内容の要旨

シャーウッド・アンダーソンの作品における他者理解の問題(白岩)
氏
名
しら いわ ひで き
白 岩 英 樹
学 位 の 種 類
博 士(芸術文化学)
学 位 記 番 号
甲博文第 59 号
学位授与の日付
平成 23 年 3 月 22 日
学位授与の要件
学位規則第 4 条第 1 項該当(課程博士)
学 位 論 文 題 目
シャーウッド・アンダーソンの作品における
他者理解の問題
論文審査委員
主査 教授
山 縣 煕 副査 教授
武 谷 な お み
副査 教授
重 政 隆 文
副査 非常勤講師
渡 邊 孔 二
内容の要旨
本論文は、アメリカ文学史に名を留め、日本でもよく知られている優れた作家たち、アーネ
スト・ヘミングウェイ、ウィリアム・フォークナー、ジョン・スタインベック、さらにはジェロー
ム・デヴィド・サリンジャー達に少なからぬ影響を与えていながら、なお日本では余り知られ
てはいない作家、シャーウッド・アンダーソン(Sherwood Anderson,1876∼ 1941)の主要作品
の読解を通し、
「他者理解の問題」というアンダーソン文学の一つの核ともいえるテーマを解
析しようとした、今後のアンダーソン研究の基礎をなすと思われる論文である。
その際、申請者は、アンダーソンの作品を通時的に分析すると共に、共時的側面と社会的背
景的側面にも眼を配りながら、さらにはジェイムス・ジョイスやヴァージニア・ウルフなどア
ンダーソンと同時代ともいえるイギリスの作家が用いた「意識の流れ(stream of consciousness)の手法を検討したり、数多くの批評家や研究者の論文や著作を援用したりすることで、
その時系列に沿った研究に、ふくらみや幅をもたせる試みをしている。
以上が本論文の概観であるが、以下その内容を章を追って順に詳細にみてみる。
第 1 章は、
「関係性以前の関係」というタイトルをもつ。
この章では、アンダーソンの処女小説「うさぎの檻」
(1914)を取り挙げ、登場人物相互の関
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係(「うさぎの雌雄」、
「ハークネス夫妻」
「フォーダイスとパートナー」)それぞれを、サットン
の言う「欲求不満」と「非難」、さらには「成熟」
「未成熟」という用語をキーワードに分析して
いる。そこでは、他者関係はどれも、関係性として成立してはいず、
「関係性以前の関係」に止
まらざるを得ないと指摘する(18 貢)と共に、なぜそうした「関係性以前の関係」に止まらざる
を得なかったかに考察の目を向けている。
この第 1 章を受けて、第 2 章は「関係性の発生」というタイトルをもち、
「関係性の発生」の在
り様を、異なる作品(群)を通して考察する三つの節から成立する。
2章の1節(2-1)では25篇の短編からなるという形式をとる『ワインズバーグ・オハイオ』
(1919)
を取り挙げ、分析する。この作品は申請者も言及しているように、ジェイムス・ジョイスの『ダ
ブリナーズ』
(1914)との類似が指摘される作品である。この作品の書かれた時期は、アメリカ・
イギリスにおいて女性解放運動の気運が高まった折でもあり、そうした時代性を背景に、この
作品群では女性が主人公として登場する。この節における「タンディ」の詳細にわたる分析は
渡邊副査をして「白岩氏の研究者としての今後に期待を抱かせる高論である」と言わしめても
いる。この 2-1 において、申請者は「関係性が発生しうる要因や条件をアンダーソンがどのよう
に描いているのか、それを明らかにすることを狙いと」したと述べている。
2-2 では「受動性と能動性:短編小説における他者関係」が論じられる。主題的に取り挙げら
れるのは3冊の短編集『卵の勝利』
(1921)
、
『馬と人間』
(1923)
、
『森に死す、その他の短編』
(1933)
である。キーワードは「受動的な女性」と「能動的な女性」、そしてまた本節では関係性の構築
における受動性の問題と能動性の問題が論じられる。申請者の解析によれば処女短編集『卵の
勝利』では「受動的な女性」が中心に描かれ、彼女たちはその望む関係性を構築できないまま
である。しかしその二年後に出版された『馬と人間』では「能動的な女性」像が初めて描かれる
ようになり、彼女は、求めるものを手にすることができ、関係性の構築に成功している。さら
に『森に死す、その他の短編』では、登場人物の中心は「能動的な女性」であり、彼女たち全員
が人間関係の構築に成功し、求めているものを手にしている。
2-3 は、長編小説『黒い笑い』を中心に「原初性の目覚め」を論じている。
『黒い笑い』
(1925)
は生前に発表された 8 冊の長編小説群の内で、6 冊目であり、最高の売り上げ部数をもつもので
