「地域経済をどう再生するか」

『農業と経済』
、昭和堂、2013 年 8 月
「地域経済をどう再生するか」
札幌国際大学 濱田康行
リード文
資本主義経済はいわば第四楽章に入った。これが『2012・協同組合』のひとつのメッセージだった。
封建時代から市民革命を経て資本主義は誕生する。それが順調に成長して世界的な体制となるまでが
第一楽章。1920 年代後半の大恐慌で躓き、二度の世界戦争を経験した後、国家・財政による下支えを
得て復活。独占化という短期的には成長要因でも競争阻害という停滞要因を持ちつつ 1970 年代(オ
イルショック)の前半まで続いたのが第二楽章。1980 年代に入ると新自由主義が資本主義の基本哲学
となる。国家による介入、規制を極力排して市場の法則に頼る。これが第三楽章。そして、2008 年、
第三楽章にも終わりがやって来る。リーマンショック。規制緩和で最も利益の多かった金融資本。し
かも世界を舞台にしていたグローバルなそれが投機の破裂で崩壊し世界同時不況を引き起こす。しか
し、社会主義という代替制度はそれより前に自滅していたため、資本主義は意図せざる“延命”状態
になり今日に至っている。これが第四楽章。それは終末の、そしていまのところ出口のない資本主義
だ。
こうした歴史観をあざ笑うかのようにアベノミクスは登場する。しかも極めて簡単な手法で、つま
り貨幣量を増やすという方法で、日本を救ったかにみえるが、果たしてどうか。
<貨幣現象・東京現象>
第一の矢は貨幣数量の増加である1。日本円という通貨の量を増やすという行為は、それを使用して
いるエリア、つまり通貨圏に均質に影響をもたらすはずだが、それには時間がかかる。それはまず外
国為替相場に現れる。為替相場は、価値尺度機能の対外的現象形態である。今回はいち早く反応した
..
のは外国人の投機家達である。彼らからみれば、大量に出まわりそうな通貨はそうでないものに比べ
て安くて当然である。為替相場は、相対相場であるから、比べられる通貨の選択によって相場の値は
異なるが、ある通貨が短期間に量的に増加することがあからさまになれば、今回の円のように、たい
1
マネタリーベース、つまり市中に出回っている日本銀行券と日本銀行にある市中銀行の預金の合計は
2013 年 4 月末で 154 兆円で前月末に較べて 26%も急増した。さらに、この間、日本銀行は公開市場操作
(日銀オペ)で 16 兆の国債を中心とする債権を買ったから、この分の貨幣量が増加している。さらに、黒
田総裁は今後、1 ヶ月で 6 兆円のペースでマネタリーベースを増加させ 270 兆(現在の倍)を目指すとい
う。どこに、そんなお金がと思うが、これが管理通貨制度の秘密である。
ついでに言えば、引き続く低金利で預金者から銀行に所得移転が生じているという主張もある。その額は
この 10 年で 331 兆円になる。この金額は、銀行の隠れ不良資産の償却につかわれ、一見、健全な今日の
銀行の姿があるというわけだ。
1
ていの他の通貨に対して値下がりする。
これまで(2012 年の末)は、日米間の為替相場は日米間の金利差に依存して動いていた。例えば、
リーマンショックの前の 2007 には金利差は4%(日本がゼロ金利であったのに対し、アメリカは4%)
だった。そのときの為替相場は 120~125 円の間にあった。アメリカは 07~08 年から政策金利を 10
回も下げ、09 年には日本と同様1%以下になる。円高はこの間に劇的に進んだのである。ところが
2012 年の末から、金利差は変わらないのに為替は円安に一方的にしかも短期間のうちに動き、5 月の
10 日には1$=100 円の節目をつけた。金利は“貨幣の価格”であるから質だ。現在の為替相場は貨
幣の量で動いている。
為替相場の次に動いたのは株価である。為替が安くなったら株高になるというのは一般法則ではな
い。ここには日本の特殊事情があった。これまで、様々な株価指標でみて相対的に安いといわれてい
た日本の株式相場を抑えていたのは円高だから、その蓋がとれれば株価は反発する。通貨の増加→通
貨の下落(円安)→株価の上昇と順調に進んだが、注意すべきは今回の円安も株高も貨幣の数量にか
かわる現象ということだ。実体経済、つまり、ものとサービスの生産の世界が変化したのではない。
それは、様々な要素の組み合わせの複合システムだから、短期間で大きく変化することはない。確か
に、資産所得効果のように貨幣現象が実体経済に影響を与えることはある。貨幣と実体・実物経済の
間には相互的な作用が認められる。つまり両者の間には自律性と依存性、一致とズレが複雑に内在し
ている。このことは、マルクスが未完の『資本論』第三巻5編の主要なテーマとしたことである。2
もうひとつの注目点。それは、日本という限定でいえば、東京に生じる現象である。正確に言えば、
..
