モルダウ(チェコ)と エルベ(ドイツ)に沿って

モルダウ(チェコ)と
エルベ(ドイツ)に沿って
第2編
モルダウ川沿いに車を進め、プラハ市内を脱出し北へ向
かう高速道路に乗ったのは朝の混雑が始まる前であった。
費は全くなく、やがてエルベ川沿いの自然遺産観光が始ま
る。
今回の小旅行はエルベ川に沿った自然美と文化遺産を発掘
することであり、プラハに暫く滞在して百塔とも言われる
1.国立公園、ザクセンのスイス
建築文化遺産をくまなく訪れる時間の余裕がなかったのは
(Sachsische Schweiz)
少々残念でもあった。
北ボヘミア地方よりその姿を現し始めたなだらかな川沿
モルダウ(ブルタヴァ)川はプラハの北30KM 程でラー
いの山岳地帯は、ザクセンスイスと呼ばれる地域になって
べ川に合流し、やがてドイツ領内にてエルベ川とその名称
素晴らしい景観を見せてくれる。北ボヘミアの小都市デチ
を変える。ザクセン州、ザクセン・アンハルト州、ニーダー
ン(Decin)より州都であるドレスデンの南30KM にあるピ
ザクセン州の3州を流れくだり北の海へ注ぐことになる。
ルナ(Pirna)までの砂岩山地、ここにて切り立つ奇岩群と
エルベ(ラーべ)川の水源は合流点よりおよそ300KM 上流
大きく蛇行するエルベの峡谷美を楽しめる。
のチェコとポーランドの国境にある標高1400M の山岳地域
である。
ザクセンスイスでの見所はエルベ川の西岸にそそり立つ
ケーニッヒシュタイン城塞、エルベ川を遥か見下ろす高台
全長1,000KM を越す準大河は歴史的に欧州の東西を分け
に13世紀に築かれている。歴代ザクセン王の避難場所であ
る重要な役割を果たしてきている。19世紀までのエルベ川
り財宝・工芸品などの保管場所、また或る時には刑務所と
以東の代表的な国家はプロイセン、オーストリア・ハンガ
して、後世には美しい自然環境下での王国祝賀会や晩餐会
リー帝国、ロシア帝国であり、川の西側にはフランス・イ
が行われてきた要所でもある。
ギリスなどの強国がその代表であっただろう。2次大戦終
東岸に位置するバスタイ(Bastei)がザクセンスイス国
焉時にも幾つかの出来事が記録としてエルベ河畔の町に残
立公園の最大の見所であろう。峡谷に突き出す奇岩群と断
されている。
崖絶壁、およそ200M 眼下を流れるエルベ川の雄大な眺め
北へ向かう高速道路はまもなくモルダウ川を渡りおよそ
はドイツのミニグランドキャニオンとも呼ばれる。ここへ
50KM、国道に入り北ボヘミアをラーべ(エルベ)川沿い
の観光は次に訪れる州都ドレスデン探索の付属と位置づけ
にドイツとの国境へと進む。左岸を走り、橋を渡り右岸を
されがちだが、必見の自然峡谷美で見逃してはならないポ
走ること小1時間で国境、ここはエルベ水源より420KM 下
イントだ。
流にある。国境通過には旧東欧時代の煩わしさと時間の浪
チェコ・ドイツを流れるエルベ川
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ザクセンスイス地方を流れるエルベ川
モルダウ(チェコ)とエルベ(ドイツ)に沿って
バスタイよりの奇岩と断崖絶壁
2.ザクセン王朝の都、ザクセン州の州都ドレスデン
ザクセンスイスのバスタイを後にして砂岩山地を一気に
200M 眼下にエルベ川を見下ろす
2005年2月に再建工事がぼぼ完了し一般公開された聖母
教会(Frauenkirche)が旧市街観光の主役になっている。
下ると小都市ピルナに到着、ここより20KM のドライブに
中世に6000日余をかけて建造されたバロック様式大教会は
てエルベ川沿い最大の建築文化遺産を創り出したザクセン
2次大戦の戦火(1945.02.13)で瓦礫と化し長らく放置され
州の州都ドレスデンに到着する。エルベ川は市の南東より
ていた。僅かに残されていた残骸を再利用しての見事な復
北 西 に 蛇 行 し て 流 れ 下 る が、 流 れ の 南 岸 に 旧 市 街
元、偶然にも当地での欧州フォトマスク学会の開催中が公
(Altstadt)
