モロッコ紀行[トゥブカル山登頂]

モロッコ紀行
〔トゥブカル山登頂〕
小山睦子
『アフリカヘ行きたい』
と山仲間が言い出したのは2年前。 アフリカを代表する山と云えば、アフリカ
大陸最高峰 Mt.キリマンジャロが上げられる。20年前すでに登頂を果たした
私は「行ってらっしゃ一い』と彼女達を見送った。
結果は、高山病で全員登頂出来ずに帰国したのだから消化不良を起こしても不
恩議はない。 再挑戦すると云う彼女達を説得して、アフリカでも他の国の山へ
登るのなら参加してもよいと申し出た私の意見を通してくれて、実現したのが
今回のモロッコ行きとなった。
せっかくモロッコヘ行くのだから、登山は勿諭の事、サハラ砂漠も、古都観光
も加えて変化に富んだ旅にしたい。出来れば仲間だけの旅がいい。いろいろ意
見が出て、それでは旅行社の企画ではなく「手配旅行』にしよう。
懇意にしている旅行社にお願いして、多少の知己でトゥブカル山の登頂経験が
ある横浜ベルニナ山岳会の佐藤英雄氏(ヒマラヤ8000m峰登頂経験)に
リーダーになっていただく事になった。
いざ モロッコヘ
モロッコは、西は大西洋、北は地中海に面し、東と南はサハラ砂漠に接する国、
そして北東から南西にかけて、モエン・アトラス、オート.アトラス、アンティ・
アトラスの3大山脈が走り、
4000m級の山々が連なる山国でもあるのです。
目指すはオート・アトラス山脈のモロッコ最高峰 Mt. TOUBKAL(4167)である。
かつて、この地を訪れたギリシャ人達は、天高く饗える白銀の連山を仰ぎ見て、
アフリカの大地で天を支えて立つギリシャの神アトラスを違想して、
『アトラス
山系』と命名したとされるこの山脈の最高峰トゥブカル山は北アフリカの量高
峰でもある。
「日出る国」日本より『太陽の沈む最果ての国』モロッコヘーっ飛ぴとばいか
ず、スイスのチューリッヒ、オランダのアムステルダム経由モロッコのカサブ
ランカヘと飛ぶ事になった。
4月30日 映画「カサブランカ」でその名を世界に知られる、モロッコ最
大の都市カサブランカぱ、スペイン語で「白い家」と云う意味でヨーロヅパ
の香り高き街である。それもその筈、
モロッコは1956年まで約40年間
フランスの保護領であった。残念な事に時間的余裕が無くてこの素敵な街ば
素通りとなった。
モロッコの第一夜は、古都「赤い街」マラケシュで迎えた。 赤い日干しレ
ンガの建物が特徴で、
陽が沈もうとする直前の街は炎に包まれた様に赤く染
まる。対照的に街を取り囲むナツメヤシのみずみずしい緑、
ブーゲンビリア、
ジヤカランダ、ミモザ等の百花繚乱、遥か南に万年雪の大アトラス山脈、マ
ラケシュは美しく豊かなオアシスである。
さあトゥブカル山へ
5月1日 早朝マラケシュのホテルを出発。 1時間半程でトウブカル山の
登山口、縁濃い谷の村イメリル(1740m)に到着した。 此処で荷物を馬
やラバに預け、公認のガイド、コック、ポータが同行し、いよいよ標高32
07mのネルトナー小屋目指して出発である。
美しい林檎の花の咲くペルペル人の村々の続く広い河原の道を進む。畑仕
事をしている老人にカメラを向けると「ボンジュール」とフランス誘で挨拶
されてびっくり。 モロッコの公用誘はアラビア誘だが、フランス保護領で
あった為フランス誘も頻繁に使われているらしい。
美しい林や小川を渡り、ジグザグの急坂を登り、谷はだんだん狭くなって
来た。その狭い谷筋の斜面に沢山の山羊が可愛らしい声で鳴きながら走りま
わっている。 白、黒、茶色の山羊達は小さな尻尾を忙しく振りながら大きな
目で見つめる。つい抱き上げてしまいたくなる。
谷川の水音が大きく聞こえてほどなく、流れの一番狭い所を利用して石橋
が架けられている場所を通過すると、
香ばしい焼肉の匂いがして来た。河原
にシートが敷かれ昼食の準備がされていた。先ずたっぷりの甘い甘いミント
ティーで喉を潤し、オリーブ油で妙めた肉と野菜を香辛料で味付けしたモ
ロッコ料理は野菜だけを摘み食い。こんな時は、
縁茶におにぎりが食べたい
ね。
