対 談 「これでいいのか?日本の教育」 ―これからの教育を語る会― □ 2010 年 3 月 27 日(土) 午後 1 時半~ 4 時 福岡天神センタービルにて開催 □ 目 次 第1部 対談「これでいいのか?日本の教育」 第2部 ケーススタディ「寮生活と学び」 ― 自由学園女子部・男子部生徒による寮生活における自治の報告― 第 3 部 対談者によるコメント・質疑応答 □ 対談者プロフィール 増田 健太郎 市岡 揚一郎 九州大学大学院准教授 自由学園理事長・元日本経済新聞取締役論説主幹 教育学博士・臨床心理士 作家:水木楊 著書『東大法学部』他多数 NPO法人九州大学『こころとそだちの相談室』専務理事 『信頼を創造する公立学校の挑戦(編著)』 『カリキュラムマネジメントの定着過程 ( 共著 )』他 著書及び論文多数 更科 みなさん、こんにちは。本日はお忙しい中、こ れからの教育を語る会にご参加いただき、誠にありが とうございます。私、本日司会を勤めさせていただく 自由学園の更科と申します。よろしくお願いします。 早速ゲストの先生をご紹介したいと思います。みな さんから向かって右手、増田健太郎先生です。増田先 生は九州大学大学院准教授であられ、教育学博士、臨 床 心 理 士、 そ し て NPO 法 人 九 州 大 学 こ こ ろ と そ だ ち の相談室専務理事でおられます。教育の世界では教員 のメンタルヘルス、その他、子どもたちにとって自発 性が大切というふうに実践されていらっしゃいます。 みなさんから向かって左手、市岡揚一郎自由学園理事長です。市岡理事長は自由学園最高学部を卒業後、日本経 済新聞社に入社し、ワシントン支局長、外報部長、論説主幹を経て、現在は水木楊のペンネームで作家活動もされ ています。著書、『東大法学部』では日本のエリート教育に対して警告を書かれております。それでは対談、『これで いいのか?日本の教育』、始めさせていただきます。先生方どうぞよろしくお願いします。 市岡 みなさん、こんにちは。土曜の午後ということでございますけれども、こんなに沢山の方に私たちの催しに ご参集いただきまして、真にありがとうございます。 『これでいいのか?日本の教育』というタイトルを考えましたところ、少し刺激的すぎる、挑戦的すぎる、謙虚さ が足りないんじゃないかと、色々な批判がございました。しかし、隣に座っていらっしゃる増田先生とメールを何回 か交換をしているうちに、やはり今の日本の教育は問題があるぞという共通認識があるということが分かりましたの で、『これでいいのか?日本の教育』に最終決定いたしました。対談形式で、その問題の所在と解決のための新しい 実験、これから日本の教育というものはどうあるべきかについてお話し合いをしたいと思います。 それでは最初に、増田先生から 20 分くらいパワーポイントを使ってご説明をしていただき、その後私がコメント させていただいて、交互に意見を交換するという形で進めたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いします。 ■ 子どもたちはなぜ手を挙げないか 増田 まず 1 枚の写真を見ていただきたいと思います。これはアメリカの小学校だと思いますけれども、はつらつと 手をあげてます。自発的に自分で、当ててという感じで生き生きとしています。 今私は九州大学や他の大学、さらに幼稚園から小、中学校まで教えたり研修会に行ったりしてますけれども、その 中で感じることは日本の子どもたちに自発性がいつの間にか消えているということです。大学に入ってもなかなか自 発性を発揮できない。大学で何か意見があるかと言っても誰も手を挙げない。シーンとしている。 学生に聞きますと、小学校までは手をあげてた、頑張ってた、でも中学校から高校にかけて一方通行の授業を受け てきたので手を挙げることに馴染んでない、ということでした。 ■ キーワードは自発性 ノルウェー、フランス、アメリカと海外の学校も調査しましたけれども、日本の教育は上に行けば行くほど黙って ノートをとって、知識偏重型になりつつある。他の諸外国は上に行けば行くほどディスカッションが多くなる。昨年 韓国で発達障害のことで講演をしたんですけれども、「質問は」と問うと、手がぽんぽんぽんと挙がります。日本だ とそういうことはほとんどありません。 ですからキーワードは自発性。自分が関わった幼稚園から小学校、中学校について少しお話をさせていただきます。 1 枚の写真があります。これは北海道の美唄市という炭鉱があった市の幼稚園の写真です。とてもこの写真が好きで 研修会、講演会の度に用いるのですけれども、何がいいかといいますと、この先生の温かい感じですね。先生が二人 いらっしゃいます。 この中に発達障がいを持った子どもさんがいらっしゃいます。子どもたちは生き生きと玉入れをしています。何が 大事なのか。やっぱり見守るということです。 そしてその美唄市に対する思いや、子どもたちに対する思いを先生が年長の子どもたちに伝える。そしてその年長 の子どもたちは年中の子どもたちに伝える。幼稚園生ですから、つたない言葉ですけれども思いは伝わるということ ですね。『伝える』だけではなくて『伝わる』教育ですね。一方的に伝えただけでは伝わらないことは沢山ある。 ■ 子どもたちのアイディア 今度は小学校です。1 枚の写真をまた見ていただきます。これは福岡市のある小学校なんですけれども、校舎の間 の駐車場です。小学校 4 年生の子どもたちのアイディアで、これがあるものに変わります。これを「ビオトープ」と いいます。ビオトープというのは生き物が住むところという意味ですけれども、先ほど駐車場だったものが大きな池、 それから川、向こうに田んぼに変わりました。それから山もある。 九州工業大学の伊東啓太郎先生と一緒にプロデュースしたんですけれども、9 割は子どもたちのアイディアです。 ビオトープを作る過程に関しては後でお話をしたいと思います。この中で子どもたちは走り回って土をこねたり、そ れから周りを走り回って鬼ごっこをしたりします。面白いことに子どもたちはここを跳んでいこうとします。ここに 島があります。降りてきて走ってぽんぽんと跳べるようにしてます。 そこで反対がありました。先生方の中には池を作ったら危ないじゃないか、と、汚れるじゃないか、と。実際に何 人も落ちて泥んこになった子どももたくさん居ます。でも、それでもいいじゃないかと。そこで学ぶことも大きい んじゃないか。 ■ 実際の体験の大切さ このビオトープを作ろうというのは本当に偶然から生まれたもので す。ビオトープを作っていますと命を育む営みも行われます。鴨がやっ て来て卵を産んでそして鴨の親子が泳ぐという。そのような命を育む 循環も体験することができる。ただ悲しいことに、この鴨の親子は猫 に食べられてしまったという。ただそれも 1 つの教育だろうと思いま す。 作って今 9 年目ですけれども、色んな授業がそこで展開されている ということです。わいわいがやがや、とにかくどんなビオトープがい い の か 考 え る。 時 に は 真 面 目 に 考 え る。 両 方 必 要 だ ろ う と 思 い ま す。 わいわいがやがやだけではなかなか上手くいきませんけれども、時々 真面目に考える。公園の模型作りをしたり、ビオトープの設計をした り、ビオトープの遠足をしたり、ビオトープの発表会をしたりしてビ オトープを中心に色んな理科や社会や時には詩を作ったりですね、授 業が展開していく、ということを続けているというところです。 こういう実際の体験というものが今の子どもたちにとっては必要なのではないか。後でご紹介があると思います けれども、自由学園は正に本物の教育ですね、農場だったり植林地だったり本物の中で教育をされている。いって みればビオトープというのは自然といっても作り出したものです。ま、公立の小学校ですからここが限界かと思い ますけれども、1 つの本物を通して学んでいくということが非常に大切なのではないかなというふうに思っています。 ■ 教師に求められる力とは 続きまして中学校です。これは体育会の 7 段ピラミッドです。7 段ピラミッドというのはなかなか作るのが難しい。 でもそれに挑戦させようということで、挑戦をさせたところの写真です。 これも福岡市の中学校ですけれども、10 何年間かずっと荒れが続いていた中学校でした。校長先生が変わられて何 とかできないだろうか。ということで改革を続けていかれました。最終的には子どもたち一人ひとりが生き生きと した学校に生まれ変わりました。 そのプロセスを本にもまとめましたけれども、要約すると次のような図になります。全体的には学校力をどう高 めるか。その時に校長のリーダーシップが必要である。だが、校長先生のリーダーシップだけでは上手く展開しま せん。そこで必要なのは、先生方の 3 つの力ですね。まずは、先ほど最初に言いました授業力。 一方通行の授業では子どもは生き生きとはしません。やっぱり双方向の中でこそ、子どもたちは自分の意見が言え、 そして自分が認められ、その体験を通して伸びていきます。 ■ 子どもの話を聞く力 それから指導する力ですね。7 段ピラミッドだったり合唱コンクールだったり子どもの自発性だけでは上手くいか ないところはきっちり指導する。 そして子どもの話を聴くという力。この 3 つの力が必要ではないかなと思います。私は今臨床心理学のほうにいま すけれども、臨床心理の中で傾聴、しっかりと聞く、共感しながら聞くということは大きなキーワードになってい ます。話を聞いてもらえるだけでほっとするということはたくさんあると思います。 どうしても先生の場合は話を聞く前に言ってしまいがちになる。しっかり聞きましょうということで、ゆったりと 聞く時間を設けたりもしました。で、学校の先生方に必要なことは授業力、指導力、相談力、そして先生方の関係性 だろうと思います。先生方は仲良くするということを学級訓とかに標榜されますけれども、先生方の仲が悪いという ところが結構あります。 やっぱり関係性ですね。教師に必要な力というのは社会的な基礎力です。コミュニケーション力です。 ご静聴ありがとうございます。 ■ 全国学力テストの愚 市岡 ありがとうございます。