■ 無形文化遺産とは? 無形文化遺産と世界遺産はいずれもユネスコという国連専門機関によって登録・保 護されています。世界遺産は「顕著な普遍的価値」を有する遺跡・建造物・景観・自然 などの「有形の不動産」が対象です。これに対して無形文化遺産とは、慣習や儀式、 技術、知識など、実体のないものが対象となります。「無形文化遺産の保護に関する 条約」では「口承による伝統及び表現、芸能、社会的慣習、儀式及び祭礼行事、自然 及び万物に関する知識及び慣習、伝統工芸技術」と定められています。 ■ すでに登録されている食の無形文化遺産 では、食分野における無形文化遺産とはどういうものなのでしょうか。すでに登録され ている 4 つの食の無形文化遺産について簡単にまとめてみました。 ▼フランスの美食術(フランス) フランスの人たちが、誕生日や結婚などの記念日や大切な出来事を料理で祝う社会 的慣習。食材の選び方、ワインと食べ物の組み合わせ方、フルコースの料理を出す 順番、食器のセッティグ、マナーなどの知識や慣習。 これらの、社会的慣習や知識といった側面が主に評価されています。 ▼地中海料理(スペイン・イタリア・ギリシア・モロッコの 地中海料理(スペイン・イタリア・ギリシア・モロッコの 4 カ国の共同申請) 地中海式の農業によって栽培・収穫・加工されたオリーブオイルと少量の肉から油脂 をとり、穀類、フルーツ、野菜、適度な肉・魚・乳製品といった食材をバランスよく適量 のワインとともにいただき、食卓を囲みながら語り、楽しみながらゆっくりと味わう。 このような、食品の生産、加工、消費に関わる風景や技術、知識、社会的慣習が総合 的に評価されています。 ▼メキシコの伝統料理(メキシコ) メキシコ料理には 7000 年前から口承で伝えられている伝統が色濃く残っており、トウ モロコシ、豆、唐辛子の 3 つを基本とし、多様な国土でとれる様々な農産物を材料に 作られます。 環境と調和した伝統農法や、儀式や祭礼行事、人生の出来事に結びつき生活の中に とけ込みながら、代々受け継がれてきたことなど、儀式や慣習としての側面が評価さ れています。 ▼トルコのケシケキ トルコの伝統料理のひとつケシケキは、麦と肉、タマネギを水と油で一晩かけて煮込 んだおかゆのような食べ物。おかず扱いなのでパンと一緒にいただきます。 結婚式や割礼式、祝日、雨乞いなどの儀式で、連帯感を強めるために儀式の主催者 がふるまうもので、歌を歌いながら音楽にあわせて小麦を脱穀し、すりつぶす儀式全 体が文化遺産として認められています。 こうやって見ていくと、意外と内容が地味なんですよね。宮廷料理のような高級感や 絢爛豪華なものはなく、むしろ庶民の生活に根ざしたようなものばかりです。また、食 べ物そのものや味がどうこう、というよりは食と社会の関わり、食に関わる文化・慣 習・知識全体が対象とされています。この辺りが、ミシュランなど、いわゆる食の格付 けとは大きく異なる点と言えるでしょう。 ■「体にいい」「おいしい」以外の食の意義とは 私たちは食について評価する際「栄養的に優れているか」「味が優れているか」という ところに注目しがちです。しかし、食はそれ以外にもいくつもの機能や要素を持ってい ます。 食の持つ機能は大きく 5 つに分けられます。 ・生理的機能:食の最も基本的な役割はエネルギーや栄養素を摂取し生命や健康を ・生理的機能 維持していくことです。食欲の根源といえます。 ・精神的機能:私たちは食事を通して空腹を満たすだけでなく、食べ物の味や香りを ・精神的機能 楽しみ、心理的な満足を得ています。これは、私たちの食欲の副産物と言えるかもし れません。 これらが「栄養」と「味」に関わるものです。私たちの欲求に深く関連することもあり、一 般的にはこの2つのイメージが強いかと思います。 一方、食の無形文化遺産は残り 3 つの機能に重点を置いています。 ・社会的機能:食は人間関係の媒体としても機能しています。家族の団らんや飲み ・社会的機能 会・食事会の場で仲を深めるなど、私たちは食事を通して人間関係を築いています。 また、それを円滑に進めるため、食におけるルールやマナーが決められています。 ・文化的機能:各地の郷土料理や行事・儀式の際に食べられる食事は、自然や歴 ・文化的機能 史、宗教を通して培われた文化の重要な一部です。