ちばがく第42号 H25.3月

特集:平成24年度2学期所長表彰/7回&8回あるく・みる・きく/夢の寄せ書き
第42号
平成25年3月号
放送大学千葉学習センター THE OPEN UNIVERSITY OF JAPAN/ CHIBA STUDY CENTER
ハナニラ(花韮、学名:Ipheion uniflorum )はヒガンバナ科の多年草。春の日差しを浴びて、花径約3cm
の白色・淡紫色の6弁の花を茎の頂上に1つつけています。球根植物ですが掘り起こさずに植えたままでも
仲間を増やしていきますので、ハナニラ群落になってくれます。小さな球根ですが、繁殖は実に旺盛です。
原産地はアルゼンチン。日本には、園芸植物として、明治時代に導入されたそうです。
写真・文/KM 平成25年3月25日
We are with you !
The more I learn, the more I realize I don’t know.
The more I realize I don’t know, the more I want to learn.
Albert Einstein:1879-1955
ちばがく 第42号 [1]
平成25年度第1学期「面接授業」科目
科目名
科目区分
デザインの基礎:平面編’13
基礎科目
物理へようこそ!
宮崎 清
近藤 智嗣
堀口 利枝
道祖土 かれん ボズウェル
生井澤 寛
肩書
千葉大学名誉教授
放送大学准教授
放送大学千葉学習センター教育研究推進員
放送大学千葉学習センター研究推進員
放送大学客員教授
パソコンを使いこなす(N)
虎岩 雅明
株式会社トライワープ
コミュニケーション論
大橋 理枝
放送大学准教授
パソコンを使いこなす(M)
感性メディア科学
虎岩 雅明
椎塚 久雄
宮崎 清
大塚 武司
木戸 冬子
株式会社トライワープ
工学院大学教授
千葉大学名誉教授
スタジオT代表
東京大学特任助教
PPTを使いこなす’13
問題解決の進め方
外国語 発音をめぐる冒険
Johnson Y. 智子
神田外語大学非常勤講師
4/20(土)・4/21(日)
4/21(日)・4/27(土)
5/19(日)・5/25(土)
・5/26(日)
6/2(日)・6/16(日)
6/15(土)・6/16(日)
6/29(土)・6/30(日)
7/13(土)・7/14(日)
人文系
千葉大学准教授
三澤 正
千葉大学教授
NPO法人ちば文芸フォーラム理事長
哲学とは何か―哲学への誘い
三松 幸雄
明治大学兼任講師
作曲の楽しさ
7/13(土)・7/14(日)
渡辺 均
近藤 文子
花を愛で、花を育てる
日程
4/20(土)・4/21(日)
4/18(木)・4/25(木)
・5/2(木)・5/9(木)
4/27(土)・4/28(日)
5/11(土)・5/18(土)
・5/25(土)
5/18(土)・5/19(日)
時代を生きる・日本の詩歌に学ぶ
千葉県の地域変容
麻布高等学校専任教諭
6/15(土)・6/16(日)
歌からの音楽表現
宮野 モモ子
千葉大学教授
経済学入門―経済学への誘い
西ヶ谷 ともみ
淑徳大学兼任講師
銀座学’13
佐藤 厚行
浦安市民大学講師
7/20(土)・7/21(日)
4/19(金)・4/26(金)
・5/10(金)・5/17(金)
4/27(土)・4/28(日)
人と環境
鈴木 基之
山田 敏次
松浦 傳
島村 賢一
放送大学客員教授
NPO法人エイプロシス
NPO法人エイプロシス
世田谷区生涯大学専任講師
町田 俊一
宮崎 清
坂本 香保
向後 功作
西田 直海
林 奈都子
石毛 麻理
黄 世輝
近藤 智嗣
岩手県工業技術センターコーディネ-ター
千葉大学名誉教授
放送大学千葉学習センター研究推進員
銚子市観光協会銚子市観光プロデューサー
DROPS主宰/千葉大学非常勤講師
浦安市郷土博物館学芸員
東薫酒造株式会社観光部長
雲林科学技術大学教授
放送大学准教授
京都大学大学院情報学研究科情報教育推進
センター特定講師
やさしい金融・証券教養講座
社会系
社会学とは何か―社会学入門
漆の科学と漆器の文化
内発的地域生活文化創生
共通科目
ミクストリアリティ’13
本間 貞史
稲葉 利江子
5/11(土)・5/12(日)
5/18(土)・5/19(日)
5/25(土)・5/26(日)
6/7(金)・6/8(土)
6/8(土)・6/9(日)
6/8(土)・6/9(日)
自然系
血清リポ蛋白とコレステロール
岡崎 三代
東京医科歯科大学名誉教授
4/20(土)・4/27(土)
第4の生物ヒト
放送大学客員教授
横浜国立大学准教授
東京都市大学准教授
駒沢大学総合教育研究部
千葉大学特任助教
4/20(土)・4/21(日)
物理学への誘い
星 元紀
倉田 薫子
萩谷 宏
加藤 潔
藤本 茂雄
家庭を支える電気と熱
福士 顥士
川村学園女子大学教授
5/18(土)・5/19(日)
地球温暖化を考える
小熊 幸一
千葉大学名誉教授
5/25(土)・5/26(日)
放送大学の放送施設
近藤 喜美夫
歩いて学ぶ房総半島の自然史
4/27(土)・4/28(日)
4/27(土)・4/28(日)
放送大学教授
5/30(木)・5/31(金)
光の科学―実験で探る光の世界
福士 顥士
川村学園女子大学教授
6/29(土)・6/30(日)
植物工場―食料・環境への貢献
古在 豊樹
千葉大学名誉教授
7/6(土)・7/7(日)
英単語・英文法の基礎固め
宮添 輝美
東京電機大学准教授
4/20(土)・4/21(日)
大山 潔
明治大学非常勤講師
4/21(日)・4/28(日)
初級中国語:発音編
外国語
英語コミュニケーション
Baveley Horne
千葉大学准教授
4/27(土)・4/28(日)
英語ニュ-スで学ぶイギリス
Baveley Horne
千葉大学准教授
5/11(土)・5/12(日)
英語の軌跡をたどる旅:
坂梨 健史郎
埼玉工業大学準教授
6/1(土)・6/15(土)
仲島 陽一
東洋大学非常勤講師
6/15(土)・6/16(日)
千 惠蘭
放送大学非常勤講師
6/22(土)・6/23(日)
群馬県立女子大学非常勤講師
早稲田大学非常勤講師/虎ノ門カイロプラク
ティック院院長
6/29(土)・6/30(日)
初級フランス語:基礎会話と社会
初めての韓国語:会話編
保健
体育
担当講師
初めてのベトナム語:文化編
小川 有子
姿勢と健康
碓田 拓磨
ちばがく 第42号
[2]
6/29(土)・6/30(日)
平成25年度第1学期「面接授業」科目
科目区分
科目名
くすりの科学:その性質と有効性
生活と福祉
酒とたばこと健康と
高齢者福祉の過去・現在・未来
市民のリスクマネジメント
食の生命科学
作って学ぶ化粧品
着心地と洗濯の科学実験
担当講師
山本 恵司
牧野 一石
森部 久仁一
長尾 啓一
今関 文夫
太田 貞司
姜 徳洙
小城 勝相
高林 久美子
安藤 洋子
肩書
千葉大学理事
北里大学教授
千葉大学准教授
東京工業大学保健管理センター特任教授
千葉大学総合安全衛生管理機構教授
聖隷クリストファー大学大学院特任教授
専修大学非常勤講師
放送大学教授
白鷗大学/東京医薬専門学校非常勤講師
女子栄養大学非常勤講師
心理と教育
口(くち)と歯の医学
椎葉 正史
千葉大学准教授
色の心理学:科学史から
コラージュ療法基礎演習
臨床心理学演習A
心理学実験3
臨床心理学実習
西川 泰夫
佐藤 仁美
高橋 千佳
高島 翠
佐藤 仁美
放送大学客員教授
放送大学准教授
東京海上日動メディカルサービス(株)
いわき明星大学助教
放送大学准教授
心理学実験1
松井 進
心理学実験2
森 津太子
放送大学准教授
思春期の問題行動・非行への臨床
遊間 千秋
千葉県警察本部少年課上席相談専門員
認知科学の基礎:記号論から
臨床心理学演習A
心理学実験2:行動の科学
国際協力の現場、アジア・中南米
社会と産業
専門科目
企業組織の変革とリーダーシップ
ヨーロッパ国際関係史
価値創造と復元力のリスク管理
食と農とスローフード・ライフ
ロボット工学の最前線
経営学:経営者の役割
千葉県の魅力と産業振興
パレスチナ難民問題
西川 泰夫
高橋 千佳
森山 哲美
辻岡 政男
長谷川 敏久
平山 修一
佐々木 直義
藤掛 洋子
田中 忠昭
宮入 小夜子
芝崎 祐典
上田 和勇
田中 修
野波 健蔵
兪 文偉
並木 明夫
荒井 幸代
山口 裕之
富塚 國興
高橋 真樹
加藤 隆
常磐大学非常勤講師
放送大学客員教授
東京海上日動メディカルサービス(株)
常磐大学教授
明海大学非常勤講師
JICA地球広場地域連携課長
GNH研究所代表
VSOC事業開発アドバイザー
横浜国立大学大学院教授
千葉県JICAシニアボランティアの会
日本橋学館大学教授
成城大学非常勤講師
専修大学教授
NPO法人群馬県スローフード協会理事
千葉大学副学長/教授
千葉大学教授
千葉大学准教授
千葉大学准教授
東洋大学講師
アシスト・キャリア・リンク(株)特別顧問
ノンフィクションライター/国際NGOピースボート
元共同代表
千葉大学教授
人間と文化
自然と環境
中世の説話:和歌を紐解く
柴 佳世乃
明治・大正時代の児童文学
伊藤 かおり
白百合女子大学非常勤講師
日本文化と国際理解教育
新約聖書とキリスト教の成立
植木 節子
加藤 隆
新谷 尚紀
関沢 まゆみ
鈴木 哲雄
岩下 哲典
兼岡 理恵
姉川 雄大
横田 順子
神野 真吾
上野 信雄
吉岡 一男
後藤 哲雄
戒能 洋一
鈴木 彰
石川 幸男
岸根 順一郎
近藤 悟
海老原 亨
池邊 このみ
二河 成男
千葉大学准教授
千葉大学教授
國學院大学大学院教授
国立歴史民俗博物館教授
北海道教育大学教授
明海大学教授
千葉大学准教授
千葉大学特任助教
青山学院大学非常勤講師
千葉大学准教授
千葉大学大学院融合科学研究科教授
放送大学教授
茨城大学教授
筑波大学教授
千葉大学教授
東京大学教授
放送大学教授
千葉大学教授
千葉大学非常勤講師
千葉大学大学院教授
放送大学準教授
日本の民俗学
中世関東の歴史風景を探る
史料で読み解く幕末の日本
風土記をひもとく
ハンガリー近代史
ロアルド・ダールを楽しむ
現代アートとは何か
電子とは?―歴史から学ぶ
銀河系の天文学
昆虫、ダニ、菌類の不思議な世界
量子物理学への誘い
くだものの栽培と成熟
数式のいらない物理学’13
環境造園学から地域を考える
生物情報学実習
千葉大学文学部教授
ちばがく 第42号
[3]
日程
4/20(土)・4/21(日)
4/21(日)・4/28(日)
・5/12(日)・5/19(日)
4/27(土)・4/28(日)
5/12(日)・5/26(日)
・6/9(日)・6/23(日)
6/1(土)・6/2(日)
6/1(土)・6/8(土)
6/15(土)・6/16(日)
6/29(土)・6/30(日)
・7/6(土)・7/7(日)
4/20(土)・4/21(日)
4/20(土)・4/21(日)
4/20(土)・4/21(日)
5/11(土)・5/12(日)
5/18(土)・5/19(日)
6/2(日)・6/9(日)
・6/16(日)
6/4(火)・6/5(水)
6/8(土)・6/9(日)
・6/15(土)・6/16(日)
6/15(土)・6/16(日)
6/29(土)・6/30(日)
6/29(土)・6/30(日)
4/27(土)・4/28(日)
4/27(土)・4/28(日)
5/11(土)・5/12(日)
5/18(土)・5/19(日)
5/18(土)・5/19(日)
5/25(土)・5/26(日)
5/25(土)・5/26(日)
6/8(土)・6/9(日)
7/13(土)・7/14(日)
4/27(土)・4/28(日)
5/7(火)・5/14(火)
・5/21(火)・5/28(火)
5/12(日)・5/19(日)
・5/26(日)・6/2(日)
5/18(土)・5/25(土)
5/25(土)・5/26(日)
6/13(木)・6/14(金)
6/15(土)・6/16(日)
6/15(土)・6/16(日)
7/3(水)・7/10(水)
7/6(土)・7/7(日)
7/13(土)・7/14(日)
7/20(土)・7/21(日)
5/11(土)・5/25(土)
6/1(土)・6/2(日)
6/1(土)・6/2(日)
6/1(土)・6/2(日)
6/22(土)・7/6(土)
7/6(土)・7/7(日)
7/13(土)・7/14(日)
7/20(土)・7/21(日)
「面接授業」を数多く履修され、視野を広げませんか!
