです。従来の放射線治療 した。そんな時代に、回転ガントリーを自由自在 では高度な技術が必要とされてきました。現在、 に使える我々が取り組んできたのは、他の粒子線 前立腺がん、肺がん、肝がん、頭頸部がんのほと 治療施設や他の方法では治療困難と言われた難 んどの例では、2 方向から照射することで高精度 治性がんに対する治療です。従来の 2 方向をさら 放射線治療と同等の照射野をいとも簡単に作り に進め、最近では 3 方向、4 方向から照射野を作 出すことができます。 ることが当たり前になっています。複数方向から の治療計画は、実は簡単ではありません。しかし、 2)粒子線治療装置の安定性 前述の高精度の照射野を作り出すためには、装 置の安定性が不可欠です。当センターは、広大な 敷地内に建てられており、その中に余裕をもって 粒子線治療装置が導入されています。このことは、 装置の維持管理の面で非常に良い影響を与えて いると考えています。最近では、都会の病院に粒 子線治療装置が導入されはじめていますが、都会 は地価が高く十分な場所を確保できないことも この技術を自由自在に使うことで難治がんの治 療に期待が持てるのではないかとチーム全体で 取り組んできました。結果、難治性がんの代表で ある膵がんの治療実績数が急増しています。膵が んの治療計画は非常に高度ですが、カンファレン スで膵がん患者さんの治療計画を見る度に、素晴 らしいチームが回転ガントリーを巧みに使い計 画を立てていることに感心させられます。 あり、小型タイプの装置が開発・導入されていま 4)乳がん治療実現に向けて す。粒子線治療に関わって 20 年になりますが、 もう一つの大きな使命として、乳がん治療のた ユーザーの直感として「小型にすることでビーム めに遠隔多門照射を可能とする回転ガントリー 調整などの維持管理が難しくなるのではないか」 の開発に取り組んできました。現在国際特許申請 と懸念しています。しかし、日本は世界有数の技 中で、日本の技術として認められる日も近いと期 術国家です。日本のメーカーは必ずやこれらを克 待しています。また、最大の課題であった乳房の 服することでしょう。期待しています。 固定方法も目処がつき、今年から小さな乳がんの 治療を開始する予定です。 3)難治がんへの応用 陽子線治療では回転ガントリーを使用するこ とが可能です。水平、垂直以外の色々な角度から 照射できれば、最適な 2 方向が選べます。 しかし、 難治がんの克服は大変ですが、素晴らしい装置 と素晴らしいチームが、必ずや多くの難治がん治 療に寄与すると考えています。 -1- 特 集 事務部長 ~ 治療開始から 3 年を終えて ~ 住吉 一彦 認識し教育・研修を実践しながら質の高い組織と 「南九州から世界に向けて“光”を放つ医療」 して精進することが肝要と心がけています。 医学・医療の世界は、日進月歩です。iPS 細胞 を基本コンセプトに、がんを中心とした疾患の診 断および治療に関する研究並びに予防医学等を や先日発表された STAP 細胞など多くの研究が 行い、国民の医療向上や健康増進に貢献すること 進められています。このような背景のなか当セン を目的として、メディポリス医学研究財団が設立 ターでは「切らずに乳がんを治す」陽子線治療の され、メディポリス指宿構想が進められてきまし 研究開発を進めており、その成果が待たれるとこ た。その中核となる施設として、南国の陽光溢れ ろです。当センターでは治療や研究の分野におい る広大な地にメディポリスがん粒子線治療研究 ても日々改善することに取り組み、患者さんへの センターが建設され、2011 年 1 月に治療を開始 「幸せな医療の提供」について今後もスタッフ一 してから早いもので、3 年の月日を重ねてきまし 丸となり精進研鑽に努めて参ります。 た。 この間、日本国内はもとより海外も含め多くの 患者さんを治療し、この 3 月には約 1,000 人の患 者さんを治療することになります。当初は、先進 医療への理解が乏しく県内隈なく市民公開講座 と銘打って講演会を開催したことが今は懐かし 医療部長 有村 健 く感慨ひとしおです。時には県外の都市まで出か けてゆくこともあり、日帰りの強行スケジュール 当施設が治療を開始してから、早 3 年が経過し にスタッフ一同黙々と勤しんだ日々が昨日のよ ました。私がこの施設に関わり始めてからはもう うに思い出されます。