第三章 イメージの収集

第三章 イメージの収集
第1節 本物とコピー
レプリカ
荒川豊蔵の作品は新作であるが、同時に志瞬焼を蘇生させた結果でもある。それは、荒
川の作品が、志野焼の精巧なレプリカであると言いかえることもできる。つまり、日本に
おいては}芸術作品における独創性の神話は、本来存在しなかったのである。それよりも
問題なのは、特定のイメージを現在化するということである。ある型を持った視覚的なイ
メージを実際に生みだすことが重要なのである。実際、日本の博物館にはレプリカが多く
展示されているし、保存技術に携わる者にとって、レプリカは他の展示品同様の価値を持
っていると考えられている。彼らは、レプリカが実物のコピーにすぎないという考え方は
しないのである。事実、レプリカにも出来不出来があり、よいものを作るには膨大な制作
費がかかる。
また、博物館や文化財を訪れる者は、それを視覚的な体験として記憶しようとする。日
本人観光客のステレオタイプとして、カメラを部らされているイメージが欧米で流布して
いるが、それは視覚的イメージとして体験を記憶・保存するためである。極端にいえば、
実物に接しているかどうかは問題ではなく、そこで写真を撮ったかどう.かが決定的な体験
となるのである。
コピーたちの戯れ
「記号をなすもの」の魅力は,必ずしもモノがオリジナルの本物であるごとに由来しな
い。「真」と「偽」,「本物と「コピー」とのあいだに倫理的・審美的な対立は存在しな
い。大塚国際美術館は、西洋美術文化の全体を歴史的に再構成した絶好の例であろう。中
世から現代にいたる多数の絵画が陶板で再現され,金縁の額に収められている。ギリシャ
時代の壺,ローマ時代のモザイク,各地の教会の壁画,ポーチ,その他多くの品々が「実
物大で」展示され,その空間は巨大な聖堂を思わせる。この複製芸術の寺院は西洋美衛史
の全体像を示そうという意図を見せつける。そこではイメージを自分のものとして獲得す
ることが重要なのであり,もはや体物」と「コピー」という俗な区別はあまり意味がな
い。「偽物」はオリジナルの本物より本物らしかったり,そうでなかったりする。それ自
身が重要なのである。「本物」と比べてどうこうという問題ではない。「偽物」の世界に入
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ったら,絵の具の粒子で表現された元の本物と照合することは忘れる必要がある。この美
術館で絶対の域に達した「偽物」の世界は,もはやいかなる損傷もこうむることなくいつ
までも輝く表面をならべ,スベスベとしている。
何でも再生することができる今という時代は偽物が主役である。コピー,レプリカ,バ
ーチャル,クローンなどのカテゴリーに入れられるのがそれだ。人類の祖先が住んでいた
フランスのラスコー洞窟は壁画損傷の危険があるため公開が禁じられたが,そのかわり別
の洞窟が全面的に修理されて公開された。またCD−ROMというのもある。これでわれ
われは自宅にいながら,あのすばらしい洞窟を訪れることができる。最初の洞窟が本物な
のでオリジナルはこれしかないと考えるのがこれまでの習わしだったが,いまやしだいに
第二の洞窟そのものがオリジナルと考えられるようになった。じっさい,ラスコー洞窟の
コピーをいくつも作るという話がある。世界中のあちこちに似たようなレプリカを設置す
るというのだ。「ラスコー洞窟」の規格化が実行可能となれば,オリジナルはもはや重要
性をほとんど失う。マルセイユ周辺の山火事の後,景観の再建はポール・セザンヌの有名
な絵画牽モデルにしょうということになった。「サン・ヴィクトワール由」の題で但界中
によく知られた絵が,景観の画しい構図の原型となる。この種のレプリカづくりが,政治
家たちの意向により,あちらこちらでおこなわれている。こうした文化財の増殖行為を見
て思うに,どの国でもオリジナルの本物との照合など気にせず,好き勝手に文化財が設置
するようになるのではなかろうか。すでに日本では,ヨーロッパ各国から輸入した文化財
が「実物大で」多数再構築されている。
おそらく文化財の増殖は,文化財の基本性格である反射性の原理を時代遅れのものにす
るだろう。コピーやクローンによって文化財が増殖してゆけば,社会はもはや「固有の」
文化財という鏡で自分自身を照らし出す必要がなくなる。文化財は普遍的で国際的なもの
になるからである。文化財の体系的なバーチャル化は,オリジナルの場所やモノの真正性
がもつ「シンボルとしての責任」をすっかり免れる。相互に交換可能で,思いつきのまま
勝手にシンボリックな価値が付与される文化商品だけが重要となるのである(しかし,そ
れぞれの民族の固有の歴史に刻まれたもの,歴史的な事件をなしたものにはやはり「シン
ボルとしての重み」がある。つまり,別の国へ移転することができないものがあるのだ。