平成25年度の「面接授業科目」を前頁にご案内しています。
科目登録
まずは、大学からお配りする冊子『面接授業時間割表』で、履修したい科目の日
程・内容を確認し、所定期間中に科目登録します。
追加科目登録
空席のある科目・キャンセルの生じた科目について、追加で科目登録をする機会
があります。空席発表は4月18日・木曜日で、キャンバスネットワークホーム
ページでご覧になれます。また、千葉学習センターでは、1Fロビーに掲示をい
たします。原則として各科目の開講日の1週間前まで受付をしております。
面接授業の受講
学習センター等で直接受講します。
授業によっては試験・レポートを課す場合があります。授業時の講師指示をご確
(試験・レポート) 認下さい。
単位修得
成績判定により合格した科目について、1単位が取得できます。
※面接授業についてご不明な点がございましたら、千葉学習センターまで、どうぞお気軽にお問合せ下
さい。
千葉学習センターから
平成25年度 月例公開講演会日程
期
日
講 師
講師紹介
①04月06日(土)阿部憲子(NGO活動家)「国際支援活動の実相」
辻岡政男
②05月18日(土)伊藤正春(リーベンス取締役社長)「縄文の土笛」
遠藤玲子
③06月08日(土)黄世輝(雲林科学技術大学教授)「小さな島・台湾における地域再生活動」
④07月06日(土)大高一雄(千葉大学名誉教授 千葉市科学館長)「物理を学ぶ楽しさ」
⑤08月10日(土)宮野モモ子(千葉大学教授)「音楽の楽しさ」
⑥09月07日(土)長江弘子(千葉大学教授)「エンド・オブ・ライフケア看護学-終末期医療を考える-」
⑦10月05日(土)日本赤十字社「赤十字運動の理念と実践」
⑧11月16日(土)辻岡政男(明海大学非常勤講師)「国際協力―現場からの視点」
⑨12月14日(土)松村祥子(放送大学教授 附属図書館長)「家族と社会福祉の課題 -日本とフランス-」
⑩01月11日(土)小笠原匡(和泉流狂言師)「伝統芸能・狂言の楽しみ」
⑪02月15日(土)丸山康則(麗澤大学名誉教授)「ブラジル日系移民の現状」
⑫03月08日(土)吉野秀夫(千葉歴史研究会)「更級日記に描かれた千葉」
来年度月例公開講演会の日程・演題・講師が決まりました。本年度同様、多くの学生、一般市民の方々の
ご参加をお待ちいたします。会場は、附属図書館3FのAVホールです。
第1回は、4月6日(土)15:00-16:30です。
入学者の集いの後、特別講演会として開催いたします。ぜひ、ご参加ください。
4月6日(土)15:00-16:30
講師:阿部憲子氏
1942年 宮城県生まれ。神奈川県職を経て青年海外協力隊員としてラオスでの農民組織育成の活動に
参加。 帰国後、国際協力事業団(JICA)に入団、本部及び海外事務所4ヵ国に勤務し、また、ラオス・タ
イの技術協力プロジェクトに携わる。この間、外務省に出向、在外公館で経済協力業務を担当。JICA
退職後、NPOに所属し、タイの医療協力プロジェクト運営管理に従事。現在はタイの民間援助団体の
支援にかかわっている。
講師紹介:辻岡政男氏
演題:国際協力の実相 -タイとその周辺国を顧みる-
アジアのなかでもメコン川に沿うタイの北部・東北部とインドシナ地域は、多くの方々には馴染みの薄
い地域ですが、大きく変容しつつあります。これらの地域が辿った歴史とどのように変容していくのか
、国際協力の現場体験を通じて視たこと・考えたことをご紹介します。
ちばがく 第42号 [4]
月例講演会 「古典の世界の面白さ」
講師;千葉大学教授 柴佳世乃先生
・3月16日、放送大学学園附属図書館AVホールには、こ
の演題に引かれたのか、たくさんの方が予約され、当日の参
加者も多かった。
・当日は、今までの講演会とは異なり、NHKラジオの録音
取りが同時に行なわれたので、先生は勿論のこと、我々聴衆
もしわぶき一つ立てまいと固くなっていた感があった。録音
用のマイクが先生の左右に高くたち、その間から顔を覗かせ
ての講義でした。
*その制約のなか、高卒以来、初めて古典の世界に触れる人
の多いことを知った先生は、「まず中世文学の面白さ・声に
出して読む音の楽しさを知って欲しい!」と少し高めの良く
澄んだ声で、ゆっくりと、あたかもその物語世界に誘いこむ
かのような、情景が伝わる朗読をされた。
講演会後の感想文を読むと、その朗読を讃美したものが多
かった。
・先生の声を聴きながら目を閉じてみると「古典の世界」に
誘ってくださる感じがしました。ステキな声でした。古典を
聞いたのは初めてでしたが、文章表現がこんなにも柔らかな
んだと思いました。
・久し振りの古典を楽しく読み聞かせていただきました。と
てもわかりやすい講義でした。
・今まで、古典は読みにくくて毛嫌いしていましたが、声で
聴くとわかりやすく、情感豊かなんですね。
録音風景
<講話概論>
『中世は「説話の時代」と言われ、多くの説話集が編まれ
ました。説話集に書き留められた一編の話が、どのような場
で読まれ、いかに活用されたかを具体的に取り上げ、中世説
話をめぐる「現場を覗いてみましょう』・・・柴先生談
<演題>
鴨長明「発心集」堀川天皇を敬慕する男の話
面接授業と同じく、A3のレジメ4枚が配布された。
最初に《「発心集」巻6ー三 堀川院蔵人所の衆、主上を慕
ひ奉り、入海の事》を先生が読み下し、同様の話題が載って
いる「讃岐典侍日記」上・「中右記」・「続古事記談」・「古事
談」・「今鏡」・「文机談」・「台記」などを読み下し、講義され
た。
<鴨長明「方丈記」>
3.11東日本大震災後、一躍有名になった書物。火災・竜
巻・福原遷都・飢饉・そして1185年に都を襲った「大地
震」など、自らが経験した天変地異に関する記述が書き連ね
られており、歴史史料としても利用されている。
*講師紹介;面接授業「中世の説話・和歌
ー質問よりー
長明は隠遁し、方丈記だけを書いて余生を過ごしたとばか を紐解く」を担当。千葉大学文学部教授
り思っていましたが・・・
@NHKラジオ第2文化講演会@
ー柴先生ー
そんなことはないんですよ、山里に庵を結びましたので村 柴先生「古典の世界の面白さ」の放送
人との交流はあります。また都の話も伝わってくるんですね。 は、4月14日(日)21:00~22:00
さぽた編集部 澤田恵子
再放送は、4月20日(土)6:00~7:00
ちばがく 第42号 [5]
千葉学習センターから
平成24年度2学期所長表彰
成績優秀者
大学院修了生
成績優秀者
教養学部卒業生
生活と福祉
伊藤
明子
自然と環境
髙橋
三男
心理と教育
網谷
満美子
心理と教育
二橋
裕子
生活と福祉
谷口
紗也香
心理と教育
高橋
伸也
人間と文化
相島
佑範
生活と福祉
弓削
結花
心理と教育
林
社会と産業
遠藤
自然環境科学
プログラム
臨床心理学
プログラム
自然環境科学
プログラム
臨床心理学
プログラム
特別表彰
葉山 佳代
島田 かおり
前野 博美
渡邉 淳子
真弘
啓一郎
ちばがく 第42号 [6]
山岸清一郎
小笠原勇藏
長滝 健夫
小川 脩子
青木 貞雄
吉野 大
澤田 惠子
吉田 武幸
吉浦 静雄
山田由美子
佐々木 隆
遠藤 玲子
鈴木 恵子
鹿野 千鶴子
さつきが丘公民館
ちばがく 第42号 [7]
さぽた通信
さぽた編集部 澤田恵子
第8回 あるく・みる・きく会
2月20日(水)参加者20名
場所;千葉大学
並木研
エアホッケーロボット
並木明夫先生
ロボット
対
未来のロボット博士たち
アイ マリオネット
学生さんの手と頭の動きを、まねるロボット
被災地、福島原発地での利用にオファーを出したが
採用されなかった!
感想文
・とても良かったです。ありがとうございました。
・学生さんには、頑張って、いいものを作って欲しい。
・「3本、指があると、ロボットはモノを掴める!」・・・そうなんだ!
・繊細な動き・カメラ・パソコンなどと総合的に連動されるロボットの面白さ。
とても楽しく身近に感じました。
*講義のお話し、やはり成功例よりも、ご苦労なことの話しや失敗談が、聞き
手に取っては感じるものですね。40年ぐらい前になりますか、千葉市の幸町団
地で暮らしたことがあります。今は浦安に住んでいますので、懐かしい想いで
いっぱいです。
ちばがく 第42号 [8]
野波研
4機完全自動飛行制御
ロボットヘリコプター
どちらが籠の鳥?
危険防止のため、ネットが張られている
東日本大震災の被災地を上空からビデオ撮影する実証実験に成功!
写真は、類似の電動小型無人ヘリコプターをコンピューターで遠隔操作する様子
双腕ロボット
「ボクが描いた○、
こんなに、まあるく、書けるんだよ!」
見学前日の大学院卒論発表で、披露されたばかりの傑作です!
・ロボットは、面白かった。
・ロボットに、未来があると思いました。
・研究している皆さんの笑顔も眩しかったです。
・ロボットの科学は、粋である!!実に面白い時でした!!
・以前、野波先生の「ロボット工学の最前線」の面接授業を受講しました。講義にあったロボットを目の前
にして、とても感動しました。
・午前中は老人倶楽部。あのダラダラから一転、現代社会に引き戻された想いで生き返ったような気がしま
した。楽しく刺激され、感謝!
感想文
ちばがく 第42号 [9]
ソーラデカスロン・ヨーロッパ2012スペイン本大会出展の立役者
日本のスタンダードを持って臨むも、欧米スタンダードに惨敗
・昨年4月、第1回あるく・みる・きく会で桜見
学に千葉大学を訪問した時に、正門前に誇らしげ
に建造されたソーラデカスロンハウスがありまし
た。平屋の瀟洒な建物でした。見学研修した放送
大学生一同「是非、優勝してください!」とエー
ルを送ったのですが、9月の本大会で惨敗。イン
ターネットで見ると酷評が並びます。
ソーラデカスロンハウス
最終講義で、教授、言及
・栗生先生曰く、「ソーラデカスロンハウスは各
国の大学対抗レースとしてスタートしたが、実際
は国策としてドイツ・アメリカが主に戦っている。
そこで今年初めて千葉大がエントリーし、最終決
戦に出る20校に選ばれた。予選で20校に絞られ、
2年半の歳月をかけて制作。2012年9月、スペ
インマドリッドで、日本から解体して運んだもの
を33名で組み立てた。学生リーダーの田島君は
じめ、みんなの成長は著しかった。すなわち教育
とは、こういうものだ!
・次回、フランス大会にも出場が決まった。千葉
大というところは、いいところだ。
・今回、成績は振るわず酷評だった。これは欧米
スタンダードを良しとするガラパゴス化に、日本
のスタンダードを欧米に知らしめたいい機会だっ
た。この矛盾する評価に対して、どうするか?
それは、【勝つまでやめない!!】
・次回フランス大会に、大学の好意で出場が決
まった。また新たな挑戦が始まる。
・父親の事業が失敗したので、学費を稼ぐために
学生時代6年間、弁当屋をやった。実に楽しかっ
た!どうすれば、より売れるか考えた、学んだ。
これが面白かった。ヒッチハイクで日本全国を旅
した。人々の善意に触れた。学んだ。
★学ぶために人間は産まれてきた。すなわち、楽
しむために産まれてきた。
*編集後記*
・千葉学習センター所長宮崎先生が千葉大副学長時
代に、栗生明先生は芸術院会員に推挙されました。
若くして芸術院会員とは、まさに、千葉大学にとっ
ても栄誉でした。そんな栗生先生の最終講義を放送
大学生たちに聞かせたいと、急遽、企画した今回の
あるく・みる・きく会は、日本のロボット研究の最
前線ともいわれる野波研で、実際に研究中のロボッ
トを拝見できるというおまけも付きました。
・総勢20名参加の約半数は女性で、食い入るよう
に見ていたのも女性でした。みな還暦以上ですが、
目の輝きのなんと若いことか!感想にあった老人倶
楽部との違いは、ここにあるかも知れない。外見は
老人だが、みんな心は溌剌としている。
・栗生先生の講義にパワーポイント映像はなく、深
紅のカーテンの前に立たれた先生は、満員の聴衆を
前に、「私を育ててくれた恩人たちの話」をしてく
ださいました。そして、千葉大に入ってからの作品
は、千葉大なしには建造できなかったとまで言い切
り、満場の拍手を浴びていました。
ちばがく 第42号 [10]
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銭湯に「奇跡の一本松」裸でゴメン
須藤英二
あの悪夢の東日本大震災からもうすぐ2年(発行される頃は超えているかも)になろうとしています。
ここ、検見川(花見川区)の地で、大震災に襲われた東北の地の陸前高田市の大松原のなかで唯一本の松が
あの大津波に耐え抜き立ち残った姿が見られる。ここ検見川町1丁目に大正の頃からある銭湯“梅の湯”の女
湯壁面を飾るペンキ絵である。“梅の湯”の親父は何をトチ狂ったか、昨年の改装時にあの「奇跡の一本松」
を描かせたのである。-男湯は富士山―これが直後から新聞・テレビで執りあげられ、話題となっているので
す。(諸兄姉のなかでご記憶の方もおありか)それが、陸前高田市長の耳に入り、市長をはじめ、被災者その
他から礼状届くやら、電話が来るやらで、親父・おかみさんが対応に大変だったとか。
話は変わりますが、本誌愛読者のなかには、幼少の頃、若い頃、即ち昭和40年代頃までは銭湯のお世話に
なった方は少なくないと思います。この頃に「銭湯なんて知らねえよ」という人がおれば、それは自宅に風呂
のある大金持ちの坊っちゃん・嬢ちゃんか、山奥の銭湯もない所に育ったド田舎者のどちらかでしょう。(私
は後者)
銭湯なるものは、平安時代、時の権力者が庶民の衛生・健康のための救恤事業が始まりとされ、江戸時代、
湯屋とか風呂屋とかいわれておったものが、後年お代が一銭であった頃から銭湯と呼ばれるようになったとさ
れています。
戦前・戦後を通じ、世の中、例外を除いて、比較的平穏な道徳観を、各年代間を通じ共有しておりましたが、
近年の日本は何故か殺伐として、道徳観も何もあったものではないという世相になってきてしまいました。こ
れは一体何に起因するものか、これは銭湯にあるのではないかと愚考するのです。即ち、諸兄姉が銭湯で、年
寄たちから何となく教えられた、他人に迷惑をかけない、人への思いやりを大切にする、等々の道徳を伝える
場がなくなってしまったことだと思うのです。各家庭のポリ風呂では道徳教育などできるわけがないのです。
今からでも遅くない、日本の健全な道徳感涵養のため、子・孫と一緒に銭湯に行ってはいかがかと思うのです。
“隣の人は何する人ぞ”“人の不幸などわれ関せず”“他所の子供などどうでも”等々がなくなり、コミュニ
ケーションが円滑になること請け合いです。
しかし、問題があります。近年は銭湯は年々減少の一途にあり、今や銭湯の軒数はピーク時(昭和42・3年
次)の4分の1程度になろうとしていることです。つまり、利用しようにも近くに銭湯がない方も少なくない
という現実ですが、モータリゼーションの世の中、子・孫とドライブがてら銭湯を訪ねてみるのも、家族の絆
を深めるものとして一興かと思います。(ここでいう銭湯に〈スーパー銭湯〉は対象外)
私はここ10年、ほぼ1日おきに“梅の湯”に通い、放送大学の公開講座と共に死ぬまでの暇潰しを楽しん
でおります。今秋には“奇跡の一本松”は男湯に代わるということです。
昔ながらの番台で親父・美人のおかみさんとの笑顔での会話を楽しみ、客同士との馬鹿話を楽しみ、ストレ
スの解消をしております。因みに銭湯は大人420円、中人170円、小人70円ですが、日曜日は、65歳以上は
たったの100円、小学生以下はタダになってしまうという特典付きです。
―あれっ、居眠りしちった!そろそろ出ようか、“ザブー!”―
俳句
学は自家薬籠中のもの成らず・
・
・
渡邊 一
ちばがく 第42号 [11]
本松 週
学長へ贈る寄せ書き卒業期
無人ヘリ未来へ翔ける春の空
ロボットに勝てぬゲームや春寒し
ロボットの明日を開く木の芽時
卒業期教授最後の講義聴く
投稿
投稿
放送大学千葉学習センター所長 宮崎清先生
台湾で、熱烈歓迎受ける!!
