ハンガリーの旅

ハンガリーの旅
人々との出会い
そして別れ
平成 22年 6 月 20 日(日)から 7 月 1 日(木)までの 12 日間、ブタベストに滞在し、その間トカイと、
スロバキアのブラチスラバを旅しました。
ハンガリーには、大学の学生時代の友人(Aさん)が、外務省の文化発信プログラムのボランティ
アに応募してブダペストの大学の国際経営学部の第 2 外国語、日本語教師として 2 年間派遣されて
います。仲間達でAさんがいる間にハンガリーへ行こうという話がまとまり、大学が夏休み(6 月
20 日~)になるこの時期に旅立つことになり、日程調整などの結果、結局男性は私ひとり、女性 3
人のご一行様となりました。
20 日は午後成田発、アムステルダム経由で 22 時 30 分フェリヘジ空港に到着。Aさんが出迎えて
くれて、地下鉄 M2(赤色)のブラハルイザ駅近くの宿「スカイアパートメント」に到着しました。
早速Aさん持参のPICK社製のサラミソーセージをおつまみにワインで乾杯!
21 日は午前中アンドラーシ通りを散歩した後、
午後からガイドさんの車で英雄広場、聖イシュト
ヴァーン大聖堂、王宮の丘、マーチャーシュ教会、
ゲッレールトの丘などを回りました。
テロの館博物館(恐怖の館)
ナチス、KGBにより、 この館でも多くの
人々が拷問、虐殺された。
英雄広場:マジャールの民族国家建設。侵略と占
領、支配、抑圧からの解放。独立の戦い。
夕方、ナイトクルーズ船着き場近くのヴァガド
ー広場でAさんと待ち合わせ、夕食後、船に乗り
込みました。
1
ドナウ川 クルーズ船より国会議事堂:
マジャール族の誇りをかけた豪華さ
ると、偶然にもそこにAさんが、お茶を飲んでい
るところに出くわし、一同びっくり仰天。彼女は、
近くでマジャール語の講習を受けるところで、時
間調整のため、ひとりでお茶をしていたところだ
ったのです。
中央市場で講座を終わったAさんと待ち合わせ、
食材を買い込んでAさんの自宅へ向かいました。
大学のキャンパス
ブダの王宮:2 度の世界大戦で大打撃。
1950 年代に修復。
22 日は、昨日国会議事堂を外からしか見られな
かったので、朝早くから皆で張り切って国会に向
かいましたが、既に大勢の人の行列が出来ていま
した。「チケットを持っている人」「チケットを購
入する人」の 2 つの行列があったので、購入する
人の列に並びましたが、雨のしょぼ降る中、列は
なかなか進まず、2 時間ほどしてやっと、国会入
口のチケット売り場に到着。やっと中に入れると
勇んでチケットを買おうとしたところ、
「午後2時
からの英語のガイドツアーまで待つように」との
こと。
イギリスの国会議事堂(ビッグベン)よりも規
模が大きく、豪華で、イシュトバーン国王から 950
年間にわたって代々受け継がれてきた王冠が展示
されており、是非見学したかったので心残りでし
たが、国会内見学は断念しました。
王宮の丘やドナウ川から見た議事堂は、修復が
終わって壁面も白くてきれいでしたが、正面側は
くすんでいて、今後の修復が期待されます。
(莫大
な経費がかかることでしょうが)
雨宿りも兼ねて、近くの小さなカフェに立ち寄
自宅は、中心部からバス又はHEV(郊外電車)
で 20 分くらいのところにあり、庭にサクランボが
たわわに実っている、瀟洒な建物です。大家さん
の玄関とは反対側の玄関から入る構造になってお
り、緑に囲まれた邸宅です。
一休みして、大学の研究室を訪ねることにしま
した。
大学の構内も深い緑の中に簡素ですっきりとし
た建物がひっそりと佇んでいるといった感じです。
学生数は 4 万人という大きな大学で、キャンパス
は他にもあるようです。
校舎の中央階段ホールに掲げられている肖像画
は、ナジ・イムレだそうです。ナジはスターリン
主義者の支配に対する民主化、言論の自由を求め
る民衆による蜂起(ハンガリー動乱:1956~57)の
時に首相に復職し、ソ連軍との抵抗、戦闘におい
て拘束されKGBによって絞首刑にされたという
ことです。
2
ナジ イムレの肖像画
そのナジが処刑されたのが、この階段の下の地下
の部屋であり、どの部屋であったかは、未だに判
明していないそうです。ハンガリー動乱で、ソ連
軍によって弾圧され、1 万数千人が殺され 25 万人
近くが難民となったということについて、私は「東
