特定非営利活動法人 日本紛争予防センター(JCCP) 【活動地域】 スリランカ 【活動項目】 平和構築活動 ◆人災と天災 2004 年 12 月 26 日、スマトラ沖地震・津波はスリランカに大きな被害を もたらしました。スリランカの人々にとっては、内戦が終わってつかの間、 予想もできぬ二重の悲劇でした。 人災(内戦による被害)に続く天災(津波による被害)。これら 2 つの悲 劇が連続したことによって、今日のスリランカ復興活動は「デリケートな」 津波の被害にあった沿岸部 ものとならざるを得ません。 (トリンコマレー県にて) 問題は、どんな援助活動をする場合にも常に「民族対立」の社会背景が 付きまとうことです。援助を与えるという行為は、とても難しいものです。 誰かに援助を与えれば、他の誰かが不平や不満を持ちかねません。 例え人道的な使命感を持っていても、一歩間違えれば、対立や紛争を助長してしまうことにもなりかねません。 ◆民族対立の中で スリランカで 20 年間続いた武力紛争(1983 年〜2002 年)は、基本的 にスリランカ政府とLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の組織間で争われ ました。その期間の死者数は 6 万人超。両組織はそれぞれ、シンハラ人 とタミル人の二つの民族を代表するとしており、その意味でスリランカの 紛争は「民族間紛争」と言われてきました。 しかしスリランカの民族紛争は、実際は更に複雑です。民族対立の 漁船ボート・魚網等の支給事業 Periyaththumunai 村にて) 々な 背景に、カースト間の対立、経済格差、政治的イデオロギー対立など、様々な(トリンコマレー県 要素が含まれています。こうした様 対立・不満が、「民族同士が敵対している」という今日でも根強い感情 表現につながっていると思われます。 2002 年 2 月の停戦合意後も同様です。形の上では「戦後」であるにも関わらず、北東部を中心に散発的に暴力 事件が発生しています。 13 ◆援助の公平な配当 根強い対立意識が残る中、特定の民族に偏った 援助配分をしないことが重要です。JCCPは津波災 害支援に関して、民族対立に配慮し公平な分配の 下に支援を行ってきました。 その一つの例は、支援地域の選択です。 JCCPが活動してきた 2 つの県、トリンコマリー県と 裁縫職業訓練事業(アンパラ県カルムネ地域のムスリムの村で) アンパラ県は、それぞれ島の東部・南部に位置しています。 トリンコマリー県はタミル人(大多数のヒンドゥー教徒に加え、少数のムスリ ムも含まれる)が多く、またアンパラ県では、シンハラ人(多くは仏教徒)が 多い地域です。2 県の中で、タミル人の村、シンハラ人の村、ムスリムの村、 あるいはシンハラ・タミル混合など、様々な村に対して活動を行ってきました。 JCCPの津波災害支援は、ただ援助供与を通じて一部の人々の生活を サポートするというだけでなく、民族対立・紛争への影響に対する最大限の 配慮の上に成り立っています。 水供給システムの設置支援(トリンコマレー県にて) 14 日本民際交流センター 【活動国及び地域】 【活動項目】 【現地支援団体名】 タイ国東北部(ナコーンパノム県)、南部(パンガー県) 復興教育支援(被災家族の子どもたちへの奨学金支援/被災学校への機材提供など) 当センター・タイ事務局、The Education for Development Foundation (EDF) 2005 年 5 月に生活クラブ事業連合「スマトラ沖地震津波災害復興支援特別基金」からのご寄付で、当センター及びタイ事 務局(EDF)は、タイ東北部の子ども 35 人と南部の子ども 15 人に奨学金を提供し、南部の学校にはテレビやコンピュータな どの学校用機材や自転車等を寄贈しました。第 1 回報告書では、南部に出稼ぎに行かざるを得ない東北部の社会的背景 や稼ぎ手を失った子どもたちの状況、南部の学校の被害状況などを報告しました。今回の第 3 回報告書では、奨学金を受 け取って学校に通えるようになった、東北部ナコーンパノム県の子どもやその保護者、学校の先生らにインタビューし、現 在の心境を語ってもらいました。 「スマトラ沖地震・津波災害復興支援特別基金」 活動報告 ③ タイ東北地方ナコーンパノム県の子どもたちに、ようやく希望の光 小 1 の奨学生、「将来は医者になって、おじいさんとおばあさんの病気を治したい」 1.東北部ナコーンパノム県の奨学生 タイ東北地方のナコーンパノム県では、スマ トラ沖津波による犠牲者が多数出ました。同県 から南部のプーケット島やピピ島などに出稼ぎ に出ていた人が多かったからです。両親が亡く なった子どもは祖父母や親戚の家に引き取ら れました。祖父母に引き取られた家庭では、現 金収入がないか、あってもごくわずかであるた め、学校を辞めて働きに出ざるを得ない子ども がたくさんいます。