宗教者に聞く - 東北ヘルプ

ニュースレターNO.73(11-4)
宗教者に聞く
東北被災地支援における宗教者の連携と心の
ケアについて
――東北ヘルプ事務局長川上直哉牧師――
仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク
(愛称:東北ヘルプ)の事務局長として、さま
ざまな方面から東日本大震災の被災者の方々の
支援活動に当っておられる川上直哉氏(仙台市
民教会主任担任牧師)に、2012年1月28日、石巻
の被災地訪問に向かう車中にてお話をうかがい
ました。
――まず川上さんご自身のことをお聞かせくだ
さい。どのような経緯で牧師になられたのです
か。
川上:もともと牧師の息子でございまして、父
親はキリスト教以外の文化を認めないタイプの
神学校を卒業した「超ファンダメンタリスト」
でした。ですから我が家は、たとえば小学校で
運動会が日曜日にあると、「冗談じゃない、義
務教育は親が考えるんだ」というわけで、私は
運動会というものには一度も出たことはありま
せんでした。個人の意志を尊重するバプテスト
はそれでいいんだということで落ち着くんです。
そんなわけで、当時群馬県にいましたが、学校
では先生に嫌われていじめられましたね。そん
な風に育って、牧師になるかは別としてクリス
チャンであるとは自覚していましたね。子供の
頃から神学者になりたいと言っていたそうで、
聖書を何度通読したとかいうのが親の自慢でし
た。
神学者になろうと立教大学の大学院に進みま
したが、神学校の寮の管理人の職を得て、それ
が忙しくて研究が進まないのを見かねた妻が、
「あんたは日本を救うんだから、あんたが神学
者にならなくてどうするんだ」と言ってくれま
した。これは妻の美談ですが(笑)。それで妻
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が働いて私は博士論文に専念できることになり
ました。
妻は試験を受けて少年院の先生になり仙台に
配属されたので、家族で仙台に来たんです。仙
台では、たまたま訪れた仙台市民教会が大好き
になり、牧師の試験を受けて、亡くなった戸枝
義明牧師の跡を継いだわけです。
――その川上牧師が震災に出会うことになった
わけですね。
川上:震災の日は、私はたまたま具合が悪くて
家で寝ていました。私は家では主夫をしていま
したが、
妻は仕事が休みで、
子供達も家にいて、
珍しく全員家にいました。「ああ揺れるなあ」
と思って、起きていったら妻と子供達が泣きな
がらテーブルの下に隠れているので、大きいん
だなと思いました。妻は少年院の先生ですから
ぶっ飛んでいって、私は子供達と車の中に避難
しました。最初の三日間は他の人達と食べ物を
持ち寄ったりして、子供達は楽しく過していて
比較的のんびりとできたわけなんですが、牧師
としては全く動くことができず、忸怩たる思い
はありました。
三日経ってようや
く妻が仕事から解放
されてから動き出し
ました。日曜日だっ
たので教会に行って
みたら、私が初めて
行った時にいたおじ
いちゃんが来ていて、
「ああ来たですか」
ってちゃんと礼拝は
やったんですよ。
情報はラジオから入ってきていましたが、
NHKは怖いって子供達が言ってましたね。
ずっ
と震災のことを流しているので。仙台FMはと
てもよかったですね。全国の人達からの励まし
のメッセージを一生懸命伝えてくれていて、歌
もよかったし、気持ちのこもった時間だったで
すね。
ニュースレターNO.73(11-4)
――被災支援ネットワークと心の相談室につい
て教えてください。
川上:被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)と
いうのは、
仙台キリスト教連合の別動隊ですね。
仙台キリスト教連合は、1973年頃から、日本基
督教団の牧師会に他の牧師を加えて動き出して
いましたが、1989年の昭和天皇崩御を機に、
「大
嘗祭」をめぐる声明文を出そうということで、
公の活動を始めた団体です。
震災を受けて何かしなければと3月18日に人
が集まって、被災支援ネットワークが立ち上げ
られました。活動の内容は、全世界から集まっ
てくるクリスチャンの募金やボランティアの受
け皿となり、情報とお金をつないで流す、とい
う仕事です。
それから、翌週木曜日に、私達が一番しなけ
ればならないケアは、小さくて弱くされた人に