第第7回ADCS・アジアデザイン文化国際学会
台灣國立高雄大學人文社會科學院で開催
*「ADCS学会」*
千葉大工学部デザイン学科元教授の宮崎清先生が
千葉大での約40年間、アジア各地の留学生たちを指
導。その教え子たちや研究者仲間と作った学会です。
卒業生は博士課程卒業後、自国で各分野の指導者とし
て活躍しており、今や日本との絆は、とても深いもの
です。2年前の東日本大震災の時には、先生の身を案
じたアジア各国の教え子から、すぐにお見舞いのメー
ルが届いたとのこと。曰く「多謝!」の一言です。
*基調講演*
3月2日の大会は、学会総会長宮崎先生の古希の祝
いと重なり、千葉大留学生時代の恩師のもとに馳せ参
じた元学生たちは先生の元気を喜びました。地元台湾
はもとより、日本・韓国・そして中国からは初めて入
国を許可された43人を含め、高雄大学の大会場は満
員でした。基調講演で先生は熱烈な講義を展開し、会
場は割れんばかりの拍手が鳴りやみませんでした。
【手汗想創】
ADCS学会
ロゴマーク
宮崎先生の造語
「辞書に載るで
しょうか!」
師は講演序説に「伝統的工芸意匠論」をかかげた。
日本では「伝統的工芸品産業振興法」が高度成長期の
1974年5月に議員立法として全員一致で可決された
経緯を紹介しつつ、いずれの国・地域においても「伝
統的産業を無くしてはならない!」と話された。
そして「生活者としてのデザイン」をテーマに、ご
実家の「じいじの椅子」にまつわる普遍のテーマ、親
から子へ→子から孫へとつながる愛情あふれる話しを
された。現在の日本以上に親に孝養を尽くすお国柄の
参会者たちは、先生の父上愛用の椅子を先生が引き継
がれ、座る映像を見て、感動していました。
*古希のお祝い*
先生は、滞在期間中、会いたいという方々の要望に応えて、1日に何回
も講演されたり、工房を訪問するという分刻みの日程をこなされました。
さぞ友好を温められたことでしょう。
晩餐会は豪華なホテルの宴会場で開催され、古希のお祝いにと元留学生
たちからは立派な銀の麒麟の置きもの・大きな掛け軸をプレゼントされ、
先生の涙腺は開きっぱなしでした。圧巻は、甘党の先生を知る教え子たち
が用意した結婚式用の巨大ケーキでした。太刀のようなナイフでケーキ
カットしました。ご馳走も大好きなケーキも、次々にお祝いに訪れる人々
との歓談・写真撮影にと、口に運ぶ暇がありませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同行取材記 澤田惠子
私は、先生が副学長を務めるうらやす市民大学の
お供で行き、図らずも同行取材となりました。
ちばがく 第42号 [12]
台湾研修写真曼荼羅
ちばがく 第42号 [13]
台湾研修写真曼荼羅
ちばがく 第42号 [14]
ADCS学会副会長
黄世輝・国立雲林科技大学教授
教授は韓流スター顔負けのハンサムで長身、日本語が堪能。
ジョークが楽しい、品のいい方です。
@2013年度、放送大・千葉学習センターの面接授業「内発的
地域生活文化創生」(6月8・9日)での講義を担当されます。
会場の高雄大准教授翁群儀准教授・大会事務局長はデザイ
ン科の学生たちを総動員して会場運営を展開されました。その
学生たちの温かさと可愛さに参会者一同は感謝感激でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*うらやす市民大学生親善*
うらやす市民大生は、ADCS学会で、日本語から中国語⇒韓
国語⇒英語に翻訳されての初発表。宮崎先生とは別行動で、そ
の後、台南社区大学(市民大学のこと)・台江分校を表敬訪問。
海尾朝皇宮の廟の中にあり、夫婦の情愛の優雅な踊りと実習を
体験。返礼に折り紙細工(雛人形)と春の歌の合唱を贈ったとこ
ろ、日本の統治時代に覚えさせられた日本の歌を思い出し一緒
に合唱。訪問各地の歓迎会冒頭の挨拶で、「統治時代の日本人
が優しく親切でした。カムシャカムシャ!」と感謝の台湾語を言わ
れ、市民大生一同、感無量でした。
原住民アミ族の住む高地阿里山に伺うと、3年前に台風で被
害にあった経験から、3.11被害街浦安と波長が繋がりました。
過疎化する古い町並み保存地区も見学。夕暮れ時になると音
楽の音と共にゴミ収集車と分別車が現れ、店の人々がゴミ袋を
持って現れ、誰かが散らかった枯葉を掃除して町は夜のとばり
がおりました。これには感心して夢中でシャッターを押しました。
団長は語ります「台湾・韓国・日本・中国の論文発表を4か国語
で聞けたのは、初めてで貴重な経験でした。国際社会の一端を
垣間見ることができました。ありがとうございました。」
@面白かったこと@
・うらやす市民大学代表が、発表のなかで、始めてスクリーンに
「浦安」という文字を出した途端、前席の男子学生が、スマホで
浦安の地図を出したこと。
・阿里山の原住民アミ族の村長さんがPPTを駆使してマイクを持
ち、阿里山中にこだまするプレゼンをしたこと。
・山の民宿の家族たちは39インチはある大型テレビに興じてい
たこと。
・言葉の通じないお手伝いの女子学生と私との共通語は英語。
でも、ipadを取り出した女の子が画面に漢字を書いたら、私に
も意味がわかり、私も漢字を書きました。お互いに意味が解ら
なければ、辞書機能を駆使して、日本語に変換すれば、私にも
理解ができ、山の中で、笑顔が広がりました。
ちばがく 第42号 [15]
投稿
【♪さぁ 小笠原へ】
「死ぬときに後悔すること25」の文中より~行きたい場所に旅行しなかったこと~
◆後悔しないための実行(♯3)
全科生:RH
《出航前日》
2012年12月下旬、私は名古屋在住の友人と待ち合わせ、前泊のため晴海ふ頭にあるホテルへと向かいま
した。
《クルーズ1日目》
お天気は晴れ。朝、集合場所へ着くと大勢の人達が乗船手続きをするために列を作っていました。(旅客
は700人弱)私達が乗船するきそは、既に岸壁に接岸。初めて間近に見るその巨体に目を丸くする。私は、
これからの船上生活にちょっぴりの不安と、ワクワク感一杯で出航の時を待ちました。
10時30分: いよいよ出航!!!汽笛が鳴ると一瞬旅愁を覚え、胸がキューンとなる。これは想定外の
感情。ツイン船室での4泊5日の船旅がスタート・・・。
《クルーズ2日目》
出航から帰港迄、船内ではさまざまな楽しいイベントが用意されていました。小笠原到着までに私達が参
加したのは、「操舵室見学」「オリエンテーション」「全身エクササイズ」など。
12時頃: 父島の二見湾へ到着!!!約25時間かけてはるばるやって来ました~~という感じでした。
しかし、きそは大きいため二見桟橋に接岸できず、二見湾沖に停泊。
13時過ぎ: 私達は通船(小舟)を利用し、順次父島へ上陸。この日は2時間ほどの父島滞在でした。
《クルーズ3日目》
午前中: 本船から通船で父島へ上陸。バスとボート利用の「三日月山・二見湾周遊」のオプショナルツ
アーに参加。現在も湾内には先の大戦時に沈没した船が残存していて、先端の一部が見えます。観光客が
訪れることの可能な場所で、他にもこのような大戦の跡が残っています。
夕食後: イベントの「船上ライブ&カウントダウン」に参加。例年ですと、私にとっての年末年始は孤
独感との戦いです。しかし、今回は側には友人。そして、見知らぬ人とは言え、大勢の老若男女と一緒に
除夜の鐘ならぬ汽笛の音を聞きながらの迎春は、とても感動的でした。
《クルーズ4日目》
船内で、私達より10歳ぐらい上のMご夫妻と知り合いになりました。M氏から、元日の午前中レンタカー
で島を巡るので一緒にいかがとのご提案。私達は有り難く受け入れ、ご一緒させていただくことになりま
した。4人の内の最年長M氏がカーナビ無しのレンタカーのドライバーを引き受けてくださり、島内を駆
け足で回りました。要した時間は約3時間。元旦は生憎曇りで初日の出は拝めませんでしたが、レンター
カーのお蔭で小笠原神社まで行き、初詣が叶いました。
お昼過ぎ: 乗り遅れないよう通船にてきそへ帰船。
14時頃: 出航開始。湾を出るまで、通船やダイビングなどでお世話になった7~8隻の船が、寄り添う
ように航行しながら私達を見送ってくれました。船客もそれに応えて手を振りながら、有難うとサヨナラ
を言い続けました。湾外に出ると、今度はクジラが別れを惜しむかのように姿を現し、ラッキーなことに
尾っぽだけでしたが見ることができました。
《クルーズ5日目》
幾つかの楽しいイベントやピアノの生演奏などを楽しんだり、ゆったりと太平洋の大海原を眺めながらの
来し方行く末を考える時間は、まるで別世界のようでした。
19時過ぎ: 晴海ふ頭へ無事帰港!(東京湾手前で数時間の調整待ち)
《クルーズを終えて》
初めてのことばかりの印象深い船旅でした。
島民の方のお話によると、今年は例年に比べて寒いとのこと。そのせいか友人は、クルーズ4日目の夜頃
から風邪を発症。私はその風邪を貰うというオマケが付きました。今回は父島のみの上陸で、島内の滞在
時間も短く行動範囲も限られました。
私にもう一度小笠原を訪れるチャンスが到来したなら、おそらく再び訪れることでしょう。
✎小笠原ミニ情報✐
★東京都小笠原村の父島は、晴海ふ頭から片道約540マイル(約1000km)。
★2011年6月、小笠原諸島は世界自然遺産に登録された。2012/6/1現在の父島の人口は2085名、母
島の人口は487名。それ以外は無人島である。
★1週間に1往復、定期船のおがさわら丸が運航している。従って、例えばスーパーなどの店内は、定期船
到着前は商品が疎ら状態となる。そして新聞(旧聞?)はまとめて1週間分が並ぶ。
★父島は沖縄と同緯度である。真冬でもブーゲンビリア・ハイビスカス等の花を見ることができる。
★この時期、山中では早くも鶯が鳴いている。また、メジロ?メグロ?(種類不確か)が、チョンチョン
と物怖じせずに人間の方へ近付いて来る。その人懐こく可愛い姿に癒される。
ちばがく 第42号 [16]
「きそ」 船体後方が通船の乗降口
第2次大戦中に沈没した船の一部
定期船「おがさわら丸」を望む
初寝浦展望台にある第2次大戦時の軍用施設跡
道路沿いに咲くハイビスカス
初練展望台から湾を望む
後方はサンゴ礁が打ち上げられてできた白い砂浜
陸から眺める湾
ちばがく 第42号 [17]
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私とフランス語
平野重與 教養学部社会と産業コース
今から数えて11年前のことでした。
現役の務めがともあれ無事に終わって、私は第二の勤めをしていました。仕事のなかみは違っていましたが、
これがまた奇遇で現役時代から良くよく存じ上げていた先輩のA氏と、職場が同居するオフイス・ビルの中で
働いていました。初めての新年度も2ヵ月ほど過ぎて、周囲の雰囲気にも大分慣れてきたある朝のことでした。
所用で事務所を訪ねましたら、A氏は、いつものように朝の執務時間前の楽しみ、英字紙「トリビューン」を
読んでいらっしゃいました。同じ系統の外郭団体で、かつお互いが事務局同士の気安さから、私は話しかけま
した。「良く続いている様子だけど、眼がイカレやしないですか?」「いいや、ねえな。」「ハイ。あ、そう
ですか。」
このことがその後の小生のOB暮らしに一大転機をもたらすことになろうとは、その折にはつゆ夢想すらで
きなかった。
暫らくは新たな仕事に紛れ、取り止めのない時が過ぎていました。そうした折のこと、ふとした思いに突き
当りました。(待てよ、あの奴っこさん。うん、それにしても妙に生き生きしていたなあ)(うん、「トリビュー
ン」英字紙か。――英語か。)それに引替えこの俺にしてからに、とてもじゃないがあんなに‘生き生き’な
