テキスト

世界翻訳史
第1講
世界史における翻訳と註釈
動物には、自分の意思を伝達する何らかのコミュニケーション手段がある。人類のコミュ
ニケーション手段は、言葉である。言葉は口頭の音声によってなされる言葉のやりとりと、
文字を使って行われる言葉のやりとりがある。口頭の音声は発声された後は、その音声は
消滅して何も残らない刹那的なものだが、文字は文書、書き物の形で残ることができる。
この文字を使った文書、書き物の内容を、言語の相違する地域の人々に理解してもらうた
めに行われるのが翻訳であり、同じ言語地域だが後世の時代の人々に理解してもらうため
になされるのが註釈である。この講座では、人類が文字を得てからの世界史において、翻
訳、註釈がどのように発展していったか、解説する。今回は第 1 回なので、どういう内容
を解説していくか、その概要を示してみたい。
1. 世界史における註釈の歩み
ユダヤ人や中国人のように、長い歴史と断絶しない連続した文化的伝統を持ち、同じ言語
と同じ文字を使い続けてきた民族でも、時代がたつにつれて言葉の意味が変わってくる。
古代から受け継がれてきた古典にある書き言葉(文語)と、絶えず社会的、経済的な変化
にさらされる現実の人間社会で使われる話し言葉(口語)が次第に疎遠になって、古典の
意味が後世の人々にわかりにくくなっていくのは、不可避なことである。文語と口語が完
全に疎遠になれば、理解の手段として翻訳に頼らなければならないが、ユダヤ人社会と中
国人社会では、文語と口語のへだたりはそれほど大きくならなかったのである。
ユダヤ人社会では元来ヘブライ語を使用してきた。しかしユダヤ人国家が 2 世紀にローマ
帝国に滅ぼされてからは、ユダヤ人社会はデイアスポラ(民族離散)して、東欧のイディ
ッシュ語、南欧のラディノ語のように移住した地域の言語をヘブライ文字で表記した言語
を使うようになった。それでもラビなどの聖職者が古代からの聖書の文語であるヘブライ
語を伝えてきたので、聖書の理解の手段は註釈で済んだのである。
中国人社会でも、時代がたつにつれて古代に作られた漢文(文語)と一般人が使った白話
(口語)の差は歴然となっていった。しかし漢字を使用する中国人社会は人口が多く、歴
史上外国に征服されたことはなく、その文化は一貫した連続性を保ってきた。「論語」、「老
子」、「孫子」など春秋戦国時代からの漢文の古典は中国人のみならず、韓国人、日本人、
ヴェトナム人など東アジアの知識人層から基礎教育の教材として尊重され、漢文は公的生
活で常用されてきたので、古典の理解の手段は註釈に頼るだけで済んだのである。
第 2 回では、ユダヤ人の歴史を概説した上で、キリスト教の源流だったユダヤ教の聖書で
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ある「トーラー」(旧約聖書)の註釈書であった「ミシュナ」、さらに「ミシュナ」の註釈
書である「タルムード」を比較して、いかに古代ユダヤ社会の文化を中世、近代に伝達し
ていったかを、「レビ記」と「申命記」にあるユダヤ教の食事戒律を例に挙げて解説する。
第 9 回においては、日本人のみならず東アジア諸国民の精神構造を形成した儒教の根本的
教科書である、孔子の語録「論語」に焦点を当てて、三国時代の何晏が書いた「論語集解」
(古註)と、南宋の朱熹が著した「論語集註」(新註)を比較して、儒教思想をめぐる時代
背景の発展を考察する。
2.世界史における翻訳の歩み
前記の通り、翻訳とは文書、書き物の内容を、言語の違う地域の人々に理解してもらうた
めの手段である。言語文化の相違する地域同士の理解手段であるから、翻訳は註釈と違っ
て国際的、実用的となり、その用途も古典の理解だけでなく、同時代の書籍、国際条約な
どの外交文書、多民族国家の行政の条例などに適用される。翻訳は、国際的には複数の国
家の間の平和しいては親善を保ち、国内的には異なる民族の間の理解しいては共存を持続
する手段ともなりうるのである。
ただし翻訳は異なる言語の間でなされるので、言語のニュアンス、センス、さらにはその
言語を使う民族の発想法、世界観の相違によって、完全な翻訳をするのは不可能である。
外交、行政に関しては、翻訳者は語学的知識を駆使して可能な限り正確な翻訳作業をして
誤解を避けなければならない。だが他方、小説など文学作品の翻訳に関して翻訳者には、