寄り添うことだと、それが私達の使命だという
声が上がりました。届いたモノや情報を流すの
は生者のための支援だけれども、骸 になって瓦
礫の下に眠っている死者こそが最も小さくて弱
くされた人なんじゃないか、その人達にシーツ
一つでもかけてあげられないかという思いがあ
りました。
もうひとつの背景として、ホームレス支援の
活動をしていた日本バプテスト連盟の奥田知志
牧師がいます。彼の友人に、内閣府で自殺対策
支援をやっている清水康之さんがいたのです。
清水さんが、これから心配されるのは後追いで
ある、十分
な弔いがで
きなかった
ことからく
る自殺、後
追い自殺を
予防するた
めにも十分
なケアが必
要なんじゃ
石巻にて
ないかとア
むくろ
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イディアを発信されました。そして、死者のケ
アができるのは宗教者しかいないというので、
私達に相談が来たわけです。
仙台仏教会がそれを既に始めていたので、そ
こに合流する形になりまして、仙台キリスト教
連合と仙台仏教会の合同事業となりましたが、
それでは宗教教団の枠が取れないということで、
宮城県の2126の宗教法人
(平成22年4月1日現在)
のうち、約2075が入っている宮城県宗教法人連
絡協議会の事業として、仙台市と一緒に始めた
のが心の相談室です。宮城県宗教法人連絡協議
会というのは、もともと県庁主導ではじまった
団体で、毎年各宗教の代表者がそれぞれの宗教
の本山を(遠くはバチカンまで)訪問して、そ
この宗教の仕方で礼拝にも参加して勉強させて
いただくということをやっていたんです。震災
前からそういう横のつながりという素地があっ
たわけなんです。
――最初に津波の被災地に入った時はどうだっ
たんですか。
川上:最初は津波被災地には入れないんですね。
3月18日に集まった時は、
各教会の代表者の方々
や国際NGOなど、
キリスト教連合始まって以来の
人数が集まりました。もうジャンボがこっちに
飛んでいて陸送も始まっているからすぐに動い
てほしいと言われ、では朝になったらすぐやり
ましょうということになりました。言われた場
所に行ってみるともうトレーラーが来ていて、
大きな倉庫には物資が山積みで、海外国内あち
こちから来たボランティアが皆、わっせわっせ
と仕事しているんですね。
特に印象的だったのはパンなんです。日本国
際飢餓対策機構という物資をつないでいくのが
天才的にうまいところからパンが1500食、2回届
く。重要なのは、下ろすところに現地のエージ
ェントがいないと、最後にそれを受け取る受益
者にうまく届かないというので、それをやるこ
とになりました。妻の少年院の職場関係の人達
から連合町内会の会長さん達へと連絡を広げて、
頼まれたところに持って行く。するとそこで余
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ったものをどこそこに持って行ってくれという
ことになり、行った先が六郷中学校でした。
体育館の避難所では非常によいコミュニティ
ができていました。狭い中で四分の一を倉庫に
して、そこに物資を積み上げて、マスメディア
にもどんどん出てメッセージを送る。すると物
資が届きますから、そこから周囲の小さな避難
所に物資を送るということを、彼らは自分達の
生活を切りさいてやっていました。
火曜日にまたパンが1500食届くというので、
使い捨てなければならない消費期限切れの牛乳
をみんなで温めて、一日かけてバターを作りま
した。それでパンを食べようというのがみんな
の楽しみになっていたんですが、本当にちゃん
と約束の日に、やわらかい、乾パンじゃないパ
ンが届きました。「こんなことは今までにはな
かった、このパンは今日の楽しみであるだけで
なく、昨日の喜びでもあった。約束を守ってく
れてありがとう」と本当に感謝されましたね。
それ以来その方達とはずっとおつきあいが続い
ています。
――モノの支援から心の支援に切り替わって行
ったのはいつごろですか。
川上:それは違うんですよ。モノの支援は心の
支援でもあるということなんですよ。支援物質
が届くということが被災者の人達の心を支える
んです。どっちかが表に出ていますけど、支援
においてモノと心は一つなんです。一年たった
今でも、身体は運ばなければならない。寂しい
