(5)肺塞栓症と深部静脈血栓症

血管の病気(5)
肺塞栓症と深部静脈血栓症
■ エコノミークラス症候群
エコノミークラス症候群は、長時間の飛行後に発生する下肢深部静脈血栓症を
原因とした肺塞栓症である。飛行機内だけでなく、長距離バスや車内でもみられる
ことから、ロングドライブ症候群とも呼ばれている。心臓から送り出された動脈血は全
身を回り、静脈血となって心臓に戻り、肺に送られ酸素化され、再び動脈血となって
全身を循環する。あしの静脈系には皮膚の下を走る表在静脈と筋肉の間を走る深
部静脈があり、この深部静脈に血のかたまり(血栓)ができた状態が深部静脈血栓
症である。深部静脈血栓症の症状は、立位や歩行時のふとももやふくらはぎの不快
感、片側性の膝から下のあしの腫れであるが症状のないこともある。
この静脈にできた血栓が遊離して血液の流れに乗って肺に運ばれ、肺動脈を閉
塞して急性の呼吸循環障害をきたす病気が肺塞栓症(肺が栓で塞がれた状態)で
ある。肺に血液が送られないため酸素が足りなくなり死亡するのである。静脈血栓が
できても、肺まで移動する症例はおよそ二割といわれている。肺塞栓症を起こしても
血栓が小さいと無症状で済む場合や、そのまま血栓が溶けて無くなることもある。肺
動脈が大きな血栓で広範囲に閉塞されてしまう広範型肺塞栓症では呼吸困難や胸
の痛み、動悸(どうき)、発汗、血圧低下によるショック状態といった症状が出る。大
量の血栓が詰まる死亡率が高く緊急手術が必要となる。
新潟県中越地震の被災者のかたがこの病気でなくなられていることがマスコミで
取り上げられたが、避難所や狭い車の中での生活が深部静脈血栓症と肺塞栓症発
症につながったものと思われる。同災害地の健康調査で、死亡に至らなくても多く
の潜在患者が存在することが明らかとなっている。深部静脈血栓症は、血液の病気
や末期癌患者でおきる血液凝固異常、手術の後や出産後、急性内科疾患での入
院中などに起こり予防の重要性が指摘されている。 第五十一代横綱玉の海(愛知
県出身)は一九七一年、盲腸(虫垂炎)の手術後五日目に肺塞栓症で急逝、二十
七歳だった。また二〇〇二年、サッカーのワールドカップ出場を控えた高原直泰選
手が、欧州遠征の帰りにできた血栓による肺塞栓症で治療を受け、出場を断念して
いる。
血栓の起こる要因は①手術後の安静などで長期間、脚を動かさないために血流
速度が低下している状態、②喫煙で血が濃い人や、脱水、経口避妊薬内服中、が
んがあるといった要因で血液が固まりやすくなっている状態、③血管内面に傷があ
る状態の三つがあり医学界では古くからウィルヒョウ(Virchow ドイツの病理学者)の
三要素として知られている。航空機による旅行では、長時間座位による深部静脈血
流のうっ滞や血液粘度の上昇、狭い客席での膝窩静脈の長時間圧迫が起こり、飛
行機内の乾燥や低い気圧のために脱水と血液濃縮、線溶活性低下、凝固活性亢
進が起こる。病院内発症は手術、がんなどの悪性疾患、長期臥床、外傷・骨折、妊
娠・出産などが危険因子となる。手術後やや入院中は脱水や運動制限による静脈
還流障害、線溶・凝固異常等で深部静脈血栓症を発生しやすい。若年発症例や家
族内発症例では、血液凝固系異常によるものがある。
米国における深部静脈血栓症発症数は年間二〇〇万人、肺塞栓症は約六〇万
人で、そのうちの約一割、六万人が死亡している。わが国における肺塞栓症発生数
は年間三五〇〇例から四〇〇〇例とされ、主要外科手術後の発症率は深部静脈
血栓症約二四%、肺塞栓症二∼四〇%と報告されている。
深部静脈血栓症や肺塞栓症の患者は日本では少ないとされてきたが、近年、増
加している。深部静脈血栓症が疑われる場合、血液検査と超音波検査を行い診断
する。肺塞栓症は CT 検査で診断できる。病院内発生例では診断の遅れや適切な
治療がなされなかったことで医療訴訟に至るような問題も起きている。肺塞栓症は
死亡率の高い疾患であり、予防こそがもっとも大切である。長時間ドライブするとき
の深部静脈血栓症予防には①二時間ごとに休憩、②休憩時は気分転換も兼ねて
車外を散歩する、③こまめな水分補給、④乗車中は時々、航空機内ビデオで流さ
れているような予防運動を行うなどが挙げられる。リスクがある人は医療用の弾性ス
トッキングや、むくみ予防効果のある婦人用ストッキングなどを利用するのもよい。