豊富な実例と教育に関する理論を、ご披露いただきまして大変勉強になりました。 私はジャーナリストあるいは作家として、そして教育機関の最終責任者であるという立場に立って、今、日本の教育 のどこに問題があるかということを 15 分くらいでお話をさせていただきたいと思います。 最大の問題は、知識偏重ということでございます。これは子どもを含め大人も含め、人間の覚えることにウェート がかかりすぎて、考えることのウェートが相対的にうんと低くなっている。 43 年ぶりに小学校と中学校の全国学力テストが復活をいたしまして、まあそれはそれでおやりになればいいんで すけれども。私の目から見ますと、なんというくだらないことをやってるのかな、という気がいたします。 大人が用意した問題にはすべて正解がある。大人の作った正解がこのペーパーの裏側にある。もとめられる答えを できるだけ早くたくさん導き出した子どもが優れた人間であるとみなされる。そういうシステムはおかしなことにな るのではないかなと思っております。 というのは、この世の中で万人が共通の正解などというのはないのでありまして、人それぞれに正解は違うかもし れない。ところが、必ず共通の正解があるんだという前提に立ってドリルに毛が生えたようなことをやっている。 全国学力テストのランキングを良くするために自治体は競争し、中には校長が正解をあごで指して、平均点を上げる とか、学校の平均を上げるために不登校の生徒をあえて呼ばないとか。実にくだらないことをやっている。 ■ 記憶の外在化 私のおりました新聞社で、50 年位前のことですが入社当時、超一流大学を卒業した秀才が同僚におりました。彼 の記憶力は凄まじく、東海道の鈍行の東京駅から神戸まですべて暗記している。歴代横綱の江戸時代からの名前も暗 記している。天皇の名前はもちろん暗記している。凄い人だなと思いました。 しかし彼の東京駅から神戸に至るまでの鈍行の駅が網代であるということは、彼の人生でどういう意味があるか。 今の文明は頭の脳を外に持ち出して、コンピューターのことですが、巨大な脳を作り上げている。 記憶の外在化と言いましょうか。そういう形で、記憶データを蓄積しているわけです。そうやって持ち出すと、脳に スペースができる。そのスペースを考えることに使わないで全国学力テストに見られるような、また同じ記憶データ を突っ込むことに使っている。 ■ 自分を愛せない子どもたち 子どもたちの頭の中に入っている記憶データは、誰のものでもあり誰のものでもないデータばっかりなんですね。 自分自身が色々な困難に直面し、失敗もし壁にぶつかりもし、そして乗り越え、ときに本を読み、人からも話を聞い て、できあがったものが知識である。知識とは東海道 20 番目の駅が網代であるということではなくて、自分仕様のデー タのことを、知識というのではないか。 みんなの頭の中に詰め込まれている知識というのは、誰のものでもあり誰のものでもない。そういう知識が頭の中 に詰まると、一体その人はどういうことになるかというと、自分がはたして自分であるのかわからなくなってくる。 自分の歴史、今まで歩んできた時間の経過ですら、何やら他人の解釈で済んでしまうようになると、何が起きるか。 自分が自分のことを、愛せなくなっちゃうんですね。自分が色々苦労して、その苦労に裏付けられた知識ではない から、自分自身が誰だか分からなくなって、自分が愛せなくなって しまう。 自分が愛せない人間に、他人を愛することはできない。大人が用 意した正解をいち早く引き出すということを繰り返してきた人た ち は、 新 聞 社 に も た く さ ん 入 っ て く る。 新 聞 記 者 に な る 人 間 は 嫌 な 男 が 多 く、 俺 が 俺 が っ て 主 張 す る 人 種 で す け れ ど も、 最 近 は 記 者クラブに配属されると、「マニュアルはないか」っていうんです ね。 ■ マニュアルを求める青年たち ロッキード事件の堀田力さんが書いていらっしゃったことですけれども、世界各国の青年を乗せてですね、ずーっ と旅をする「青年の船」というのがある。色んなテーマについてディスカッションをするんですが、英語をきちっと 喋れないような発展途上国の青年が、みなさんの意見はどうだっていうと、みんながはい!はい!って手を上げて凄 いブロークンイングリッシュで自分の意見を述べる。ところが不思議なことに、日本の青年たちは手を挙げない。しー んと黙ってる。 英語ができないのかというと、そんなことはない。ご飯のときになると結構喋ってる。しかし、ディスカッション に参加しないでですね、終わってレポートをみんな書くんですが、青年達が堀田さんのところへやってきて、「正解 はなんですか」と聞いたそうです。 大変びっくりしたということを書いていらっしゃいました。マニュアルをもとめる、答えがあるに違いないというも のの考え方が組み込まれてしまったということです。 それで次に参りたいんですけれども、そういった意味で増田先生には、色んな形で包括的にお話をいただいたわけ ですけれども、更に進んで、子どもたちが自分を尊ぶ心を持つにはどうしたらいいんだろうかということと、学校の 役割、親の役割について、どのようなご意見をお持ちかお伺いしたいと思います。 ■ 何をやったらいいのか分からない若者 増田 自分を尊ぶ、つまり自尊感情といいますけれども、自分が好きになる、自分が大事であるという感覚は人から 認められて初めて自分が大事なんだなと実感するんじゃないか。難しい言葉ですけれども、コンプリメントという言 葉があります。コンプリメントというのは承認するとか誉めるとか、そういうふうに訳されますけれども、自分が何 かやった時に、あ、これ良かったね、ここが良かったね、これいいね、あなたのあの作品素敵だね、そういうたった 1 つの言葉で子どもは誉められたと感じることができます。 そうやって言葉で認めてあげるというのが 1 つ。2 つ目は言葉ではないもの、態度だったり表情だったり、そうい うもので認めてもらう。実は心理学の中である実験をしたところ、言葉で通じるのは 7%、態度、表情で伝わるのは 55%という実験結果も出ています。言葉だけではなくて表情だったり態度だったり、「あなたを受け入れますよ」と いう身体で表れる部分が非常に大事なのではないかなと思います。そうやって周りに認められていくと、自尊感情と いうものは育っていくのではないか。 ■ 親の役割 1 つ注意をしなくてはいけないのは、あまりにも幼少時から認めて誉めて誉めてだけでいくと、今度は、ちょっと 難しい言葉ですけれども、幼児性万能感といって、なんでも自分はできると思い込んでしまうということも起こって きます。何事もバランスの問題です。 親の役割について、あまり使いたくない言葉ですが、モンスターペアレンツという何かあれば学校に文句を言う、 クレームをつけるという保護者の方が多い。私の専門である臨床心理学の中で、教師のストレスについて研究もした んですけれども、一番は教師同士の人間関係。それから保護者からクレームをつけられて参ってしまうという先生も 結構いらっしゃいました。 幼稚園の場合、毎日迎えに行ったりして先生と話をするからいいし、小学校は連絡ノートで色々な話をしたりする。 けれども、中学校、高校になると学校から電話があるのは悪いことばっかり。結局自分の子どもは何をしているのか わかんない、ということになります。先生方は、やはり良いことも頻繁に保護者の方に連絡をすることが必要なので はないか。その中で自尊感情というのは培われていくものではないかな、というふうに思います。 市岡 自尊感情ともう 1 つの問題があります。実は私事になるんですけれども、友人から息子の就職の相談に乗って やってくれないかとリクエストがあった。会ってみて、大変驚きました。彼が聞いてくるに、『僕は何が向いてるの でしょうか』。 要するに自分が何をしたいのか分からない人が増えている。本来なら新聞記者になりたいからどういう勉強をしたら いいかとか、テレビ局に入りたいので、どういうことをやったらいいか、と聞いてほしい。そういうことなら私もサ ジェスションができるんですけれども、「何が向いてると思いますか」と聞かれても分かるわけもない。 それが実はさっき申し上げたように、自分の頭の中に詰まっているものが自分の記憶データではなく、自分が一体 何者であるのかわからなくなってしまっている、ということと関係があるのではないか。 ■ 二極分化 増田 自分がなにをやりたいのかっていうのがわからない子どもというのは、結構多いのではないでしょうか。大人 もそうですよね。アイデンティティ、自己同一性といいますけれど、自分が自分であるということが保てないってい う方も結構いらっしゃいます。子どもに関していえば、夢をもてないっていうのは、テレビやインターネットなどで 色んなリアルな情報を、情報化社会ですから耳に入れている、目で見ている。その中で諦めモードみたいな子どもと いうのは結構多くなってきているのではないかなと思います。 これはよく言われてますけれども、格差ですよね、2 極分化していっている。やれる子は自分で勉強して何かに向 かってやってますけれども、何に向かってやっているのかがはっきりしない。ただ、いい大学いい高校に入るために やっている。その先のものが見えてない子どもというのは一定数いるように思います。 もう一方で、何をやっても上手くいかず、叱られることが多くなり、やる気がないことを学んでしまう。そういう ふうに厳しくやっていくと達成感を持てずに、何かやったら叱れるということが結論としてついてきますので、やる 気がなくなっていってしまうのですね。これを学習性無力感といいますが、そういう子どもも増えてきているように 思います。 ■ 夢と現実のすり合わせ 人間というのは誰も自己実現の欲求を持っている。この自己実現というのは平たく言えば夢ですけれども、子ども なりにこれはやってみたいとかいう思いがある。その思いをみんなが持っているんだということを、しっかりと大人 の側が認識しておくことが必要なのではないか。例えば小学生だとプロ野球選手になりたいとか、芸能人、歌手にな りたいとか俳優になりたいとかそういう夢を持っている子どもって結構いるんですけれども、だんだん現実を知る。 