と思っている人達は一緒にいてくれる人が必要
なんです。だから身体を運ぶことがうんと必要
になる。
そのときに、コミュニケーションのツールと
して、私達はお米を5合持って行ってるんです。
それを「粗品」として持って行くんですが、実
はお米はすごく助かるんです。でも「お米くだ
さい」とは言わないんです。そのお米はうんと
意味がある。私はあなたに会いたくて来たんで
す、あなたの役に立つものも用意してきました
という、心がこもっているお米なんです。たぶ
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ん心のケアをしようと思ったらそういうことが
必要なんです。神学者として言えば、人間の魂
は霊と肉が混じったもので、心は魂の働きなの
ですから、心のケアをするのには肉に働きかけ
ないとだめなんです。
――被災地の支援に関して、宗教者が関わって
こそ意味があると感じた瞬間はありますか。
川上:いくつもあるんですけれど、一つは、石
わたのは
巻市渡波ですが、石巻市はあまりにも巨大な被
災地になってしまったので、不十分な避難所に
いかないで、一階を流されてしまった自分の家
の二階に戻ってなんとか暮らしている人がたく
さんいたんです。そういうところは、常識的に
は
「住んではいけない場所」
なので、
プロのNGO
に、支援しても意味がないと考えられてしまう
んです。どうせ追い出される人の家を修理した
り支援したりすることの説明責任を求められま
すから。
でもクリスチャンは「愚か」なので、そこに
居たいという人がいて、その人に出会って、出
会いは神様から来たものだからその人に奉仕し
ようと納得しちゃうんですよ。渡波の人達に関
わったのはクリスチャンの人達だったんです。
東京の方で集めてきたお金を渡波の人達のため
に使い切って帰って行きましたが、それで平気
なんです。そんなふうに合理的な計算を超えて
木の屋石巻水産の魚油貯蔵タンク
震災のモニュメントと化している。
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いくことがありますね。でも結果的にそこに住
むことになるんです。
政治も合理的ではなくて、
そこに住みたいっていう人がいたら仕方ないっ
て基準を変えちゃうので。
――支援されている側はそれがクリスチャンの
人達だって意識しているんですか。
川上:はい。彼らは自分達はキリスト教団体で
すってはっきり言いますから。それが今回の支
援の特徴ですね。誰も自分達の素性を隠したり
しませんでしたね。そのかわり、右の手でパン
をさしあげて、左の手で聖書を…ということは
しないですね。それは阪神大震災の経験や、東
北ではいくらやってもクリスチャンが増えない
という長い経験があったのでそうなってますね。
中にはそれが分からない人達もいましたけど、
そういう人達はほどなく消えるんです。仲間か
らも尊敬されませんし、被災地の人からも好か
れませんから。私達は商売をしに来たんじゃな
い、
会員を獲得しようと思ってきたんじゃない。
困っている人達がいて、私達はそれを助けるた
めに来たんだと。イエス様だったらその人達に
仕えるだろう、ということです。これは今回よ
かったな、と思います。
――被災地ではクリスチャンの人達の礼拝など
はどのようにされていますか。
川上:教会が流されてしまった全損地域では、
敷地に十字架を立てて礼拝を始めるんですよ。
そうすると、こっちは誘わなくても、東北の人
達は義理固いので、みんな顔出しに来るんです
よ。みんな暇ではないから来たらすぐに帰るん
ですけど、出入り自由なんですよ。壁がないか
ら。ふっと来て、ふっと帰る。「こんなにいい
もんなんだね、壁がない礼拝っていうのは」と
言ってました。教会の壁を厚く、高くして、自
分達だけが神様を抱え込んでやっているという
のは本当に愚かです。壁を神様が取っ払ったら
みんなのものになるんですよ。神様は弱い者の
味方ですから、それをもう一度公共財にできた
っていうのは、今回の一つの成果ですよね。
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津波の被害を受けていない教会は真っ二つに
分れていますね。一つには、教会の壁を越えて
自分達から出て行こうとする立派な教会がいっ
ぱいあります。それができない高齢者の多い教
会でも、礼拝堂をボランティアの受入れにどう
