世界で酸を使わないのは日本だけ

「せいび」誌 2007 年 3 月号掲載
世界で酸を使わないのは日本だけ
連載の初回で、日本のビルメンテナンス会社の方が、世界のメンテナンススタッフと話
が合わないのではないかと書きました。その多くの理由が酸性洗剤の取り扱いを根拠にし
ています。先進国で酸性洗剤を(しかも大手が)使用しないのは、または使用しないと公
言しているのは日本だけではないかと思っています。もし仮に、その話を日本の方が世界
の(先進国の)メンテナンススタッフと議論をしたとすると、恐らく彼らは「それならば、
酸が必要なトイレとシャワールームはどうやって清掃するのか、作業員の安全性と公共の
衛生性をどう確保するのか?」と強く反論してくるでしょう。その話を進めていきましょ
う。
酸を使う場所は?
酸性洗剤は特殊な洗剤で、用途も限られています。酸性洗剤が必要な場所は建 物 内 では
1.トイレ 2.風呂場 3.金属の錆落とし
になります。1 月号で殆どの洗剤はアルカリサイドで落ちると書きました。勿論上記以外に
も特殊なケースで酸を必要とする場合がありますが、とても稀なケースしかありませんの
で、上記の 3 つを覚えれば、宜しいと思います。トイレは尿石と水垢の主成分がカルシウ
ムであり、カルシウムはアルカリ性ですので、酸性洗剤が必要になる訳です。風呂場は石
鹸滓が同じくアルカリ性であるため、酸性洗剤の方が効率が良いのです。錆落としには化
学反応を使います。酸性洗剤を使用しない場合、トイレでは効率と安全性、衛生性が問題
になるでしょうし、風呂場では効率と美観、金属部分では美観(金属の光沢が出ないので)
が問題になるでしょう。
安全性/衛生性
トイレについて述べていきましょう。トイレで酸性洗剤が必要な場所は便器内になりま
す。特に小便器の内側では必要になります。上記のように、カルシウムが主成分の尿石と
水垢はアルカリサイドの洗剤を使用すると、効き目がないだけでなく、返って着きやすく
なってしまいます。その汚れを落とす為には、(洗剤が効かないので)いきおい便器内に手
を入れて、時間をかけて(悪い作業性で)、ゴシゴシ擦ることになってしまいます。洗剤に
頼らず、ゴシゴシ強く擦ることが習慣化すると、研磨して落とすことが多くなり、陶器や
金属部分を傷め、美観を損ね、陶器や、金属部分の交換が必要になり、環境に大きな負荷
を与えることになってしまいます。そしてまた、トイレに手を入れるということは以下の
点で非常に問題なのです。
1.作業員の安全性
2.公共の衛生性
1
まず、1 .「 作 業 員 の 安 全 性 」 について述べていきましょう。トイレに手を入れると、
便器内の汚れが手や手袋につくことになります。素手でトイレ内に手を入れるのはもって
のほかですが、NHK のある番組で、大手ホテルのメンテナンス会社が、ある女優にトイレ清
掃を指導する際に、素手でトイレ清掃を指導するシーンがあり、私はゾッとしました。人
の排泄物を処理する場所であるトイレの中に手を入れた場合、十分な手洗いをしなければ
ならず、不十分な手洗いで済ませた手で、ものを食べたり、目や鼻を擦れば、様々な感染
を起こす可能性があるのです。まして、手にササクレが出来ていたり、小さな傷でもあっ
た場合の危険性はとんでも無いくらい大きなものになります。そして、最も怖い血液・体
液による感染症、HIV や B 型・C 型肝炎といったブラッドボーンパソゲンズ(血液媒介病原
体)に感染する恐れがあるのです。
注)ブ ラ ッ ド ボ ー ン パ ソ ゲ ン ズ 人の血液・体液によって感染する病原菌の総称。感
染すると現在のところ完治することが大変難しく、世界各国共に、感染しないよう、手袋
やゴーグル、場合によってはガウンを使用するなど、処理に注意している。
一方、手袋をしていても、その手袋に不具合があったり、また、手袋を外す際には危険
性があるわけですので、どの道感心した方法ではありません。
次に2 .「公 共 の 衛 生 性 」について述べると、便器内を清掃した手袋であちこち触ってい
けば、衛生性を大きく損なうことは明らかです。仮に作業員の手袋にインクを付けていた
ら、ドア周りや取っ手、蛇口などよく手の触れる部分がインクだらけになり、ビックリす