現実を知るというのはいい側面もあります、自分の身の丈を知るというか自分の力を知る。ただし、そこで諦めると いうことになってしまいます。 諦めないで続けていくためには、周りからの補助が必要になる。ある調査では、小学校のときの夢を叶えてなりた い職業についた人は 2 パーセント。じゃあ残りの 98 パーセントの人はどうかというと、自分の夢ではないけれども、 それなりの仕事をしているわけですよね。 ■ 夢は変わるもの ある小学校の総合的な時間で来てくれといわれていきました。夢について、自己実現について話をした。第一次産 業、第二次産業、第三次産業で、一次産業は農林水産業、第二次産業は工業、第三次産業は商業ですね。どれに就き たいかというので 100 人近くの生徒さんを集めさせました。そうすると 98 人が第三次産業でした。サービス業につ きたいと、商業につきたいと。で、第一次産業、第二次産業が一人ずつでした。 えっ、と思いました。で、1 つはそこで子どもたちに考えさせました。しばらく待っていると、これだと日本の国は 成り立たないよね、という呟きが聞こえてきました。 そのとおりです。第一次産業、第二次産業があってはじめて第三次産業は成り立つわけです。で、自分の夢だけを 追い求めてみなさんが成りたい職業になっていたら、社会は成り立たないわけです。 そのことに子どもたちは気づきました。何が言いたいのかといいますと、自分の夢というのは変わっていくものです。 その時に社会の要請、社会の状況とつりあわせながら自分の夢を変えていく。変えつつも自分はこうなりたいという 思いを持つ。ちょっと二律背反的ですけれども、そういう作業が中学校、高校には必要なのではないかなというふう に思います。 自分がやりたかったのはこれだ、これはできないから止める、ではなくてそれを変更する力、そういう力も必要な のではないかなと。それが中学校、高校の進路選択ですね。いい言葉でいえばキャリア教育というしゃれた言葉がつ いてますけれども、将来の職業と自分とを結び合わせていく教育です。 その中で仕事の中で自分が自分に合った仕事について、意味付けをしていく。その意味付け、価値付けをしていく 作業というのが必要なのではないかなと思います。 ■ 戦前の教育制度にも良いところがあった 市岡 人間の中には競争心というのも当然あるのでございまして。これは決して悪いことじゃない。むしろ必要かも しれない。しかし、バランスを失し、競争心を煽るシステムにウェートがかかりすぎているんじゃないか。人間の中 には人に勝ちたいという気持ちと同時に、人と協力したい、人の役に立ってあげたいという欲求もある。そっちの方 はうーんと軽んじられてしまっている。 そこから落ちてしまった子どもたちはコンチクショーとファイトを燃やすよりも、結局色んな問題は自分がいけな かったんじゃないか、自分が悪かったんじゃないかと落ち込んでいく。そして自らを尊ぶ気持ちを失ってしまってい るというような傾向もあるんじゃないか。 戦前の教育制度は、色々な弊害があったわけだが、全部が悪だと片付けるのは公平ではない。戦前は、実は子ども たちが育っていく選択肢が結構広かった。小学校で終わる人もいたし、これ全然恥ずかしいことじゃなかった。 それから小学校の上に高等小学校というのもあった。かなりの部分は高等小学校で職業についていった。田中角栄な んかそうですけどね。松下幸之助も本田宗一郎もそう。実は戦後の日本の産業界を作った人はみな高等小学校です。 小学校、高等小学校、専門学校、師範学校、陸軍幼年学校とか海軍兵学校、もちろん中学校もあれば高等学校もあった。 そして更に大学というものがある。選択肢が複々線になっていたんじゃないか。 ■ 選択が単線になってしまった ところが戦後は全部一本化になって、単線になってしまった。したがって乗るか、降りるかの選択しかない。そし てさっき申し上げたような浅薄な知識の有無で優劣が決められ、ふるい落とされていって、結局自分は人間的な価値 がないんじゃないかという気持ちにすら子どもをさせている。 もっと多様性がなければいけない。落ちていった、あるいは一番になれなかった子どもたちは、何に逃げるかって いうとメールです。メールというのは大変便利なものでありまして、好きな人とだけ付き合っていればよろしい。そ の結果、自分と違った欲求とか自分と違った価値観とか背景とかを持つ人々がいて、そういう多様な人たちと時には 衝突することもあれば、時には折り合っていくことを経験しないですんでしまう。 メールの心地よい関係だけに逃れて社会に出た若者達に、共通しているのは大人とのコミュニケーションが真に下 手ということです。違った世界の人とコミュニケートしていくのも下手。ちょっと厳しいことを言おうものなら『人 格を傷つけられた、あの上司に人格を傷つけられました』って切れちゃうんですね。あっという間に辞めてしまう。 その辺はいかがでしょうか。 ■ ストレスマネジメントの大事さ 増田 今、ちょっとしたことで切れてしまう子どもっていうお話がありましたけれども、確かにそういうことはある。 ストレスマネジメントができない。自分のストレスは今こんな感じなのでこうしたいということになって、ここはリ ラックスしようというマネジメントをすることができない。 異文化の人と関わる、コミュニケーション力ですね、それは同一学年ではなくて異年齢の人と関わる。それから異 年齢の人と関わりながら話をして話を聞く。 昔は子どもの中に仲間集団の社会があった、地域社会があった。それが分断されて孤立化されている。核家族になっ て、地域の中のコミュニケーションがなくなってきている。それを補いつつ伸ばしていくのは学校教育でしょう。 学校教育の中では同一学年内の交流が主体になりますけれども、それだけではなく異年齢の異学年と交流するという ことも必要になってくる。1 年生から 6 年生まで、中学生なら 1 年生から 3 年生まで縦に集団を作ってやるという異 学年交流というのはよく学校ではとられています。 ある小学校では、きょうだい学年というのを作りました。兄弟学年というのは 1 年生と 6 年生、それから 2 年生と 5 年 生、3 年 生 と 4 年 生 で 異 学 年 を 組 む。 そ こ の 小 学 校 で は 1 年 生 と 6 年 生 を 2 階 に し て 同 じ フ ロ ア に し た。2 年 生 と 5 年生を 3 階で同じフロアにする。 3、4 年生は、4 階で同じフロアにする。生活空間も一緒にする。そしてもう 1 つの特徴は、職員室の机の配置も 1 年生 6 年生、2 年生 5 年生、3 年生 4 年生で一緒の机にすると。そうすると何が起こるかといいますと、先生たちが まず話すようになるんですね。 ■ 見守ることの大切さ コミュニケーションをとるときには、場所というのは非常に大事です。場所が近いと話します。場所が遠いとよっ ぽどの用事がない限り話をしない。 1 年生と 6 年生の先生方が常時話をすると、次は一緒にこの国語の授業をしようとか、6 年生をミニティーチャー として 1 年生に派遣しようとかそういう話がでてきます。2 年生と 5 年生でも一緒に遠足に行こうとか、スケッチ会 を一緒にしようとかそういう普段の先生たちのコミュニケーションから新しい取り組みが生まれます。 もう 1 つは異学年の中で喧嘩が起こります。2 年生と 5 年生で喧嘩が起こると、5 年生のお兄ちゃんお姉ちゃんでしょ ということで自覚を持たせることができます。唯一あんまり上手くいかなかったのは 3 年生と 4 年生ですね。 あまりにも年齢が近すぎる、年齢が近すぎることによって喧嘩やトラブルが起こるわけですね。4 年生にお兄ちゃ んだろと言っても 1 つしか違わない。しかし、そうやって喧嘩が起こると、兄である姉であるという自覚がないと分 かる。そういうことがわかるだけでもいいのかなと思います。 異文化のコミュニケーションというのはトラブルがつきものです。トラブルや失敗を最初から回避するのではなく て、その教育の想定内にいれておくことも大事だと思います。これぐらいだったら子どもたちに任せようとか、これ 以上だったら教員が介入しよう、介入という言葉は強すぎますけれども、関わろうとか。そういう大人と子ども、子 どもたち同士で解決できることは子どもたちに任せて、ただ大事なことは任せっぱなしではなくて見守るという作業 です。 見守るという行為が必要だろうと思います。見守りながら子どもたちが失敗したら少し声をかけるとか、少し話を 聞いてあげるとか、そういうことは必要なのではないかなというふうに思います。 ■ 子どもにルールを作らせる 市岡 子どもたちの自発性に任せる、自治ですね。しかし、自由放任でなんでもやんなさいよってわけにはいかない。 誘導をしながら、自治ができるような環境を与えながら、かつ子どもたちの創意工夫を生かしていく。これが結構難 しいことなんですね。とかく『ああしなさい』『こうしなさい』と言ってしまって、生徒をがっくりさせてしまう弊害 もあれば、じゃあ何でもやりなさいっていったらもう無茶苦茶をはじめる。この辺の舵取りが大事ですね。 増田 任せっきりにしておくと、自発性というのは上手く生まれないような気がします。例えて、教育グライダー論 といわれる。グライダーというのは牽引が必要なわけですね。風を利用して飛んでいくわけですが、昔の子どもは、 私が学生時代もそうですけれども、グライダーではなくてプロペラ機なりジェット機なり、自分でものを考えて自分 でやる力があった。 今の子どもたちは牽引というものが大事なんではないか。その時に子どものやる気を育てるといいますか、自発性 を育てるときに、内発的動機付けと外発的動機付けという二つのキーの概念があります。 内発的動機付けっていうのは自分がやってみたい、楽しい、面白いというものです。外発的動機付けというものは 競争させたり、それから賞罰ですね。これやったらこれあげるよ、ということで動機付けをさせるものです。その 2 つがありますけれども、日本の教育は、どちらかというと外発的動機付けで成り立っている部分というのが大きい。 そこで内発的動機付けですね。