お正月には鏡餅をお供えし、鏡 割りの日にそれをいただく、というのも食が行事・儀式に重要な役割を果たしている一 例です。 ・教育的機能:食卓は子どもが食べ物に関する知識やマナー、習慣を身につける場で ・教育的機能 もあります。ここまでに挙げられた 4 つの役割に関して、大人から子どもへと伝えてい くことが求められます。 このように食に関わる、社会的慣習、伝統、行事、儀式、それらを支える知識や技 術。これらを保護し伝えて行くことで、その食が守り育まれてきた社会や文化そのもの を保護し、次の世代へと伝えていく。これが「食の無形文化遺産」というものであるよう です。 それでは、和食には、どのような社会や文化が内包されているのでしょうか。次回は この点について書いていこうと思います。 しかしそもそも「和食が無形文化遺産」と言われても、どういうことだかイマイチわかり ませんよね。しかし、日本と同様「キムチとキムジャン文化」が登録される見通しの韓 国では、この認識があやふやであることによって、ユネスコから警告を受けるなどの 問題も生じています。そこで、「食の無形文化遺産っていったい何なんだ(前編)」では 「そもそも食の無形文化遺産とはいったい何なのか」ということについて解説しまし た。そして今回の後編では「無形文化遺産としての和食とはどのようなものなのか」を 書いてみようと思います。 前編では、過去に登録されている4つの食の無形文化遺産を挙げ、食の機能が下記 の5つに分類されることに着目して分析を行いました。 ※食の機能: 「生理的機能(エネルギーや栄養素を摂取)」 「精神的機能(楽しむ、心理的満足)」 「社会的機能(交流)」 「文化的機能(行事や儀式など)」 「教育的機能(食卓における教育)」 そして無形文化遺産では、食の機能における社会的・文化的・教育的の3つの機能 が重視されているという点について解説しました。つまり食の無形文化遺産は、味の 良さや栄養的な特徴から離れ、その食が持つ社会的・文化的役割や、それらに関わ る知識・技術などの要素、そしてそれらがどのように継承されているのか、によって評 価・構成されています。それでは、和食には、どのような社会的・文化的要素が内包さ れているのでしょうか。 ■「和食:日本人の伝統的な食文化」とは 今回無形文化遺産に申請された「和食:日本人の伝統的な食文化」の定義・詳細につ いては、農林水産省の HP や申請書に詳しく記載されています。(農林水産省 HP「日 本食文化を、ユネスコ無形文化遺産に」)これらを整理すると以下の要点に分けられ ます。 (1)「自然の尊重」が基本的な精神である (1)「自然の尊重」が基本的な精神である:日本は南北に長く四季が明確で、季節や地 「自然の尊重」が基本的な精神である 域ごとに様々な食材が得られます。また、気候は比較的穏やかで、海からも山野から も豊富な食材が手に入ります。このように多彩な食材に恵まれていることから、季節 感を大事にし、素材の味わいを活かす料理や技術が発達しました。 (2)日本人の帰属意識を強めるものである (2)日本人の帰属意識を強めるものである:和食、すなわち他の日本人や祖先が味わ 日本人の帰属意識を強めるものである ってきた食事を共にすることで、日本の伝統や日本人としてのアイデンティティを再認 識させる役割があります。 (3) 地域や家族の関わりを深める:家族で食卓を囲むことで家族の中を深めたり、行 地域や家族の関わりを深める 事食においては、地域の絆を強くする働きもあります。今では減りつつありますが、正 月の餅つきや秋の収穫祭など、地域で協力して行事食の準備をすることで、地域に おける人のつながりを形成しています。 (4) 日本人の健康に貢献している:和食の、一汁三菜を基本とする食事スタイルは、 日本人の健康に貢献している バランスがよく健康的であると言われています。また豊富なうま味を持つ出汁や発酵 調味料を活用することで、カロリー摂取の抑制や肥満防止に寄与しています。 これを食の5つの機能に分類してみましょう。(1)と(2)が文化的機能、(3)が社会的機 能、(4)が生理的機能、となるでしょうか。中でも(1)の「自然の尊重」はこれらの要とな るポイントと言えるでしょう。