ぞ使ってくださいと。礼拝堂を物資で埋めちゃ
って、礼拝する場所がなくなっちゃうけど、狭
いところでやりゃいいんだ、いうところもあり
ました。
一方で残
念だったの
は、そうい
うことから
できるだけ
目をそらそ
うとする教
会もあるん
ですね。で
も大事なの
は、そうい
う教会を頑
津波により会堂が完全に流失した教会
張ってる教
会が責めちゃダメだってことなんです。阪神の
時はそれでダメになったんです。責めないで、
祈ればいいんです。その人達が勇気を持って立
ち上がれるように、あるいは、何もしなくてい
いから祈ってくれれば助かるんだと言えばいい
んです。そうすればその人達も晴れやかな顔に
なって祈ってくれて、半年後とかに手伝いに来
たんばら
てくれるんです。それでいいのに短腹になって
鼻を曲げちゃう〔方言:腹を立てて機嫌を損ね
る〕とみんな壊れていくんです。
――産経新聞(2012.1.18)に「お化けや幽霊が
見える」という被災者の悩みに宗教者が応えて
いるという記事が出ていましたね。
川上:これから私達が焦点を合わせるべき課題
となるのは、「不安」だと思います。「不安」
というのは
「悲嘆」
と背中合わせですけれども、
悲嘆は過去形で、不安は未来のことです。スピ
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リチュアルケアの方では、悲嘆についてはお薬
も使えるし、
心理学も機能しているようですが、
不安のほうはそうはいかない。お薬も効かない
し、傾聴してもなくなりませんから、もう一つ
別のものが必要なんじゃないかと考えています。
コスモロジーの問題になるんです。不安に満ち
ているその人の世界観を変えてあげなければ無
理なんじゃないか。そのために神話的表象とい
うものがあって、たとえば、「初めに神は天と
地を創った。
地は闇で渾沌として何もなかった。
神が「光あれ」といって光があった」という『創
世記』のあれは一つの神話表象で、それをバビ
ロン捕囚の人に聞かせるわけでしょう。そうす
ると「ああ、そうか」と一つの処方箋になるわ
けですよ。電話相談を受けていると、それが宗
教者の課題だと思います。
自分の言葉だけでは足りなくなっているとこ
ろに、たとえばキリスト教ではこういうのもあ
りますよと説明してあげると、狐につままれた
ようになって、ありがとうございました、とな
ることがあるんですよ。急に世界が広がって、
何で悩んでたんでしょうということになる。
新しいケースでは、放射能は本当に不安なん
ですよ。原発を否定するのは簡単なんだけど、
近代化の世界に生きていながら原発の不安にど
うやって立ち向かうかというのは、コスモロジ
ーの問題でもあるんですよ。七千年の人類の積
み重ねである宗教がいよいよ試されているんで
すね。
——身近だった人の幽霊が見えるという人に
はどのように答えますか。
川上:日本聖公会の総主教の人が6月に仙台で説
教をしたのですが、教会なんて知らない、クリ
スチャンなんて周りに一人もいなかったという
人達が亡くなって、それを悲しんでいる遺族の
人に、「大丈夫、あなたの大切な人はいま神様
のところにいて安らいでいるよ」とはっきり言
えるかどうか。その信仰がいま問われているん
だと。信仰が問われているのはこっちなんです
よ。本当に神様は愛なんですかと。
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――震災後に聖書の読み方や説教の仕方が変わ
ってきたということはありますか。
川上:私は解放の神学を学んだんです。解放の
神学では、聖書のテキストからではなく、コン
テクストから読むんです。私にとっては、震災
後には聖書が全然違って読めましたね。今まで
気づかなかったことが、なんで気づかなかった
んだろうということです。被抑圧者における認
識的特権という言葉があるんですが、弱みに置
かれた人のところに神様が現われるという考え
方なんです。『出エジプト記』に書かれている
のはそういうことです。神は常に遍在し、偏在
する。福音はそういうふうにして神が語られる
言葉であり、それを反響させるものとして聖書
があって、被災地で聖書を読むと、そこに出来
事が起ってくる。それを実地でやらせてもらう
とは思っていなかったです。神学者としては特
別なことだなあと思っています。
石巻地域復興支援センターお茶っこはうすにて