絵画を描く画家のように、自分の言語感覚、学識、世界観を通して、原典を自分なりに翻
訳をする醍醐味があるのである。また翻訳は、植民地における支配民族の現地民族抑圧、
当事国同士の利害の不一致などの政治的状況によって歪曲される場合もある。歪曲された
翻訳を検証、考察するのは、私のような歴史家のつとめである。
翻訳の発展を通して、異文化の理解が進み、相違する言語文化の古典および同時代の文学
作品などを翻訳する翻訳家、文学者たちが学派を形成するようになる。この講座では、日
本を中国と関係させながら、欧米の「日本学」、「中国学」に対する「イギリス学」、「ドイ
ツ学」、「フランス学」をはじめ、「スラヴ学」、さらに「イスラム学」の発展に関しても解
説する。ただし量的には欧米の文学作品の翻訳に比較して、日本など東アジアの文学作品
の欧米での翻訳が非常に限られており、翻訳を通じた文化交流は今なお一方的な輸入超過
状態が続いている痛切な事実も説明して、入超状態を打開する必要をも提唱してみようと
思う。
第 3 回では、中国に伝来してまもない頃の、仏教の経典のサンスクリット語から漢文への
翻訳を、南北朝時代に西域のトルコ系民族出身で中国語を母語としなかった鳩摩羅什が行
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った旧訳と、唐時代の生粋の中国人である玄奘三蔵が正式にインドで留学した上で帰国後
に行った新訳を、「般若心経」を例にあげて比較する。
第 4 回では、仏教の源流であるヒンズー教の経典である「リグ・ヴェーダ」のサンスクリ
ット語から英語への翻訳に関して、19 世紀にインドを植民地化して支配したイギリス人に
よる翻訳と、インド人自身による翻訳の相違点を比較する。ここから「リグ・ヴェーダ」
本文からイギリス側が提唱したアーリア人種征服説の誤謬を明らかにする。
第 5 回では、中世以降のヨーロッパにおいて「ヴルガータ」
(ラテン語訳)が絶対だった「新
約聖書」が、フスの宗教改革以前の 14 世紀のチェコ(ボヘミア)、チェコに影響を受けた
14 世紀のイギリスのウィクリフ、そして 16 世紀のドイツのルターの宗教改革によって現地
の言語に翻訳されるようになり、民族主義の萌芽となった。ここでは「マタイによる福音
書」を例にあげて、チェコ語訳、ルターのドイツ語訳、そしてウィクリフの中世英語訳と
現代英語訳を比較してみる。
第 6 回では、ナショナリズムの時代であった 19 世紀に、市民の公的生活に必要な公用語に
関する、宗主国と被支配民族の間の問題を、当時ヨーロッパ最大の国家として11の民族
を支配していたハプスブルク帝国を例に挙げて解説する。その中で特に帝国の屋台骨を揺
るがした、ボヘミアにおけるチェコ人とドイツ人の民族問題に焦点を当てる。
第 7 回では、17 世紀のグロティウスとウェストファリア条約にはじまる国際法の発展と、
第一次世界大戦以後にウィルソンの「十四条の平和原則」に基いて発足した国際連盟が、
第二次世界大戦の苦い教訓をくんで、「大西洋憲章」に準拠して設立された、その後身であ
る国際連合に受け継がれるまでを、
「国際連合憲章」を読みながら解説する。
第 8 回からは、日本外交と翻訳の歴史について扱う。まず古代から近世にかけての日本と
外国との外交において、漢文と渡来人、仏教の僧侶たちが果たしてきた役割の重要性を説
明した上で、17 世紀の朝鮮通信使にまつわる国書改竄事件を解説する。それから、
「日米和
親条約」から「サンフランシスコ和平条約」にかけての、近現代の日本の外交の歴史に関
して述べる。
第 10 回では、日本人の西洋文化に関する翻訳をとりあげる。16 世紀中期のキリスト教伝来
以降の、イエズス会宣教師による「イソップ(伊曾保)物語」の翻訳を解説した上で、18
世紀後期に前野良沢、杉田玄白をはじめとする蘭学者たちがなしとげた「ターヘル・アナ
トミア」(正確には Ontleedkundige Tabellen)の訳書である「解体新書」の完成を、ドイ
ツ語の原文、オランダ語訳と漢訳、そして現代語訳を比較して考察する。
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第 11 回では、17 世紀のイエズス会にはじまり、18 世紀のフランス啓蒙思想と 19 世紀のイ
ギリス帝国主義によって本格化した、欧米の中国学の歴史を解説してから、
