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「参加する仏教」に向けて
ーアメリカにおける道元禅に ついて ー
カール・ビールフェルト
スタンフォード大学教授
一九九九年一〇月、曹洞宗は道元生誕八〇〇年を記念する行事をスタンフ
ォード大学で開催した。その機会に私は「道元と共に生きる―その思想の
妥当性を考える―」と題して発表した。(1)この発表は道元の宗教思想に
関するいくつかの問題、特に、道元禅の現代版をまとめようとするなら、
どうしても検討しておく必要があろうと私なりに感じている問題にかかわ
っている。そのために、道元の理解した禅の歴史的特徴のいくつかを並べ、
さらに、付け足しのように、現代という場における道元思想を論じてみた。
したがって現代仏教の在り姿をイメージしようと試みたわけではない。そ
れにもかかわらず、発表の最後で、私は道元が禅にアプローチする一般的
特徴を一つだけ指摘しておいた。禅の宗教生活を現代的に再検討するのな
ら、これだけは必要であろうと考えているからである。その特徴を私は「参
加する仏教」(participatory Buddhism)と名づけたが、本エッセイでは、この
考えを少し先に進め、現代の仏教共同体が直面している諸問題とどう関わ
り得るかを、検討してみたい。
いくつかの但し書きで始めたい。第一に、私は仏教史研究の学的訓練を受
けた者であって、神学者ではなく、現代宗教についての社会学者でもない。
したがって、ここでの論題に関して、私は専門家としての見識を有してい
る者ではない。私は自分の宗教の未来に関心を抱いている在俗の一仏教徒
として語っているし、専門家の方が私の考えを鋭いものとし、誤りを是正
して下さることを望んでいる。第二に、私はアメリカ人在家仏教徒として、
アメリカ人(仏教徒の)共同体がかかえている問題について語っている。
したがって、私がここで述べることが日本の仏教に果たして妥当するか否
か、どのように妥当するかの判断は、より適任の方に任せたい。第三に、「ア
メリカ人(仏教徒)共同体」といっても、仏教に改宗したアメリカ人の間
に見られる仏教だけを意図しているのであって、独自の特徴をもつ日系や
その他の民族の仏教徒グループの宗教は考えていない。最後に、本論を始
めるにあたって、私は次のことを読者にお断りしておきたい。私は仏教に
ついての伝統的な解釈にも現代的な諸解釈にも多くの疑問をもっているし、
ここに述べるのは宗教的にも政治的にもリベラルな人間としての考えであ
る。
1. Carl Bielefeldt, “Living with Dogen: Thoughts on the Relevance of his Thought.
『道元禅師シンポジウム』(Dogen Zen and Its Relevance for our Time), 曹洞宗
宗務庁, (1999), 33-39頁(英文: 123-133).
アメリカ仏教
道元禅がアメリカで栄えるものならば、アメリカ仏教と会話を始めねばな
らないであろう。アメリカ仏教には、アジアにおける伝統的形態と区別す
る少なくとも五つの傾向があると私は思う。これは他の学者もアメリカ仏
教の現場の最近の研究で、いろいろな形で、気づいていることだが、私は
それを「世俗主義」「個人主義」「折衷主義」「平等主義」「行動主義」と名
づけておきたい。
「世俗主義」(secularism)と私が言うのは、しばしば現代に特有な特徴とさ
れている傾向のことであって、つまり宗教の「聖なる」領域を人間の文化
が創出したものと見、自然世界や文化世界を聖なる領域の表現とはしない
見解である。アメリカ仏教徒はとりわけて自分の国をマンダラ(maṇḍala)と
は見ない。自分達の歴史を〔未来仏である〕弥勒(Maitreya)の到来に導く宗
教性(dharma)の発展段階とは見ない。自分の人生を浄土(Sukhāvatī)に生ま
れる準備とは見ない。彼らは仏教の思想と実践を法身(dharmakāya)の現れと
することはない。むしろ、仏教は世界を成り立たせている無数の選択肢の
中から、人間が選んだ選択肢の一つに過ぎない。(したがって)、その価値
を証明するためには、個人的にも社会的にも、市場において競争しなけれ
ばならない。市場の商品のように、仏教は巧妙な宣伝によって消費者の嗜
好を巧に扱うことができる。しかし、同時に、巧妙な包装によって彼らの
嗜好に応じることも必要である。
「個人主義」(individualism)という言葉で、私は、仏教を宗教的制度とか社
会的共同体、ないし文化的伝統としてよりも、むしろ個人的体験のための
媒体(vehicle)として取り扱う傾向を意図している。今日、アメリカ人は「宗
教」(religion)と「霊性」(spirituality)とをはっきり区別することが多い。前者
は制度、儀礼、教義にかかわり、そして、後者は個人の内的生活にかかわ
っている。こう区別した時、宗教はどこか疑わしく、浅薄で、本物でない
