南スーダンの紛争の背景と解決の可能性

南スーダンの紛争の背景と解決の可能性
20160830 茂住 衛
1. 南スーダン内戦の経過と背景
(a) 南スーダン独立からの経過
2011年7月 南スーダン共和国がスーダン共和国から分離・独立
2012年1 月スーダン政府との石油に関する交渉が停滞,南スーダンは,原油生産停止を決定
2012年9月 南スーダン・スーダン両国政府は,二国間の未解決課題に関する9つの合意文書に署名
2013年4月 原油生産の再開
2013年12月 首都ジュバにおいて大統領警護隊同士で衝突(マシャール副大統領派によるクーデター未
遂事件?)。以降,地方において,多くの国軍兵士が反政府側に寝返り,政府軍との衝突が激化。
2014年1月 エチオピアの首都アディスアベバにおいて,東アフリカの地域経済共同体である政府間開発
機構(IGAD)の仲介により,政府側及び反政府勢力の間の和平協議を開始
2014年6月 IGAD臨時首脳会合を開催。移行政府の設立に関して協議・合意していくことを決定
2015年8月 IGAD等による調停の結果,キール大統領や,マシャール副大統領をはじめとする関係当事者
が,無期限衝突停止宣言や国民統一暫定政府設立などを規定した「南スーダンにおける衝突の解決に関する
合意文書」に署名
2016年4月 統一の暫定政府を樹立
2016年7月 大規模な戦闘が再開。キール大統領によるマシャール副大統領の解任
2016年8月 国連安保理が南スーダンで展開する国連PKOに4,,000人の地域防護部隊の追加派遣を決定
※ 2015年8月の調停までに数万人が死亡、避難民は230万人以上と推定されている(毎日新聞 2016
年4月30日 http://mainichi.jp/articles/20160430/ddm/007/030/038000c?mode=print)
※ 内戦の当事者はサルバ・キール・マヤルディ(Salva Kiir Mayardit)大統領派とリヤク・マシャール
(Riek Machar)(前)第1副大統領派。しかし、両者ともに現在の南スーダン議会の圧倒的与党であるス
ーダン人民解放運動(SPLM)のメンバーで、スーダンにおける南北内戦において北部の政権と闘った。
※ 「民族」(キール大統領派=ディンカ(Dinka) vs マシャール副大統領派=ヌエル(ヌアー、
Nuer))と「資源=石油」がこの内戦の主要な要因なのか?
※ 国境の枠内に納まらないエスニック・グループの活動や軍閥化した地域集団・利益共同体の存在。
(b) 南スーダン国家の性格
・ 「植民地期の境界を変更できない」というウティ・ポシデティス(uti possidetis)原則を維持してい
るアフリカ連合(AU : Africa Union)の例外として独立後のスーダン共和国からの分離・独立によって国家
が成立した(アフリカで54番目の国家。西サハラ=サハラ・アラブ民主共和国を除く)。さらに、日本を
ふくめアフリカと世界の多くの国は承認している。
・ 2005年の南北包括的和平協定(CPA : Comprehensive Peace Agreemen)を契機に国際社会によ
る大規模な援助が開始(米国のキリスト教会などは1980年代から援助を行ってきた)。2011年の独立後
も、援助への依存構造は変わらない。
・ 国家の独立の日から国連PKOが活動を開始=最初から外部勢力に依拠しないと国家を運営することが
できない。
・ 武器を自国内で生産できないのに、周辺国から武器はいくらでも流入してくる。個人の銃所有は法的に
は禁止されていても、誰もが安価で銃を購入することができる。
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・ 石油輸出に極端に依存した国家収入。輸出の99%以上、国家収入の98%がが石油に依存していると言
われる。
・ 本来、牧畜と農業が基幹産業であるにもかかわらず、粗糖や穀物(ソルガム、小麦など)を輸入してい
る(信頼できる貿易統計データは検索できず)。
・ 都市部の商業活動の多くが近隣諸国(エチオピア、ウガンダ、ケニアなど)の商人やソマリ人商人によ
って成っている。
・ 「独立から2年の2013年から国家建設に失敗」「通常の「崩壊(破綻、失敗)国家」は国家が出来上
がってからから崩壊するが、南スーダンの場合は国家が出来上がる過程で崩壊してしまった」(2016年7
月28日、難民を助ける会(AAR)主催シンポジウム「南スーダン独立5年:新しい国造りは挫折したの
か}における栗本英世さんの発言)
・ 「外見的には、住民投票を経てスーダン共和国から分離・独立したが、実質的には米国が作り出した作
品である」(同シンポジウムにおける白戸圭一さんの発言)。
←2001年の9.11テロ事件以降に強化された対テロ戦争の文脈において、南スーダンは地政学的にイスラ
ームへの水際に位置する。
←米国のキリスト教保守派にとって南スーダンはキリスト教国の最前線になる。
※ 紛争の背景を探るためには、南スーダン国家の性格をふまえる必要がある。
※ 南スーダン国家の性格を支えてきた国際社会の責任。
※ スーダン/南スーダンの歴史的文脈が、現在の南スーダンの内戦にどのように反映されているのか。
※ 冷戦体制崩壊後の1990年代に多発したサハラ以南のアフリカの紛争・内戦(資料2を参照)をもたら
した構造が、現在の南スーダンの内戦にどのように反映されているのか。
←紛争の「大衆化」と「民営化」。(武内進一さん)
←アフリカにおける「パトロン・クライアント関係」=「資源分配と政治的な支持の交換」(武内進一さ
ん)とその多層的な構造化が国家を支えていたり、そのネットワークの弱体化が紛争や内戦を誘因すること
にもなった。
←独立後から冷戦期のアフリカにおける家産制的な性格(「朕は国家なり」)や暴力的な支配を有するこ
国家の成立とそれを支えた当時の国際関係。
※ 「アラブの春」(2010年12月∼2011年3月頃まで)とその後 北アフリカではチュニジアの「成
功」?、エジプト・リビアの「失敗」?