東京にある相場で示される。為替市場は実はノンプレイスだが、概念的には東京にある。株式市場も
実体は空中にある電波市場だが、東京証券取引所という良く知られた建物がある。地方市場があると
いっても、先物市場のある大阪を除けば、大きな親電源に接続されてかろうじて光っている豆電球に
すぎない。
円安も株高も、地方は参加できない劇場での出来事だ。しかし、その結果は一物一価として均等に
伝わる。結果は刻々と変わるが、ある時点で東京で高く地方で安いなどということはない。価格は質
的なものである。
これに対して影響の仕方は量的である。ただし、為替と株式では様子は少し違う。通貨としての円
は日本中に所有者がいるが、円安が影響するのはこれを対外支払用(輸出代金、投資資金 etc)に所
有する主体である。典型的には貿易型の企業だ。円安になっても、経済に占める貿易量の少ない地方
ではすぐに大問題にはならないのである。
2
マルクスは貨幣資本の蓄積と現実資本の蓄積がどう関係しているか、貨幣の数量が実物経済にどう影響
するかについて論じている、少なくとも論じようとしていた。
2
日本円を持っていない日本人はいないが、株式を持っている日本人もたくさんいる。最新の統計で
はその数は 4590 万人(延べ数、各取引所の合計、つまり重複がある)。個人の特殊比率は 1985 年以
来 20%台で推移している。主体別にみると都市銀行、地方銀行は比率を下げ、大きく上昇したのが外
国人であり、現時点では最大の株主である(26.3%…数字はいずれも各取引所の合計)。金額でみると
発行主体以外の持ち株合計時価総額が 308 兆 3000 億円だから、個人の持ち分は 60 兆円余りという
計算だ。株価が上昇を始めたのは昨年 12 月からで、この数字は 3 月末だからこの間だけでも 10 兆~
15 兆円の増加があったことになる。この増加に気をよくして高額な商品が売れるのが、いうところの
“資産所得効果”である。
しかし、ここでも、やはり東京現象は顕著だ。外人のオフィスは東京、主な金融機関の本店もそう
だ。関西系とか中部系とかいわれても資産の運用本部は東京にある。大きな地方銀行になれば、わざ
わざそのために東京にオフィスを置いている。3
1 だ。これをみると、半分以上が関東(要するに東京)で、大阪のあ
る近畿圏は 8.3%、中部は 7.3%だ。北海道はわずか 0.4%、東北は 0.6%だから所得効果などあったとして
3株式の地方別保有額を示したのが表
もたいしたことはない。
表1
地方別株式保有金額
出典:各証券取引所
3
つまり第一の矢は貨幣現象を引き起こした。結果は短期間に出る。ついでに言えば、管理通貨制度
の下では、一度出してしまった貨幣・中央銀行券は容易に収縮しないから、お金は世の中を彷徨うこ
とになる。そして、東京現象、一極とは言わないが、優れて中央集中の現象になる。
二本目の矢は財政支出だが、いまのところ、この矢も大都市圏と被災地域にしか届いていない。霞
が関の官庁は東京にあって、まず在京の大企業に発注する。公共投資に直接的な関係を持つ土木・建
築業の分野なら地方の関連企業にお裾分けもあろうが、ITやバイオなどの先端分野ではそれもあま
り期待できない。公共投資でも、必ずといってよい程、地元負担の問題があり、地方が手を挙げるに
はそれなりの覚悟もいる。第二の矢(財政支出)の的がどこにあるのか現時点では不明だが。完全地
方版というのは震災地域を除いてはなさそうだ。こうした状況に、2013 年 3 月末での中小企業円滑
化法の期限切れ問題が重なった。問題の多い法律だったが、現実問題として申請企業を放置すれば倒
産→失業増は避けられない。
一頃、流行したPFI4も、公共体が家賃等を支払い続けられるか不安もできた。また、公共投資が
増大したとしても、その乗数効果が減少しているという構造問題もある。地域経済の悩みは深いので