それは大惨事,あるいは戦争である)。
コピー社会アメリカ
こうしたバーチャルな文化商品化の総本山がアメリカ合衆国であろう。そもそも、アメ
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リカ合衆国という国家の形成自体、コピーとしての性格が強い。唯一独自の文化を持って
いたインディアン、すなわちアメリカ先住民は、保留地に囲い込まれ、それ以来、自らの
社会を独立して営んでいく可能性を絶たれてしまった。ヨーロッパ、特にイギリスやフラ
ンスからの移民は、アメリカ合衆国を建国したが、それはヨーロッパのゴピーを作ってい
くことを意味していた。ヨークがニューヨークになり、オルレアンがニューオーリンズ(ヌ
・Lヴェルオルレアン)になったように、都市の名称ひとつとっても、ヨーロッパのコピー
にすぎないことがわかる。そこで発達したのは、コピーを大量生産する技衛であり、コピ
ーの「原本」の正統性をまったく解体してしまうようなキッチュな文化である。
ニューヨークから北へ向かう高速道路沿いの小高い丘のうえに「マウント・富士」という和食レス
トランがある。レストランの建物の前には、小さな神社が建てられ、それ自体日本人からすれば、奇
妙な印象を受けるが、レストランでは、神風と書かれたはちまきをした韓国人が、鉄板で肉を焼いて
いる。ウエイトレスは自ら「私は、インドネシア系のまがいもの日本人です」と冗談をいう。経営者
は日本人だが、あくまでアメリカにおける日本のイメージ(他者像)に適合したまがいものの「日本」
が提供されているのである。また、ニューヨークのビルのデザインは、かつてカタログ販売されてい
たという。鉄筋の建物が、カタログ販売、つまりコピーの対象だったのであり、街並み自体がコピー
の集積にすぎなかったのである。
イギリス人ラッフルズによる植民地シンガポール建設計画で、博物館がその中枢に据え
られたように、アメリカでも、博物館は過去の遺産を収集、展示する場所として重要な役
割を果たしている。それは、コピー社会アメリカが、あたかも正真正銘の本物の欠如を埋
め合わせるために,博物館を建設しているかのように見える。かつてイギリスの植民地だ
ったアメリカは、シンガポール同様、博物館的欲望の産物なのである。
首都ワシントンは、博物館的欲望の産物としてのアメリカを象徴的に示す空間である。
大都市には博物館が集中している場所があるが、政治の中枢機能と文化的な機関が、ワシ
ントンほど隣接して配置されている都市は珍しい。た1とえば、東京の場合、官庁街は丸の
内、国会議事堂は永田町、博物館は上野公園というように、個々の機能は分散している。
これに対して、ワシントンでは、立法、行政、司法から文化にいたる機能が空間的に集中
している。ホワイトハウスを囲むように、スミソニアン協会の経営によるさまざまな博物
館があり、まさに博物館が中心点となった空間秩序が築かれている。かつてラッフルズが
願っていたような世界の知識を集積した博物館群が、これもイギリス入であるスミソンの
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寄付によって、ワシントンに生まれたのである。
膨大なスミソニアン協会の博物館(それに加えて協会には属していない独立のホロコー
スト博物館などもある)は、旧型中から本物を集め,首都に保存・展示しようという野心
を持っている。首都ワシントンでは、凝縮された世界のひな形が博物館のなかに現出して
いるのである。ただ、これは、パリやロンドンの博物館についてもいえることである。ス
ミソニアンのいくつかの博物館には、パリにはないいくつかの特徴がある。ひとつは、ア
メリカ歴史博物館に典型的に見られるように、本物を展示しているにもかかわらず、どこ
か文化財ではないただの「商品」が陳列されている印象を引き起こす点である。それは、
歴史博物館とはいえ、扱われているのは主に「現代」だからである。現代を扱う以上、必
然的に商品として販売されていたモノの数が多くなる。
こうした特徴は、日本の琵琶湖博物館における現代の展示にも表れている。その一角には、テレビ
からインスタントラーメンまで現代の消費文化を象徴する商品が展示されているコーナーがある。
もうひとつの特徴は、博物館外の施設と展示が連動し、単なる文化財の展示ではなく、
アメリカ人に固有の集合的記憶を喚起していることである。
アメリカ歴史博物館の一角には、ベトナム戦争戦没者慰霊碑(歴史博物館に隣接してい
る)への供物が陳列してある。そのなかには、たばこ(日本のたばこもある)などさまざ
まなものがある。戦没者慰霊碑には、戦没者、行方不明者の氏名が刻まれている。その名
前を確認する者。探し当てた名前の前で写真を撮る者。名前を拓本にとる者など、慰霊碑
