“まみず”の世界 瀧 久和 「まみず」との出会い 皆さんこんにちは。瀧久和と言います。今日この場に は、すごく懐かしい方も初対面の方も何人かおられます が、今日は宏南会の総会ということで、ずいぶん前から大 塚さんから、何か話をということで依頼を受けました。ど ういう題名がいいですかというと、何でも話せる題名がい いということで「まみずの世界」という題をつけて頂きま して、今日はそのお話をしたいと思います。 和田重正先生と初めてお会いしたのが30数年前、確か昭 和44年か45年でした。今ご紹介頂いたように、解脱会とい う宗教法人に勤めておるわけですが、当時は30年後にこう いう姿になっている自分を全く想像もしていませんでし た。今振り返って初めて、ああそうだなという感じで、現 在の自分をしみじみと感謝の気持ちで受け止めることがで きるのはとても不思議なことで、そのことも今日の話しの 中に織りこんでみたいと思っております。 そういうことをずっと振り返ってみますと、自分の意志 とか、自分が将来こう生きたいとかが、その折々にはある わけなんですが、決してその通りに進んできたわけではあ りません。ですけれど今振り返ってみると、ここを越えた ところから、あるいはもっと深いところから一貫して現在 に至るまで導かれてきたといいますか、運ばれてきたとい いますか、そういう感じの現在の自分だなとしみじみ思う んです。何が運んできてくれたのかというと、「まみず」 だったなという感じなんです。「まみず」というのは清水 のことで、それは象徴的な表現ですが、和田重正先生はよ く「まみず」ということを仰っておられて、それは何かと いうと、誰でも人間存在の一番根底のところにいつもこん こんと湧きいずる泉のように、何ににも穢されていない生 命の清水のことです。そういう流れというものが必ずそれ ぞれ一人一人の中にあって、その流れというのは決して孤 立したものではなく、みんな大宇宙のいのちの世界といい ますか、いのちの「まみず」が自分の中にも流れていて、 そういうものに対する信頼感を持ってそれに委ねて生きて いけばいいというふうなことを、僕は和田先生との出会い によって教えて頂いたと思っています。 今になって初めてそうだったなと気づけるような形で、 自分の中にある「まみず」によって今日まで運ばれてきた という感じがしております。その間、こちらの方では自分 の意志とか思いとか、そういうところでいろいろ悩んだり つまずいたりしながらも、根底のところで今申しあげた、 いわばいのちの世界によって運ばれてきたなというのが実 感です。そういうことを今日はお話したいなと思って参り ました。 大学紛争 具体的なこれまでの自分のことを話しながら、そういう 話をさせて頂こうと思っておりますけれど、さっき申しあ げたように、昭和44年か45年に和田重正先生に初めて 出会いまして、その当時のことはほとんどの方がご記憶か と思いますが、僕が大学に入ったのが昭和43年で、その 当時は大学紛争の真っ盛りでした。僕は東大という大学に 入ったのですが、入学式に安田講堂の中でセレモニーがあ って、その式典の途中にヘルメット学生がなだれこんでき て、入学式がお流れになりました。 大学に入って、6月には全学ストライキで全く授業がない 状態が1年近く続く中で、僕の学生生活が始まりました。そ れまでの自分というのは、僕は神戸の生まれなんですが、 政治のこととかにあまり深い関心を寄せていたとはいえな く、今思えば非常に幼稚な考えといいますか、そういうも のとは離れた、家庭の中で守られて育ってきた自分が、い きなりそういう大学紛争の中に放りこまれるような状態の 中で大学生活が始まったわけです。 連日仲間との討論があって、そこで周りの人達と比べ て、自分の幼さ、自分のものの考え方の至らなさを感じま して、言ってみれば劣等感に近いような気持ちがあったよ うな気がします。しかしその当時も、大学のあるべき姿と か、将来の日本の姿とかを闘争の中で討論をしたりしてい たわけで、自分なりにそういうものを考えてはいました。 そういう中で次第に僕が関心を持っていったのが宗教的な 世界でした。 その一つのきっかけというのが、大学闘争の中でいろい ろなセクト間の争いがあって、流血の事件が頻繁にあった 殺伐とした雰囲気の中で、お互いにいろいろな主張を闘わ せながら、相手を非難したり、あるいは自分の正当性を主 張したりという世界があって、それはそれとして理解しな がら、でも何か違うなという感じがありました。