また、親戚が世話をしている ケースも、もともと生活が苦しい上に、さらに子 どもたちを引き取っているので、なかなか学費 を捻出できません。 こうした子どもたちの内 35 人に、生活クラブ 事業連合から 3 年間分の奨学金が提供されま した。奨学金で学校に行くことができ、精神状態 が少しずつ安定してきたようです。子どもからの 感謝の声(3 つのエピソード)を以下の通りお届 けします。 奨学生① ジェムサイ・ガンサイ (小 1) 「ボクの名前はジェムサイ・ガンサイ(写真左)。 今、おじいさん、おばあさんと暮らしています。弟 のチョクチャイ(写真右)は幼稚園に行っていて、 おばさんの家で暮らしています。お父さんとお母 さんが津波のため、ピピ島で死んだと聞いたとき、 とても悲しかったです。もう一度、お父さんとお母さ んに会いたいです。 今のボクにできることは勉強することです。大 きくなったら、お医者さんになって、おじいさんと おばあさんの病気を治したいです。弟の面倒も見 なければ、と思っています」 奨学金で学校に通うことができて、とても感謝しています! ナコーンパノム県バンカムノッコック校の生徒たち。 15 奨学生② サリネー・チャランダ姉妹 (2 人とも中 1) お母さん: 「津波で夫を失い、収入が途絶えました。農業を営んでいますが、食 べるだけで精一杯。農閑期に都会に働きに出たくても、子どもたちの面倒を見な ければならず、村でわずかな収入しか得られない仕事をしています。生活に希望 が感じられず、ともすれば、子どもたちが勉強を放棄して悪い道に引き込まれて しまいがちです。娘たちが奨学金で、学校に行くことができて、本当に感謝して います。子どもたちにはこの奨学金を励みに、しっかりと学校で勉強してもらいた いです」 姉妹: 「奨学金で学校に行けました。家族にとっても金銭的な負担が少なくなって、 ホッとしています。奨学金の使い道は、先生や母に相談してから決めています。これまでに制服、教材などを購入し ました」 先生:「子どもたちに奨学金が提供され、本当に感謝しています。奨学金の管理(銀行口座からの引き出し)について は、生徒の要望を受け、それが学校で本当に必要かどうかをチェックしてから引き出すように、しっかり管理していま す」 奨学生③ シティチョーク・パントン (小 6) 「ボクは 1993 年生まれの 12 歳で、今、小 6 です。2 人の姉がいましたが、長姉はスマトラ 沖の津波で、母とともに死んでしまいました。父は、命は助かったものの大怪我をしてしまい しばらく家で静養していましたが、またバンコクに仕事を探しに行ってしまいました。 ボクは奨学金で学校に通えるようになり、嬉しいです。この先もずっと、教育費を出す余裕 があるかどうか心配ですが、できる限り高い教育を身につけたいと思っています」 スラット先生: 「学校では、津波で肉親を失った子どもたちの精神状態に特別の注意を払っ ています。家庭訪問もしていますが、表面的には、肉親を失った悲しみは癒えたようです。 彼らはきょうだいや親戚でお互いに協力したり励まし合ったりして家事をこなしています」 2.学校用機材や自転車などの提供を受けたタイ南部の学校 ■ 津波前までは古いコンピュータしかありませんでした。今回、最新のコンピューターが寄贈されたのでコンピュータ操 作を習うワークショップが開かれ、多くの生徒が受講しました。その後も、熱心にコンピューターの勉強に励んでいま す。 ■ 寄贈されたテレビや DVD プレーヤーを使って、タイで蔓延するエイズの勉強をしたり、 伝統的なタイダンスを学んでいます。単に教科書を使って文字だけで勉強するのと 違って、映像は説得力があり、生徒の関心を高めるのに役立っています。 ■ 遠距離通学する生徒に自転車が提供され感謝されています(写真右)。奨学金で 学校に通う子どもは、親が出稼ぎに出ていたりする場合が多いため、登校前や放課 後、洗濯や掃除、水汲みなどの家事を手伝うことが多いようです。こうした状況下、 特に遠距離通学する子どもは、しばしば遅刻したり、場合によっては学校を休まざる をえません。自転車の寄贈は、このような子どもたちの学校への通学を容易にし、 遅刻や欠席の割合を減少させるのに役立っています。 3.父親と母親がともに出稼ぎに行き、子どもが取り残される割合 「貧困」の代名詞と言われるタイ東北地方から、大勢の人がバンコクや南部のリゾート地に出稼ぎに行きます。出稼 ぎに出るタイ人の特徴は、父親または母親だけではなく、二人揃って出稼ぎに出る家庭が多いことです。その割合は どれくらいなのでしょうか? 2005 年にタイ事務局(EDF)が、ダルニー奨学生を対象に調査をした結果が以下の統計 の数字で、「準孤児」、すなわち、両親ともに出稼ぎに出たため、両親と離れて暮らす子どもの割合が高いことがわかり ます。