1時間ほど大休憩した後、この上部にある小さな集落(2370m)に立
ち寄った。「聖者の家」と云われる仏塔があり一見チベットの山奥のたたず
まいである。小さな売店があり、
ミネラルウォーターや土産物を売っていた。
これから登山道は渓谷の中を這う様に続き、
スケールの大きい素暗らしい景観が
楽しめる。
足元には高山植物が咲き、目を上げれば近くには岩山が聳え、更に高く雪を頂
いた峰々が連なり、 嗚呼! アトラス山脈の真っ只中に居るんだ! と実感した
瞬間であった。 U字谷の終点近くに豆粒程に小屋が見えて来た。 しかしまだま
だ登り続けなければならない。空には雲が出て来て風も冷たく吹き始め、逸る気
特ちとは裏腹に足はだんだん重くなり、気分も優れない。そのうち3100m位
から積雪で登りは一段と厳しくなって来た。2歩登って1歩滑るといった状態で、
喘ぎながらの登高となった。「聖者の家」から3時間半かかってやっと3207
mのネルトナー小屋に到着した。
石積みの小星は一部2階建てで約40名の収容能カがある。小屋の名前が気に
入ったと仲間達と笑い合った。 つまり「ネルトナー=ネルトコロー(寝る所)
」に
ふさわしい名前の響きだったので…。
本日は、我々一行の他に同じ旅行社主催のグルーブが一日早く入山していて、
小
屋は日本人で一杯と云つた状態である。食堂のテーブルは、一度に全員が使用出
来る広さではないので、各グループ毎に交替で使用した。山小屋には一切の調理
遺具が揃っているので、食料さえ特参す机ばよい。私達はコックにおまかせのモ
ロッコ料理は少々口に合わず、インスタント日本食も持参した。
食後、
佐藤リーダーが先行グルーブのリーダーに登頂ルートの状況等を聞いて、
明日の行動予走を伝えてくれた。 今日は、上部は大変寒く、風も強くてアイス
バーンのトラバースは危険でザイルを使用した所もあったらしい。天気予報では、
明日は多少気温も上がるし、安定した気象条件との事なので、安全に全員登頂出
来ます様にと念じつつシュラフに潜り込んだ。
5月2日 風も無く絶好の登山日和である。 アイゼンを装着し、ストックを手
に雪の斜面に第一歩を踏み出した。ピークアタックは、
小屋の横の徒渉から始ま
り、対岸に波り、いきなり急登である。 雪の締まり具合いが良くアイゼンの爪が
ほどよく効いて、
直登に近いルートも皆快調に登高を院ける。二っの岩壁に挟ま
れた急斜面を登りきると平坦な雪原に出た。標高3500mは越えたろうか。
小休止後、2名が不調を訴えたので、リーダーは、ポーターを同行させて下山
してもらう決断をした。 全負登頂を願ったが、無理ぱ禁物、残念ながらお別れで
ある。
これからは圏谷状を左上気味に高度を稼いで行く。時折ブリザードが襲い雪煙
を舞上げる。 高度を上げて行くに従って、立ち止まる回数も多くなり、隊列もバ
ラバラになって来た。幸いなことにザイルを出さねばならない程のアイスバーン
も無いし、危険なトラバースも無いので、体力に合わせて登れば良い。 やがて、
ピークに向かって右手から延びる主稜線のコルに辿り着く。この稜線を登る様に
なると頂上迄はあと少しだ。
一歩一歩踏み締める度に周りの景色が広がっていく 。本峰手前の小ピークを左
に巻くとトゥブカル山頂は目の前であった。頂上には、岩石の上に3∼4mの鉄
骨で組まれた三角の標識があり、
先行していたガイドとポーターが迎えてくれた。
標高4167mの山頂に立ち、
次々に到着する仲間と握手をし登頂を喜ぴ合った。
山頂では周りの雪を頂いた4000m級の岩山を眺め、
北に延びている長大な岩
陵、遥か彼方まで広がるアトラスの峰々に感動した。 アトラス山脈の奥には、遠
く古都マラケシュの町並みも、そして遥かサハラ砂漠の丸い地平線をも一望出来
るとの事だったが、残念ながらそれは叶えられなかった。
眺望を楽しみ、記念写真を撮り終えて、持参の軽食を戴く。 一斉に手が伸びた
のは超目玉の「メロン」
、最高峰で戴く最高の味! ワイワイガヤガヤ賑やかに頂
上での30分はアッと云う間に過ぎた。
