石見銀山街道 石見銀山街道は、銀鉱山・鉱山町と港・港町の間を結び、銀鉱石及び銀と諸物資の輸送 を担う重要な役割を果たした。 街道のうち鞆ケ浦道は、石見銀山が開発された 16 世紀前半に、銀山から搬出港があっ た鞆ケ浦港へと銀鉱石及び銀を輸送した道である。また、温泉津沖泊道は、16 世紀後半 に銀山から沖泊へ銀を搬出した道である。 と も が う ら <鞆ケ浦道> 要害山(山吹城跡)の東と西に当たる2カ所の出入り口を起点として、鞆ケ浦までの総 延長約7㎞を結ぶ道であり、道幅は 0.6 ∼ 2.4 mと場所によって広狭があり、人や牛馬の 往来ができる最小限の幅員となっている。銀鉱山と日本海を結ぶ最短距離の経路であった。 銀山開発初期は銀鉱石の運搬道として、その後灰吹法による地元での銀製錬が開始される と、銀そのものが輸送されていたと考えられる。 この街道は全行程が起伏に富んでおり、通行を容易にするために行った道路工事の跡が 良好に遺存する。また、道中には銀鉱石の運搬にまつわる伝承を残す祠や、通行者及び周 辺住民が通行安全及び病気平癒を祈願して立てた石碑などの信仰関連の遺跡が点在する。 ゆ の つ おきどまり <温泉津沖泊道> 16 世紀の半ばに銀山の支配者が毛利氏に交替したのを契機として、日本海岸への銀の 輸送路として利用された道である。銀山柵内の西端から沖泊及び銀山とその周辺地域の支 配拠点があった温泉津へと通ずる総延長約 12 ㎞の道である。道幅は 0.8 ∼ 3.3 mである。 この街道は、銀の搬出路として機能したばかりでなく、銀の搬出機能が他の街道へと移 行した 17 世紀初頭から 19 世紀半ばまでは、銀山で必要とされる消費・生産用物資の運搬 の幹線道として盛んに利用された。さらに、この道の多くの部分は、現代においてもなお 近隣の村々を結ぶ生活道としても機能している。 この街道は、急勾配である降路坂(ごうろざか)を除いて比較的なだらかであり、その 途上には石段などを用いて整備した道路構造が良好に遺存するほか、鞆ケ浦道と同様に信 仰関連の石碑や道標なども遺存している。 -1- プレス発表資料 文 化 平成19年11月16日 庁 史跡等の指定等について いしざわ 文化審議会(会長 石澤 よしあき 良昭)は、11月16日(金)に開催される同 審議会文化財分科会の審議・議決を経て、文部科学大臣に対して、別紙のと おり史跡名勝天然記念物の新指定20件、追加指定等15件、重要文化的景 観の新選定3件、登録記念物の新登録3件について答申する予定である。 史跡名勝天然記念物 種 別 (平成19年11月16日現在) 現在指定件数 今回答申件数 合計(既指定件数と 新指定 解 除 15 0 (61) (0) (0) 348 1 0 (うち特別名勝) (35) (0) (0) 天然記念物 978 4 0 (うち特別天然記念物) (75) (0) (0) 史 跡 1,606 (うち特別史跡) 名 合 勝 計 2,932 (171) 20 (0) 0 (0) 答申件数との合計) 1,621 (61) 349 (35) 982 (75) 2,952 (171) (備考) ○ 件数は、同一の物件につき、2つの種別に重複して指定が行われている場 合(例 えば、名勝及び天然記念物など)、それぞれの種別につき1件として 数えたものであ る。 -2- なお、重複指定物件を1件として数えた場合、 現在指定件数は、 2,825件 答申後合計件数は、 2,845件 である。 重要文化的景観 種 別 現在選定件数 今回答申件数 新選定 重要文化的景観 4 合計(既選定件数と 解 除 3 0 答申件数との合計) 7 登録記念物 種 別 現在登録件数 今回答申件数 新登録 遺跡関係 名勝地関係 動物、植物及び 合計(既登録件数と 抹 消 答申件数との合計) 2 0 0 2 21 3 0 24 2 0 0 2 25 3 0 28 地質鉱物関係 合 計 <史跡追加指定> い わ み ぎ ん ざ ん い せ き 7 石見銀山遺跡【島根県大田市】 石見銀山と銀鉱石及び銀の積出港であった鞆ヶ浦と沖泊の2つの港をつなぐ2本の街 道。後者は江戸時代に瀬戸内海ルートが使われるようになっても、諸物資の輸送路として 引き続き重要な役割を果たした。今回、調査の結果新たに道を確定することができ た部分を追加指定する。 -3-
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