ることでしょう。昨年暮れのノロウィルス大流行は記憶に新しいですが、嘔吐の問題が世
間ではクローズアップされていました。しかし、実際の感染数からいけば、トイレや便の
処理にまつわる感染のほうがよっぽど多いのではないかと私は考えています。
以上トイレ清掃での安全性と衛生性について述べてきましたが、酸性洗剤を使用し、ト
イレ用のブラシを使用すれば、作業効率も良く、便器内に手を殆ど入れずに済みますので、
安全性と衛生性も大きく向上します。
何故酸性洗剤が嫌われたか
場所によってはどうしても必要な酸性洗剤ですが、何故日本では嫌われたのでしょう
か?様々な意見があるでしょうが、私は以下のような理由によると思っています。第二次
大戦後、メンテナンス業が日本で始まった頃、現在と異なりメンテナンス業も創成期であ
り、社員教育も現在ほど十分ではなく、仕事を請けると殆ど教育もせずに現地に作業員を
送り込んでいました。一方酸性洗剤は洗剤としてはアルカリ性洗剤と特性が大きく異なり
ます。
1.殆どが原液使用で、当時の酸性洗剤は(日本では現在もですが)塩酸を主成分にして
おり、pH値も1以下の非常に強い酸であった。
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2.酸性洗剤は使用してすぐ効く洗剤ではなく、十分な効果を得る為には接触時間が必要。
3.塩酸ベースの酸性洗剤は30分以上放置すると、陶器のガラス質を傷めてしまう。
即ち、酸性洗剤は少し扱いに注意が必要で、教育が欠かせないのです。しかし、当時は
教育があまり熱心に行われなかった為、酸をこぼして床を傷めたり、酸を使用しながら、
リンスが十分に行われない為、陶器を傷めてしまったりなど、事故が続出し、酸性洗剤は
危険な洗剤というイメージが出来上がり、嫌われてしまったのです。一方、酸が必要な場
所は少ない為、あまり重要視されず、酸が必要な場所は「擦って取る」という方法が定着
してしまったのです。その為、酸性洗剤があまり売れなかったので、メーカーも開発をし
なくなってしまったのです。
一方欧米では酸性洗剤は、常に使用され続けました。トイレの美観と衛生性の確保には
どうしても必要ですし、シャワールームの清掃でも必要だったからです。しかし、塩酸は
強すぎ、取り扱いも難しいため、もっと安全な酸性洗剤が志向されるようになりました。
塩酸ベースからリン酸ベースへの移行がされました。リン酸は塩酸に比べ、安全性は飛躍
的に向上したのです。しかし、リン酸は皆様ご存知のように、環境問題(赤潮化など)を
引き起こしやがて敬遠されるようになりました。現在欧米の一流のケミカルメーカーは殆
どの会社で、クエン酸ベースの酸性洗剤を開発しています。安全性は更に向上し、クエン
酸はレモンなどの柑橘系植物から抽出していますので、環境にも優しくなっています。
日本 塩酸のまま
欧米 塩酸→リン酸→クエン酸
塩酸
安全性
環境
リン酸
○
クエン酸
◎
◎
写真)10円玉比較 塩酸(左) クエン酸(右)
塩酸ベースの洗剤ではすぐ色が変わる クエン酸ベースでは色はあまり変わらない
前述のように我が日本では「酸性洗剤」というと、圧倒的に塩酸ベースの洗剤になってい
る為、
「酸性洗剤=塩酸ベース」と考えられてしまっています。その為、酸性洗剤は危険で、
環境にも負荷が掛かるものとの決め付けがどこかで定着してしまったのです。
酸性洗剤=塩酸ベース→危険→環境にも負荷が大きい
しかし、これはあくまで塩酸ベースの洗剤の話で、リン酸ベースやましてやクエン酸ベー
スの洗剤には当てはまりません。もし仮に、クエン酸ベースの洗剤を塩酸ベースの洗剤と
3
同等に考えようとしたならば、極端に言えば苛性ソーダの入った強いアルカリ性洗剤と安
全性の高い万能洗剤を同等に考えるという議論と一緒になってしまいます。弊社のクエン
酸ベースの洗剤について、酸性洗剤であることの懸念を指摘された場合、私は「これは酸
性洗剤ではありません、
『ク エ ン 酸 性 洗 剤 』です。」などと言ったりします。清掃には酸性
の洗剤が必要な場所があるという事、塩酸とクエン酸を一緒に考えることには無理がある
事を知ってほしい為です。
酸を扱う上での教育/標語で覚えよう!
