『人と出会うという事』 5年 A.M 長いと思えた恵泉での生活も五年目が終わりに差し掛かっています。あっという間に最 後の一年を迎える時期となってしまいました。この年になり、私はとても恵まれた環境に おかれているのだな、と思う事が増えました。このように恵まれた環境だと思える理由の 中に、沢山の人との出会いや様々な経験があると思います。 恵泉に入ってからの出会いはどれも、私の性格や考えを大きく変えてくれたものばかり だったように思います。それ以前の出会いが決して悪いものだったというわけではないの ですが、それまでの私は、どこか覇気がなく消極的で、自分と合わない人は受け入れる事 を拒み、自分というものを他の人にさらけ出す事を嫌がっていました。スポーツデーでは 応援団をやったり、合唱コンクールでは指揮者をした事もありましたが、生き生きとした 性格になる事もなく、「自分は生まれつきこういう性格なのだから直そうと思っても直らな い。仕方が無い。」と割り切ったつもりでいた反面、話し合いなどで積極的に意見を出した り、毎年何かしらの目立つ重要な役割をこなしている友人達を見て、憧れの気持ちも強く 抱いていました。 恵泉に入学し、小学校とは全く違う真新しい環境におかれ、クラスメイトに出会い、「自 然と自分も変わるのだろう。」と思っていましたが、やはり少しの間はそれまでの自分を引 きずっていました。それまでは通用していた事がだんだんと通用しなくなり、「自分はどの ように振る舞えば良いのか。どのように生活していけば良いのか。」と、六年ぶりに全く新 しい環境におかれたことに対して、日々葛藤するばかりでした。恵泉に入ったばかりの当 時、仲良くしていた周りの友人がいつも気を遣ってくれている事を私は薄々と感じ、自分 が理想としていた自分になかなかなれない事に対して、余計に苛立ちや悲しみを感じまし た。自分の事が見えていなかったせいもあったのか、当時所属していた部活もあまり長く は続かず、ついには退部してしまい、学校生活に対するプラスの思考はほぼ無いに等しい くらいになっていました。 そんな中、私の中で大きな転機が訪れました。それは、今所属しているオペレッタクラ ブへの入部です。入部を決めた理由は「何となく部員の人達がフレンドリーだったから。」 という、とても薄っぺらいものでした。具体的に何をするかもあまり把握していないまま、 部活のその独特な雰囲気に流されるままに入部を決めました。 初めのうちは慣れない事の連続で、この先ここでうまくやっていけるのか、また辞めて しまうのではないか、という不安を感じた事が何回もありました。特に慣れなかったのが、 演技をする事と人前で一人で歌う事でした。私は初め、歌の伴奏を専門とする裏方として 入ったので、少しでも演技などをさせられた時には「こんな事するつもりで入ったわけじ ゃないのに。」と、焦りのようなものを覚えたほどでした。それらの事を、そつなく、かつ 上手にこなしている後輩や先輩、同輩を見て「何でこの人達はこんな事が普通に出来るの だろう。」と不思議でなりませんでした。 しかし、伴奏としてやっていくにしても、その頃の私には、今までの自分を捨てて殻を 破っていく必要が大いにありました。学校全体やクラスも勿論そうなのですが、部活も同 じく、これらは社会の縮図のようなものだと考えています。特に私の部活は、一人ひとり の個性がとても強く、社会というよりも、それぞれが一つの国で、全員が集まればまるで 世界の様だと言っても過言ではないほどです。それで私は、このままだと余計に自分が萎 縮してしまうし、何より、折角入った部活を楽しめないのでは、と考え、何としてでも自 分の色を出せるようにしよう、と決意しました。今思えば当時の私は真面目に考え過ぎて いたと感じますが、その時にした決意が、その後の私を大いに支えてくれました。 決意をしてから、私の様々な考え方が変わり、視野がとても広くなったように思います。 まず私はそれまで、人に笑われる事があまり得意ではありませんでした。しかし、面白い 先輩方や同輩が、私と関わっていく事で私の今まで表に出してこなかったような面をうま く引き出してくれて、悪い意味を持って馬鹿にしたりするのではなく、周りが誰も嫌な気 持ちになる事もなく楽しい指摘の仕方をしてくださって、次第に、自分の言動や行動で他 の人が笑顔になってくれる事に喜びを感じるようになりました。 また、私の今までの受け身な考え方も変えるきっかけとなりました。どの部活でも、受 け身なままでいれば、得られるものも少ないし、全体がうまく回り難くなってしまいます。 上手くなるために自主的に練習したり、物事がスムーズに進むように自分から仕事を見つ けたりと、能動的に動く事の重要さも学びました。 このように部活に入った事で得た沢山の人との出会いは、私を大きく変えてくれ、部活 以外の場所でも「変わったね。」と言ってもらえる事が増えていきました。伴奏だけをやっ ていこうと考えていた私でしたが、次第に「キャストもやりたい。」と強く思うようになり ました。入部当初は考えられなかった、演技と人前で歌う事も、今では大好きになりまし た。部活に誘ってくれた友人には、今でもとても感謝しています。 また、部活以外の出会いも私を大きく変えてくれました。その人との出会いは、人を喜 ばせる事や、会話が無くともその時の相手の気持ちを考える事の大切さを教えてくれまし た。当たり前の事ではありますが、相手の気持ちを考えずに自分が話したいだけ話したり、 自分の思い通りにいかない事があった時に不機嫌そうな態度をとっていては、その場の雰 囲気がとても悪いものとなり、相手も不愉快にさせてしまいます。これらがしてはいけな い事だとは分かっていても、感情が表に出やすくわかり易い性格のせいもあるのか、私は 心を許した相手には特にそのような態度をとってしまいがちです。ですがその人は、私の そういう部分を頭ごなしに怒るのではなく、受け入れてくれました。私はそれにより改め て自分の情けなさを痛感し「頑張って直さなくては。」という考えを持つことが出来ました。 人と出会うという事はあまり深く考えなければそこまで大きな出来事ではないかもしれ ません。しかし、今までしてきた一つ一つの出会いに焦点を当てて思い返してみると、自 分の人生のターニングポイントになっていたり、今までの自分の古い考えを捨て、視野を 広げてくれたきっかけになっていたと発見出来るのです。 『出会いがあれば別れがある』というような意味の言葉をたまに耳にしますが、私はこ の言葉があまり好きではありません。それは、今までしてきた出会いが無かったことにな ってしまうかのように感じるからです。引っ越しで友人と離れてしまったり、恋人と関係 を終わりにしたり、家族と死別したり、どのような理由でその人と離ればなれになったと しても、その前の時間にその人と出会った事は変わりありません。離れた理由がもし嫌な ものだったとしても、その人と出会った事で自分自身が成長出来た事には変わりないので す。別れてしまえばそれで全てが無かった事になるのではなく、それらの出会いが今の自 分を作り上げているのだから、それは自分の中で生きています。だから別れは終わりでは ありません。なので、その出会いとそれで得た事をずっと大切にし続ける事が重要なので はないでしょうか。 高校生としての最後の一年間は、今までの出会いに感謝して、一日一日を大切に過ごそ うと思います。
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