ある。
<第三の矢>
そこで地方からの第三の矢への期待は大きくなる。成長戦略というのはいかにも月並みだが、6 月
には産業競争力会議から詳細が発表されるというから、各論はそのときにして、ここでは総論、つま
り成長政策についての考え方を示しておこう。
既に述べたが、第一の矢(第二の矢はここに含まれると考えてよい)は経済の外からやって来る。
射手は中央銀行と財政当局だ。つまり、それらは経済構造の外側に存在している。もし、経済が自律
したシステムだとしたら外側からやってきたものの効果は限定的だと言わねばならない5。第一の矢は、
4
PFIは Private Finance Initiative の略で、民間の提案を採用して公共インフラなどを整備し、運営
も民間にまかせる。
5
国家や中央銀行が経済の外側に立っているかどうかは経済学、特に経済政策論の論点のひとつである。
完全に外側に立って、かつ経済政策という外からの手で内部をコントロールできる。これは、かつての社
会主義者達が考えたことである。いわゆる経済の国家管理だが、これには問題もあった。①経済内部の改
革はいらないのか。そこには自律的に経済法則が展開する世界があるはずだが、そこには手をつけないの
か。②外の国家が独裁化し暴走しはじめたときそれを止める装置がない。
結局、社会主義は外部から(国家)の統制がいきすぎ、国民の文化・生活にまで及び、経済内部から自発
的なエネルギー(アントレプルヌール・企業家精神)を生み出す力を奪ってしまったため、反発を呼び起
こし、かつ徐々に衰退していくよりなかった。
新自由主義は、こうした社会主義への批判であり、部分的に(大企業や官僚機構)社会主義化していた自
らへの反省から生じてきたものである。それは、すべてを経済内的なメカニズムに、つまり“市場”にゆ
だねようとした。しかし、これも失敗した。人類は、突然におしまいになった第三楽章に驚き、いま新し
4
あれ程に効いたではないか、という反論があろう。それは、金融政策(貨幣の量に影響を与える政策)
が経済政策として特別だからだ。
経済を人体に例えれば、貨幣はよく言われるように血液であり、金融政策は輸血に相当する(場合
によっては血を抜くという策もあるが、これはここでは考えない)。血液は自分の体の中で作られる、
だから輸血には注意が必要だ。しかし、経済の血液には特定の型はない。むしろ、問題は別のところ
にあった。経済の血液は人工的にはつくり出せないと考えられていたのである。金本位制度の下では
中央銀行券は兌換券であったから、裁量によって増減することは基本的にはなかった。ここが、1930
年代以降、世界の常識となった管理通貨制度の革命的部分である。
現代では医療の世界でも人工血液の研究は進み実用化されているが、大変めずらしい事に経済界で
はこれが 1930 年代に生じた。例えていえば人体で作られるのと同じ血液が外部で人工的に作られ拒
絶反応なく注入できるのである。貨幣は均一商品なのだ。もっとも、ここには二つの問題がある。注
入した血液が全身をめぐるか
(人体では心臓と血管に故障がない限り、
必ずそうなる)。第二の問題は、
注入しすぎた時にインフレーションという副作用が生じる恐れがある。血を抜いてしまえばよいと考
えるかもしれないが、そうすると重大な副作用が心配される。だから人体と経済をアナロジーで語れ
るのはここまでだ。
整理して言うと、金融政策は、政策主体は外部にいるがそれが送り込む経済の血液は内部でつくら
れたものと同じなのである。だから、他の経済政策と違って特別なのである。たったひとつの条件は、
注入した貨幣が経済の内部に隅々まで行き渡ることだ。これさえ満たされれば数量的に反応するべき
ものは反応する。ひとつは為替であり、株式はこの為替に反応したのである。2013 年 1 月から 4 月