西冷戦の対立の中で、ソ連による弾圧を、東側と
の決定的対立を避ける西側諸国が見殺しにした悲
劇的な出来事」と受け止めていました。そのとき
の指導者であったナジが、この建物の中で犠牲に
なったということに、改めて、ハンガリー動乱の
悲劇に思いを馳せました。
(ルーマニアで処刑されたとの説もある。)
ハンガリー動乱が発生した 10 月 23 日の、33
年後のこの日(1989 年 10 月 23 日)に、ハンガ
リーは 1 滴の血を流すこともなく社会主義を捨て
てハンガリー共和国を建国し、ヨーロッパへ回帰
したということです。
Aさんの研究室は、彼女を含めて 3 人の教授室と
10 数人の会議が出来る部屋があり、明るく解放的
な雰囲気であるように感じました。夏休み中なの
で、守衛さん以外には、学生とも、教授などとも、
会うことが出来なかったのが、心残りでした。
フォアグラのソテー
あんなに大きくては、5 人ではとても食べきれな
いと思っていたのに、炒める間に、驚くほどどん
どん油が出てきて、小さくなったので、美味しい
美味しいと言っている間にペロリと食べ尽くして
しまいました。野菜類も新鮮で、最高の料理とな
りました。
23 日は地下鉄2号線のバッチャー二駅でHE
V(郊外電車)に乗り換え、40 分位のところにあ
る観光地センテンドレへの日帰り旅行。15 世紀に
オスマントルコの支配から逃れてきたセルビア人
が定住したセルビア文化の街だそうで、町並みか
らもその雰囲気が感じられます。
面白い眼鏡をかけた旦那さんがポーズをとり、
話しかけてきたので写真を撮ってあげたら、奥さ
ん方が「私たちも!!」とバックから同じ眼鏡を
取り出して、旦那さん方に眼鏡をかけさせて、ポ
ーズをとってくれたので、写真に納めてあげまし
た。
愉快で仲の良いお友達でした。
Aさんの研究室
緑に囲まれた落ち着いた住宅街の中を、Aさん
の自宅に戻り、中央市場で買い込んだ大きなフォ
アグラ(4,000Ht位、約 2,000 円)、茄子、パプ
リカ、トマト、ワインなどで夕食となりました。
念願のフォアグラは塩コショウでソテーしま
した。
Aさんの自宅
反対側が大家さんの玄関
3
豪華さは、まるで 19 世紀の王侯貴族の世界に迷い
込んだようです
愉快なお友達(パチリ)
Aさんが、最前列の席を予約してくれていたの
で、指揮者の手が触れるのではないかと思われる
位間近で、舞台だけでなくオーケストラボックス
の楽団員の指先の動きまでを楽しむことが出来ま
した。もちろん舞台の出演者の歌、演技も間近に、
身に迫ってくるような迫力、細やかな表情までつ
ぶさに堪能しました。Aさんのおかげで、世界ト
ップレベルの歌劇場外観、エントランスホールや
豪華な階段、ホール、歌劇、演奏の全てを堪能で
きた貴重なひとときでした。
セルビアの面影
市内に戻ってAさん、Aさんと共にハンガリー
で日本語教師をしているEさんと待ち合わせ、夕
食後、国立オペラ劇場で、オペラ「カルメン」を
鑑賞しました。
この歌劇場は、パリやウィーンのオペラ座に比
べると規模はやや小さいが、内部の美しさはブダ
ぺストの方が優れていると評する人が多いとのこ
とで、その豪華絢爛さには目を奪われてしまいま
す。
4
ユーロシティのコンパートメント
ブラチスラバ駅のホーム
オーケストラボックスと舞台
24 日~26 日は、お隣の国スロバキアの首都、
ブラチスラバへの2泊の旅。ユーロシティ特急列
車で 3 時間足らずの旅。指定席でなければ余り高
くないので、贅沢なコンパートメントにしました。
旧市街のフラヴネー広場一帯では、いろいろな
民族の青少年が多種多彩の民族衣装、民族楽器で
パレードをしているのに出会いました。
数は数えきれませんでしたが、おそらく 20 以上の
民族の華やかで可愛らしい競演でした。
ブラチスラバは、歴史的な建造物が中心部に集中
しており、まさにおとぎの国でした。
ブラチスラバ
街角にて
ブダペスト 東駅:
国際列車等が発着する風格のある駅舎
UFO(展望タワー)から旧市街
5
懐かしきトラバント
(ホテル キエフのロビーにて)
デヴィーン城
1~5 世紀 ローマ帝国にとって戦略的に重要な
地位を占めていた
1809 年ナポレオン率いるフランス軍によって攻
め落とされた。
27 日はブダペスト セーチューニの市民公園
にあるセーチューニ温泉、レストラン グンデル
