秋山郷でのキャンプ

秋山郷でのキャンプ
小野清美
昨年の夏に続き、今年も家族4人と犬2匹、猫1匹でキャンプに行ってきた。来年
はもう子ども達には付き合ってもらえないかなぁ・・・・・
場所は長野県と新潟県の県境に位置する秋山郷。白川郷はよく耳にするが秋山郷を
知る人は少ないと思う。2011年に起きた3.11東日本大震災の時にこの栄村も
大打撃を受けた。この年から数年は我が家もキャンプに行くことができなかった。
もう何度も秋山郷にキャンプに行っているのに、今回は私にとって特別な思いが残
るキャンプになった。息子はキャンプ場のある栄村にかつて存在した部落が飢饉で滅
びたことにものすごく興味を引かれ、娘は民俗資料館の管理者の山田さんに惚れてし
まったようだった。
この村が秘境と呼ばれるが故の運命を背負って現在に至ったことに思いを致し、一
層秋山郷が好きになった。これまで十何回と秋山郷にキャンプに来ているが、それま
でのキャンプではこの地について、人々の暮らしについて、深く考えることなく行っ
て、帰ってだけだった。私って本当にこういう所がだめだなと思う。
栄村には津南町から入る。いつも津南のコープで滞在日数分の買い物をしてから栄
村に入る。今年は津南に入る前に飯山に行き、おいしい「シャイン
マスカット」を
探そうということになった。りんご、ぶどう、桃、立ち寄る直売場でついつい野菜と
果物を買い込んでしまう。キャンプ場近くには生活に必要な最低限のものを売る店し
かない。
キャンプ場に行く途中に民俗資料館の立て看板があった。キャンプ2日目、行って
みようということになった。手書きの立て看板がいかにも私設資料館らしい。昭和4
8年山田さんご夫妻の開設によるものだ。現在は山田みやさんが管理している。みや
さんはたぶん90歳を超えている。
入り口脇になぜこの資料館をつくったについて
「
昭和48年4月民俗資料は郷土にあってこそ意義があると確信して夫婦で集め
た。(略)秋山郷の人々が長い間かかって造り上げたその一つ一つの生活の知恵には潤
いを忘れた現代の人々を引きつける何か大きな魅力を秘めております。(略)秋山郷は
平家の落人の里とも呼ばれ、冬は陸の孤島になるところです。(略)私たち夫婦はこの
地に生活しその残された民具、風習、信仰を、昔の人々が暮らした創意と工夫を見る
につけ、貧困に耐えてきた当時の人々の苦労と我慢強さが伺われます。この秋山郷の
歴史と文化を今まで支えてきてくれた先祖の努力を、秋山郷に住む私共が秋山人の心
の源流を探り、滅びゆく、わすれかけた遺産を大切に守り後の世の子供に伝えたいと
思い資料館として始めました。」
と書かれていた。
「ごめんくださ~い。」「こんにちは~」と何度か 叫んでみた。家の中に人がいる
気配はあるが、誰も出て来ない。しばらくしてかわいらしいおばあちゃんが出てきて
くれた。僅かな入館料を支払い、中に通していただいた。
「この家は300年からたっています。私たちは今もこの家に住んでいるんですよ。
どうぞ2階までゆっくり見て下さい。」と言われ、古い農具や着物、古銭、つづらな
どなど、300年の重みをどっしり感じる黒い梁のある部屋に、所狭しと並ぶ貴重な
展示物を見せていただいた。ところどころの展示物についてのかわいいコメントが入
っていた。一本の木をくりぬいた直径1.2メートルほどの大きなこね鉢があった。
ご近所さんが何人も寄り、主におそばを打って振る舞うのに使ったそうだ。二階は絵
画のギャラリーになっていた。山田寿章作とある。気骨のあるおじいちゃん、苦労を
しわにきざんだおばあちゃんの大きな絵に見入った。おばあちゃんの息子さんが独学
で絵を学び画家になった。東京でも時々展覧会を開くそうだ。
ゆっくり一通り見せていただき、一階に降りると、「どうぞ、どうぞ」の言葉に、
遠慮なくいろりに腰を下ろさせていただいた。美味しいお茶と数種類のお漬け物をご
ちそうになった。どれも皆おいしい!そしてなによりのごちそうはおばあちゃんのお
話だった。
婦人会長もされた経験がある山田みやさんは、とてもしっかりされていて、ユーモ
アもあり、お話し上手な語り部だった。
おばあちゃんはこの山田家に跡取りがいないので、養女にきたそうだ。おじいちゃ
んと結婚して、養父母がなくなってはじめて、今展示されているお金が出てきた。一
万円札も何枚もあり、「もっと早くお金を渡してくれたらよかったのにねぇ。」と冗
談交じりだった。
今年は台風が多く、山からの水が家のぐるりに引かれているおばあちゃんのお宅で
は、いろりに水がじわじわ溢れ出て、昨日辺りまで大変だったそうだ。
この資料館をはじめたのは、この家に宿泊された大学教授から「これほどのものを
公開しないのはもったいない」と言われたからだそうだ。資料の公開をはじめると、
それを知ったNHKが取材に来た。私はリハーサルも何もなくインタビューに応じて、
一発でOKでしたと誇らしげに聞かせてくれた。最盛期はバス3台でやって来た団体
もあり、この家に宿泊もできたそうだ。
この地区は新潟のテレビの電波はよく入るが、長野の放送は電波の受信が不十分だ
