近代日本における避妊の受容と家族の情緒化 奈良大学 1 宮坂靖子 目的と方法 戦前期の四大女性雑誌の中の『婦人公論』『主婦之友』を対象に、1916~1930 年に掲載され た避妊(産児制限などの出生コントロールの総称)に関する記事を資料して(全 62 記事) 、主 に 1920 年代において、避妊をめぐる言説が新たな家族規範の形成及び変動といかに関連して いたのかを、 「家族の情緒化」の視点から考察する。読者の投稿記事の内容を中心に扱う。 2 先行研究の検討 家族史領域では基本的に避妊を家族計画の観点から捉えており、女性雑誌の投稿記事から、 当時の避妊方法や避妊実行の理由を主に女性の視点から明らかにしたもの(宮坂,1990)など がある。近年では、歴史社会学、ジェンダー史領域におけるセクシュアリティ研究に大きな展 開がみられ、1920 年代には「性欲の時代」 (川村邦光)を迎え、1920~30 年代には「夫婦間性 行動のエロス化」(赤川学)が促進されたことにより、避妊に対する関心が男性の間で急速に 増大したことなどが明かにされている(川村,1996、赤川,1999、荻野,2008、林,2009 など)。 3 結果-避妊実践と夫婦関係 避妊に「成功」した記事の夫婦関係に着目すると、避妊に対する夫婦の協力的な態度が特徴 的である。夫が避妊実践のイニシアティブをとるケースもあり、避妊に関する情報や方法(避 妊具)の収集にあっては、夫の知人・友人ネットワークが有効に機能していた。逆に避妊の「失 敗」談においては、夫婦関係の悪化という言説を用いている点において共通性があり、避妊と 神経症(神経衰弱)が関連付けられていた。コンドームの使用に対する嫌悪感は強く、神経衰 弱を引き起こす原因として語られていたし、避妊を否定する根拠として神経症(神経衰弱)を 用いる論法も見られた。女性の投稿記事には、夫婦関係悪化の原因を避妊に求め、自然(天) の理に反した避妊という行為を反省することによって、 「幸福な夫婦関係」 「幸福な家庭」を取 り戻すというストーリーが立ち現れており、産児制限運動家などの知識人よりも医師の影響を 強く受けていた。 4 結論-避妊の受容と家族の情緒化 デビッド・ノッターが指摘した通り、日本の近代家族は恋愛結婚を家族成立の用件としなか った点に特徴がある(ノッター,2007)。恋愛結婚を経由せずに成立した日本的近代家族が、 「家 庭」という概念や「家族愛」という情緒的規範を定着させていくためには、何らかの情緒化装 置が必要になる。 「性-愛-結婚の三位一体」という「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」 の成立のためには「純潔」概念で必須であるという指摘も既に成されているが(ノッター,2007)、 家庭の形成のためには「夫婦和合のための性」という意味付けが付加される必要があった。避 妊という行為は、夫婦愛と母性愛などの親子愛の形成を接合させ、近代家族化を推進する契機 として作用したと考えられる。 (注 1)参考文献リストは紙幅の制限により割愛せざるをええなかった。「報告原稿」参照のこと。 (注 2)本報告は、文部科学研究費補助金(基盤研究(C))「日本的近代家族の成立における性と生殖-少子化・専 業主婦化・家族の情緒化」(平成 20-22 年度,課題番号 510245,研究代表者:宮坂靖子)の一部である。
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