これ面白いな、というものを感じるということが大事です。発達心理学でいうと 2 歳、 3 歳、4 歳は、いわば哲学の時代ですね。どうして、これなに、あれなに、どうしてこうなるのと聞く時代になります。 子どもはもともとは色んなことに興味関心を持っているわけですね。それを大事に育てていくと、自分で調べていく ようになります。 自由学園さんの方もどうしてという問いを大事にしてプログラム、カリキュラムを組んでいると思いますけれども、 やはり子どもに興味関心があるものを提供しつつ、そしてその中でルール性だったりそのものの本質だったり、そう いうことを学ばせるということは必要なことではないかなというふうに思います。 ■ 子どもたちの五感を軽んじている 市岡 先程の、覚えることにウェートがかかりすぎてしまったという話に関連して、人間には五感というのがあるん ですね。視覚もあれば聴覚もあるわけで嗅覚もある。この五感を軽んじすぎてるんじゃないか。綺麗だな、醜いな、 いい音楽だなと、色んなことを感じる心と力が軽んじられている。 親や教師の役割は、必要なことを「ああしろ、こうしろ」ということではなく、教室の机の前だけじゃなくて、さ まざまな空間で子どもたちが一体何を感じて、何に興味を抱き、何を考えて、どんなふうに行動をしたいと思ってい るのかをよく観察することから始めなければならないのではないか。辛抱強く観察することから始めなければいけな い。 教師や親がルールを作りすぎる。子どもはそれを守らなきゃならないと考え、窒息状態になってしまう。これはまず い。しかし、放っておくと、何をするかわからない。安全性の問題もある。この兼ね合いをどのようにするか、土俵 をどう作ったらいいのかというのが非常に大きな問題なんです。 けれども、簡単な方法がある。それは子どもにルールを作らせるってことですね。つまり子どもに大いに議論をさ せてルールを作らせてみる。そうすると子どもは自分はこういうことをしたい、という気持ちがあると同時に、他の 子は別のことをしたいんだということを発見して、ガンガン議論をする。そして自分達でルールを作っていく。これ が一番望ましいことじゃないかなというふうに私は思います。 ■ 海にいった効用 増田 子どもたちにルールを作らせることは大事ですね。押し付けのルールだとなかなか守らないけれども、仲間の 関係性があると、自分達でルールは作れていくんじゃないか。ある程度任せられるとやろうという気持ちになります。 先ほど話の中で子どもを観察することと、感じることは大事であるというお話がありましたけれども、そこでちょっ と連想したことがあります。 あ る 大 学 で 教 育 カ ウ ン セ リ ン グ と い う の を 受 け 持 っ て ま し た。 カ ウ ン セ リ ン グ に つ い て の 理 論 と 実 戦 を や っ た。 190 名程度ですが、1 コマ使って海に行こうと提案しました。歩いて 30 分くらいかかるんですけれども、学生達はな んで連れてこられたのかわかんない。ただ普通の授業じゃないからいいやって感じの学生が 8 割、面倒くさいという 学生が 2 割ぐらいいました。 海に行って 30 分間自由にしてくださいといいました。そしたら、何をしていいかと学生はきょとんとするんですね。 自由というものがよくわかってないというか、大学の授業でこんな授業があるとは思ってなかったのできょとんとし ちゃう。 なにやってもいい、遊んでもいいし寝てもいいしということで自由にさせます。そうすると砂で遊んだり海の波の 音を感じたりとかそれから風を感じたりとかいうことでボーっとしている学生もいました。 その終わった後に風と波の音には癒す効果がある。そして砂遊びにも癒し効果がある、というお話をしました。そ うすると学生は納得をしてました。そういえば砂遊びをしてなんか自分はほっとした気がしたのでしょう。子どもた ちはよく手遊びしたりとか、粘土が好きだったりします。それは癒し効果があるわけですね。 ■ 砂遊びの癒し 砂遊びにも癒し効果があるわけです。それを学生達は体験をしたわけです。 体験をした後には必ず概念や、意味づけをしたりするということは大事です。そうするとその体験したことを後で 取り出すことができるわけです。ですから、海に出て波が癒し効果があった、癒し効果がある、風にもある、砂にも ある、ということを概念、意味付けして覚えておくと、次に自分の心が少し疲れたときに海に行こうという気持ちに なるわけですね。 後でレポートを見て感じたんですけれども、海にそういう癒し効果があるということを、7 割ぐらいの学生にはそ ういう発想がなかったわけですね。ですから大事なことというのは子どもたちに体験をさせる。そしてそれを意味づ け価値付けをする。そのことは、大学生でもそうですから小中高生には非常に大事なことではないかなと。 今度は私の方から質問なんですけれども、自由学園さんは体験を重視される。壮大なるカリキュラムがあると思いま すけれども、どういう体験を中心にカリキュラムを組まれているのか。そのカリキュラムを組むときの苦労だとか工 夫だとか。子どもたちの成長を実感するときだとかそういうものがありましたら教えていただけたら。 ■ 「 生 活 即 教 育 」と は 市岡 自由学園のことは話さないつもりでいたんですけれども、ご質問がありましたのでお答えいたします。どうい うカリキュラムを組むかということの前に、 『 生活即教育』という言葉があります。生徒の 24 時間すべてが教育である、 というとらえ方なんです。ですから英語の時間がございます、数学の時間がございます、理科の時間がございます・・・ ということよりも、24 時間すべての生活が教育だというふうに考えております。 例えば理科の教育でも、10 万平方メートルある自由学園のキャンパスが教育の場でもある。樹木が 4000 本以上あ りますけれども、例えばある紅葉の木が立ち枯れになりそうになっている、一体これはどうして、と考える。実は紅 葉の根っこはあまり強くなくて、みんながその上を歩いてるから立ち枯れになってるんだよ、と。じゃあ一体どうし たらこれをもう 1 回蘇生させることができるだろうかと考える。これは正に生物の勉強、理科の勉強ですよね。 それから食事をみんなが作る。この食事を作るときには材料を調達する。この材料のある部分は自給している。野 菜なんかはそうですけれど。女子部の場合、米は全部学内から出てくる薪を使って炊いている。薪を手に入れる、材 料を仕入れる、料理は一品じゃないですから、2、3 品をどのように作っていくか。 そしてどのようにテーブルの上に並べるかと、これは正に段取りなんです。ですから料理を作るという行為の中に は、生物も入っていれば、いくら掛かるかという経済の勉強も入っている。 どのように段取りをしていったらいいのか。これは人生ではとても大事な勉強です。こういう全部の 24 時間が教 10 育だととらえた上での、机の上のカリキュラムがあるとこういうとらえ方なんです。 ■ 料理には総合力が大事 増田 生活即教育ってのは素晴らしいなと思います。今お話の中にあったように、料理というのは総合力が必要です よね。やっぱり新鮮なものを選んだりとか、値段を選んだりとか。それから段取りよくしないと美味くならない。適 応指導教室にも関わってますけれども、適応指導教室でも調理、買い物からさせてそして調理をさせる。一緒に作っ たものを一緒に食べる。 調理は総合力が必要で、非常に大事だなって思います。小学校でも家庭科の中で子どもたちが作るのは調理です。 調理も任せると結構好きなものを作っていきます。回数を重ねれば重ねるほど段取りよく上手になっていきます。そ ういう意味で料理を中心に調理を中心に色んなものと結び付けていくというのは大事なことかなというふうに思いま す。 1 つ、ちょっと厳しい見方をしますと、生活即教育というお話がありましたけれども、率直な感想を言わせていた だくと、全体的に息苦しいかなって気もしないでもないですね。人間にはやっぱり表と裏があるわけで、生活がすべ て表舞台だと、ちょっと苦しいかなって感じたりもします。表舞台があって、そして舞台裏があって、そこで一呼吸 置いてまた表に出ると。そこを 24 時間すべてが教育だっていわれると、えーちょっと重たいなってのが率直なとこ ろです。言いにくいことを言いましたけれども、そこはどうでしょう。 ■ 反発する者もいる 市岡 教育って言葉は必ずしも適切じゃないかもしれない。むしろ、学びと言った方がいいかもしれない。教育とい うと何か大人ががんじがらめに教えているみたいなイメージなんですけれども、これは生徒が自発的に学んでいくと いう意味なんですね。 ただ率直に申し上げます。それは息苦しいと感じている生徒がまったくいないというふうには思いません。私も学 生時代 10 年間自由学園で育ち、卒業したんですけれども、なんでこんなうるさいこと言われるんだろうって反発を 起こし、あんまりいい学生、生徒じゃありませんでした。 委員会制度があって、一年 6 回、全員が候補者になって委員長が選ばれるんです。私は秋に委員長になったんです けれども、始終楯突いていたものですから、創立者の一人である羽仁吉一の前にいって、 『 今度、委員長になりました』っ て報告したら、開口一番何を言われたかっていうと、『おお、市岡も政府与党になったか』って言われましてね。 要するに何を言いたいかというと、皆びしーっとですね、24 時間生活すべてが教育ということで整然とやるなど ということはございません。息苦しいなと思って反発するのもいます。そこが人間の面白いところでありまして、正 にだからこそ教育というのは面白いんだろうというふうに思います。 ■ 教育とは価値観の伝承 そろそろ時間が参りましたのでちょっと思っていることを付け加えますと、教育とは一体何かってことなんですよ ね。教育ってのは一言で言いますと、価値観の伝承だと思います。ですから子どもの教育に困ってる人、どうしたら いいのかっていう人は、ちょっと厳しいことを言うなら、伝承すべき価値観に乏しいのかもしれない。 伝えるべき価値観があれば、それが最大の教育ですよ。別に口でわーわー言わなくても、伝えるべき価値観は子ど もたちは分かっていくと思うんですよね。 