そういう 中で、だんだんと自分が入りこめないことに後ろめたさみ たいなものを持ちながら、でもそうじゃない、ちょっと違 うなという感じをいつも持っているような大学時代でし た。そういう中で宗教的なものに惹かれるようになって、 解らないながらも、特に読んだのが親鸞さんとか道元さん で、いつも手元に文庫本を持っていました。 昭和43年に入学して、例の安田講堂の攻防戦というの がありまして、それから1年ぐらい経って大学闘争が表面上 下火になるわけですが、その直後ぐらいに和田先生に出会 いました。 和田先生との出会い 直接のきっかけというのが、僕は兄と一緒に下宿生活を していまして、その兄が知人を通して、「まみず」という 小さなサイズの月刊誌があったんですが、こういう本があ るのだと紹介されて、それを読ましてもらったのが最初で して、その中に和田重正先生や内山興正さんや松居桃棲さ んや、今思えばそうそうたる素晴らしい方々の文章が並ん でいました。 その中に、それまで僕が経験していたものと全く違う世 界を感じまして、非常に清らかな、世間的な評価や価値観 というものを無視するわけではないけれど、そういうもの を超越したような世界が、全編に溢れているような雑誌で した。その直後ぐらいに和田先生のご著書である「あしか びの萌えいずるごとく」「山あり花咲きて父母いませり」 の2冊の本を読んで感動しまして、こういう世界があるのか と本当に心が打ち震えるような感じがしました。 それが僕にとっての宗教的な世界に対する開眼、眼が開 かれた時であったなと思います。それでぜひ和田先生にお 会いしたいということで、当時、毎月のように御茶ノ水の 聖堂の談話室のようなところで、「まみず会」が開かれて いまして、「まみず」という雑誌は今は残念ながら無くな ったのですが柏樹社という出版社で出していまして、柏樹 社の中山社長が主催で、そこに和田先生はほとんど毎回同 席されて、こじんまりとした10人そこそこの集会だったの ですが、そこに兄と初めて一緒に行かせてもらいました。 その時の和田先生の印象は今も覚えているのですが、生 き生きとした子供のような眼差しで、興味津々の子供が夢 中になって遊んでいるような瞳をされた先生だなと思いま した。その時はもう60代後半の歳だったと思います。そ れから5年くらいは頻繁に、まみず会や丹沢の一心寮に、 今はくだかけ生活舎になっている場所ですが、通いまし た。 そういうところで、僕の現在に至るきっかけになる時代 だったなと思うのですが、その当時は将来自分はこういう ふうに進もうかと思っていたわけではなく、当時思ってい たのと現在の姿とは全く別もので、思いもよらないような その後の人生の展開はあったのですが、そのことがきっか けとなって現在の自分があると思っています。それから頻 繁に和田先生のご著者を読んだりお話を伺ったりしまし た。当時は一心寮の会合が毎月ありまして、そういう会合 に出席させて頂いたり、和田先生を囲んで本当に僅かな 5、6人の方々とお話をする機会があったり、夏や冬の合 宿に参加したりしました。 進路の迷い 当時、僕の心の中では、特に大学卒業間近になって、自 分の将来の進路についてずいぶん迷いがありました。自分 の心の中には、こういう方向に進みたいという熱烈な思い がありながら、それに対して具体的にどういう職業に就く かというとなかなか決められませんでした。大学を卒業し ても決まらずに卒業を伸ばしたり、卒業した後もぶらぶら する時間が3年から4年ありました。その中で自分は、心 の中では苦しんでもがきまわっていた時期が続きまして、 そういう時に一度和田先生にアドバイスを頂こうと、それ をお話したことがありましたが、僕の満足するような返事 は頂けませんでした。 こうなればそれが解消されるとか、こういう道がいいの じゃないかとか、そういうことはいっさい仰らなくて、現 在の自分の苦しみを大事にしなさいというお言葉を頂きま したが、当時の僕はなかなか納得ができなくて、そんなこ とを言われてもじゃあどうすればいいのかという気持ちが とても強くて、それからもずいぶん迷う時期が続きまし た。もうこれ以上どうしようもないという悩みの極点まで いったような時に、ある一つの体験がありまして、それが きっかけになって現在の自分に至っているわけです。この 話は具体的に話しても誰にでも通用するような話ではない ので、そこのところはお話しない方がいいと思っていま す。 