2013年6∼7月にエジプト・ムルスィー(ムルシ、モルシ)政権(ムスリム同胞団)を打倒したシーシ
ー(シシ)による軍の「クーデター」への『評価」をめぐる<混乱>。
←「タマッルド(反乱)」と名付けられたるムルスィー政権の退陣要求運動と軍の介入を求める運動。
←「クーデター」によって徹底的弾圧されたのはムスリム同胞団だけではない。「アラブの春」∼タマッ
ルド(反乱)を主導した市民運動もまた押しつぶされた。
2. スーダン/南スーダンの歴史的文脈の検証
(資料1の年表を参照)
※ 植民地化のスーダンはイギリスとエジプトによる共同統治。
※ 植民地化のスーダンにおける「南部封鎖政策」=北部から南部への移動の制限(パスポートが必要)ア
ラビア語の禁止と英語を公用語に。イスラームの布教の禁止。
※ スーダン共和国独立(1956年1月)の前(1955年8月)に勃発した第1次内戦(∼1972年3月)。
←北部政府 vs アニャニャ(Anyanya、「毒虫})などの南部分離派のゲリラ組織。
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←スーダン独立が北部中心主義を制度化する形で行われたため南部の不満が高まり、南部分離主義が強ま
った。
←1972年3月のアジスアベバ合意に両者が署名。アジスアベバ合意でいったんは南部の自治権が認めら
れる。
※ 第2次内戦(1983年5月 2002年10月/205年1月)
←北部政府 vs スーダン人民解放軍/運動(SPLA/SPLM : Sudan People's Liberation Army /
Movement)
← 2005年1月に両者が南北包括和平協定に署名。
← CPAの骨子=6年の間の北部と南部の合体による暫定統一政権と南部に自治政府を設置、5年後の暫定
統一政権の首長選挙、6年後の南部の独立の是非を問う住民投票。
※ 独立後のスーダンにおける紛争は南北内戦だけではない。ex ダールフール紛争(スーダン西部ダール
フール地方において、アラブ系民兵組織ジャンジャウィード(Janjaweed 「馬に乗る武装した男」)に
よるアフリカ系住民の大量殺害やコミュニティの焼き討ちが国際的にも非難された)。
※ 繰り返されるクーデーターと民主化の挫折。独立後の多くの時期が軍事政権下。
1953∼1958年 議会制民主主義
1958∼1964年 軍事政権(イブラヒム・アップード政権)
1965∼1969年 第2次民主主義政権
1969∼1985年 第2次軍事政権(ヌメイリ政権)
1986∼1989年 第3次民主主義
1989年 現在 第3次軍事政権(バシール政権)
←オマル・アル=バシール(Omar Hasan Ahmad al-Bashīr)大統領は、2009年3月にダルフールでの
戦犯容疑(人道に対する罪などの容疑)で国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を出されたが、その後も、エ
リトリアとエジプト、リビアを訪問するなど、逮捕状は執行されていない。
←民主主義政権の樹立には、アラブ・北アフリカで最強と言われたスーダン共産党が中心的な役割を果た
したこともある。
※ 北部政府によるイスラームの政治利用。経済格差・開発格差を隠蔽するために、宗教や言語、文化の違
いを弾圧の口実にした。支配層・多数派がアイデンティティ・ポリティクスによる動員を行う(少数派の権
利擁護としてのアイデンティティ・ポリティクス都は明らかに異なる)。
3. 紛争解決のためのアフリカの潜在力と知恵の可能性
(a) 欧米諸国を中心とする国際社会のこれまでの紛争や内戦解決に向けた基本方針
・紛争や内戦が納まらず、国会による統治や人間の安全保障が機能しない(公共財を提供できない)アフリ
カの多くの国家は「失敗(破綻)国家」(failde state)や「脆弱国家」(fragile state)であるという認
識。
↓
・政治的・軍事的・経済的な圧力と権益・利益の誘導によって紛争や内戦の当事者間に「和平」合意を強制
する。
・「和平」合意に従わない武装勢力には軍事的に対応。対テロ戦争という「ロジック」も動員される。
↓
・国家を「再建」するために。「和平」後における競争的な(多党制による)大統領選挙や議会選挙の実施
と監視(国連選挙監視団)。選挙後における権力分有。自由な市場経済の導入。
・国際刑事裁判所(ICC : International Criminal Court)や国際法廷の設置による刑事責任の追及。
・国際機関や国際NGOなどの協力による武装解除・動員解除・社会復帰(DDR : Disarmament,
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Demobilization, Reintegration)。
(b) (a)の「和平」プロセスは成功してきたのか?
