日本ペンクラブ 言論の自由に関する声明・意見書集 出版社及び著述家に対する法務省勧告に抗議する声明 2007 年 8 月 30 日 日本ビデオ倫理協会に対する公権力の介入に抗議する声 2008 年 3 月 17 日 自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省をうながす緊急声明 2008 年 4 月 3 日 屋外での写真撮影への公権力介入を憂慮する 2009 年 12 月 15 日 最高裁のビラ配布有罪判決に抗議する声明 2009 年 12 月 18 日 東京都青少年条例改定による表現規制強化に反対する 2010 年 3 月 18 日 映画「ザ・コーヴ」上映中止を憂慮する緊急声明 2010 年 6 月 15 日 田原総一朗氏に対する録音テープ提出命令に反対する 2010 年 11 月 9 日 東京都青少年健全育成条例の修正改定案に反対する 2010 年 11 月 25 日 私たちは大阪府教育・職員基本条例案に反対します 2011 年 9 月 26 日 東日本大震災 原発と原発事故に関する情報の完全公開を求める声明 2011 年 7 月 15 日 「秘密保全に関する法制の整備についての意見」 2011 年 11 月 30 日 出版社及び著述家に対する法務省勧告に抗議する声明 法務省人権擁護局は二〇〇七年七月十二日、東京法務局長名の勧告「奈良放火殺人事件に関する書籍の出版について」を、同年五月に刊行された『僕 はパパを殺すことに決めた』の出版元である講談社と、著者の草薙厚子氏に手交した。 しかし、その勧告を見ると、同書の著述と刊行を、一方的に「プライバシーの侵害」や「人権侵害行為」であると断定し、さらに「報道・出版の自由 として許容される限度を超えている」と決めつけ、「謝罪」せよと迫るなど、表現の自由にあからさまに介入する内容になっている。 そもそも現行の制度は、どのような基準で勧告や要請等の措置が取られるかが明確ではなく、それに対する反論や対抗・救済の手段も用意されていない。 過去の例を見ても、勧告等によって書籍の流通や販売が「自粛」されるなど、実質的な禁書措置になっている場合が少なくない。 表現活動や出版等において人権侵害があったのであれば、それはまず当事者間の話し合いによる解決や、事後的な訴訟による判断を待つべきである。 それを、公権力が一方的に書籍の内容にまで踏み込んで判断し、要請や勧告等を行って、その流通・販売を阻害するなどということは、民主主義の基本 原理である表現の自由を踏みにじるものである。 私たち日本ペンクラブは、自由な表現活動を擁護する立場から、このたびの法務省が行った措置に抗議するとともに、今後、同様の措置を取らないこ とを強く求める。 二〇〇七年八月三十日 社団法人 日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 日本ビデオ倫理協会に対する公権力の介入に抗議する声明 二 〇 〇 八 年 三 月 一 日、 警 視 庁 は 刑 法 猥 褻 罪 容 疑 で 日 本 ビ デ オ 倫 理 協 会 審 査 部 統 括 部 長 を 逮 捕 し た。 日 本 ビ デ オ 倫 理 協 会 は 自 主 的 な 審 査 機 関 と し て、 制 作 者 か ら の 独 立 性 を う た い、 か つ 自 主 規 制 と 表 現 の 自 由 と の 調 和 を 図 る た め、 第 三 者 機 関 と し て 学 識 経 験 者 に よ る 評 議 委 員 会 を 設 け、 長 年 に わ た っ て 活 動 し て き た 実 績 を 持 つ 団 体 で あ る。 その活動経緯のなかでは、乱立する審査機関の状況を改善するため、審査基準の統一化を図る努力をしたり、昨年の強制捜査の後には、法 律 専 門 家 に よ る 有 識 者 会 議 の 提 言 を 受 け、 さ ら な る 独 立 性 や 透 明 性 を 確 保 す る た め の 改 善 を し た り、 自 助 努 力 の 途 上 に あ っ た こ と が 窺 え る。 このような状況のなかで、昨年八月の強制捜査以来、半年以上にわたって継続的な事情聴取を実施し、事実上の日常業務の停滞を引き起こすとともに、 審査現場の責任者を逮捕することは、自主規制機関の活動を真っ向から否定するものといわざるをえない。 一連の公権力の振る舞いは、表現行為が罰則 による一律的な法規制に向かないものであるという基本的理解に欠けるのであって、本来的に予定されている表現者の自主規制や自助努力を否定するもの である。