までのUSドル対円相場と NIKKE225 株価指数をグラフにしてみればほとんど相似型となる。もう
少し細かい分析をすれば為替が先行していることもわかる。もうひとつ数量的に反応するのは物価で
ある。ここでは、まず不動産価格に反応が出た。不動産には、1 年後の消費税率の上昇という“追い
風”もあった。不動産+株式=REIT(不動産投資信託)だから、ここにも反応が出たのは当然であ
る。
東証のリート指数は株価のように外国為替相場の影響が少なく、昨年の政権交代以来、一直線であ
る。貨幣量(期待)にストレートに反応している。
しかし、敢えて悲観的なことを言う必要はないが、この半年間で日本の産業界に革命的なイノベー
ションが起きたのでもないし、起業家精神が特に高まったのでもない。資産効果には心理的な部分が
ある。だからそこから生まれる消費も心理に左右されている。しかし、投資をするかしないかは心理
い楽章のはじまり(それは混乱したメロディなのだが)の入口に立っている。
5
だけでは動かない。経営者の判断はもっと現実的である。長期金利はアベクロ相場で1%以下の水準
で乱高下している(上昇する要因は国債暴落への心配)
。
1%以下でも借金して投資する人が現れないという現実を直視した方がよい。日本で企業を経営す
れば儲かる、金利を払っても充分儲かる、そう思っている経営者が少ないのだ。これは質的な問題で
ある。経営者や消費者の判断に属するものには量的な反応を一律に期待することはできない。
もちろん、ビタミン剤的な作用を生み出すことは経済政策には可能である。経済政策の歴史は、効
くビタミン剤を探し求める歴史だったと言えるくらいである。例えば投資減税は効き目がある。但し、
それは黒字の企業にしか効かないし、せいぜい投資しようと意向を決めている経営者の行動を早める
だけだろう。消費税率の上昇が不動産を購入しようとほぼ決めていた人々の行動を早めるのと同じで
ある。
話を戻そう。成長戦略は第一の矢に較べて難しい。そもそも、日本の経済は成長するのかという問
題もある。日本の人口は既に減り始めているし、生産年齢人口は団塊世代の引退によってここ数年で
大幅に減る。他方で顕著なイノベーションは生じていない。IT の利用形態は進歩しているが、それが
生産力を増加するのかどうかは検証されていない。日本が成熟経済であれば伸びシロはもともと少な
いのである。
<地域の課題と協同組合>
アベノミクスの放った第一、第二の矢は残念ながら地方には届かない。いまのところ第三の矢を射
る方法も方向も定まっていない。他方で地域経済の危機は深まっている。人口は減り続け、若者の姿
は見かけなくなり、駅前の商店街はシャッター通りというのは地方のありふれた光景になりつつある。
危機的状況への対応が必要なことはずいぶん前から叫ばれている。成功した町づくり事例なども伝わ
ってはくるが、日本の地域社会の崩壊は全体として進んでいると言わざるを得ない。
では、地域の戦略はどうあるべきか。自らの手で成長戦略をつくって部分的に(可能なこと)を実
践することだ。アベノミクスにはいまのところ勢いはあるから、いくつかの“ビタミン剤”は届くだ
ろう。それを飲んだとき、よく効く体にしておきたい。
誰がそれをやるのといえば地域に存在する経済主体である。もちろん、外からの参入もありうるが
企業誘致はアジア諸国との競争の関係で難しい。むしろ、どうやって引き止めるかを考えることが現
実的だ。
地域経済主体のひとつに協同組合がある。農村と都市という古典的分類を使えば、前者には農業協
同組合(農協)が、後者には消費生活協同組合(生協)がある。都市には、他にも種々の協同組合が
6
あるが、それらへの思いは同じであるから割愛する6。
協同組合についていくつかの事実を確認しておこう。これは協同組合の運動論を考える際に重要な