酸性洗剤を扱う上では教育が必要です。しかし、ポイントはそれ程多くありません。以下
のポイントを抑えれば良いでしょう。
1.「 酸 は 強 酸 注 意 が 必 要 」 酸性洗剤は殆どの場合原液で使用します。また pH値も場
合によっては1以下のものもあり、取り扱いには注意が必要です。中性洗剤を取り扱う場
合と同じようにはいきません。
2.「 酸 と い っ た ら 3 ∼ 5 分 」 酸性洗剤は力を十分に引き出す為には少し時間が必要で
す。毎日使う場合はこの限りではありませんが、良く効かせたいと思ったら、塗布してか
ら3∼5分位おいてから、擦りましょう。但し、30分以上放置しては絶対にいけません。
3.
「 混 ぜ た ら 危 険 、酸 と 次 亜 」 酸性洗剤は塩素系漂白剤やカビ取り剤の主成分である
次亜塩素酸ナトリウムと同時に使用しては絶対にいけません。塩素ガスが発生して、大変
危険です。一部家庭用のトイレ洗剤には次亜塩素酸を使用しているメーカーがありますが、
いかがなものかと私は考えています。また、風呂場はカビが生えやすい場所ですので、特
に注意が必要です。洗剤の容器の後ろには大概重要な成分は書いてありますので、洗剤を
使用する場合には、見る癖を付けておきましょう。次亜塩素酸は晒粉(サラシコ)特有の
においがしますので分かり易いと思います。
以上の3つを標語で覚えてしまいましょう。声を出すことによって、簡単に酸性洗剤を
扱う上での注意点が身につくようになります。
今回は酸性洗剤について述べました。繰り返しになりますが、前回「洗剤」というと「万
能洗剤」が日本ではイメージされてしまうと書きましたが、酸性洗剤は更に酷く、酸性洗
剤と言うと殆どが塩酸ベースの洗剤として議論されてしまうことが、非常に残念です。こ
れはアルカリ側の洗剤を全て pHの高い剥離剤等と同様に考えて、アルカリ側の洗剤が危険
かどうかを議論することに等しいのです。私自身はメンテナンスをする上で、剥離剤のよ
うな高アルカリの洗剤が場合によっては必要になるように、塩酸ベースの酸性洗剤も必要
であると考えています。しかし、安全性や環境問題が重要であるならば、安全性や環境問
題に配慮した酸性洗剤をお使いになるべきだと考えます。現在、中性洗剤などをお使いで
したら、作業性も、飛躍的に向上すると思われます。また、トイレ内に作業者が手を入れ
て、ゴシゴシ便器を擦る様は非人間的ですし、安全性・衛生性から言っても宜しくない事
は以上述べた通りです。これからも、様々な場面で、安全な酸性洗剤があることを強調し
続けて行きたいと考えています。
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