でのサンデーブランチ。そして、ほろ酔い加減で
国立大サーカスという予定。
ヨーロッパ大陸で一番古く、世界でロンドンに
次いで 2 番目に古い地下鉄 路線M1(黄色)の
セーチューニフルド駅で下車。出口で、少年が「お
父さんと一緒に写真を撮ってください。」といって
きたので、
「ハイヨ!」パチリ。その後、少年にお
父さんと私と一緒にパチリと撮って貰いました。
前もって 15:00 からのチケットを買っておこう
と気を利かせ、チケット売り場に並んだところ、
大変な混みようです。やっと窓口で買える順番に
なって、15:00 からのチケットを注文したところ、
「10:00 からのチケットしかない」といわれて、
つい、席は中央の良い席をと言って買ってしまい
ました。すぐに思い直して、2 時頃になれば、15:00
からのチケット(2,400Ft)を販売するのだろう
からキャンセルしようとしましたが、窓口が大変
混雑していたのと、マジャール語しか通じないよ
うだったので、引き下がってしまいました。
(遠慮
深い性格なのです。)
10:00 からの公演は、1,500Ft(約 800 円)と
安かったのですが、ゾウやキリン、ラクダなどの
動物の芸の出し物はありませんでした。
(期待して
いたのに残念!)
夜は、Panska通りの小さなレストランで夕
食。食事が終わったところでワールドカップのデ
ンマーク対日本戦の時間になったので、お店のテ
レビのチャンネルを変えて貰って地元の青年達と
ワイワイ言いながら応援をしました。結果は日本
の勝ち。
地下鉄
路線M1(黄色):1896 年開通
6
国立大サーカス
Which is the real papa do you think?
んでいると、
隣の席の奥様が、申し訳なさそうに、
しかし、どうしてもといった感じで、「今朝、家
を出るときにカメラを忘れてきたの。写真を撮っ
て送っていただけないかしら?」と深刻な感じで
お願いされました。
セイチューニ温泉
私は「写真を撮っても送ることを忘れるかもし
れない。Eメールがあったら送れると思うけど、
約束は出来ない。」と一応自信なさそうに答えま
した。(こんなじいさんばあさんじゃ、Eメール
なんか使わないだろう(失礼!)と、しかし、
やはりチェスを……
温泉で少しのんびりして、13:00 からと予約し
ていたグンデルでのサンデーブランチに、20 分
ほど遅れて急ぎ足で玄関に着いたところ、ウェイ
ターが心配してくれていたようで、
「どうぞ、ど
うぞ、お待ちしていました。」というように席に
案内してくれました。
席について、食事前にグンデルの雰囲気を楽し
7
ウェイター達も勢揃いして日本からのお客を
歓迎 http://www.gundel.hu/site/index.html
グンデル パラチンタ
魚料理を食べたいと思っているけど、まだチャン
スがない。」「ハンガリーの魚で、赤いスープな
の!」「じゃー、かなり辛いのでしょうね。Ho
tで胸が引き絞られるように辛いのが大好き!
明日、トカイに行くので試してみます。」などた
わいのない会話を交わしながら楽しく食事を進
めました。
ご夫婦は、「デザートにグンデルパラチンタを
召し上がってね、とても美味しいのよ。」
「甘いも
のは余り食べないけど、お薦めだから、最後に食
べてみます。
」そのうちにご夫婦は一足先に退出
されました。
ワインのほろ酔いの余韻を楽しんで
いると、「???(気にしていなかったので曲は
覚えていませんが)」
「春の小川」や「上を向いて
歩こう」と 3 曲日本の歌をピアノで演奏してく
れていました。おそらく、電話で予約した名前で
日本人だと察してのサービスだったようです。
グ
ンデルパラチンタを堪能して、帰り際にピアノ奏
者に篤くお礼をしてグンデルを後にしました。
帰国後、Eメールで写真を送ると「あの日は結
婚 40 周年の記念日でした。写真はニューヨーク
の娘にも送りました。ハラスレーは召し上がりま
したか?」などとのお礼のメールを頂きました。
28 日はトカイに 1 泊旅行ですが、朝の内に地
下鉄 路線M2(赤色)でルカーチ温泉に行き
ました。M2は、各駅ともに長いエスカレータ
(高速です)で地中深く降りていきます。おそ
らく、東西冷戦時代には核戦争時のシェルター
にもなるように考えられていたのだと思いま
す。
トロリーバスの中で
意外にも?)