解脱会 解脱会という宗教は、実は僕が生まれて間もない頃に両 親が、父親の商売の関係のご紹介でご縁を頂いていた宗教 なんです。子供の頃からずっとそこの感謝会という集会に 通っていまして、どういう宗教かといいますと、日本古来 の、神棚をお祭りすると同時に仏壇をお祭りしたり、お天 道様に手を合わせたり、土地の氏神様に家族の無事の感謝 の祈りを捧げたり、その時々の家族の状況を報告しに行っ たり、お正月に初詣に行くとか、そういったものが日本人 の伝統の中にずっとあって、これが特に信仰だといえない ほどの生活に密着した形のものを大切にしようという団体 で、基本にあるのが神道で、それに合わせて日本人にとっ て仏教的なものも神道的なものも合わせた信仰形態が素朴 な形で現在も続いているわけですが、それを生活の中にも っと自覚的に蘇らせて、そういう信仰に基づいた生活を送 りましょう、神様のご加護に感謝して、今日の一日を感謝 の気持ちで過ごしましょうということです。今日の生かさ れていることに対する感謝、人のお蔭を頂いていることに 対する感謝、特にご先祖のお蔭を頂いて今日の自分がある んだという、要するに命の根源に対する感謝の気持ちを持 ちながら今日一日を過ごしましょう、少しでも世の中の 人々の喜びにつながるような生き方をしましょうと、そう いう人達の集まりだと思って頂いていいと思います。 そういう宗教に子供の時代から我が家がご縁を頂いてい まして、当時僕自身は親に連れられて毎月の感謝会に行っ たり、家では神様に手を合わせたり、ご仏壇に手を合わせ あり、ご先祖にご供養を申しあげたり、そういうことは生 活の一部として染みこんでいましたので、そういうことは ずっとしながら育っていったんですが、その教えそのも の、宗教そのものに対しては特別の関心は持っていません でした。 高校、大学の頃になりますと、むしろ両親が学んでいる 解脱会の教えに対して、低次元な教えで、ちょっといかが わしいという感じを持つようになっていまして、高校の頃 からはいっさい解脱会には行かなくなっていました。 和田先生と出合ったのがそういう時代でしたので、まさ か解脱会の信仰を持つなんて当時は思いもよらないことで した。将来を必死になって求めながら、それを得られない 苦しみの中でのたうちまわっていた時代で、その挙句の果 てに、そういうものに出会う経験を頂いたんです。その体 験でどういうものが自分の中に与えられたかというと、当 時解脱の教えに対して横を向いていたり、軽蔑していた自 分なんですが、そういう時でさえ、何か自分を越えたとい いますか、自分の思いの中ではいろいろ悩んだり苦しんだ り、これは違うんじゃないかと迷ったりしているわけなん ですけれど、そういうものがありながら、それを越えた大 きな世界からいつも自分を見守るというか、導くという か、これは人格的なものではないんですが、何か自分の意 志や思いを越えたところから常に守られていた、導かれて いたという実感をその時の体験で痛感させてもらったんで す。 命の根底 ああ、そうだったのか、いろいろ迷っていたけれど、自 分はそういう中で守られていたという安心感というか、そ ういうものをその時に頂いたんです。それが僕の現在に至 るまでの出発点になっていると思うんです。その当時は解 脱の教えは知識としてはゼロに近くて、どういう教えかは ほとんど知りませんでした。解脱の教えが素晴らしいから 入信したわけではなくて、その当時は解脱の教えが何たる ものかを知らないで、今言ったような体験があって、その 体験が僕の入信の動機なっているんです。 でも不思議なことに解脱の教えに対する疑いというもの はなく、教えがどういうものか知らないのにあったのは安 心感だけでした。それは宇宙に満ち満ちているいのちの世 界といいますか、そういうものによって常に自分が包まれ て導かれていた、そういう実感だったと思います。 僕にとって「まみず」というのはそういう存在なんで す。「まみず」というのは自分の中にもあったんだな、素 晴らしい人の中にだけあるものじゃなくて、こういう迷っ たり悩んだりしている自分の中にもこんこんと流れてい て、自分では気づいてはいないけれど、そういうものに運 ばれてきたんだなというのが、その時の体験だったなと今 になって思います。 そういう体験を頂いたということが僕にとってとてもあ りがたいことで、僕の信仰はいってみればそれだけなんで す。もちろん解脱会には入っていて、拝む対象があって教 義があるんですが、そういうものと、学生時代に親鸞さん の本を読んだり和田先生のご著書を読んだりして感じられ るものと、僕の中では全く仕切がなくて同じものなんで す。