永遠の都に息づく 美のかたち

永 遠の都に息づく
美のかたち
古き良きローマの面影を残す小粋な界隈を散歩しながら秋のローマを愉しむ 。
街の中に息づく美 。人の営みとともにある生きた美 のかたち― 。
永 遠の都、ローマの時 間 軸を超えた美の世界を堪 能する。
取材・文: 朝岡久美子
写真: 杉能信介
古代ローマ人たちはローマを
Caput
(世 界 の 首 都 ) と 呼 んだ。し
mundi
かし、ローマの繁栄は広大な領土を
誇った古代ローマ帝国時代のものだ
けではない。この都市は宗教・芸術、
そして 人 間 の 精 神 性 の 発 展 におい
て、いつの時代も世界の中心地とし
て君臨してきた。
後にローマ・カトリックの総本山を
抱くこととなったこの都市の歩んだ
繁栄の歴史は、ルネサンス期、バロッ
ク期 を 経 て、 さらに 近 代 へと 及 ぶ。
キリスト 教 が 得 た 富 と 権 力 は この
都 市 にあらゆる 美 の 形 を 生 みだす。
それはローマを訪れ、街にあふれる豪
華絢爛な美の軌跡を目にすれば一目
瞭然だろう。
さて、小難しい話はこれくらいに
して、今回はガイドブックにある史蹟
を一通り見学してしまったという上
級者のために、地元の人々が日常生
活 の 中 で 楽 しむローマらしいアート
シーンを 堪 能 できるスポットをご 紹
介したい。かつて人々が集い、賑わい
を見せた街の一角。これらの情景を
たどり、自分だけの時間軸を遡って
みる ―。ロー マ の 街 を 巡 る 魅 力 は
そんなとこ ろにもあるものだ 。
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古き良きローマを訪ねて
~ボへミアン回廊と巡礼者の道~
マルグッタ通 りを望 む 。今 なお高 名 なアーティストたちが暮 らす芸 術 の香 り漂 う小 道 だ 。
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華麗なるボヘミアン回廊
美 しいピンチョの 丘 の 裾 にあるこの
小 道 は、 世 紀 後 半 から 世 紀 にかけ
て、 ローマの 光 を 求 めてや ってきたフ
(マル
と尋ねたら、即座に Via Margutta
グッタ通り)と答えるに違いない。ポポ
まち 芸 術 家 たちの 集 う 通 りとして 知 ら
ちがアトリエを 構 えたことから、 たち
ランドルやドイツなどの 北 方 の 画 家 た
ロ 広 場 からヴェネツィア 広 場 まで 真 っ
れるようになった。しかし、当時は馬小
ローマっ子たちに街のアートなシーン
直 ぐ 延 びるコルソ 通 り。ローマを 訪 れ
たら 誰 もが 一 度 は 歩 くに 違 いないこの
目 抜 き 通 りの 両 脇 には、 ポポロ広 場 の
オベリスクを 中 心 点 としてバブイーノ
通り、リペッタ通りが三角形状に広がっ
ている。中でも、かのスペイン広場へと
通じるバブイーノ通りは、エレガントな
カフェ、骨董品・美術商、そして老舗ブ
ランドの 旗 艦 店 が 立 ち 並 んでいる。こ
の界隈を訪れたら、ぜひ“マルグッタ通
り”まで足を延ばしてみてほしい。
通 りの中 ほどにある“ ホテル アート ”。ロビーはちょっとし
た現 代 アートのギャラリーのようだ 。
たという。
世 紀、 教 皇 ピオ
世に仕
の 住 まう 場 にしてはひどく 殺 風 景 だ っ
屋 や 物 置 小 屋 などが 立 ち 並 び、 芸 術 家
Via Marg utta
自 ら 通 りの 土 地 を 買 い 上 げ、 家 々を 美
ギー 人 の 大 司 教 は そ の 光 景 を 惜 し み、
る 映 画 人 や デ・キリコ、ピカソなどの 高
夫 妻 をはじめとするイタリアを 代 表 す
フェリーニや女優ジュリエッタ・マシーナ
妻の住んだアパートや、彼らがこよなく
た。道を歩くと、ピカソやフェリーニ夫
名 な 芸 術 家 たちが 創 作 活 動 の 拠 点 とし
い通りを創り上げたという。ここにロー
愛 した 小 粋 な 食 堂 が 今 も 静 かにたたず
む。もちろん、現在も多くの著名な芸術
しい美の回廊が誕生した。
マが 世 界 中 の 芸 術 家 を 迎 えるにふさわ