むしろ、日本ビデオ倫理協会が自主的な努力を引き続き行える環境を回復できるようにサポートすることこそが、公的機関の役割であるといえる。 日本ペンクラブは、表現の自由を擁護する立場から、本件に見られる業界の自主的な努力を否定する公権力の介入は、憲法が要請する表現行為に関わ る社会制度を壊すものとして看過できないので、強く抗議する。 二〇〇八年三月十七日 社団法人 日本ペンクラブ 会長 阿刀田 高 自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省をうながす緊急声明 報道によると、四月十二日公開予定の靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)の上映が、当初予定し ていた映画館の自粛措置により中止が相次いでいるという。さかのぼって 2 月には、グランドプリンスホテル新高輪で予定されていた日本教職 員組合(日教組)の教育研修集会が、受験生等への配慮からホテル側の会場使用拒絶により中止せざるを得なくなった。さらに年始めの 1 月 に は、 茨 城 県 つ く ば み ら い 市 で 開 催 予 定 だ っ た ド メ ス テ ィ ッ ク バ イ オ レ ン ス(DV) を テ ー マ に し た 講 演 会 が 中 止 す る 事 態 が 発 生 し て い る。 表現の自由はいうまでもなく、情報流通の自由であり、その自由が保障されるためには、意見表明の「場」が確保され、伝え手から受け手に表現 が伝達されなければならない。情報流通を担う者には、そうした民主主義社会に不可欠な表現の自由を守る社会的責務がある。にもかかわらず、先 に挙げた事例以外も含め、担い手側が十分にそうした自らの役割を自覚していないのではないかと思われる事例が続いていることを深く憂慮する。 確 か に、 映 画 館 と し て は 観 客 の 安 全 や ス ク リ ー ン の 保 護 を 考 え な く て は な ら な い だ ろ う。 ホ テ ル が 他 の 宿 泊 客 や 近 隣 の 影 響 を 考 え る 気 持 ち も 大 切 だ。 し か し、 一 度 集 会 を 断 り、 映 画 の 上 映 を や め れ ば、 そ う し た 動 き は 必 ず 連 鎖 反 応 を 起 こ し、 私 た ち が 大 切 に し て き た「 自 由 」 を 徐 々 に 蝕 み、 周 囲 に 気 兼 ね し な が ら 当 た り 障 り の な い こ と し か 表 現 で き な い 社 会 に な っ て し ま う こ と を お そ れ る の で あ る。 映 画 館 も ホ テ ル も、 そ れ ぞ れ の 私 的 な 営 業 の 自 由 が あ る に せ よ、 自 ら が 情 報 流 通 の 担 い 手 で あ り、 そ れ を 実 現 す る た め の 公 共 的 施 設 で あ っ て、 言 論 公 共 空 間 を 確 保 す る 社 会 的 責 務 を 負 う 者 で あ る と の 認 識 を も つ こ と を 強 く 求 め る。 ま し て や 自 治 体 が、 反 対 意 見 の あ る こ と を 理 由 に 集 会 を し な い の で あ れ ば、 ど の よ う な 集 会 が 認 め ら れ る の か 想 像 さ え で き な い。 日本ペンクラブは、このような、他人の意見に耳を傾け、多様な意見をたたかわせることで、より良き社会選択を実現するという社会の基本ルールが 壊れていく状況を、深く憂慮する。とりわけ、暴力によって強引に反対意見を封じ込めるだけでなく、反対意見の発露という形をとりつつ実質的に意見 交換の機会を奪う動きや、面倒ごとを畏れて自主的自発的に場の提供を渋る雰囲気が蔓延してきている傾向を看過できない。ここに、言論の自由や集会 の自由をはじめとした、民主主義社会を支える精神的自由の重要性と、そのための公共言論空間を社会として守る決意をここに改めて訴えるとともに、 関係者の猛省をうながしたい。同時に私たち日本ペンクラブ自身も、いっそう表現発露の場の確保に、今後とも努力していく所存である。 二〇〇八年四月三日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 屋外での写真撮影への公権力介入を憂慮する さる十一月十日、今年一月に刊行された写真集『20XX TOKYO』の撮影が公然わいせつに当たるとして、写真家・篠山紀信氏の自宅や事務所が家宅捜 索を受け、関係者への事情聴取はいまだに続いていると伝えられる。