「論語」の英訳
の発展に関して説明する。
第 12 回においては、日本中世文学の最高峰である、紫式部原作の「源氏物語」の成立過程
を説明してから、その現代語への翻訳に関して解説する。与謝野晶子、円地文子による、
それぞれの文学的センスを駆使した翻訳と、国文学者の渋谷栄一による学術的翻訳を、「帚
木」と「乙女」
(少女)の帖を例にあげて比較してみる。
第 13 回は、やはりイエズス会にはじまり、出島のオランダ商館を通して発展した、欧米に
おける日本学の歴史を説明してから、前回に引き続いて、「源氏物語」の英訳を、イギリス
の東洋学者のウェイリー、アメリカの情報将校出身だった日本学者のサイデンステッカー
を、「蛍」の帖を例にあげて比較する。
第 14 回では、明治時代になってから、オランダ語に代って英語、ドイツ語、フランス語が
日本人に学ばれるようになり、英米学、ドイツ学、フランス学が日本の西洋研究の主流に
なった。英米学では坪内逍遥と小田島雄志によるシェイクスピアの「ハムレット」の翻訳
比較、ドイツ学では森鴎外と相良守峯によるゲーテの「ファウスト」の翻訳比較、そして
フランス学では上田敏と窪田般弥によるヴェルレーヌの「秋の歌」の翻訳比較をする。
第 15 回では、日本において前記の西欧研究以外に重要であるスラヴ学、イスラム学につい
てあつかう。スラヴ学は明治時代の仮想敵国研究であったロシア研究から展開して、二葉
亭四迷たちによる先駆的翻訳の後、中村白葉と米川正夫から本格的な翻訳がはじまった。
イスラム学は、太平洋戦争中の大アジア主義と共に発展した分野で、前嶋信次、井筒俊彦
などの大家を輩出した。スラヴ学に関しては米川と藤沼貴によるトルストイの「戦争と平
和」の翻訳比較を、イスラム学については井筒と藤本勝次による「コーラン」の翻訳比較
をする。
これらの世界史における註釈と翻訳の歩みを総括した上で、最終回の第 16 回ではまとめと
して、これからの国際社会における翻訳と註釈の将来性を考える。日本人は、古代から近
世までは中国、近現代では欧米からの文化を翻訳して受容する一方で、自分の文化の発信
に消極的だった。そこで、日本人の国際社会に対する自己主張の手段としての、翻訳の必
要性を唱えてみようと思う。
講師の性格、方針
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私は翻訳者でも英文学者でもない、東欧近代史を専攻する歴史家である。論
文”BohemianState-Law and the Bohemian Ausgleich in 1871”(邦題を「オーストリア・
ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」として 2005 年に邦訳出版)で米国インデ
ィアナ大学にて博士号を取得した。専攻は東欧近代史であるが、元来は中国学志望で、受
験生時代までは中国史、中国思想マニアだった。ただし数学が全然できなかったので、京
都で 1 年浪人しても第 1 志望校に合格できず、やむなく東欧史に転向したのである。米国
には 14 年留学していたが、それまでに東洋思想の素養を育んでいたし、趣味の映画鑑賞も
フランス映画、イタリア映画、ソ連映画に親しんでいたので、スケールが大きいが歴史、
伝統の浅い米国文明に傾倒することはなかった。
私の文化的姿勢は保守的で、軽薄な流行には迎合しない。座右の銘は「論語」の「必ずや
名を正さんや」である。良い政治をするためには、人間同士が互いに正しく意思疎通がで
きるコミュニケーションができる社会であることが必要である。そのためには「名」と呼
ばれている言葉は正しい意味で使われていなければならない。近年は「ヤンキー」、「セレ
ブ」のように意味のはっきりしない流行語、
「イケメン」、
「バラける」のような品位に欠け
る流行語、
「おたく」のように従来から存在している言葉を間違った意味で使ったり、横暴
にふるまうのを「元気だ」と諧謔的な言い換え表現をする場合が多いが、これは「必ずや
名を正さんや」の精神に反する。人間は日頃しゃべっている言葉によって品位が形成され
るものである。れっきとした翻訳者となられる受講者の諸君は、どうぞ言葉を大切に使っ
てほしい。
以上
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