(inauthentic)ものとして見られる。これに対して、霊性は純粋で美しいもの
として見られる。霊性に発する言葉はしばしば〔万人に〕共通する人間性
と、人間と自然世界との調和に大きな価値をおくが、それは何にもまして
個人的体験にかかわるという特質をもっている。私は私自身を、人間たる
ことを、そして世界を、どのように感じているのか。あるいは「偶像的自
己崇拝」(I-dolatry)と呼ばれているものをどう感じているのか。したがって、
多くのアメリカ人仏教徒にとって、仏教組織の一員であることは二次的な
関心事であって、ある特定の仏教団体の規範を受け入れることは〔信仰に〕
忠実というよりは、むしろ妥協なのである。
「折衷主義」(eclecticism)ということで私が意味しているのは、なにか魅力
的なものを求めて宗教の市場を「見て回り」(shop around)、仏教、非仏教を
問わずにさまざまな材料を仕入れて霊性〔的宗教〕の個人版を作り上げる
傾向のことである。現在、アメリカ仏教の現場には種々雑多な選択支があ
ふれている。アジアの殆どすべてと言ってもいい国々から輸入された種々
な形態の仏教があるし、あるいは伝統的仏教の教えに心理学、「ニューエイ
ジ」精神主義、エコロジー、その他の流行の熱狂的宗教(current enthusiasms)
の要素を混ぜ合わせたアメリカ自家製の宗教もある。このような市場で、
〔既存の〕教会の教理を信用しないアメリカ人が、特定の宗教伝承を「ブ
ランド」ものとして求めることがなくても驚くにはあたらない。宗派の独
自性などはまことに流動的なのであって、道元からダライラマに至るまで
の仏教の、いわば、諸原料が混じり合うことはきわめて普通なのである。
アジア仏教の諸伝承はいうならば輸入された「天然資源」にすぎず、これ
がアメリカ精神産業によって種々な商品に作り上げられているのである。
「平等主義」(egalitarianism)とは、精神生活においてはなん人も同等のプレ
ーヤーであると想定する傾向を意図している。確かに、アメリカ仏教の形
成期には、「グル〔師匠〕崇拝」(guru worship))が見られたこともあった。
しかし、〔アメリカには〕権威に抵抗し、階層的制度を憤るという、より深
い文化伝承がある。仏教布教者の優越性は疑われていて、長老達の智慧は
具体的に示されなければならない。アジア宗教の指導者達に付与された権
威は、アメリカ人の優越性に関する感覚によって常に足切りされてきた。
仏教伝承に深く身を浸しているという敬意は、新しいもの、独創的なもの
を評価する「若者文化」(youth culture)によって弱められている。共同体に
おける指導力は民主的に到達された合意によって成り立つ。男性は女性を
代弁することはできない。女性は自らを代弁し、仏教に女性として彼らに
話しかけるよう求めるのである。
最後に、「行動主義」(activism)によって、私は、信仰の体系としてよりも、
むしろ実践すべきものとしての仏教を考える傾向を意味している。もちろ
ん、単に世界観として、あるいは物事についての思考法として、仏教を理
解する多くのアメリカ人がいる。自分の信仰をも、また自分自身をも「仏
教徒」であるといいながら、仏教について何もしていないアメリカ人も多
い。しかし、アメリカ人は、何かなすべきものとして、実際に身体を動か
し、治療法としての精神の訓練のセットとしての仏教に惹かれているよう
に思われる。彼らは教団の教義と儀礼にはほとんど愛着をもたないかもし
れない。しかし、彼らは悟りという目標と、悟りをもたらすであろうとさ
れている実践を信じる。だからこそ、アメリカの在家者は僧侶のみに瞑想
を任せることに満足していない。自らが精神的訓練に従事することを望ん
でいる。アメリカ人仏教徒は自分の宗教を問題からの逃避として考えるこ
とに満足していない。彼らが期待する宗教とは、自身の個人的問題だけで
なく、戦争、社会的不正義、環境破壊等の世界の問題を解決する宗教であ
る。彼らは、宗教を精神的(また時には物質的)進歩のために用いたいと
願う。そして、その結果によって、その宗教の価値を判断するのである。
道元の仏教
これら現代のアメリカ仏教徒に見られる傾向と、道元の時代の日本仏教と
の間に大きな違いがあることは当然である。明治期以来の歴史家のなかに
は、鎌倉「新仏教」が伝統的な制度の権威を疑い、個人的救済を強調した
ことで、とりわけ「現代的」(modern)であると見ようとしている人がいる。
しかし、アメリカ人が時に道元、親鸞、日蓮のような人物の精神的洞察力
にいかに親密感を覚えようとも、こうした祖師たちは非常に異なる宗教世
界の中で活動していたことは認めなければならない。彼らが活躍した仏教
世界では、宗教とは個人が選択した精神というにとどまらない。政治、社
会、文化といった公けの領域に組み入れられているし、さらには、時間、
空間、そして物事の究極的本性、といった存在自体のなかに組み入れられ