んかしちゃいないよなー。そうだ。何かいいこと見つけて、自分自身に‘超’刺激を食らわせなあかんナ。)
自問自答が重なり合っていた。想えば生まれてこのかた、そのあらかたが、唯ただ、ひたすら働きに働き尽く
してきただけだったのではなかったのか。ここで「殊勝」にも、いや違う。未だあった「敵愾心」なのか、は
たまた親譲りの唯の負けず嫌いの故だったのか。(うん、ウン、そうだ。あの大将が英語なら、この俺に‘同
じ手’は在り得ないな。)独断と偏見の理屈が成立した。「一丁、フランス語をものにしてみせるか。」
想い至った暫らく後の或る朝のことでした。得意気に何時ものトリビューンに読み入っている親友に、今度
は‘自信’気に話しかけた。「あんたが英語だから、俺、フランス語を始めるよ・・・老後の楽しみに。」返事が
振っていた。「7年」と言いかけて、わざとらしく言い直した。「いや、最低10年続けられるかどうかだな」。
(所詮、挫折してできっこありゃしないよ。)嘲笑を含んではいたものの、しかし妙に温もりが感じられる言葉
を戴くことができた。(よしゃ)腹の底から気構えができた。決まりだ。後はどんな目に会おうとも事をやり遂
げるしか道はなくなった。やっぱ、持つべきは友というではなかったか。うん、そうだったな。やるにしかず
だ。
先ずは小手調べにとばかり‘身近で手ごろ’と言えば聞こえが良いが、つまりは「安上がり」なNHKラジ
オで、フランス語講座に挑戦し始めた。ところがどっこい、これがまたそれなりにいくら‘真面目’に「努力」
をしても歯が立たず、さっぱりモノになりそうにない代物だったと納得させられ挫け出してしまった。
始めからにしてが、がっくり。今度は人つてに教えてもらった東京はお茶の水で、何でも明治年間にできた
というその道で老舗の語学学校「アテネ・フランセ」で、JR料金に学校の月謝の込み込みの金を投入し、本
格的な勉強に取り組み始めた。ヤルゾウ、今に見てろ。とは言え、昼間は勤務でダメ。日曜日、祝祭日はこっ
ちが良くったって、今度は肝心要の向こうさんが‘お休み’でアウトだ。残るは夜か、土曜日しか手がないか。
とにもかくにも、時間の取れるやりくり算段が何を置いても先決すべき事であった。
それこそありとあらゆる手管を思案し工夫して、勤務の傍ら、無我夢中でフランス語の勉強を始め出した。
「A,B,C,D,」(ア,べ,セ,デ,)
‘姿’‘格好’は、当然のことに、得意げな、ザ「鼻眼鏡の老眼鏡」スタイルだ。そして教室の定席がいつ
も一番「最前列」だ。無論フランス人のフランス語の授業だから、説明、質問、答えと授業の始めから終わり
まで、ゼーン部がフランス語だけだ。こうして昼間の‘東京暮らし’が続いた。夜が遅くて、朝も早よからで
健康管理なんてもんじゃないんだ。こっくり、居眠りの一つもしたくなる。しかし悪いことに、名指しされる
から知らん振りができない。判りもしないのに、緊張を強いられている。何より浮か浮かしていられない。つ
まり「気」抜きができない。ただ、‘ドキどき’のしっぱなしで、ことの土台からにして、凡そ「授業」なん
て言えた代物じゃありゃしなかった。要するに、何が何だかチンプンかんぷんで、さっぱり解らないのだから
である。他に何の理由も事情もない。
えーい、所詮解らないものは判らないのだ。そのうち、顎が痛くなり始める。首が重い。然し席替えも板書
のフランス語の文字が「近視」+遠視+老眼=「良く見えず」だ。これまた思うに任せず参った。
やがて一日が終わり、やれやれ。こうした難行、苦行から解放されて夜の11時ころ家に帰る。着のみ着た
まゝだし、洗顔すらまゝならない。帰ったら帰ったで、今度は、明日の午前(10時)や翌々日の授業に備え
た単語調べから予習、宿題に取り組まざるを得ない。しかも、一口に朝の10時というがバス、JRの移動を
計算すると、遅くとも7時半には家を出る。こうした暮らしを週3回も過ごして、何時しか飼い慣らされた小
生は、生まれて初めてのフランス語なのにぞっこん無我夢中になっていました。そして一年が終わる極め付き
が、春3月の学年修了試験だ。いやはや、ことは只々、耐えに耐える日々が続いていた。
そうした新入りの年の夏暑い7月のことでした。翌8月から1個月の予定で、学校募集で生まれて初めてフ
ランスに滞在して、現地の語学学校の「フランス語」を勉強することになりました。ただ単に「物怖じもせず」
なら、それはそれでわかっていただけるかも知れない。が我思うに、とどのつまりが単なる冷やかしか、冒険
心からだったことは、紛れもないことだった。‘ホゥム・ステイ’か。何より「何となく」‘格好’がいいな…。
それに、何せ初体験だし…。見るも聞くも超新鮮だな。いい気なもんだった。
ちばがく 第42号 [18]
が、万事に読みがことごとく甘かった。事態の意味が何も判っちゃいないのだから始末が悪い。むしろ「始
末」云々より、事はそれ以前の問題なのであった。しかし、ともあれ物事には‘乗りかかった船’の喩えもあ
ると言うではないか。予めの手配通り所詮こちとらは「客人」なんだと、のりのりの調子でエールフランスの
人になった。
目指すは地中海の古い町の保養地だ。かのピカソが終生のアトリエとしていたことでも有名な‘アンティー
ブ’である。先ずは決められていたホゥム・ステイの人達とお初の面会の段になったのは良い。怖いもの知ら
ずの我は、相も変わらず‘意気や衝天’だけの単なる脳天気な気分だけが満タンの在りさまだった。が、万事
休した。その訳は簡単で、無論のことだ。周りはみんなフランス人だから、フランス語を話している。当たり
前と言えばあまりにも当たり前だ。しかしこの当たり前なことが何もわかっていないし、何より判りようがな
かったのだから何をか言わんやだ。
明けて、学校の初日の朝が来た。学校と名が付けば何処も同じで、全ての面でことの始まりが素早い。予め
「集まれ」と指示された8時半きっかり、学校の諸‘注意’よりむしろ「訓示」とも言える話しで始まった。もち
ろんフランス語だ。これがまた扼かいなことに、ビジネスつまり業務で話すものだから、チンプンかんぷんで
全くわかりっこなしと来た。おいらのようなペイペイなんか‘配慮’にならず、委細構わずぐんぐんと進む。
しみじみ気付かされたことが、何でまたこんなことになり果てたのだろうか。
とにも角にも何がしかの金を遣い、殊勝にも意気揚揚に加えて意気軒昂にフランスくんだりに乗り込んだそ
の初日からにしてこの態だった。
あっという間に9時になった。バカでっかいホールに集められ、クラス分け試験が始まった。つまり理解度、
能力を把握されて、その「程度」毎に‘選別’されるわけである。周りを見渡したらみんな若者ばっかり。鼻眼
鏡、老眼鏡スタイルは、今回はたったの1人で他に見当たらない。日本国の老人クラブでは、どこにでも有態
に見られるような「枯山水爺」やだった。譬えは悪いが、何やらどこかの科目認定試験と同じに映った。試験時
間は確か2時間30分で、問題数が130問あったか。この問題がまた実に込み入って、憎たらしいほど巧妙に
できていた。さすがにフランスの教育機関だけのことはある。もちろん、文法に始まり、文章理解、発音とあ
まねく出題されていた。ただし、「作文」つまり和文仏訳は連中にとって一切係わりがないからゼロだ。やがて
昼過ぎ掲示版に発表された結果の夫々の教室で、午後1時からいよいよ「本場」フランス語の‘お勉強’が始
まった。ここはそう、全員で11~12人ぐらいの生徒数だったかな。ここでも‘老人クラブ’代表みたいな小
生がまたまた1人、ピチピチむんむんのなかに配属された。しかし、それにしても何だか聞いていた割にクラ
ス人数が少ないな。あんなにドヤドヤ試験やっていたのに。後で判ったその訳が何と、「これ以下の程度の低
いクラスがない」という‘新入り’だけのクラスでありました。ちなみに、同じアテネの他の連中はどうだっ
たか。みんな理解力の程度が「上」で別口扱いだった。
以後のこと。何をするにも、かにをしようにも、いつもどん尻グル―プで過ごすことに相成り果てたのであ
ります。ハイ。ままよ、どうにでもなれば良い。要するに楽しめばいいんだと強がってみては思えども、この
期に及んだ悔しさと侘しさにつきまとわれて仕方がなかった。こともあろうに、遥かな異国の地で去来してい
た‘初体験’であったことは、紛れもない出来事であった。
が、その後の事実は思わぬ展開をしてくれた。「縁」‘えにし’はあまりに正直で、しかも、侮れなかった。
何が、何故なのか。何と毎年、小生の渡仏滞在が途切れることもなく、ずっ、ずうっと続き、目下その記録を
更新することになったのである。そして、「あろうことか」、在り得まして、昨年の盛夏8月がちょうどの10
年目で、延べ10回を超えることができました。
かつては1人で己が不遇を囲ったやり切れなさも何処へやら、今やルンルン気分でのりのりのフランス語に
成り変わってしまった。初体験のフランス滞在に生まれた赤ちゃんが、既に、今や10歳に成長したバリバリ
の小学生です。間もなく、そうです「中学生」なのでーす。
4年ほど前の春でした。どれほどまで我がフランス語が成長したのか。‘単独飛行’の力試しにと、これま
で「継続は力なり」だとして、絶えることなく‘叱侘激励’で静かに成育をじいぃっと見守ってきてくれた「上
さん」のご恩返しを決心した。
先ずは地中海沿岸はモナコ、ニースとまわった後にパリと、延べ10日間の‘2人’旅の個人旅行を完成し
て「私設添乗員」に成功できました。それこそ小さな小さな’番外編‘のメニュウで、並みの観光コースにはな
い村や町のぶらぶら旅行を満喫できました。(ツアーが楽じゃなかったかな?)「超、楽ちんだった」いやはや、
これぞ生きた実地「試験」と言えやしないかな。
その記念すべき10年目、昨年夏のヴィシィ滞在を、「10年前」の「新人」時代と比べてみたい。
滞在地ヴィシィはフランス国土のほぼド真ん中で、‘オーヴェルニュ’地方の古いふるい町です。大きくみ
るとフランス中央山塊、つまり超でっかい「マシフ・サントラル」だ。この地域の特徴はヨウロッパのアルプス
山系の山やまが、地中海目がけ一気に眞逆さまで落ち込んでいることです。そして、今では、休火山のピュ
イ・ド・ドーム山を取り巻く馬鹿でっかい火山群で有名な地域です。また、赤茶けた火成岩や大小の湖の景色
の雄大さには格別なものがあります。また、スペインのピレネィ山脈を越え、中世のコンポステーラ巡礼の古
い街道で栄えた地域と語り継がれている。まあ平たい話が、日本の‘宿場町’物語りに相当する由緒ある「い
にしえの町」で、21世紀の今でも至る所にそこはかとなくそんな雰囲気を漂わせています。
ホゥム・ステイの家族は、こちらのことを良く吟味してくれていました。それこそ年齢、趣味に始まり嗜好
やこれまでの仕事、職業のこと等、極端な私事に立ち入らない限りで、予め双方が情報を交換し合っているか
らです。では、どのようにしてこうしたことが安心してできるのか、それには次のような事情があるのです。
ちばがく 第42号 [19]
つまり、「海外留学」といった特殊な分野に精通した全幅の信頼があり、かつ、そうしたキャリアを持つ企業
が必須要件とされ、全てに先行すべきことだとされている。さらに、フランス現地の語学学校からそれなりの
評価と信頼を獲得して、しかも永い実積がある。「信頼感」という点でいささかなりとも懸念が残っていては困
る。そして、最終的には、現地の学校長が仲介と身元保証の役割を担ってはじめて一件が落着する仕組み。こ
のように慎重にも慎重に仕組まれていることには、事案が即座に安心、安全にかかわることであり、当然と言
えば当然なことだからである。
さて、去年のそのヴィシィのホゥム・ステイのお二人さん。孫たちや子供たちといっても40代や50代だけ
ど。時には親しい近所の友達をペアーで自宅の夕飯に招き、やれどこそこのワインだ、いやこれはストラス