そういうものによって今まで導かれてきた、目には見 えないけれど自分の命の根底を支えてくれる、「まみず」 の世界に対する信頼感というものを僕は持っています。そ れは中途半端な信頼感ではなくて100パーセントの信頼感で す。例え自分にどんなことが起ころうとも、でもこれでい いなという安心感というものを頂けたのが僕にとって本当 にありがたいことだったと思います。それは和田先生との 出会いによって自分の中に自覚させて頂いたことだったと 思います。さっき言ったように、和田先生との出会いの 後、そのことを垣間見るような体験を頂きましたけれど、 それが見えたからといって悩みがなくなったわけではな く、その後も悩みの連続で、自分の進路に対して迷い迷い きているわけですが、そういう迷いがありながらも、でも そういうものに対する信頼感には揺るぎないものがありま した。そういうものが僕にとっての宗教といいますか、信 仰の根底にあるものだなと思っています。 アメリカでの生活 それから30年ぐらい経った現在の自分なんですが、現在 は解脱会という宗教団体でお使い頂いていまして、アメリ カのカリフォルニアにもいくつかの解脱会の教会がござい まして、そちらの方に2ヶ月に一回ぐらいの割合で、だいた い1年の半分はそちらに行くという生活が、ここ10数年続い ています。向こうでの体験を少しお話したいと思います。 特に3年前にテロ事件がありまして、当時僕はアメリカのロ サンゼルスにいまして、あの事件が起きたのは向こうでは 朝でした。 ニューヨークとロサンゼルスは3時間ぐらいの時差があり ますから、ロサンゼルスではまだ暗いうちで、ある向こう の知人から早朝に電話があって、すぐにテレビのスイッチ を入れなさいということで、それでテレビでその事件を知 りました。それからはアメリカの身近な生活の場でも雰囲 気が一変してしまいました。いろいろな所で警備が厳しく なるし、とても住みづらい雰囲気がありました。当時はテ ロリストを擁護するとかアメリカの方針に反論をするとか が全くできない雰囲気が1年ぐらい続きました。 本当にそれまでとはガラリと変わって愛国心一色の国に なってしまって何も言えないという時期がありましたけれ ど、またゆり戻しといいますか、いろいろな立場からの意 見が言えるような雰囲気が出てきて、その点ではアメリカ というのはバランスのある国だなという印象を持ちまし た。 テロが起きてちょうど1周年の頃の話なんですが、テロ事 件の犠牲者の慰霊祭がありまして、その時に僕はあるテレ ビ番組を観ていました。ニューヨークのツインタワーで亡 くなった方々にいろいろな形で縁のあった方々が、1年経っ てどういう気持ちですかとインタビューされる2時間のドキ ュメンタリーがありまして、それぞれが自分の愛する人を 失った深い悲しみを表明して、それが癒されない気持ちと か、テロリストを憎む気持ちとかが率直に表現されていま したが、その中で、あるキリスト教のルーテル派というプ ロテスタントの一派の牧師さんの発言が僕にとっては非常 にショッキングでした。 テロの起きた直後にテロで亡くなった方々の慰霊祭がヤ ンキースタジアムであったんですが、その当時はまだ生存 者がいる可能性のある時期で、テロからまだ1週間経たない 時期でしたから、そこに来ている人達も何とか自分の家族 が生きていますようにという必死の祈りを持って参加され ましたが、そこでの祈りをリードしたのがこのルーテル派 の50歳前後ぐらいの方でした。 その時には、いろいろな立場のいろいろな宗教をバック グランドに持った方々が同じ壇上に立って手を取り合って 共に祈りましょうという形の集会でした。僕もその時のテ レビを観まして、とても感動したのですが、その人の言っ ていたのは、そのテロの直後から自分の所に猛烈な抗議の 電話が掛かってきたという話でした。 それは自分の属している同じルーテル派の牧師や教団の 人達からの抗議の電話で、それがひっきりなしにかかって くるわけです。その内容は、けしからん、なぜお前はあの 壇上で他宗派の人達と手を取り合って祈りをしたのかとい うことで、日本人にとってはちょっと想像外のことと思い ます。そしてその牧師は、おまえはルーテル派の牧師とし ての魂を売り渡した、ルーテル派の牧師としての資格はな いと言われ、除名されるわけですが、そのことをそのイン タビューで言っておられました。 