「Eメールで送っていただければあ
りがたいわ。
」とすがるような感じでお願いされ
たので、
「忘れなければ送ります。たぶん。」そし
てご夫婦をお撮りしたり、3 人で一緒に撮ったり
しました。
(これでご夫婦のもめ事の種も解消!)
「娘がニューヨークに住んでいて、ニューヨー
クではお寿司を良く食べるの、あなたは、こちら
でお寿司を召し上がった?」「ブラチスラバでは
(Aさんが日本食を食べたかったので、)寿司を
食べたが、ブダベストでは食べていない。」
「まあ、
どうしてなの?」「ブダベストでは、ハンガリー
の料理が美味しいので、
地元のものを食べたいか
ら。」
「ハラスレーを召し上がりました?」
「いや、
地下鉄 路線M2(赤色)
エスカレータも頑丈で高速!!
ルカーチ温泉は入口にはペットボトルで温泉
水を販売しており、1L:50Ft、0.5L:30
Ftとなっていました。
ルカーチ温泉の起源は、
ローマ時代にまで遡る典
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型的なハンガリー式温泉であり、しっかりした外
来病院があり、治療目的の人が多く利用している
そうです。
インストラクターが、いくつかのプールを巡回
し、アクアエアロビスクの指導をしています。
私の近くにいたおばさま方が、「一緒にやりまし
ょう」と誘ってくださり、15 人くらいのおばさ
ま方、おじさま方と一緒に発泡スチロールで出来
たダンベルのようなものを使ってインストラク
ターの指導を受けながら、20 分くらいのメニュ
ーをこなしました。(結構ハードです。)
イタリア ミラノからの女の子とも仲良くなり
ました。
Perhaps I am your real papa! Or do you want
to be my new wife?
.
地元の女の子とも仲良しになりました
Perhaps they are my granddaughters.
トラムを待っていると「ニーハオ」と話しかけて
来ましたので、「ニーハオ」と挨拶して少し雑談
温泉水
1L:50Ft
0.5L」:30Ft
地元の男の子も、日本のこと大好きでした。
(片手で撮影!上手!!)
Oh!! My brother !
多くのおばさま方と仲良くなりました。
していると、私のデジカメを見て、
「日本の製品
はコンパクトで優秀だ。
」「日本はすばらしい。」
等と褒めて、デジカメを片手で持って、二人をう
まくカメラに納めてくれました。
トラムの中で、青年が話しかけてきました。
「日
本はすばらしい。日本のことが好きだ。」という
9
ので、意地悪く「スロバキアのことはどうだ?」
「スロバキアは嫌いだ。
」というので、スロバキ
アで買ったスロバキア国旗のエンブレムがつい
た帽子を指さして、「スロバキアも良い国だ。ワ
ールドカップでは、日本もスロバキアも仲良く勝
ち残っている。ハンガリーは敗退したじゃないか。
ウヒヒ!」というと、
「Oh!! No!」といった感じ。
お互いに苦笑い!
(ハガリーは、確かオリンピックでは、
1952 年ヘルシンキ、1964 年東京、1968 年メ
キシコで金メダルを獲得し、1960 年ローマ、
1972 年ミュンヘンで銅や銀を獲得しているサッ
カー強国です。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3
%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%
83%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%83%E
3%82%AB%E3%83%BC%E7%AB%B6%E6%8
A%80
東駅から 13:30 発のインターシティ列車でト
カイに向かいました。2 時間半くらいで到着。
こじんまりとした、可愛らしく美しい街です。
29 日はトカイのワイナリーを訪ねます。
ティサ川の堤防の草刈りをお手伝い!
