2.1 生態学的立地区分と階層的ゾーニング 生態学的

基盤研究(B)(2):森林の潜在的生産力と撹乱体制を考慮した生態的ゾーニング手法の開発 (課題番号:14360090)
2.1
生態学的立地区分と階層的ゾーニング
2.1 生態学的立地区分と階層的ゾーニング
伊藤 哲・光田 靖(宮崎大学)
1. 機能区分の重要性と問題点
戦後の画一的な一斉林造成に対する反省から、
近年の森林管理においては「適正な」森林の管理
のための森林のゾーニングが重要度を増してきて
いる。例えば、現行の政策の中核部分においても、
森林・林業基本法にいて森林ゾーニングが謳われ
ており、重視すべき森林の機能に応じて「水土保
全林」、「森林と人との共生林」、「資源の循環利用
林」の 3 ゾーンの区分が設定されている。公益性
や環境が声高に叫ばれる中で、この区分は一見適
正のように見える。しかし、実際の森林管理への
適用を想定したとき、重視すべき機能の設定や評
価には多くの問題点が浮かび上がる。本節の目的
は、森林の機能区分の問題点を 1) 機能の捉え方、
2) 機能の評価方法、および 3) 意志決定のあり方、
の3つの視点から掘り下げ、森林の適性配置のあ
るべき姿に対して長期的な森林管理の視点から一
つの考え方を提示することである。
2. 森林の構造と機能
森林の機能は様々に捉えられている。それは単
に木材生産や水源涵養といった機能の種類が様々
であるという意味ではなく、機能をどのレベルで
捉えるかという視点が人や場合によって多様であ
るという意味である。ケースによっては、森林の
「機能」と呼ぶより「価値」と呼んだ方が妥当な
ケースもしばしば見受けられる。このような機能
の捉え方の多様さが、森林の機能区分を難しく奇
怪なものにしている。そこで、まずは機能の捉え
方から整理したい。
まず、生態学者の考える一般的な森林の機能か
らみてみよう。そもそも、森林に限らず全ての生
態系は複雑な「構造」を持っている。複雑な構造
が生み出す生物間の相互作用や物質循環を通した
環境形成の作用は、その生態系自身が安定して存
続する上で重要な役割を果たしている。これが本
来の「生態系の機能」である。同様に、複数の生
態系が隣接しあう景観(ランドスケープ)のレベ
ルでも、一つの生態系は隣接する他の生態系との
物質やエネルギーの移動や、広域を必要とする生
物の生息場環境を部分的に形成することなどを通
して、景観全体や他の生態系の構造や機能にも影
響を与えている。このように、空間的なスケール
が違っても、また人間が気に掛けるかどうかに関
わらず、さらには人間がそれを利用しようと考え
ようが考えまいが、生態系に構造がある限りそこ
にははじめから「機能」があるといえる。だから
こそ、生態学者は生態系の構造を解析し、そこに
介在する様々な作用の分析を通して生態系の機能
を探求している。林学者は、これらの機能の探求
に加えて、機能を発揮させるための構造誘導の方
策を探求していると言えるだろう。
一方、人間は森林に様々な機能を期待する。そ
の機能の多様さは例えば保安林や保護林の種類の
多さに端的に表されている。しかも期待される機
能は時代と共に追加され、機能の優先順位は変動
する。実はここに時間スケールの欠落という大き
な問題がある。
我々が森林に期待する機能(例えば木材生産機
能や保険休養機能など)と、生態学者からみた
「生態系の機能」との違いは、人間が何らかの資源
管理・利用目的を設定しているかどうかである。
木材生産や林地保全、水源涵養などは、その機能
がかなり昔から認知されてきた。これに対して保
健休養などは物質的な豊かさやストレス社会を反
映して意義が増してきたものであろうし、生物多
様性保全を管理目的の一つとするようになったの
はつい最近のことである。このように、人間が森
林に期待する機能の種類は、その時代背景や価値
観に左右されながら変化してきており、新たに気
づいたと言うよりは、その時々に枯渇したものに
対して「機能」を期待してきたと言った方が良い
かもしれない。しかもその変化のペースは、近年
とくに速くなっているように思われる。機能の優
先順位となると、最近の 30 ∼ 40 年で大きく逆転
してきたのではないだろうか。ところが、目的と
する機能を発揮させるために森林の構造を誘導す
るには、相変わらず非常に長い時間が必要である。
ここに、時間スケールを考えない機能区分の危険
性があると言える。今が“旬”の機能が、森林構
造の誘導が完了する百年後の22世紀に耐えうる
のだろうか。
3. 評価したいのは機能?効果?価値?