のである。①協同組合は資本主義が人々を置き去りにした時、人々の自衛組織として発生した。②人々
とは、最貧困層ではなく、かといってもちろん上流階級でもない。自分の生活を自律して保てる中間
層である。こういう人々が各国・各地で協同組合を結成した。③政治的運動体としては左翼勢力の最
後尾にいた。④様々な社会的事業に関与しているが、基本は剰余を必要とする事業体である。
①の要素はときおり、顔を出す。リーマンショックに端を発する世界不況下では協同組合の役割が
見直され、昨年は国連の定めた国際協同組合年だった。②社会的な運動体を組織できるのは、社会へ
の関心と教養のある人、巨額でなくとも財力に余裕のある人、そして行動する人である7。③これは、
今日の日本のように左翼勢力が著しく後退したときでも協同組合が持続できる理由のひとつである。
政治的中立というのは、現代の日本のような状況ではなんのことか逆によくわからないが、事業を展
開する上では武器になる。多勢の人々を事業の対象にできるし、中立によってどことも組みしないと
いう姿勢をとることができるからだ。
④後に述べるように協同組合は様々な社会的活動をしているが、
基本は事業であり、赤字経営をしないことが重要である。協同組合にとっても赤字は敵であり悪であ
って、赤字を続ける経営者は無能である。
6
協同組合には社会から様々な期待を寄せられている。そのひとつに社会の安定装置というものがある。
協同組合は自律した人々の自衛組織だが、その目線が低所得層に向けられ労働運動と接点を持った。この
ことは、日本では賀川豊彦の人生の中に、ロバート・オーエンの思想の中に示されている。
安定装置としての協同組合という位置づけは、当初からあったものだが、資本主義が独占化し徐々に暴力
化するにしたがって強化される。資本主義は、もはや公共体とかNPO・協同組合とともに存在しなけれ
ば安定的に自らを保てなくなったのである。
営利企業を第一分野、公共を第二分野とすれば、協同組合は第三分野にあり、資本の暴力から人々を守る
クッション(緩衝地方)の役割を果たす。しかし、第三分野が第一分野にとってかわるかというと現時点
ではとても不可能と答えざるを得ない。ここで主張しているのは、協同組合が一歩前に出ることである。
疲弊する地方、拡大する格差に対して周辺と協力して何ができるかを考え実行に移す。それは、従来の協
同組合像から前進している姿だ。
7 友貞安太郎の『ロッチデイル物語』の巻末には先駆者たちの略歴がある。ほとんどの人は自営業・職人
だ。当時はかなりの地位である工場監督官も含まれている。思想的には社会主義者はオーエン主義者がい
たが、彼らは同時に工場経営やパブ経営者などでもあった(コープ出版、1994 年)
。ついでにいえば、ロ
ッチデール組合のトレードマークは女神が剣と天秤を持つ図であり、正義と公平が示されている。
現代の日本に目を移そう。日本生協連(日本生活協同組合連合会)は組合員 1800 人を対象に家計調査を実
施している。それによると、月平均収入は約 63 万円で、これは総務省の家計調査の結果よりも約 8 万円も
高い(総務省 2 人以上の世帯、2012 年 7 月速報)
。
また、主業農家の 2009 年総収入の平均は 555 万円、準主業農家は 612 万円である。都市のサラリーマン
世帯とはさまざまな事情(持ち家率、家や土地の広さ、借入金等)が違っていて比べられないが、日本の
世帯所得の中央値が 438 万円、平均値は 538 万円だから、社会の下層でないのは確かである。むしろ、農
家所得がこの 5 年間減り続け、逆に農家経営費が増え続けていることが問題だ。
(参考文献に示した月刊J
Aより)
7
<農協と生協>
日本の農協には、その後進性、組織の硬直性の故に活動的な農業主体に必ずしも支持されていない
など数々の問題点がある。
しかし、
日本の地域からの成長戦略を考えるとき無視できない存在である。