3 年で 1,000 人という実績 6 年以上になりますが、あっという間の出来事に を挙げることができたのも医療スタッフをはじ 感じます。当初は、高額な治療費を要する最先端 め関係者の懸命の努力が実を結び今日の好結果 医療が、指宿のような片田舎で成功するはずがな が得られたのだと実感しています。 いと、特に医療関係者からの謂われ無き批判に曝 され続けてきましたが、開設以来、患者数は着実 に増加の一途を辿り、今年度中には 1,000 人に到 達する勢いを維持しています。 粒子線治療は、従来の治療法に比べ圧倒的に優 れた治療法であり、一方的な先入観や偏見によっ <かごしま県民大学連携講座> て否定されてはならないと、職員が一丸となって <市民公開講座> 前進し続けたことが、組織の一体感をより高めた ように感じます。立ち上げから間もない、まだ 若々しい組織が、世界で最も厳しい病院の認定機 構とされる JCI(joint international commission) <メディポリス さくら祭り> 認証を取得できたことは、何よりその証ではない このような中、昨年 9 月には、将来における医 かと思います。 療のグローバル化に備えて国際病院評価機構 このように組織が成長できたのは、職員の絶え (JCI)の認証を取得しました。国際化に向けて、 間ない努力によるところが大きいと感じていま 世界基準で医療の質と安全性を担保しながら安 す。当施設は、他施設に比べ極端に医師が少なく、 心安全な医療機関として、更なる飛躍のために医 それを支える他職種の技量が成功の鍵を握って 療に従事する全てのスタッフがこのことを深く おりました。他施設では到底あり得ない、特殊な -2- 診療システムを採用しているのも、その理由の一 んに代わって、医師に質問を投げかけ説明を補足 つであり、職員の皆様には本当に感謝しています。 することができました。その頃の私は、研修先で また最近では、従来の治療法とは一線を画する 学んだこと、文献で得た知識、治療経験豊富な先 治療成績故の新たな課題も出てきました。それは、 生方と診療放射線技師の方々を頼りに、開設準備 ‘治療効果が高い=100%完治する‘とか、 ‘障害 を進めてはいましたが、粒子線治療どころか、放 のリスクが低い=障害が全く起こらない’などと 射線治療の経験も無いことに不安を感じていま 誤解されてしまうことです。これらは明らかに私 した。しかし、初患者さんとの出会いで「看護」 どもの説明不足が主な原因ですが、以前は誰にで は、施設の設備や治療に関する経験によるのでは も普通にみられたため、 ‘仕方がない’と容易に なく、患者さんを理解することから始まると実感 納得できた事象が、粒子線治療では滅多に起こら させられました。それ以来患者さんから多くの学 なくなったため、却って‘何故自分だけ’という びを得てきました。特にこのセンターの特徴と言 一種独特の不公平感や不信感に繋がってしまう えるでしょうが、粒子線治療を選択される患者さ ようです。客観的には、粒子線治療は大変良い治 んは、世間に粒子線治療が知られていないために、 療ですから、その恩恵をできるだけ多くの方に実 周囲から誤解や偏見を受けて苦しむことがある 感して頂けるように、更なる努力を重ねて参りた 事実に直面しました。この 3 年間、確実な治療を いと思います。 積み重ね、治療を終えた患者さんが病院に帰り、 最後に、多くの視線と期待の重さをひしひしと その治療成果を見て頂くことで、認知度の低さが 感じながらも、なかなか公にできなかった乳がん 患者さんを苦しめてしまう例は、かなり減少して 研究も、いよいよ来年度の臨床試験に向け、着々 いると感じています。 と準備が進んできました。従来の発想に囚われず、 この 3 年間の学びで、私達看護科スタッフ全員 新しい乳がん治療を提起したいと考えています。 が順調に成長しています。この成長は、看護の専 乳房を切らずに治したいと願う多くの患者さん 門性を理解してくれる医療チームスタッフによ のために、微力を尽くして参ります。 る作用も大きいと思います。当センターは他の病 院に比べると人数では小規模ですが、患者安全を 第一に、適時適切にチームの総合力で対応できる、 大規模な病院に劣らない力のある医療チームが 出来上がりつつあると感じます。ぜひ、益々の成 長にご期待下さい。 <乳がん研究・開発に向けた取り組み> 看護科長 中馬 育子 「ここで治療を受けるのを待っていたんです よ」 2010 年 9 月 1 日、初めて治療を申し込ま <JCI 認証取得に向けて れた患者さんとの出会いから私達の看護は始ま 救急訓練・本審査> りました。 開設前は専用ではないパソコンを使用してい ましたので、患者さんが持参された CD 画像の確 認にはかなりの時間を要しました。パソコンをウ イーンウイーンと唸らせている間、そのお陰で私 はゆっくりと患者さんを問診し、どんな思いで受 診されているのか把握した上でセカンドオピニ オンに立会い、緊張で十分に発言できない患者さ -3- <研究活動・学会発表にも奮闘努力> <思いやりの心で> 技術科スタッフは、当初の 6 名から 11 名にな りました。それぞれ、研修や学会発表などをこな しながら日々研鑽し、一人も欠かすことのできな <2008 年 センター着工のころ> い素晴らしいチームに成長しました。当初は、運 <準備室時代> 転技術員と放射線技師しかいなかった治療室で すが、治療補助として支えてくれる研究科スタッ フ、さらに受付スタッフも加わり、治療中の患者 さんに多くのスタッフで寄り添うことができる ようになりました。 <センター全景> 最後に、当センターは、乳がん研究にも取り組 <2011 年 初照射> んでいます。治療開始 3 年目を終え、我々スタッ 粒子線技術科 和田 清隆 私は、治療開始前から勤務しているスタッフの 一人です。当初は、治療開始に向けた粒子線治療 フも粒子線治療という「優しい治療」をあらゆる 側面から提供できるよう取り組んできました。次 は、乳がん治療開始に向け、患者さんの期待に応 えられるよう精進していきたいと思います。 の技術、知識の習得が何よりの課題で、兵庫県立 粒子線医療センターでの研修を通して、また折々 に指導を仰ぎながら、身につけることから始まり ました。さらに、新しい施設、装置、システムを どのように運用し、検査し、実際に治療をしてい くのか、各プロセスやルールの決定も全くのゼロ <プロモーションビデオ撮影風景 からのスタートでした。 ※2013 年春完成> それから治療開始後の 3 年間の経験を経て、大 きく成長したと感じることは、粒子線装置との付 き合い方、チームワークです。何しろ巨大な装置 なので、障害発生により、あるいは雷など自然環 境が及ぼす影響を回避するため、治療が中断する ことが時として起こります。しかし、いったんト ラブルが起きたとしても復旧するまでの時間が 医学物理科 近藤 尚明 劇的に早くなりました。これは運転技術員や治療 スタッフのチームワークによるものです。私自身、 この 3 年間、治療室に入らない日はありませんで した。自然と粒子線装置に愛着も沸き、その特徴 を理解し、うまく付き合えるようになったのでは ないかと思います。 兵庫県立粒子線医療センターでの実地研修後に 当地に入り、メディポリスがん粒子線治療研究セ ンターの建屋が出来上がっていくのを目の当た りにしながら、粒子線治療装置の受入れ試験とコ ミッショニングをオープン直前まで続けてきま 装置とうまく付き合うといった意味でも、スタ ッフ皆で治療室の掃除(メンテナンス)をする日 を設けています。患者さんが座るソファーや受付 カウンタ、日頃使っている治療制御卓などの整理 も行います。治療を提供する環境作りと患者さん へのおもてなしの気持ちを込めて行うことで「よ り良い治療の提供」に繋がるのではないかと思い ます。 医学物理科の 2 名は 2009 年 4 月から約 1 年間、 した。立ち上げ当初は全体の職員数がとても少な かったので、草むしりから前夜遅くのイベント準 備まで、専門内外を問わず、実に様々な仕事を経 験する機会が多くありました。思えば、部署間の 垣根を全く感じさせなかったこの頃の雰囲気、共 に過ごした苦労が、自然と今のセンターに介在す るチームワークに変化していったような気がし ます。 -4- 粒子線治療装置の品質管理・品質保証の継続実 <3 月 3 日の行事食:ひなまつり> 施は然ることながら、2011 年のオープン以降は 治療計画が日常業務に加わりました。治療計画と は、CT や MRI などの診断画像データを元に、照 射する陽子線の方向や強さ、当てる範囲などに工 夫を凝らして、「もっとがんに強く」 、 「もっと患 <地元の野菜をたっぷり使い、家庭的なメニューだと好評です。 