ていたのである。そうした世界では、今日のアメリカ人が当然と考えてい
る世俗的個人主義や純粋に心の領域にはたらく霊性などは、想像すること
さえ困難なことであったろう。
道元の精神的洞察には時代を超越しているものもあろうが、しかし、彼の
仏教もやはり時代の産物だった。スタンフォードで行われたシンポジウム
での講演で、私は彼の仏教の特徴のなかから、古くさいものにみえ、かつ、
我々に問題を提起するであろういくつかを指摘しておいた。当時の多くの
仏教思想家と同様、道元にとって主要な問題は、宗教が世俗世界において
どのような意味をもつかを主張することではなく、仏教という宗教世界に
おける多くの主張の中からどう選ぶのかということだった。結果的に道元
は彼の師である如浄(Ju-ching)の禅にのみ焦点を絞った。種々な形態の他の
宗教ー他の禅も含めてーのすべてを道元は斥けたのだが、これは、他の仏
教徒ばかりでなく、他派の宗教者たち、そして他の非宗教的見解とも話し
合って行かざるを得ないアメリカの禅にとっては、どうしようもなく偏狭
な出発点を提示している。
道元は如浄の禅以外を全く認めなかったが、これは釈尊いらい祖師たちが
相承してきた〈正法眼蔵〉という独特の見方に大きく依っている。(しか
し、)この見方はアメリカ人には受け入れられにくい。何故なら、アメリカ
人は歴史とは自由に選べるものと思っているし、現代の歴史研究法の中で
教育されているから、聖なる歴史という伝承には疑い深い。さらに、父権
的権威に強く反撥する現代フェミニズムを気にしているからである。釈尊
から相承された〈正法眼蔵〉は禅僧の威儀(deportment)と禅寺の作法(rites)
にもっともよく具体化されていると道元は結論するのだが、アメリカ人に
はそれほど魅力的には思えない。その理由は、アメリカ人は僧院という境
界の外での平等な仏教を求めているし、制度化された宗教の決まり切った
儀則を超えた個人的な精神の自由を求めているからである。
にもかかわらず、もし道元禅のいくつかの要素が、現代のアメリカ仏教に
とっての材料(resources)というよりは、むしろ中世日本の一宗教の完成品
(artifacts)であるとしても、我々はあまり落胆する必要はない。結局のところ、
仏教であれそれ以外であれ、13世紀という時代の諸世界観に対するより、
道元に対する方がより難しいというものではない。そして、その時代の産
みだしたものであるにせよ、道元禅には、中世の日本を超えて現代のアメ
リカの仏教徒に直接語りかけ、この時代と場所における我々を勇気づけ、
(同時に)この時代と場所の制約を超えるよう我々に挑んでいる多くのも
のがある。特に、私が道元の「参加する仏教」と名づけるものは、アメリ
カ人に多くのものを語りかける宗教的生き方のモデルだと私は思う。アメ
リカ人の求める精神生活を鼓舞し、彼らが想像する精神的理想を是正する
ものなのである。
道元が僧院生活の規矩と儀則に深い関心をはらうのは、単に禅の制度の神
聖な歴史への信仰の表れだとか、尊い伝統を盲目的に模倣しているだけの
ものではない。それはむしろ、禅修行の日々の生活は目的のための手段だ
けではなく、それ自身が目的であり、我々の仏陀としての本性の表現であ
る、という深い意味から生じている。道元にとって禅の修行は人を仏へと
変化させる一連のテクニックというだけでなく、それを通じて仏が自らを
人間として表現する形でもある。したがって、修行すること自体が、仏の
生活に参加することである。全生活をあげて仏のそれに同じれば、仏にな
る。修行した結果として何か他の「仏たること」(buddhahood)を求めるのは、
死んだ仏を求めることであり、「仏を殺す」ことである。
こうした議論の重要な前提としてあるのは、「仏たること」はなにか一つの
永遠の状態(permanent state)などというものではなく、はたらき(activity)
であり、(真理を)あらわす行為だということである。事実、道元にとって、
「仏の生命」(the life of a buddha)とは、禅修行で良く言われる表現、すな
わち、〈すべては仏の生命の中に生じたのであり、生じるものはすべて仏の
生命の表現〉、より広い意味を持っている。より強く表現するなら、「仏た
るこ と 」(buddhahood )は 、 最広 義 で言 う なら 、(現 象 の) 生 じ るこ と
(occurrence)自体であり、物事が進行していることの表現であり、物として
の世界が連続的に湧き出ることである。そこからすべてが現れる「仏たる
こと」と呼ばれる原初的「事物」が存在することではない。物事が物事と
して現れることそのことが「仏たること」である。もしも、我々が何もの
かとして生じるこの根本的はたらきを「仏たること」「修行」と名付けるな
らば、その時にはすべての物事が修行であるということが出来る。あるい
は、これを逆の面からいうなら、我々自身の仏教の修行は、究極的な意味
では、世界それ自体の根本的はたらきに参加することである。それ故、我々