そうするには、あまりに大きい存在である。
農協の強みはその総合性にある。組合員である農家は生産者農協は物流(販売と購買)
、そして中央
会は営農指導、加えて金融・共済事業。これは何かをするには充分な総合性であり他の協同組合には
ないものである。
もっとも、組織が縮小しているのも事実だ。組合員数は今後の 10 年で 16%、出資金は 23%減る。
しかし、内向きで組織防衛ばかり考えていても展望はない。日本の地域再生の主体として他の主体と
共同して行動してもらいたい。明るいニュースもある。農業への新規参入は、都市での就業困難の反
映という面もあるが、増加している。TPPの問題も、人々が食の問題に目を向けるよい契機になる
かもしれない。若者と女性の参加は、国の第三の矢に先駆けて多くの組織で既に実行されている。少
なくとも農協のスローガンではある。
都市を拠点とする生協の主業はスーパーマーケットである。ビジネスモデルの単純な流通業である
だけに競争は激しく、これまでに多くの組織が消えていった。生協は商品の販売、組合員からみれば
購買に集中している。もちろん、コープ商品というブランドもあるが多くは委託生産であり、主戦場
は商品流通だから“ゆるい連帯”を特徴としている。物による人と人との仲介だから個々人のイデオ
ロギーが障害にならない。事業より組織を重視する人々にはそれが弱点ということになるが、無縁社
会、孤立社会にあって、たとえそれが緩くても人々の輪をつくるということに貢献している。現に生
協のファンは多い。コープさっぽろでは、新店舗を出店する際に周辺住民に組合加入を訴え、かつ組
合債の購入を呼びかけているが、これが数日で完売する。もっとも、世の中の低金利、販売のための
様々なインセンティブ(買い物券)などの誘発の効果もあるが、生協が信頼されていることの証明で
はある。
スーパー事業だけでなく、かつての班活動、そして現在の戸配活動は共稼ぎ世帯や車のない老人世
帯に歓迎されている。他に環境への取り組み、災害対応、子育て支援など社会的活動も多彩である。
<むすびにかえて>
問題点はふたつ。事業環境が厳しく赤字生協や農協がかなりあること。理事会が形式化し専従経営
者の独走が目につくこと。理事会は法令に従って開催されているが、理事の多くは利用者・主婦ある
いは農家の代表で非常勤であり常勤の理事達には異論を唱えられないケースが目立つ。もともと、株
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主という強力な監視者を欠く組織だし、監事も事実上理事長他の常勤理事による指名だとすると、経
営者の独走は生じやすい。未来を担う組織がこれでは困る。反対は反対と言う勇気を持ち“民主的”
組織のみせかけに理事会が利用されないよう努力するべきだろう。
個々にみると協同組合は弱点が多いが、まず協同組合間の協力(農協と生協が手を組んだ例は多く
ない)
、協同組織金融機関との連携(労働金庫と取引関係のある生協は多いが、信用金庫や信用組合と
の関係は薄い)
。そして、地方公共団体との協力、各種NPOとの連携も必要だ。要は、資本主義のメ
ロディーを奏でてこなかった各組織と一緒になって地域からの成長戦略・第三の矢を放っていく。こ
れがアベノミクスという狂騒から日本を守る、ひとつの方法であろう。
参考文献
1)大学生協共済連編『2012・協同組合』2012 年、コープ出版
2)庄司・名和編『協同組合論』2013 年、
3)濱田康行「協同組合の未来に向かって―協同組合の新しい意義」
(1)~(3)、『月刊JA』
2012 年 10 月~12 月に3回にわたって連載。
4)濱田康行「いま、なぜ協同組合か?」
、『共済と保険』2013 年1月号
5)濱田康行「協同組合と現代」
、
『しんくみ』2012 年 5 月号
9