下山は、
昨日のグループがザイルを使用したトラバースのルートを辿る事になっ
た。佐藤リーダーが、天候の状況と雪質を確かめて判断したらしい。皆一様に緊
張し、スリップすれば100m以上流されるであろうと思われる斜面も、キック
ステップを確実にし、ノーザイルでトラバース地点を慎重に通過した。
危険地帯を抜けると、程良い斜面を圏谷の底目がけてグリセード。 ここで一歩
一歩下る人と滑り降りる人との差が大きくついた。要所要所にポーターが付添い、
佐藤リーダーが最後を締めて下山した。
ネルトナー小屋に全員下山した頃、
どんより曇っていた空から白いものが舞って
来た。登頂祝いは熱い紅茶で乾杯! 途中で下山した2人にはリーダーが頂上の
石を手渡した。登頂の喜びは皆で分ち合うのだ。
5月3日 往路と同じルートを辿りイメリル村へ。
ネルトナー小屋8時出発。 馬の背に揺られて下山する人あり、花と語りながら
下山する人あり、三々五々「聖者の家」迄マイペースで下る。 徒歩組は10時到
着。30分程休憩し更に下山を続け、
1時間ほどで林檎の花咲く集落に到着した。
「ポンジュールおじいさん」に再会出来た。
登山口のイメリル村で昼食を済ませ、再び「赤い町マラケシュ」へ戻った。
そして砂漠と古都へ
5月4日 午前中マラケシュ市内観光。
マラケシュの最大の見所と云われるメディナ(旧市街)へ。 中心にあるジャマ.
エル・フナ広場はアラピア語で「死人の集り」という意味だが、かってここは公
開処刑場だった由。 現在は『お祭り広場』と呼ばれ、密集した市場、買物客の群
れ、大道芸人と『血沸き、肉躍る」興奮のるつぼ、刺激的な広場に唯々圧倒され
ての観光となった。
又、歴史的に価値ある数々のモスクや宮殿、学校、美術館等々、詰め込み過ぎた
頭と目は疲労困触気味。早くこの喧騒から逃れたい気分になった。
午後、大アトラス山脈の峡谷や峠を越え、隊商都市のワルザザートヘ。 マラケ
シュを出るとしばらく緑の沃野を走る。やがて縁が減ってアトラス山脈に入ると、
バスは荒漠とした岩山の間を縫うように走り、
峠道をグイグイと上がって行く。疲
れが一度に出たのか、
かなり揺れるバスの中で眠りこける。標高2260mのティ
スカ峠を越える。 目覚めてびっくり。 峠の手前で、登頂したトゥブカル山が見え
る筈だったのだ。皆悔しがったが後の祭りとなってしまった。
山脈を越えると埃っぼい茶色の世界になった。果てしない荒涼とした土漠の中に
美しいオアシスが何キロ毎かに点在する。 茶色の土漠をひたすら見続けた後、小
さなオアシスの村々に辿り着くとホッとする。ワルザザートもそうした半径1キ
ロ程のオアシスの町である。
5月5日 ワルザザートからサハラに延びるカスバ街道。かつて砂漠の遊牧民ベ
ドウィンがラクダのキャラバンを連ねたこの街道を、
東におよそ400㎞走り、
サ
ハラ砂漠の入口の町エルフードヘ向かう。荒涼とした埃っぼい砂の世界に点在す
るオアシス。 アトラス山脈を背最に停む土の建物群カスバ(要塞、城郭、砦)
、偉
容を誇る黄土色のその姿が、オアシスのナツメヤシの縁と美しいコントラストを
見せている。
途中オアシスの中でも最大の町ティネリールを経て、
カスバ街遺の交通の要所エ
ルラシディアを通過する。 街を離れ道は南へ走る。 又、赤茶色の乾燥した世界が
現れてきて、サハラ砂漠に近付きつつあると感じられる。
エルラシディアから約100㎞走ってサハラ砂漠の玄関エルブードに到着した。
砂漠の砂の赤い色が街全体を被っている。ナツメヤシの木々の縁とのコントラス
トが印象的だ。
5月6日 今回の旅の拘りの砂漠へ。いよいよサハラ砂漠の真っ只中へ。と云っ
ても10ケ国に跨る広大なサハラ砂漠のほんの端に踏み込むだけの事。 エルフー
ドから約30 ㎞先のメルズーガ大砂丘で日の出を見る為にホテルを4蒔出発。真っ
暗な中をジーブはかなりのスピードで道無き道の土漠を走り抜ける。 1時間程で
砂丘の広がる世界に到着した。あまりの広さに一瞬息を飲む。
巨大な砂山を前にして少しでも高みへと気は急くが、砂に足を取られ、足元から