の前には人が絶えない。修学旅行の高校生は、戦没者にカードを捧げている。ここで慰霊
碑に捧げられたお供え物(のおそらくは一部)が、歴史博物館に移され、展示されている
のである。
慰霊碑は、リンカーン記念館に向かって右にある。左には、朝鮮戦争戦没者慰霊碑があ
るが、ベトナム戦争戦没者慰霊碑のような固有名の刻まれた慰霊碑はない。大仏のような
巨大なリンカーン像が鎮座しているリンカーン記念館(もしくはリンカーン寺)は自由の
殿堂であり、自由のために戦った兵士たちが、慰霊碑に祀られたているかのように見える。
祭駅空間に集まる巡礼者が残していった供物保存のために、博物館が用いられる.これ
は、博物館の機能としてはきわめて特異であるといわざるをえない。. 歯ィ館と戦没者祭祀
の連動自体は、靖国神社と遊州県にも見ることができるが、遊目口には、戦没者の遺書や
家族への書簡等はあるものの、供物は展示されていない。
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供物の展示が奇妙な印象を与えるのは、博物館の展示物はそれ自体に意味がなければな
らず、媒介機能を持つにすぎない供物のようなモノが展示されることはないからである。
いいかえれば、本来文化財はそのモノ自体に内在的に価値が見出されるべきだが、戦没者
への供物は、それが捧げられることによって、はじめて意味を持つ。たばこ一箱は、それ
自体商品にすぎないが、戦没者に捧げられると、供物に変身するのである。しかし、供物
としての価値は、あくまで外在的なものにすぎない。供物は、それを捧げる者と捧げられ
る死者や神(英霊?)との関係を媒介するものであり、モノ自体としてそれが文化財に値
するとはいえない。このような博物館機能の一種の逸脱は、両義的な性格を持っている。
それは、供物を博物館に展示することで、供物そのものが象徴している死者への追億を凍
結しているようにも見えるし、反対に、供物の存在によって、死んだモノを展示している
博物館の秩序を揺るがしているようにも見える。
本物とは何か
アメリカの博物館の特徴は、本物であるかどうかというヨーロッパの博物館ではもっと
も重要な問題意識が希薄なことである。戦没者への供物が、モノとして本物であるかどう
かという問いは意味を成さない。.ここで、本物とは何かについて定義しておくことが必要
であろう。
本物であるためには、それ自体がレファレンス(参照の対象)になるうるものでなけれ
ばならない。アメリカの和食レストランで働く「インドネシア系の日本人」は「まがいも
の」であり、それ自体はレファランスにはなりえない。これは東南アジア製の「ルイ・ヴ
ィトン」にもいえることで、それは「バッタもの」にすぎない。
次に、レファレンス足りうるためには、その「出生」もしかは「起源」が証されなけれ
ばならない。日本人であるためには、日本人の両親から生まれたという証が必要であり、
本物のルイ・ヴィトンは、ルイ・ヴィトンの工場で生産され、出荷されなければならない。
ただ、本物の条件は、ここで事実上ゆらぎを見せる。なぜなら、帰化によって日本人にな
ることは可能であるし、別ににせものであっても、ほとんどルイ・ヴィトンの本物と違わ
なければ、安いバッタものの方がよいと思う人も出てくるからである。帰化人や精巧なに
せものの存在によって、出生や起源の正統性が一種の神話にすぎないことがわかるのであ
る。もちろん、神話を守るために、さまざまな対策が講じられる。19世紀に版画の刷り数
を限定して、番号を振りはじめたのは、まさに起源の正統性を守るためであった(もちろ
ん、それは版画の商品価値を挙げるためでもあったが)。
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最後に、本物であって、同時に文化財としての価値を持つためには、それが希少であり、
できれば、他にはない唯一無二のもので、しかも再び、それを生みだすことがきわめて難
しいものである必要がある。「本物の日本入であっても、それだけでは希少価値がある
とは見なされていないので、日本人であるというだけで無形文化財にはなりえないが、最
後に残った日本産のトキは天然記念物としての価値を持つ。
ところで、アメリカは移民の国であり、移民は自らの起源をアメリカの外部に持ってい
る。アメリカで生まれた者も、常に自らの起源がアメリカの外にあると認識している。そ
れが、奴隷として連れてこられた黒入でも同じであることは、『ルーツ謹というテレビド
ラマ化された小説が示している。これは、アメリカという社会のなかに、真の起源は存在
しないこと、インディアンを除いては本物がいないことを意味する。
アメリカでコピー文化が発達したのは偶然ではない。アメリカでは、あらかじめ本物ら
しさがゆらいでおり、自らのコピー性の認識がコピー文化につながったのである。アメリ