そういう世界があるというのは、私達にとってはびっく りするようなことだと思いますが、しかしびっくりする方 がおかしいといいますか、そういう現状があるということ は僕の実感なんです。これはアメリカだけではなくて、世 界中が今申しあげたようなことはむしろ一般的なことなん です。どういう宗教であれ、どういう思想であれ、その人 達と同じ壇上に立つとか対話をすることは非常に特殊なも のであるというのが世界の現状であると、その時のテレビ を観ながらつくづく思いました。 そのことだけではなく、僕はアメリカで生活するように なって10年ぐらいになるんですけれど、その中で折にふれ て感じることはそういうことでして、そういうことという のは、人間の心の中にあるなというのが本当に実感として あるんです。 今回のイラクの戦争とかアフガンの問題とか人質の問題 とかをニュースで聞くたびに、日本人にとっては驚きの連 続であるわけですが、むしろそういう土壌というものは世 界の中に現としてある、そういう中に自分達はどういうふ うに生きていくのか。特にあのテロの後、自分自身の生き 方に鋭く問いかけられているような気がしています。 宗教と平和の問題 平和の問題とか、いかに戦争に明け暮れている世界の現 状を平和の方向にむけて自分はいったい何ができるのかと いうことを本当に真剣に問われているように僕はずっと感 じております。大きなことはできませんけれど、思ってい ることはあります。特にイラクの戦争とかパレスチナの問 題などを実際にその当事者の立場に立ってみると解決は非 常に難しいことだというのは、重々わかりながらも思うこ とがあります。 それは、やはり人間の平和とか他者との相互理解とかい うものを促進していくことの元になくてはならないこと は、どういう価値観の違いであれ、宗教の違いであれ、思 想の違いであれ、こちらが正しくて相手を批判するという 立場になりがちですが、決してそういう中から平和が生ま れてくるのではなくて、やはりまず相手の立場を理解しよ うと努めていくことが大事で、それは不可能なことではな いと僕は思うんです。 宗教の違いというのはものすごく大きなことで、神様の 違いや教義の違い、僕の解脱会の中でさえそういう傾向が ないわけではないのですが、やはりここの宗教が素晴らし いと思う人達の集団ですから、この教えが最高だとか、こ の神様が最高だという気持ちを皆持っています。 だけどそれはお互い様で、違った宗教団体にいる人達も やはり同じことを思っているわけですが、その中にいると だんだんと見えなくなってきて、こちらが本物であっちは 偽者だとか、こちらだけが正しくてあちらは程度が低いと か、そういうものを信じたら地獄に落ちるとか、笑い話の ようではありますが実際にある話です。そういうことは世 界的にみると当たり前の話で、イスラム教とかキリスト教 とかいろいろな派があったり、いろいろな主義、思想があ りますが、皆それぞれの中で同じような傾向があるように 思います。それぞれがその主義思想を信奉する人達の集団 ですから、それを守ろうとか信じていくというのは当然の 動きかもしれませんが、だからといって他者が間違ってい るとか、他を排除していくとか、他を打ち負かしていくと か、そういうあり方というのは、決して他者を理解した り、他者と平和な関係を作ったりしていくことは、どんな 素晴らしい思想であれ、あり得ないことだと思います。 やはり大事なのは、こちらの正当性を主張していくこと ではなく、もしかしたらこちらの方が間違っているかもし れないという視点を持つことかなと、最近思っています。 固い信念を持つことが決して立派なことではなくて、自分 の信念を疑う心をいつも持つような、そういう信仰なり思 想なりを持っていく生き方というのは、これはあまりない ことですけれども、すごく大事なことだなと思っていま す。 そういう人が集団の中にいると、あいつは中途半端な奴 だと言われますから、やはり自分の正当性を疑いなく持つ 人がその集団の中で称えられるという難しい構造はありま すが、そういうことはおかしいなと僕は思っています。 いのちに対する信頼感 人間は信念を持たないでは生きられませんので、それを 持ちながら一方ではいつもそれを疑っていくような、そう いうものを同時に持っていく姿勢をぜひ持ちたいなと思っ ています。なぜそういうものを持てるのかというと、一つ の信頼感があるから持てるのだと思います。 その信頼感は何かというと、さっき申し上げたように、 自分の命の根底にあるいのちの世界に対する絶対の信頼感 なんです。