検食も楽しみ!> 者に優しい」照射方法を専用の計算機でシミュレ ーションする作業です。がんという敵をいかにし てやっつけるか、その作戦を練る作業であり、外 科で言えば手術内容、つまりメスの入れ方とも言 栄養科 折田 ひな子 えます。当センターでは医師指導の下、物理工学 「粒子線治療開始 1 年目を終えて」を書いてか の背景を持つ医学物理士と放射線治療や画像診 らもう 2 年も経ったのだなと正直感じています。 断に長けた診療放射線技師が協働して実施して それくらいこの 3 年は私自身にとっても栄養科に います。当然、患者さんのがんや体形は違います とっても色々な変化のあった期間でした。 ので、一人ひとりに対して最適な治療計画を作成 私自身は初めての出産を経験し、1 年の産休を するのですが、納得できる治療計画の立案ができ いただき、その後は事業所内保育園に子供を預け ない場合は夜遅くまで残って修正を加え続ける ながら楽しく仕事をさせていただいております。 こともある非常にハードな現場です。 (前号の「子そだて奮闘記」も是非ご覧くださ 私たち医学物理士は、普段ほとんど患者さんに い!) 接する機会のない裏方の存在ですが、治療の奏功 仕事復帰後、まず JCI 認証取得に向けた取り組 に強く関わる治療計画や、安全な治療が実施され みがありました。JCI の食品衛生管理は思ったよ るよう品質管理の業務に従事して、センターの治 り厳格で、栄養士も調理師も一人ひとりが責任を 療に携わっていることを、ぜひ皆さんに知ってい 持ち、一から勉強し、協力しながら給食施設の改 ただきたいと思います。 善やマニュアル等の整備を行いました。その結果、 2014 年度以降はリクルート活動にも力を入れ 栄養科の誰が審査を受けても的確な答えが出せ て、臨床で働く医学物理士が育つ環境づくりを実 る、というところまで自信を持って到達しました。 施して、科としても大きく成長を遂げたいと考え 昨秋、無事に認定をいただきホッと一息です。 ています。 振り返れば、1 年目は粒子線治療として差別化 する前に、放射線治療に対して栄養科としてどう 取り組むべきかとても悩んだ日々でしたが、3 年 経ってみて一番に思うことは、栄養士の役割とし ての原点は「患者さんにおいしく食事を食べてい ただく事」であり、やはりこれが何よりも大切だ <治療計画室> <カンファレンス風景> ということです。外来通院の患者さんでも入所さ れている患者さんでも、おいしく食事を摂ってお られる方はとても元気で治療期間中も充実して いるように見受けます。 最後になりますが、栄養科では、治療中の患者 <オープン以来、国内外から多くの方が見学に訪れました> さんやご家族からの「食欲がない」 、 「口内炎がで きて食べづらい」等のご相談に対してもアドバイ スを行っています。食事に関するお悩みがあれば、 ぜひ気軽に声をかけてください。 -5- 放射線技術科 松山 貢 うちの長男将之(まさゆき)は 2012.12.12 生まれ。共働きの奥さんと子育てに奮闘し て一年を過ぎました。 好奇心旺盛でわんぱくな息子は、こうして文章を考えている間にも台所から私のいる リビングまでジャガイモやフライパンを持って来たり、ふりかけや鰹節パックを引っ張 り出して散らかしたり、目が離せません。最近、滑り台を滑ったり、積み木を積んだり して遊ぶようになりました。積み木遊び一つとっても初めは積み木を散らかすだけだったのが、同じ色 の積み木を選べるようになり、積むようになり、積んだ積み木を崩さないように取るようになるなど、 その成長がとても面白いです。ちなみに、毎晩真夜中になると空腹で起きてしまう彼に、バナナを差し 出すのが最近のパパの任務の一つです。 こんな元気な息子も一歳の誕生日を迎えた頃から腸炎で入院したり、ノロウイルスに感染したり。つ られて家族全員が順番に病院へかかる日々でした。初めのうちは病気にかかる度にかわいそうだと思っ ていたのですが、いつの間にか病気と闘うトレーニングを積んでいる最中なのだと感じるようになりま した。今では病気にかかった息子を「がんばれ!」と応援しています。 こどもができてから大きく変わったこと、それは時間の使い方です。夫婦二人のうちは残業で帰りが 遅くなっても何とかなっていました。自分の仕事のスピードは変えず、単純に仕事時間を増やして対応 できていました。