カ映画に出てくる、古代ローマや旧約聖書の登場人物は、まがいものにすぎない(みな米
語を話す!)。アメリカ映画の登場人物は、レストラン『マウント富士図のまがいものの
日本人のような存在なのである。
断っておくが、ここでアメリカ文化がコピー文化であるというとき、それが本物にこだ
わるフランスのような国と比べて劣るということをいっているわけではない。精巧なレプ
リカには、本物同様の価値があるということ以上に、コピーには、起源の正統性によって
証が建てられなければならない本物とは異なる軽やかな魅力がある。
要は、博物館的欲望の発信地とその産物とでは、博物館と文化財の位置づけも異なると
いうことである。発儒地(フランス、イギリス)では、本物であることにこだわりを見せ
る。これに対して、博物館的欲望の産物であるアメリカでは、本物に対するこだわりはな
い。それどころか、本物とにせものの二項対立を解体して.しまいかねないような事態が、
いとも簡単に起こりうるのである。
第2節 複製の技術と保存の欲望
複製美術館
1998年3月、徳島県鳴門市に開館した大塚国際美術館は、美術館と銘打ちながらも通
常の意味での美術作品を全く所蔵しない特異な施設である。ここには千点を越える数の西
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洋絵画が展示されているが、オリジナルは一点もなく、すべては陶板による複製なのであ
る。鳴門海相に面した小山を丸ごとひとつくり抜き、その中に建設された要塞を思わせる
地下部分と山頂に神殿のような姿を見せる地上部分からなるこの美術館は、芸術作品にお
けるオリジナルと技徳的複製の関係について考えるための格好の題材である。
地上レベルから入館し、山中に穿たれたトンネル状の空間を長いエスカレーターで上り
つめた来館者は、前方に突如出現するバチカンのウフィツィー礼拝堂に驚かされることに
なる。正面の『最後の審判丑は幅13メートル、高さ14メートル。冨天地創造』などによ
る天井画は奥行きが32メートル、横幅は7メートル近くある,ここに復元されているの
は、原寸大そのままの礼拝堂であり、黄色味がかった照明が荘厳な雰囲気を演出している。
現地バチカンで特別に撮影された写真原版を二万色のバリエーションで焼きつけた陶板に
よる絵画部分は、陶板の継ぎ目さえ気にしなければ予想をはるかに超える精巧な出来映え
である。
このような愚問丸ごとの複製は、この美術館では「環境展示」と名づけられ、他にもジ
ョットのスクロヴェー二礼拝堂壁画やモネの大睡蓮などが館の各所に配されている。館の
大部分を占めるのは、時代別作家別に絵画が架けられた「系統展示」である。イタリア古
代の壁画をはじめ、ルネサンス期の『受胎告知幽だけでもフラ・アンジェリコのものなど
十四点、さりげなくおかれた『モナ・リザ月、ベラスケスが十点、その他たとえばレンブ
ラントの『夜警』、ドラクロワの眠衆を導く自由の女神』などから、セザンヌ、ゴッホ、
ピカソにいたるまで無数の作品が来館者を待ち受けている。さらに、「テーマ展示」とし
て、だまし、生と死、家族、食車といった主題別の作品を集めた展示室もある。「レンブ
ラントの自画像」という部屋では15点の自画像が四方の壁面に並んでいる。入館時に渡
されるリストに記載されている作品総数(いくつかの複製「未定」作品を含む)は1074
点。展示スペースは29,412平方メートルと日本の美術館としては最大であり、無限に続
くかのような各展示室をざっと眺めるだけで何時間も必要である。
ここ鳴門に本社のある大塚製薬グループによって設立されたこの巨大な美術館には次の
ような二つの目的があるという。一つは、絵の具の厚みやタッチまでも精巧に複製しうる
技術により、世界中に散らばる西洋名画を日本にいながらにして鑑賞できるようにするこ
と.美術史を専攻する学生たちが先生に引率されてここを訪れ、実際の絵のサイズを目で
確かめながら学外講義を受けることも少なくないという。もう一つの目的は陶板の耐久性
による永久保存である。高温で固く焼きしめられた陶板は、二千年でも持つとされている
のである。
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しかしこれら膨大な数の作品をいくら眺めても、すべては複製である。仕上げの具合に
よっては表面がてらてらと光り、オリジナルとかなり異なる作品もある。かと思えば、少
なくとも遠目にはオリジナルと見まがう精巧な作品もある。しかしそのようなよくできた
複製の前でこそ、またそれが自分の好きな絵であればなおさら、ある奇妙な感覚が生まれ
る。それは、「勉強にはなる……。しかし、この複製作晶を見て珂を感じるべきなのか? 感
動してもよいのかマ それともそれは倒錯なのか?」と自問したくなる居心地の悪さであ