才 能 ある 芸 術 家 を 魅 了 するような 美 し
しく 改 装 して 草 花 を 植 え、 世 界 中 から
え、ローマの都市整備に一躍買ったベル
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家たちが暮らしている。
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その余韻は現代にまで及び、1950
年~70年代には映画監督フェデリコ・
右/“芸術”
を寓意した噴 水。
通りの歴史を語るシンボルだ。
左上/
“マルグッタ通りの100人
の画家たち”開催期間中は世
界 中からアーティストが集う。
左 下/ピカソとその仲 間たち
が住んでいた53番 地。
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イタリア人の日常に欠かせないバール。そんな身近な場所でも志向の芸 術 作品に出 合えるのはうらやましい限りだ。
年に数回( 月・ 月頃といわれてい
るが 不 定 期 )“マルグッタ 通 りの 100
が 開 催 されており、 この 通 りにオマー
人の画家たち”と題されたアートフェア
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中 から 集 う。 市 も 全 面 的 にバックアッ
プしているこの 催 しには 毎 回 ローマを
代 表 する 著 名 な 文 化 人 たちも 足 繁 く 訪
れるという。 今 なおマルグッタ 通 りが
ローマの 人 々の 中 に 深 く 息 づいている
ことを感じさせてくれる絶好の機会だ。
この 通 りをこよなく 愛 する 人 々とふれ
あい、 ローマの 美 を 支 える 人 々の 心 意
気、 生 きた 街 の 美 の 光 景 をぜひ 味 わ っ
てほしい。
もう 一 つ、この 界 隈 でぜひ 訪 れてみ
たいのがバブイーノ通りにあるカフェ、カ
ノーヴァ・タドリーニ だ 。カ ノーヴァと
言 えば、ローマを代表する新古典主義の
彫刻家だ
(アントニオ・カノーヴァ1757
1---822)
。壮麗で端正な作品は美 の 極
致 ともいえる。 大 芸 術 家が創作に意
欲 を 燃 や し た 工 房 は 一 番 弟 子 のタ ド
リーニ家 に 引 き 継 がれ、 現 代 に 至 るま
で 大 切 に 保 存 されてきた。その 工 房 が
2002年にカフェ兼美術館としてオー
プ ン。カ ノーヴァや タ ド リーニ の 主 た
る 作 品 の 原 型 ピースを 含 む 一 大 コレク
ションが展示されており、カフェとして
の名声もさることながら、アート好きに
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ジュを 捧 げたいという 画 家 たちが 世 界
Via del Babuino
バブイーノ通りにあるカフェ、カノーヴァ・タドリーニの内 部 。二 人の偉 大な彫 刻 家 が作 品を生みだした工 房が限りなくそのままの形でカフェに改 装された。
ローマの人々がこよなく愛 するカフェの一つだ。
コロナーリ通りを歩く際は、ぜひ骨 董品店や古美 術 商などにも立ち寄ってみてはいかがだろう。
はたまらない 本 格 的 な 美 術 館 とな って
いる。 日 常 何 気 なく 立 ち 寄 る 空 間 でこ
れほど の 美 を 体 感 で き る の は ま さ に
ローマの 醍 醐 味 だ 。
風情ある巡礼者の道
かつて巡 礼 者の道として栄えたコロナーリ通り。聖地ローマのルネサンス・バロック期の宗 教 芸 術の一端を垣 間見ることができる。
さて、 もう 一 ヶ 所 ご 紹 介 したいのが
コ ロ ナーリ 通 り だ。ナ ヴォーナ 広 場 の
近く、東西500メートルに延びる通り
は、サンタンジェロ橋へと続くバチカン
へ 向 かう 道 だ。 古 くから 巡 礼 者 の 道 と
して知られ、通り沿いにはロザリオなど
の 聖 具 を 扱 う 店 や 古 美 術 商 などが 並 ん
でいたという。今もその名残から、骨董
屋 めぐりや 古 き 良 きローマの 雰 囲 気 を