そしてこの統計から、スマトラ沖津波で両親を失った家庭が、東北地方で多いことも想像できます。 年 2001 2002 2003 2004 2005 奨学生数 5,292 4,919 4,625 3,904 4,089 父死亡 % 母死亡 394 361 371 281 268 7.4 7.3 8.0 7.2 6.6 99 87 103 97 74 孤児 (両親死亡) 1.9 67 1.8 70 2.2 80 16 2.5 69 1.8 68 % % 1.3 1.4 1.7 1.8 1.7 準孤児 (両親出稼ぎ) 1,006 1,091 1,026 899 946 % 19.0 22.2 22.2 23.0 23.1 特定非営利活動法人 ブリッジ エーシア ジャパン 【活動地域】 スリランカ アンパーラ県・ムラティブ県 【活動項目】 ① 仮設住宅の建設 ② 衛生的な井戸とトイレの提供 ③ 女性の生計向上 ④ 幼稚園の整備 ⑤ 船のエンジン修理 【活動報告】 ①仮設住宅の建設(アンパーラ県) [実施状況] 先回の報告でもしましたが、予定していた 31 戸すべてが完成しました。完成した住宅は地元にハンドオーバーし、 人々が住み始めました。住民は合計 136 人で、うち 12 歳以下の子供は 60 人です。 ②衛生的な井戸とトイレの提供(アンパーラ県) [実施状況] これまでに 2 つの井戸建設、6 つの井戸洗浄、24 のトイレ建設が完了し ました。この地域は海岸沿いであるため井戸水の塩分濃度が高く、飲料水 は定期的な配給により調達し、井戸水は洗濯や食器洗いなどの生活用水 として使われています。通常、井戸の水はバケツでくみ上げ、家にある水 壺(20 リットル程度の大きさ)で家にまで運びます。洗濯のときは、井戸の 縁で、女性たちが集まってにぎやかになります。 アンパーラ県:提供された村の井戸 ③女性の生計向上(アンパーラ県) [実施状況] 津波により経済的、精神的に困難な生活を強いられている女性を対象に、石けんやろうそく作りといった内職の技 術トレーニングを行い、働く意欲の増進と生計向上を目指しています。8 月に開催した技術講習会には 24 人の女性が 参加し、このうち 16 人が技術トレーニングに取り組んでいます。9 月から 1 月まで、BAJ 事務所での練習や今後の話 し合いをすすめました。この地域での販売網を拡大し、材料の調達方法を確立することで、女性たちで生産、販売の すべてを行い、生計を立てられるように、意識や知識の向上を目指します。 ④幼稚園の整備(アンパーラ県) [実施状況] 津波の被害を受けた子供たち 60 人を対象に、安心して遊ぶことができる遊具を提供することを目指しています。 具体的には、3 ヶ所の幼稚園にブランコ、シーソー、すべり台を作る計画を立て、現在はその製作を進めています。 17 ⑤船のエンジンの修復(ムラティブ県) [実施状況] 津波被害で壊れた船のエンジンを修理し、漁民が一刻でも早く漁業を 再開できるようにすることを目的としたこの支援は、開始した 2 月から これまでに 80 台の修理を行いました。11 月からは本格的に漁の季節に 入っており、これらの修理したエンジンをすでに使って漁を再開して います。 ムラティブ県:船のエンジン修理の様子 【地域の状況】 スリランカでは 20 年以上にわたり異なる民族間での紛争がつづいています。特にアンパーラ県では異なった民族で 宗教の人たちが集中しているため、2005 年 11 月 17 日の大統領選挙の後、異なる民族間で爆破事件や殺傷事件が 発生し、町の機能が何日もストップすることがたびたびありました。1月後半になってようやく落ち着いてきました。 【女性の自立支援の技術訓練に参加した女性の意識】 2005 年 11 月 29、30 日に訓練生のうち 14 名にインタビューを行いまし た。「人生に意味があると思えるようになった」、「将来やキャリアのこと が考えられるようになった」、「抱負・向上心が持てるようになった」など がありました。また、「何かやりたいという意欲が生まれた」、「働く意欲 が生まれた」、さらに「自分も何かできるという気がするようになった」、 「(収入向上について)自分自身で考えられるようになった」、「自分でお 金を稼げるという自信がついた」などがありました。 アンパーラ県:訓練生へのインタビューの風景 津波による被害は、「いつまた災害が起こって全て失うか知れないのに、将来に計画を持ったり、勉強したり、お金 を稼いだりすることに何の意味があるのか」という虚脱感をもたらしたと言えますが、こういった生きることへの 漠然とした不安や意欲の喪失に対し、コースへの参加は多少なりとも良い影響をもたらしたと言うことができます。 18
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