第 4 章 テーマ史 つぎの文章(A∼C)は,パレスチナ地方とユダヤ人(ヘブライ人)の歴史について述べたものである。よく読 んで,下記の設問に答えなさい。 (中央大・法) A パレスチナ地方には,前 1500 年ごろにヘブライ人が移住・定着した。ヘブライ人は,その後何度か苦難を経験 したが,バビロンに連れ去られていた住民が前6世紀に解放されてパレスチナの地に戻ると,自らの信仰の正し さを確信し,イェルサレムに神殿を再興して ユダヤ教を確立した。 (a) その後,この地にローマ帝国の支配が及んでくるなか,1世紀にイエスがユダヤ教の現状を批判したことが発 端となって,キリスト教が成立した。キリスト教はローマ帝国で大いに広まり,パレスチナはキリスト教世界に 組み込まれた。 しかし7世紀にイスラーム教が成立すると,パレスチナ地方に今度は イスラーム勢力の支配が及ぶようにな (b) り,それ以降オスマン帝国の滅亡まで,十字軍の時代を除き,パレスチナ地方は基本的にイスラーム勢力によっ て支配された。 このように, 20 世紀に入るまで, パレスチナ地方は,ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の勢力が入れ替 (c) わりつつ支配してきたのである。 B ユダヤ人(ヘブライ人)がパレスチナの地でユダヤ教を確立したのは前6世紀であったが, ユダヤ人 ( その後, d) の多くはパレスチナの地を追われ,ヨーロッパや世界各地に離散していった。ヨーロッパにおいて,特に中世後 期には,飢饉・疫病・戦乱などによって社会不安が増大するたびに,ユダヤ人は,他の社会的少数派とともに 過 (e) 酷な迫害に見舞われた。ユダヤ人は, 差別と偏見の対象となっていたのである。こうした歴史のなかで重大な転 (f) 機となったのが, 19 世紀末にフランスで起きたドレフュス事件である。これは, ( 大尉であるドレフュスが軍部 g) によりスパイの嫌疑をかけられ,終身刑の判決を受けたが,その後その無実が明らかになったという事件である。 この事件がきっかけとなり,ヨーロッパのユダヤ人のあいだで,パレスチナの地に「帰還」しようというシオニズ ム運動が高揚していった。しかし,パレスチナにはすでに何世紀にもわたってイスラーム教を信仰するアラブ人 が居住しており,ここにユダヤ人が「帰還」した場合,アラブ人との関係をどうするのかという重大な問題が生ず ることになるのである。 C パレスチナ地方を支配していたオスマン帝国が第一次世界大戦で敗北し, イギリス ( パレスチナ地方は戦後, h) の委任統治領となった。イギリスは第一次大戦中に,戦争へのユダヤ人の協力を期待して,ユダヤ人が戦後パレ スチナに民族的郷土を設立することを認めると約束しており,その趣旨に沿って多数のユダヤ人を移民としてパ レスチナに受け入れた。その結果,ユダヤ人移民がイェルサレムで公然と祈りをおこなうようになったため,ア ラブ人とのあいだに武力衝突が発生した。ドイツでナチス政権が成立すると,パレスチナへのユダヤ人移民はま すます増加し,パレスチナでの緊張はさらに高まった。 532 9 ユダヤ人の歴史 こうしたなか, アラブ諸国は 1945 年3月,アラブ連盟を結成し,アラブの統一行動を目指した。第二次世界 (i) 大戦が終結すると,イギリスによる委任統治の終了を機に, 1947 年,国際連合がパレスチナをユダヤ人地域とア ラブ人地域に分割する案を決議した。しかし,両勢力の平和的共存は実現するに至らず, 1948 年,ついに戦争が (j) 勃発した(第1次中東戦争)。この戦争は翌年,アラブ側の大敗に終わり,国際連合の調停により,結局,ユダヤ人 国家イスラエルだけが独立国として認められることとなった。その後,イスラエルとアラブ諸国とのあいだには, 今日に至るまで, 数度の戦争をはじめとする武力衝突が繰り返されている。 (k) この間, イスラエルが戦争によって多くの地域を占領する一方,多数のアラブ人がパレスチナから追われ,難 (l) 民となった。イスラエルはさらに 1980 年代に入ると,占領地を併合する動きを見せた。