った。「栄村の人は新潟県知事は知っているが、長野県知事の顔は知らない」と婦人
会長をしていたおばあちゃんは行政にかけあい、電波塔が立つことになったそうだ。
人家の少ない山の中のこと、食べ物を探しに山を下りてくる動物の話には事欠かないよ
うだ。
面白いのは熊や猿の話だった。山に食べ物のない時には今でも猿やクマがでます。
畑を荒らすクマをどうやって仕留めるかというと、油の一斗缶にクマの頭が丁度入る
穴を開け、そこに蜂蜜を入れておく。するとクマが蜂蜜につられて一斗缶に頭を突っ
込む。缶から頭が抜けなくなっ熊が缶を頭に着けたまま、一斗缶の音をからからさせ
ながら右往左往しているのを仕留める。
「猿もでるんですよ」猿は家の中まで入ってきて、食料を漁るから、棒を持って追い
かけた。すると家の中を横切るように逃げ、ガラスを割り、置き土産に汚物を残して
いったそうだ。「猿は本当に頭がいいです。家の中の様子をじっと見てから入ってく
るんですから。叱られたと思うと置き土産までして。」
栄村の小学校はかつては80人からの児童が通っていたが、今ではたった 1 人。そ
の子のために先生が4人いる。昔はここが先生方の冬の逗留先になっていた。雪が深
くて買い物ができないから、教頭先生が津南にでるときに買ってきてもらい、かんじ
きで村の入り口まで歩いて迎えにいった。と、思いつくまま楽しいお話しを次から次
へと聞かせてくれた。
平成18年の大豪雪のときにはライフラインが断たれ、自衛隊による救助活動が行
われた。津南までの道路が寸断されると物資が何も入って来ない。「あの時は自衛隊
のヘリコプターが食料を運んでくれた。雪がひどくてヘリコプターさえ着陸できない
ときは空から荷物だけ落としてくれた」そうだ。
おばあちゃんが野良仕事をした後は、切明温泉。畑仕事の帰りの鍬で河原に穴を掘
る。河原のあちこちから熱い温泉が出てくるので、川の水を入れて丁度いい湯加減に
して一日の疲れを取るの。おばあちゃんの一番の楽しみだったそうだ。
おばあちゃんの楽しいお話の中には秋山郷の自然の中で、雪に閉ざされる冬も含め
て、ここでの生活が充実したものであることが窺える。
天明の大飢饉は一説によると浅間山から40㎞しか離れていない栄村に浅間山の噴
煙が舞い、元々生産力が低く、土地も荒れ、狭く、夏が短いこの地が日照不足で更に
凶作となり、飢饉によっていくつかの部落が滅びたという。随筆家の鈴木牧之(すず
きぼくし)が記した「北越雪譜」の『秋山紀行』に飢饉で滅びた大秋山村について記
されている。キャンプ場の母屋の脇に鈴木牧之の木彫りの像がたたずんでいた。牧之
が人々に伝えたかったのは雪国で冬になると閉ざされるこれらの地で懸命に生きる
人々の姿だった。
秘境と呼ばれる地は、時々遊びに行く私たちにとっては自然がたくさん、星が綺麗
で、涼しく、人のぬくもりが感じられる癒しの場所だが、そこに暮らす人々はかつて
冬になれば閉ざされてしまうこの地で、貧困や食糧不足に堪えながら懸命に生きてき
た。そのことをこの資料館は私たちに伝えてくれた。
守る人がいなければ私たちには伝わらない貴重な情報、知ろうとしなければ伝わらない
情報にたくさん触れた夏だった。秋山郷をキャンプ先に選んだ夫に感謝。
そして我が家の雌犬「ひめ」
ひめは今年で15年になる。人間の年に換算したら中型
犬なので88歳になる。年齢換算表をみるまで、ひめも年なのに元気でいてくれてありが
たいなと思っていたが、88歳は驚きだった。何時も一緒にいるチンピラ風の小次郎は 1
年半くらいになるので、小次郎も人間年齢に換算すれば20歳ということになる。
ひめは最近目が見えにくく、耳も聞こえにくくなっているように感じていた。トイレも
近くなってきた。88歳になれば当然のこと。飼い主として全く配慮に欠けていた。小次
郎がひめにまとわりつくのに応じているので、若い子と一緒だと元気でいられるくらいに
思っていた。ひめに気の毒なことをしていたと反省した。目も耳も不自由なひめの日常は、
小次郎と一緒に叱られることが多く、手をあげただけで目をピクピクしばたたかせる。聞
こえが悪ければ、何で叱られるのかわからない。どうして私が小次郎と一緒に叱られなき
ゃならないのよ!!と思っていることだろう。よくきこえない、よく見えない中での日常
生活は、「言うことを聞かなく」なって当然だった。
子ども達が成人してもなお一緒にキャンプに行ってくれることを喜んでいたが、88歳
でキャンプにつきあってくれるひめにも感謝しなければいけなかった。
ただ一つ、感心なことに、ひめと小次郎、娘の猫まめ、この三匹はまめもひめも5ヵ月
と3ヵ月くらいの時から会って一緒にいるので、犬、猫の壁を越えている。犬と猫は仲良
くないというのは誰が言ったことだろう。まめは小次郎のしつこさに閉口しているだろう
と思うが、それでも「小次郎さん、いい加減にして下さいよ}とは思うだろうが、小次郎
の甘噛み攻撃に耐え、とっても仲のいい三匹だと思う。当たり前に一緒にいることの大切
さを思う。
学ぶことの多かった今年の夏。
秋山郷では中秋の名月もきれいだったろうと思う。
来年もみんなで行こう!秋山郷へ。