ブゥルの‘名産’だ、いやボルドゥだと毎週1回ぐらいこの‘日本爺さん’をネタにして「民間外交」に興じ、
大いに盛り上がって楽しみ合いました。ただし、見慣れ、聞き慣れた「音曲・歌舞」の類は一切ゼロで、唯ひた
すらにお話を楽しむだけである。
皆さん夫々が名を遂げられたに相違ない矍鑠とした姿を近くでお見受けさせていただき、たいへん有意義で
啓発されるものが多々あった。しかも、話題の豊富なことには、いささか辟易させられました。(うん、これ
が文化の違いなんだな。)「日本は・・・日本は・・・日本・・・」何時しかこっちも黙っちゃいられない。ワインのせ
いなのか。はたまた「分相応」の俄か会話‘度胸’のなせる技なのか。いつしか自然に話のなかで‘議論’をし
て、夜も10時、時には11時と更けていった。緯度のせいか、日本に比べまだまだうっすらと明るい夜のとば
りが、何とはなしに未練に感じられ眠くはない。「明日の宿題を撃破、やっつけなくっちゃな。」日本男児いや、
痩せても枯れても日本国老人の沽券にかかわるとばかりに‘義憤’にすら感じちゃうから不思議なもんだ。
だからして、まぁまぁ、異国暮らしも見捨てたもんじゃないな。
かたや昼間の学校暮らしだ。是がまた真に変化、多様性に富んでいるから実に楽しい。私と同じクラス仲間
が例えば1人でもいたとする。これだけなら、たまたまクラス分けでそうなったに過ぎない。しかし、その国
から一緒にやって来ているが他のクラスに所属している友達仲間の‘彼ら’‘彼女ら’が結溝いる場合がある。
昼休みや休憩などですれ違ったりすると、そうと思はしき見ず知らずの若者から親しげに声をかけられたりす
る。挨拶されると超嬉しくて、わくわくさせられて嬉しいものだ。思はず、一人合点して悦に入り、ほくそ笑
んだりしている。明るく、いい気分にされた晴れがましさは、掛け値なしにいいものであった。どこかの国の
若者とは大違いの差があり過ぎるといってもおかしくはない。
多分小生と同クラスのそうした若者たちが、同じ国から来ている他の仲間に「ねェねェ、聞いて、聞いて・・・」
とばかりに、「日本爺や」の話しが面白、可笑しく飛び交っているなと思えば、ごくごく自然なことに思えた。
肝心なフランス語の習得よりも遥かに大満足させられ、フランス語がその折は一時どうでもいいようになるか
ら「人間」我が儘勝手なものといえやしないか。パレスチナ、アルゼンチン、カザフスタン、ブルガリア、ロシ
ア、ポーランド、モロッコ、インド・・・皆、みんなが夫々にわけ隔てのない、持味を生かした民間外交を繰り広
げてくれて大満足だった。「掛け値無し」に、小生の何にも替え難い‘貴重’な「体験」の財産になっている。
顧みて毎年を積み重ねれば、一夏平均で仮に100人の生徒が集ったとして10年だから延1、000人余りの異
国の見ず知らずの若者たちとの貴重な出会いの可能性に、常に遭遇してきたことになる。語り尽くせない漫談、
奇談、ドキドキ談に加え真面目、そう、少しやや不真面目なお話や町の市民対話等など。そうです、こうした
宝物は私自身の胸に、尚暫らくはお蔵入りさせていただきとうございます。
世に「十年一昔」といいます。今改めて思い浮かべたら、どんな地域、どんな町、どんな山、どんな川、どん
な湖で過ごしてきただろうか。思いつくままにフランスの地図を左回りしてみようかな。先ずはストラスブゥ
ル。街の雰囲気が、中世のドイツそのものだ。観光客なのかな。ドイツ名「シュトラウスブゥルク」が自然に似
合う。(皆、ドイツ語でドイツの方々ですか。)土産物屋のマダム「いいえ。皆さん地元の方よ。それがアルザ
ス・ロㇾ
イㇴ
なのよ。」
次いでアㇴ
シィ。いにしえがロウマ公の直轄領のオウッ・ザヴォアの国で、中世の残影が色濃く残る美しい町
。トニィ・ザイラが一際光った映画「白銀は招く」や「アルプスの少女ハイジ」物語のヨウロッパ
だ。グルノォブㇽ
高地の豊かな自然に接して、忘れて久しい若かりし時のロマンを掻き立てられ何やらくすぐったかった。
アンチィーヴ(3回)。「ホゥㇺ
・ステイ」として、もちろん忘れられない初めての滞在地だ。夢を馳せた、初な
想い出が堪らない。
エクス・アン・プロヴァンス。かつてロウマ時代の将軍アクスチウスが軍政を執いていた時のことだ。湧水
に恵まれたこの地の豊かさが気に入り、自分の名を命名したことに由来するという。また、セザンヌがその晩
年を過ごした地だ。実に延80回以上も描き続け、最も愛したモチィフだった「サント・ヴィクトワァル山」が聳
えて、この由緒のある地を見守っていた。
ボルドゥは、かつてイギリス領だった。1152年、広大な土地の所有者‘アリエノゥル・ダキティヌ’は、
やがて後のイギリス王アンリ・ブランタジュネとの結婚で、ここボルドゥを中心にフランス南西部一帯の豊穣
な土地を持参金代わりに、つまり現ナマに替えて「嫁入り財産」としてイギリスヘ譲った。歴史の事態は、摩訶
不思議なものだ。やがて国際貿易の中心地ボルドゥは、一躍、大西洋の巨大な海洋基地を持ち、やがて大西洋
の覇者に変った。何故なのか、イギリスがフランス・ワインの最大の市場となり、こうした地の利に恵まれた
ボルドゥに莫大な‘富’を、縁談に代わって「フランス国」にもたらしたのであった。寒い国のイギリス人が、
自国のスコッチよりも殊のほか柔らかで「上質」なフランス産ワインに、ぞっこん無中になっても不思議はな
かった。その後ボルドゥのブドウ畑は、「イギリス人」の‘お蔭’で大きく、大きく発展できた。何が不幸で、
何が幸いなのか。
思うに人間に酷似した生き様を、一国の有り様に重ね合わす想いがしたが、想い過ごしであろうか。他方で、
ちばがく 第42号 [20]
海洋国の面目躍如たるナポレオン海軍の母国軍港の歴史をも持つ。当然、高い土木技術にも優れていたに違
いない。
ラ・ロッシェル。アラン・ドロン映画の完全殺人、完全犯罪が、その最後の最後の一場面で鮮やかな、ど
んでん返しに終わる。若いニヒルな若者の世界が今も瞼に残る、そのロケ地だという。アンジェは世界に今
もってその名を馳せる、中世タピスリィの貴重なオリジナルが保存され、展示する有名な古城で広く知られ
る古い町だ。
そして、ヴィシィ。昨年の夏1個月過ごしたホカホカな滞在地だ。1942年代の第二次世界大戦下のヨウ
ロッパ。ナチス占領下のフランス政府が首都パリではなく、ここに存在したという謎に包まれた歴史を持つ。
その垣間見えた一端とは、ヴィシイ将軍が指揮した政権の庁舎と、狭い路地を挟んでスイスとアメリカの大
・ド・ゴゥル将軍は、政治亡命したロンド
使館が共に隣接するように置かれていたことだった。片やシャルㇽ
ンから大西洋を越えて「イッシ、ロンドㇽ
」と抵抗をフランス国民にラジオ放送で呼びかけていた。何ゆえにか
かる環境が占領下とはいえパリではなく、今時にトラヴェラァズ・チェック、‘旅行者用小切手’すら使え
ない片田舎の町で、息をひそめるように、或る時代に存在できたのか。今後の勉強で、示唆を得ることがで
きたような気がしています。
これでホウム・ステイではない番外編の体験、国立グㇽ
ノゥブㇽ
大学の滞在を加えて延10個のレジョン、
地域になったかな。
では視点を少し変えて、主な都市や町、山々、大きな川、大きな島々ではどんな所があったのか。
先ずはアルザス・ロレィヌから。名に高い地下資源を巡って繰り広げられたフランス、ドイツ、また、ど
いつ、ふらんす、との因縁めく確執と生臭い歴史が今なお感じられ、歴史とは厄介なものである。
続いて、ロォヌ・ザルプ。それこそアルプス高地の山小屋にランドネ、つまり山の尾根歩きと、‘アルプ
。ロウザンㇴ
は、スイスと皆一衣帯水の仲間
スの少女ハイジ’の世界そのものである。マッシフ・サントラㇽ
マァル、ディジョン、みんな皆、中世時代に暮らしているような
の間柄だ。ヴサンソン、オォベルニュ、コㇽ
雰囲気だ。
リョン。第二次大戦のナチス占領下、軍政の中枢機能としてゲシュタポ本部が置かれていた。一方で、古
のロウマ植民地時代の市街地に残った‘迷路’網を生かし切り、対独抵抗運動に成功したフランス・レジス
タンスのフランス本国の本拠地として、強烈な印象が今も残されている。
ナンシィ。パリ地下鉄の入り口を飾る、つる草のような鉄柵。こうしたアァル・ヌゥボゥの傑作に見られ
モン・フェラン。旧市街地のロマネスク、ゴ
る19世紀末の新芸術やロココ美術の生まれた古い町だ。クレㇽ
シック様式の、やけに黒ずんだ大聖堂やら街並みに驚かされる。訳は近くの火山で採取した石を建設の材料
に使っている。良く‘白い色’を見慣れた目には、むしろ重厚さが感じられ新鮮だ。
ニィス、モナコは共にコオゥト・ダジュウルを代表する全「世界」供用の保養地で、一大観光地だ。
コㇽ
ス(コルシカ)は、かつてイタリアリ領土だったが、その後フランス領にされた。何より「ナポレオン一
世」の生まれ故郷だ。その生家も綺麗に保存され、近くの広場の銅像が‘凛’として、何故か東方の地中海
イタリアを見据えている雰囲気があると言ったらお門違いかな。ちなみに、今もフランス海軍の公式セレモ
ニイは、フランス本土ではなくてこの広場で執り行われているという。なお、何故かお墓はパリの‘アンバ
サッド’で厳粛に祀られている。
エッズは可愛くて、お伽話に出てきそうな小さい、小さな村である。
カンㇴ
。いはずと知れた世界映画祭の本拠地だ。見慣れたアプロゥチの赤絨毯の階段スロゥプが、華やいだ
雰囲気を振り撒いている。世界的な映画の祭典の雰囲気を、一擧に感じさせてくれるから嬉しい。
サン・トロッペ。レジスタンスの闘士、イスラム文化や革新的な社会政策で貢献したミッテラン大統領が
眠る美しい地中海の島だ。かつ、著名な一流中の一流の映画女優が一番好んで住む島と言われている。ミッ
テランさん。美女、美女のお人形さん達に囲まれ、むしろ第二の世界の楽園をさぞやお楽しみかもしれませ
ん。
次がトゥロンでフランス海軍の母港基地だ。急峻に雪崩落ちる山塊を北に背負い、真南の地中海に面して
開けた天然の立地環境で有名だとか。第二次大戦のドイツ空軍はフランス海軍の基地攻撃で多大のハンディ
キャップを負わされたのに、対するフランス海軍は悉く「自然の利」に助けられて有利に戦えたという。退
・ドゴゥルが、威容を誇るように仲間の艦船に見守られ係留されていた。
役した原子力空母シャルㇽ
マㇽ
セィュはかってフランス入出国で、国の「玄関口」の役割を担った長い歴史を誇る‘国際的’な港町だ。
かつての明治年間のこと。江戸の体質を引きずり手こずりながら、幾多の先駆者や著名人も渡欧、渡仏で利
用したに違いない。
次いでアルㇽ
、プロヴァンス、ポンデュガㇽ
、エグモㇽ
ト、モンペリェ、カㇽ
カソンㇴ
。皆夫々に独自の文化やカ
トリックの伝統を育みながら、中世の面影のなかに近代を暮らしている。サント・マリィ・ド・ラ・メィル、
ポンデュガル。それぞれに個性に溢れていた。
トゥルゥズ。13世紀創建にかかるカテドラルとエエㇽ
・ビュス(エアバス)の航空機メェカァで有名だ。蛇足
ですが例のアンチィイブでご厄介を戴き忘れられないホゥムスティのシェフ、主人が、定年まで働いたその
職場がある想い出の町だ。今話題になったボウイング新鋭機の日本での旅客機騒ぎで、‘日本製’のリチゥ
ム電池はこれまでの開発を設計変更して、搭載、使用を取止めにするとか。中世の聖堂に始まり、最新鋭の
工業技術が一杯の拠点都市で魅力に満ちた近代都市であることは間違いのないことだ。
ちばがく 第42号 [21]
さてその大聖堂。中に何と黄金色に輝く銘鈑が‘でん’として、ご本尊のお祭壇よりも周囲を睥睨して建っ
ていた。折角の機会だと‘読解’に挑戦した。が、とんと判らないし、全く要領を得ない。仕方なしに丁寧に
写し書きして日本に持ち帰って、じっくりその訳を調べたら「帰国後」にその事情がわかった。つまり、由緒、