・DDRの実現が、紛争や内戦の激化や再発を回避するための出発点になることは間違いない(成功例もあ
る)。
・だが、DDRを担う国際機関や国際NGOなどが、現地のローカルな社会構造や事情、慣習をどの程度理解
し、それを尊重しているのかという問題はあるだろう。
・国家の「再建」による「良い統治」(Good Governance)の確立や「民主化」という欧米諸国を中心と
する国際社会の目論見は、アフリカではあまり成功していない(ように見える)。
・一方で、冷戦体制崩壊後の1990年代に多発した紛争や内戦は2000年代から減少している。
・多党制のもとでの大統領選挙や議会選挙の実施が、逆に権力をめぐる対立を激化させる、新たな暴力的衝
突を引き起こすこともある(ex. 2007年末 2008年のケニアにおける選挙後暴力)
・代議制民主主義が多数派の(専制的な)支配を正当化するための道具になっている←アフリカだけでな
く、日本などの「先進国」も含めて見受けられる現代的な現象。
・ICCによる訴追がアフリカの「指導者」に偏っているという不公平感が広範に存在している。
・「南スーダンでは「国家」と「社会」が乖離(かいり)している」(前述シンポジウムにおける栗本英世
さん発言)。このことは南スーダンに限らず、アフリカ各国で見受けられることではないか。
←民族やコミュニティの住民には「国民」という意識は希薄
←国家は外から軍隊とともに入ってくる(植民地時代も独立後も)
←表面的には国家に従っても、実際は国家の支配を回避したい。
(c) 紛争解決のためのアフリカの潜在力と知恵の可能性
・平和構築と和解の主体は、何よりも現地の住民である。
・「民族」や「パトロン・クライアント関係」を利用した暴力への「動員」を止めることが紛争解決の出発
点になる。「民族」や「資源分配」の「対立」が紛争の本質的な要因ではなく、それを利用した「動員構
造」が紛争を引き起こし固定化する要因になる。
・紛争後の「和解」のための試みとそのためにローカルな知恵を尊重する。
ex.
・西洋型民主主義と選挙とは異なる「長談義」の可能性(シルビー・ブリュネルさん 朝日新聞デジタル
2016年8月27日 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12530067.html?ref=pcviewer)
←「長談義」=「国内のすべての政党や政治勢力、すべての民族がテーブルを囲んで議論をする。時間の
制限を設けず、みんなが受け入れられる結論がでるまで話し合う」
4. スーダン/南スーダンにおける国連PKOの検証
(a) スーダンと南スーダンにおけるPKO
2005年3月24日∼2011年7月9日
国際連合南スーダン派遣団(UNMIS : United Nations Mission in Sudan)(←安保理決議1590)
←2005年1月の南北包括的和平協定を受けて、ハルツーム(スーダン)を拠点に展開
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←日本の自衛隊は2008年から少数の派遣
2011年7月9日(南スーダン共和国がスーダン共和国から分離・独立した同じ日)∼現在
国連南スーダン派遣団(UNMISS : United Nations Mission in the Republic of South Sudan)(←安
保理決議1996)
←20011年7月の南スーダン共和国がスーダン共和国から分離・独立により、司令部をジュバ(南スー
ダン)に置き、活動を展開。約7,000 8,000人規模。
←日本の自衛隊派遣が本格化(今まで最大時で410名)
(b) PKO協力法(1992年に制定、2015年の安保法制(平和安全法制)制定により改正)に示されてい
る自衛隊のPKO参加5原則は、南スーダンでは守られているのか?