もある。この作品は、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』
(1922)において試みられた「意識
の流れ」の手法を援用したものである。主要登場人物は三人、ブルース、アリーン、フレッドで
ある。キーワードは「白人と黒人」、
「産業主義と原始主義」、
「文明と原始」、そしてそうした二
項対立的キーワードを武器概念として、申請者は三人の主要登場人物の関係性に焦点を絞ると
共に、作者アンダーソンの「原始性への傾倒が主要登場人物の関係性のなかでどのように表現
されているのか」を探究する。
本論文の最終章は「関係性の乗り越え:詩作品における他者関係」というタイトルをもつ。
この章で問われるのはアンダーソンの最後の詩集『新しい遺言』
(1927)である。
「壁」をキーワー
ドに、それを「他者理解」を考える重要な概念として、
「壁」からの脱却を、
「壁の上から」
「壁を
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シャーウッド・アンダーソンの作品における他者理解の問題(白岩)
を突き抜けて」
「壁の下を通り抜けて」の三項にわたって詳察する。その試みはまた、1、2 章に
おいて論じられた、抽象化され、それ故単純化された二項対立的人間関係を乗り越えていくこ
とへの志向でもある。それはいわば関係性の乗り越えであり、それはまた、乗り越えられた関
係性構築の試みでもある。
申請者が論文中に引用しているある作品の一文を記しておく。
“・・・・people who believe in themselves make others believe”
(“Like a queen”
)
審査結果の報告
この論文が研究の対象としているのは、シャーウッド・アンダーソンである。すでに内容の
要旨において述べたことでもあるが、彼はアメリカ文学史において、欠かすことのできない作
家でありながら、日本では殆ど知られていない。
申請者の文章を引用しつつ、彼、アンダーソンの業績を紹介することから始めたい。彼は「ま
ず、シカゴ・ルネッサンスにおける中心的人物の一人となり、20 世紀初頭に興ったモダニズム
文学の要素をアメリカ人作家としていち早く採り入れた」
「次に挙げられるのは短編の名手と
してアメリカ文学における短篇小説の主流を担ったことである。彼の短篇の特徴は、簡明な口
語体を採り入れた文体によってアメリカ独自の主題を追求した点にある。」
「最後に挙げられる
のは、ウィリアム・フォークナーやアーネスト・ヘミングウェイなど後進の作家たちが小説家
として世に出る際に力を貸し、彼らに代表される『ロスト・ジェネレーション』と呼ばれる世
代の作家たちに多大な影響を与えた。」以上が申請者が証言する研究対象、アンダーソンの業
績である。
またこうした業績に加えて、アンダーソン独自の文学手法的特質として「作中の出来事を整
然と進展させることに興味がなかった」という点を申請者は指摘してもいる。
そしてそうしたアンダーソンが扱う作品の主題は、
「他者との関係性」の問題である。
「アメ
リカ人の生に関してもっとも特徴的なことのひとつは、僕たちがお互いに孤立しているという
ことだ」
「僕たちには共通の宗教がないし、共通の国土愛がない。人々は何らかの共通の情熱を
通して、お互いに近しくなるのだ。」
(二つの引用文はアンダーソンの手紙からのもので、申請
者の引用による。)
こうしたアンダーソンの考えを受け、申請者は「それでは、その『何らかの共通の情熱』」と
はいったい何であるのか」という問いを発すると共に、
「本論文ではこの疑問に深く関わりの
ある『他者理解の問題』を扱う」と述べている。
先に「内容の要旨」において詳細にみたように、この「他者理解の問題」という問いを申請者
は、
「関係性」という言葉に置き換え、
「関係性以前の関係」
「関係性の発生」
「関係性の乗り越え」
という三点から考察している。そしてまたこの考察は、アンダーソンの作品の時系列にほぼ呼
応し、発展・展開していく。
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その論述の展開の課程は、すでにアンダーソンの著作の翻訳を二冊上梓し、またアンダーソ
ンに関わる論文を 5 本発表している申請者にして、初めて可能となったと思われもする。
渡邊副査はそうした申請者の研究の姿勢を「個人における他者理解の問題というアンダーソ
ン文学の核ともいえる特質を問い詰め抉り出す試み」であるとしている。
英米文学の研究を自身の中心課題としており、それ故に申請者の研究と最も近いところに位
置する渡邊副査の「報告書」をまず紹介する。
渡邊副査は申請論文第二章に関して次のように述べている。