そして政府の教育方針、こんなに移ろいやすいものはないですよ。中央政府ほど振り返ってみれば、くるくる 10 年とか 20 年とか 30 年くらいの単位で価値観を変えている。こんな移ろいやすいものはない。あるときはゆとり教育、 あるときは急に学力重視になる。 大体、文科省が『個性を重視する』なんてことを画一的に要求すること自体が大変な矛盾です。とにかく中央政府 11 というものは時代から少し眼を離して巨視的に見ると、真に移ろいやすいものであって、そういうものにあまり左右 されては価値観を伝承するということはできない。 価値観はほぼ不変のものと信じられなければ、価値観にはならないわけで。くるくる変わる価値観なんてのは価値 観ではない。 そこで最後に、先生に 1 つお伺いしたいんですが、私学の役割についてはどう思われますか。 色々と多様な価値観が日本のあちこちにある。その中の 1 つとして私学というのは、やはり多様性を実現していく 上において非常に大事な役割を果たすと私は認識しているのですが、どういうふうにお考えでしょうか。 ■ 私学の役割 増田 公立と私学に分けて考えますと、公立はやっぱり、ほとんどの学生が行くところですね。私学は独特の教育を するというところで、やはり価値観をどこにおくのかというのは教育と密接に絡んでおります。 私学の役割というのは自分達のもっている価値観を子どもたちに伝承するという意味で大事ですけれども、一番忘 れてはいけないのは公とどう関わるのか、公の社会とどう関わるのかということだろうと思います。 価値観が唯我独尊的な価値観であれば、それはそこの社会の中だけで、学校の中だけで完結してしまいますので、 どことどう関わっていくのか、公の社会とどう関わっていく価値観なのかということが問われていくと思います。多 種多様な価値観をもった保護者の方、子どもたちがいますので、その中でやっぱり社会と家庭とを結ぶ中間点として 私学の独自の教育ってのは必要なのではないかなというふうに思います。 市岡 ありがとうございました。私も同感です。今の日本の教育の中で失われているもう 1 つのことは、公の為に何 ができるのかという視点ですね。そういうことを言うのは、なにやら格好悪いとか、口幅ったいとか、真にシニカル な風潮があり、公の概念が軽んじられてるんじゃないかなということを思います。 私学も独善的にならない為には自分たちの教育と活動が社会の為にどのように役に立つんだろうかという視点を絶 えずそれは忘れてはいけない。そういうことを、いつも強く意識していけばそれなりに私学の役割が果たせるんじゃ ないかな、というふうに思います。そういうことで丁度 1 分前になりましたので、この辺のところでですね、司会者 にバトンを戻したいと思います。ありがとうございました。 12 第 2 部 ケーススタディ「寮生活と学び」 ― 自由学園女子部・男子部生徒による寮生活における自治の報告― 更科 それでは第 2 部を始めます。第 2 部はケーススタディとして、東京にあります自由学園の生徒たちが発表をい たします。彼らは皆、北九州、福岡、熊本など九州出身で現在東京の自由学園の寮で生活をしています。それではよ ろしくお願いします。 山口(女子部高等科 3 年) 自由学園について報告します。 自由学園は東京都東久留米市にあり、東京駅から約 1 時間 の郊外にあります。約 3 万坪の敷地を有し緑に囲まれた キャンパスとなっています。ここに幼稚園から大学部まで、 3 歳から 22 歳までの生徒がいます。中等科高等科は男女 別学となっており、また敷地内に寮を備え、地方から来て いる生徒もたくさんいます。これは 2009 年度 4 月の生徒 の出身地別人数です。 女子部は全人数 312 人の内、約 4 割が、男子部は 178 名 の内、約 8 割が寮生です。東京近辺をはじめ、北海道や九州、 そして海外からも生徒が集まっています。 これから生徒の普段の生活を 1 日の流れにそって報告します。朝は全学年揃っての本鈴から始まります。毎日交替 で時の係が授業の開始と終わり、本鈴と解散など 1 日の時間の管理をしています。朝は毎日礼拝があり、みんなで讃 美歌を歌い、聖書を読みます。先生や週に 1 度は生徒が日常のことに関連付けてお話をします。授業は 1 単位 45 分 で 1 日 5、6 単位あります。週 6 日制です。自然豊かなキャンパスでは動植物の観察が身近にできます。 女子部にはお裁縫の授業があります。中等科 1 年生は、布団カバー作りから始まり高等科 3 年生になるとスカート やブラウス、さらには冬のコートまで作れるようになります。毎週 1 単位、クラスで話し合いの時間がもたれます。 そこはクラスや女子部や男子部について、みんなで良い事、改善すべきことなど話し合い、自分達を見直す機会です。 女子部では毎日の昼食は給食ではなく、学年ごとに交替で生徒が作ります。またご飯は薪を使って炊いています。 学年が上がるにつれてだんだん品数が増え、レベルも上がります。これは高等科 2 年生が作った料理です。魚を捌き、 和菓子、洋菓子もお食後につきます。また作るだけでなく、費用と栄養の計算もし、報告します。 男子部も週に 1 度生徒による昼食作りがあり、高等科 2 年生が担当します。自由学園ではお昼のお食事はみんなで 揃っていただきます。テーブルには他学年と座りますので交流の場になります。毎日 35 分間、自分達が生活してい る場所を自分達で清潔に保ちます。草取りや掃き掃除だけでなく、樹木の手入れや堆肥作りまで生徒たちの手で行わ れています。 またこれらの生活を支える委員会というものがあります。約 50 日の期間を中等科 1 年生から高等科 3 年生まで生 徒が名前順で担当します。生徒全員が経験する責任です。これは女子部の委員会の組織図です。一期約 30 人で構成 され、委員長、副委員長を先頭に庶務、食、住、農芸と 4 つの部にわかれています。各部に高等科 3 年生の主任がい てその下に下級生がつきます。 また寮長と寮の仕事をする寮の委員も委員会に属します。委員長、寮長は高等科 3 年生から副委員長は高等科 2 年 生から選挙で選ばれた人が就任します。選挙は委員になる人全員が候補者となり、生徒全員で行います。委員会は自 由学園の中心となる存在で生活がよりよくなるようにみんなに働きかけます。また自由時間を使い働きます。 掃除道具や調味料などをそろえたり、食事人数の統計をしたりと、このような細かな委員の働きによって生活が支 えられています。このように自由学園では生徒による自治生活が行われていて、お互いが信頼し支えあって暮らして います。時には失敗や上手くいかないこともあります。団体生活は一人ひとりの力が合わさり、大きな力となりま すが、たびたび衝突することもあります。しかしそのつど話を重ね、また先生や大人の力も借りつつより良い生活、 そしてより良い団体になることを日々目指しています。 池本(女子部高等科 2 年) 女子の寮である清風寮は大人が必要最低限のことしか関与しない自治組織です。寮内す 13 べての場所の掃除から約 130 名分のお食事を作ることもすべて生徒のみで行っています。寮内では携帯電話の使用は もちろん、自由にテレビを見ることや漫画を読むこと、お菓子を食べることは許されていません。 ですが、そんな規則を変えるのも生徒で寮生全員で話し合います。今年度は 1 年間かけて雑誌を寮内で読んでもよ いように話し合い、実行に移しました。そんな学校全体、寮の政治をとるのが高等科 3 年生です。そして清風寮の政 治の中心はその期の選挙で選ばれた寮長、そしてその補佐である寮の委員です。 自分が変われば清風寮が変わる、チャンスはどこにでも転がっている、清風寮、そして学園すべてが私たちの舞台 です。この言葉はある人のものですが、それにアレンジを加え私が寮長の補佐である寮の委員につかせていただいた とき、就任礼拝で伝えたものです。自分が変わり、自分の視野が変わり、見えてくるもの、感じ方が変わり、また少 し違う清風寮が見えてくる。そしてそんな清風寮を良くするチャンス、もっと良くするチャンスはきっと一杯あるは ずだという思いを込めました。 チャンスを逃さず寮生皆で寮をよくしていきたい。そんなことが言いたくてこの言葉を選びました。就任したばか りの頃、私は自治を行う寮で寮の委員の任が嫌で仕方ありませんでした。寮長は寮生の安全と健康、そして全体の責 任を持ちます。また寮の委員は寮生に届いた手紙や荷物の管理、寮生の人数と外出泊の管理、寮生の行動の責任をも ちます。 私はそんな委員を全うできる自信なんてなかったし、そんな責任はとれないと感じていました。ですが今はこの任 を与えられていたことを感謝しています。それは色んな人に支えられていたことに気づけたこと、そして清風寮は信 頼で成り立っているということに気づけたからです。 例えばお部屋内で仕事をするにしても、お部屋内で信頼し合っていなければ上手くコミュニケーションがとれず、 納得のいくお仕事ができません。他にも寮生は、先生方からそして両親から信じられているからこそ外出泊の管理は 私たちに任せられているし、学生金庫を自由に使うことができます。 自治という言葉は寮生活を送る上で先生方、両親、寮生同士が信頼するということにも置き換えられると私は思い ます。委員期間中みんなとの約束を守れなかった人がいた為に、私は一度信頼の崩壊を目の当たりにしました。勿論 とても辛く苦しいことでしたが、このことを考えたことにより、私はもちろん寮生も成長できたと思います。 寮生活は楽しいことばかりとは限りません。特に責任を持つといっそうそう感じます。辛く苦しいこともあります が、自分が成長できる場所、また友達と多くの時間を共有できる場所です。私は来年度高等科 3 年生になり、政治を とる学年になります。残りの清風寮で過ごせる 1 年間を大切に、清風寮に入寮できたことに感謝しつつ悔いが残らな いようにすごしたいと思います。 井田(男子部高等科 2 年) これから男子の寮の東天寮の生活について報告します。男子部の多くの生徒は東天寮と 呼ばれる自治寮で生活しています。僕は中学 1 年生から 5 年間この寮で生活していますが、寮というより第 2 の家と いうふうに感じています。