ところが今の生活では早く出勤することも、遅くまで残ることもできません。時間を 増やすことが難しくなったのです。こうなると仕事を速く、効率よく、もちろん正確、丁寧に行う自己 改革が必要です。この自己改革を意識し始めた結果、家事をするにせよデスクワークをするにせよ、以 前よりは効率よく作業が終えられるようになりました。 治療室では治療時間の一分一秒を思案しながら治療の効率化を進めています。その 理由は一人でも多くの患者さんを治療したいからです。私たちの時間の都合で治療で きない患者さんが出ることは、あってはならないとだと思います。もっと速く、もっ と正確に、もっと丁寧に、妥協することなく自分の技術を磨く日々です。 仕事から帰ると奥さんと息子が満面の笑みで出迎えてくれます。この笑顔に何度救 われたか分かりません。この笑顔を毎日見られるよう、仕事と家事と、時にはニュー スレターに懸命に取り組む毎日です。 Vol.7「意識調査から考える事」 顧問 菱川 泰夫(歯科医師) 先日、ライオン株式会社が行った意識調査によると、歯科医師に関してアメリカでは「好きな人、憧 れの人」と回答した人が約 40%、 「頼れるパートナー」と回答した人が約 26%。一方、日本ではトップ が「他人」で約 24%、次いで「頼れるパートナー」が約 17%。 「好きな人、憧れの人」はわずか 2%に とどまっています。日本の歯科医師の一人としては「とほほ」と肩を落としてしまう結果です。 さて気を取り直して。 この調査結果から、日本では国民と歯科医師(歯科医院)との関係が確立で きていないことが見て取れます。未だ日本では「歯科医院は、困ったときに行く所」という昔ながらの 考えを脱却できていない人が多いのではないでしょうか。 歯周病やむし歯に代表される歯科疾患を未然に防ぐ「予防」の観点からも、地域住民との信頼関係を 構築し、尊敬できる歯科医師であり、さらに定期的に来院したいと思われる歯科医院作りが急務だと、 改めて思わされた調査結果でした。 -6- 栄養科 松田 絵梨香 初めまして。2013 年 5 月に入職した管理栄養士の松田絵梨香(まつだえりか)です。 出身は、かつお節で有名な港町、枕崎市です。 小・中・高校生時代は、スポーツ強豪校として知られる神村学園で勉学とバレーに励み ました(決して上手くありませんでした) 。その後、食物栄養学科のある福岡の大学へ進学 し、栄養学を学びました。ゆくゆくは地元鹿児島で働きたいと思い続けていたところ、縁 あって当センターへ勤務することとなりました。大学 4 年間で栄養学を学び、免許を取得 したことで多少は自信を持って社会に出ましたが、現場ではほとんど役に立たず、職場のみなさんにご 指導いただきながら日々精進しています。 趣味は音楽全般です。小さいころからピアノを習っていたので、今でも聞くことも歌うことも大好き です。また、休日は外出することが多く、旅行へ行ったり、友人に会いに福岡へ行ったりしています。 特に、毎年ディズニーリゾートに行くことが自分へのご褒美で、いつの日か世界のディズニーランドを 制覇するのが夢です。現在は、高校 1 年生の妹と 2 人で生活をしています。休日に妹の試合(バレーボ ール)が重なると、応援に行くのが楽しみのひとつになっていて、妹が一生懸命頑張っている姿を見る と、自分自身もさらに頑張らなきゃと思います。 長い社会人生活の出発点に立ったばかりの私ですが、自分の長所である笑顔 を絶やさずに、スローペースかもしれませんが確実に成長していきたいと思っ ています。これからも患者さんに「今日のメニューはとても良かったよ!」 「美 味しかったよ!」と言ってもらえるよう毎日頑張りますので、今後とも宜しく お願いいたします。 「天体観測」 ゲストサービス部次長付 伊野 朋宏 先日、神戸市にあるプラネタリウムへ行ってきました。 私は、冬の星座がとても好きです。それは、初めて覚えた星座で あるオリオン座が見える事と、澄んだ空気の中で綺麗な星を観察することができるためです。ところで、 Q:星座の数はどれぐらいあるか知っていますか? A:1928 年、国際天文学連合によって、全部で 88 個と決められたそうです。 指宿市に住んでいた時は漆黒の夜空にくっきり・はっきり輝く星を眺めていましたが、現在の住まい 神戸市では霞んで見えます。その場所からの違いを感じるのも夜空を見上げる楽しみの一つです。 