の修行を超えた先に「仏たること」を目指すのは、仏陀を殺すだけでなく
世界を殺すことにもなるのである。
ここでの議論はつかみ所がないが、それは「仏たること」と「修行」とい
う術語の曖昧さに依っている。というのはこの術語は、時に、形而上学的
に「存在しているというはたらき」(the activity of existing)」を意味するし、
時には、倫理的に何か「人間の本来的はたらき」(authentic human activity)と
いう意味で用いられているからである。我々がこの曖昧な言葉を分類して
厳密にこの二つの意味に固執するなら、明白な疑問が生ずる。もしも、存
在のはたらきそれ自体が仏としての修行であるならば、どうして我々は〈仏
たるもの〉としての人間の存在と、仏教徒の修行としての「人間の本来的
はたらき」とを区別するのであろうか。我々は通常、人参と本来的人参と
を区別しない。どうして人間の場合にかぎって区別するのか。何故、人間
のあらゆる活動の中で、我々は特に本来的なものとしての禅の修行を選ば
なければならないのか。
実際、道元は、仏教学者達がそう呼ぶところの法身(dharma-kāya)―非人称的
なあるがままの究極の実在としての仏、と化身(nirmāṇa-kāya)仏―悟りを開
いた完全な人格(つまり歴史的な釈尊)―と呼ぶ仏との間を行ったり来た
りしているように思われる。事物存在は、あたかもそれが意図して精神的
な努力をしているかのように、一種の悟りの「修行」として「人格化」さ
れる。そして、我々の宗教的修行は、あたかも何か存在論的な基盤をもつ
かのごとくに、存在そのものとして「非人格化」される。宗教的修辞法と
して、「仏陀」(buddha)のこれら二つの意味の間を行ったり来たりすること
は説得力がある。しかし、修辞学を離れると、重要な相違が残るのであっ
て、それは、仏になるためには、人間は(人参と違って)仏の修行に積極
的に参加しなければならないことである。かく参加することでもたらされ
る現実の人間の行は、〈事物存在が単に〔在るだけで〕「仏だ」〉という形而
上的な定義からは出てこない。それは他の根拠に基づいて選ばれなければ
ならない。道元は、宋代の中国の僧院で見た禅の形態は、化身としての釈
尊から伝持された修行であるという信仰から答えを選んだ。もしも、我々
がその信仰を共有しないのであれば、我々は我々なりの正しい選択をどこ
か他に探し求めなければならない。
参加する仏教
スタンフォードのシンポジウムの発表の中で、道元は私たちに禅修行に参
加するよう奨めているのだが、その際、大まかに言って三のレヴェルを想
定していいであろうことを私は述べた。(第一は)形而上的なレヴェルで
(metaphysical level)あって、我々の生活を普遍的な仏陀としてのはたらきに
一体化させることを通じて(修行に参加することである)、(第二は)歴史
的レヴェル(historical level)で、修行を伝承してきた祖師方の嗣法の相承を受
容することを通じてであり、(第三は)倫理的レヴェル(ethical level)で、修
行が行われている僧院の共同生活を通じて(参加することで)ある。先に、
私は道元の後の二つのレヴェルで参加することは必ずしも最初の(レヴェ
ル)から起こるものではないこと、そして、実際、禅の歴史的伝統と儀則
の形態に信仰を共有しない者達には受け入れられ難いであろうことを提示
した。しかし、定義せよというと大変に難しいのだが、私にとって決定的
な点は、道元が我々を取りまく世界へ完全に身を投じよ、自分がその中に
ある直接の環境に自己をあげて参加せよ、という道元の見解なのである。
道元の修行の三レヴェル、私は形而上的、歴史的、倫理的と名付けたが、
そのいずれの状況にも自己は見出される。「参加する仏教」ということによ
って、私は各人が自己のすべてをあげて(自分の今いる)環境に身を投じ、
それに責任を持ち、それを明らめ、完全なものとしていく努力を払う、と
いう一の宗教モデルを心に描いている。このモデルにおいては、伝統的仏
教の目標である解脱は(それがどのように定義されようとも)、我々のこの
条件付けられた存在世界「から逃れる」ことによってではなく、そこ「へ
走り込ん」でいくことによって達成される。自己は、自らをより広い脈絡
の中におくことによって、狭量な自我的関心を超え、それ自らを失う。〔そ
の時、自己は、〕形而上的脈絡でいえば、「仏たること」の顕現したものと
なり、歴史的脈絡でいえば、伝統の相続人となり、倫理的脈絡でいえば、
協同体の一員となるのである。
上にそれぞれの文脈で、「自己から逃れる」「自己を失う」あるいは「自己
を投ずる」という表現をしてきたが、それは個人が周囲の状況に吸収され
てしまう受動の姿勢と降伏という精神的理念を示しているように思われる
かも知れない。無論、これは、究極的存在との神秘的合一を見ることから、
グループの意志に服従するよう教団としての呼びかけに至るまで、あれこ