愉 しむことができる 通 りとして 地 元 の
人々にも人気がある。
また、この通りを歩く楽しみはルネサ
ンス期、バロック期の特徴的な建築様式
を 留 めた 建 物 や 装 飾 を 鑑 賞 できること
にある。 道 の 各 所 に 見 られる 聖 母 マリ
アの図像や聖壇、そして、かつて通り沿
いに 暮 らしていた 聖 職 者 や 権 勢 者 たち
の 邸 宅 の 建 築 ディテールなどを 通 して、
聖 地 ローマの 歴 史 や 街 の 様 式 美 を 身 近
に 感 じることができるに 違 いない。ナ
ヴォーナ広場や、サンタンジェロ城を訪
れた 際 にぜひ 立 ち 寄 ってみてはいかが
だろうか。
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Via dei Coronari
~二人のローマ法王を刻んだ彫刻家
奥村信之氏~
日伊が国交を樹立して来年で150年を迎える。両国のかけはしとなった人々は数多く存在するが、
彫刻家の奥村信之氏ほど我々日本人にとって誇らしい存在はいないだろう。
氏が制作した二人の歴 代ローマ法王の彫像は、今なお多くのカトリック信者たちの心に刻み込まれている。
二 人 の 法 王 との 運 命 的 な 出 会 い
彫 刻 家 の 薫 陶 を 受 けた 。 以 来 、 余 年
コやミルトン・ヒーボルトなどの 高 名 な
ヴィンチによ って 体 系 化 されたという。
を経て、
イタリアにおいてレオナルド・ダ・
1953年東京生まれ。75年ローマ国立美 術アカデミア彫 刻科入学。90年、エミリオ・グレコに弟 子入り。96年イタリア
副大統 領より芸 術 推 奨メッセージを受ける。99 年ローマ・マルタ騎士団長アンドリュー・ベルティエの肖像を制作。
2003年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の胸像制作。06年同ベネディクト16世の全身像を制作。ローマ近郊 在住。
王 の 彫 像 を 制 作 した 彫 刻 家 の 素 顔 は
作 品 と 対 峙 していた 。 二 人 のローマ 法
ようなアトリエで 奥 村 信 之 氏 は 黙 々と
ローマから 車 で 約 一 時 間 。 美 しい 湖
で 知 られる 街 、ブラッチャーノの 洞 窟 の
製法を貫く。
( 古 式 精 密 蝋 型 鋳 造 ) という 伝 統 的 な
イタリアン・ロストワックス・キャスト
もリアリスティックな 具 象 にこだわり、
を 占 める 現 代 彫 刻 におい て 、 あくまで
ローマを 拠 点 としている 。 抽 象 が 大 勢
年、2000年経っても輝き続けるもの
久的な耐久性を持つブロンズで1000
の製法 。あくまでもこだわるのは、半永
要 とし、 時 間 も 経 費 も 大 幅 に 要 するこ
各 工 程 において 熟 練 の 専 門 技 術 者 を 必
神 様 のごとき 存 在 だ ったという 師 の
らだ。
を 遺 していきたいという 一 途 な 情 熱 か
いた って 自 然 体 だ 。
古 代 メソポタミアの 時 代 まで 遡 ると
いう 蝋 型 鋳 造 は、ギリシャ・ローマ時 代
奥村信之 Nobuyuki Okumura
Prof ile
ローマの 国 立 美 術 学 校
1970 年 代 、
で 学 ぶ べ く 渡 伊 。 巨 匠 エ ミ リ オ・グ レ
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http://www. okumura. it
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エミリオ・グレコとは、お互
ルベリーニの間に置かれてい
年
るという。そして、その
世の全
あるものにこだわるのも、対
村 氏 が 人 物 や 動 物 などの 命
さを 教 えられたという。 奥
通 った 作 品 を 生 みだす 大 切
間 ”の 中 にこそあることを 教
人 々、そして 美 の 根 源 が“人
代にさしかかった今、自
ら を 育 て て く れ た ローマ の
身像を手がけることになる。
後にはベネディクト