また、(4)に生理的機能が含まれる点も他にない特徴で す。 ■自然や地理的条件に基づいた日本の食文化 日本の文化は「自然の尊重」という精神に基づいたものであり、和食はそれを体現す るものと言えます。 日本は温帯に属し、平均雨量が 1800mm(世界平均が 700mm 程度)と大変恵まれた 自然環境にあります。加えて四季がはっきりとして、海に囲まれ山々も多いことから、 季節ごと地域ごとの多様性が日本の地理的な特色です。日本の文学や美術などを振 り返ってみると、こうした多様な顔を持つ自然に寄り添い、感謝し、活かすというのが 日本の文化の特徴のひとつと言えるのではないでしょうか。 和食も、この文化・気質に基づいたものであると定義されています。季節の移り変わり にあわせて、旬の食材を食べ、季節を思わせる盛りつけや飾りをあしらいます。例え ば、春には桜や菜の花をイメージした彩りを用いたり、新筍と新若布を使った若竹煮 は「春先の出会いもの」として喜ばれたりします。 また、海や山による様々な地形や緯度による気候の違いといった地理的条件に歴史 的な背景が加わり、地域ごとに様々な郷土料理が存在します。例えば先日の「ごちそ うさん」にも出てきた「がわがわ」は、静岡県御前崎市周辺の郷土料理。鰹や鯵など の夏にとれる魚を新鮮なうちにたたき、薬味と一緒に、冷たいみそ汁に入れてつくりま す。これはもともと、この辺りの漁師さんが、夏の暑い時期に船の上で作って食べて いたもの。海が近い漁師町らしい郷土料理です。一方、海が遠い京都では、かつては 新鮮な海の幸なんて手に入りませんでしたから、若狭でとれた鯖を塩漬けにして運ん でいました。輸送に使われた道が「鯖街道」と呼ばれるほど。京都で最も代表的なお 寿司といえば、この鯖でつくった「鯖寿司」です。海から離れた土地ならではの努力と 工夫が詰まった郷土料理です。 (2)の和食が日本人としてのアイデンティティを強めるというのも、和食自体が、日本の 文化をよく表したものであるからではないでしょうか。また、(3)で社会的機能として挙 げたように、行事食の支度や食卓を通じて人と人の関わりが深まるというのもまた、 和食が日本の文化を共に作り上げ、継承していく場として機能しているからかもしれ ません。 ■出汁や発酵調味料を活用するうま味文化 もう1点特徴的なのが健康への貢献が挙げられていることです。これは他の食の無 形文化遺産にはあまり見られない要素です。しかし、この健康的な食事スタイルもま た、日本の歴史や地理に影響を受けて発展した文化的なものであり、それが結果的 に長寿や肥満防止など健康面にも結びついています。 和食を健康的な食事として特徴づけているのは、動物性油脂を使わず、味噌や醤油 などの発酵調味料や出汁のうま味によって満足感を与えているという点です。発酵調 味料や出汁のうま味を活用することは、もともとアジア全体で一般的なことでした。し かし肉食文化圏の拡大とともに肉食や油脂の使用が広がり、徐々に存在感が薄れて いきました。一方日本では、仏教の影響により6世紀頃から肉食が禁止され、そこか ら明治に至るまでの長い間、肉食は一般的ではありませんでした。島国であったこと から、外国からの侵略を受けにくかったというのがひとつの要因でしょう。鎌倉時代の 「元寇」により元に侵略されていたら、今の和食はなかったかもしれません。肉食の禁 止は実際には、時代ごとに厳しくなったりゆるくなったり、鶏や猪などの例外が認めら れたりもしましたが、それでも、肉食を忌避する風潮は明治の文明開化まで続きまし た。なんと 1000 年以上!そのため、肉のうま味や動物性油脂によって得られる満足 感を補うため、出汁や発酵調味料を重視した食文化が発達したと考えられます。 現在多くの国で問題となっている肥満や生活習慣病の多くは動物性油脂の摂り過ぎ による部分が大きいとされています。一方うま味が、動物性油脂によって得られる満 足感を補い、カロリー摂取の抑制に効果があるという点について、研究が進められて います。日本人のみならず、世界的にも今後重要な食の知恵として和食を活用してい くことができるかもしれません。
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