前項で、人間が森林に期待する中身は時と共に
変動することを述べた。仮にこれが今後変動しな
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2.1. 生態学的立地区分と階層的ゾーニング
いとしても、機能を評価する際にはまだいくつか
問題が残る。
広く「機能」と呼ばれる中身を眺めると、いく
つかの段階的な認識が混在している(図 1)。先に
述べたように、ある構造を持つ森林に対して人間
が何かの利用目的を設定したときに、機能が高い
とか低いといった評価が与えられる。ここで機能
とは期待される森の働きのポテンシャルを意味す
る言葉として限定的に用いている。例えば均質高
蓄積の林分は木材生産の機能が高いといった評価
や、下層の発達した林分は表土保全の効果が高い
といった評価がなされるだろう。つまり、構造が
決まればポテンシャルとしての機能の高低はほぼ
決まる。しかし、どのような優良(高機能)林分
であっても、ある程度のまとまった面積や伐出の
ための路網がなければ(条件が整わなければ)、な
かなか伐採は行われない(効果は現れない)であ
ろう。水源涵養機能に関しても同様であり、潜在
的に土壌の貯水機能が高くても、まずは雨が降ら
なければその効果は発揮されない。結局、機能と
は期待される効果のポテンシャルであり、実際に
効果が現れるかどうかには、景観レベルなどの上
位構造やインフラなどの条件が整う必要がある。
さらに、その効果を高く評価するかどうかの基準
は、評価する人や時代によってまちまちである。
生産された木材に対して市場はどのような値をつ
けるのか? 整備された市民の森を全ての市民が
好ましく受け入れるのか? 同じ「効果」が現れ
たとしても、これにどの程度「価値」を認めるか
は、評価者によって大きく異なり、評価基準も時
代によって大きく変動する。前項で「森林に期待
構造
する諸機能が時間と共に変化する」と述べたのは、
この「価値」の部分である。
もう一度整理してみると、構造によってほぼ一
意的に決まる狭義の「機能」、これが様々な条件の
下で時間の経過とともに実際に発揮される「効
果」、さらにある価値基準でこれを評価した「価
値」、というように、広く「機能」と呼ばれる内容
は少なくとも3つのレベルでの捉えられているこ
とがわかる。このように異なる捉え方が混在した
状態で機能区分を行うのは極めて困難であろうし、
そこで得られる区分結果がどの程度妥当かは極め
て疑問である。
4. 目的と手段の逆転
森林の機能評価に使用される変数には、気象・
地形・地質など人間による制御がほとんど不可能
な自然立地条件と、既に人間によって変革を受け
た森林構成や施設、社会立地条件など(すなわち
これからも変革の対象となるもの)が混在してい
る。そのため、評価の基準が機能の種類によって
ずいぶん異なる。最も問題なのは制御すべき「構
造」と期待すべき「機能」とが混同されているこ
とである。その典型が、「既に人工林が多く造成さ
れているから木材生産機能を重視する」という考
え方であろう。本来問題とすべきは変革された林
分構造(人工林が多いかどうか)ではなく、その
林地が林業生産に向いているかどうか、あるいは
林業生産を行っても他の機能に支障はないかどう
かである。長期的な視点に立てば、変革の対象で
ある森林構造や景観構造が今後の変革の方向を規
定すべきではない。森林の適正管理という目的と、
林分構造:「自然の立地環境、撹乱&施業」で決定・制御される
資源利用目的 木材生産?水源涵養?レクレーション?多様性保全?
機能3 機能2
保健休養
水源涵養
機能1
その構造は潜在的にどんな効果をもたらしうるか
木材生産
条件・時間
効果3 効果2
機能小
機能中
効果1
いつの時代? どのくらいの期間で?
誰に対して? どこに対して? 上位構造が問題
実際にどんな効果を生むか、生んだか
機能大
評価基準
価値3 価値2
価値1
¥? カロリー? 倫理観?
評価主体によって、時代によってまちまち
その効果はどのように評価されるのか?