い 目 指 すべき 方 向 は 異 なる
象 物 の 内 に 秘 めた 躍 動 感 や 溢 れ 出 る
えてくれたイタリアの人々に
ものの、 温 もりのある 血 の
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生 命 を 表 現 することに 喜 びを 感 じるか
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らだという。
作 品 を 通 して 恩 返 しをして
命 的 だ った 。
という 本 のタイトルを 挙 げて 答 えてく
を心の中 に 描 いているに 違 いない 。
れた。き っ と 奥 村 氏 も そ の 尽 き せ ぬ
情 熱 とともに 、永 遠 の 都 、ローマのス
周 年 を 記 念 する 胸
2003年、ローマ屈指の大貴族、ボ
ルゲーゼ 家 のパーティで 紹 介 されたマ
―
いに、“ Roma, non basta una vita
ローマは一回の人生では語りきれない ”
いきたいという 奥 村 氏。ロー
マを一言で語るなら、という問
ウロ 2 世 、 そして 後 にベネディクト
イタリア 貴 族 たちの 肖 像 を 数 多 く
手 がけた 奥 村 氏 にと って、 ヨハネ・パ
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ケールに匹敵するほどの壮大なヴィジョン
世 という 二 人 の 法 王 との 出 会 いは 宿
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2006 年に制 作されたベネディクト16 世のブロンズ全身 像はトヨタ自動 車 株 式会 社の
全 面的なスポンサードにより実 現。除 幕 式では法 王 立ち会いのもと豊田章一郎 取 締
役 名 誉 会 長(当時)
から献 上された。除 幕 式で。写 真 右から、豊田夫 人、豊田章一郎
氏、
ベネディクト16世、奥 村氏、在バチカン日本 大使(当時)。
ヨハネ・パウロ2世との謁見。
ベネディクト16世の全身
像の制 作に際して作られ
た上半 身の石膏原 型。
ルタ 騎 士 団 ローマ 総 長 からヨハネ・パ
ウロ 2 世 の 在 位
と も にバ チ カ ン 最 要
バーノ 8 世 の 胸 像 と
ニが 制 作 したウル
作品は、かのベルニー
よ って 生 みだされた
る。 奥 村 氏 の 手 に
像 の 制 作 を 依 頼 され
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部 である 図 書 館 のバ
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現 在 制 作 中のネプチューン像。ギリシャ神 話・オリンポス
のすべての神々を制 作 中 という 。
『歩む馬』
ヨハネ・パウロ2世の在 位25周
年を記 念して制 作された胸 像。
奥 村氏はすぐさま粘 土 原 型を
制 作してバチカンの枢機 卿に見
せたところ公 式に採 用されるこ
とになったという。
チネチッタ ~夢の工房~
芸 術 都市ローマを語るにおいてもう一つ忘れてはならないものがある。それは映画だ 。
ローマはハリウッドと並ぶ映画制作の聖地 。その屋台 骨を支えてきたのが伝説の撮 影所“チネチッタ”
だ。
@Anna Galante
「夢の工 房」の魅力とイタリア映画の歴史をインテラアクティブに体 感できるチネチッタの内部。音と映 像の迫 力に、まるで映 画のワンシーンに入り込んでしまったかのようだ。
作 された 作 品 の 多 くは 日 本 でも 紹 介 さ
れており、『 ローマの 休 日 』( 1953 )を
はじめ、
『 ベン・ハー 』( 1959 )、
『 クレ
オパトラ 』( 1963 )、フェデリコ・フェ
リーニの『 甘 い 生 活 』( 1960 )、 そし
て、 巨 匠 ルキノ・ヴィスコンティやイタ
リ ア の 生 ん だ 大 女 優 ソ フィア・ローレ
ン主 演 の 数 々の 作 品 など、 人 間 味 と 情
熱 あふれるダイナミックな 映 像 に 魅 了
された 人 々も 多 いに 違 いない 。