こうしたなか, アラブ (m) 諸国の結束には乱れも生じてきたが,他方では,アラブ人のあいだに イスラエルに対する強い抵抗姿勢も広まっ (n) た。 1993 年に パレスチナ人の代表組織であるPLOとイスラエルとのあいだで合意が成立するなど, 和平への (o) 努力もおこなわれてはいるが,多くの難問が立ちはだかり,パレスチナにおけるユダヤ人国家とアラブ人国家の 平和的共存はいまだに実現していない。 設問1 下線部(a)について。ユダヤ教徒の信仰の対象となっている神は,一般に何と呼ばれるか。その名前を 答えなさい。 設問2 下線部(b)について。イスラーム勢力の支配下において,異教徒であるキリスト教徒やユダヤ教徒は, 基本的にどのような処遇を受けたか。その記述としてもっとも適切なものを1つ選びなさい。 ① 「剣か,コーランか」と言われるように,イスラーム教に強制的に改宗させられた。 ② イスラーム教に改宗しないかぎり,行動の自由は大きく制限され,人頭税や地租も課された。 ③ イスラーム教に改宗しないかぎり,行動の自由は大きく制限されたが,人頭税や地租は課されなかっ た。 ④ 自らの信仰や慣習の維持を認められたが,人頭税や地租を課された。 ⑤ 自らの信仰や慣習の維持を認められ,人頭税や地租は課されなかった。 設問3 下線部(c)について。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の各宗教にとってのイェルサレムの位置づ けに関するつぎの記述(あ∼う)は正しいか。それぞれについて,正しければ①を,誤っていれば②を答え なさい。 あ.イェルサレムは,モーセが神から,のちにユダヤ教の律法の中核を成すことになった十戒を授かっ た場所と伝えられており,ユダヤ教の聖地とされている。 い.イエスの受難の地であるイェルサレムは,キリスト教の聖地とされ, 11 世紀ごろから生じた聖地巡 礼熱の高まりのなか,ローマやサンティアゴ=デ=コンポステラとともに多くの巡礼者を集めた。 う.パレスチナ地方は 1000 年以上もイスラーム勢力の支配下にあったが,イスラーム教の開祖ムハンマ ドが活動したのはメッカやメディナであり,イェルサレムはイスラーム教の聖地とされていない。 533 第 4 章 テーマ史 設問4 下線部(d)について。ユダヤ人は前6世紀以降,何度かパレスチナ地方から追われたが,そのうちもっ とも大規模な離散のきっかけとなった出来事は,つぎのうちどれか。1つ選びなさい。 ① パレスチナの住民がローマ帝国の支配に対する不満から反乱を起こし,ローマ帝国に鎮圧されたこ と。 ② パレスチナの住民がビザンツ帝国の支配下で圧制に苦しんだこと。 ③ パレスチナ地方がセルジューク朝の支配下に入ったこと。 ④ パレスチナ地方に最初の十字軍が派遣されたこと。 ⑤ 第1回十字軍によって建国されたイェルサレム王国をマムルーク朝が滅ぼしたこと。 設問5 下線部(e)について。中世後期以降,ヨーロッパの諸都市では,ユダヤ人の「保護と安全のため」とし て彼らを強制的に隔離する居住区が作られ,そこでは劣悪な条件の下,さまざまな手工業が営まれたほか, 学校なども設置され,居住区は自治団体として機能した。このようなユダヤ人居住区は,何と呼ばれたか。 その名称を答えなさい。 設問6 下線部(f)について。戯曲『ヴェニスの商人』は,強欲なユダヤ人の高利貸を登場させており,ユダヤ 人に対する偏見の描かれた作品としても有名である。この戯曲を書いた, 16 世紀後半から 17 世紀初頭に かけて活躍した劇作家はだれか。その人名を答えなさい。 設問7 下線部(g)について。ドレフュス事件は反ユダヤ主義の現れとして理解されるが,それはなぜか。その 理由として正しいものを1つ選べ。 ① ドレフュスがユダヤ系であり,国民の反ユダヤ感情が刺激されたから。 ② 国民の反ユダヤ感情を利用しようとして,軍部はドレフュスがユダヤ系だと主張したが,これは虚 偽だったから。 ③ ドレフュスが自身の潔白を主張する際,自らがユダヤ系であることを否認せざるを得なかったから。 ④ ユダヤ系であるドレフュスが,結局,再審で無罪判決を得られなかったから。 ⑤ ドレフュスの権利擁護を社会に訴えた知識人たちも,反ユダヤ主義は批判しなかったから。 設問8 下線部(h)について。イギリスを含む一部の連合国は,第一次世界大戦中に秘密の取り決めを結び,オ スマン帝国領を戦後どのように分割するかを決めていた。この取り決めは何と呼ばれているか。その名称 を答えなさい。 設問9 下線部(i)について。つぎのうち,アラブ連盟の結成に参加した国として正しくないものはどれか。す べて選び,その番号を答えなさい。 ① イラン ② イラク ③ シリア ④ サウジアラビア ⑤ リビア 534 9 ユダヤ人の歴史 設問 10 下線部(j)について。 1947 年の国連決議から第1次中東戦争の勃発に至る経緯はどのようなものであっ たか。その記述として正しいものを1つ選びなさい。 ① ユダヤ人側とアラブ人側の双方とも国連決議を受け入れず,双方がパレスチナ全域を領土とする国 家の樹立を宣言し,戦争へと突入した。 ② ユダヤ人側は国連決議を受け入れて国家樹立を宣言したが,アラブ人側はそれを受け入れず,戦争と なった。 ③ アラブ人側は国連決議を受け入れて国家樹立を宣言したが,ユダヤ人側はそれを受け入れずにパレ スチナ全域を領土とする国家の樹立を宣言したため,戦争となった。 ④ ユダヤ人側とアラブ人側の双方とも国連決議を受け入れたが,アラブ過激派によるテロ事件をきっ かけとした報復合戦から戦争に突入した。 ⑤ ユダヤ人側とアラブ人側の双方とも国連決議を受け入れたが,ユダヤ人側で内部の強硬派が独走し, これを抑え切れずに結局戦争に突入した。 設問 11 下線部(k)について。イスラエルとアラブ諸国とのあいだで戦われた第2次(1956 年∼ 1957 年) ・第 3次(1967 年) ・第4次(1973 年)の「中東戦争」に関するつぎの記述(あ∼う)は正しいか。それぞれに ついて,正しければ①を,誤っていれば②を答えなさい。 あ.第2次中東戦争において,イスラエルは単独で,複数のアラブ諸国と戦った。 い.第3次中東戦争は,イスラエルによる奇襲攻撃で始まり,6日間で終結した。 う.第4次中東戦争の際,イスラエルを支援する諸国に対して,アラブ諸国は石油戦略を発動して圧力を かけた。 設問 12 下線部(l)について。下の地図の地域a∼gのうち,イスラエルが第1次中東戦争の休戦時点で国際 的に認められた領土とは別に占領したことのある地域はどこか。当てはまるものの記号をすべて答えな さい。 g f 地中海 c e d a b 設問 13 下線部(m)について。アラブ連盟諸国はイスラエル国家を長いあいだ敵視してきたが,現在ではイス ラエルとのあいだに平和条約を締結している国もある。このうち,イスラエルと最初に平和条約を締結し た国はどこか。その国名を答えなさい。 535 第 4 章 テーマ史 設問 14 下線部(n)について。 1987 年以降,占領地でアラブ人により展開されてきた,投石などによる抵抗運 動は何と呼ばれるか。その名称を答えなさい。 設問 15 下線部(o)について。PLOの設立された経緯はどのようなものであったか。その記述として正しいも のを1つ選びなさい。 ① アラブ連盟結成時に,パレスチナ地方のアラブ人の代表組織として設立された。 ② 1947 年の国連決議を受けて,パレスチナ地方のアラブ人の代表組織として設立された。 ③ 第1次中東戦争の休戦を受けて,パレスチナ地方のアラブ人およびパレスチナ難民の代表組織とし て設立された。 ④ 第2次中東戦争の終結後,パレスチナ地方のアラブ人およびパレスチナ難民の代表組織として設立 された。 ⑤ 1982 年のレバノンにおけるパレスチナ難民大虐殺事件を受けて,パレスチナ地方のアラブ人および パレスチナ難民の代表組織として設立された。 設問 16 下線部(o)について。この合意の主な内容はどのようなものであったか。その記述として正しいもの を1つ選びなさい。 ① イスラエル軍が占領地から段階的に撤退し,PLOが暫定的に自治政府を組織する。 ② イスラエルが占領地を併合し,その地域でPLOが自治政府を組織する。 ③ イスラエルが占領地をヨルダンに割譲したうえで,その地域でPLOが自治政府を組織する。 ④ PLOがイェルサレムに対する権利主張を放棄した時点で,パレスチナ国家が樹立される。 ⑤ PLOが武力闘争の放棄を宣言した時点で,パレスチナ国家が樹立される。 設 問 1 設 問 あ 3 設 問 4 設 問 6 設 問 8 設 問 10 設 問 12 設 問 13 設 問 15 設 問 2 う い 設 問 5 設 問 7 設 問 9 設 問 あ 11 い う 設 問 14 設 問 16 536 9 ユダヤ人の歴史 537 第 4 章 テーマ史 つぎの文章(A∼C)は,パレスチナ地方とユダヤ人(ヘブライ人)の歴史について述べたものである。よく読 んで,下記の設問に答えなさい。 (中央大・法) A パレスチナ地方には,前 1500 年ごろにヘブライ人が移住・定着した。ヘブライ人は,その後何度か苦難を経験 したが,バビロンに連れ去られていた住民が前6世紀に解放されてパレスチナの地に戻ると,自らの信仰の正し さを確信し,イェルサレムに神殿を再興して ユダヤ教を確立した。 (a) 設問1 下線部(a)について。ユダヤ教徒の信仰の対象となっている神は,一般に何と呼ばれるか。その名前を 答えなさい。 ⇒ その後,この地にローマ帝国の支配が及んでくるなか,1世紀にイエスがユダヤ教の現状を批判したことが発 端となって,キリスト教が成立した。キリスト教はローマ帝国で大いに広まり,パレスチナはキリスト教世界に 組み込まれた。 しかし7世紀にイスラーム教が成立すると,パレスチナ地方に今度は イスラーム勢力の支配が及ぶようにな (b) り,それ以降オスマン帝国の滅亡まで,十字軍の時代を除き,パレスチナ地方は基本的にイスラーム勢力によっ て支配された。 このように, 20 世紀に入るまで, パレスチナ地方は,ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の勢力が入れ替 (c) わりつつ支配してきたのである。 設問2 下線部(b)について。イスラーム勢力の支配下において,異教徒であるキリスト教徒やユダヤ教徒は, 基本的にどのような処遇を受けたか。その記述としてもっとも適切なものを1つ選びなさい。 ① 「剣か,コーランか」と言われるように,イスラーム教に強制的に改宗させられた。 ② イスラーム教に改宗しないかぎり,行動の自由は大きく制限され,人頭税や地租も課された。 ③ イスラーム教に改宗しないかぎり,行動の自由は大きく制限されたが,人頭税や地租は課されなかっ た。 ④ 自らの信仰や慣習の維持を認められたが,人頭税や地租を課された。 ⇒ オスマン帝国 … ⑤ 自らの信仰や慣習の維持を認められ,人頭税や地租は課されなかった。 538 9 ユダヤ人の歴史 設問3 下線部(c)について。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の各宗教にとってのイェルサレムの位置づ けに関するつぎの記述(あ∼う)は正しいか。それぞれについて,正しければ①を,誤っていれば②を答え なさい。 あ.イェルサレムは,モーセが神から,のちにユダヤ教の律法の中核を成すことになった十戒を授かっ た場所と伝えられており,ユダヤ教の聖地とされている。 ⇒ い.イエスの受難の地であるイェルサレムは,キリスト教の聖地とされ, 11 世紀ごろから生じた聖地巡 礼熱の高まりのなか,ローマやサンティアゴ=デ=コンポステラとともに多くの巡礼者を集めた。 ⇒ う.パレスチナ地方は 1000 年以上もイスラーム勢力の支配下にあったが,イスラーム教の開祖ムハンマ ドが活動したのはメッカやメディナであり,イェルサレムはイスラーム教の聖地とされていない。 ⇒ B ユダヤ人(ヘブライ人)がパレスチナの地でユダヤ教を確立したのは前6世紀であったが, その後,ユダヤ人 (d) の多くはパレスチナの地を追われ,ヨーロッパや世界各地に離散していった。ヨーロッパにおいて,特に中世後 期には,飢饉・疫病・戦乱などによって社会不安が増大するたびに,ユダヤ人は,他の社会的少数派とともに 過 (e) 酷な迫害に見舞われた。