「欧州に於ける博物館等保管の日本仏教美術資料の 悉皆調査」その実施

Ⅱ部 欧米(ドイツ語圏を除く)における日本関連コレクションの現状と課題
「欧州に於ける博物館等保管の日本仏教美術資料の
悉皆調査」その実施と結果
シュタイネック 智恵
1.はじめに
「欧州に於ける博物館等保管の日本仏教美術・民俗資料の悉皆調査」は、2010年9月に
3年プロジェクトとして発足した。これは90年代からヨーロッパ連合各国を中心に日本コ
レクションを多数調査し続けてきたヨーゼフ・クライナー博士の研究の延長にある研究企
画である。法政大学国際日本学研究所と、海外協力機関であるチューリッヒ大学東洋学科
日本学部門との連結が中心的役割を担い、文字通り悉皆調査を目的として発足した。
それは時代、寸法の大小、品質、美術史的重要性等、これまでの調査条件を殆ど取り除
き、ヨーロッパに存在する日本仏教関係の所蔵品全てを把握しよう、という少なからず大
胆な試みであった。唯一設けられた枠は、①彫刻、②絵画、③書、④経典、⑤仏具、⑥染
織、⑦護符、のどれかに該当しなければならない、ということだった。当企画の目的は、
欧州における日本仏教関係所蔵品の実態を把握し、その結果欧州の研究者にとって多くの
資料が学術的に初めて正当に扱われる機会と、それと並行して、日本の研究者にとって新
資料が多数提供される機会を設けることだった。また国内外の学会で、今まで分散的だっ
た研究がまとまる可能性や、注目を浴びていなかった研究分野が活性化する可能性も、同
じく期待された。これらのメリットを出発点とし、いわば外から日本を見つめ、
「日本的」
なものとは何であるかを多面的・相対的に、かつより深く究めていくことを可能とし、国
際日本学の実践を追及することが狙いであった。企画内の研究者には複数の研究課題が
あったが、同時に未来の学徒に研究を可能にするデータを提供する事を目指した。
調査結果を基にデータベースを制作し、文科省の規定のもと、これを無償でインター
ネットに公開するという事、国際シンポジウムを開催し研究結果を公開すると共に、その
報告書を英文で出版する、という三つの項目がノルマとして課された。この企画について
申し上げるに当たり、その性質と、3年に渡る実施の長所や短所を照らし合わせ、反省を
交え、微力ながら将来の調査研究への貢献とさせていただくのが本文の狙いである。
2.セオリー:提案
この企画は「国際共同に基づく日本研究推進事業」の一部として認知され、発足当初か
ら国際協力をベースに発展することを前提とされた。当初提案された5段階のアプローチ
は次の通りである:
1.収集(1年∼2年目):法政大学の指導の下に、本研究代表者が委員を務める全欧学
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術組織 ENJAC(European Network of Japanese Art Collections)を通じての資料収集(必
要に応じて日欧研究者が現地調査も行う)。
2.集約(1年∼2年目):専任の担当者を配置する、チューリッヒ大学での情報集約と
整理。
3.デジタル化(1年∼2年目):情報の法政大学への転送と、法政大学での情報のデジ
タル化と内部公開。
4.分析(2年∼3年目):法政大学とチューリッヒ大学を拠点に、国内外の共同研究者
による情報の分析。
5.公開(3年目):分析研究成果の公開(総括シンポジウム、英語出版、データベース
のインターネットにおける完全公開)。
法政大学国際日本学研究所、及びチューリッヒ大学東洋学科に籍をおき、企画の中心的
作業に当たったコアチームは、美術史や民族学のみでなく、哲学、宗教学、歴史と幅の広
さが特色だった。また、日本国内における専門家に大枠への参加を要請したチーム構成
は、欧州の機関に対して説得力のあるものだった。東京国立博物館の島谷副館長、国立歴
史博物館の久留島副館長、奈良国立博物館の湯山館長、並びに各館の学芸員の方々、更に
弘前大学や金沢文庫等数々の機関の先生方のご協力により、欧州のミュージアムにとって
はまたとない共同研究の機会となった。このコアチームとワイドチームの二重構成によっ
て、美術史・歴史・民族学・哲学・宗教学の知識の最先端を欧州のミュージアムに伝える
ことが可能になるはずだった。様々な所蔵品に対し最適なアドバイスをする、各ミュージ
アムに対する個別対応、特にキューレーターのリクエストに応えて行けるシステムに近づ
くことが希望であった。研究課題とはまた別に、達成を期待された項目が多数あった:
• 欧州において日本研究の組織化を進める事、
• 特に大学と博物館との協力態勢を整え、情報交換プラットホームとしての役を担う努力
をする事、
• 欧州の様々な研究機関を組織化することにより、前の項目をさらに充実させること、