1937 年 、チネチッタはファシスト
政 権 のプロパガンダを 目 的 として 独 裁
者 ムッソリーニによ って 設 立 。 独 裁 政
権 時 代 の 落 とし 子 が、 芸 術 都 市 ローマ
に 新 たなる 名 声 をもたらしたとは 皮 肉
な 話 ではあるが 、 文 化 とは 時 にそうい
うものなのだろう 。
1980 年 代 後 半 以 降 、 一 時 影 を 潜
めていたが、近 年 、再 びかつての 栄 光 と
存 在 感 を 取 り 戻 し つ つ あ る。 先 日 の
ヴェネ ツィア 映 画 祭 のオープ ニ ン グ 作
品 にも 選 ばれた『 エベレスト 3 D 』をは
じめ、 多 くの 話 題 作 がハリウッドと 二
分 する 形 でチネチッタ 内 のセットで 撮
影 されている 。イタリア 伝 統 の 職 人 の
技 と 叡 智 が 生 みだす 本 物 の 質 感 や 立
体 感 は、 やはりあらゆる C G 技 術 の 追
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ガイドツアーで 夢 の 工 房 を 探 訪
ロー マ 市 内 中 心 部 か ら 南 東 へ キ
ロ 程 の 場 所 に 位 置 す る チ ネ チ ッ タ。
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1950 年 代 ~ 70 年 代 の 全 盛 期 に 制
Cinecittà shows off
できる 。 英 語 とイタリア 語 でのバック
いことに 現 在 は 自 由 に 見 学 することが
かつてはほとんど 一 般 に 公 開 される
ことのなか ったチネチッタだが、 嬉 し
従 をも 許 さないのだ 。
してみるのも 楽 しい 。
立 って 一 つひとつの 完 成 シーンを 想 像
ので、実 際 にカメラが 回 された 場 所 に
シャ リ ス ト が 作 品 の タ イ ト ル を 列 挙
@Anna Galante
し な が ら 各 セッ ト を 案 内 し て く れ る
ステージツアーが 一 日 に 数 回 あり、 戸
映 像 やメ イ キ ン グ
風 景 な ど をイ ン テ
ラ ア ク ティブ に 体
感 できる 常 設 展 示
もあり 、 音 と 映 像
の 渦 の 中 でイタリ
ア映画の変遷を
エ キ サ イ ティン グ
に 学 び 、 感 じるこ
と が で き る 。フェ
リーニ 作 品 の 世 界
観そのものが演
出 さ れ た コー ナー
巨 匠フェデリコ・フェリーニ監 督に捧 げられたコーナー。
独自の世界観
が見 事 に演 出 されている。
Cinecittà shows off(チネチッタ)
な ど も あ り、 チ ネ
チッタ とイ タ リ ア
映画界の底力を
充 分 に 感 じさせて
http://cinecittasimostra. it/
くれる 。
営業時間 火曜日と12/22~25・1/1をのぞく9:30~19:00
バックステージツアーのチケット販 売 は17時30分まで
Via Tuscolana 1055, Roma
TEL 06 722931
残 念 ながらまだ
日 本 語 のツ アーは
@Anna Galante
@Anna Galante
ないが、そのダイナ
ミックさを 五 感 で
古 代 ローマ の 街( 左 )やキ リ ス ト 時 代 のエ ル サ
レム
(右)
のセット 。予 算 をかけずとも 華 麗 に 見
せる“ だ ま し 技 ”な ど も 教 え て く れ る 。
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体 感 するだけでも
充 分 価 値 ありだ 。
Information
@Philippe Antonello
@Mariella Poli
また 1950 年 代 から 80 年 代 にか
けて 制 作 された 伝 説 的 な 映 画 作 品 の
外 の 壮 大 なセットの 見 学 も 可 能 。スペ
往年の大スターたちの貴 重な映 像も存 分に堪 能できる。イタリア映 画ファンにはたまらない空 間だ。