ユダヤ人は, 差別と偏見の対象となっていたのである。 (f) 設問4 下線部(d)について。ユダヤ人は前6世紀以降,何度かパレスチナ地方から追われたが,そのうちもっ とも大規模な離散のきっかけとなった出来事は,つぎのうちどれか。1つ選びなさい。 ※ 離散 = ① パレスチナの住民がローマ帝国の支配に対する不満から反乱を起こし,ローマ帝国に鎮圧されたこ と。 ⇒ … 第2次(132 ∼ 135), の時代 ② パレスチナの住民がビザンツ帝国の支配下で圧制に苦しんだこと。 ③ パレスチナ地方がセルジューク朝の支配下に入ったこと。 ④ パレスチナ地方に最初の十字軍が派遣されたこと。 ⑤ 第1回十字軍によって建国されたイェルサレム王国をマムルーク朝が滅ぼしたこと。 設問5 下線部(e)について。中世後期以降,ヨーロッパの諸都市では,ユダヤ人の「保護と安全のため」とし て彼らを強制的に隔離する居住区が作られ,そこでは劣悪な条件の下,さまざまな手工業が営まれたほか, 学校なども設置され,居住区は自治団体として機能した。このようなユダヤ人居住区は,何と呼ばれたか。 その名称を答えなさい。 ⇒ 539 第 4 章 テーマ史 設問6 下線部(f)について。戯曲『ヴェニスの商人』は,強欲なユダヤ人の高利貸を登場させており,ユダヤ 人に対する偏見の描かれた作品としても有名である。この戯曲を書いた, 16 世紀後半から 17 世紀初頭に かけて活躍した劇作家はだれか。その人名を答えなさい。 ⇒ こうした歴史のなかで重大な転機となったのが, 19 世紀末にフランスで起きたドレフュス事件である。これは, 大尉であるドレフュスが軍部によりスパイの嫌疑をかけられ,終身刑の判決を受けたが,その後その無実が明 (g) らかになったという事件である。この事件がきっかけとなり,ヨーロッパのユダヤ人のあいだで,パレスチナの 地に「帰還」しようというシオニズム運動が高揚していった。しかし,パレスチナにはすでに何世紀にもわたって イスラーム教を信仰するアラブ人が居住しており,ここにユダヤ人が「帰還」した場合,アラブ人との関係をどう するのかという重大な問題が生ずることになるのである。 設問7 下線部(g)について。ドレフュス事件は反ユダヤ主義の現れとして理解されるが,それはなぜか。その 理由として正しいものを1つ選べ。 ① ドレフュスがユダヤ系であり,国民の反ユダヤ感情が刺激されたから。 ⇒ (反ユダヤ主義) ② 国民の反ユダヤ感情を利用しようとして,軍部はドレフュスがユダヤ系だと主張したが,これは虚 偽だったから。 ③ ドレフュスが自身の潔白を主張する際,自らがユダヤ系であることを否認せざるを得なかったから。 ④ ユダヤ系であるドレフュスが,結局,再審で無罪判決を得られなかったから。 ⇒ 1899 年に大統領から特赦で釈放, 1906 年に無罪 ⑤ ドレフュスの権利擁護を社会に訴えた知識人たちも,反ユダヤ主義は批判しなかったから。 ⇒ … 軍部の権威主義と反ユダヤ主義を批判 C パレスチナ地方を支配していたオスマン帝国が第一次世界大戦で敗北し, パレスチナ地方は戦後,イギリス (h) の委任統治領となった。イギリスは第一次大戦中に,戦争へのユダヤ人の協力を期待して,ユダヤ人が戦後パレ スチナに民族的郷土を設立することを認めると約束しており,その趣旨に沿って多数のユダヤ人を移民としてパ レスチナに受け入れた。その結果,ユダヤ人移民がイェルサレムで公然と祈りをおこなうようになったため,ア ラブ人とのあいだに武力衝突が発生した。ドイツでナチス政権が成立すると,パレスチナへのユダヤ人移民はま すます増加し,パレスチナでの緊張はさらに高まった。 設問8 下線部(h)について。イギリスを含む一部の連合国は,第一次世界大戦中に秘密の取り決めを結び,オ スマン帝国領を戦後どのように分割するかを決めていた。この取り決めは何と呼ばれているか。その名称 を答えなさい。 ⇒ 540 9 ユダヤ人の歴史 仏の委任統治領 レバノン シリア 黒海 ソ連 カスピ海 トルコ 地中海 イラン エジプト 1922 アフガニスタン 1919 インド リヤド サウジアラビア 1932 アラビア海 民族分布 アラブ人 イラン人 トルコ人 イエメン アデン(英領) パレスティナ トランスヨルダン クルド人 イラク 英の委任統治領 こうしたなか, アラブ諸国は 1945 年3月,アラブ連盟を結成し,アラブの統一行動を目指した。第二次世界 (i) 大戦が終結すると,イギリスによる委任統治の終了を機に, 1947 年,国際連合がパレスチナをユダヤ人地域とア ラブ人地域に分割する案を決議した。しかし,両勢力の平和的共存は実現するに至らず, 1948 年,ついに戦争が (j) 勃発した(第1次中東戦争)。この戦争は翌年,アラブ側の大敗に終わり,国際連合の調停により,結局,ユダヤ人 国家イスラエルだけが独立国として認められることとなった。その後,イスラエルとアラブ諸国とのあいだには, 今日に至るまで, 数度の戦争をはじめとする武力衝突が繰り返されている。 (k) 設問9 下線部(i)について。つぎのうち,アラブ連盟の結成に参加した国として正しくないものはどれか。す べて選び,その番号を答えなさい。 ① イラン ② イラク ③ シリア ④ サウジアラビア ⑤ リビア … 後に加盟 541 第 4 章 テーマ史 設問 10 下線部(j)について。 1947 年の国連決議から第1次中東戦争の勃発に至る経緯はどのようなものであっ たか。その記述として正しいものを1つ選びなさい。 ① ユダヤ人側とアラブ人側の双方とも国連決議を受け入れず,双方がパレスチナ全域を領土とする国 家の樹立を宣言し,戦争へと突入した。 ② ユダヤ人側は国連決議を受け入れて国家樹立を宣言したが,アラブ人側はそれを受け入れず,戦争と なった。 (1) 国連による分割決議(1947) 地 中 海 ヨ ル ダ ン 川 イェルサレム 死 海 (国連管理地域) ユダヤ国家 アラブ国家 ③ アラブ人側は国連決議を受け入れて国家樹立を宣言したが,ユダヤ人側はそれを受け入れずにパレ スチナ全域を領土とする国家の樹立を宣言したため,戦争となった。 ④ ユダヤ人側とアラブ人側の双方とも国連決議を受け入れたが,アラブ過激派によるテロ事件をきっ かけとした報復合戦から戦争に突入した。 ⑤ ユダヤ人側とアラブ人側の双方とも国連決議を受け入れたが,ユダヤ人側で内部の強硬派が独走し, これを抑え切れずに結局戦争に突入した。 (2) 第1次中東戦争(1948 ∼ 49)終結時 ガザ地区 ヨルダン川西岸地区 (エジプトが占領) (ヨルダンが占領) ヨ ル ダ ン イェルサレム イスラエルの領土拡大 542 9 ユダヤ人の歴史 設問 11 下線部(k)について。イスラエルとアラブ諸国とのあいだで戦われた第2次(1956 年∼ 1957 年) ・第 3次(1967 年) ・第4次(1973 年)の「中東戦争」に関するつぎの記述(あ∼う)は正しいか。それぞれに ついて,正しければ①を,誤っていれば②を答えなさい。 あ.第2次中東戦争において,イスラエルは単独で,複数のアラブ諸国と戦った。 ⇒ = イギリス・フランス・イスラエル い.第3次中東戦争は,イスラエルによる奇襲攻撃で始まり,6日間で終結した。 ⇒ う.第4次中東戦争の際,イスラエルを支援する諸国に対して,アラブ諸国は石油戦略を発動して圧力を かけた。 ⇒ (3) 第3次中東戦争(1967)終結時 レバノン ゴラン高原 イ ス ラ エ ル の 占 領 地 地中海 レバノン シ リ ア 地中海 シ リ ア ヨルダン川西岸 ヨ ル ダ ン ガザ地区 シナイ半島 (1982 年にエジプトに返還) ス エ ズ 運 河 シナイ半島 エ ジ プ ト ア カ サウジ バアラビア 湾 チラン 海峡 ヨ ル ダ ン ス エ ズ 運 河 シナイ半島 エ ジ プ ト ア カ サウジ バアラビア 湾 チラン 海峡 この間, イスラエルが戦争によって多くの地域を占領する一方,多数のアラブ人がパレスチナから追われ,難 (l) 民となった。イスラエルはさらに 1980 年代に入ると,占領地を併合する動きを見せた。