A net Vol.9 No.3 2005 西宮市立中央病院 麻酔科・ペインクリニック科 部長 前田 倫 医療水準に関しては、優等共産国であったユーゴで ボスニアの地雷疼痛プロジェクト あり理学療法は汎く普及しています。ワークショップ でも脊髄刺激療法を論じるなど教育水準は高い印象を かい り ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)は、多民族、多宗 受けましたが、しかし、理論と臨床との間に乖離があ 教、複雑な文化背景と歴史をもつ旧ユーゴスラビア連 ります。衝撃的だったのが、スルプスカ共和国の首都・ 邦 1)の 1 共和国で、1992∼1995年、第 2 次世界大戦後 バニャルカ大学病院で見た肺切除の分離肺換気麻酔 の欧州最大の紛争を経験し2)、安価(¥300/個)に大量 で、モニターを一切使わ(え)ず脈診のみで行っていま 生産できる対人地雷が頻用され、現在も四国・九州を した(写真1) !Director に支障がないか訊くと、”We 併せた面積の国土 (人口220万人)に130万個の地雷が敷 have good experience.”と、にこやかに答えてくれまし 設されています。その被害は国際的にも深刻な問題で、 たが、麻酔担当医はうら若き女性residentであり、複 この紛争を契機にICBL(国際地雷廃絶運動)が1997年 雑な気になりました。修理や消耗品の調達が高額(新 ノーベル平和賞を受賞しました。一方、IASP(国際疼 品の方が廉価)であり5)、日常的な医療機器が使えませ 痛学会)3)・ICBL4)の主張通り、国際的にも対人地雷 ん。Logisticsは国際協力の宿命的課題で、何処に行っ 被害者の慢性疼痛(地雷疼痛)は放置されています。 ても一様にもどかしい思いをします(綱領に国際協力 BiH も例外ではなく、スルプスカ共和国(セルビア を謳う日本麻酔科学会の協力を!) 。原因は財政以外に、 人・セルビア正教) とボスニア連邦(ボスニア人・イス 硬直した社会主義体制の遺残にもあり、このような状 ラム教)の 2 政体に分裂した状態で、幻肢痛・CRPS 況でペインクリニックは皆無です。実際、理学療法で 等の慢性疼痛の実態は不明であり、ペインクリニック もありません。ボスニア連邦の要請を受け日本政府が 決定した「地雷疼痛へのペインクリニック」プロジェ クトに、私は、国際協力機構(JICA)の専門家として、 首都サラエボにある NGO(HOPE ’ 87・BiHで唯一の ペインクリニック)と提携して参加しました。 脈診だけで分離肺換気麻酔を行っている! 私の任務は、まず医療水準や地雷疼痛の実態の調査 に始まり、HOPE ’ 87で幻肢痛を中心に慢性疼痛を治 療し(技術移転)、滞在の最後にペインクリニックの ワークショップを開催すること(知識移転)でした。こ のワークショップは、紛争後途絶えていた両政体の麻 写真1 脈診のみで分離肺換気麻酔(笑気60%)を行っている光景 酔科医の交流を再開させる目的がありました。 担当麻酔科医はうら若きレジデント。 38 海外体験記 治療の難しい幻肢痛などはHOPE ’ 87以外の場所で眼に 地雷疼痛は世界的に放置されている することはありませんでした。 保健省次官との会見でも、「余裕がないので国家と して地雷疼痛を放置せざるを得ない」との発言があり ました。当然、政府公式統計もありませんが、ICRC (国際赤十字)、Handicap International(本部:フラン ス。地雷除去及び処理を行うNGO)などの統計では、 ボスニアには四肢切断被害者が5,000例います。Kooijmanの疫学調査6)を外挿すると、幻肢痛は4,000例、難 治例が500例と推察されます。実際、私が診察した四 肢切断31例中、幻肢痛は26例、難治例が13例でした (写真2)。御存知のように幻肢痛は治療が難しい疾患 きっきん であり、まずは内服と神経ブロックの導入定着が喫緊 の課題と考え、今回は、初歩的な抗鬱薬の処方と硬膜 外ブロック手技を中心に技術・知識移転をしました。 両政体間の麻酔科医の交流は続いており、JICA の新 理念「人間の安全保障」を忠実に体現するプロジェク トとして継続しています。 幻肢痛を中心とする地雷疼痛は国際的にも未開拓分 野で、どこの国、どこのNGOも、義肢までが援助の 限界であるのが実情です。ボスニアで巧く治療モデル を築ければ、他の地域、例えば、現在最も深刻なアフ ガンやカンボジアにも適用できるはずです。そのため には、BiHに少なくとも 1 つ、ペインセンターを設立す ることが必要だと考えています。確かに幻肢痛の治療 は難しいですが、私の属する阪大ペインクリニックでも、 鏡療法など低費用で確実に効果を出せる方法を探って います。今後の発展に期待して下さい。同時に、綱領 に国際協力を謳う日本麻酔科学会の協力を重ねて期待 しています。最後になりましたが、推薦して戴いた、 小川節郎教授(当時・日本ペインクリニック学会長)、 ひろ 私の想いを寛い心で受け入れて下さった大阪大学麻酔 科・真下節教授に衷心から感謝の意を表します。 注1)ユーゴは以下のように称される。 「7つの国境、6 つの共和国(スロベニア、クロアチア、 セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、 モンテネグロ)、5 つの民族、4 つの言語、3 つの宗教、 2 つの文字、1 つの連邦」 注2) スレブレニッツアでは、秘密裏にボスニア人6,000人が 殺害されていた。このような行状に対してミシェロ ビッチ元大統領は国際法廷で訴追されている。 注3) http://www.iasp-pain.org/PCU98b.html 注4)http://www.icbl.org/lm 注5)硬膜外カテーテルのセットが70ユーロ (1 ユーロ=約¥140、2005年現在) 写真2 無差別に地雷が敷設された結果、被害者は若年者が多い 失業率40%のなか、就職が厳しいが、両下腿を失った彼女は sound editorとして働いている。 注6)Kooijman CM, Dijkstra PU, Geertzen JH, et al.: Phantom pain and phantom sensations in upper limb amputees:an epidemiological study. Pain 87:33−41: 2000. Profiles 前 田 倫 まえだ・りん 略歴 1986年:京都府立医科大学卒業 大阪大学医学部麻酔科学教室入局 1995年:市立芦屋病院麻酔科医長 麻酔科の再開+ペインクリニック科を新設 10年の後、 2005年:西宮市立中央病院麻酔科・ペインクリニック科部長 に異動したばかり。 漂泊の想いやまず、第34次南極観測越冬隊(1992∼1994年、医学・医療・文部技官)と して昭和基地に滞在。1996年にはNASDA(宇宙開発事業団、現・JAXA)の宇宙飛行士選抜試 験を受験し、2次選考(48/572名)まで進む。本稿執筆中、軌道上にいる野口聡一MSは受 験仲間。本稿の他、カンボジアでの口唇口蓋裂医療支援(オペラシオン・ユニ)、ネパール での白内障医療支援(アジア眼科医協力会)に参加。ペインクリニックと国際協力がライフ ワーク。 39
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