左は韓国人牧師の李在雨氏
——クリスチャン以外の方に話をする機会は
増えましたか。
川上:和尚さん達とCafe de Monk20などで仕事
をしているとそういうことになりますね。被災
者の人達が法話を聴きたいと言うときに、じゃ
20 心の相談室が開設している移動式喫茶店。被災者と
「モンク」
(宗教者)がカフェで「文句」を言い合える
対話の場となっている。
ニュースレターNO.73(11-4)
あ川上さんも何かしゃべって下さいということ
になる。話の中身はともかくとして、和尚さん
と牧師さんが、お互いを尊敬して肩を並べてそ
こにいるということの効果ははっきりと感じま
した。宗教者同士、お互いがお互いの話を聞い
ているというのは、被災した人達にとっての、
たぶん一つの福音ですよ。それを感じますね。
——海外との連携に関してお聞かせください。
川上:キリスト教はそれが強いですね。クリス
チャンです、というだけで仲間になります。ご
宗門の方達はそうもいかないみたいですね。や
っぱり日本の仏教は特殊ですから理解してもら
うのが大変なのかと思います。日本のキリスト
教は歴史が浅いおかげで、海外と直結している
ところが多いですね。
私達の事務所はドイツと韓国から5000万円つ
けてもらっていますし、外国人被災者支援はス
イス、オーストラリア、アメリカ合衆国がほぼ
2000万円集めてくれています。そもそも、ソウ
ルで4月、5月の2回、アクト・アライアンスとい
うところがとりまとめて被災者支援の為の国際
会議を開いてくれた。全世界がまとまって、東
北を支援しようとやってくれていますからね。
それはキリスト教の強みですよね。
昔からそうだったんですよ。
伊勢湾台風(1959
年)の時もそうだったし、三陸の津波(1933年)
の時も入っていますし、関東大震災(1923年)の
時もそうです。昔から海外のキリスト教支援団
体は日本にものすごい勢いで入ってきていたん
です。日本に飛び込んでくることにためらいが
ない。
中には日本にキリスト教を宣教しようとして
もいつまでも1%の壁を越えないから、
日本は呪
われているなんて信じていた人もいたようです。
困っていたところに震災だというんで、何も勉
強しないで日本語もおぼつかないまま私は宣教
師ですって飛び込んできた人達も大量にいまし
た。
そういう人達はトラブルも起したけれども、
まあ助かったのは確かです。片思いだったり、
勘違いだったり、ストーキングだったりするけ
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れども、日本のことを愛している人はいっぱい
いますよ。その人達を大切にできれば、被災者
支援はうまく世界とつながっていけるんじゃな
いでしょうか。
——最後に、宗教界の方々へのメッセージなど
ありましたらお願いします。
川上:そうですね。ルーティーン・ワークと過
去の遺産をゆめゆめ侮ってはいけないというこ
とを私は学びました。今まさにルーティーン・
ワークに埋没しているとお感じの方々には、そ
うではありませんとお伝えしたいと思います。
つまり、宮城県宗教法人連絡協議会は、毎年の
お茶のみ会だと馬鹿にされていた部分もあった
のですが、お茶を飲むことがいかに大事かとい
うことを学びました。各宗派、宗門の代表の方
が集まるわけですが、そこで何かを決めるとい
うことはないわけなんです。そこで仲良くして
いたら、その下で喧嘩するわけにはいかないん
ですね。そういう基本的な雰囲気を作ってきた
んです。仙台キリスト教連合は、毎年4回の祈祷
会を20年も30年もやってきたんですよ。それ以
外には何もしない。大嘗祭の後にちょっと何か
しましたけど、その後、とにかく祈ろうとなっ
て、それに飽き飽きしていた人もいっぱいいた
んですが、それがいかに大事かということがわ
かりました。継続は力なり、遺産がいかに大切
か。
——形骸化しているように見えたネットワー
クや組織が、今回実に役に立ったと…。
川上:形骸化しているように見えても、心を込
めてそれを作った先輩方がいて、それは何だっ
たのかという意味を掘り起こすことが後輩達の
務めだと思うんですよね。それをちゃんとして
おけば、いざという時に必ず役に立つというこ
とです。
——最後は国際宗教研究所にとっても、貴重な
ご提言となりました。本日は長い間、どうもあ
りがとうございました。
(文責:高橋原/東京大学大学院助教)