篠山氏は以前から同じように屋外で撮影した写真を発表してきたのに、今回突然、 昨年夏に行われた撮影が問題とされ、しかもいきなり家宅捜索が行われるという事態となった。 写真家にとって表現活動の一環である撮影行為に対して、公権力の介入が恣意的に行われるのはあってはならないことだが、今回の場合も、いきなり 家宅捜索を行うといった乱暴なやり方を含め、警察の対応には疑問を禁じえない。 表現の自由は、発表行為の前段である撮影や情報収集行為も含め、意見発表・表現行為とまったく同等に保障されるべきものであることは当然である。 今回のような取り締まりが恣意的に行われることは、表現活動への萎縮をもたらし、公権力による事前抑制行為となりかねない。 日本ペンクラブは、今回の事態を深く憂慮し、ここに声明を発表する。 二〇〇九年十二月十五日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 最高裁のビラ配布有罪判決に抗議する声明 日本ペンクラブは、最高裁判所が表現の自由をめぐって示した先ごろの判断について、強い抗議の意志を表明しておきたい。 最高裁は十一月三十日、政治的事項を表現したビラを一般市民が戸別に配布した行為を、住居侵入罪によって有罪と断じ、さらに十二月十五日、これ に対して行われた訂正要求を棄却し、判決が確定した。 表現の自由は、民主主義の根幹をなす原理である。戦前・戦中の日本を引き合いに出すまでもなく、表現の自由が抑圧された社会がどのような悲惨な 状況に陥るか、私たちは知っている。当時の言論弾圧について、司法もまた多大な責任を負っている。 戦後日本の民主主義はこの反省の上に立って、表現の自由を最大限保障してきたはずであった。表現の自由は新聞・テレビ・雑誌等、マスメディアの 存立基盤として語られることの多い概念だが、しかし、何よりもそれが、社会を構成する個々人が享受すべき基本的人権であることを忘れてはならない。 個々の市民がその思うところを自由に表現する機会がないところにマスメディアの発達はなく、民主主義の成熟もない。 そして、思想信条を記したビラを作り、あるいは配布することは、誰でもができる、また古くからある、もっとも基本的な表現行為である。マスメデ ィアの発達やインターネットの普及により、情報の発信と流通の回路が多様に高度化した現代であっても、いや、それだからこそいっそう、人がみずか らの思いを他者に伝えようとする行為の基本を大切に守り、育てていく必要がある。 ところが最高裁は今回の判決において、商業的ビラが思想や信条を記したそれの何百、何千倍も配られている現実に目をつむり、たった一枚のビラ配 布がほんとうに住人の生活の平穏を脅かす行為であったかどうかを丹念に検討することもなく、形式的に住居侵入罪を適用し、有罪判決を下した。 多様な意見を行き交わせることで成り立つ民主主義社会の理念を理解する者であれば、この判決の異様さは容易に指摘できるだろう。木を見て森を見 ないその姿勢は、かつて司法が分別なく、小心翼々と政治権力に追従した歴史を思い起こさせる。 日本ペンクラブはあの暗く息苦しい時代、活動を停止させられた歴史を持っている。それゆえに私たちはこのたびの最高裁の判断に対し、多いなる憂 慮を抱き、強く抗議するとともに、これに関わった関係者の猛省を促しておきたい。 二〇〇九年十二月十八日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 東京都青少年条例改定による表現規制強化に反対する 現在、東京都議会で審議されている青少年健全育成条例の改定案に対し、出版界の主要な団体やコミック作家などが強い反対の意を表明している。表 現に対する規制強化の意味を持つ今回の条例改定については、日本ペンクラブも危惧を表明せざるをえない。青少年条例による規制は、直接的には青少 年への販売や閲覧を制限するものとされるが、それが表現全体に影響を及ぼすことは明らかである。 そもそも性表現といった個々人によって受け止め方が異なる、デリケートな事柄については、国家や行政による法的規制や取り締まりを極力排し、表 現者や出版社等の自律による自主的規制などによって対処するのが好ましいことは言うまでもない。 