• 日本コレクションのプロを養成する為に、国際シンポジウムの場を借りると共に、数回
にわたる現地調査の機会を利用して、ハンドリングを指導する事、
• 企画に興味を示して頂いたあらゆる研究者やキューレーターの、外部からの持ち込み研
究をサポートし、先方の要望に応える展示解説を提供すること、
が望まれた。
3.経過と結果
数々の難関を超え、結果として企画に課された3項目のノルマを無事達成し、2013年
4月に学術振興会の最終評価として「A」を修得し、一応正式には成功という形で終
了した。調査の及んだ国は欧州全土とイスラエルで28か国、全部で79館に参加してい
ただいた。「在欧博物館等保管日本仏教美術資料データベース」Japanese Buddhist Art in
European Collections(以後 JBAE)は、ある程度整った形で期限内に公開され、幸いに好
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
評もいただいている。リンクは次の通りである:http://aterui.i.hosei.ac.jp:8080/index.html。
残された課題は、インターフェースの更なる向上、連続したアップデートとメンテナン
ス、最終目的として全てを日本語訳したバージョンを制作することである。実践において
は、所蔵者である欧州のミュージアムに対し、同じ欧州の教育機関であるチューリッヒ大
学東洋学科日本学部門は、複製権乱用を筆頭とする数々の「悩みの種」を解決すべく、保
証人としての役をも担った。これは今までにない、全く新しい調査企画コンセプトであ
り、少数のケースではあるが実際に適応された。契約を求め協議を進める段階で、博物館
や大学の協力者が構成する日本国内の強力なバックアップがインパクトを与えたのは言う
までもないが、欧州側にも企画の責任者がいるという事、並びに欧州の言語堪能であり、
経験豊かな企画長や所員が存在する、という事がキーポイントになった。
希望としてご紹介したターゲットがどこまで叶ったか。先ず全般的に殆どの参加ミュー
ジアムにおいて未調査の所蔵品を鑑定、展示を可能にするデータと解説文を提供できた事
以外に、具体的に大きな結果をもたらす事にも成功した。先ず例として挙げさせていた
だきたいのが、ジュネーブ市立民族学博物館が当企画に注目し、収集されたデータベー
スを核とした、展覧会「ジャポニズム時代の欧州における日本仏教美術の姿」展を提案
したことである。2015年開催予定のこの展覧会は、当企画がネットに公開した仏教美術・
民族学資料のデータベースに触れて発案され、またこのデータが手中にあることにより、
初めて展示会構成と貸与要請を、現実的な時間の枠内に行う事が可能になったといえよ
う。保険額や運送コストが上がる中、日本から貸与品を要請しなくとも、欧州にあるも
のが使える。
JBAE データベースは更に展覧会の中心に位置づけられ、訪れた観客は実
際インターネットで日本仏教資料を探索することが出来るとご提案いただいた。Musée
d'ethnographie de Genève(ジュネーブ市立民族学博物館)は現在大幅な改築工事を終え、
2014年秋に晴れてリニューアルオープンを果たした。このリニューアルの一端であり、専
属図書館に新たに設置される少数の一般公開コンピューターターミナルに、専門的データ
ベースへのアクセスパスを常設する予定で、JBAE もこの一つに選択していただいた。
更に、Ethnographic Museum at the University of Zurich(チューリッヒ大学付属民族学博
物館)のコレクションを調査中に、収蔵庫に眠っていた80件の絵画・護符のコレクショ
ンであるシュピンナー(Wilfried Spinner)コレクションが発見された。その内容を断定
し、データベースに収めていただいた結果、博物館が展覧会を要望し、現在私がゲス
ト・キューレーターとしてこの展覧会を担当させていただいている。この展覧会は、ス
イス・日本国交樹立150周年を記念すべく、2014年11月27日に「道の導」
(英題 Tokens of
the Path、独題 WegZeichen)というタイトルのもと開催した。調査の結果、比較的小規模
なコレクションであるにも関わらず、宗教学的アプローチを用いり、悉皆的に日本の信仰
世界を捉える試みが見とれる非常に目面しい内容であることが判明した(図1)。チュー
リッヒ大学付属民族学博物館は、このコレクションの一部を初公開する展覧会のコストを
全て負担し、コレクションの全てを記載するレジュメとしての英語・ドイツ語のバイリン
ガル図録を出版した。更にスイス国内で研究費を要請し、コレクションの研究を追及して
いただける予定もあり、新たに浮上した日本コレクションを非常に重視していただける一