東天寮では中学 1 年生から高校 3 年生が一緒に生活をしています。大人はいません。高校 3 年生の寮長を生徒が選挙で決めて、その人が寮の全責任を持っています。東天寮は、自分のことは自分で自分達の ことは自分達でする、をモットーにかかげている寮です。 坂田(男子部中等科 3 年) 1 日の説明をします。起床は 5 時半です。冬は真っ暗で起きるのがとても辛いです。起床 すると食堂に集まり、乾布摩擦をします。自炊当番の人は 4 時半に起き、朝食を作ります。6 時にみんなが食堂に集 まり食事をとります。朝は眠い人もいますが、食事に出るのを励んでます。食事が終わると掃除の時間です。自分の 部屋があるフロアやフロアのトイレや流しを綺麗にします。 そして学校に出発します。 夕食は 6 時です。みんな笑顔で和気藹々と食事をしています。7 時には集中勉強と呼ばれる 100 分間の勉強時間が あります。100 分間集中して勉強できない人もいますが、みんなで協力して励んでいます。8 時 40 分からは待ちに待っ た自由時間です。ピアノを弾いたり洗濯をしたりします。入寮した最初の 1 年間は洗濯機を使わずに洗濯をします。 中等科は 9 時半に就寝です。高等科は 10 時半に就寝です。寮長は寮内すべての鍵などを見回り床につきます。 井田 寮での学び。僕は 5 年間この寮で生活して深く感じたことがあります。1 つは自治ということです。自分の時間、 自分の洗濯、自分の勉強というように自分のことだけをするのであれば自立という言葉でもよいのですが、僕たちが 行っているのは自治です。そこで培われる力とは自分達のことを自分達で治める力だと思います。 14 これは一例ですが、生徒たちの中から食器の管理や食事の時間をよくしていこうと食事改善委員会というものを立 ち上げました。割れてしまう食器の数をどうやったら減らせるか考えたり、食べ残しを減らす活動をしたりしていま す。今見ていただいている写真は食べ終わった食器にヘラをかけ、汚れを落としているものです。以前はヘラなどは かけずに、汚れたまま流しで洗っていた為、油汚れが落ちにくく、衛生的にも環境的にもよくないものでした。それ に気づいてヘラを購入して、食事後には食器にヘラをかけるよう、生徒に呼びかけています。 このように多くの生徒がよくないと思ったことに対して改善策を練り、実行し、それにみんなが協力するといった 自治が行われています。もう 1 つはつながりです。寮 では上下級生が同じ部屋で生活をしています。自炊当 番や掃除などの各当番を学年問わず、みんなで回して います。 勉強が苦手な人は得意な人に教えてもらうなど、仲 間と共に苦手なことにも励みます。今この写真は下級 生 の あ る 子 が 頼 れ る 上 級 生 に 相 談 し て い る 写 真 で す。 このような場面は寮の中で多く見られます。この写真 は部屋の中で話し合いをとっている写真です。それぞ れが思っていることをみんなで共有し理解しあうこと は団体生活を行っていくうえでとても大切なことで す。 悩みを聞いてあげる先輩やその周りの人たちは、自 分の時間を割いてその人の為に真剣に話を聞きます。その関係はただの友達、先輩後輩の関係ではありません。いう なれば家族、兄弟のようなものです。互いに信頼し合い、思っていることを正直に言い合えます。ですが僕らは本当 の家族ではありません。完璧な人間でもありません。 だからいくら大きな理想をもって生活をしていても誰かが怠けていたりなど、問題はあります。それでも本物の兄弟 のような絆、正真正銘の自治寮ということを目指して日々努力しています。僕らはそのように考え、東天寮で楽しく 生活しています。これで寮の報告は終わります。 山口 これから寮で 1 年間 2 年間を過ごしてきた生徒から寮生活を通しての感想を言います。 岡田(女子部中等科 2 年) 2 年間の寮生活を振り返って。『私たちは兄弟姉妹』、この言葉は寮の食堂にたてかけて あるものです。私は入寮したときにこの言葉を聞きました。初めて聞いたときはいずれこの言葉が分かる日が来るの だろうとだけ思っていました。 次の日、私は時を知らせるベルの音に気付かず、室長に起こされました。朝の挨拶が終わると上級生はぱっぱと着 替えてベッドメイキングをしていました。 上級生は 1 つ 1 つの行動が早くて、かつ丁寧で、私はそれを見て戸惑ってしまいました。掃除の時間では丁寧に掃 除をして、食事の時間ではマナーの多さに驚き、それを守れている上級生を見て凄いなと思いました。 驚きと戸惑いの連続で私はこのまま寮生活を何年も続けられるのか不安になりました。そんな気持ちから私はホー ムシックになってしまい、親からの手紙が来ると泣き、寮の仕事もなかなかわからず体調不良の日が何日も続きました。 今思うと考えられないことですが、とにかく寮が辛すぎて自分はまだまだ未熟なことを強く感じました。 しかし何日かして、周りの友達も同じ思いをしていることに気がつきました。その友達とはゴールデンウィークや 夏休みになったら何をしたいか話したり、お互いに励ましあったりしてこの辛い思いを共有することによって、少し 気持ちが楽になった気がしました。そのとき初めて私たちは兄弟姉妹という言葉の意味がわかったよう気がしまし た。 中等科 2 年生になって 4 月に下級生が入ってきました。下級生は私たちのどのようなところを見ているのか不安で とても緊張しました。そんなある日、新型インフルエンザの為、学校閉鎖があり、私は福岡に中等科 1 年生の人と一 緒に帰ることになりました。空港まで行く電車の中で、急に中等科 1 年生がホームシックで泣き出してしまいました。 そのとき私はどうしていいかわからず、ただ大丈夫と声をかけることしかできませんでした。私も同じホームシック を体験していて、そのときの辛さなどもわかっていたはずなのに何もできなくて、とても悔しい思いをしました。 15 そしてあの言葉に近づくにはたくさんの困難を乗り越えなければならないことを知りました。寮は自分のことだけ ではなく友達や寮そのものについても考える機会を与えてくれます。そのようなことを自治というのではないかと思 います。友達や上級生のことも考えながら、寮の伝統も残しつつ新しいことも取り入れられる考えをたくさん広げら れる寮を大切に、毎日楽しく生活していきたいです。 東條(男子部中等科 1 年) 1 年間の寮生活を振り返って。僕はもうすぐ中等科 2 年生になります。そして 2 年生にな る為の準備である 1 年目の寮生活を手伝ってくださったのは、新入生部屋の室長です。新入生部屋の室長は、入学し てまもなくまだ寮のルールをよく知らない僕たち 1 年生にたくさんのことを教えてくださいました。掃除の仕方や食 事の用意のこと、さまざまな時間のすごし方など色々なことを教えていただきました。 そのお陰で僕は準備を少しずつ整えることができました。他にも室長には自分の上手く行かないことや友人との関 係についての相談を引き受けていただいたりしました。僕が相談を頼んだときには快く、そして笑顔で引き受けてい ただきました。その行動で僕は大きな安心感を感じることができます。新入生部屋の室長だけでなく、部屋が変わっ てからの新しい室長にも非常に為になることを教えていただきました。 他にも室員同士の他愛無い笑い話を聞いて笑いあったり、互いに勉強を教えあって頑張ったりするこんな寮生活が 大好きです。僕は地方生なので 6 年間ずっと寮生で、苦労することが多いでしょう。しかし楽しいこともたくさんあ ります。そんな苦労することと楽しいことを繰り返しながら日々成長していきたいです。 山口 これで自由学園の報告を終わります。 16 第 3 部 対談者によるコメント・質疑応答 更科 引き続き第 3 部に移りたいと思います。第 3 部では先生方にケーススタディに対するコメント、そしてみなさ んからいただいた質疑応答に対してのお答えをいただきたいと思います。それでは先生方よろしくお願いします。 市岡 それじゃあ初めに増田先生に、今の寮生活と学びについてコメントをいただきたいと思います。 ■ 自治の意味 増田 生徒さんお疲れ様でした。とても緊張してただろうとは思いますが、緊張感がプラスになって、とても素晴ら しい発表になっていたと思います。 報告の中でみなさんの笑いがありましたけれども、あの笑いも彼らにとってみればとても素晴らしい反応だったと 思います。やっぱり楽しいことだけじゃなくて苦しいこともある。朝 5 時半に起きるのはやっぱりしんどい。 物事には、必ず表と裏が、両側面あります。そのことをしっかりと感じ取れた報告だったなと思います。 報告の中で、感じたのは自治ということですよね。何でも自分達に任せられる。最初はさせられる、辛いという思い が自分達でやっていくことで、厳しい寮生活も楽しいことにチェンジできるということだろうと思います。もしこれ が任せられるのではなくて押し付けられる、与えられるということであれば、あの朝 5 時半に起きたり、それから自 分達で昼食を作ったりということはなかなかできないのではないかなと思います。 政治をするという言葉を 3 年生が使ってましたけれども、そういうところで厳しいことも乗り越えていけるのでは ないかなというふうに思いました。 それからホームシックになったという報告がありましたけれども、当然の事です。親元を離れて遠く生活をしてい ると辛くなる、さびしくなる、泣きたくなる。当然です。それでいいんだと思います。 泣きたいときは泣く。そしてそのときに辛い思いをしているのは自分だけではないという、電車の中である女の子 が後輩の女の子が泣き出したときに自分だけではないということを知る。同じ思いをした先輩がその場にいるという ことでその子はとても救われたのではないかなと思います。側に居てあげることがとても大事だったんではないかな というふうに思いました。 ■ 「 時 の 係 り 」の ネ ー ミ ン グ それから細かいことですけれども、ネーミングがいいですね。時間管理、タイムマネージメントというのを、時の 係というネーミングの元に管理する。いいですね。 それから寮生活の中でやっぱり調理をする、料理をするというのが中心になっていました。