故事来歴であることは明らかのようだった。よし、今度こそと満を持して「読解」の段になった。だが何と三分
の一がギリシャ語、三分の一がラテン語、残りがやっとのことに‘フランス語’であった。半分強でフランス
語以外の言語で語られていたのである。トホホ。情けなさに、思わずがっくりだ。いやはや、「異文化」を極め
るとは、なんと困難なことであるのか。その一端を思い知らされました。
ナントのジャルダン・プュブリュック。良くもまあ、弩でっかい植物公園を造り、管理の見事な徹底さに圧
倒された。深緑の木影に憩う、赤い羽根の野鳥が綺麗だった。
ヴァンㇴ
、カㇽ
ナック。自然な風化で、巨大な原石が異様さを誇示していた。昭和30年代まで住んでいたとい
う石窟、石の居宅に圧倒されてしまった。その後は強制的に使用が禁止されたがその訳が環境衛生上のことだ
けであり、今でもただ「寝起き」するだけなら‘超’ 快適そのものだそうな。いやはや、フランスにもかかる文
化が、間近な時にまで存在していたとは・・・。
ブレㇲ
トは、日本と同じ海洋国フランスの歴史を堪能できる街です。18~19世紀の日本との交流が自慢のよ
うだ。またナチスUボート(二人乗り)のオリジナルが常設展示されていた。「日本から伺いました」と売店の若
アゼㇽ
に話しかけました。入場券を買い求めていたら、買わないうちに少し奥にいた‘主任風’のおっ
いマドㇺ
さんが、「良くいらっしゃいました」と言いながら愛想良くスッ飛んで傍に来た。女店員等も、何やら小生と話
をしたい素振り、風情だった。彼女らもそうそうこんな田舎町くんだりまで、物好きにしても日本人が来ると
は思ってもいないに違いないとみた。しかも、枯山水爺さんだ。こちとらにしても乞い願わくは、髭面の
‘おっさん’よりも「数十段」も遥かにそうあって欲しいと期待しても‘あったりまえ’のことです。ハイ。で
すが残念でした。若い娘さんは傍に来てくれませんでした。それからというもの、「じゃ、有難う御座いまし
た。バイバイ。お元気で、お幸せに」と定型のセリフを言うまでずうっと小生に付きっきりで、館内や外周部
一帯を細かに案内してくれました。
話しが変わる。この地域はかつてのナチスUボートの拠点基地だったという。ドイツ海軍は、この有力な一
大潜水艦基地の地の利を生かして大西洋を牛耳り、ために連合国は「石歯扼腕」させられて‘天敵視’した海洋
ゲンスとロバァト・ミッチャムが夫々の潜水艦の艦長を演じ、大西洋の荒海を舞
基地であった。クルト・ユㇽ
台に心理戦の戦闘を描いた映画「Uボゥト」、ダス・ブゥトはここが舞台だったという。基地の主要な艦船を、
モデル縮尺で説明を受けていた時だ。突然に説明に力が入った。「ヘリコプタァ搭載で、遠洋航海に優れてい
るんだ」と自慢し始めた。フランスは植民地時代の島々を、「海外県」として今でも幾つかを領有している。パ
トロゥルや公務で必要なんだそうだ。そのなかで見覚えのある艦に気付いた。想い出した。(東京湾で、この
艦上で公式夜会のレセプシォンを過ごしたことがあります。)おっさん、おったまげたのなんの。(ヘリの操縦
席に、ワイングラス片手に乗せてもらったよ。)実は以前のこと。フランス海軍の巡洋艦がインド洋を経由し
てロシアのウラジォストックまで、各寄港地の国々との親善と乗組兵の技術鍛錬の遠洋航海で晴海埠頭に来航
したことがあった。小生もこの折に、ある縁に恵まれて参加したことがあった。「民間市民」との交流を深める
目的であった。かくして、よもやこんな機会で、ブレスト市民と生涯で二度と考えられもしない、‘逆説’市
民外交を体験できました。
さて、次はどこか。レンㇴ
、港町サン・マㇿ
の後はモンサン・ミッシェルだ。中世も中世で、708年のことだ。
アヴランシュの司教だった聖オベェルちゅう高貴なお方が、夢のなかで尊い神のお告げを授かり、小さい、
ちっちゃな礼拝堂を建てたことに始まった。966年に本格的な修道院の建設が始まった。ただし、ここで他と
の決定的な違いが、その建築様式がいくつにも混ざり合っていることだったという。例えばサン・マルタン地
下聖堂が、ロマネスク様式。教会内陣がロマネスク様式からフランボワィヤン・ゴシック様式。ラ・メㇽ
ヴ
ェ
イュのゴシック建築など、一筋には行かない特色を持っている。こうした伝統に育まれ中世は巡礼者を広く受
け入れて、ひたすらにお持てなしを施たり、一心不乱に神の道に尽くしていた。ところがそうした後のことだ。
時は皇帝ポレオンの御世のこと、主に時の政権に刃向う政治犯を強制収容する軍用の「城壁」に暗転したのだっ
た。
限りなく敬虔な神の救道から、今度は限りなく反転した「暗黒」の道の館に変わり果てたのである。‘神の’
修道院から‘強制収容所’の修道院へ歴史が激変した。今でも強制労働に使われた「大車輪」や死体収容所の跡
地も残され暗黒の時代が偲ばれる。こうした「修道会」はフランス革命で強制解散させられた。が、牢獄機能は
捨て難いのか牢獄の役割は続き、その時々の様々な政治犯や反体制派が島送りされた暗い歴史が今も語り継が
れている。さらに19世紀、1863年のことだ。時節が変わり、やがて中世芸術を再評価する波に乗った。その
比類のない景勝の美しさが改めて評価されたのだ。しかし、万事で事が上手く運ばないものだ。現代の21世
紀は、凡そ中世とは当然に様変わりだ。つまり、環境汚染対策に追われて、先の見えない金と技術とを湯水の
ようにつぎ込んでいるという。さて、この知恵比べ、観光が落す‘ユウロ’と‘お賽銭’の合計額との「損得
勘定」だ。21世紀の金目の闘いは、果して如何なる顛末を後世の世界史に刻むのでしょうか。それらはそれら
でまた別次元の予測し難い難題を、人類に突き付けているものとみたい。果して人類の「高度なる文明」は未来
に向かって、いかなる名裁きを後世に残せるものなのか。中世と比肩することさえ不可能な「責務」を人類の
‘業’として負わされているとみたら穿ち過ぎるか。それとも、中世等よりまだよりましだと強弁を仕切れる
とでも言えるのか。いや「言い張る」つもりなのであろうか。
ちばがく 第42号 [22]
シュヴェリュニュ。次がアキティンㇴ
地方と言うならバイョンㇴ
だ。スペインにまたがるバスク地方の中心都市
で古代ロウマ時代の街道筋の町だ。しかも12~15世紀の貿易港で栄えたスペインの香りが漂う、品格を感じさ
せる国境のいにしえの町である。街の歴史博物館に、かつての自国フランスの植民地政策で犠牲にされた幾多
のアフリカ奴隷の実態が、貴重な映像やスチィル写真などで、より体系的に、より生々しく工夫した展示に思
わず眼を凝らされ夢中になった。こうして歴史の「事実」をありのままに直視する姿勢には感動させられた。と
かく隠蔽したがる人間の性や性質のことなどを、取り止めもなく想い出したりして、比較していた。
ロゥヌザㇽ
プ高地。山小屋とランドネ、山の尾根歩きの世界だ。
そして、シャモニィ・モンブロン。名峰モンブロン登山や観光で由緒を誇る、永い、長い歴史の麓の町だ。
さて、そのヨウロッパで随一を誇るモンブロン山。その御姿の初拝見がバッチリ、どんピシャリの快晴、無風
のお天気に恵まれました。つまり、できる限りその雄姿に接近し、肉薄する挑戦に大成功できました。‘ブラ
ボゥ’、「万歳、万歳、万歳」。
「エギュイュ・デュ・ミディ。」モンブロンを間近に眺められる、世界でも指折りの展望台だ。比較的、軽装
備な服装で高速ロープウエイを一回乗り継ぐだけで、真夏の地上から真夏の‘氷点下’の世界へ一気に舞い上
がれる「優れ」ものだ。麓の乗車駅広場の電光案内板が、気温摂氏26℃を示している。乗客は皆色とりどりだ。
飛び交う言葉も、それこそいろいろ聞こえる。ロシア語、スペイン語、英語、イタリア語、ドイツ語に勿論フ
ランス語だ。ワクワク気分で、しかしどことなく貨物運搬車風な雰囲気で発車した。途中で「乗り継ぎ」があっ
た。が、このときは何故なのか分からずじまいだった。終点に降り立って、展望台で経験した苦いことでやっ
と事情が判った。たかが唯の「見晴らし台」展望台ではなかったのだ。高度凡そ「4,000m」、気温「-4℃」の別世
界だ。当然のこと、富士山の頂上よりも高かった。勇んで降り立ち「ああ、いいな。良いな、いいな」と無我夢
中で、写真を撮りまくっていた。下で買った昼飯を食おうとして気がついた。「うす頭が痛くて、何とはなし
に重たい。薄吐気がして、食欲はムカつきでゼロだ。」立っていられないから、土産物屋のベンチに座り込ん
だ。見渡したら周りにもいた、居た。ゲェゲェ吐いている人、ペタンと座り込んだままの人、顔色が真っ青で
血の気がない人達と、夫々の姿があった。そうです、軽い高山病でした。‘面倒ちい’乗換えだなあ。いいえ、
とんでもないことであった。その中継基地で頂上着に備え、深呼吸をしたり、足腰、手脚、体を動かしたり、
この後に放り出される4、000ミリの空中の体調に慣れさせる、親切な「仕掛け」だったのである。思えば他のこ
とに舞い上がっちゃっていた。しかも、ゴウゴウ、高速ロゥプウェイの機械音の中の缶詰めだ。仮に車内案内
で説明があったって、判りっこなしだったのだ。
話を戻す。かれこれ10文くらいジィっとしていたかな。えらい永いように感じたけど。どうにか幸いにも気
分が落ち着き、体調が普通に戻ってくれた。ヤレやれ、「助かった。」その時ほど心底から我が身の健康を、今
は亡き両親に思わず感謝していました。‘大げさな’。だが事態が最悪‘ヘリ救助騒ぎ’に悪化していたとし
ても、為す術もないことであったと言える。
さても、お目当てのモンブロンさん。快晴のなかひときわ丸いなだらかな容姿を雪化粧して、どこか「楚々」
とした雰囲気の中で上品に佇んでいました。上は10,000mクラスの初秋の高層雲だ。直ぐ眞下に3,000mクラス
の夏の千切れ雲、その更なる下方には目にも鮮やかにキラキラ光る万年氷河‘メェㇽ
・ド・グラス’だ。左手は、
あくまでも限りなくゴツゴツと鋭く切り立ち、尖ったレ・ドリュやレ・グラァンド・ジョスラス等の隣国イタ
リアの地球の屋根がどす黒く連なっている。そうです。正しくいにしえそのものの、雄大なパノラマを堪能で
きました。
続いてオゥツ・ザㇽ
プ、ソンㇴ
川、ロァアル川、ロウㇴ
川、セィヌ川、ジロンド川、ブゥルジェ湖だ。アㇴ
シィ湖。
水深が凡そ1、400ミリもあるのに、ヨゥロッパで最も透明度の高いことで有名な湖だ。遊覧船で巡回したら、
自然が一杯「生きている」感じで羨ましかったです。
アㇽ
プス山脈、中央山塊、ジュラ山脈、ヴォウジュ山脈、ピレネィ山脈。バスク地方などがつい昨日のように
想い出されます。書き足りずに終わらせて戴きます。
ざっと見渡して、こんな感じだったかなぁ。「10年」とは言え長いようでいて、それほどに感じられないのは
どうしたことか。ひとえに、小生には事があまりにもパンパンに膨れ上がって充実し過ぎた年月だった。単に
「数字の10年」でなかったからだと思えてならない。
あ、そうでした、忘れていました。今、アテネ・フランセはどうしているのか、でしたね。ハイ。バッチリ
取り組んでいます。フランスは、EU圏各国の夫々の国民の利便のために、自国語フランス語の理解力または
会話能力の域内での「共通指標化」を独自に設定しています。そのような仕組みを挙げて構築し、信頼される運
用をしています。それによれば‘B2’で、目下そいつと悪戦苦闘の‘格闘’競技中であります。さすがに通
学回数こそ「週一」の一回と‘激減’しました。が、その代わり中身です。内容が‘濃いめ’になっております。
まあ、ボケ予防でしょうか、ネ。考えてみたら、です。
さァーてと、番組は更なる進化を遂げます。今年の真夏は、どこさ行っかな。
ちばがく 第42号 [23]
さぽた通信
*鎮魂の祈り*
さぽた編集部 澤田恵子
3.11・東日本大震災から、2年を迎えて・・・
JR京葉線新浦安駅前広場で、14:46 黙祷!
