美術好きで、イタリア美術史研究へ 強くなっていったのです。それは、最初の大学で受講したイタリア美術史の講義がと にかく興味深くて、イタリア美術に魅了されていたからです。 そこで意を決して学芸員をやめ、大学院生として一からやり直したのです。そして 念願のイタリア美術史の世界に飛び込んだのですが、語学をはじめ経済的な負担など、 芸術学部 美術学科 教授 関根 浩子 苦労はありました。でも好きな道ということで、苦に思ったことはありませんでした。 そのようななかでイタリア留学中に出会ったのが「サクロ・モンテ」だったのです。 日本のカトリック巡礼施設の調査へ イタリアの民衆的巡礼施設「サクロ・モンテ」 筑波から熊本に移ったのは 2009 私が多年にわたって調査・研究しているのは「サクロ・モンテ」と呼ばれるイタリ 年 4 月のことです。現在の研究テー アの代用巡礼施設群です。と言っても、分かってくれる高校生はいないでしょう。日 マについては、実は北イタリアに「サ 本国内には、これらについての研究者は私を含め二人しかいないですから。でも、話 クロ・モンテ」の集中的な資料セン を進めるために、最小限の説明をします。 ターがあって、そこは膨大なデータ 実は 2003 年にイタリアの 9 つの「サクロ・モンテ群」が世界遺産に登録されました。 を持ち、世界的な調査を行っていま 世界的にはそれだけの価値が認められてはいるのです。「サクロ・モンテ」は、聖地エ す。そんな中で異邦人の、日本に住 ルサレムに巡礼したくても、経済的、地理的、宗教的にできなかった初期ルネサンス む私に出来ることは何か。いろいろ のキリスト教徒が、エルサレムに似せて地元につくった代用巡礼施設から発展したも 考えるうちに、日本でキリスト教が のです。そこには多くの礼拝堂が建ち並び、それらの中には等身大の彫刻や壁画によっ て、キリストや聖母マリアの生涯に関わる場面が再現されています。それが今もイタ リアを中心とするカトリック圏に数多く残っているのです。 この「サクロ・モンテ」の変遷や礼拝堂の構造、礼拝堂内に設置されている彫刻や 絵画などを調査するのが私の研究です。しかし、その内容を話すよりも、なぜ私がそ のような研究に興味を持つようになったのかという話の方が、高校生のみなさんには 役立つでしょう。 サクロ・モンテ・ディ・ヴァラッロ 第 33 堂の堂内の彫刻・絵画・建築による≪エッケ・ホモ≫の場面 17 世紀初頭 (関根撮影) 広まった地域には果たして「サクロ・モンテ」に似た施設、あるいは施設ではなくても、 似た道具立てのようなものがあるのかないのかと、という問いに至ったのです。 そこで、ヨーロッパの巡礼施設群の調査の傍ら、長崎市や平戸市などの教会巡りも 始め、写真撮影や文献収集などを併行して進めています。研究はまだ緒についたばか りですが、興味深い風景が見えてきています。もしそれが「サクロ・モンテ」=代用巡 礼施設に結びつくようであれば、日本のキリスト教文化史に新たな頁を加えることに なるかもしれません。 創作力がなくとも美術に関われる道へ 元もと私は美術が好きでしたが、中学生のころには、自分に画家や彫刻家になる才 能がないことをはっきり自覚していました。最初の大学では美術とは無関係のことを 画家や彫刻家、あるいは美術の教員をめざす人にとって、本学は本当に恵まれた環 学んでいましたが、何か資格でもとろうと履修した博物館課程で、生来の美術好きに 境にあります。また、独創的な創作力はないけれども、作品の良し悪しを見抜く力や、 火がついてしまったのです。しかし、美術史を専門的に学んだわけではなかったので、 作品について深く考察する力はあるかもしれない、と思っている人には、美術館や博 学芸員として就職できるわけはなく、別の大学に3年次から学士入学して「美学・美 物館の学芸員などの高度な専門職を目指す道があります。さらに本学は、理工学部の 術史」を2年間学んだのです。おかげで運よく長野県内の美術博物館に就職できまし ほかに薬学部もある総合大学ですから、クラブ活動や大学行事を通して幅広い仲間と たが、ここは近代日本画を主とする施設でした。そのため、学芸員として働くうちに、 交流して、美術専門大学では得られない人間性を身につけることもできます。 もう一度大学院に戻って西洋美術史、とくにイタリア美術史を学びたいという思いが
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