砂が流れる。 冷たい砂が裸足に快い。 風紋の残る砂の上を歩く。 その一歩が砂を
崩す。 さらさらと昔も無く斜面を流れ、新しい紋を造る。
夜明けの空がモルゲンロートに染まり始めると、
地平線から太陽がゆっくり昇る。
赤からオレンジ色になり、やがて白く輝き出し、そして黄金色に輝く砂の描く幻想
的な光景!! 経験した事のない感動が胸を突き抜ける。興奮状態のまま、
再びジー
ブで小石混じりの土漠のガタガタ道をホテルヘと向かった。
砂漠の次は、一路北上し、アトラス山脈を越え、モロッコ随一の吉都「フェズ」へ
と向かった。
5月7日
古都フェズは日本で云えば京都の様な所である。 首郭ラバトが行政
の、カサブランカが商業の巾心地、そして、フェズは「知的な王都」と呼ばれるだ
けあって思想、宗教、芸術と文化遺産に富んだ街と言えるでしょう。 中世の世界
に身を置いたような、歴史を肌で感じる事の出来る街だ。 王宮や廟、モスク、博
物館等は枚挙にいとまがない。
この街で決して忘れられないのが「タンネリ」
。 なめし革を染色する作業場であ
る。 モロッコはなめし革製品の名産地であるが、現代でも中世そのままの手仕事
での作業である。 鼻が曲がる程の強烈な悪臭の中で、地面に掘られた染料の入る
凹みに、前屈みになって働く勇達の姿は、全身で格闘している様で、あまりの極悪
な条件下での作業を見て「アムネスティに告訴してやりたい」と云った人もいた程
だつた。
5月8日 モロッコ最後の訪問地、
首都ラバトヘ向かうコースのほぼ中間に、
ロー
マ時代の遺跡ヴォルビリスがある。 そこは緑の樹海に浮かぶ島の様であった。 ペ
ルベル系のメクネッサ族が開いたオリーブや葡萄畑が広がる樹海だ。
遺跡の建物の壁面や、床に残る鮮やかなモザイクに驚嘆させられ、オルブエウ
スの館、フオーラム、公会堂の跡、ほぽ完全な姿のカラカラ帝の凱旋門等、当
時のローマ帝国のパワーを偲ぶ事が出来た。林立する神殿跡の大理石柱の頂き
は鷺が営巣し、白い優雅な姿で飛び交う様を見ながら、ここに絶世の美女クレ
オパトラも訪ねた話とオーバーラッブして夢物語の中に迷い込んだ様な錯覚に
陥った。
次いで訪ねた所は、モロッコに最初のイスラム王朝イドリス朝が興つた聖地
ムーレイ・イドリス。 中世の世界に酔って長旅の疲れも忘れてしまった。
潮の香りが漂う大西洋に面した首都ラバトに到着して最初に訪れたのは、現国
王ハッサンII世の父君モハメッドV世の廟。モロッコの伝統的な建築技術と彫
刻が美しく調和した廟の中に足を一歩踏み入れると、煌びやかな内部装飾、ス
テンドグラスの様な金色のランプと、
白い石棺の美しさに圧倒されてしまった。
ラバトは、現国王の王宮、議会、官庁、各国大公使館等があり、ヤシの木の並
木が続き、縁豊かな公園や広場が沢山あり、その自然の中にスペイン・ムーア
建築と近代建築が見事に調和し、静かで落ち着いた霧囲気の街だ。
旧市街、新市街に見るべき所があまりにも多く、観光はほどほどにして海岸に
近い「ウダイヤ庭園」でモロッコ最後の日の一時を過ごした。 スペインのアル
ハンブラ宮殿をモデルにしたと云われ、噴水とバラやブーゲンビリアが生い茂
る憩いの場であつた。
5月9日
ホテルから近い王宮の門が7時に開くと云うので、出発前の慌た
だしい時間を割いて訪れた。 早朝のせいもあって我々3名だけが、紫の花が美
しいジャカランダの大木の下を通り、手入れの行き届いた広大な芝生を堪能し
ながら奥へと進む。 やがて緑の屋根、クリーム色の王宮が見えて来た。 王宮は
蜿蜒1㎞程続き、メインゲートには赤地に緑の星のモロッコの国旗が何本も翻
り、警戒は巌重で何人もの警護官が我々の行動を見守っていた。 清々しい朝の
気を胸一杯吸って Palais Royal に別れを告げた。
アッサァラームラバト! バスは大西洋を右に見て一路カサブランカ空港へと
急いだ。充実した10日間のモロッコの旅は幕を降ろした。
アッサァラームモロッコ (さようならモロッコ!)
- 1995.4.30∼5.9 -