る。この感覚は、どこからくるのであろうか。そもそも美田館という空間の中で、額縁ま
で正確に写し取られた原寸大の陶板複製に出会うということは一体いかなる事態なのか。
以下に見るように、この特異な施設は、複製とオリジナルの関係および美衛館という空
聞の特性に闘わるさまざまな論点を、一挙に問題化するような先鋭性を備えているのであ
る。順に検討してゆこう。
なお、美術作品ではなく歴史の再現が複製物を通してなされている施設の検討は、別
途検討されるべき課題である。たとえば過夫の生活の姿を複製品のみによって再現した博
物館として、深川江戸資料館がある。模造と虚講の物語りによって満たされたこの空闘で
は、一方で「歴史のある種の現実感」が生じていると同時に、歴史というものの虚構性や
口囲の生命の欠如が強く感じられるという興味深い指摘がすでになされている(富永茂樹rミ
ュージアムと出会う』1998年.乱交栓、68−76頁)ことを記しておきたい。
複製とオリジナルの転倒的関係
芸衛作品のオリジナルと複製の関係についての議論には、大きくわけて二つの視点が可
能なように思われる。ここではまず、ブーアスティンに依って一方の視点を検討し、次節
でベンヤミンの議論をそれと対比させてみたい。
戦後アメリカ社会の文化状況をイメジという概念を切りロにして包括的に論じたブーア
スティンは、その著『幻影の時代岨に次のような言葉を書き記している。
「オリジナルをありがたがるのは、まったくの俗物根性に近い。民主主義の時代には、
芸衛作品、ことに絵画の価値は、どれだけ多く㍉しかもどれだけ巧みに複製が作られてい
るかによって判断するのが、なによりも自然ではないか?カラー複製技術に挑戦したゴッ
ホの『日まわり』は、安い値段でかなりみごとに複製されるようになり、イタリア・ルネ
ッサンス期のくすんだ古典も、その複製の前に顔色なしというまでになった。芸術の世界
で初めて、偉大ということと、有名ということと、どこにでもあるということが同義にな
った」(ブーアスティン『幻影の時代』1964年、東京西元社、13〔ト7頁)。
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ここでr絵画の価値」について述べられていることを敷術するならば、次のようになる
だろう。まず、それ自体が発する魅力や芸旧世界内一一ここでは画商や美術史家も重要な
主体である一一における評価のゆえに、固有の価値を認められた作品群がある。そのよう
な作品を多くの人々の目にふれさせるべく、技街による複製がなされる。ところがこの複
製がさまざまな形態で大量になされるようになると、芸術作品には複製されるものされな
いもの、および、大量に複製されるものとされないもの、という格差が発生する。それは、
一般の人々による認知度の差となり、ここである種の転倒が生じる.つまり、作品に価値
があるがゆえに複製がなされていたものが、逆に、複襲がいかに多く巧みに、つまりどれ
ほどのコストをかけてなされているかによってもとの作品の価値が推し量られる、という
事態への転倒である。こうして、「偉大ということと、有名ということと、どこにでもあ
るということが同義に」なるのである。
ではこの点に関して、この陶板名画美術館はどのような位置をしめているのだろうか。
ここで重要なのは、専門家による千点以上という膨大な選定が、日本入にとっての「西洋
名画」の範囲を再定義する試みとみなしうる点であろう。確かに出版物による美衛全集の
刊行においても同様の選定はなされるが、陶板複製にはより大きなコストがかかるため、
より厳密に体物が選ばれている印象を来館者に与える。またこの美旧館では、知って
いる絵画を目にして「やはりこれもあるのだな」と感じる一方で、知らない絵画に出会う
と「こういう絵も知っておかねばならないのだろう」という気にさせられる。様々な来歴
の絵画が偶然ともいえる経緯をたどって一ケ所に収蔵されている通常の美術館とは異なり、
ここでは「複製展示に値するか否か」という単一の基準によって収蔵内容が制御されてい
るからこそそのように感じるのである。もちろん著作件者や所有者の意向により、複製が
認められない場合もある。しかし当初は拒否されていたものが、複製プロジェクトの意図
や規模を知って後に了承という例もあったという。「有名な絵画がこんなに集まるのなら
うちも乗り遅れるのはよくない」という判断もあるらしい。複製の有無でオリジナルの価
値が左右されるという転倒した事態がここには明瞭に読み取れる。コストをかけて製作さ
れ展示された複製群からなる空目は、なにが価値ある「本物」なのかを画定する名画認定
装置として機能するようになるといえるだろう。
さらに先の言葉につづけてブーアスティンは「偉大な芸術作品の第一目的は、複製を生
み出すもとの鋳型となることではないのか」と述べている。陶板絵画は質感のある原寸大