それはいかなる主義主張を持とうが、宗教を信 じようが信じまいか、どういう国に住もうが、どういう思 想を持とうが持つまいが、そういうことに関わりなく、誰 の心の中にも誰のいのちの中にも流れている、そういうい のちに対する信頼感で、それは日本人だけがあるとかアメ リカ人だけがあるとか、この宗教を信じている人だけがそ れを持っているということではないと思います。 そういう信頼感があれば、すべて思想や宗教の違いを超 えたところでひと繋がりになった大きな大きないのちの世 界に生かされている自分だなという、そういうものを持て るし、いのちの世界というのはそういう世界だと思いま す。そういう枠のない大きな大きな普遍的ないのちの世界 を、キリスト教はこういう観点からこう見えるよ、仏教は こういう観点からこう見えましたということを説いて、そ れが発展していったのがいろいろな宗教であると思いま す。 そういうところを越えたところで、それぞれ縁のある宗 教なり思想なりを通して、でもそこに留まっているのじゃ なくて、もっとそれを打ち破ったところに拡がっている枠 のない広々とした、目には見えないけれどこの宇宙の導い ている、自分を生かしめてくれる根源的ないのちの世界に 対するまなざしを持てるようになることだと思います。 この宗教を信じるとかこの神様に手を合わせるとかを通 して到達する世界はそういうところにあるんだなと思って います。僕は解脱会に所属はしていますけれど、その中で 自分はいったい何を信仰しているかなというと、確かに解 脱会の神様を拝んでいますけれど、でももっと奥にある世 界に全部委ねていけばいいなという感じなんです。 なぜそういう気持ちが持てるようになったのかという と、本当にありがたいとしか言えない気持ちなんですが、 そういう世界に目が開かれて、そういう世界に委ねられる 自分になれたのは和田先生との出会いだったなと、本当に しみじみ思って感謝にたえない気持ちです。僕の中では、 和田先生がこういうことを仰ったとか本にはこういうこと が書かれてあって、これが僕にとってのよりどころだとか は、実をいうとあまり覚えていないんです。でも自分の中 にはしっかりしたものがあるなと感じているんです。 それは一つの光景がいつも心の中にあって、それは一心 寮の光景でして、これは僕が現実にそういうシーンを見た のかどうかは定かではないんですが、一心寮からずっと下 っていく角まで、シャガの花といって白い花がずっと咲い ていて、和田先生が晩年に角の辺りに、ここを通る人は俳 句でも書いて入れてくださいと、ポストみたいなのを作ら れたんですが、そこを懐手で歩く和田先生の後ろ姿を一心 寮のほうから見ている僕がいるんです。 そういう光景がいつも心の中にありました。その和田先 生のお姿と一心寮付近の大自然の光景とが渾然一体となっ たような世界というのがいつも自分の心にあって、こうい うところに身を委ねていけばいいなという感じをいつも持 っています。 それは決して和田先生の世界ではなくて、自分の中にも そういうものがしっかりと頂いているなというそういう感 じなんです。和田先生の御本はあまり読んでいませんけれ ど、こう言ったから、ここに書かれてるから、それがどう こうということはあまりなくて、だけども疑いもなくこれ でいいなという形で、そういうものをしっかり頂いている 自分を感じることができることが、本当にありがたいこと だなと思います。 僕の信仰というのはそういう世界です。今思えば、和田 先生の所に頻繁に出入りしていた当時、まさか自分が30年 後にこういう世界にいるとは全く思っていなかったのです が、振り返ってみると、自分の意志とか思いとは関わりの ないところで、でも一貫して自分の一番奥底から望んでい たような生き方を、いのち、まみずそのものが運んできて くれたんだとしみじみ思えることが何よりありがたいこと です。これが僕の信仰の世界、「まみず」の世界というこ とで今日はお話をさせて頂きました。ありがとうございま した。 質疑応答 【野村さん】「ありがとうございました。おそらく瀧さん の中で一番大切な部分をお話して頂いたように僕は感じま した。対外的にはもっともっといろいろな形でご活躍され ていると思うんです。そういう話もたくさんあると思うん ですが、その原点になっているところ、そして今30数年経 っても自分の中にある魂の部分を非常に素朴な語り口でお 話して頂いたんではないかと思います。