れと種々な形式はあるものの、宗教の多くに共通する一つのモデルではあ
る。このモデルを認識論的にいうなら、仏教徒がしばしば讃えている注意
深さ(mindfulness)の実践ということであろう。仏教徒の言うことに由ると、
人はあたかも鏡のようになるのであって、今のこの瞬間に生ずるすべての
ことを写し取るだけであって、それを判断し、ないしコントロールするこ
とはしないのだという。私は、そのような型を私の考える参加する仏教と
区別したい。私はむしろ、古代の理想である菩薩のようなものを考えてい
る。世界を直ちにあるがままに忍耐しつつ受入れ、同時に、世界を良くす
ることに全力をつくす者である。
何かに参加することは、無論、人はその中の一員(part)であると認めるこ
とから始めなければならない。しかし、同時に人はそれに「参加する(take
part)」ことも必要であり、個人的プレヤーとして、それに責任を持たねばな
らない。それ故、参加することには、環境と個人との間の細心のバランス、
受容と抵抗との間の微妙な交渉が必要である。自己が自らを見出そうと
種々の環境の中を動いていくにつれて、バランスは変わるであろうし、交
渉はもっと難しくなるかもしれない。一般的には、「仏たること」という形
而上的脈絡での参加から仏教修行者として自らの人生に倫理的脈絡で参加
するようになるにつれて、受動的受容からより活動的な責任へとバランス
はうつると言うことが出来よう。
形而上的∼あるいは「実存的」と言ってもよい∼脈絡において、我々が参
加する際、我々自身が「仏としてあること」の中にはめこまれていること
を「識る」ことが重要な根拠となる。それは我々の存在が現実に進行して
いるもの、道元が「現成公案」(koan of realization)と呼んでいるもの、の
一部であるという理解である。確かに、我々は現実に進行しているものを
知り得ないであろう。我々の参加に重要な鍵は、究極的実在についての知
識ではなく、よくわからない(mysterious)ながらも価値ある何かが、ここ
に、起こっているという理解であり、その理解によって生きることに専念
することである。正にここにおいて、注意深さとか道元の「只管打坐」の
ような伝統的な瞑想実践が、そういう理解を我々に与えることに役立つで
あろう。しかし、私は、参加による仏教を坐禅を行ずる者に限定したくな
い。その時々に止まり、周りを見渡してみようとする者は誰でも、現実に
進行している神秘(mystery)のまっただ中にいる自身を見いだすことができ
るのである。
我々が「畏敬の念としての参加」(participation as awe)と呼びうるこのレヴェ
ルは、「仏たること」の実践の出発点であるが、それは目標ではない。我々
が現実に進行しているものの一部である限りでは、我々は当然のこととし
て「仏たること」に参加しているのであり、何かそれ以上のものを探求し
ようと悩む必要はない。この事実に気付き、真面目に受け取ることで十分
なのである。しかし、我々が我々の周囲に具体化している世界に目を向け
る限り、それがどのような形を取って具体化しているのかについて、関心
を持たざるをえない。そして、我々が世界〔の状況を〕を真剣に受け取る
限り、我々は進行しているものに従事し、それについて何かをする以外に
道はない。それについて、何かをする、ためには、私が歴史的、倫理的と
呼んだ参加のレヴェルにおいて、我々は自らを世界の中で表現しなければ
ならない。ここに至って事はより難しくなる。真相はこういうことである。
我々は現実に進行していることを知らない。自らに正直であるならば、本
来「仏である」からといって、なにか特別のものが自ずと出てくるわけで
はないことを、我々は当然のことと認めなければならない。仏陀について
の我々の定義のすべて、仏陀として生きることの現実のイメージのすべて、
は仏教者の創作であり、完璧な人間という理想(dreams)から導きだされた
ものである。
道元は菩提樹の下に坐す釈尊(Śākyamuni)、長老の血筋を伝えている菩提達
磨(Bodhidharma)、百丈(Pai-chang)の清規以降に生じた中国の禅匠たちを理想
(dreams)とした。一人の僧にとって、かれらは力強い理想である。彼らは、
その中にあなた自身を位置づける歴史、それによってあなた自身を確認す
る伝統を提供する。彼らはあなたが何をなすべきか正当な理由を与え、毎
朝起きるとき何をなすべきかを告げてくれる。しかし、この世界に毎朝目
ざめ、しかも釈迦牟尼の悟りが数多くの理想の一つとしてしか思い出され
ないような人間には、そして、我々の子供たちは朝食を欲しがり、そして
新聞には他の民族の子供たちが今日も朝食を食べられないという報告に満
ちている世界にいる我々には、恐らくより幅の広い選択が必要であろう。
互いに異なり対立する様々な理想があり、その中から選択しなければなら
ぬような世界、もはや仏教世界とは言えぬ世界で目覚めるとするなら、我々