今月、3月10日(日)14時46分、私は、この集いで、昨年同様に、「黙祷!」の合図に合わせて目を
瞑りました。わずか2年前のことなのに、人々は大震災があったことを忘れたように思います。被災地・
千葉市美浜区の我が家附近も何事もなかったかのような日々です。うらやすでは、まだくずれたあとが残
る駅前広場で、昨年よりも規模は縮小されましたが、【うらやすから東北へ!】を合言葉に、東北の方々
をお招きして、子供の歌声や絵で、暖かい交流を図りました。以下、取材しました。
*防災救助犬「アンリ号・アリス号、5歳」の活躍*
・NPO法人日本救助犬協会 浦安チームが、ハンドラ―と救
助犬がペアとなって、私たちを、広場で出迎えてくれました。
ゴールデンレトリバーたちは、40キロ近くあるがっしりした
犬で、私たちに喜んで尻尾を振ってくれました。
が、飼い主のハンドラ―という犬を扱う方は礼儀をわきまえる
よう、厳しく命令をくだしていました。なかには10歳の女子が
立派に犬に指示を出していました。このぐらい元気な犬でないと
救助現場で活動できないそうです。
・2011年4月9日、岩手県陸前高田市で瓦礫のなかを捜索し
たアンリたちは、5遺体を発見したそうです。
当時、まだ道路は寸断されており、陸路を縫うように走り現場
に到着。任務を終了後、何十時間もかけて帰宅したアンリは、数
日、ホッとしたように休んでいたといいます。「もっと早く行く
ことができたら、生存者を発見できたのに残念なことでした」と
ハンドラ―は語ってくださいました。
ちばがく 第42号 [24]
ー浦安チームー
訪問活動犬
❤夢を子どもたちに託して❤
@まだ、震災の爪痕が・・・残ります@
今月中には、復興するそうです
ちばがく 第42号 [25]
投稿
2年目の学び
中山清治 全科履修生 人間と文化専攻
2学期の試験が終了しました。授業科目案内で2学
期をもって閉講する予定科目が3科目あり、予定変更
して履修をしました。この1年受講するなかで感じた
ことをまとめてみました。
本年度学んだ科目のなかで「格差社会と新自由主義」
の時代は、ちょうど勤め始めたころから退職までの期
間に日中国交正常化40周年「特別展中国王朝の至宝」
2012年12月東京国立博物館平成館にてにあたり、あ
の時代の背景はこんなところにあったのかと昔を思い
出しながら学ぶことができました。土曜日が隔週で休
みになり、そのうち完全週休になり、海外旅行へ行け
るようになりました。RV車で子供を乗せてあちこち
出歩いた思い出。バブルに浮かれていた頃、日本の土 日中国交正常化40周年「特別展中国王朝の至宝」
地代金で新大陸が購入できるなどと言われていました 2012年12月 東京国立博物館平成館にて
が、本業をきちんと守り先代の社訓を守っていたとこ
ろ、浮かれて新規ビジネスチャンスを狙い手痛いやけどをしたところ様々でした。しかし、格差がここまで浸
透し深刻な課題を提供していた点については、渦中にどっぷりとつかりそのなかからの社会全体を眺める立場
と移りゆく時代を時々の資料により確かめながら鳥瞰する立場、冷静に眺めるとこうした見方ができるという
ことを理解しました。現象面に対し一面からだけでなく多方面から見ることのできる力の大切さを痛感しまし
た。
岩永先生、坂井先生の新自由主義全般についての講義、山岡先生の政治学から見た視点、田淵先生の社会福
祉の視点、さらに一歩進んで視点を深められた宮本先生のお話にはうなずく点がたくさんありました。3章の
末に書かれていた「自由」のいくつかの事例、身の回りを見ても同様の主張を見ることができます。12章の
講義から自治体間の国保税を税率、均等割、平等割部分を取り出しエクセルで計算をしてみました。比較する
と、こんなにも差があるとは驚きました。住宅を購入する際は、予定の自治体に電話をして保育園の空きを確
認することも必須の時代でありました。
正義とはなにか、ハイエクとローズの考え方、完全な平等は課題も数多く生ずることと思います。競争も必
要です。しかし、どこまでの不平等、格差なら認められるか、あるいは許されるのか、この点が結論ではない
かとの印象を受けました。そして両極論ではないということです。大切なことは最低限度教育の機会均等、人
生のスタートラインを保障することであると思います。
文化人類学系の最終科目として選択した「文化人類学」、文化相対主義、平和は善で戦争は悪か、アフリカ
での現状、スーダンガムク山地の様子、スリランカでの活動の様子など学ばせていただきました。全体論的視
野であらゆる対象を学問とする文化人類学の特徴を、少しだけ理解できたかと思います。山形県高畠町での青
年団による地域をも巻き込んだ新しい農業を求めた姿は、戦後各地で盛んであった青年団運動にも通ずること
があると思います。また農業を中心として自然と共に共存してきたことが日本文化の特色であり、これからも
大切にしていかねばならないと、この科目を通じて得られたことです。
「イスラーム世界の歴史的展開」は、全くの未知の分野でした。昔子供たちに話して聞かせた、アリババと
12人の盗賊、開けゴマなどぐらいの知識と、中東のIBMという言葉を商社の友人から何かの時に逸話として
聞いていたことぐらいでした。民衆とスーフィズムは、ちょうど鎌倉仏教の広がりと共通する部分があるよう
にも思えます。貴族のための仏教から一般民衆レベルをも救いの対象とした仏教と、スーフィズムは重なるの
ではないでしょうか。民衆の立憲運動がことごとく潰され植民地化されていく近世、独立を勝ち取ったケマル
アタテュルク。日本の幕末から明治維新と続く時代と重なり、植民地化から独立を守ろうと活躍した人はどこ
の国でも存在していたのですね。
歴史のなかで人物に焦点を当てた「歴史と人間」、いわば「史記」の列伝のように学ぶことができました。
10章近代社会と人間の講義は、ロンドンオリンピックの開会式がつながりました。競技場に作られた丘の牧
歌的風景から工業化社会を示す煙突の煙へ、パイプをくわえ帽子を被った紳士、働く大勢の労働者の登場、ア
ナウンサーはブルネルと説明しました。人間を中心とする新しい人間観は中世の否定から始まったとの講義は、
福澤諭吉の著本「旧藩情」で「私のために門閥制度は親の敵で御座る」と共鳴しました。
以前、大河ドラマのシーンで雨青森県むつ市斗南藩史跡地にての中下士は上士が通る際には道路脇で泥にま
みれ土下座をして通り過ぎるのを待つ場面がありました。青森県の津軽半島と下北半島を車で旅をした際、斗
南藩の置かれた「斗南ケ丘」に立ち寄りました。いまではごく普通の風景ですが記念碑が立てられていました。
幕末の山川健次郎と捨末の二人の生い立ちとその後の人生、このような人がいたことを知ることができました。
改めて会津若松を訪ねて見ようと思う。
面接授業「文化の伝承を考える」は、文字を持たないアイヌ民族が口承で伝えてきた叙事詩「ユカラ」を題
材にユーラシアの北方民族に視点を向けたものでした。岩波文庫「アイヌ神謡集」知里幸恵著の序文が資料と
して配布されました。旭川市に生まれた少女が若くして亡くなるまでの短い間に親から伝え聞いたアイヌ民族
ちばがく 第42号 [26]
に伝えられた口承文芸を口述し、これを当時の民俗学者金田一京助が記録し出版したものです。初めて触れ
た文章でしたが深く感動しました。序文では「その昔この広い北海道は、私たち先祖の自由の天地でありま
した。天真爛漫な稚児の様に、美しい自然に抱擁されたのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の
寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。・・・その昔、幸福な私たちの祖先は、自分のこの郷土
が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは露ほども想像しなかったのでありましょう。時は絶えず
流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中から、い
つかは、二人でも三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる日も、やがては来ましょう。そ
れはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事でございます。・・・アイヌに生まれアイヌ語の中
に生い立った私は、雨の宵、雪の夜、暇あるごとに打集まって私たち祖先が語り興じたいろいろな物語の中
極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出
来るならば、私は、私たちの同族祖先と共に無限の喜び、無常の幸福に存じます。大正十一年三月一日知里
幸恵」と記しています。「知里幸恵 銀のしずく記念館 2010年9月開館」北海道登別市。
机に向かってノートを取り講義を見聞きしていると、肩がこり注意をしなければと「姿勢と健康」を受講
しました。肩こりは血行不良、例えれば水の流れているホースを踏むのと同じ、筋肉が疲労し栄養や酸素が
届かなくなり老廃物が蓄積するためとのことです。姿勢には十分に注意しているつもりですが、先生にいた
だいた資料を机の脇に止めて時々「キャットレッチ」をしています。
子供のころまだ桑畑が多かった時代、雨上りに畑で黒曜石の鏃を拾ったものでした。また村はずれの湧水
の出るところの斜面を少し掘ると土器や石の棒が出て遊びで掘っていたことがありました。「考古学」は本
年度で終講とのため受講しました。邪馬台国がどこにあったか話題になりますが、この講義はそれを確認す
るために発掘された遺物から年代を、また当時の人々の生活を再現するためにはどのような学問がされてい
るのかという最も基本的なことを学ぶためのものでした。講義で説明のあった黒塚古墳から三角縁神獣鏡が
発見された際、サンデー毎日が臨時増刊号を発行しました。改めて読み直してみるとそのなかに「三角縁神
獣鏡は魏の鏡」と題した岡村先生の文章がありました。箸墓古墳への立ち入り調査が認められたとの記事が
ありました。これからの成果を期待したいのですが、邪馬台国を探し求める古代のロマンの旅はしばらく続
いて欲しいと思います。
「中国社会の歴史的展開」では、以前の中国旅行を思い出しました。土と稲わらでできた漢代万里の長城
や、髪の色も目の色も肌の色も異なる人々が集まっていたバザール、西安の碑林寺で見かけた唐代の石碑に
刻まれた漢字の形が、現在私たちが使用している漢字と全く同じであることに驚きを覚えました。印刷教材
の「焦点」と「資料」のコラムは理解につながりました。中国の椅子とテーブルの生活様式はいつごろから
なのか、日本のような畳の生活様式はなかったのか以前から疑問に感じていましたが納得できました。タイ
ミングよく上野の国立博物館で第1級の青銅器を拝見する機会もありました。
アメリカへ旅行に行くときは、途中で病気になると大変だよと言われますが、アメリカでの医療制度は非
常に複雑であることが理解できました。「国際共生に向けた健康への挑戦」では、こうした分野の学びは初
めてでしたが、アジア各国での公衆衛生の歴史など学ぶことができ、これからの旅行に役立つと思います。
人口増とどう向き合っていくのかという各国の政策を見て、女性の地位の向上と雇用の改善という、少し遠
回りしながらも少ない子供に十分に手をかけ学問を授けることにより人口増を抑えるというインドの政策は、
広く民の声を聴きながら政治を進めるという当然のことと思います。
「国境なき医師団(MSF)」発行の12月号「REACT」では、エボラ出血熱がアンゴラとウガンダで発生し
緊急対応したとの記事が掲載されていました。エボラは人から動物へ、動物から人へと感染し、致死率50
~90%、特効薬もワクチンもないため対処療法しかないとのことです。WHOの講義のなかで世界を脅かす
5つの急性感染症のひとつに挙げられていましたが、ウガンダで治療に当たりながら自らも感染した看護師
が、MSFの治療により回復し「エボラは死の宣告ではない」とインタビーに答えていました。2000年ハイ
チ大地震被災地でのテント病院を撮影した写真には、器具一点ずつの医療物資の価格が掲載され、外科手術
用ガウン2,190円、器具27種入り外科手術基本セット20,483円、皮膚科移植用電動メス910,976円など
でした。健康診断で今年度から体重と散歩の歩数を記録することになりましたが、それが健康増進法から来
ていることがわかりました。
「途上国の開発」では、最初に先生から途上国の担当者になって国民生活の水準を向上させるにはどうし
たらよいかを考えて下さいとのお話がありそのつもりで学習しましたが、学問の習得が重要であると認識し
ました。日本が植民地にならなかった理由は外圧の他にも日本人の教育水準の高さ、外来文化を取り入れて
いく柔軟な国民性、自然と四季の織りなす風土と学問への探求心があるのではないかとも思います。アン
コールワットへ旅した際、カンボジアでは貴金属を購入する人が多いとガイドの方が話していましたが、そ
の理由がわかりました。昨年秋の新聞記事「経済気象台」というコーナーに「ブーメラン現象と経営責任」
という記事がありました。この言葉はそういえば盛んに使われていた時代がありました。今日の製造業等を
見るにその通りになってしまったのでしょうか。
政府の役割が大切であると再三述べておられましたが、その役割はオーケストラの指揮者にも似ていると
思います。インセンティブという言葉が各所で用いられていましたが、農民のインセンティブという言葉か
ら、私ニは、黒沢明監督の「七人の侍」とアメリカ映画の「荒野の七人」が思い浮かびました。例年収穫期
になると現れる野武士、あきらめのなかで生活していた農民のなかから何とかしようと金を集め、武士を雇
い野武士との戦いを重ねるたびに自覚しながら強くなり勝利を収める農民の表情は戦いを経るたびに明るく
ちばがく 第42号 [27]
なり、野武士は一人二人とメンバー
を減らし次第に焦っていく様子、バ
ングラディシュで自分の賃金を得な
がら自信を深めインタビューに応じ
ている女性たちの表情。身近な社会
関係資本ということで感じたことが
一つ、1月の大雪、きれいに雪かき
がされているマンションと、溶けた
雪が氷になっているところ、そんな
違いは社会関係資本という言葉でも
表現することができるのではないで
しょうか。以前シルクロードの旅で、
砂漠を通る舗装道路に料金所があり
ました。こんなところに料金所が何
故とガイドの方に訪ねたところ、道
路を建設したのは香港にある企業で
建設費用を回収しているとのことで
した。観光地にはこうした方法で建
設された道路が他にもあるそうです。
青森県むつ市斗南藩史跡地にて
こうした民間企業がインフラを整備
して一定期間その施設を運用する方
式をBOT方式と呼ぶと教材で説明されました。旅行当時は、はてなマークでしたが納得しました。
第1回目の講義のなかで、アフリカのブルキナファソという国の購買力平価による所得比較がありまし
た。初めて聞く国名でしたが、ちょうど地域のミニコミ誌にこの国でNPO法人を作り17年間にわたり医
療・教育・公衆衛生・農業などの分野で支援活動をしていた日本人が昨年11月13日同国の独立記念日に
2つの勲章を駐日大使から授与されたとの記事がありました。また、ブルキナファソとの交流に取り組ん
でいる小学校があり「ネリカ米の収穫祭が駐日大使の出席のもとで行われた」とのことでした。何気なく
見過ごす記事ですがちょうど学習中であり興味深く読むことができました。
「キリスト教と諸文明」では、神学を学ばれた加藤先生の講義でした。社会は5つの社会タイプからな
るとする社会類型論の講義がありました。社会階層から、例えば、上の階層は個人下の社会は共同体の西
洋型社会、その反対の中国社会、全体が共同社会の日本型社会。伝統的西洋の世界、伝統的中国の世界、
伝統的イスラームの世界、伝統的インドの世界。凝縮して文化を語る際一つの視点を与えてくれるもので
した。
イギリスでは産業革命の時期、重要な機器が考えられ作られましたが、その経過と思考を講義されたの
が、大石先生の「職人と学者とイギリスの科学」でした。クロノメーターの制作により大洋を航海できる
ようになったこと、王立協会の誕生、科学革命、地層図の作成、産業革命、農業革命、運河、石炭採掘の
進展、植物の世界的規模の採集、制海権、酸素の発見、ガス、電気、科学からサイエンスへの道。イギリ
スで産業革命が何故起こったのかを考えてみたいと思います。
余談ですが学期ごとに使うノートに「森林認証紙」という制度があることを知りました。今後多少なり
とも協力しようと思います。
台湾・大渓
台北にほぼ隣接する商都。
かつての賑わいの様子を今
日に伝えてくれている。
Photp. KS
ちばがく 第42号 [28]
千葉学習センターから
宮本教授 奈良教授 特別公開講演会が開催されました
2月6日、7日の両日、放送大学教授・宮本みち子先生、奈良由美子先生にお願いし、幕張ビジネスタウ
ンにおいて特別公開講演を開催いたしました。会場は、お勤め帰りの方、遠方からお越しいただいた方な
ど、満席となりました。
宮本教授は少子高齢化が進むなかでの「おひとり様」問題、奈良教授はリスクマネージメントをテーマに
掲げられ、両教授は、詳細なデータに基づきながら、ひとりひとりが生活を経営する十全な意思を構築・
保持することの大切さを指摘なさいました。
飛行機の窓越しに撮った富士山。3月1日のことです。雲一つない快晴に恵まれ、富士山の全容を収める
ことができました。
Photp. KS
ちばがく 第42号 [29]
さぽた通信
さぽた編集部 澤田恵子
第7回 あるく・みる・きく会-3部作
藁の山
木と同じくらいに高い価値を持った草
宮崎先生:『いいですか皆さんー、この藁のてっぺん、
これがみごでーす。これをグイッと引き抜いて束ねて、
筆を作りますよー。イイですね!』
みんなで頑張って、
みごを取り出し、
大小10本の筆がで
きました。
筆おろし
筆の様子をみるため、
みんなで
元気いっぱい
書きました。
参加者;35名
ちばがく 第42号 [30]
第7回 あるく・みる・きく会-3部作
デザイン会議
持ち寄った文字の割り付けを検討
ちばがく 第42号 [31]
「夢の寄せ書き」 序章
宮崎先生とみんなの
共同作業)^o^(
掲出:学生ホール前
真剣勝負@
大勢の人が固唾を呑んで見守る!