図 1. 森林の構造と機能、効果と価値
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基盤研究(B)(2):森林の潜在的生産力と撹乱体制を考慮した生態的ゾーニング手法の開発 (課題番号:14360090)
その手段である森林・景観構造の誘導が逆転させ
ないためには、森林構造に由来する機能区分では
なく自然立地条件の分析の方を長期的な管理の指
針として用いる方が賢明であろう。
から一旦離れることにより、人為変革を受けやす
い森林構造からも一旦離れて、自然立地条件の評
価とその区分を試みる考え方である。
より根本的に森林管理のためのゾーニングを考
えるなら、まずは自然科学的に林業に向くところ
5. 森林の機能に対する過度の期待
と向かないところをきちんと分けるべきであろう。
自然立地条件のみに着目する“重視すべき機能” その際、森林の時間スケールは長いのだから、既
の評価においても問題はある。たとえば、山地災
に変革を受けており、かつこれからも変革の対象
害防止機能は山地災害のリスク評価に基づいて算
となる「森林構造の現状」にはとらわれずに、人
出されることになっている。しかし、「雨が多いか 為的に変革できない土地の属性のみで評価するこ
らそこには機能がある」で本当に機能を評価でき
とが重要だと考える。もちろん、残存する希少な
ているのであろうか? そこに森林があれば本当
天然林やよく整備された人工林の存在は我々の意
に期待される機能が発揮されるのだろうか? こ
志決定にとって重要である。しかし、ゾーニング
れを「森林の機能」と言うのならば、厳密には森
の目的は、森林の状態を本来あるべき姿に誘導す
林が存在する場合と存在しない場合との山地災害
るための枠組の提示である。最初から現状に縛ら
確率の差分によって評価されるべきである。この
れ過ぎていてはどうしようもない。
誤解は、立地のポテンシャル評価と森林の機能評
では、そもそも林業的にみて生産を行いたいと
価が混同されていることを意味する。
ころと避けたいところはどこかを考えてみる。単
純に言えば、地位(林地生産力)は高い方がよい
6. 機能評価と意志決定
し、災害危険度の高いところは長期的に見ると生
機能区分の問題点の最終局面は、機能評価とい
産性が落ちるので避けた方がよいだろう(図 2)。
う技術的な問題と、評価された機能のうちどれを
これ以上の単純化は困難であるし、これ以上に評
重視するかという意志決定の問題とが、一体化さ
価軸が多くても根本的な枠組みには不要と思われ
れてしまっていることである。機能の定義やその
る。また、わずか二つの評価軸による整理は一見
評価方法の不確定さは先に述べた。これに加えて、 乱暴のようでもあるが、このような林業的な自然
意志決定は機能評価とは全く異なるプロセスであ
立地評価軸を生態学的見地から捉えると、林地生
る。機能の優先度比較には、人命等に関わる比較
産力に関わる条件(水分・養分・光など)は植物
的優劣のはっきりしたケースから、指導的な意見
にとっての「資源」であり、災害とは風倒、崩壊
が重視されるケースや、当事者間の慎重な合意形
などの「撹乱」のことである。自然状態の森林構
成プロセスが必要なものまで、意志決定に至る
造とその動態は、資源と撹乱のレジームによって
様々なタイプがあるはずである。したがって、機
決まるといっても過言ではない。逆に、自然状態
能評価はあくまで意志決定の支援のためのプロセ
の極相といわれるような森林構造は、その土地の
スであり、意志決定プロセスそのものとは切り離
自然立地環境に最も適した林分構造を有しており、
して考えるべきであろう。
最も必要とされる生態的な機能を発揮しているは
ずである。したがって、林地生産力や災害危険度
7. 脱機能論:林業の原点に立ち返る立地区分
に基づく森林の「あるべき構造」の模索は、実は
ここまで述べてきたように、何をもって森林の
生態学的に見た「合自然的な森林管理」を目指す
「機能」と呼ぶのかは極めて不確定的で、未整理
方向と矛盾しない。そもそも森の営みは長いのだ
で、曖昧で、混沌としている。にもかかわらず、
から、評価が難しく、しかも頻繁に変わる人間の
森林の機能区分の議論は堂々と展開され、実務レ
価値基準に立脚した機能軸を短期的に乱立するよ
ベルでこれが実行されていく。このような機能論
りも、自然の基本ルールである資源と撹乱の 2 軸
アプローチの全てを否定する理由はないが、少な
によって、長期的な森林管理に資する立地の評価
くとも変動する価値基準に基づいた考え方や機能
を単純に行うのが先ではないかと考える。個別の