ははっきりと自分を意識した選択をしなければならない。そして、仏陀
(buddhas)としての生き方をどのように形づくり決定していくかは、各人
の任意であり,自発的であることを常に認めなければならないであろう。
そのように各人が、それぞれに宗教信仰を明らかにしなければならないと
いう認識は、我々の時代において、私がそう呼んでいる「正直な」仏教(honest
Buddhism)の鍵となる要素である。すなわち、本体論的な釈明なしで選ばれ
た仏教である。これは、我々の時代においては、仏教だけに当てはまるこ
とではない。二十一世紀におけるすべての宗教は、今や、信仰と疑問、自
らの伝統の墨守と他の伝統の有効性の受容、との間に新しいバランスを見
いださなければならない。バランスを失うならば、我々は、狭量な宗派絶
対主義に陥るか、さもなければ、安易な倫理的相対主義に陥るであろう。
我々がバランスを失うならば、我々を取りまく世界への完全な参加者とは
なり得ないであろう。それは、我々の自立性を犠牲にして共同体の基準に
身をまかせすことになるからであり、あるいは、我々はいかなる共同体へ
の忠誠も許されないということになるからである。
そのような微妙にバランスを保っている状態において、我々が歴史の現実
に参加することは、自らの伝統へのかなり広やかな意識と、その伝統を形
成するのは我々自身なのだというかなり強い意識とを必要とすることにな
ろう。単に菩提達磨〔以来の〕の衣を身にまとい、道元や昔の祖師方の系
譜に跪くことだけでは十分とは言えない。我々は、禅宗や曹洞宗の一員で
あること以前に、仏教徒であるとは何を意味するのかをより広く意識する
必要があろう。中国の禅語録や道元の『正法眼蔵』を論ずるよりも多くの
言葉が、我々自らが仏教に信仰を持っていることを示すために、必要なの
ではなかろうか。我々は家系という意味をひろげて、広汎且つ多岐にわた
る仏教の伝統を含むようにしなければならぬものであろう。道元について
なにも知らない(し、たとえ知っていても道元に同意しなかったに違いな
い)多くの仏教文化を含んで考えていい。我々は〔宗教的〕祖先を崇敬す
るためにこそ、彼らの歴史的限界を批判する意識、そして、彼等を批判し
なければならないという我々の歴史的義務をその〔崇敬の〕中に組み込ま
なければならないものであろう。
こうした点に関し、我々はバランスを保たねばならない。我々が伝統の抑
制力を一たびゆるめ、その歴史的制限を認めると、恐らく我々は、いわば
「左翼」(left)に傾くことになろう。我々アメリカ人には、祖先に対する比
較的な無関心さと、伝統をそれほど尊敬しない感覚があって、アメリカの
禅はややもすると個人的自律性と革新という特権を簡単に与え始めかねな
い。我々には文化的優越という尊大な感覚と、古めかしい考えに対する若
さによる苛立ちがある。それによって、我々は禅の伝統を固着したアジア
の古い考えの一つだと簡単に見なし、我々自身の好みにあわせて安易に固
定し始めかねない。わたしが〔参加する仏教〕というのはこうしたことを
意味するものではない。我々が伝統への参加を語るとき、その伝統が歴史
的に形を取ってあらわれたものを尊敬せず、また、我々自身がそれを伝え
ていくことに責任を負わないというのなら、ナンセンスである。我々が道
元の禅を修行しているというとき、道元の教えを〈そっちの法が好きだか
ら〉と他の誰かの考えに簡単に置き換えることができると考えるなら、ナ
ンセンスである。もしも我々が自らの伝統を批判する歴史的義務を持つと
いうなら、我々は次のことにも気付かねばならない。すなわち、伝統を我々
の好みに応じて固定すればするほど、我々自身を位置づけるべく挑戦する
力が弱くなるのである。
私が「倫理的脈絡」と呼んでいるものに参加しようとする時には、個人的
自律性と環境に流されてしまうこととの間のバランスを維持することはさ
らに難しくなるであろう。「参加する仏教」は個人を共同体の一員として限
定する。しかし、そのことは必ずしもその共同体が何かを限定しない。我々
が一たび道元禅における祖師の伝統と僧侶の生活との間の繋がりを壊すと、
僧院共同体はその特権的な立場を失い、現実の道元禅の実践は僧院の儀則
と日課という決まり切った〔修行〕形態を超えた場に投げ出される。自己
〔自我〕を屈してこうした決まり切った形式に従がわせるのは、伝統的実
践では重要な要素だった。そして、これらの形態がなくなることは、僧院
共同体を新しく限定し直し、さらに我々の「修行」が何を意味するかにつ
いて新しい理解を見いださざるを得なくなろう。
ここで、僧院の形態と〔我々の〕日常生活の実践との類似点を考えてみた
い。このように我々は考えることが出来るのではないだろうか。すなわち、
日常生活においてなすべき義務に全身全霊を打ち込み、しろと言われたこ
とを丁寧に注意深く行っている限り、我々は僧院において僧たちが修行し
ているのと同じ注意深さ( mindfulness)を守っている。禅匠たちは好ん
で「働く時はただ働き、休む時はただ休む」と言う。やらなければならな