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図2 大般若波羅蜜多経 巻第五百四
1巻、紙本 墨書
(ボードメール・コレクション 0603番
マルタン・ボードメール財団博物館、ジュネーブ、スイス)
図1 「浅間嶽」
軸装、紙本、墨摺り護符
江戸後期∼明治初期、19世紀
(シュピンナー・コレクション19399番
チューリッヒ大学付属民族学博物館)
例になる。日本側からの一歩がなければ、不可能であったであろう展開である。
次に、National Library of Israel(イスラエル国立図書館)で未調査であった Elizabeth
Gordon コレクションに関し、先方の関係大学の研究をサポートする形で、結果的には企
画の方にも揃ったデータを収めていただく協力体制作に至った。
近日、9世紀と思われていた、Bodmer Foundation(ジュネーブ・ボードメール財団コレ
クション)所有の大般若波羅蜜多経五百四巻が、魚養経と同じ薬師寺印が表に見えるにも
拘らず、魚養経ではなく多分鎌倉時代の物である可能性が強いことが当企画チームにより
確認された(図2)。日本側にとって新発見となったのが、ミュンヘン州立民族学博物館
の伎楽面断片であり、これは大々的にメディアに取り上げられた。しかし、ミュンヘンの
収蔵庫にはこの所蔵品に関する日本語のメモが残されており、当企画では先輩研究者の調
査で既に存在が確認させれていたが、未発表であると理解している。欧州と日本の情報に
食い違いが生じた例である。更に、新発見の可能性が高い Latvian National Museum of Art
(ラトビア国立博物館)に於ける黄檗宗様式の如来像が発見されたが、ラトビアの複雑な
近代史により由来が明らかでないのが難点である。National Museum of Sweden(スエーデ
ン国立博物館)にも、神護寺経の一部である可能性の高い一切経があるのが確認されてお
り、近日中に調査を要請している。
4.リアリティー:現実との直面
数々の業績を認めていただいた結果に非常に感謝しつつも色々なハードルを越えられ
ず、把握しきれなかった館が実際は多数あることを認識しなければいけない。これは
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
JBAE データベースを見ていただくと明確だが、残念ながら事実上悉皆調査が終結を見た
とは言えない。その原因とは何か。
既に述べた3項目のノルマを達成するためには、欧州という現場での企画参加要請か
ら複製権取得に必要な契約交渉は勿論のこと、事前調査等をする人材又は機関が必要で
ある。方法①として提示された「欧州における日本関係学芸員協会」のネットワーク
ENJAC は数年前に発足したが、拠点となった某国立博物館東洋館の力不足、ひいては欧
州における各関係者の負担が多すぎる為に伸びなかった。現在では活動を停止しており、
資金源もない。その現実と直面した時、大幅であるにも関わらず存在する調査枠に当ては
まる所蔵品を見出す基本調査、
(一般公開という基準を満たす為に必要な)複製権契約、
及びデータ収集が、非常に困難になった。
先ず躓きの原因となったのが、企画の骨格である援助金の枠組みが、3年という大変短
い期間であり、欧州からの多大な助けがなくては悉皆調査が無理な枠であることが挙げら
れる。これは企画提案の時点で明確ではあったものの、努力によって乗り越えられると
考えられていた。しかし、いかなる企画側の努力によっても、欧州ミュージアムのスケ
ジュールを無視した要請は実らない。3年先までのプログラムが既に確定しているミュー
ジアムは多く、その場合追加要請に対応する余裕がなく、無理をするか、5年、7年先の
予定に組み込んでいただくしか方法はない。先方の都合を考慮しない期間設定に初めから
なっていたと言わざるを得ない。結果が目標に届かなかったことには、ミュージアム現場
の希望と日本側企画の目標がかみ合わなかった、といった背景がある。
二つ目の原因は、一つ目とも深い関わりがある、先方の基礎データに頼る作業設定であ
る。日本側の作業時間と費用を低く見積もり、欧州ミュージアムにおける日本美術関係者
の現状を読み違えた結果でもある。データベースを整えているミュージアムにおいても、
所蔵品のタイトルから内容、寸法、年代が揃っている館は極わずかであり、実際にはデー
タベースがないミュージアムの方が多い。日本文化を専門とし、日本語が堪能な担当者が
務めるミュージアムは数えるほどしかないが、こういったベストケースが更に少なくなっ
てきている今、データの収集を先方に期待するのは基本的な誤りである。この地道な作業
