日本の富裕層の資産を守るには?

「日本の富裕層の資産を守るには?」
船山 雅史 氏
公益社団法人 日本証券アナリスト協会
PB 教育委員会委員、PB 資格試験委員会委員
船山公認会計士事務所 代表
プライベートバンキング業務を1980年代半ばから約20年にわたって外資系金融機関で行っ
てきたが、海外PBと日本とでは富裕層へのアプローチの方法が少し異なっており、税金の問題
が日本では中心になっていることがグローバルスタンダードではないんだな、と感じることが多か
った。ちなみに、我が国の富裕層が時候の挨拶のように口にする税金については、PBの世界で
は米国を除いてあまり主要な話題にはなっていない。諸外国のPBでは、そもそも相続税の無い、
あるいは信託等の活用で合法的に回避できる世界に富裕層がいることが多いからである。
そもそも税金云々より前に、富裕層ファミリーがどのようなリスクから、どの事業や資産を保全し
なければならないのか、という点についての議論を欠いていては、資産承継(Wealth Transfer)の
基本が決まらないのである。伝統的なPBでは、このような点についての共通理解があるように思
われる。
財産には、伝統的資産と言われるもの、例えば金融資産、不動産、動産、書画骨董等と、非伝
統的資産と言われるもの、例えばファミリーの人的・知的能力、一族の成功事跡、業務取引先、一
族を支える人脈、ブランド、知的財産等がある。金融系PBが扱うのは、この中で伝統的資産であ
る金融資産および不動産に極端に偏っている。社会的成功者である富裕層ファミリーにとっては、
有形の財産は当然重要だが、長期的な資産保全の観点からは、後者の非伝統的資産と言われ
るものも同じように重要である。
日本の富裕層にとって考えるべき潜在的な問題とは、「お金の問題」よりも「ファミリーの問題」
ではないだろうか。創業者オーナーの“ファミリーの絆”への根拠無き楽観がもたらす相続発生後
の“争族”を回避するには、生前の早い段階からのファミリーとしての価値観の共有と、一族の事
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業ないしは資産の承継の基本方針の共有(例えば、長男に事業は集中するが、金融資産は次
男・長女に)が重要で、さらにそのオーナーの事業経営力、資産運用能力といった知的理解力(リ
テラシー)を維持・承継することである。
見落としがちであるが、ファミリーを支えているのは家族、親族だけではなく、それを取り巻く他
のファミリーも含まれ、その全ての永続的な存続を願うのが人の本性である。ファミリー、特にPB
の対象である富裕層ファミリーは社会の支持を受けたが故に、また一定以上の財産運用のリテラ
シーを持っていたが故に大きな財産を形成することができ、その結果として社会に対しても有形、
無形のファミリー資産を還元する義務を負っているのである。そのような富裕層ファミリーが将来
遭遇するであろう無能な後継者による事業の衰退リスク、オーナーの持っていたリテラシーの伝
達欠如による財産毀損リスク、インフレによる財産価値の毀損リスク、通貨価値の下落リスク、我
が国の財政危機による許容しがたい増税リスク、他国との紛争による財産侵害等々に、今から準
備しておくことをサポートするのがPBの重要な役割のひとつなのである。税金は様々なリスクの
ひとつにすぎない。
そのためには、多様なリスクから守るべきファミリーの価値(Value)は何なのかを、ファミリーメ
ンバー、アドバイザー(顧問弁護士、顧問税理士等)、PB等で共有することが何より重要である。
一定の規律を持ったファミリーメンバーと共に、ファミリーの使命(ミッション)、その共通財産として
の事業運営・財産運用・リスク管理のヴィジョンを話し合い、それをファミリーの憲法として文書化
(ファミリー・ミッション・ステートメント、FMS)し、その実行と見直しのプロセスをファミリーと共に繰
り返していくことが重要なのである。
近年、会社運営においてガバナンスの重要性が叫ばれ、独立社外取締役や投資家との対話を
会社経営の仕組みに導入する企業が増えているが、多くの富裕層ファミリーが中小同族企業の
オーナー一族であることを踏まえると、そのようなファミリーにもガバナンスの仕組みが必要である
ことが当然分かるはずである。
では、ガバナンスの仕組みをどう構築するのか?ということであるが、最低限以下の4点をまず
決めてみてはどうだろうか。
1.
事業運営の基本方針(事業会社ファミリーの場合)
2.
財産保全の基本方針(財産保全中心のファミリーの場合)
3.
守るべき資産と対処すべきリスクを定義する
4.
事業および財産承継の大枠を決める
事業会社では、通常は中期事業計画をベースに各期首に今期事業予算、設備投資計画、資金
計画、人員計画等の経営計画を立案する。その際に株式価値の算定を税理士の指導の下に行
い、ファミリーのキャッシュフローの源泉である会社株式を中期的に事業後継者に移転(生前贈与、
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相続による同族内承継、MBO等による同族外承継等)していくステップを確認する。事業売却に
より株式をキャッシュ化したファミリーや代々の資産家にあっては、財産の中核が金融資産と不動
産であることが多いので、相続税納付資金の確保をした上で、残りの財産を財産侵害やインフレ
といったリスクからどう保全していくか、誰がどの財産を承継していくかの大枠を決めておく。我が
国の資産承継にあっては相続税負担の問題を回避できないので、長期的な計画の下、生前贈与
により早めの財産移転を開始することが必須である。少子高齢化により縮小する国内市場を捨て
て海外市場に活路を見いだすならば、本社の海外移転(コーポレート・インバージョン)と合わせて
ファミリーの海外移転と国際相続も中期的に考えるべきかもしれない。
PBの担当者としては、お客様がガバナンスの仕組みを構築する上での必要情報の整理を担
当することからリレーションシップをスタートしてはどうか。以下のような事項の整理をすることがフ
ァミリーとの関係の出発点になる。
1.
財産目録の作成(与信先の場合は比較的スムーズに情報を入手できる)
2.
将来のキャッシュフロー分析(相続税は恒常的に存在する負債と考える)
3.
税金ポジションの把握(一次、二次相続の相続税の納税可能性分析)
4.
ファミリーの事業ないしは資産運用への関わり方のアドバイス(各人の役割明確化)
5.
ファミリーメンバー別のキャリアゴール設定(これにより事業・財産承継の大枠が決まる)
1~3 は当然として、4 や 5 についても踏み込んでファミリーの方々と論議を深めて頂きたいの
である。運用商品の選択、投資金額は、このような作業の結果として自然と決まってくるものであ
る。
なお、我が国の場合金融商品税制がとりわけ個人に不利(例えば、投資損失や損益通算の取
扱い)なので、投資ビークルは合同会社、一般法人などを活用する方がベターである。また、今後
は信託や一般社団法人の活用をすることで、ファミリーの事業会社株式やその他の財産の直系
での承継を担保する仕組みの構築に対するニーズが徐々に高まるものと思われる。信託を利用
する際には、受託者としてファミリーメンバーをどう使うか、受託者を監督をする仕組みをどう構築
するか等々についても経験豊富なPBの果たす役割が増えてくると思われる。
PBが主導して、このようなファミリーの財産保全とファミリー・ガバナンスの枠組みを構築するお
手伝いをすることが、その後の長期的なリレーションシップ維持への確かな一歩になるのである。
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