料理をするというのは 先ほど言いましたように、非常に大事なことです。調理をするということで感謝をする心も生まれてきますし、協力 する心も生まれてきます。その大変なことをずっと伝統としてやっていってるということは素晴らしいことだと思い ます。 時には失敗することもあるんじゃないかなと思います。これ誰が作ったの、というものもひょっとしたらあるかと 思います。それも 1 つの経験だと思います。調理をすればするほど手順を覚えて慣れてきますし、無駄な時間が省か れてより良い他の時間に使えるように時間が余ってですね、他の時間に使えたりするのではないかなと思いました。 少し心配なのは、一人の時間があるのだろうかということです。裏の部分、自分だけの時間、自分 1 人の時間という ものも大事にして欲しいなというふうに思います。みんなといなくちゃいけないのではなくて、みんなといるからこ そ 1 人の時間を大事にするということはあってもいいかなと思います。ピアノを弾いたり外に出たりとか綺麗な芝生 もありますので、自分 1 人でぼんやりする時間というものをもってもらえるといいかなと思いました。大体以上です。 17 ■ 生徒が悩んでいることが救い 市岡 ありがとうございました。色々と誉めていただいて真にありがたいのですが、実際のところは時間を守れない 子どもも結構います。それから私も普通科 1 年生に入ったときはホームシックにかかりました。色んな問題がやはり あります。 ただ、生徒が自治というものについて、大人からは言われない、しかし自分達でちゃんとやんなきゃなんない。こ のところについて生徒が悩んでいるというところが救いかもしれません。生徒の自治ができないと、普通は先生が悩 むんですけれども、生徒が悩んでいるところが救いかなと私は思っております。 それで質問を本当に沢山いただきまして、時間を 10 分か 15 分くらい延長しても大丈夫なんですかね。できるだけ 質問にお答えしたいと思います。最初は現在中学 2 年の娘さんを持つ親の方です。『高校から入学される方は何人ぐ ら い い ま す か 』と い う こ と で す が、 高 3 の ク ラ ス で は 19 人、 高 2 で は 6 人、 高 1 で は 5 人、 つ ま り 相 当 い る と い う ことです。 それから次の質問でございます。これ増田先生に。海は癒しの効果があるということですけれども、それは親子の 間でも有効ですか、ということですが。 ■ 自己暗示の効果 増田 はい、もちろん有効です。海に癒す効果があるというのは先ほど言いましたように、波や音や風なんですけれ ども、家族で行かれたときに、『あ、気分が楽だね』とか、『リフレッシュしたね』とかそういう言葉を返してあげる ということは大事かなと思います。ご存知のとおり森林浴だったり山だったり自然というのは癒し効果がある。 それからそういうことを一緒にいった中で会話をすることが大事なんだというふうに思います。 もう 1 つはついで言いますと、子どもたちの手遊び、粘土ですね。粘土だったり木馬ですよね、それからブランコ は子どもたち好きですよね。あの揺れる中に癒し効果ってあるわけですね。だから嫌なことがあったらブランコに乗 ると、子どもたちっていうのは結構きりっとした顔になったりします。 そういう癒し効果があると思ってやると、より自己暗示もかかっていいわけですね。そんなの嘘だよっていって疑 心暗鬼になると、なかなか癒し効果もなくなります。癒し効果があるっていうのはもう実証されていますので、海に いったら、今いい気分だなと感じるということは非常に大事かなと思います。 ■ 子ども一人ひとりが大事 市岡 次に幼稚園のことですが、地方では急激に幼稚園に入園する園児が激減しています。しかし、一方保育園は入 れないほどになっています。これは仕事をなさるお母様方が増えているせいでしょうかね。経済が厳しいことも事実 ですが、幼い子どもの命そのものが軽んじられ、大人の都合で教育が流れ始めている気がします。このことをどう感 じられますか、という質問です。 増田 少し難しい質問になるんですけれども、確かに社会状況経済状況で教育を規定される、決められるということ は多いかと思います。その中で幼稚園が激減していく要因というのはある意味では社会状況から受けると必然的な流 れかと思いますが、その中で保育園にしても幼稚園にしても、子ども 1 人ひとりを大事にするという視点を持った教 育が保障されるかどうかというのが、1 番大事なのではないかなと思います。 人数が増えるとどうしても教員の目、それから保護者の目ってのは届かなくなってきます。ですからその辺はそれ こそ政治の力で、人数を少し制限をしたり、保育園数を増やしたりしないといけないんですけれども。 やっぱり一定の適正規模というのがあると思います。その適正規模を守っていくように社会としては考えていく必 要があるかなと思います。 18 ■ 人間力と偏差値 市岡 私も、子ども手当てっていうのはちょっとどうかなと思います。もっともっと保育所を増やしてですね、働き ながら子どもを安心して育てられる環境を整えた方がいいんじゃないか。子ども手当てをもらって、そのお金でパチ ンコにいっちゃうみたいなことがあってはならない。 次のご質問は、 『 人間値と偏差値、偏差値(学力)はどのようにバランスがとれると思いますか』と。これは難しいテー マですね。いかがでしょうか? 増田 はい、人間力と偏差値のバランスですね。どこでとるのがいいんでしょうか。なかなか難しい問題かなと思い ます。ただ最初、パワーポイントで生きる力か学力かという問題を提起をしましたけれども、これは両方必要だろう と思います。 大事なのは学ぶ意欲を持続していくというか、開発していくことだろうと思います。偏差値が高いのはある意味では 悪いことではない。でもそれがすべてではないということだろうと思います。 ちょっと私の大学のことで恐縮なんですが、結構学力的には高いんですけれども、臨床の学生達は忙しくてハード なんですが、おひな祭り会とかいうのをしまして、そこで各学生 90 名くらい、一芸を披露するというコーナーがあ りました。20 組くらい出たんですけれども。漫才やったりですね、それから歌を歌ったり伴奏したり、エレキギター を弾いたり凄く多趣味だったんですね。 大学や大学院にいる学生とは大体臨床の話しかしませんのでプライベートのことは知らなかったんですけれども、 結構遊んでいるというか趣味を持っている。音楽だったり漫画だったり英会話だったりバレーだったり、それなりに 自分の楽しみ方をもっているようです。中にはホノルルマラソンに挑戦するといって走りにいった院生もいました。 学力がつくというのは大事なことですが、それと同時に自分が持っている力といいますか、自分が楽しみな場を持 つということも大事だろうと思います。そのバランスというのは他人が決めるのではなくて、その子自身が自分の中 で無理ない程度に頑張る。そして楽しむ場を持つということではないかなというふうに思います。ちょっと答えになっ てないかもしれませんけれども。 ■ 学 力 に は「 考 え る 力 」と「 覚 え る 力 」の 二 つ が あ る 市岡 学力には先ほど申し上げたように覚える部分と考える部分があると思うんですね。ですからこの学力といわれ ている場合、何を意味しているのかがちょっとはっきり分からない。 私は覚える部分がまったく必要ないとは言ってないんでありまして、ミニマムは必要であろうかと思います。しか し、最近の覚える部分ってのはマキシマムを目指してるんじゃないかなという気がします。そしてその生徒の学力が 落ちたこと、子どもの学力が落ちたという議論の背景にはですね、国際競争に負けるということがものさしで言われ るんですよね。 でも私は国際競争力を高める為に教育はあるのかなという気がいたしまして。そんなすぐさま会社の部品になるよ うな、そういう既存の部品になるような子どもたち、あるいは社会人を作り出すことが教育の目的なのかなと疑問を 感じております。 私は基礎的な部分はミニマムでいいと。これをいうと結構怒られちゃうかもしれませんけれども、私は数学が大変 下手、不得手だったものですから一生懸命覚えました。今でも数学の追試を受ける夢を見るんですけれども。しかし、 現在私は 72 歳、三角関数を覚えて 50 何年間ですか、一度も使ったことはありません。 ただ自由学園の最高学部の男子部の生徒が、最近治水の、キャンパスの中に流れる水をどのようにして治水、治めた らよいかということを測量して、そのとき彼らの 1 人が初めて三角関数を使った、結構面白いものだということを言っ ておりました。覚える部分がマキシマムになることはいかがなものかなと思っております。ミニマムは必要だと思っ ております。 次のご質問ですが、これも結構難しい。『文明が急速に変化し、日本の家庭生活が便利になりすぎ、家庭における 子どもの役割が失われつつあると思います。このような社会での親、あるいは大人の文化の伝え方について、例えば の話を聞きたい』と。どのようにして家庭を通じて子どもたちに文化の伝承をしていったらいいかという、こういう 19 ご主旨なんですが。 増田 これもまた難しい話ですけれども便利なものっていうのは何か失うわけで。でも便利な生活に慣れてしまうと それを使わざるを得ないという状況になる。ということは逆に考えると不便な生活、不便でない生活を体験させると いうことになるかと思います。 そういう意味で家庭は、キャンプにいったりとか何か旅行に行ったりするときも、不便さを味わわせるということ は大事かなというふうに思います。 キャンプに行きますと、先ほど寮でご飯を炊くってお話がありましたけれど、薪で炊いたりしますよね。やっぱり 家庭生活の中で日常的にそんなことはやってられませんのでキャンプに行ったり海に行ったりするときにそういう不 便さを体験させて少し話をするということだろうと思います。 学校においては総合的な学習の中で地域社会の人にお話を聞くということで、高齢者の方に来ていただいてお話を聞 く機会というのはたくさん増えていると思います。