この日の朝、
ブダぺストから来てくれたガイド
さんにマイクロバスで案内していただきます。
個人経営の農場を訪問し、お父さんのアーヴェ
イ サラディ ピンセテトさんとお嬢さんのアン
ジェリカさんが一緒に案内してくれました。
ブドウ畑は丘陵地に広がっていますが、アーヴ
ェイさんが、下ばかり見ながら歩いているので、
アンジェリカに「お父さんは何でブドウの木を見
ないの?」と聞いたところ、「時々化石が見つか
るの。でも父は、地面を見ながらブドウの木も両
方見てるわ。私はブドウの木を見ているし!」と
フォロー、良きアシスタントぶりを発揮していま
す。(これで経営も順調!!)
アーヴェイさんの話では「ここの土壌はブドウ
のためによい土で、10 年から 15 年かけて根が張
っていき、15 年経つと一番良い土の成分をブド
ウの木が吸収するようになる。」「ドイツには、
385 年の樹齢の木もある。ここの木は、1890 年
までは 1 種類の木だったが、米国から病害が入
って全部駄目になった。
病害に強い米国の木を持
ってきて、各種の木を接いでいる。
」とのことで
した。貴腐ワインは、「熟した後も、収穫しない
でボルリティス・シネレアという菌がつき水分が
蒸発して糖分が凝縮してきたところを収穫して
醸造する。収穫のタイミングの判断が非常に難し
い。
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主義者が、煽り立てており、良くないことだ。多
Árvay Családi Pincészet
Árvay Angelika
一日の違いで、雨にやられて全滅したこともあ
る。母は引退しているが、貴腐ワインのブドウの
収穫時期だけは、母と相談して決めている。」な
どと、情熱を込めて良いワイン作りの苦労などを
話してくれました。
サラディさんは8ha 程のぶどう園とワイナリ
ーをお母さん、夫婦、娘さんや息子さんと家族経
営で、じっくりと腰を据えて土とブドウの木を愛
し(化石も!)、おいしいワインづくりに情熱を
燃やされており、お話を聞いている間にその気持
ちが伝わってきました。
別れ際にアンジェリカが
小走りに近寄ってきたので、何か良いことでも!
と期待したのですが、「写真を送ってください。」
と名刺をくれました。
(それだけ!)
(お父さんか
らは、化石をおみやげに頂いたのですが。)
http://www.arvay.eu
一面のふわふわした黒いカビ これがワインの熟
成を助ける。
ここは、ラーコーツィ・ビンツェの地下貯蔵庫
瓶詰めのワインがびっしり。こうして瓶詰めにな
ってからも熟成が進む。
ブダペストへの帰り道、ガイドさんから教
ここは、ラーコーツィ・ビンツェの地下貯蔵庫
わった話など
1 高速道路に料金所が見あたらないのは何故
か?
瓶詰めのワインがびっしり。こうして瓶詰めにな
「あらかじめ、インターネットで登録して料金
ってからも熟成が進む。
を払っている。ポイントを通過するときにチェッ
床には、トカイアスーの原酒が。
クされていて、未払いだと罰金が科される。私は、
年間のパス(8 万円くらい)を購入している。そ
のくらいは十分に利用しているので、高くはな
い。」とのこと。
(日本では、
「料金所渋滞」などがネックになっ
ているけれど、一段と進化したシステムが採用さ
れていると感心しました。:ハンガリーは、科学
技術、芸術の分野でも、優れた人物、製品を生み
出している。
)
ハイウェイには、料金所が見当たらない。
2 ハンガリー人はスロバキア人のことが嫌い
*(近年民族的な自決を巡って、凄惨な争いが起
か?