それでは皆さんの 方からご感想なり質問なり、少し座談的な雰囲気で続けた いと思います。」 【林さん】「いろいろな宗教の立場を認められるのは、自 分はいのちの世界への絶対的信頼感があるからこそで、も しかしたら自分の考えが違うかもしれないというお話でし たが、和田先生は不安の雲の中にある大平安というたとえ で言っていますけれど、そういう二重構造というか、そう いう土台があってその上でやっていかれるという、普通は これだけが絶対と言ってしまいがちで、そこが難しいのか なと思いました」 【瀧さん】「いろいろな宗教間の対話ということであちこ ちで始めていますけれど、実際は難しいことだと思いま す。それぞれの宗教的な信念が強くて橋渡しが不可能な状 況があるのが現状だと思います」 【Aさん】「僕の恩師の先生がイスラエルにキブツの研究 に向こうに一年間行ったらしいんですが、そこで100人ぐら いの赤ちゃんを父親母親関係なく育てるということをやっ ていたそうです。僕は、それが物事の根本的なところで、 母親の子供に対する絶対的なまみずの部分というのが変わ ってくるんじゃないかなという気がするんです。母親と子 供の絶対的な信頼感が、一般的な生き物を見ていても思う んですが、それがあるんじゃないかと感じます」 【瀧さん】「そうだと思います。やはり赤ん坊の頃からお 母さんとの触れ合いを通して人間の基本的なものを作り上 げていくのだと思います」 【村木さん】「アメリカの宗教観、宗教事情についてお願 いします」 【瀧さん】「これは僕の狭い経験の範囲でしかお話できな いんですが、ガチガチのキリスト教とか、そういった層は あります。特にブッシュさんを支えている基盤というの は、南部の原理主義キリスト教徒なんです。それは本当に バイブルを絶対的なものとしていまして、例えば進化論と いうものを否定します。実際の公教育の中でも進化論を教 えてはならない、聖書の記述に基づいた教えをしなさいと いうぐらいの、そういう世界があります。それと同時にち ょっと内部に入ると、東洋人にあったことがないという人 がほとんどで、非常に偏った、外界を知らないという人達 がアメリカの中心部を形作っているという印象がありま す。 周辺部のかなり行き来の激しい所ではいろいろな所から 来た人がいますので、意識としては全く違うものです。カ ルフォルニアはそういう所ですから、カルフォルニアに限 っていえばとても面白くて、いろいろな価値観や宗教があ って、そういう所に関心があってよく訪ねていくことがあ ります。比較的そういうものに対しての受け入れを持って いまして、あまり南部のような形で自分の宗教を信じて他 を排除するとかそういう方というのは僕の経験の中ではむ しろ少ないと思います。特別の宗教団体に属するよりもむ しろスピリチュアルなものに関心を持つ人などが訪ねてき たり、宗教という名がつかないけれど、メディテーション をいつもやっているとかもカルフォルニアには多いです。 今のアメリカを基本的に支えて、方向性を持っていくその バックグランドにあるのはキリスト教原理主義だと思いま す」 【横山さん】「私もユタ州とワシントン州にいました。ワ シントン州は宗教に関しては開かれていて大らかさを感じ たんですが、ユタ州はモルモン教が多くて、私の宗派が一 番正統派であると皆さんがそう思ってやっていますが、個 人的には皆さんいい人です」 【瀧さん】「やはり思うのは、無知が一番の憎しみとかを 生み出す根源だと思います。ようするに知らないというこ とです。身近なところでも、何か得体の知れない奴だなと 思うときは親しみが持てないし、敵愾心を持つと思うんで す。 でもちょっと知り合ったりその人のことを誰かから聞い たりすると、全く違う観点でその人を見るようになるのと 同じように、どんな国に対してもどんな宗教に対しても、 やはり相手に対する理解を深めようとする気持ちを持つこ とによって見方も変わってくるだろうと思うし、そこから しか平和共存に向かっていく、そういうあり方はないよう に思います。こちらだけが絶対正しいと固まってしまっ て、向こうに進んでいこうという気持ちを持たない、そう いうところからは何も生まれてこないと思います」 【深野さん】「瀧さんが日夜悩んだりしながら、大きな安 心感を得るまでのいきさつについてお話ください」 【瀧さん】「それは具体的にはお話しませんでしたが、解 脱会に入信する一つのきっかけになった体験がありまし て、ああ、これでよかったという体験があったんです。