(PKO参加5原則)
(1) 紛争当事者間で停戦合意が成立していること。
(2) 当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること。
(3) 中立的立場を厳守すること。
(4) 上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること。
(5) 武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。
南スーダンの現状から判断すると
(1) について、現状は明らかに異なる。
(2) について、表面的には「同意」? 現在の南スーダン「政府」にとって「同意しない」という選択は
ありえないのではないか。
(3) について、現在の南スーダン内戦において「中立的立場」とはどのようなものなのか? 現在の南ス
ーダンにおいて誰が政府を公平に代表できるのか?
(4) について、現在の安倍政権が「部隊を撤収させる」という判断をくだすことは最初から考えられない
ない。
(5) について、武器を使用し始めるならば「必要な最小限」の基準の判断はいくらでも拡大されていく。
(c) 国連PKOの問題点
・ PKO派遣国がPKOに自国兵士を派遣する動機
(1) 多国籍PKOの派遣先は軍事的専門知識を交換しあえる場である。
(2) 「途上国」と「先進国」どちらの軍隊にとっても、PKOへの参加は給料の面で、また派遣先が天然資
源の産出地域であれば、資源のアクセスの面でも大きな収穫となる。
(3) PKO派遣は、平和貢献のイメージや国の存在感を高めるには効果的である。
(4) PKO派遣が「政争の具」として利用されている。
(米川正子さん「安保法制100の論点 35. 国連PKOは平和の創出に役立っているのでしょうか」2015年
8月15日、日本平和学会ウェブサイト http://www.psaj.org/2015/08/15/35-国連pkoは平和の創出に
役立っているのでしょうか/)
・ 国連PKOの任務の変化
国連平和維持活動(PKO)自体の考え方が、ここ10年でガラッと変わりました。政治交渉の末、停戦し
たところで、第三者として中立な武力を入れる。その状態を長続きさせ、和平に繋げる。昔はこれが主要任
務でした。/しかし、1994年のルワンダのジェノサイドのように、PKOの目の前で停戦が破られ住民が虐
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殺される。当時は、国連が中立性を失い「紛争の当事者」になることを恐れ、撤退し、100万人の住民を見
殺しにしてしまった。この教訓から「保護する責任」という考え方が生まれ、それが実行されるまでに10
年以上の時間がかかるわけです。/だって、住民の保護は、そもそもその国家の役割ですので、国家に代わ
って、住民を傷つけようとする勢力に対して「武力の行使」をする、つまり、国連が「紛争の当事者」にな
る。今では、国連は中立性をかなぐり捨てて、住民を守ることを決意したんです。
伊勢崎賢治さんの発言(「紛争解決請負人」が語る安保関連法案 / 伊勢崎賢治 荻上チキ、SYNODOS 2015年7月8日 http://synodos.jp/international/14517)
※ 「保護する責任」という考え方は、国連PKOだけでなく欧米中心の国際社会による軍事介入を正当化
する根拠としても援用される。
※ 誰が主体になって誰をどのような方法で「保護」するのか。「保護する責任」の行使においてはこの点
を具体的に問われる。
※ 安保法制による自衛隊の新任務「駆けつけ警護」はこの文脈に位置づけることができるのか?
5. 南スーダン内戦の解決の可能性とは?
※ まさにこの問いこそが????
※ それでも、ふまえておかなくてはならない視点=3.−(c)で提起したこと。
※ 国連PKO派遣は内戦終結に有効であるとは考えにくい、それならば、近隣諸国の政府による介入は有
効なのか?
←南スーダンの近隣諸国は、南スーダンへの武器の流入元になっている。かつ、近隣諸国それぞれの国内
においても武力的な紛争が解決していない。
←それでも、国連や欧米諸国よりも近隣諸国の方が・・・?
※ 南スーダンのスーダンからの分離・独立は必然 or不可欠だったのか? ジョン・ガラン・デ・マビオ
ル (John Garang de Mabior SPLM/A議長・最高司令官.。2005年7月に乗っていたヘリコプターが墜
落し死亡)が追求した「新しいスーダン」(New Sudan)=統一した民主主義国家の実現は、なぜ実現し
なかったのか? (資料3を参照)
※ 紛争の終結とその後の平和構築の文脈において「和解」は「暴力」の対立概念になるとは限らない。紛
争や内戦における「暴力」の被害者になった/加害者になった(加害者になることを強いられた)という記
憶を共有せざるをえないからこそ「和解」が追求される。(資料4を参照)
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