に最大の努力と時間を割く必要があり、それには先ず現地のコレクションの基本調査をす
ることに目を向けなくてはならない。ミュージアムが正確な情報を揃えていないという前
提で挑んでも間違いではない。これはミュージアムが日本のコレクションの研究に興味を
示さないということではないが、そういったケースも当然ある事を考慮しておく必要はあ
る。
ここ3年の経験から例を上げる:知名度の高い Vincenzo Ragusa のコレクションがイタ
リア国立博物館である Museo Nazionale Preistorico Etnografico Luigi Pigorini にある。過去
7年間お蔵入りで、一切研究の注目を浴びていない。館内でも全く分野の違うキューレー
ターに任されており、研究はままならない。しかし、この担当者は博物館幹部に対してラ
グーザ・コレクションを守ってきた結果、コレクションが郊外の倉庫に移動されること
は免れ、7年を通して本館の一室に保管されている。郊外への移動は「左遷」に等しく、
「欧州に於ける博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査」その実施と結果
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戻ってくる可能性は低い。しかし、展示の予定は全く立っていない。この担当者の要望を
手短に述べさせていただくと:「コレクションの展示価値をミュージアム幹部に認識して
もらう必要がある」ということだ。それには、日本本国の当コレクションに対する興味が
必要で、研究を英文で世界に向けて発信してもらい、博物館に対して歴史的位置づけと価
値を示してもらう事が是非とも必要だ。なにしろラグーザ・コレクションである。日本側
企画があらゆるコレクションを広く歴史の中に位置づけることには、こういった非常に大
きな意味がある。それは企画が進行している3年間に閉鎖されたドイツ・フライブルグ自
然・民族学博物館の例を見ても言える事である。この館は、ドイツではオットー・キュン
メルを凌ぐ日本通であり美術史家であったエルンスト・グロッセのコレクションの大部分
がある。閉鎖したのは民族学部だけで、残りは今では自然博物館としてリニューアルオー
プンも果たしているが、グロッセ・コレクションは、一時売却寸前まで至った。本民族学
博物館館長の一存で繋ぎとめられたが、展示の予定は全くない。
両方の共通点は、日本学と全く無関係の研究者であるにもかかわらず、彼らがこれらコ
レクションを守ってきたこと、著名なコレクターのコレクションにも関わらず、日本側か
ら一切学術的興味の対象となっていないこと、展示対象としての将来も現時点では見えな
いこと、の3点である。ここで当企画のような、日本の学会に根差す企画がリードを取る
べきこととは、誠にピゴリーニ・ミュージアムの担当者の発言の通り、西洋の博物館全
体、特に幹部の耳に届くように、コレクションの価値を示す事である。歴史的、または美
術史的な価値の認められている著名なオブジェクトに興味が集中し、コレクションの過半
数を占める「その他」所蔵品が手つかずになる、または欧州ミュージアムが調査を希望し
ても研究対象として扱ってもらえない、といったケースが多い中、包括的な助け舟を出す
ことが最優先であると再認識させられた。これらは一番シビアな例であるゆえ、無論調査
費用も日本が持つことが必然であるが、この助け舟もまた実際は他人への助け舟でなく、
日本文化の助け舟であることを忘れてはならない。
第三の原因は、多数の欧州ミュージアムから帰ってきた返事がよく表している:「また
デジタル化企画ですか?」。この発言の意味するところは、今流行りとしか思えない程数
多く欧州ミュージアムを訪れるデジタル化企画の内、実を結ぶものが少なかったこと、と
理解した。大変残念だが、志はよいとしても、欧州ミュージアムにとって実を結ぶことは
約束されておらず、毎回調査に協力する相手にとって痛く時間を割く割には、メリットが
乏しいということだ。研究が英文で発表されないケースが多いことは問題の中核でもある
が、英文発表の一歩手前である英文での結果報告書をミュージアムに戻すことも基本であ
る。東欧では、過去の苦い経験をもとに、日本の研究者とは確固たる複製権保護契約を結
ばない限り「いかなる所蔵品も見せない」と断られたケースもある。これは実を結ばない
どころか、国際的な常識をわきまえない行動があった結果である。両方とも苦い発言では
あるが、欧州ミュージアムと多数の日本発研究企画のかみ合わない現状がもたらした結果
であり、この経験のおかげで更に踏み込んだ協力関係を考え直すこと機会が得られた。
欧州ミュージアムと日本側企画がかみ合わない結果、色々なロスが生じている。これは