を捉えるレベルの混同、目的と手段の逆転につい
機能を考慮して他の制約を課すとすれば、立地評
ては改善すべきであろう。
価の後ではないだろうか。ちなみにこのような自
そこで、森林生態系の管理と森林ゾーニングの
然立地に着目した林業的な考え方は、多くの先進
一つのアプローチとして、ここでは脱機能論を提
国で生態学的立地区分として実際の森林管理施策
示したい。要するに、基準や定義の曖昧な「機能」 に採用されている。
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2.1. 生態学的立地区分と階層的ゾーニング
低
a)
b)
c)
高
土地安定性
保全型
調和型
生産型
土地生産性
低
高
図 2 土地の生産力と安定性に基づく立地評価の考え方と解析事例
a)2軸による立地の序列と区分、b)50m メッシュでの解析例、
c)集水域単位でのタイプ分類例
8. 立地区分からゾーニングへ −スケール整理
とレベル設定−
上記の区分はある意味では観念的な立地区分で
あり、意志決定されたゾーンではない。しかし間
違いなく、重要な意志決定支援情報となり得るで
あろう。この支援情報を、実際のゾーニングに汲
み上げるためには、いくつかのポイントを考慮し
て意志決定支援システムを構築する必要がある。
第一は、森林の空間的なスケールの考慮である。
ゾーニングの対象となる森林は地域・流域から所
有林・林分まで様々なレベルがあり、その多くに
は相互に階層的な関係がある。その中でも、最終
的な林型誘導(すなわち施業)の単位である「林
分」に加えて、物質循環系の単位である「流域
(集水域)」の視点は、合自然的な森林管理を目指
す上で一つの重要なレベルであろう。
第二は、これらレベルの違いに応じた目的およ
び意志決定プロセスの考慮である。流域という大
きな対象に対して小流域ごとに管理目的を設定す
るゾーニングでは、対象が複数の所有形態や行政
界をまたぐことが予想される。このようなゾーニ
ングにおいては、長期的な視点にたって本来ある
べき姿を普遍的かつ不変的に模索することが肝要
であろう。すなわち、長期的管理戦略のための地
域・流域レベルのゾーニングといえる。長期的な
視点に立つ以上、このレベルのゾーニングは可能
な限り自然要因のみに立脚した生態学的立地区分
に準拠すべきであると考える。結果として、この
レベルでは指導的・行政的なゾーニングを目指す
こととなろう。一方、小集水域の中で個々の林分
の管理目的を設定する際には、対象林分に特定の
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所有者・管理者がいるわけであり、管理の時間ス
ケールも短くなるため、ある程度は森林の現状に
制約を受けざるを得ない。理想を追いかけて目の
前の林況や管理者の意向を無視すれば、そこで生
まれる管理指針は机上の空論となる。従って、こ
のレベルのゾーニングにおいては現状の林況や生
産基盤、法的規制等を考慮した個別的なオプショ
ンが多数提示され、その上で十分な合意形成が行
われるべきである。このプロセスこそ、GIS の威
力が最も発揮される時であろう。同時に、管理の
時間スケールが短い分、ゾーンも固定的ではなく
適応的に随時改変されてしかるべきである。つま
り、このレベルのゾーニングは中・短期的管理戦
略のためのゾーニングとなる。
第三はレベル間の整合性の考慮である。上記の
二つのゾーニング・コンセプトはそれぞれに得失
がある。一方は本来あるべき姿を目指した不変的
な理想論であり、実現には膨大な時間がかかる。
もう一方は短期的かつ現実的である分、現実の制
約に引っ張られやすいという危険性を秘めている。
これら 2 レベルをうまく融合させることで、長期
的視野に立った目標設定と、現状をふまえた実際
の森林管理との整合性を得る可能性があると考え
る。すなわち、より長期的・理想的な上位ゾーニ
ングを、現実的・短期的な下位区分の制約に用い
ることで、森林の本来あるべき姿への段階的移行
と適応的管理に近づけると考える(図 3)。
基盤研究(B)(2):森林の潜在的生産力と撹乱体制を考慮した生態的ゾーニング手法の開発 (課題番号:14360090)
水土保全を重視したゾーニング
木材生産の適性
土壌保全の必要性
流域レベルの立地区分
木材生産を重視したゾーニング
図 3 階層的ゾーニングの考え方の例
上位区分でのタイプに応じて下位区分で異なる閾値を与えることにより
上位区分の制約に合わせた下位区分が可能となる
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