今回の条例改定については、今日に至るまで、十分な市民的議論に供せられることもなく、表現に関わる規制強化という重大さに比して拙速に事が運 ばれている印象は拭えない。また、「非実在青少年」といった恣意的な判断の余地がある造語によって、表現行為が規制されることが好ましくないことも 言うまでもない。さらに、改定案の中に含まれるインターネットの規制についても、公権力がフィルタリング基準に関与することにつき、活発な議論を 通した上での合理的なコンセンサスが得られているとは、到底言えない。 表現に関する規制は、歴史的に見ても、恣意的な運用や拡大解釈の危険性が排除できず、表現の自由と、ひいては民主主義の根幹に関わる重大な弊害 をもたらすおそれがある。なぜいま表現規制を強化しなければならないのか、納得のいく説明もないままの今回の条例改定について、日本ペンクラブは 強く反対するとともに、同様な改定を予定している各地方自治体や政党に対し、開かれた場において冷静かつ慎重で十分な検討をすることを強く求める。 二〇一〇年三月十八日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 映画「ザ・コーヴ」上映中止を憂慮する緊急声明 言論表現の自由にとって残念な事態がじわじわと広がっている。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」の、上映自粛の 動きである。完成当初からその内容には賛否両論があった。その後、配給会社は国内上映に向け指摘されてきた法的な問題について解決すべき努力をし た上で、全国での上映予定を発表していた。 にもかかわらず、一部の団体の抗議を受けて、幾つかの映画館はすでに上映中止を決定し、私たちが作品を実際に見、考えるきっかけは奪われてしま っている。さらに本来表現の自由を重んじるべき大学までもが上映会を中止する事態に至っている。 私たち日本ペンクラブはちょうど二年前、同様の抗議行動によって映画の上映や講演会が開けない事態を憂慮し、声明を発表するとともに映画の上映 会を実施した。 いま改めて言う。自分の考えと異なる意見にも耳を傾け、その発言機会を保障しよう。そして、そうした場を提供する者として、映画館・大学を含む 公的施設は圧力に屈することなく作品の上映機会を提供できるよう、努力を重ねて欲しい。 息苦しい社会にならないために。 二〇一〇年六月十五日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 田原総一朗氏に対する録音テープ提出命令に反対する 神戸地方裁判所は十月十八日、ジャーナリスト田原総一朗氏に対し、田原氏が北朝鮮による拉致事件被害者の消息に関して外務省幹部に取材した際の 録音テープを「提出せよ」と決定した。決定は、関係する被害者家族が、この取材に基づいて同氏がテレビ番組で発言した内容によって著しく感情を害 されたとして提訴した裁判の証拠調べに必要と判断したと述べている。 北朝鮮による拉致問題が重要な社会的関心事であることは言うまでもないが、同時にまた私たちは、民主主義社会における言論表現の自由、ジャーナ リストの取材の自由、これらを確保するための取材源秘匿の重要性にも思いを致さなくてはならない。そうでなければこの社会は、独裁国家と変わらぬ 強権支配の国家に堕してしまうだろう。 田原氏側は録音テープの当該箇所を文字化した文書をすでに法廷に提出しているという。今回の決定は、その部分を含む録音テープ全体の提出を命じ たものだが、音声の開示が文字の場合とちがい、ただちに取材源の特定につながってしまうことは容易に推測できる。 かつて最高裁は「取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして重要な社会的価値を有する。報道関係者は原則として取材源にかか わる証言を拒絶できる」と認定した(〇六年十月)。この本旨にも反する疑いの濃い今回の決定は、ジャーナリストの職業倫理を踏みにじり、取材源との 信頼関係を壊し、ひいては言論表現の自由を基盤にした民主主義社会を傷つけるものと言わざるを得ない。 田原氏側は大阪高等裁判所に即時抗告しているが、以上述べたように、日本ペンクラブは同高裁がこのたびの録音テープ提出命令を取り消すことを強 く求めるとともに、報道に携わる組織や個人がこの問題に深い関心を寄せていただくよう訴えたい。 二〇一〇年十一月九日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 東京都青少年健全育成条例の修正改定案に反対する 東京都は十二月の定例都議会に青少年健全育成条例の修正改定案を再提出するという。