ゲキを飛ばす!
@書き手 ハラハラ・ドキドキ
ちばがく 第42号 [32]
第7回 あるく・みる・きく会-3部作
*************
「宮崎先生を囲む会」プログラム
3月19日 火曜日
*************
*13時~;所長表彰
*13時半~;「夢の寄せ書き」贈呈序幕式
*14時~;「宮崎先生を囲む会」スタート
第1部「シュプレヒコール劇」
*14時半~15時;休憩・準備
*15時~16時半;第2部・・・軽食提供
*16時半~宮崎先生の、おはなし)^o^(
*♪学歌斉唱♪ ( ^)o(^ )
* 17時;「宮崎先生を囲む会」終了
*18時;片付け終了⇒下校
「宮崎先生を囲む会」
放送大学・千葉学習センター所長
宮崎清先生のご退官に際し、先生を
お慕い申す学生・職員・うらやす市
民大学代表、月例講演会、秋祭り、
あるく・みる・きく会などを通じて
交流を深めてきた者たち50余名が参
集して、文字通り宮崎先生を「囲ん
で」茶話会を開きました。
沢山の方からご馳走の差し入れを
頂戴しました。カラー写真でお見せ
できないのが残念です。
【放送大学ホームページ「ちばがく」で検索
するとご覧いただけます。】
ちばがく 第42号 [33]
「宮崎先生を囲む会」
第1部「シュプレヒコール劇」抜粋
<宮崎清先生のご紹介>
◆司会:2008年(平成20年)4月、千葉大工学部教授・千葉大学副学
長・理事を退官された宮崎先生は、放送大学千葉学習センター所長と
して着任されました。
最初は、千葉大学との違いに戸惑った先生でしたが、持ち前の好奇
心が頭をもたげ、どうしたら、千葉学習センターで学生が元気に活動
できるか!と考え、「学生が主役」の学校づくりに邁進しました。
1年間の千葉学習センターでの観察・思索の後、2009年(平成21
年)3月、機関紙「ちばがく」を創刊。宮崎先生が考えた「学生が主
役」の放送大学を、学生と共に作りたいという思いで、毎月の発行と
なりました。
<秋祭り>
◆青木:平成21年10月には、師の発案により、「私たちが、学び・
集う、ここ“千葉学習センター”における『初めての秋祭り』」が開
催されました。
当時の諸先輩から聞いたことー「実行委員会を組織、諸準備にとり
かかったものの、学生にとっては“戸惑い”の連続で、しばしば、困
難な場面にも直面した。そんな時、大きな存在となっていただいたの
が、温かいまなざしのもと、【学生が主役!】という信念を貫いてお
られる先生だった。」
『秋祭り』は、昨年10月に第4回目を迎え、今や、私たち学生と
地域にとって、なくてはならない行事になりました。
先生は誰もが知る“学会の権威者”ですが、日頃は、そうした学究
者としての姿ではなく、豊かな見識をお持ちの“優しく頼りがいのあ
る先輩のお一人”そんな親しみをも込めて、私たちに接して下さいま
す。
私たちは、『秋祭り』を通じて多くの事柄を学びました。事に処し
ての“明確な目標やコンセプトの設定・確実な実現に向けての努力の
積み重ね”の重要性など、これまでに頂戴した“適時・適切なアドバ
イス”のひとつ一つです。
@宮崎先生のこうした教えを、深く心に刻み、
私たちは『秋祭り』を続けて行きます!
◆参会者全員唱和:
宮崎先生のこうした教えを、深く心に刻み、
私たちは、『秋祭り』を続けて行きます。
<歌のオンパレード>
◆この後、さぽたが先生の好きな「春の歌」を歌い、海洋クラブ
はクラブ讃歌を披露。書道部・翠空茶会・古典詩歌の会と続き、
合唱サークルは、先生の青春時代の想い出の詰まった「白いブラ
ンコ」(ビリーバンバン)を披露。先生も熱唱!囲碁クラブの大
原さんには篠笛演奏をお願いし、みんなで笛の音に合わせて「ふ
るさと」を歌いました。同窓会は、山岸会長も加わってフラダン
スを披露。
<《うらやす市民大学》を代表して常田ご夫妻>
◆宴たけなわのなか、宮崎先生が副学長を務める同大「里海講座」
受講生がご挨拶。「3月初め台湾の国立高雄大学で第7回アジアデ
ザイン文化学会国際研討会が開かれました。先生と一緒に市民大
生18名も行ったのですが、この会の総学会長を務める先生が大歓
迎されたのを見て、こんなに偉い先生だとびっくりしました。み
なさん千葉大工学部の元留学生たちで、母国の台湾・韓国・中
国・インドネシアで大成されていて、先生に会いたさ一心の様子
でした。尊敬されている先生を間近に見て、感動しました。」
ちばがく 第42号 [34]
<事務室を代表して>
◆伊藤事務長:
宮崎所長、千葉大学の勤務の後、本センターの5年間のお勤めお疲れ様で
した。思えば、私が着任した1年前、事務長昇任で浮ついていた私を、「千
葉学習センターは、【学生が主人公だ!】官僚意識では困る。」と厳しくご指
導くださいました。以後、心を入れ替えて頑張ってまいりました。
@学習センターの運営は、所長と事務長が車の両輪であると着任直後の研
修で教わりましたが、やっと所長の信頼を得ることができ、これからという時
に、先生の任期満了を迎えてしまったことが非常に残念でなりません。
@千葉学習センターにおける宮崎先生の功績は、「ちばがく」の発行、「セン
ターのギャラリー化」、「月例公開講演会」、昨年から企画した「あるく・みる・
きく会」、「ミニゼミ」など、枚挙にいとまがありません。これらの功績は、しっ
かりと新所長に引き継ぎ、継続していきたいと思っています。
所長は来年度、選科履修生として入学されたとお聞きしました。どうか、遠
慮なさらず、大いばりで学習センターにお越しください。事務職員一同、喜ん
でお迎えいたします。
@それでは所長、これからお体を大切に、お元気で!
◆伊藤・平松・橋本唱和;お体を大切に、お元気で!
*✿新所長 宮野モモ子先生✿ *
「宮崎先生を囲む会」の最後に、先生は「どうしても皆さんに会
わせたい人がいる」と話されて、次期所長の宮野モモ子をご紹介。
宮野先生は面接授業をお持ちで、合唱サークルの顧問・宮野ゼミ
を主催されており、学生はすでに存じ上げている方でした。
「全学習センターで女性所長は一人。女性が所長になるというこ
とは大変なことです。どうぞ、皆さん支えてあげてください!」
同姓として宮野先生にエールを送ります!宜しくお願い致します。
特別表彰
小川脩子さん
教養学部グランドスラマー
「宮崎先生を囲む会」で、はからずも女性のグランドスラム達成者に
会えました!!
17年間勉学に励み、5学科を制覇。情熱は続き、2013年度新設の
情報学科に新年度から再入学するそうです。お顔が輝いていました!
ちばがく 第42号 [35]
*「宮崎先生を囲む会」第2部*
桔梗屋の信玄餅
ちばがく 第42号 [36]
<宮崎清先生略歴>
昭和18年1月山梨県生まれ 工学博士(東京大学)
昭和36年千葉大学工学部工業意匠学科(当時)入学
現 ・放送大学特任教授・千葉学習センター所長
・うらやす市民大学副学長
・アジアデザイン文化国際学会(ADCS)総会長
・千葉大学名誉教授
・経済産業省 伝統的工芸品産業審議会委員
・伝統的工芸品産業振興協会 評議員
・中国四川大学・江南大学名誉教授 ・台湾実践大学客員教授
前 ・千葉大学理事・副学長(教育・研究担当)
・千葉大学工学部長
・千葉大学工学部デザイン工学科 教授
・日本デザイン学会 会長・理事・評議員・監査
・日本道具学会 理事
・日本感性工学会 理事
・日本工学教育協会理事 ・日本生活学会 幹事
・日本民具学会 評議員 ・国立民族学博物館 共同研究員
・日本工学アカデミー 専門部会委員
・国土庁地域振興アドバイザー
・文部科学省文化審議会専門委員 ・千葉地域市民学会会長
*著書:『藁』Ⅰ・Ⅱ 法政大学出版局
『図説・藁の文化』法政大学出版局
『デザイン事典』朝倉書店 その他
*受賞:日本デザイン学会特賞 通商産業大臣賞 国井喜太郎産業
工芸賞 EXEMPLA最高栄誉賞 その他多数
平成25年度 宮崎先生面接授業
①デザインの基礎:平面編 7月13.14日
②PPTを使いこなす`13
6月29.30日
③内発的地域生活文化創生 6月8.9日
福島県奥会津三島町
初の名誉町民
昭和56年に伝統工芸調査のために町を訪れ
たことをきっかけに、昔ながらのモノづくりを受
け継いできた町民との交流を深め、生活工芸
運動を提起・主導。平成19年9月、初の名誉町
民となった。 台湾と同じく、先生が三島を歩け
ば誰もが駆け寄ってくる。人気者です!
三島町工芸館(建築学会賞受賞)/設計者;宮崎清
ちばがく 第42号 [37]
ニュース
速報
放送大学千葉学習センター所長・宮崎清先生
退任式典に参列!!
さぽた編集部 澤田恵子
今月23日、桜が満開のこの日、NHKホールで「放送大学学位記授与式」挙行。
その後、ホテルニューオータニにて、卒業・修了祝賀パティーが開かれた。
会の最後に、今年度で退官される各学習センター所長・教官が金屏風の前に並ばれた。
そのなかに、5年の長きに亘って千葉学習センター所長を務められた宮崎先生の姿があった。
まだまだご活躍いただきたいのに残念ですが、新年度いっぱい、面接授業がメジロ押しです。
宮崎先生の面接授業を受講しましょう。ラストチャンスです。
祝賀パーティの時は、先生の面接授業を何度も受講された卒業生たちが、ご挨拶に訪れた。
放送大学テレビ・ラジオ特別番組
放送大学 岡部洋一学長と
千葉学習センター所長 宮崎清先生
【テレビ】
3月31日(日)13時~ 23時15分~など
「大学の窓」
4月1日~7日の間、毎日放送
詳細は、インターネットで検索
ちばがく 第42号 [38]
多謝 再会
ご挨拶
この5年間、心温かな皆さまに囲まれ、放送大学千葉学習セン
ターで時空を共にすることができました私は本当に幸せでした。
あっという間の5年間でした。
入学・卒業・修了という大学としての恒例の行事はともかくも、秋
祭り、月例公開講演会、キャンパスギャラリー化、あるく・みる・
きく、サークルの新設、サポーター制度創設、藁筆・正月飾りづ
くり、そして、「ちばがく」の編集・発行など、千葉学習センター独
自の活動ができましたのは、まさに多くの学生諸氏のお力添え
があったればこそと、いま、つくづく実感しております。
「大学の主人公は学生諸氏」を肝に銘じて皆さまとお付き合い
をさせていただいてきましたが、そのなかで、いつも、「学生諸
氏によって生かされている私」を、感じておりました。
私のなかには、去りがたい想いが充満しております。
この4月からは放送大学の学生になります。過日、学長からの
入学許可書が自宅に届きました。
これからも、宜しくお願いいたします。
ちばがく 第42号 [39]
みんな元気で歩み続けましょう
「千葉学習センターをめぐる所長との懇談会・茶話会」。皆さまの顔が晴れやかです。
「夢の寄せ書き」に参加してくださった皆様。それぞれの夢が踊っています。
本号で42号を数えるまでになった「ちばがく」は、千葉学習センターの活動を紹介する広報誌です。
皆さまが「ちばがく」の主人公です。数多くの玉稿を今後もお寄せください。
放送大学千葉学習センターは、年代・職業・地域を問わずさまざまな方々が集い、
学生と学生、学生と教職員とが学習やサークル活動などを通じて日ごろから触れ合える場です。
放送大学 千葉学習センター
〒261-8586 千葉市美浜区若葉2丁目11番地
TEL.043(298)4367 FAX.043(298)4386
HOME PAGE:http://www.chiba-sc.jp/
ちばがく 第42号 [40]