、北岸には新市街(Neustadt)と異なる趣を見
開の初日であった。
せてくれる。
ドレスデンには奥深い想い出が残っているはずではある
が(1971年2月と8月の訪問)、当時の記憶は残念ながらま
ばらになりつつある。真冬、雪、そして燃料不足によりパワー
カット下での1週間滞在、そして旧共産体制下の暗い雰囲
気、何故に聖母教会だけが復元されずに瓦礫の姿で残され
ていたのだろうか、東西ドイツの統合がドレスデンを変貌
させた。
中世にはザクセン王国の都として繁栄し、欧州全域に文
化と芸術の都としてもその名前を冠たるものとしていた。
5つの美術館と博物館を持つツヴィガー宮殿(Zwinger)、
旧 ザ ク セ ン 王 の 居 城 で あ っ た レ ジ デ ン ツ(Residenzschloss)、オペラ劇場(Semperoper)、ザクセン王の美術
館アルベルティヌム(Albertinum)などここは見所満杯で
ある。
見事に復元なった聖母教会全景
瓦礫と化した聖母教会(1971 年2月撮影)
冠を抱くツヴィンガー宮殿
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れるのはありがたい。川沿いテラス脇で軽く昼食をとり、
主だった芸術文化を見てまわる数時間が瞬く間に過ぎてし
まった。宿は次の目的地マイセン近くの奥まった一軒やの
ホテル、エルベ川に沿っての30KM ドライブは小1時間で
目的地へ到着とあいなった。
3.マイセン、磁器とワインの街
エルベ川のほぼ中間地点で水源より500KM 下った位置に
あるここマイセン市(Meissen)は、マイセン磁器の故郷
として観光客が絶えない。ドレスデンより30KM と至近で
もあり気楽に半日のエクスカーションを楽しむことができ
る。人里離れた1軒屋のホテルより30分ほどでエルベ川へ、
聖母教会より新市街を背景に(2005.2 月撮影)
対岸には葡萄棚が広がっていた。
エルベ川に沿って建てられたこれらのバロック調芸術と
川沿いのテラス、そして渓谷美とが見事に調和されており
世界文化遺産として登録されたのは最近のことである。文
化遺産とは全く趣きを異とするが、近代産業の最先端をい
く半導体産業がここドレスデン郊外に集中、欧州半導体産
業の中心地となっているのを付け加えておく。
半日の観光でも初夏の日は長いのでたっぷりと時間がと
マルクト広場より
アルブレヒツブルグ城
場内大聖堂を
への階段
マイセンは18世紀に始まるマイセン窯の誕生と白い黄金
とも云われるマイセン磁器生産で繁栄した小都市である。
磁器製陶工場として繁栄の中心となったアルブレヒツブル
グ城と大聖堂(DOM)がエルベ川を見下ろす高台に、街の
聖母教会の屋上よりエルベ下流遺産を
中心たるマルクト広場と広場を囲む教会と市庁舎、街はず
れのマイセン磁器工房と美術展示館が観光としての見所と
なっている。
35年前は美術展示場と小工房が城の中にあったように記
憶しているし、そこで撮った写真も懐かしきアルバムに納
められているはずだが。近代化と商業化が歴史的遺産を変
えてしまっているのは少々残念な気がする。城内の教会大
聖堂よりエルベ川と対岸を眺めたが、葡萄棚が目にはいる。
ここはワイン生産の最北限らしい、白ワインは絶品である。
4.ルターの街ヴィテンブルグと州都マクデブルグ市
エルベ川はマイセン市を過ぎて北ザクセン地方を流れ下
ること70KM、幾つかの町・村を通過しトルガウ(Torgau)
エルベ上流遺産を眺める
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に到着する。第2次世界大戦当時(1945.4.25)、東西からド
モルダウ(チェコ)とエルベ(ドイツ)に沿って
マイセン工房・美術展示館での逸品
等身大のマイセン磁器
イツに進軍していたアメリカ陸軍とソ連軍がエルベ流域の
間には幾度となく外敵(オーストリア、フランス等)に攻撃
されてはきたが、第二次世界大戦では爆撃で破壊されずに
台としてよく知られている。
市の遺産が残されたというドイツ内でも希少な町でもある。