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
信頼の損失やモティベーションの低下といったソフトだけでなく、日本専門家のポスト削
減といったハード面でも著しい。東洋のバランスを見てみると、中国の経済力を基盤とし
た文化力向上と世界的な注目は、今まで注目を浴びてきた日本が過去の栄誉に頼るだけで
は対抗できなく、博物館や大学では急速に資金やポストが中国側に傾いている。しかも、
グローバルなフォーカスは少なからず東洋から離れて行っている。大韓民国が力を入れて
いる文化的外交はこのような状況において少なからず効き目を見せている。再度企画から
一例を上げさせていただく。とある南欧州の国立博物館に調査で伺った際に、日本美術を
新たにコレクションに追加したいが、オークションなどで出品された古美術を見ても、日
本専門のキューレーターがいないので、的を得ない。その場合、日本大使館ではアドバイ
スを期待できないが、同じような問い合わせを大韓民国大使館に宛てた場合、近日中にソ
ウル国立博物館から専門的なアドバイスをいただける。日本の博物館に問い合わせように
も、そういった問い合わせを扱って頂く窓口が見つからないので、結局日本美術のコレク
ションを充実させる目処が立たない、といったお話を伺った。耳に痛い言葉である。
5.発展の可能性
2013年4月に終了した本企画は、現在法政大学が独自に続けている JBAE データベース
企画となって無期限にサポートされる見込みである。3年間の経験を生かし、反省を持っ
てまとめさせていただきたい将来への展望とは次の通りである:
先ず海外においては、基本的に日本専門キューレーターが不在という現状を認識し、こ
れを前提に作業を予定することにより、欧州での日本美術展示の低迷を立て直すことが
可能になると確信している。現地において、キューレーター1人に対してだけでなく、
ミュージアム全体にコレクションの価値を認識してもらう為に、歴史的位置づけと展示法
を、調査後速やかに提示することが以前にも増して重要性を帯びてくる。この為には包括
的にコレクションを調査する必要が多くなることを認識する必要がある。日本の古典文化
教育の現状は厳しい。欧州において、特に古代から中世の日本文化資料の専門家が現在大
幅に不在であるだけでなく、興味を抱き、将来に向けて専門職を担う人材が、特に古典的
な文化に関しては少ないのである。大学で経済を最重視し、人文系に於いても江戸から現
代を学生に推薦してきた結果である。これが、日本関係の専門家養育の為に国内におい
て、又は海外に出向いて研修を可能にする必要がある理由である。
更に、西洋で日本コレクションを所有するミュージアムの為の日本国内における「専門
知識」へのアクセスパースを設ける必要がある。これは、ミュージアムが所有している日
本の美術品を研究している、またはコレクション購入を考慮している時に、専門家は不在
であり、ポストを設ける余裕もない、という事態に直面しても、相談する窓口が全く見当
たらない現実を改善する必要があるからだ。日本文化の110番は何処にあるべきか。既に
オーバーワークの日本研究者達一人一人の残業時間と厚意に甘えるだけではこのシステム
は機能しない。公式に文科省なり文化庁に国際戦略部を設ける必要がある。
日本国内に関しては、各企画間の連結と協力体制を整え、調査済のデータにアクセスを
許可する必要がある。これは研究発表に害のない範囲でなければいけないが、二重三重の
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調査を避けることによって、現地の負担を減らし、又は調査データを発表できない場合で
も埋もれさせない次善の策である。日本の調査団は帰国後一切結果報告がない、というこ
とだけは繰り返してはならない。
また、学際的な共同研究を基本とすることにより、部門を超えた知識の集結を提供でき
る体制を作るメリットは大きい。浮世絵のみ(当企画の場合は仏教関係のみであったが)、
江戸時代のみ、等、狭い枠の調査が多い中、所蔵品に対する個別な対応、ケースバイケー
スで適した専門知識を速やかに提供できる体制を作る努力を、これから確立していきた
い。表現は異なっても、「日本」というアイデアが欧米に深く浸透している今、その歴史
と文化の実態を正しく広いオーディエンスに伝えてくれるのは、遠い日本の専門家の力で
なく、欧米の現場にいる専門家達である。この Bildungsauftrag(教養任務)を持つ者を支
えていくのが日本側の研究企画の一つの重要な任務であり、博物館法にも定められている
「国民の教育」に繋がる公務である。
(しゅたいねっく ともえ・法政大学・チューリッヒ大学)
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」