なぜクリスマスは大切なのか?

なぜクリスマスは大切なのか?
マーク・ボイル
日本に住んでよかったことの一つは、僕
に出会わなかったら知り得なかったかもし
れない母国の文化を、日本の人たちと共
有できることだ。といっても、クリスマスは、
それに関して何もいまさら伝えることはな
いほど、すでに日本でもおなじみの祭りと
なっている。クリスマスは、冬の気温が低
くなると、だんだんその気配が感じられる
ようになるが、今年、私は家にいた時と同
じようなことにここでも気づいた。今治では
街中、特に銀座には、飾りつけが増えイル
ミネーションが輝き、「フジグラン」では、急
にギフト関連の品物があふれだし、しばし、
仕事や学校から解放される期待感で次
第に活気がみなぎってきた。
これらは似ている点だが、一般に、ア
イルランドや西洋の家庭のように、クリス
マスはここではさほど意味をもつもので
はない。中国や、他のアジアの国々同
様、日本では、元旦が1年の内で最も
大切な日とされていて、もし、元旦がゴ
ール方向なら、クリスマスの日は単にス
タート係り、プレゼントや、ケーキ、もちろ
んサンタさんなどで賑わう冬休みシー
ズンへのキックオフのためのものに過ぎ
ない。これらの様子は、国によって多く
の違いはあるが、クリスマスを祝うほとんど
の国に共通している。例えばアイルランド
では、クリスマスケーキは、加工されたフ
ルーツがいっぱい入ったとても甘いケーキ
で、時には、寒さ対策にウイスキーも少し
加えたりする。フランスでは、大きいペスト
リーの方が好まれるが、所によって、中に
入っているものに幾分違いがあるようだ。
以上のことから次の疑問が出てくる:も
し、どの国にも独特のクリスマスケーキが
あり、人それぞれクリスマスのお祝いの仕
方が違うのなら、クリスマスの意味は一体
何なのだろうか?クリスマスと言う日は、お
祭り騒ぎをするために、365日の中からた
またま選ばれた日にすぎないのではない
のか?
おそらく、クリスマスの意義として最も明
らかな点は、宗教的な面があるということ
だろう。それがクリスマスのそもそもの理由
であった。キリスト教徒にとってクリスマス
は、我々人類を救うために天から遣わさ
れた神の子イエス・キリストの生誕を祝う
日である。(ユダヤ教やイスラム教でさえ
も、イエス・キリストを偉大な預言者の一
人として認めている。)だからこそ、クリスマ
スの日には、世界中のキリスト教会に大勢
の人が押しかけ、1年で最も賑わう日にな は特例として寛容になる時なのだ。アイル
ランドで私がクリスマスについて子供たちに
るのだ。
教えていた時は、このようなことを説明す
クリスマスは、確かにキリスト教徒にとっ るのが得意だったが、残念ながら、日本語
ては大切な日であるが、最も重要な日と では十分に伝えられるほどの能力はない。
いうわけではない。その人次第だが、キリ
ストが亡くなった日に開かれるイースター 私が彼らに話した内容は次のようなもの
の方が、二つの宗教的儀式を比べるとよ だ。おそらく、最もよく知られたクリスマスソ
り大切かもしれない。クリスマスには、アイ ングは「Silent Night」だが、それはほとん
ルランドのどの小学校でも、子供たちは両 ど全ての主要言語に訳されて世界中に知
親の前で劇を披露するのが通例だ。イエ れ渡っている。(日本では、「きよし、この
スキリストが、現在のパレスチナでも今なお 夜」)そのオリジナル曲は、ドイツで作曲さ
名高い町「ベツレヘム」にどのようにして生 れ、歌詞はドイツ語から英語に訳され、さ
まれてきたのかを、厳正に練習して、演じ らにフランス語などの他の言語にも広まっ
ていった。さかのぼること1914年に、フ
ランスとイギリスはドイツとの冷酷な戦争
に明け暮れていた。フランス北部やベ
ルギーでは、銃弾や爆弾が飛び交い、
何千人もの若者が毎日のように亡くな
った。
るのである。よって、幼い時から、誰もが宗
教的な意識を持つようになるのだ。信者
であろうとなかろうと、たいていの人にとっ
てのクリスマスはイースターより大事なもの
で、そこに明らかに宗教を超えたクリスマ
スの意義があるのだ。
クリスマスは、1年の内で、ほとんど全て
の人が我が家へ帰り、家族と過ごし、旧友
に会うために大移動する時期である。12
月22日、私は、4つの国、9つの時間帯を
乗り越え、アイルランドまでの約12,000
キロ、46時間の旅をスタートさせた。大変
な旅だが、不平を言わず、わくわくしなが
ら旅立った。なぜならクリスマスだからだ。
到着するや否や、誰かがいらだつようなこ
とを言ってきたが、口論にもならずに簡単
に聞き流すことができた。だってクリスマス
だから・・・。健康面を考えずにお腹いっぱ
い、体が受け付けなくなるまで食べて飲ん
で・・・これもクリスマスなのだ。(我が家は
料理上手な家庭である。)
これらは、なぜクリスマスが西洋で大事
なのかを示す例である。大事なこと(愛す
る家族や友人と過ごすこと)をするために、
そして、つまらないこと(仕事、いさかい、
ダイエットなど)を忘れるために、クリスマス
ところがクリスマスイブには、壕に集ま
ったドイツ兵がこの有名な曲(サイレント
ナイト、ホリーナイト)をドイツ語で歌い始
めた。やがて、敵方のイギリス兵やフラ
ンス兵の耳にもその歌声が入り、めいめ
いの国の言葉で歌の輪に加わった。最
初は恐る恐る始まったのが、次第に声は
大きくなり、双方の兵士たちは、装甲した
壕のへりの上から頭をのぞかせ、やがて静
かに戦場に出てきた。いかなる場合でも、
戦場で動くということは、ある意味、死を意
味することに違いない。相手が撃ってくる
か否かは全く不確かなことだったが、彼ら
はとにかく出て来た。そして、敵と握手を交
わし、贈り物やたばこを分け合い、被弾し
て穴だらけの中間地帯で、フットボールゲ
ームに興じさえもしたのだった。翌日には、
彼らは自分たちの陣地に戻り、再び血ま
みれの戦いが始まった。しかし、クリスマス
の日だけは例外として、自分たちを殺そう
としている、また自分たちが殺そうとしてい
る敵と、しばしの平和を享受したのだ。
たとえ1年に1度であっても、正しいと思
うことを行おうとする善意を人々から引き
出すクリスマスの力と重要性を象徴するの
に、私にとっては、この話をおいて他には
ない。
今治の皆さんが、楽しいクリスマスを過ご
せますよう、そして来る年が幸多き年にな
りますようお祈りしています。
訳:矢野 みづほ(Mizuho Yano)
February / March 2011 i-News 8