さ ら に70KM 下 る と ル タ ー の 街 ヴ ィ ッ テ ン ベ ル ク
中世より近世までの歴史的遺産、そして第2次世界大戦
(Wittenberg)に到着する。マイセンよりヴィッテンベル
時の街郊外の悲劇、1990年の統一ドイツ後の民主化と地域
クまでの150KM の道程は急がば廻れ、エルベとは暫く別れ
の発展、歴史を追っての観光には事欠かない素晴らしいス
てアウトバーンを利用して高速道路での廻り道、A14にの
ポットを備えた町といえよう。エルベ川を眺めてふと想っ
りライプチッヒ(Leipzig)とハレ(Halle)方向へ、A 9に
たのは川の氾濫、ごく最近は2002年の上流での洪水被害が
乗り換えてベルリンへ向かい北上して暫らく、Rutherstadt-
記憶に新しいが、大打撃を受けないように対策はなされて
Wittenberg に到着する。
いるようだ。
こ の 町 は16世 紀 に マ ル チ ン・ ル タ ー に よ る 宗 教 改 革
エルベ川はザクセン・アンハルト州の州都マクテブルク
(Protestant Reformation)が始められた場所として世にし
へ向かう。ここはエルベ水源より750KM、ここで流れの向
られ、ここは世界文化遺産に登録されている。18-19世紀の
きを北へ変えてやがてニーダーザクセン州へ入りエルベ沿
左:中央広場よりルター銅像と
教会
右:All Saint Church の塔
左:All Saint 教会の塔より市街を
右:エルベ川はしばしば増水の危
機に
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エルベ川を背景に建つ僧院
旧中心街の新旧コントラスト
プロテスタント聖カサリーン・モーリス教会
世界遺産、ポツダムのサンスーシ宮殿
オットー1世の墓と教会の内装美
旧西ベルリンの象徴クーダムの教会
いの最大都市ハンブルグ(Hamburg)へと流れ下る。旅は
たことと、街をゆったりと流れるエルベ川を中心街に立つ
ヴィッテンベルクよりマクテブルク市までのドライブ
塔より眺めることができたことで満足しなければならない
70KM 余、エルベ川とは離れた国道のドライブである。
のは少々残念な気もする。マクデブルク市の歴史遺産は後々
未知の都市マクテブルクとはどのような街なのか、州都
にそれを知ったのではあるが。
でありながらその名前をいままでは聞いたこともなかった
エルベ川は北海へ流れ下るまでここより数100KM、おそ
し、旧東ドイツ領内の都市であったがため封印されていた
らく終着目的地であるドイツ第2の大都市ハンブルグまで
のであろう。観光案内も都市の地図もなしの街探索であっ
は250KM でエルベ沿いの旅は終了することになる。残る数
たが、兎にも角にも旧市街の中央広場とエルベを探しての
100KM の旅も価値ある発見があるかもしれないが、限られ
市街地への突入であった。
た日数でのエルベ沿い隠れ遺産発掘観光は方向転換してド
訪れて後にこの街マクデブルクを知ることとなったが、
イツの首都ベルリン訪問となってしまった。
なんと人口20万を越える都市で、その歴史はこれも古く9
ミュンヘンを出発してまずは南ボヘミア、チェコの首都
世紀にも遡り10世紀の神聖ローマ帝国オットー1世時代の
プラハ、ザクセンの都ドレスデンと磁器の町マイセン、宗
繁栄は中世欧州で最重要な都市に発展している。中央広場
教改革の町々、最終はドイツ首都ベルリンへと車を走らせ
に立つ教会の大聖堂建築の歴史もこの頃までに遡り1000年
モルダウとエルベ川沿いの隠れた遺産発掘を試みた。観て
以上、燻し銀の輝きを与えてくれてきた。
知った、歴史を感じた、感激した、はたまた珍経験をした
昼食を挟んでの2時間余のマクデブルク滞在はこの巨大
な聖キャサリーン・モーリス教会(80×40M)を発見でき
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など誠に楽しい5日間の旅でした。
(元広報部会 松本 俊吾)