の技徳的複製であるため、参照されているオリジナルはまさに「鋳型」と呼ぶにふさわし
い。逆にいえば、陶板複製こそオリジナルの鋳型的性格を如実に物語る存在なのである。
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空間の複製とアウラの行方
「芸術作品が技術的に複製可能となった目代に衰退してゆくもの、それは芸徳作品のア
ウラであるノ(「複製技徳時代の芸街作品」、『ペンヤミン・コレクション1』1995転ちくま学芸文嵐
590頁)。この有名な言葉を残したベンヤミンは、次のように考えていた。
歴史を経てきた存在でありつつ、〈いま一ここ〉にしかないこと。これを彼は、芸術作
品の真正さの核であるとみなす。これに対して写真に代表される複製技術は、歴史にもく
いま一ここ〉という一回性にも縛られない複製品を大量に生み出し、作品が受容者へ「歩
み寄る」ことを容易にしてしまう。それによって、「どれほど近くにであれ、ある遠さが
一回的に現われているもの」としてアウラがオリジナルから衰退するというのである。
彼の議論は、複製には所詮アウラがない、という常識的な議論ではもちろんない。複製
の技衛によってオリジナルのアウラが衰え、さらには、映画のようにもともとアウラのな
い芸術形式が誕生するという二側面を、「政治の耽美主義化」をもたらすファシズムの台
頭を念頭に論じている点が興味深いのであるが、さしあたりアウラ論に照らしてみれば、
この複製美衛館には二つの特徴があるといえるだろう。第一は、世界中の作品がこの日本
の一地方都市に参集し「歩み寄って」来ている点。そして陶板であるため、来館者は作品
に手で触れることも許されている。身体的に接触できるほど近い存在になっているのであ
る。こうして、オリジナル作品のアウラを支えている「一回目」と「ある遠さ」は失われ
るのである。
しかしこれだけなら、図版による複製と質的に大差はない。この美衛館独自の作用とし
て注目すべきは「環境展示」である。上で述べたとおり、陶板は建築材的にも使用できる
ゆえ、.システィーナ礼拝堂などをそのまま空間的に復元することが可能である。これによ
って、ベンヤミンのいう芸術作品のアウラが、空間レベルでも消滅しかねない事態が生じ
ているのである。さらに、ここで脅かされているのは空間的作品のアウラだけではない。
美循館という空間の意味さえも揺るがす可能性を秘めているのであるが、その点は後に述
べることとしよう。
複製観の比較
以上では、オリジナルと複製の関係についての二つの見解に即してこの美術館の持つ意
味を検証してきた。「オリジナルはその独創性(オリジナリティー)を失っているのであ
る。複製の方がはるかに親しまれている。本当に人気があるのは複製のほうだけなのだ。」
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(前掲書、137頁)と述べて、開き直るかのように複製の氾濫を受け容れるブーアスティン。
芸術の大衆化が進むナチズムの台頭期にあって、冷静な分析を施しつつもオリジナル作品
のアウラの消滅を惜しむかにみえるベンヤミン。両者の視点の差を、アメリカとヨーロッ
パの文化的土壌の違いであるともみなせよう。
特にアメリカという国はその成り立ちからしてヨーロッパの複製という面が色濃く、た
とえ芸術の世界においてであれ、複製の拒否は自らの存在の否定につながりかねない。し
かし同時に、オリジナルへの憧れもある。ブーアスティンがあえて、「オリジナルをあり
がたがるのは、まったくの俗物根性に近い」と記さねばならなかった背景には、複製の無
邪気な受容とオリジナルへの憧怪がアンビバレントに併存する国民の心性がうかがえる。
一方、陶板複製美術館を生み出した日本の場合はどうであろうか。この美術館の出現は、
オリジナルにこそ価値があるとするヨーロッパの伝統的な立場からすれば、不可解な出来
事とみえるだろう。しかし、日本では「なるほどそういうアイデアもあるのだな」と、あ
る種の卓抜な発明品として受け止められた感が強い。オリジナルと複製にそれぞれの価値
を認め、必要に応じて使い分け、いわば軽々と機能的に消費してしまう傾肉が日本の文化
的土壌にはあるといえるだろう。
ただし、ブーアスティンとベンヤミンの視点の差を、比較文化論的にではなく、補完的
、
な理論枠組とみなすことも可能である。前者は、複製がつくられではじめてオリジナルは
「本物」になるという相対的な価値を問題にしており、後者は、〈いま一ここ〉にしかな
いものの一回性と歴史惟が放射するアウラという特殊な属性、つまり作品の固有の絶対的
価値の行方に目を向けている。ここで両者ともに妥当な視点であると見るならば、複製の
存在はオリジナルの柑対的価値を高め、絶対的価値を低めるということになる。つまり、