今、地域社会と学校、コミュニティ・スクールということで、『地 域に開かれた学校』を推進している学校がたくさんあります。地域の中には高齢者、本当に豊かな知恵を持った高齢 者の方がたくさんいます。その方々が学校に通っていただいて話を聞く。そしてよくあるのは昔遊びを教えてもらう ということです。 ■ ゴリラと人間の違い 市岡 色んなものがあると思いますけれども、食事だと思うんですね。今発売中の新潮 45 にですね、ビートたけし とゴリラの研究家、京都大学の教授が対談してます。その中に面白いことが書いてありました。何故ゴリラの研究を するかというと、ちょっと横道にそれますけれども、ゴリラってのは動物の中で唯一人間をペットにすることができ る動物らしいですね。人間に餌をくれたりなんかしますね。それから抱きかかえてくれたり、ペットにしちゃうとい うことです。 ゴリラを調べるのは何故かというと、人間との相違点と共通性を調べて人間を浮き彫りにしようという狙いでアフ リカに行って長いこと調べた。 ゴリラと人間の最大の違いは、2 つあるんですね。1 つは、ゴリラは劇をしないというんですね。人間は今日凄い 大きな象に出会ったぞ、と象の真似をしたりしますね。こういうことはゴリラはしない。要するに想像力を使わない。 人間はそういうことを通じて、絵を描くようになったり、さらにその絵が字になったわけです。 2 番目の違いはこれはちょっと尾篭な話でお許し願いたいんですが、ゴリラとか猿はですね、下の始末が悪いんで すよね。色んなとこで大便をしちゃうんです。これは人間のものさしからすると汚いっていうんです。 ■ 人間関係のそもそも それはゴリラと植物が共生してるからだというんですよ。ゴリラとか類人猿は果物や色んなものを食べる。種を下 から出してですね、そうやって植物を色んなところに分布させることをやっていると。 人間はそれはしないと。何故かと。人間は食べ物をいろんなところから集めてきて、そしてみんなで食べることを やる。昔からやってる。そこがゴリラと人間の違い。そしてみんなで集めてきた食べ物を囲みながら、そこに人間関 係が生まれたっていうんですね。 つまり人間の社会的関係ってのは、食べ物から生まれた。価値観の伝承を色んな方法が勿論あります。後姿を見せ るのも価値観の伝承かもしれない。親父の後姿みたいのもの価値観の伝承かもしれない。 しかし何がコアかっていうと、私は食卓だと思いますね。これが今大変薄れてきてしまったというのが私の問題意 識です。 食卓を囲みながら、お前そんな態度じゃ駄目だぞとか親父が言って、反論したりして、コミュニケーションが成立 する。 食卓の存在感が希薄になってきているというのが、価値観の伝承が失われているかなり大きな原因ではないですか。 20 ただいまは女性が働かざるを得ない、あるいは働きたいという世の中でございますから、毎晩毎晩ですね、価値観 を伝承してく食卓ってのもなかなか難しい。ただ、週に 1 度はお母さんの味で勝負するとかみんなが囲んで話をする とか。 この価値観の伝承ってことと、料理の役割をもう 1 回見直すべきじゃないかなというのが私の印象でございます。 次はですね、これも難しい。『教育とグローバル化についてどうお考えか。日本の常識は世界の非常識かって言わ れたりしていますが』というご質問です。これはいかがでしょう? ■ 忘れられないフィンランドの温かさ 増田 そうですね、日本の常識が世界の非常識かって、やっぱりそれなりに文化の違いというのはあると思うんです よね。やはり私はそう言われない為には若い間に必ず海外に行っておくのは大事かなと思います。しかも団体ででは なくて 1 人で行くということが大事だろうと思います。 その中で自分や自分の町や自分の国を考える。一歩外に出た時に、感じたり考えたりするわけですね。ですから日 本ということを考える、自分を考えるときに海外にでるということは非常に大事なことだと思う。 そのときに、グループでいくとグループの中だけで行動してしまうわけですね。そして不安にならない。便利なも のでエスカレーターに乗って海外の文化を体験するようなシステムになってますので、1 人で海外に行ってみる。そ うすると手続きは自分でしなければいけない、1 人で不安になる。そのときに外国の方の色々な親切に触れたりです ね、それから嫌な思いをしたりとかいうことになる。 そのとき、日本っていいんだなとか、日本のここがいいんだなとか、ここはこうすべきとかそういうのを感じるこ とじゃないか。で、私も海外に学生のときにかなり行きましたけれども、その中で旧ソ連、今のロシアですね。ソ連 の時代にシベリア鉄道でナホトカからフィンランドまで鉄道でいきました。 そのとき忘れられないのがフィンランドの人の温かさでした。そして赤いベンチでした。ほっとしました。で、やっ ぱり海外で一人で体験したことというのは今自分の中でも生きてるんではないかなと思いますので、若い生徒のみな さんは海外に 1 人で行くことっていうのは、グローバル化をどう考えるかにも繋がっていくのかなというように思い ます。 市岡 日本の常識は世界の非常識といわれる。確かにそういうことはありますが、私はじゃあ世界って一体なんなん だと。これは欧米のことを世界といってるのか、アフリカのことをいっているのか。 この間ブータンに行ってきました。ブータンも紛れもなく世界の 1 つなんでありまして。これも横道にそれますけ れども金を湯水のごとく使うって言葉がありますね。これは日本ではじゃぶじゃぶ使いまくるということですけれど も、アラブにも同じ言葉がありまして、これは金を凄くけちけち使うってことなんです。つまり砂漠の中ですから。 そういうことで随分世界と言っても多様なものがあるので、ひとつだけの世界の常識というものは、私はあるように 思えないんですね。 日本の教育はグローバル化の波の中で、こんなことやってると駄目になっちゃうぞというのは先ほどちょっと申し 上げたビジネスの要請から来ていることがある。ビジネスに役立つような人材を生み出すということは確かに 1 つの 重要な教育の役割かもしれないけれども、それがすべてではない。 結論を申し上げますと教育とは限りなくローカルなものである、同時に数字とか具体的な成果で表すことの相当難 しいインディビジュアルなものであるというふうに思います。 ですからさっき申し上げたように、色々な価値観が多様に花咲いていて、それぞれが確信をもってそれを伝えてい くということが、大切です。のっぺらぼうの、数値化できるものは教育には馴染まないというふうに思っております。 それで最後に、日本の教育は楽しくない。人生は楽しいものだ。また楽しくなるように人の役に立つことをしなくて はと教えるべきだと思いますが、どうでしょう? 増田 日本の教育は楽しくない。一言で言うとそうかもしれません。鍛えるというところに結構視点があります。し かし、学ぶというのは楽しいことだろうと思います。学ぶ楽しさをどう作り上げていくかというのが教師であり大人 の役割だろうと思います。 21 自発的に楽しく学べる仕組みをどう作っていくのか、というのが今の日本の教育に問われていることだろうと思い ます。頭と心を豊かにする授業と、身体と心を鍛える授業という 2 つが必要だろうと思います。その中に前者の方が 楽しく、次どんなことがあるんだろう、こんなこともしてあげたい、と思うような授業方法というものが必要でしょ うし、そこには 1 部で話しましたように魅力のある教材、それから教育というものが必要なのかなと思います。 市岡 最近オリンピックなどに行く人たちが楽しくやってきます、楽しんできますとよく言いますよね。あれは、普 通の楽しむじゃないですよ、彼らは物凄い苦しい努力をしてその果てに、楽しくやってきますということを言ってる んで。その楽しいってことがイージーなものであるという意味ならば、教育はイージーであるべきではない。 しかし、それなりの鍛錬を経ながら、そして楽しくなるということなら結構なことだと思います。子どもは勉強と いうのが好きだと思うんです。詰め込まれるから嫌になっちゃうんですね。ですから子どもというのはいろんなこと を学ぶのが大好きな存在だと思いますので、それを引き出していくということが大事だというふうに思います。 今日は本当に長い間ありがとうございました。学園長が参っておりますので、挨拶があります。 更科 先生方、どうも今日は貴重なお話どうもありがとうございました。最後に本日主催させていただきました学校 法人自由学園学園長 矢野恭弘よりご挨拶させていただきます。 矢野 みなさん、本日はこれからの教育を語る会にご参集くださいまして、ありがとうございました。私はまず第一 に九州大学の増田健太郎先生に心から御礼申し上げます。貴重なお話、コメント等をいただきましてありがとうござ いました。共催ということで、自由学園協力会九州地区という名前がございましたけれども、協力会というのは実は 在校生の父母、それから卒業生、そして卒業生父母、友の会の方々等が集まって自由学園を支えてくださっている団 体です。 今日は教師も生徒も少しお手伝いしましたが、会場の予約から設営までをしていただいた九州地区の協力会の方々 には特に、この場をお借りして御礼申し上げます。 今日は「これでいいのか?日本の教育」という題でしたけれども、みなさまと一緒に今の日本の教育の現状と望ま しい方向といいますか、こういうやり方がいいんじゃないかという 1 つのあり方といいますか方向を示して、お二人 の対談を通して、また生徒たちの報告を通して示されたんではないかと思っております。これからも私どもは、本当 に小さな学校ですけれども教育のあるべき姿を求めて励んでいきたい。今日改めてみなさまとご一緒にこの熱い思い を確かめさせていただき、改めてまた励まされる思いでした。今日はみなさま、本当にありがとうございました。 更科 これでこれからの教育を語る会を終了したいと思います。本日は誠にどうもありがとうございました。本日受 付に、プログラムとその中にアンケート用紙が挟んでございます。ご記入していただき、受付に提出していただきた いと思います。よろしくお願いいたします。 22
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