これは漫画やアニメなどの表現、インターネットや携帯電話な どの電子的ツールの法的規制を通じて、青少年の育成環境から有害とされる性情報を排除しようというものだが、用語の変更等による部分的な修正は見 られるものの、あいかわらず根本において、公権力が人間の内面や言論・表現の自由の領域に関与・介入することに対する謙抑的な配慮が感じられない。 表現やコミュニケーションという民主主義社会の根本にかかわる配慮や規制は、自主的 ・ 自立的に行われるべきであり、そこにおける主体的な工夫や 試行錯誤が大人社会を成熟させるだけでなく、青少年が多様な価値観のもとで生きていく知恵と力を身につけるために不可欠な経験となることは、古今 東西の文学が描いてきた常識である。 これまでの、また今回の改定案も、公権力がある表現を「有害」かどうかを判断することについて、何の疑念も抱いていない。しかし、言論・表現に かかわる私たちは、戦前の日本の為政者たちが青少年の健全育成をタテに、まず漫画を始めとする子ども文化を規制し、たちまち一般の言論・表現の自 由を踏みにじっていった歴史を思い起こさないわけにはいかない。 また今回の修正改定案も、インターネットや携帯電話等に関し、青少年の利用を制限する責務を親たちなどの保護者に、これまで以上に広範に、画一 的に求めている。 これは、本来プライバシーの空間であるはずの家庭の中にまで行政的規制を持ち込み、私たちの内面の自由、良心の自由を侵蝕するものと言わざるを 得ない。 以上述べたように、私たちはこうした条例が言論・表現の自由をゆがめ、プライバシー空間にまで行政・公権力の関与・介入を許すものとして、改め て反対する 二〇一〇年十一月二十五日 社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田高 私たちは大阪府教育・職員基本条例案に反対します 教育は息の長い仕事です。多種多様な人間を育み、それによって社会と世界を豊かにする仕事です。 そこから「常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できる」人も生まれてくれば、「そんな目先のことより、自然や文学や歴史のほうが 面白い」「自分の暮らしや趣味や家族のほうが大切」という人間も育ってくる。いずれにしても教育は、人間をひとつの型やルールにはめ込んで管理する ものではありません。 さて、大阪府の橋下徹知事が代表を務め、府議会の最大会派である大阪維新の会は九月二十一日、「大阪府教育基本条例案」と「同職員基本条例案」を 議長に提出しました。同様の内容の条例は、大阪、堺両市議会にも提出予定と報じられています。 その案は多岐にわたりますが、こと教育に関して中心となるのは、知事が教育目標を定め、その下の教育委員会―校長―教職員を指揮命令系統のよう に序列化し、そこから外れると見なした教職員を一律に排除することでしょう。この条例が成立すれば、例えば学校行事では起立して君が代を斉唱する、 というような職務命令に三回従わなかったり、勤務評定が二年連続して悪かった教職員をほぼ機械的に免職できるようになります。 これはまるで工場の品質管理です。工業製品であれば一定の品質確保は大事ですが、それが人間に向けられると、不適格とされた人が生活を奪われる だけでなく、教育の場に均質の教職員だけが残り、均質の教育が行われ、均質の子供たちが育ってくることになる。果たしてそんなことで、「常に世界の 動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できる」人が育つでしょうか。 失礼ながら、右に二度も例示した、いささか時代がかった人物像は教育基本条例案前文から引用させてもらいました。この前文に他の人間像について の言及がまったくないところに、まさに指揮命令系統や規律・規範好きにありがちな、人間や世界についての均質な見方がすでに現われています。 日本ペンクラブは平和を願い、言論・表現の自由を何より大切にする文学者や文筆・編集関係者の集まりです。私たちの思想信条はさまざまですが、 思想信条によって人が序列化されたり、差別・弾圧されたり、また職場や地域や国から追われることには、これまでも反対してきましたし、これからも 反対します。 よって私たちは、大阪府教育・職員基本条例案に反対します。 