社会的な存在としての芸術作品は、その複製物によって高低相反する方向に価値が分裂し
てゆくというねじれを内在しているということになる。
永久保存の意味
ところで、視点を異にするかのようにみえるブーアスティンとベンヤミンの議論には、
実は共通の前提がある。それは、複製を芸術作品の大衆への流布形態ととらえている点で
ある。この点で晦板による複製が別種の位置を占めるのは、今後「二千年間の保存」を可
能だとされていることにある。山色・劣化が起こらず、汚れれば拭けばよい。万が一破損
すれば、写真原版から、新たに陶板に焼き直せばよい。写真原板をデジタル化すればいっ
そう安全であろう。複製時点でのオリジナルの姿がそのまま、保存されるのである。つま
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りここにあるのは、過去の複製論が想定していなかった保存手段とし・ての複製である。
しかし、今後劣化してゆくオリジナルと変化しない複製陶板とでは、どちらが「オリジ
ナル」に近いのか。オリジナルと共に古びてこそ正確な複製ではないのか。陶板を眺めて
いると、そういう疑問が湧いてくる。
例えば大徳寺大仙院にある襖絵の複製は明治期のものであるために、複製でありながら
風格があり「文化財」として大切にされている。そこには、複製が古びてゆくことへの肯
定が感じられた。しかし大塚国際美術館にあるのは、古びを拒否する態度である。
そもそも陶板に複製されるだけの価値があると認定された作品は、それぞれが卓越した
価値を持つ「ほんもの(真正)」であることにあろう。ここでもベンヤミンによれば.「あ
る事物の真正さとは、この事物において、根源から伝承されうるものすべてを総括する概
念であり、これにはこの事物が物質的に存続していることから、その歴史的証言力まで一
切の意味がふくまれている」(前掲書、589頁)のである。陶板複製は、もととなる作品の歴
史的証言力」ゆえにこそ製作されるのであるが、同時に、その作品の価値を形作っている
歴史の蓄積を複製の時点で停止させ、全く変化させずに後世に伝えることが目指されてい
る。通常の文化財保存においても、多かれ少なかれ、「受け継いできた遺産を後{螢に伝え
たい」という意志がはたらいているのではあるが、複製によって永久保存を目指す欲望に
おいては、保存対象の歴史性によりかかりっつも、「現在」という時点を何か特権的なも
のとみなす心性がうかがえる。複製による永久保存によってなされるのは、文化的遺産の
後口への受け渡しであるかにみえて、保存がなされる「現在」の保存といえるのではなか
ろうか。
この「現在」とは、まず何が価値ある芸術作品とみなされているかという判断基準にか
かわる「現在」でもあり、また複製技術の「現在」でもある。
オリジナル作品の上を流れるのは、作品自体に緩慢な変化を起こすような時間であり、
一方、複製陶板の上にも時間は流れる。しかし、その陶板は何らの変化も劣化もきたさな
い。陶板の上を流れるのは、物質的な変化とは縁のない時問なのであり、これが永久保存
という時の「永久」の意味である。
しかし、たとえば五百年後に、現代の我々が見るのと同じ状態の陶板絵画を自にする人
はおそらく、「古臭い陶板複製だ」という印象を持つことになる。たとえ陶板は変化しな
くとも、写真で原版を作りそれを陶板に複製する技衛は進歩し変化する。テクノロジーに
依存した複製に永久はありえないのである。永久を目指しつつも相対的に古びてしまう陶
板複製は技衛の「現在」を保存し、さらには、この時代に永久保存へ欲望が存在したとい
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う事実をも保存するであろう。
複製される制度
通常の心外館は一種の儀礼空間である。そこでは、暗黙のルールに従わなければならず、
展示された作品への儀礼的態度が重視される。まるで聖画にまみえるかのような態度で
静々と入館し、白田を守りつつ作品を深く味わうことが一一少なくともそのふりをするこ
とが一一要請される空間。それが美術館である。「〈真正〉な芸術作品の比類のない価値
は、つねに儀式に基づいている」というべンヤミンに呼応するかのように、<いま一ここ
〉にしかないオリジナル作品のアウラを保持するせめてもの儀礼が、複製技術の時代にオ
リジナルを蔵する美術館ではとりおこなわれているのである。
一方、大塚国際美煎卵を全体としてみれば、それは「本物」の美術館に限り無く近いが
そうではないもの,いわば美術館そのものの複製もしくはパロディである。美術館という
名称、荘厳な建築、薄暗い照明、豪華な額縁。まさに通常の美術館と同じ厳粛な雰囲気の
なかに並ぶ複製絵画に、来館者は恭しく儀礼的な態度で接することが求められている。つ
まりここは、作品だけではなく、美術館という儀礼空間もが複製された、二重の意味での