ところで、神戸に来られた際には、六甲山より見下ろす地上の星「百万ドルの夜景」をぜひお楽しみ くださいね。 ◆豆知識◆ えぇ!? オリオン座が消える? オリオン座を形成する星たちの中でも、もっとも寿命に近づいていると言われるのが「ベテルギウス」 です。そんなベテルギウスの大きさが、ここ 15 年で約 15%も縮んだという観測結果が出ており、これ はベテルギウスに超新星爆発の時期が近づいていることを意味しています。しかも驚くことに、その時 期はかつての予想より早く、近い将来、超新星爆発が見られるとも言われています。 ちなみに、現在地球上から見えるベテルギウスは 640 年前の姿ですので、ひょっとすると実際のベテ ルギウスは超新星爆発を起こしてすでに消滅しており、もうこの宇宙には存在していない可能性もあり ます。 -7- 初日の治療を終えたあと「治療滞在中は遊歩道をあちこち歩きます。 スケッチする場所を探すのが楽しみ!」と話されていた患者さん。10 日ほど経って「描いてますか~?」 とお尋ねしたところ、「はい! 小さなサイズですけど、今、隣のホテルのフロントと、スパ受付にも 飾ってもらっていますよ!」とのこと。その後すぐに、私たち「センターのスタッフの方にも」と作品 を届けてくださいました。 ソラマメ、スナップエンドウは、指宿市の特産品です。通勤途中に見かける露地 物は葉が青々と茂り、もちろんもうお店には立派な商品として並んでいます。 四つ葉のクローバーは、敷地内を散策中に発見されたそうです。 (毎年、患者さんが見つけて来てくださいます。 ) 患者さんの作品から、もう身の回りのあちらこちらに春が来ていることを知りました。 さらに、私たちにとっては見慣れた風景でも、患者さんは一期一会のお気持ちで、 ここ指宿で過ごす日々を楽しんでくださっているのを感じました。 治療滞在中、素敵な作品がたくさん生まれますように! ブログ 「センター長のこばなし」 【センター長の Facebook フィードを購読しよう】 全国で行っている講演会で、ひと息入れるときに話してい る小話を掲載。35 年以上をも、がんの研究についやしてきた センター長の経験や感覚に基づいたお話です。 毎週月曜日更新の“こばなし”以外にも、旅先からの写真 や、日々のつぶやきを随時発信しています。 詳しくはホームページをご覧ください。 菱川センター長は毎日 Facebook で様々なことをつぶやい ています。つぶやきの内容は・・近況はもちろん、散歩・講 演先での写真、趣味の読書で出会った言葉のお福分けなど。 興味のある方は是非購読してください。 http://www.facebook.com/yoshio.hishikawa http://www.medipolis-ptrc.org/ 一般財団法人メディポリス医学研究財団 メディポリスがん粒子線治療研究センター 〒891-0304 鹿児島県指宿市東方 5188 番地 TEL 0993-23-5188 FAX 0993-24-3450 http://www.medipolis-ptrc.org 患者さん相談窓口電話 0993-24-3456 ( 受付時間:平日 10:00~16:00 ) アクセス <乗用車>鹿児島市内~ 約 70 分 <連絡バス>指宿駅~ 約 15 分 <JR> ・博多駅⇔鹿児島中央駅 (新幹線にて約 80 分) ・鹿児島中央駅⇔指宿駅 (特急にて 約 50 分) =編集後記= 本号特集に寄せられた記事を目にし、今さらながら、治療開始に至るまでの月日があったこと、初回照 射の日から 3 年の間に私たち自身が多くの変化を遂げてきたことを実感しました。このニュースレターは 定期発行の体制となって 2 年が経過しますが、2012 年 4 月発行の Vol.3 に「センターの刻む歴史の中にあ って創立期の現在」と書いたことを思い出します。創立期の現在、今日に至る年月は、日々新しいことを 取り入れ順応し、また次の目標に向かって変革し続けてきた日々だと言えるでしょう。 今年は乳がん治療の開始など、また次の大きな目標が見えています。思いを共有できるスタッフと共に 変化すること、変革していくことを楽しみながら 4 年目に踏み出した 2014 年春です。 (2014.2.28) -8-
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