いこと〔を、やりたくないという〕抵抗を乗りこえ、仕事に夢中になるよ
う、心理的テクニックとしてはその通りで、特に言うこともない。しかし、
これは私が共同体への参加ということで意図するものではない。これは、
つまるところ、倫理的実践とはいえない。何故なら、現実の問題として何
をしなければならないのか、そして、共同体にとって何が最善であるかと
いう問題を無視しているからである。
僧院にこもった僧侶が選択したのは、一連のセットになっている行動規範
で厳格に縛られたただ一つの共同体に参加することである。僧院の外にあ
っては、我々は家族、隣人、仕事、国家、人類、すべての有情に至るまで
の多くの共同体のメンバーである。これら共同体の行為規範はしばしば衝
突する。その衝突は我々の義務がどこに横たわっているかについて、困難
な倫理的判定を強いる。それ故、僧院の外では、単に我々が今しているこ
とを注意深く行うことだけに全勢力をあげるわけにはいかない。我々は絶
えず今我々が行っていることを吟味し、何故それを行っているのか、そし
て、実際に行う価値があるものかどうかを問わなければならない。如何な
る共同体であれ、共同体の規範を何処まで墨守するかは、我々の個人的責
任感によって常に調整されるものであろう。そして、共同体へ参加するこ
とは、判断し、批判し、規範を改革するよう努めることを義務づける。た
またま自分が所属することになった共同体にもよるが、「参加する仏教」と
は受容すると同時に抵抗することでもあるのである。
アメリカにおける道元の仏教 の開始
結びにあたって、私は、参加するスタイルの仏教についてのこうした抽象
的考えから、現代のアメリカという場における、より具体的状況に戻ろう
と思う。もしも、道元の禅が21世紀にアメリカで栄えるのならば、それ自
体が新しい状況に開かれたものとなる必要があろう。〔まず〕アメリカの世
俗的文化及びそれを取り囲んでいる他の形態の仏教と対話する必要がある。
道元禅は、単に、専門用語と教義上の主張を繰り返し訴えるだけでは続か
ない。外部の者に受け入れられる合理的な言葉でそれ自身を表現するとこ
ろから始めなければならない。様々な場面、状況への参加を激励する新し
い形式の実践が実験される必要がある。ただマントラ(mantras)を唱えたり、
禅堂で坐蒲を温めるだけのことでは続いていくことは出来ない。禅堂の外
で何が起こっているかを見つめ、日常生活という世界に実践を持ち出さな
ければならない。新しい状況を開いていくために、新しい構造を持つ制度
を作り出す可能性をさぐる必要がある。そこで、私は、道元禅がアメリカ
に定着する興味深い可能性を提示し、そのために、四つの制度上の実験を
述べてみたい。その幾つかはすでに展開されつつあるが、その他はまだ十
分に試されていない。
今日、アメリカにおける禅教団のもっとも一般的で、かつ十分に発展した
形式は、「禅センター」(Zen center)と呼ばれるタイプのものである。それは
在家を主体とした組織であり、得度した教師によって指導されているのが
普通で、坐禅の実践に専念している。道元禅の歴史において、これは独特
の組織であって、曹洞宗の僧院、あるいは地方寺院での先例はない。多分
それは、鎌倉時代の初期の真宗と日蓮宗の、あるいは江戸時代と明治時代
の「新興宗教」の一部の型に近い。もちろん、アメリカの禅センターの社
会的特徴は、教師のスタイルとメンバーの価値観により異なる。幾つかは
権威主義のグル(guru・師匠)カルトに向かっているが、しかし、ほとんど
はアメリカのプロテスタンのリベラルな形態によく似た平等主義的共同体
のように見える。指導力はグループ・コンセンサスから生じて来るのが普
通で、僧侶のオフィスからではない。また、しばしば女性は少なくとも男
性と同じく中心的役割を担っている。
アメリカの禅センターは、伝統的には僧侶に任せられていた実践、特に日々
の坐禅、しかし同時に摂心(meditation retreats)、独参(personal interview)、
〔各種の〕儀礼(ritual services)、経典と公案の学習、作務(temple work)等
に参加する機会を提供している。こうして、センターは精神的修行と体験
を求めるアメリカ人の要求に応え、個人が精神生活に参加するための強力
な新しいモデルを提供している。しかし、各禅センターだけでは、「参加す
る仏教」の十分な基礎を提供できない。それらが熟していくにつれ、これ
らセンター我取り組むべき課題は、彼らが提供していることをより大きな
脈絡の中にどう関わらせていくかという問題である。つまり、個々のセン
ターをアメリカと日本の両方にある他の仏教組織とどのように関係づける
か、各センターの教えと修行をより広い仏教の伝統にどのように関係づけ
るか、そして、センターにおける精神生活を世俗世界の家族、社会、政治
的生活とどのように関係づけるか、である。
禅センターは、僧侶と在家者の間の伝統的区別の多くを不明瞭にしている