複製空間なのである。
しかしここまで複製が徹底すると、逆効果が生じる。「作品は複製にすぎないのに、な
ぜ作品に敬意を払う必要牲を感じてしまうのか?」という疑問を来館者に喚起しかねない
のである。そしてここから、来館者が「本物の作品を本物らしく仕立て上げているのも、
作品そのものに内在する価値ではなく、それを収めている美術館という空間ではないの
か?」という批判的疑念を抱くにいたることも可能である。こうしてこの「美術館」は、
芸術の世界を成り立たせている制度的な場を複製してみせることによって、意図せざるし
て、芸術的価値とは何なのかを問いかける韻鏡的存在となっているのである。
なお、この「意図せざるして」ということは、次のような意味で重要である。
まず、意図的になされたこの種の批判として、デュシャンの腺』を思い起こしてみよ
う。よく知られているように彼は、レディーメイドの男性便器に「R.Mutt 1917」と偽名
のサインを施し、それをアンデパンダン芸術家協会の展覧会に規定の6ドルを添えて出品
したのである。「芸術の自由」というこの展覧会の主張を試そうとしたこの白い便器は、
芸衛品を生み出す空間がはらむ暗黙の制約への挑戦であり砒判であった。
しかしこの作品は、彫刻としての陳列を拒否されたにもかかわらず、その批覇性や着想
の斬新さのゆえに芸衛品とみなされ今日に語り伝えられている。つまり、批判によって拡
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大された芸衛の徴界へと結局は回収されたのである。
さらに我々は、この作品のパロディを板橋区立美循館に見ることができる。そこでは、
まさに先の『泉』の精巧な複製に、今度は「MDuchamp 1993」とサインがなされ、実際
の男子トイレの壁に便器の一つとして据えつけられているのである。そして、自由に用を
足すこともできるように醗管もなされている。展覧会や美衛館という空問の約束事を批判
するはずのデュシャンの『泉』さえも結局は芸術品として回収され、この型の便器はただ
の便器であることを停止させられ、そしてそれが当たり前にあるはずの便所に実用品とし
て置き戻されてもなおそれは芸術作品であり続ける、ということを複製を通じて示すこと
によって、この複製は回収作用を批判するかにみえる。しかしこの便器もいまや新たな芸
術作品となっている。便所の壁にはこれをつくった中国人芸術家の名(「牛波」)と作品名
(腺水週)を記したパネルがあり、デュシャンのオリジナル作品の写真が添えられてある。
さらには女性がこの作品を男子トイレに入って見ることのできる時刻帯までもが入り口に
貼り出されている。こうして、トイレも展示室となっているのである。
既存芸術への批判というものは、それとして評価されることによって批判したはずの芸
衛の側に回収されてしまい、さらにその回収作用への批判作品も同様の運命をたどるとい
う無限の反発/とりこみ運動がここには観察できる。
ただし、このように批判が結局は回収されてしまうのは、そもそもそのように回収され
ることおよび新たな芸術作品をつくることをねらった確信犯的もしくは共犯的批判である
からである。ここにあるのは真の批判とはいえず、またたとえ確信犯的でなくとも、意図
された批判が意表をついた見事なものであればあるほど、新たな芸衛作品としてとりこま
れてしまうであろう。
しかし翻ってこの陶板複製美術館を眺めれば、これは別格の位置を占めていることに気
づく。なぜならここでは批判やパロディであることが「意図」されていないからである。
アメーバのごとく無限に拡大する芸衛の運動への批判は、このような批料を意図しない存
在によってのみなされうるのではなかろうか。さらにいえば、この美術館はその批判力や
特異性および完成度によって一個の芸術作品とみなしうるほどの存在なのであるが、その
ようにみなしてはいけない存在でもあるのだ。
さまざまな視点から検討してきたこの美術館の特徴は、次のようにまとめることができ
よう。つまり,陶板複製という新しい技術によって、平面的な絵画のみならず、空間的作
品までをも複製してそのアウラを奪いかねないこの美術館は、大掛かりかつ精巧な試みで
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あるために名画認定装置として機能する可能性を穂め、同時にこの施設の構想は、オリジ
ナルより長生きする複製というグロテスクな存在を神殿のような建築空問に配することに
よって、美衛館という制度自体のあり方を批判する存在たりえているのである。
流布、保存、パロディ。複製には少なくともこの3種の働きがあることも見えてきた。
この施設の先鋭性は、絵画芸術の嵐界をフィールドとしてこれら3つの作用を一挙に実現
させてしまっているところにある。
嘱