「アンダーソンの離婚体験など
作家自身の伝記的事実などにも注目しながら、彼の代表作といってよい『ワインズバーグ・オ
ハイオ』と、彼が生前に出版した短編集」
「さらには『黒い笑い』における登場人物間の人間関
係を扱って、登場人物たちが『白人対黒人』
『産業主義対原始主義』
『文明対原始』という二項対
立をいかに潜り抜けながら、人間同士の関係を求めて構築していく生への積極的姿勢を具体的
に論述している。」また「特に『ワインズバーグ・オハイオ』のなかでは、
「タンディ」に着目し」
「タンディにアンダーソンの母親エマの姿を重ねながら、克明に自説を展開していて、白岩氏
の研究者としの今後に期待を抱かせる高論になっている」と、先に内容の要旨において言及し
た好意的な評価を下している。また『黒い笑い』の論述に関しても、
「(この作品の)小説構造の
なかに組み込まれている個人相互の他者関係における、作者アンダーソンのアメリカ南部での
生活体験から生じた『原初生』の反映を、彼の手紙などの資料も駆使して裏付けており、その
探究姿勢は評価できる。」とやはり積極的評価である。
更に申請者が「関係性の乗り越え」を論じる第三章、アンダーソンの最後の詩集『新しい遺言』
の論述に関しては『新しい遺言』のなかの『壁』というメタファーが、アンダーソンの『他者理
解』を考える重要な手がかりであることを見抜き、それに基づいて自説を展開している。」と指
摘すると共に、
「
(この詩集において)人間存在以外の存在における他者関係を取り上げて、
『壁』
から『脱却』する『双方向的な他者との関係性』
(86 貢)と『双方向的な他者関係の有り様』
(87
貢)を見出している。」と、申請者の言う「関係性の乗り越え」を肯定的にとらえている。
こうした渡邊副査の評価に対して、武谷・重政両副査および主査(山縣)も基本的に同意見
である。重政副査は「細かいところではいろいろあるが」と留保しつつ、
「多くの参考文献に目
を通し、しっかり調べていることは分かる」と全体としては肯定的である。武谷副査はまた「長
編小説はもとより、多くの短編や詩に言及して論をすすめた姿勢は評価に値する」と評価する
と共に「現代日本にも通じる問題を扱ったテーマ設定は明確で、登場人物の関係性を精緻に分
析し、20 世紀初頭のアメリカ人の鬱屈した精神を明るみに出した」と評価する一方、イタリア
文学の研究家として、申請者が「ヨーロッパのモダニズム、シカゴ・ルネッサンスやハーレム・
ルネッサンスなど、文学史の潮流のなかにアンダーソン文学を位置づけながら、その方面の掘
り下げが不足している」点を指摘している。アメリカ文化に造詣の深い重政副査もまた同じよ
うに、アンダーソンの住んでいたシカゴとニューヨークの、1920 年代における相互交流に疑問
を呈している。
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シャーウッド・アンダーソンの作品における他者理解の問題(白岩)
そうした細部の疑問点とは別に、主査山縣が、試問の冒頭で行なった問題提起、申請者が見
出した、アンダーソンの作品におけるさまざまな二項対立と、作品を時系列に従って分析する
ことへの問いは、武谷・重政両副査においても形を変えながら、提起されている。この大きな
問題はしかし、半ば無意識にそしてまた半ば感覚的に表現された文学作品を、意識的・理性的
に分析し、理論化すると共にそれを論文として固定しようとする際に、避け難く付き纏う悪霊
のような疑問でもある。文学研究を志す限り、申請者は今後もこの悪霊と格闘をつづけなけれ
ばならないであろう。
再度、渡邊副査の報告書に戻ろう。
「こうして、アンダーソンの主要作品を通して、彼の『切
なる思い』
(87貢)に辿り着いた白岩氏は、アンダーソン文学のひとつの大きな特質として、
『現
実的にも内面的にも』
『定住を嫌う』登場人物たちの存在を指摘し、かれらの生き様が現代にお
ける『自我の病』
(95 貢)に立ち向かう『手段』になりうる可能性を示唆しながら、
『それ自体が
揺らぎ続けるあらゆる他者との関係性において、自己を蕩揺させ、
『混乱』のなかで相対化させ
ていく。アンダーソン文学を現代社会の文脈において活かしきる手段があるとするならば、そ
こである』
(96 貢)と結んでいる。」と、申請者の立場を引用した後に、
「研究者としての彼には
今後への活躍が期待できる」としている。そしてこれは、主査・副査四名の共通した認識でも
ある。
以上さまざまな観点からみて、この論文は博士(芸術文化学)の申請論文に十分値するとい
うのが審査員全員の一致した見解である。
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