こっています。また、最近、特に各国において、
スロバキアにも、ハンガリー人は多く住んでい
排他的な風潮が増幅しているようです。不景気に
る。スロバキアには私の友人もいる。偏狭な民族
11
なると偏狭な民族主義、
移民や少数民族などに対
する排他的な風潮が広まる傾向にあることは困
ったことです。
少し、違うことかもしれませんが、ブダペスト
くの人はそうではない。
お互いに仲良く暮らすよ
うにしたいと思っている。*
においても、ロマ人(ジプシー)は、恵まれない
生活をしており、弱い立場であることを自覚させ
られた(自信を持てない)生活を送っているよう
に感じました。@
中してきたので、中小規模の建物には手が回らな
いのかもしれない、とも思いました。)
@:道に迷って、子ども連れのロマ人の方に地図
を見て貰いながら「中心部へはどう行けばいいの
か」教えて貰おうとしたところ、なんとか地図を
読もうとして、結局「英語は読めないし、話せな
い。」と大変申し訳なさそうに何度も謝るような
仕草をされました。その様子に、私は大変申し訳
なく思いました。そのほかにも、ロマ人の生活が
苦しいのではないかと思うようなことに出会い
ました。)
*欧州委員会は「○○国(西欧の)が不法滞在
中のロマ人のキャンプ撤去、ルーマニアなど中・
東欧へ 700 人送還の方針」が、EU法違反に当
たると判断、是正措置に入ることを決めた(9 月
30 日)ということが起こっています。
5 ガイドさんと話したことではありませんが、
郵便ポストが、汚いことなどについて
ブタペスト市内で郵便を何度か出しましたが、
街中のポストが、落書きや張り紙でかなり汚され
ています。このポストでホントに大丈夫なのか
な?と思い、郵便局で出したほどです。
また、日本から「小型包装物SAL便」で送っ
た物が2ヶ月経っても到着していないのは、日本
から発送するときの問題(荷物がまとまってから
航空便の空きがあるときに積み込む)もあると思
いますが、双方で改善の余地があるように思い
ます。
3
家電、パソコンなどについて
日本メーカーのブランド力は高い。東芝、パナ
ソニック、ソニーなどを欲しいと思っている人が
多いが、結局値段で三星電子、LG電子などが売
れている。
(お店で見ると 5 万円前後のノートパ
ソコンが出回っている。
)
4 ブダペストの歴史的建造物の修復が進んで
いない理由
(木造のアーケードを設置して、老朽化した壁
面の落下に備えているビルが多い)
ブダペストは 23 の行政区に分かれており、あ
る区では積極的に進めようとしても、他の区では
消極的で意見が一致せず市として進められない
でいる。
(王宮や国会議事堂などの大規模な建造物に集
ニューヨークカフェ
19 世紀 文人、芸術家等の情報交換の場
余録
30 日は帰国の日。出発時間まで街の肉屋さん
ハンガリーやスロバキアではクロスワードパズ
スーパーでフォアグラの
ルと共に Sudoku(数独)のコーナーがあります。 でベーコンを買ったり、
ペースト、キャビアの瓶詰めなどを買い込みまし
また、デヴィーン城の廃墟の片隅でおばあさんが
日向ぼっこをしながら、
何かに熱中していたので、 た。
近付いてみると数独に取り組んでいました。
街の肉屋さんでは、親父さんが、
「息子は大の
日本びいきだ。」と自慢げに紹介してくれました。
12
イスラエルの女性
静かなブームとなっているようです。
新聞にもコーナーが!
ハンガリーの女性
肉屋さんの親子
ブダペスト フェリヘジ空港の搭乗口から飛行
機までのバスの中で、イスラエルの女性が「今、
日本の本を読んでいるの。」
「何という本?」
「The
street of Thousand Blossoms 著 者 は Gail
Tsukiyama なの」と親しく話しかけてきました。
「日本のこと好き?」と聞くと、微妙な顔つきに
なりました。
「読み終わったら、少し変わるかも
しれないね。
」そんな話をしている内にバスはタ
ラップに到着。
(「千の花の街」:第 2 次世界大戦頃の東京に
住むヒロシと賢二という兄弟の生活を通して、
人
間愛を描いた作品)(楽天ブックスでは、売り切
れとなっているので、諸外国では結構読まれてい
るのかも。)
飛行機で隣に座ったハンガリーの女性は 2 年
前まで 2 年間ほど日本の澁谷で仕事をしていた
そうです。今度は、韓国に仕事で 2~3 年間の予
定で行くところだそうです。
日本の青年は最近内向きになっているようで
すが、ハンガリーの青年は、ヨーロッパはもとよ
り世界各地に活躍の場を求めているようです。
韓国へ赴任
アムステルダム空港で乗り換えて、成田へと向
かい、旅は終わりました。
ハンガリーの雄大な大地、ドナウの真珠といわ
れるブダベストの美しい街。ヨーロッパ有数の歴
史と文化を育み、激動の時代を乗り越えてきた誇
り高きマジャール民族の国家ハンガリー。
1,000 年前には、侵略者としてこの地を治め、
この地に根付き、度重なる侵略や圧政と戦い独立
を勝ち取ってきたハンガリー。
いろいろな人々と出会い、少し仲良くなって、
別れ、そしてまた偶然の出会いがある。人々は、
明るくフレンドリーで、
自国に誇りと自信を持っ
て生活されているのだなーと感じました。
もっとじっくりハンガリーで生活し、いろんな
人々との出会いを楽しんでみたいと思いました
13
14