新しいタイプの教団であり、そのために新しい種類の制度上の問題がでて
きている。禅センターは、一方では、俗人が瞑想やその他の僧院スタイル
の実践に参加できるように焦点を合わせているので、そのような修行はや
りたくない、ないし、やれない、というアジアの殆どの在家仏教徒を除外
しがちである。他方、センターは在家と僧侶の混合した共同体であり、世
俗的な生活態度を取り入れるよう奨めるので、僧院の伝統的訓練の発展を
抑制しがちである。道元禅がアメリカで栄えるなら、おそらく、禅センタ
ーというモデルを超え、在家者と僧侶の両方のメンバーに対してより広い
選択の範囲を提供するような種類の制度を発展させねばならないであろう。
行動主義を重んずるアメリカの傾向は、禅堂や禅センターを超えて、より
広く社会の現場へと手を伸ばす組織をすでに産み出し始めている。例えば、
アラン・セノーキ師(Rev.Alan Senauki)によって指導され、非暴力の促進に
打ち込んでいる仏教平和協会(Buddhist Peace Fellowship)、末期医療に取り組
んでいるサンフランシスコの禅ホスピス計画(Zen Hospice Project)、あるいは、
国内、国際両方の範囲で幅広い社会的活動に携わっている徹玄・グラスマ
ン(Tetsugen Glassman)師の「禅ピース・メイカー」(Zen Peacemaker Order)等
の組織である。それらグループは、道元禅の原理を世俗の世界に定着させ、
日常のものとしただけでなく、儀礼や瞑想よりも、むしろ的なスタイルの
宗教生活に惹かれている多くの人に「参加する仏教」を実践する具体的な
機会を与えている。世界で為されなければならない仕事はすべて与えられ
ているので、こうした組織体は、二十一世紀にむけて、成長発展する大き
な機会を与えられているものと思われる。
まったく異なった方向で、いくつかの禅センターはすでに伝統的僧院に酷
似している制度を発展させている。すなわち、まわりの住民が住む地域か
ら孤立した宿泊設備のある共同体であって、全生活をあげての実践のため
に、より正式の訓練を与えるものである。今までのところ、禅センターら
しく、これらの教団はほぼ常に在家者と僧侶の両者、男性と女性の両者に
開放されている。しかしながら、今日ともなると、アメリカ人に、より伝
統的生活スタイルを体験させ、そして道元禅のより伝統的形態を実践する
機会を与えるために、少なくともいくつかの僧院を設立し、そこでは清規
をひたすら守らせ、男女の修行者を分ける制度を発展させる可能性を考え
ていい時期かもしれない。同時に、こうした僧院を他の仏教伝統の比丘、
比丘煮立ちに開放し、道元禅を宗派的に孤立している状態から仏教僧院の
より広い伝統に参加させることもまた興味あることである。
僧院は道元禅の伝統的形態と精神の中で訓練を与えることができる。しか
し、、道元禅の歴史と文献の教育を十分に与えることはできないし、より広
い仏教伝統〔の教育は〕は言うまでもない。アメリカの禅仏教徒は教育程
度が高い傾向にあり、ほとんどの者は大学を出ている。しかし、同時に、
仏教の教育は哀れなほど受けていない。僧侶たちでさえ、仏教の歴史と思
想をまじめに学んだ者は殆どいないし、仏教のテキストを原語で読める者
は皆無に近い。禅センターでは、知る価値のあるすべては坐禅の実践を通
じて知ることが出来ると言わんばかりに、反知性的体質もなしとはしない
のである。この体質のおかげで、アメリカの修行者は、自分自身の伝統の
教えさえ理解することが難しくなっており、ましてや自分の伝統が仏教の
過去、現在の他の形態とどう関わっているかなどについては言うまでもな
いのである。
いくつかの禅センターは、クラス、講義、学習グループを拡充して、メン
バーたちに教えているが、教育を受けた指導者層を確保するためにまだま
だ多くのことをしなければならない。曹洞宗宗務庁は最近プロジェクトを
スタートさせ、日常に読誦し、あるいは儀礼に用いる偈や経文、『正法眼蔵』
のような教義的テキストの権威ある英訳を作ろうとしているし、また、サ
ンフランシスコに「教育センター」〔Education Center〕を設立した。しかし、
こうした努力が成功するには、アメリカの禅仏教徒たちが、修行には自ら
が奉じる宗教についての知的理解が含まれるのは当然だ、と思うようにな
らなければならない。それ故、今や、禅の教育を施すアメリカの組織を考
える時が来ているように思う。少なくとも当初は毎年のサマースクールヲ
開くことから出発し、仏教の諸言語、テキスト、歴史、思想を教えるカリ
キュラムが組まれてよい。
そのような教育機関こそが、禅は過去にどのようなものであったかをにつ
いて僧侶を訓練するだけでなく、禅が未来にどのようにあるべきかという
建設的思想を発展させることを鼓舞するであろう。換言すれば、質の高い
アメリカ禅の「宗学」(theologies)の発展を鼓舞するであろうし、私がここで
提案を試みたのもその一つである。