二〇一一年九月二十六日 社団法人日本ペンクラブ 会長 浅田次郎 言論表現委員会委員長 山田健太 東日本大震災 原発と原発事故に関する情報の完全公開を求める声明 東日本大震災から四ヵ月間が過ぎたが、日本の政財界の中枢は明快な復興ビジョンを打ち出せないまま、権力と権益の姑息な奪い合いに明け暮れてい る。この間にも、メルトダウンを起こした東京電力福島第一原発は頻々と危機的状況に陥り、東北・関東一円の各所にさまざまな放射能被害を広げている。 しかし、震災復興や、原発事故について、もっとも事態を把握しているはずの政府と東電からもたらされる情報は、いつも部分的で、いつも楽観的で、 いつも遅れている。こうした恣意的な情報をマスメディアがさらに短くリポートするとき、現実はますます曖昧になる。 他方で、別の電力会社が原発運転再開をめぐる公開討論番組の放送に際し、社員などを動員し、一般市民を装ったメールを大量に送らせたり、また別 の電力会社は原発関係の裁判の傍聴に社員などを大量動員し、批判・反対派の傍聴を妨害したりするなど、原発をめぐる異様な出来事が次々と明らかに なっている。 エネルギー政策は、一国の政治・経済・社会構造を決定するもっとも基本となる政策である。ところが、この重要課題を考えようとしても、政府や電 力会社からもたらされる情報が恣意的で曖昧どころか、やらせメールや傍聴妨害等によってさらに歪められているとしたら、自由な議論、自由な民意の 表出などとうてい覚束ない。 日本ペンクラブはこうした事態を深く憂慮し、政府と東電に対し、三月十一日の原発事故以来、現在にいたるまでに収集した全データと、それぞれの 危機的状況に際して行った対応策とその結果についてのすべての情報の公開を求める。 さらにマスメディアには、政府や東電が発表する情報のリポートだけでなく、あるいは今日明日の安全か危険かについてだけでもなく、読者・視聴者・ 市民がみずからエネルギー事情の現実を考え、未来の選択ができるような深い報道を心がけるよう望みたい。 今日、ジャーナリズムはフリーのジャーナリストや個々の作家・詩人・批評家、映像制作者や一般市民などによっても担われている。政府と東電とそ の他の電力会社には、これらさまざまな立場の表現者が、原発施設とその周辺への立ち入りも含め、自由な取材活動を行えるような受け入れ体制を早急 に整えるよう要請したい。日本のあらたな民意を形成するためには、多様な言論空間を作り出すことが欠かせないからである。 二〇一一年七月十五日 社団法人日本ペンクラブ 会長 浅田次郎 宛先)内閣官房内閣情報調査室「意見募集係」御中 秘密保全に関する法制の整備についての意見 二〇一一年十一月三十日 社団法人日本ペンクラブ 現在の日本社会において総合的な秘密保護法制は要らないし、むしろ作るべきではない。これが、日本ペンクラブの結論である。以下は、その理由で あって、同時に今回のパブコメで提示された法制度への意見である。 (1)総論 いま、政府に問われているのは、秘密保全ではなく、情報の開示であり説明責任の履行といった情報公開法制度の強化である。東日本大震災以降、と りわけ原発・放射能情報にかかわる政府の態度は、一貫して情報隠しであり、情報統制である。これに対し、一般市民からの強い批判を受けてもなお、 再臨界可能性をめぐる東電の情報開示を性急で不正確な情報の公開として非難し、各電力会社への賛成意見工作(公聴会等でのやらせの強要)についても、 その事実を認めなかったり、場合によっては開き直る態度を示し続けている。こうした状況の中で、さらなる秘密保護のための法律を新設するなどとい うことはあってはならない。 そもそも現代の民主主義社会における政府(国家)は市民の信任と合意なしには存立し得ないものであり、市民は政府の保有する情報を最大限に閲覧・ 活用し、政府の適否を判断する権利を有する。この初歩的原則を等閑視し、市民社会とは別個に国家の存在があり得ると想定する今回の法制整備の考え 方には、民主主義成立の歴史的経緯に対する根本的無理解があると言わざるを得ない。 (2)立法事実 有識者会議の報告書(参考資料)で立法の理由として挙げる尖閣ビデオについては、すでに非公知性や実質秘性について疑義が出され、真に守るべき 秘密であるかどうか議論があるところである。警視庁公安情報にいたっては漏洩元と見られる行政機関がいまだにその存在を正式に認めていない。さら に報告書が示した過去 10 年程度の漏洩事例を見る限り、現行の公務員法等で規定する守秘義務で十分にカバーしうるものであって、新規に法律を必要 とする理由付けはきわめて希薄であって説得力に欠ける。 (3)秘密の範囲 今回示された法律案では、防衛情報のほか、外交・秩序維持など幅広い対象で政府情報全体を秘密のベールで隠そうとしている。そもそも、ここで保 全しようとする秘密とは何か。これまでも何度か秘密保護法制を設ける議論がなされた。-九七〇年代の刑法改正や、一九八〇年代の国家秘密保護法が その具体的なかたちである。しかしそこでも多くの場合、防衛秘密を中心として、その関連で外交秘密を含めて秘密の範囲としてきた経緯がある。このうち、 防衛秘密に関しては、自衛隊法の改正や、米軍秘密に関する協定を含む現行法制において、十分に秘密の維持がなされていると考えられ、強化を改めて する意味は存在しない。 外交秘密については、まさに沖縄密約情報公開訴訟で政府の対応が問題になっているところであって、むしろ、情報公開法や文書管理法の強化・充実 によって、日本においても公文書の保存や公開を制度上確立することが先決である。それなしに、秘密の範囲を外交情報にまで拡大することは、重大な 外交に関する政府の行為に関して国民による検証を不可能とするものであって許されるものではない。しかも、その秘密決定権者は行政機関の長すなわ ち大臣となることが想定され、省庁において安易に秘密指定され、秘密の件数が格段に増大することは、自衛隊法改正によって秘密指定権者を総理大臣 から大臣にしたことによって防衛秘密が急増した状況からも明らかである。 また、突如として「公共の安全及び秩序の維持」に拡大することによって、政府が保有する情報についてきわめて広範に秘密の網をかぶせることにな ると想像される。福島第一原発事故をめぐっては、政府や関係省庁が発信する情報は、直接的に私たちの健康、ひいては生命そのものにかかわるもので ありながら、透明性にも信頼性にも欠け、私たちの不安をますます増長させている。国家によるエネルギー政策を守ることが公共の安全を守ることに優 先するとは思えない。このような状況下で「公共の安全」を秘密の対象として行政が非公開を判定しようとすることについて、拡大解釈や恣意的運用を 疑うなという方にこそ無理がある。 (4)情報取扱者 さらにこの法案の問題点としては、秘密の取扱者に対する適性評価基準があいまいであって、調査項目にいたっては家族にまで調査の範囲を広げ、個 人の尊厳に踏み込むなど、評価対象者が差別を受けかねないものである。また罰則化や法定刑をこれらに加えることなどを考えると、流出した情報が公 益にかなった場合であっても、通報者はまったく保護されないことになり、せっかく法制化された内部告発者保護法(公益通報者制度)を骨抜きにする 恐れがある。 (5)罰則 重罰化による威嚇効果によって、情報の漏洩を防止するという考え方が示されている。しかし米国の例を見ても、重罰にしたからといって漏洩が防げ るというのは幻想に過ぎない。実際、過去の漏洩事例をみても、刑事罰の上限に届くようなものは存在しない。 (6)知る権利 今回の新法制度が「国民の知る権利」を侵害するものではないとわざわざ断り書きをつけ、その理由として立法によって指定される秘密はそもそも情 報公開法の適用除外であって対象ではないという。しかし現実には、沖縄密約情報公開訴訟や現在進行中の原発行政でも明らかなとおり、まさに政府の 恣意的な秘密指定がいま問題になっていることに、何の反省も配慮もないことが明らかである。また、外務省沖縄密約事件(西山記者事件)を例に、正 当な取材行為は保護されるというが、その最高裁判決によって守られたのは抽象的な「総論」としての取材の自由であって、実際に記者は逮捕され、そ の後も一貫して政府は文書の存在を認めないばかりか、秘密文書は秘密裏に破棄された可能性が指摘されている。 要するに、取材の自由は具体的に守られなかったのである。実態を直視せず、自由は守られていると強弁する政府が作る秘密保護法を、日常的な取材 を業とする私たちは断じて信頼できない。しかも、今回の法制度は新たに特定取得罪という名の「探知罪」の導入を提案している。これは戦前の軍機保 護法における探知収集罪への回帰にほかならず、こうしたスパイ罪を戦後の日本が持ってこなかったのは、戦中の苦い経験からである。この点は、1980 年代の国家秘密保護法案が上程されたときに充分議論され、この種の法制度を導入しないことを確認したはずではなかったのか。 以上
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