こうしたなか, アラブ (m) 諸国の結束には乱れも生じてきたが,他方では,アラブ人のあいだに イスラエルに対する強い抵抗姿勢も広まっ (n) た。 1993 年に パレスチナ人の代表組織であるPLOとイスラエルとのあいだで合意が成立するなど, 和平への (o) 努力もおこなわれてはいるが,多くの難問が立ちはだかり,パレスチナにおけるユダヤ人国家とアラブ人国家の 平和的共存はいまだに実現していない。 543 第 4 章 テーマ史 設問 12 下線部(l)について。下の地図の地域a∼gのうち,イスラエルが第1次中東戦争の休戦時点で国際 的に認められた領土とは別に占領したことのある地域はどこか。当てはまるものの記号をすべて答えな さい。 g f f= 地中海 c e= e d a b c= b= 設問 13 下線部(m)について。アラブ連盟諸国はイスラエル国家を長いあいだ敵視してきたが,現在ではイス ラエルとのあいだに平和条約を締結している国もある。このうち,イスラエルと最初に平和条約を締結し た国はどこか。その国名を答えなさい。 ⇒ , (1979) 設問 14 下線部(n)について。 1987 年以降,占領地でアラブ人により展開されてきた,投石などによる抵抗運 動は何と呼ばれるか。その名称を答えなさい。 ⇒ 設問 15 下線部(o)について。PLOの設立された経緯はどのようなものであったか。その記述として正しいも のを1つ選びなさい。 ① アラブ連盟結成時に,パレスチナ地方のアラブ人の代表組織として設立された。 ② 1947 年の国連決議を受けて,パレスチナ地方のアラブ人の代表組織として設立された。 ③ 第1次中東戦争の休戦を受けて,パレスチナ地方のアラブ人およびパレスチナ難民の代表組織とし て設立された。 ④ 第2次中東戦争の終結後,パレスチナ地方のアラブ人およびパレスチナ難民の代表組織として設立 された。 ⑤ 1982 年のレバノンにおけるパレスチナ難民大虐殺事件を受けて,パレスチナ地方のアラブ人および パレスチナ難民の代表組織として設立された。 544 9 ユダヤ人の歴史 設問 16 下線部(o)について。この合意の主な内容はどのようなものであったか。その記述として正しいもの を1つ選びなさい。 ① イスラエル軍が占領地から段階的に撤退し,PLOが暫定的に自治政府を組織する。 ② イスラエルが占領地を併合し,その地域でPLOが自治政府を組織する。 ③ イスラエルが占領地をヨルダンに割譲したうえで,その地域でPLOが自治政府を組織する。 ④ PLOがイェルサレムに対する権利主張を放棄した時点で,パレスチナ国家が樹立される。 ⑤ PLOが武力闘争の放棄を宣言した時点で,パレスチナ国家が樹立される。 (4) 現在 ゴラン高原 ヨルダン川 西岸地区 イェルサレム ガ ザ 地 区 イェリコ ガザ 死 海 ヨ ル ダ ン 暫定自治協定(1993)により イスラエル軍撤退 ⇒ パレスティナ人により自治開始 545 第 4 章 テーマ史 問1 中世ヨーロッパにおいてユダヤ人が隔離された強制居住区は何と呼ばれるか。次の中から選べ。 (a) ディアスポラ (b) シナゴーグ (c) ゲットー (d) インティファーダ 問2 19 世紀末のフランスでユダヤ系将校がスパイ疑惑で逮捕され有罪とされた事件を,次の中から選べ。 (a) ブーランジェ事件 (b) ドレフュス事件 (c) ファショダ事件 (d) アガディール事件 問3 第一次世界大戦中にオスマン帝国の分割を取り決めた密約を,次の中から選べ。 (a) フセイン=マクマホン協定 (b) バルフォア宣言 (c) サイクス=ピコ協定 (d) ローザンヌ条約 問4 第1次中東戦争の原因となったものを,次の中から選べ。 (a) スエズ運河国有化 (b) 石油戦略の発動 (c) イスラエルの建国 (d) クウェート併合 問5 第3次中東戦争においてイスラエルが占領した領土として適切でないものを,次の中から選べ。 (a) ヨルダン川西岸 (b) アナトリア高原 546 (c) ガザ地区 (d) シナイ半島 9 ユダヤ人の歴史 547
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