い ろいろありながら、でもこれでよかったという感じですけ れど、当時から問題にしていたことが解決されたという形 ではありませんでした。こうすればいいなという形ではな いんだけれど、でもこのままでよかったという、そういう 体験がありました。その時に思ったことが今に続いている と思います。それは言ってみたら、いのちに対する信頼 感、まみずに対する絶対的な信頼感といいますか、そうい う自分の思いや意志さえ働かされている根源的ないのちの 働き、そういうものに委ねていけばいいなとそういう信頼 感なんです」 【野村さん】「先ほどのお話の中で、和田先生に悩みを抱 えて一度ご相談に行かれたときに、その悩みを大切にしな さいと言われて、その時は納得されなかったということで したが、今そのことを顧みられて、和田先生がどういうお 気持ちでそういうふうに言われたのか、今その辺のところ を滝さん自身はどういうふうに感じられているのでしょう か」 【瀧さん】「和田先生自身、具体的にはこいつはこういう ふうにしたらいいとかいうことは、お分かりになっていな かったと思うんですよ。ご自分でも迷われていると言いま すか、見えるだけのものが、もしかしたらなかったかなと いう感じがあるんですが、同時にいのちに対する絶対的な 信頼感を持たれていたと思います。いのちに全面的な信頼 があるがゆえに、今こいつは悩んで苦しんでいるけれど も、必ずこの苦しみの中からこの人にふさわしい道が必ず 開かれてくるという信頼感においては疑いがなかったのだ と思います。悩みを徹底して悩めということかもしれない し、今の置かれた状況から目を逸らしたり何か人に解決方 法を求めたりするのではなく、自分の現状を真正面から受 け止めて、その中で苦しくても生ききっていくというか、 真心を尽くしていくというか、そういう生き方をしなさい ということであったのではないかなと思いますし、そうい うアドバイスを頂いたことは、今思えば本当にありがたか ったなと思います。その時にああしなさいとか、こうしな さいとか言われていたら、たぶん今のような姿はないと思 います」 【大塚卿之さん】「最後におっしゃった、和田先生が本の 中でこんなことを仰っているとかいうのではなくて、イメ ージとして瀧さんの中に残っていると仰ったことは、私も 同感しました。私も和田先生が鍬を持って畑仕事をしてい る姿を思い出すと安心する感じがあります。本から学ぶも のと、人と人が知り会って、そこから直接受けるものとい うのは違うものだなと思いました。書物からいろいろなも のが吸収できるけれど、もっともっと直接に響くものはや はり人から人に直接伝わるものだなと思いました。 お話を聞きながら自分を振り返りました。私が和田先生 と初めてお会いしたくらいの歳に自分がなっているんです ね。和田先生は50代であの境涯に居られ、あれほどの安 心感を人に与えていたのは、やはり並大抵の人ではなかっ たんだなと思いました。そして57歳になった自分があま りにお粗末だなと痛感しました」 【安福さん】「今日は瀧さんにいい話しを聞かせて頂きま した。話を聞いていて思い出したのが「あしかびの萌えい ずるごとく」の本で、本当にあれは僕も読んで感激して和 田先生にお会いすることになったんですが、あれは子供達 に語る宗教書ではないかと思います。昔、和田先生に脳の 中に意志の座はあるんですかと尋ねられ、私は医師をやっ ているのですが、分かりませんとお答えしたところ、和田 先生は、脳に意志の座はないと言われたことを思い出しま した。 もう一つ、瀧さんが昔書かれた文章に、いろいろなこと を言うけれど私のそばに黒人がきたら私はやっぱり嫌だ、 というような文があったのを思い出しました。普通は自分 をよく見せようと思えばそういうことは書かないのです が、正直な方だなと思いました」 【瀧さん】「やはり、初対面な人とか知らない人とかが来 ると警戒を持ったり、嫌だなと思う人もいますし、そうい うことはあると思います」 【和田純子さん】「私は今でも皆さんの若い頃、皆で話を していたことを思い出します。もう真剣なんですよね。一 人一人皆さんが真剣に主人を囲んで話しをしているのを隣 の部屋で聞いていました。それを時々思い出すんです。本 当に今日はいいお話をありがとうございました」 (平成16年5月16日 宏南会講演会にて収録) [紙面の都合上、割愛したところがあることをお詫びいた します。文責 大塚卿之]
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