工業化のゆくえは - IDCJ - 一般財団法人 国際開発センター

開 発の理 論と現 場をつなぐ
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I n t e r n a t i o n a l D ev e l o p m e n t C e n t e r o f J a p a n
財団法人
国際開発センター
15年目のビエンチャン:工業化のゆくえは
1994年、旅行者として初めてラオスを訪れた。首都ビエンチャン
歴は小〜中学校卒程度である。いくつか訪問した工場で伺った話で
の当時の人口は約52万人。人口のわりには街中に車はおろかバイク
共通していたのは、工員の教育訓練の難しさ、定着率の低さだった。
すらほとんど走っておらず、シンと呼ばれる伝統的な巻スカートを
彼女達は、一言で言えば 田舎の子 。生まれてこのかた近代的な工
はいた女性がゆったりと自転車で通り過ぎていく姿が印象的だった。
場で働いたことはおろか見たこともない。いきおい、社内教育は
緑豊かな町で印象に残っている建造物は、パリの凱旋門をモデルに
「遅刻せずに出勤すること」
、
「休憩時間以外は持ち場から離れないこ
つくられたという戦没者慰霊塔(パトゥーサイ)くらい。街灯のな
と」
、
「無断欠勤はしないこと」といったところから始めることにな
い通りは夜8時ごろになると人通りもなく真っ暗で、心細い思いを
る。農業を生業とし、自然と向き合い、家族とコミュニティにいだ
したのを覚えている。
かれて育った彼女達にとって、工場は全くの異文化空間といっても
過言ではない。なかなか適応できず、
それ以降、何回かの仕事での再訪
を経て、今回はJICA委託の「ラオス
ある日突然出勤しなくなる者、農繁期
国工業開発準備調査」のコンサルタ
を理由に欠勤し、そのまま戻ってこな
ント団員の一人としてラオスにやっ
い者も少なくないそうだ。そうならな
て来た。
いように、毎月お誕生会を催すなど家
庭的な職場環境作りに心を砕いている
現在、ビエンチャンの人口は約74
企業もある。
万人。朝と夕方にはちょっとした交
通渋滞が発生するほど、車とバイク
これと似たような話を、15年余り前
が増えた。シンをはいている女性は
にタイ東部の農村で調査をしていた時
少なくなり、服装は現代風に垢抜け
改築中のモーニング・マーケット。8階建てのショッピング・モール
に生まれ変わる予定
に聞いたことがある。丁度、工場の進
出がバンコク近郊からより外延の地方
た。夜はバーやディスコの電飾がき
らめいている。町のいたる所で新しいゲストハウス、ショッピング
へと広がっていた頃で、操業を始めたばかりの工業団地に入居した
センター、官公庁舎などを建築中で、噂によると観光客が集中する
企業の責任者が、時間感覚のルーズさや、給料日の翌日から出勤し
セタティラート通りとメコン川の間のエリアでちょっとした土地付
てこない工員のエピソードなどを聞かせてくれた。今、この工業団
のショップハウスを構えるには、数千万 円 (Ž)かかるとのこと。
地を再訪しても、同じ話が語られることはもうないだろう。
2008年のリーマンショックで建築ブームは一時下火になったと聞い
ラオスが、タイと全く同じ産業構造の変化と経済発展の道を辿る
ていたが、なんのその。昨年12月に開催された東南アジア競技大会
とは思わない。しかし、農村社会が多かれ少なかれ工業化の波にさ
(SEA Game)の影響もあろうが、ちょっとしたバブルの様相である。
らされる過程において、人々が日常的に肌で感じる変化には、ラオ
しかし、首都といえども、中心街から20分も車を走らせれば昔と変
わらぬのどかな田園地帯が広がる。そんな地域に、あちらに1つ、
こちらに1つ、といった感じで工場が立地しているのだ。
スとタイの農村とでそれほど違いがあるとも思えない。
初めてラオスの地を踏んで15年がたった。15年後、再び自分がラ
オスで何を思うのか。楽しみでもあり不安でもある。
(IDCJ主任研究員
ビエンチャンで操業している工場は、アパレル関係が圧倒的に多
い。工員の多くは、近くに住む10代後半から20代の女性で、最終学
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今瀬直美)